カテゴリー「ジョギング・マラソン」の記事

2025年12月22日 (月)

「忘年親睦駅伝」@皇居

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桜田門外から祝田橋広場の駅伝の発着場を臨む


最近は仲間が集まってジョギングやマラソン練習を一緒に励む「走友会」が各地で盛んで、インターバル走など本格的なトレーニングを積んでいる会も多いようだ。私は普段せいぜい妻と一緒か、または一人で、ビールを美味しく飲むためにジョギングを楽しんでいるので、これら走友会には所属していないが、「ねんりんピック岐阜2025」の東京都代表団で知り合ったランナーの友人から、「走友連合忘年親睦駅伝」に出ないかと誘われ、昨日は久しぶりのタスキリレーに参加して汗を流した。この大会は東京近辺の走友会が集まり、男子は一般の部と壮年の部(50歳以上)、それに女子の部に分かれて4月と12月の年2回、皇居の周回コース(1周5キロ)で行われる駅伝で、1人5キロ X 4人で合計20キロを走るものである。3つの部があるとは云ってもスタートは一斉で、昨日はランパン、ランシャツ姿の本格的ランナーチームから、町のなんちゃってジョガー風やオバサンチームまで、参加約50チームのランナーたちがスタート・ゴールとタスキ受け渡し地点である祝田橋の皇居前広場に集まった。


我々は「ねんりんB」と名づけられたチームで壮年の部にエントリーである。構成は58歳が1人、70歳台が3人のシニアだが、ジジイと云ってもみな「ねんりんピック岐阜大会2025」や「鳥取大会2024」の東京代表だから、意気込みだけはそんじょそこらのチームには負けないつもりだ。心配された天気も曇り空で暖かく、スタートした我がチームの1区選手(70才台)は5000米を21分台、全体の中では半分ほどの上々のタイムで、祝田橋に戻って来た。2区ランナー(70歳台)も勇躍23分ほどで帰ってきて、3区担当、チーム最年長の私の番になった。いよいよタスキを受けとり肩にかけるや、結び目を背中に回して余った一辺の端はパンツの腰のあたりに入れて置くのだったな、とルーティンを咄嗟に思いだすあたり、若い頃に教えられたことは忘れないものだ。とは云っても私自身、日頃のんべんだらりと走っている報いか、厳しい追い込み練習の不足で、4キロまでは予定のタイムで走ったものの、最後の1キロはまったく足が伸びずに、22分半の想定よりも1分近く遅れて漸く4区のランナーに引き継ぐことになった。幸い4区の走者はチーム最年少とあって20分台で走り、4人合計では(多分)最高年齢の我がチームも、最後は若者たちに交じって全体の中位くらいで無事ゴールできた。もし年齢別にハンディがあったら上位入賞も出来たかもしれない。


それにしても日頃走り慣れたコースにも関わらず、設定タイムより1分近く遅いのはいささかショックである。ついこの前まで5キロなら20分以内で走れると思っていたのが、年齢を重ねるにつれて徐々にタイムは落ち、70歳になってからは21分も切れぬようになってしまった。家に帰ってさっそく日記を開きこの2年ほどの皇居での練習タイムを見ると、確かに昨年~今年は一度も22分台では走っておらず、昨日の結果はどうやら実力通りだったことが改めて分かった。レースとなればアドレナリンが出て、20~30秒は早くなるだろうなどと思っていたが、そういう 『思わぬ良い方』に記録が変わるのは、70歳過ぎにはおこらないようだ。若い頃に培った貯金もとっくに使い果たし、今は5キロを走るたびに一年で30秒ずつ悪くなっているようで、年齢には抗えないことを痛感する。今回一緒に走った”ねんりん仲間”たちは、仕事が暇になった50歳位から好きで走り始めたそうで、みな年齢と共にタイムが落ちても、不健康だった中年時代より体が軽くなったことを喜んでモチベーションをキープしている。学生時代に陸上競技を経験した私は「以前に比べて 記録はぐんぐん落ちる一方だし、かつてさんざん苦しい練習をしたから懸命に走る事はこれ以上はごめん」と内心思いつつも、『旨いビール』を飲む瞬間を思い浮かべては「ま、仕方ない、また今日も走ろう」とランニングシューズを履く。

 

追記:12月27日に本大会の正式結果が届いた。参加チームは49チームで、我が「ねんりんB」は壮年の部(50歳以上)19チーム中で7位、若者たちや女子に交じっての全体順位は49チーム中で18位相当と「若い者には負けられない」自負を発揮できた。但し4人の年齢合計ではもっと高齢チームが4チームもあることが判明。最高年齢チームはなんと4人で298歳と一人平均75歳である。それまで我々も頑張るか。

 

タスキの受け渡しを待つ次の走者
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2025年12月 8日 (月)

