「忘年親睦駅伝」@皇居
最近は仲間が集まってジョギングやマラソン練習を一緒に励む「走友会」が各地で盛んで、インターバル走など本格的なトレーニングを積んでいる会も多いようだ。私は普段せいぜい妻と一緒か、または一人で、ビールを美味しく飲むためにジョギングを楽しんでいるので、これら走友会には所属していないが、「ねんりんピック岐阜2025」の東京都代表団で知り合ったランナーの友人から、「走友連合忘年親睦駅伝」に出ないかと誘われ、昨日は久しぶりのタスキリレーに参加して汗を流した。この大会は東京近辺の走友会が集まり、男子は一般の部と壮年の部(50歳以上)、それに女子の部に分かれて4月と12月の年2回、皇居の周回コース(1周5キロ)で行われる駅伝で、1人5キロ X 4人で合計20キロを走るものである。3つの部があるとは云ってもスタートは一斉で、昨日はランパン、ランシャツ姿の本格的ランナーチームから、町のなんちゃってジョガー風やオバサンチームまで、参加約50チームのランナーたちがスタート・ゴールとタスキ受け渡し地点である祝田橋の皇居前広場に集まった。
我々は「ねんりんB」と名づけられたチームで壮年の部にエントリーである。構成は58歳が1人、70歳台が3人のシニアだが、ジジイと云ってもみな「ねんりんピック岐阜大会2025」や「鳥取大会2024」の東京代表だから、意気込みだけはそんじょそこらのチームには負けないつもりだ。心配された天気も曇り空で暖かく、スタートした我がチームの1区選手(70才台)は5000米を21分台、全体の中では半分ほどの上々のタイムで、祝田橋に戻って来た。2区ランナー(70歳台)も勇躍23分ほどで帰ってきて、3区担当、チーム最年長の私の番になった。いよいよタスキを受けとり肩にかけるや、結び目を背中に回して余った一辺の端はパンツの腰のあたりに入れて置くのだったな、とルーティンを咄嗟に思いだすあたり、若い頃に教えられたことは忘れないものだ。とは云っても私自身、日頃のんべんだらりと走っている報いか、厳しい追い込み練習の不足で、4キロまでは予定のタイムで走ったものの、最後の1キロはまったく足が伸びずに、22分半の想定よりも1分近く遅れて漸く4区のランナーに引き継ぐことになった。幸い4区の走者はチーム最年少とあって20分台で走り、4人合計では(多分)最高年齢の我がチームも、最後は若者たちに交じって全体の中位くらいで無事ゴールできた。もし年齢別にハンディがあったら上位入賞も出来たかもしれない。
それにしても日頃走り慣れたコースにも関わらず、設定タイムより1分近く遅いのはいささかショックである。ついこの前まで5キロなら20分以内で走れると思っていたのが、年齢を重ねるにつれて徐々にタイムは落ち、70歳になってからは21分も切れぬようになってしまった。家に帰ってさっそく日記を開きこの2年ほどの皇居での練習タイムを見ると、確かに昨年~今年は一度も22分台では走っておらず、昨日の結果はどうやら実力通りだったことが改めて分かった。レースとなればアドレナリンが出て、20~30秒は早くなるだろうなどと思っていたが、そういう 『思わぬ良い方』に記録が変わるのは、70歳過ぎにはおこらないようだ。若い頃に培った貯金もとっくに使い果たし、今は5キロを走るたびに一年で30秒ずつ悪くなっているようで、年齢には抗えないことを痛感する。今回一緒に走った”ねんりん仲間”たちは、仕事が暇になった50歳位から好きで走り始めたそうで、みな年齢と共にタイムが落ちても、不健康だった中年時代より体が軽くなったことを喜んでモチベーションをキープしている。学生時代に陸上競技を経験した私は「以前に比べて 記録はぐんぐん落ちる一方だし、かつてさんざん苦しい練習をしたから懸命に走る事はこれ以上はごめん」と内心思いつつも、『旨いビール』を飲む瞬間を思い浮かべては「ま、仕方ない、また今日も走ろう」とランニングシューズを履く。
追記:12月27日に本大会の正式結果が届いた。参加チームは49チームで、我が「ねんりんB」は壮年の部(50歳以上)19チーム中で7位、若者たちや女子に交じっての全体順位は49チーム中で18位相当と「若い者には負けられない」自負を発揮できた。但し4人の年齢合計ではもっと高齢チームが4チームもあることが判明。最高年齢チームはなんと4人で298歳と一人平均75歳である。それまで我々も頑張るか。




















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