ねんりんピック岐阜2025 東京都選手団解団式

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10月18日(土)から21日(火)にかけて岐阜県下の各地で行われた「ねんりんピック岐阜2025」の東京都選手団解団式が、一昨日、東京都庁の大会議室で行われた。例によって「君が代」「東京都歌」斉唱、都の事務局の挨拶、団旗返還などの行事のあと、いよいよ東京の代表選手の成績が発表された。全国から参加した選手一万余のうち、東京都は30種目に309名が出場し、マラソン(女子5キロ)の他、サッカー、社交ダンス(団体戦)、ディスクゴルフ(個人戦)などの種目で優勝、他にも多くの入賞者を輩出したと報告がなされた。ねんりんピックは「健康福祉祭」であくまでスポーツの”交流大会”のため、都道府県別の順位比較はないものの、総合的にみて東京都は全国でかなり上位の成績を挙げたものと思われる。会場では各種目の成績がスクリーンに順次映し出され、優秀な選手の名前が読み上げられるたびに拍手が起き、その健闘をたたえて盛り上がった解団式であった。


解団式の後半は、各種目代表者による結果報告の時間に当てられた。各種目の代表がそれぞれ一人づつ、持ち時間1分程度で壇上で喋るという決まりであったが、高齢者の『あるある』で、とにかく話が長くなる人が多い。わざわざ解団式に参加する人たちは、時間がたっぷりある高齢者だからまあじっくり聞くのも良いものの、一人で5分くらいマイクを離さないツワモノもおり、皆なかなか話が終わらない。とは云っても若い頃はそれぞれの組織で、それなりのスピーチをした人も多数なのか、総じて話しが上手、場内を湧かせるユーモア混じりのトークもあり、運動能力が衰えていない老人はボケも少なく口も達者だと元気を貰った気がしてきた。またラグビーは60歳台前半の出場資格取り立ての若い選手が中心だとか、サッカーは都内の多くのチームの選抜者で構成されているなど、それぞれのチームの成り立ちがここで披露され、多人数で行う體育會系本格派スポーツのシニア『適齢期』選手集めが大変であることがわかった。と思えば「誰でもやる気があって手を上げれば都の代表ですぐ出られます」と言う、ふだんあまり耳にしない静的種目の代表あいさつも聞けて、「そうかこんな穴場のスポーツでねんりんピック参加の道もあるのか」となかなか興味深いスピーチの時間であった。


中には「岐阜市の長良川競技場で行われた開会式で選手達は立ったり座ったりさせられて大変だった。また割り当てられた宿がひどかった。」などと、岐阜大会の運営には無関係の東京の事務局にはまったくお門違いのクレームを発する発言者がいるのも、この種の高齢者イベントの『あるある』である。最近は個人情報保護法とやらで、写真集などは出さないイベントが多いなか、さすがシニアの大会だけあって、競技中の写真や集合写真、移動中の新幹線車内のスナップなど顔写真がばっちり満載の立派な冊子を参加者全員が貰って解団式はお開きとなった。それにしても会場を見渡せば、かくしゃくとしたシニアが多く、こんな元気な人たちばかりなら高齢者社会も安泰だと勇気も湧いてくる。我々も今回のマラソンの部の選手と前回のねんりんピック大会のマラソン選手で、合同駅伝チームを作って12月末に都内で行われる駅伝大会に出ることが決まり、それに向けて練習スケジュールを練るかなどと話しつつ会場を後にした。良い思い出の場を作ってくれた岐阜県に感謝である。

 

ねんりんピック岐阜2025 東京都選手団結団式
ねんりんピック岐阜2025に参加して~夫婦でのマラソン出場記 

顔写真満載の写真集
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2025年10月22日 (水)

ねんりんピック岐阜2025に参加して~夫婦でのマラソン出場記

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ねんりんピック岐阜2025開会式

この間の週末、ねんりんピック岐阜2025にマラソン競技の東京代表として夫婦二人して出場してきた。ねんりんピックは正式名を「全国健康福祉祭」と云い、原則毎年一回、日本全国持ち回りで開かれ、今年で第37回目となる60歳以上のスポーツと文化の祭典である。この大会は厚生労働省、開催都道府県、長寿社会開発センターが主催、スポーツ庁が共催するシニアの為の国民スポーツ大会(旧国体)のようなイベントで、今年は「清流に輝け ひろがれ 長寿の輪」と銘打って、岐阜県各地で25種目に亘る競技や文化交流が実施された。47都道府県代表プラス、各政令指定都市から選抜された計約1万人の参加選手の他に、地元市町村関係者や学生生徒、ボランティアなど延べ60万人が何らかの形で大会に参加すると云うから、地元開催県にとっては一大イベントである。開会式には皇室の臨席を賜り、県知事始め県政の重鎮も出席とあって、警備はもとより大会をスマートに運営するロジ周りも万全が期されていた。出場する選手の選抜方法は、各県別にそれぞれの競技団体に任されており、東京都のマラソン代表は、昨秋行われた東京都および東京都スポーツ協会主催の、シニア健康スポーツフェスティバルのマラソン大会の一発勝負を勝ち抜いてきた選手である。

 

マラソンの部は、海津市にある長良川河川敷コースが会場で、男女とも60歳未満の部と70歳以上の部でそれぞれ3キロ、5キロ、10キロの3カテゴリーに分かれていた。私は60歳台前半で栃木と長崎で開催されたねんりんピックに出場したことはあったが、今回は9年ぶりとなる70歳台3キロへの挑戦である。妻は60歳台で初めて10キロのレースに出場することになって、なんとなく出発前から落ちつかない様子だ。社交ダンス種目などを除き夫婦そろって参加するのは極めて珍しいそうだが、過去の出場経験もあり、妻には悪いが私自身はハナから遠足気分のリラックスムードだ。団体で現地入りする往路の新幹線では、乗った瞬間からプシュと二人で缶ビールの栓を抜くと、周囲を見れば誰もそんな選手は見当たらず、ひそかに期するものがあるのか、みなレース2日前というのに真剣な面持ちである。「酒を少々飲んだって、一晩寝ればどうって事ないよ、旅費の補助もあるし、折角の機会だからもっと楽しめば良いのに」などと内心思うも、最近はさまざまなランニング雑誌などで「速く走るには」やら「レース前のコンディショニング」などの細かいアドバイスが記されていて、それらに感化されるのか、一同シリアスランナーモードになって、レース前を真面目に過ごす処が日本人らしい。

 

雨が心配されたレース当日は、曇り空、微風と絶好のコンディションとなった。夫婦2人とも記録などはあまり気にせず、成り行きで楽しく走ることを心掛け、まず10キロの妻は男子10キロの部の60/70歳台選手と一緒にスタートして行った。その後5キロのスタートを見送り、追って3キロの部も男女全員が一斉にスタートである。この種の大会のキロ表示はあてにならないことが多いので、時間は気にせず気持ちよく走る事と、大体において先行した者がバラバラと落ちてくるから、最初から気負わずに自分のペースを守ろうと云う二点が妻との事前確認事項である。最初オーバーペース気味で突っ込んで、そのまま後半を我慢するほうが結果が良いランナーもいるが、私は後半バテると酷い結果になるので、スタートダッシュしないのがシニアになってから心掛けている点である。号砲一発、走り出せば長良川沿いコースは景色も良く、3キロなどはあっという間のゴールであった。後ろから先行する人々をスイープしていったため、自分は一体何番だったのだろうと思っていると、「おめでとうございます、(70歳以上)3番目です」と高校生らしき補助員の女の子が、3番を示すストラップを首からかけてくれた。過去のねんりんピックでは、いずれも4位だったので、今回は以前より少し豪華なメダルと、立派な美濃和紙製の賞状もいただくことになり、順位は気にしていなかったもののそれはそれで嬉しい結果となった。


しばらくして10キロレースの妻が目標としていたタイムよりも早く戻って来たが、同じ東京の70歳台の選手と競い合っている。この選手は昨秋の予選時にトラックの周回レースで3位を走る妻にコバンザメのように付き、最後の直線でスパートして力の残っていない妻を抜き去り表彰台に立った選手である。「抜いちゃえよ」と声をかけたが、「もうムリ」と今回もまた後塵を拝しながらのゴールで、結果は彼女は70歳以上の2位、妻は60歳台の7位であった。最初は先行していたその選手が徐々に落ちて来たそうだが、妻が後ろから余裕しゃくしゃくて追いかけていると思い、その後は落ちないように必死に頑張ったそうである。またも同じ人をアシストすることになった妻だが、のちにその選手が大学の大先輩だったことがわかり、ペースメーカーとなって感謝されると共に、「何かご縁があったのよねぇ」と奇遇に感心すること仕切りであった。表彰セレモニーではカテゴリーごとに8位までの選手が呼ばれ、4位以下のメダルは金銀銅メダルより少し小さく、また賞状は普通の用紙に横書きであった。夫婦二人がそれぞれ選抜されて同じ大会を走り、二人ともメダルと賞状を貰えたのは望外の喜びであった。因みに東京都のマラソン選手団10名は優勝者のほかに上位入賞者が多く、さすが東京と周囲からほめれていた。

 

(手許で1位8点、2位7点、以下8位1点として集計すると東京都は合計36点(選手10人)でトップ、政令指定都市の浜松市も同点トップ(ただし選手6人)、ほかに静岡県は合計27点(選手6人)を取っているので、県単位とすれば静岡県がダントツで強い。さすが陸上王国)

 

銅メダル(上)と入賞メダル(下) 左は記念に購入したTシャツ
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ねんりんピック栃木(2014年10月・真岡)
ねんりんピック長崎(2016年10月・諫早)

2025年10月 5日 (日)

ねんりんピック岐阜2025 東京都選手団結団式

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ねんりんピック岐阜大会2025東京都選手団 剣道代表による選手宣誓

昨日は東京都庁第一庁舎で、「ねんりんピック岐阜2025」の東京都選手団結団式が行われたので、妻と一緒に参加した。ねんりんピックにはマラソン競技の60歳台で2度参加したが70歳台の部では初めて、自身としては都合3度目であり、妻は60歳台のマラソンの部での初参加となる。ねんりんピックは、正式な名称を「全国健康福祉祭」と云い、毎年全国各県持ち回りで開かれるシニア層のスポーツ、文化の交流大会である。国民体育大会(現在は国民スポーツ大会)が文科省主催に対し、60歳以上が主役のこちらは厚労省と各都府県が主催者になっており、37回目となる今年は10月18日(土)から21日(火)まで、岐阜県の各地区が会場となる。ここでは陸上、水泳、サッカー、ラグビーなどのいわゆる競技種目の他に、ゲートボールやペタンクなどのシニア向けスポーツ、さらに文化交流として囲碁、将棋、健康マージャンまで実施されるから、真剣勝負の国体とは一味違うシニアの「全国的お祭り大会」だといえよう。「ねんりんピック岐阜」では参加予定人員はなんと「延べ60万人」と発表されているので、主催する地域にとっては一大イベントである。

 

健康促進が目的とは言え、老人の趣味道楽のために大変な額の国家や地方予算が割り当てられることには内心思う処もあるが、それはまた別の話としよう。結団式に先立ち、東京都選手団は30種目311名で、これは主催県に次いで2番目の多さだと発表があり、東京ではシニアの活動が活発に展開されていることを感じさせてくれる。妻は「ついに自分も押しも押されぬこちら側シニアに入ってしまったか」とあきらめ顔の出席である。昨日の結団式ではまず「君が代」斉唱に始まり、役員挨拶や小池百合子 東京都知事のビデオメッセージ、団旗授与と形通りの式次第が進行した。「君が代」と云えば団塊の世代も多いため、歌うのはアレルギー気味の参加者も多いのかと思っていたら、大きな歌声が会場に流れ、活動的なシニアには、偏向思想の持主が少ないことが分かって嬉しい。東京都スポーツ協会理事長の挨拶で 「熾烈な予選を勝ち抜き、選手に選ばれた皆さん」と一同持ち上げられると、何となくざわざわと嬉しいような気恥ずかしいような呟きが会場から漏れてくるのも微笑ましい。


ねんりんピックの選手になるには、各競技団体が定めた予選を勝ち抜かねばならないが、競技種目にもよるが政令指定都市を持つ県は、県の選手枠とは別にその都市枠も割り当てられている。例えば仙台市を擁する宮城県は、仙台市枠とその他地域の2つの枠があるため、政令指定都市を持たない県に比べると2倍の選手を派遣することが出来る。人口の多い東京都はもともと2倍の割り当てがあるが、横浜、川崎、相模原と3つの政令指定都市をもつ神奈川は県内全体で東京都の倍の人数の選手が参加できる規定になっている。なにやら夏の高校野球に於ける県予選の様相にも似ているが、たしかにスポーツ協会理事長の挨拶通り、人口比では全国で一番予選通過が厳しいのが東京都であろう。その分、ねんりんピック本大会では上位に入賞する者も多いようだ。続いての選手紹介で我々マラソン参加者(男女各5名)が起立して会釈をすると、周囲から「オオ~」という声も挙がって、やはりガチ系スポーツは多くの注目を集めていることを感じる。とは云うものの自身を顧みると、70歳を過ぎると走るというより、なんとかヨタヨタとゴールにたどり着くという感じがするものだ。ということでせっかく選ばれたのだから、岐阜県の美味しいものを食べ、試合前夜でも気にせず美酒を呑んで、順番ではなく純粋にスポーツを楽しんでくることにしたいと結団式を後にした。

 

都庁を後に新宿の蕎麦屋で妻と決起会
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ねんりんピック栃木2014に参加して(1)(2014年10月 6日)
ねんりんピック長崎に参加して(2016年10月17日)

2024年11月26日 (火)

第29回シニア健康スポーツフェスティバルTOKYO マラソン大会 (ねんりんピック岐阜2025 東京都予選)

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シルバーメダル コレクター

11月24日(日)に駒沢オリンピック公園陸上競技で行われた令和6年度、第29回シニア健康スポーツフェスティバルTOKYOマラソン大会 (東京都と東京都スポーツ協会主催 )に夫婦して参加した。私は男子70歳台の部3000米、妻は60歳台の部5000米への出場である。マラソン大会と云っても、今年は駒沢陸上競技場の場内でレースが開かれるため、実質トラックでの周回競技となる。駒沢競技場と云えば今から60年ほど前、中学生時代に世田谷区の連合陸上競技大会で走ったことがある。当時はまだアンツーカーのトラックで、区内の公立中学30余校の代表選手と共に2000米を競ったレースだったが、他校は陸上部の選手が多い中、素人の私が6位に入賞でき、その自信が以後永年に亘って走るきっかけになった場所だ。70歳をとうに過ぎているのに、その記念すべき競技場の走路を周回することが出来ると云うのも、何かの縁であろう。


このシニア健康スポーツフェスティバルの上位入賞者は、来年度の「ねんりんピック岐阜2025」の東京都代表選手の選考対象となるのもこの大会に参加する大きなモチベーションになっている。日曜日は秋晴れの下、空も高く「岐阜に行くぞ」と夫婦二人で上位入賞を期して競技場入りした。とは云いつつ、実は私はこの春から右膝を痛めており、半年間ほとんど練習は出来ていない。この間、医者や整骨院を巡った上、痛みが弱くなると無理に走り始めてはまた痛くなって休み、暫く歩いたり水泳でごまかして少し良くなると、また無理して走って痛くなりの「ランナーあるある」症候群に陥っていた。昨日も完走はおろか、ウォームアップも危ぶまれる状況であったが、「まあレースとなればアドレナリンも出て痛みも和らぐだろうし何とかなるか」と楽観的に考えて、取り敢えずスタートラインには立つことにした。


私のレースの前に妻の5000米競走がある。この種目は20数名の参加者だったが、参加者は日頃からそれなりに鍛えているような人が多そうだ。号砲一発、スタートして妻は終始3番手のグループにつける。この種の大会の常で先頭を切る1~2番手は生活のほとんどを走ることに費やしているのでは、と思える程のマニアックな走りで、残りがその後を追いかける展開となる。3位の集団は1キロ5分のペースをぴったり守るうち、1人落ち2人落ちして、妻は単独3位になるが、残る一人のおばちゃんがコバンザメのようにすぐ後ろにピタリとついている。「そいつを引き離せ」との我が思いもむなしく、最後の直線で妻は力を貯めていたそのおばちゃんに抜かれ、3秒差の4位と表彰台を逃してしまった。途中でわざと大幅に減速してコバンザメを先行させ、逆に最後にまくるという手もあったとは思うが、「そうしたら目標タイムに届かない」とそうはせず最後まで自分のペースを守った妻には拍手を送りたい。このまま後ろの人が最後にスパートしたら、既に一杯いっぱいの自分は絶対に勝てないな、とわかっていたので道中精神的にも辛かったそうだ。ちなみに更衣室でかのコバンザメに 「引っ張ってくれてありがとう」とお礼を言われ、感謝されないよりは良いかと苦笑いだった。


いよいよ60歳台と、70歳台合同の3000米競走の番がくる。こちらも20数名の参加者で、スタートしてもまずは気になるのは膝の痛みとあって、ラップを考えるどころではない。ただホンの僅かなデコボコでちょっとした力が膝にかかると”ズキューン”と差し込む痛みも、起伏のないトラックでは問題なさそうだ。こわごわと膝をかばいつつ1000米を過ぎるあたりから、これは何とか完走できそうだと意識をレースに集中することとした。しかしこの半年間の練習不足はいかんともしがたく2000米過ぎるとしんどくてたまらない。足も上がらなければ息も絶え絶えで、もがきながらなんとか走る状態である。こんなに苦しいなら膝が痛くなってくれた方が、途中でリタイアする良いエクスキューズになるのに、などと不埒な考えも脳裏をかすめる。そうこうして少しづつラップタイムを落としながらも足を前に運ぶうちに、なんとかかんとかゴールできたのは幸いだった。順位は全体で6番だったが、70歳台の部では2番でゴールにたどり着いたようだ。ゴールしてまず頭に浮かんだのは、とにかく完走できて良かったとの思いだが、想定以上の順位も長い間の蓄積によるものか。


結果、昨年と同じく3000米で2位だったが、タイムは30秒も落ちてしまった。「70歳台では万年2位か。ねんりんピックの東京代表はふつう1番の人が選ばれるからまた無理だな」と思いつつ、1位の選手に「岐阜のねんりんピックは頑張って下さいね」と声を掛けると、彼は「私は今年のねんりんピックに出たので、次は出られないんですよ」(ねんりんピックマラソンの部は毎年連続では出られないルール)とのことである。これは、ひょっとして2番でも10年ぶりに代表の座がまわってくるかもしれないと密かに期待をもたせる言葉だ。とはいうものの、家に帰って妻が撮った私のレースの動画をみると、あまりのヨタヨタ走りぶりに「オレはこんなか?」と驚く。速球を誇った往年の投手が、始球式で山なりのボールを投げやっとのことでキャッチャーに届いた場面を想起させるようなカッコ悪さである。年齢は確実に走力を落とすという事実を再認識させる動画ではあったが、シニアになっても夫婦して自ら好んで苦しいことにチャレンジできるのも、走っているからでこそであろう。こんな体験も良き人生の一ページかと晩のビールで2人して完走を祝った。もっとも妻は頑張りすぎて喉や気管支を痛め、レース後も夜まで咳とくしゃみが止まらないという、陸上競技の中長距離走あるある症候群にかかって気の毒だった。走るのも楽ではない。

女子5000米スタート地点
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男子3000米スタート地点
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2023年9月13日 (水)

新しいシューズ ASICS NOOSA TRY 15

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NOOSA TRY15 妻も同じシューズを購入

暑いというのに街中を走る人がいっそう増えた感じがする。テレワークで自宅にいる時間が増えた勤め人などが運動不足解消の為に走っているようだ。見ているとランニング雑誌のモデルのように、夏でもランニングパンツの下に黒や濃紺色系のスパッツを履いている人が多い。中には腰のランニングポーチに飲み物のボトルを入れているランナーもいる。暑さの中ではなるべく肌を露出した方が走りやすいし、水分でチャプチャプする重いボトルを身につけるより、都会ならICカードでも持ってそこら中にある自販機でドリンクを買った方がよほど効率的だと思うが、そういうのが流行りなのだろうからご苦労さんというしかない。こちらも自宅のパソコンでできる仕事がほとんどとあって、このところ気温もやや下がる夕方に走る毎日である。気が付けば史上最も暑いと云われたこの8月も走行距離が250キロと近年になく走ってしまった。


走るたびに毎日履くシューズは、いつも2足のものを同時並行で使用している。ミズノやナイキを履いていた時もあったが、最近は専らASICSである。10年以上前にアシックスの株を買ったところ、毎年春・秋に40%優待割引きが使える株主優待券が送られてくるようになり、それを利用して最新のシューズを購入しているのである。ASICS製品の中でも、このところ使用していたのは、ターサーという軽量モデルとGEL-KAYANOという比較的初心者用ジョギングシューズの2種。ターサーは1980年代からある馴染みのシューズで「今日は皇居一周(5キロ)を何分以内で走ろう」などとちょっと刺激を求めタイムを意識する日に履くのに対して、GEL-KAYANOはゆっくりとチンタラ走る日に履くと使いわけてきた。このうちGEL-KAYANOの方が10カ月ほど使ってヘタレてきたので買い替えようと銀座にあるASICSの直営店に行ってみた。


GEL-KAYANOはアシックスのいまお勧めランニング用シューズで、優れた安定性とクッション性の底を備えているとされており、この10か月間使ってきたのはモデルの29代目に当たるKAYANO29と名付けられた製品であった。しかしながらこの29は走行中の足裏の安定性を重視し過ぎたのか、先代のKAYANO28と較べてやけに幅広で、私の走り方だとバタバタと足音が大きいばかりであまり前に進む感じがしない。足の安定感よりもっと軽くてクッション性も高いものが欲しいので、店員に不満な点を説明するのだが、こういう時にフィーリングを伝えるのが結構難儀である。つい「1960年代、ASICS前身のオニツカタイガー製で君原選手が使っていた”マジックランナー”の様に軽くて通気性がよく、そこそこクッションのあるシューズが欲しい」などと古い話を持ち出しても「君原って誰?」と若い店員が戸惑っているのがわかる。直営店の店員ならかつてのベストセラーくらいは知っているだろうと思ったが、さすがに1960年代のシューズの事はよく分からないらしい。


とは云うものの、さすが専門店のプロである。私の要望を聞いて「似たような感じのシューズは多分これでしょう」と持ってきたのが、「ヌーサトライ15」(NOOSA TRY15)というモデルであった。ゴッホからインスピレーションを得たと云われるカラーリングは少々ファンキーだが、KAYANO29より細身の外見で足底クッションもゴムの様に単純にソフトで弾力性があって良い。元々はトライアスロン用に開発されたもので、競技の合間にシューズを履き替えやすいように、靴ベロ部分に指を入れて脱ぎやすくするプルタブが付いている。最近のモデルの特徴でつま先が丸く反り上がっており、見た目には違和感を感じるが、店内で試し履きしたところやや踵から接地する私には特に不自然な感じはなかった。値段は15400円と高いものの2万円近いGEL‐KAYANOよりは安いし、4割引いて貰えば最新のシューズが1万円以下で買えるとあって今回はこれに決定である。さっそく家に帰って近所で試走すると、想像したとおり軽くて足裏もソフトで一安心。これから徐々に涼しい季節になると、同じような気合で走っても、このシューズなら軽やかで足も前に進む感じがする。年齢的にあと何年ジョギングが続けられるのか分からないが、新しいシューズは走るモチベーションを後押ししてくれる。

2022年11月 2日 (水)

ねんりんピック予選用 アシックス・ターサー

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60歳台前半に、東京都代表として「ねんりんピック栃木大会」と「ねんりんピック長崎大会」のマラソンの部に出場してから早くも6年以上が経過した。時の経つのは早いもので今年は70歳台になり、「ねんりんピック」本大会を走るチャンスが巡って来た。11月23日(祝)に駒沢公園陸上競技場で行われる第27回東京都シニア健康スポーツフェスティバルのレースが、来年愛媛県で開かれる本大会の予選を兼ねるため、これの3000米競走(トラック)の部に出場することにしたのである。ねんりんピックはマスターズ陸上と違い、男性の年齢別刻みが59歳から69歳、70歳から79歳、80歳以上の3つしかない。10歳の年齢差の人が同じレースを走ることになるが、歳をとるにつれ筋力の衰えが顕著となり、60台後半では新規60台参入者と勝負しても競えないのは明らかだ。よってこの6年間は予選に出る事をためらっていたが、やっと一番アドバンテージを持って勝負ができる年齢になった。


10年ほど前に新宿シティハーフマラソンで、70歳になろうかと云う招待選手の君原健二さんを抜き去ったことがある。東京・メキシコ・ミュンヘンオリンピックのマラソン代表で五輪銀メダリストだった君原さんを追い抜けることに感激したが、あの偉大な選手でさえ歳をとると市民ランナーに抜かれてしまうのか、年齢をとるとはそういうことかと、改めて「老い」の現実を目前にして驚いたものだ。我が身を顧みれば、ジョギング中に街中のショーウインドウなどに自分の走りが反射して映ると、なんとヨタヨタとして遅いんだとその走姿に愕然とする。2年前の腹腔鏡手術の際に、お腹に穴が開けられ腹筋が緩んだこともあり臍周りがぷっくりと出てしまったのも気になる。しかし歳をとったらそれなりにあがきつつ、ゆっくりと走る事を楽しめばよい、若い時と違って時間はたくさんあるのだと納得するようにしている。


ねんりんピックの陸上競技は3000米のほか、5000米と10000米の種目があるが、各年代別の各種目には、この人は一体何歳なのと思わせる怪物のように速いランナーもちらほらいる。彼らの話を聞くと走る事を中心として一日のスケジュールが決まっているようだし、レース前日は禁酒するなどその熱心かつストイックな姿勢にはいつも関心するばかりだ。学生時代には合宿所を消灯後に抜け出して夜のまちに時々繰り出したし、市民ランナーとなっても楽しく走ることがモットー、もちろんレース前日も構わず飲酒する私にとっては、とても真似のできない求道的ランナーたちも多い。今年はこんな人たちと予選を一緒に走るのだから、足元だけはそれなりのシューズにするかと、先日は銀座にあるアシックス直営のランニングショップを訪れた。


日ごろ履いている厚い底のジョギング用ではなく、「自分の足で蹴る感覚」「スピードトレーニング向け」「速くなるためのシューズ」とメーカーがうたう、本格志向の定番の「ターサー」を久しぶりに予選で履こうと思いついたのだ。血気盛んな頃はターサーをよく履いたが、あれからウン十年、今のコンディションで薄底シューズで怪我しないか、少しは速く走れるか、と新しいシューズを手にその軽さを感じては何となくワクワクしていた。ターサーも最近は定価が15000円もするので、その日はもったいなくてつい古いシューズでジョギングに出てしまい、「せっかく買ったのに眺めてるばかりで履かないの?」と妻に笑われた。彼女は私が予選を突破すれば一緒に愛媛に行く算段で、競技場やら付近の観光地を調べ始めたが、予選が通過できるかがまず問題である。

2022年10月17日 (月)

TOKYO LEGACY HALF(東京レガシーハーフマラソン)2022 DNS記

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2時間設定のG組だった妻が撮ったスタート地点の模様

「もう一つの東京マラソン始まる」と銘打たれた第1回のハーフマラソンTOKYO LEGACY HALF 2022が昨日開催され妻が完走した。大会は「2020(オリンピック)東京大会のレガシーの創造と継承に加え」「走る楽しさで未来を変えていく」(東京マラソン財団理事長あいさつ文)との趣旨で、東京都や陸連などが主催する今年から始まった車いすとランナーによるハーフマラソンである。国内外から一流招待選手のほかに14000名の市民ランナーが都心を走るということで、都内の道路各所には1か月くらい前から交通規制を知らせる掲示が出ており、このレースが初めて開催されることををすでに知っている都民も多かった。新しくなった国立競技場を発着地として都心を走るコースなので人気も上々のようだったが、参加費が一人2万円というのが気になるポイントであった。当選したらその時に考えようと妻と二人でレースに参加申し込みをしたところ、二人とも当選通知が来てしまい、高いなと思いながらも記念すべき第一回大会だしと合計4万円の参加費を支払って参加することにした。


とはいうものの、私自身はこの1ケ月ほど左のひざ痛に悩まされており、痛い場所をかばって走っていたら腰まで痛みが出る始末である。ようやくこの一週間ほど膝の痛みも和らいできたので、大会に出走しようか大いに迷うところであった。もう一つ心配なのが21キロを果たして完走できるかという点だ。4年前の膀胱がん手術のあとも毎日8キロから10キロのジョギングはしているものの、15キロ以上走る練習はまったくしていない。そのうえ2年前の前立腺がん手術以来、下着に装着するようになった尿漏れパッドの存在も不安である。日常生活や10キロ程度のジョギングなら市販で最少の10CC吸収というパッドで済むのだが、その2倍以上の距離と時間を走るとなるとこれで大丈夫であろうか。勢いで高い参加費を払ってしまったが、レースが迫るにつれて色々考え出すと気がかりなことが次々浮かび段々と憂鬱な気分になってきた。


どうしようかと迷いつつも大会前々日に行われたランナー登録とナンバーカードの受領に、受付会場である新装の霞ヶ丘・国立競技場に一応行ってみることにした。永年慣れ親しんだ国立競技場のスタンドやトラックはオリンピックですっかり近代的になり、新しい時代を感じさせてくれたが、最近のマラソン大会の手続きもかつてとは大違いである。以前は往復ハガキで申し込み、当選すれば通知のハガキを持ってレース当日会場に行き、ナンバーカードを貰うのがほとんどだったが、今やスマホで電子チケットを提示するばかりか、スマホに登録した顔写真との照合も受けないといけない。スマホを持っていない高齢ランナーはお呼びでないと言わんばかりのやり方である。例によって申し込みや情報登録などの手続き一切を妻に任せているお気楽ランナーの私は(妻が私分は私の)スマホに登録したこれらを提示するために、会場では妻の後ろにピタっとくっつき、「おい、どこを押せばその画面になるんだ?」と一々彼女に尋ねなければならないから面倒だ。レース当日もスタートする競技場の入場にスマホを見せる必要があるから、これが無ければスタート地点にたどりつけないのである。これではまるでスマホに使われている大会かと文句の一つも言いたくなり、益々走りたくなくなったが、若いランナーたちは何とも思わないのだろう。


いろいろと心配はあるものの、まあ取り合えず膝をかばってチンタラと走り始めて具合が悪くなったら無理せずリタイアして電車で帰ってくれば良いかと思ったら、私のスタート位置はかなり前の方のB組であった。ネットで申し込む際に、妻が「(私の)予想タイムは1時間30分にしとくからね」と家のパソコンの前で呟くのを「ウン、それにしといて」とナマ返事をしたような気もするが、考えてみればハーフマラソン1時間半は60歳の頃のタイムである。あれから10年、とても今の走力、それも「チンタラ走り」では、スタート直後からC組以下にゴボウ抜かされるに決まっており、B組ではずっとシンガリを走ることになりそうだ。これまで各地のマラソン大会で、AやらBなどスタート順が早い選手を追い抜く際には、実力以上の完走タイムを自己申告してこんな位置で走っているとは何ともみっともない、と心の中で馬鹿にしていたが、今度はそれが自分の姿になるかと思うと急に心が萎えてきた。この時ばかりは日ごろ妻の話を半分くらいしか聞いていないことを大いに反省したが、これもあとの祭。それやこれやで、当日朝にスタートしないことを決心し、久しぶりにDNS (DID NOT START)の気分を味わった。参加料2万円が『出場記念』のTシャツの引き換えだけになったのは何とも悔しいが、「一応の目標タイムを切れた!」と帰って来た妻はますます意気軒高である。

2万円払って貰った記念のTシャツ1枚
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2020年6月30日 (火)

皇居・北の丸公園

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都心と思えぬ緑の庭園を走る

皇居周回コースは今や都心で走る人のメッカのような場所となり、多くのランナーが昼夜問わず走っている。信号もなく安全で走りやすのだが、週に何度も走っているとさすがに飽きてくるものだ。そんな時にはすぐお隣にある皇居・北の丸公園でジョギングをすることが多い。公園と云えば都心には日比谷公園や皇居東御苑などもあるが、日比谷公園が和洋折衷の庭園、東御苑は名所・旧跡となっているのに対し、北の丸公園は都心の緑の森の公園だといえよう。皇居北の丸はもともと江戸城の火災除け用地だった場所で、江戸中期より徳川家の御三卿家である田安・清水両家の領地になっていたそうだ。明治以降は近衛師団の兵営地で立ち入りができなかったが、戦後は森林公園として整備され、東京オリンピックに際してその一画には日本武道館が建てられている。昭和44年からは環境省が管理する公園として、常時一般に開放されている場所である。


この皇居北の丸は周囲の長さは約1.6キロほどのこじんまりした場所なのだが、園内に造られた遊歩道を辿れば、一周1.3キロほどの起伏に富んだ周回コースをつくることができる。ただしここでは環境省北の丸公園利用案内に「個人・団体を問わず、公園内の歩道・遊歩道、車道等においてランニング(ジョギングを含む)される場合、タイム計測やインターバル・ダッシュ等に代表されるような、いわゆる『スプリント・ラン』については、例え全力疾走でなくとも絶対に行わないでください。また、大会等への参加を見越したマラソンの練習についても、その疾走スピードは『他の来園者・利用者にとっては脅威』なので絶対に行わないでください。」とあるように、他の通行人の迷惑になるような、あるいは集団で走るような行為はご法度である。あくまでゆったりと公園の情景の一部となるように走ることが求められるのである。


という事で私はタイムを計測したり目標をもって走る際には隣の皇居周回コースを、ゆっくりと気分よくジョギングしたい日には北の丸公園を利用することにしている。緑多き園内は中央に池が配置され、その周囲は山道あり渓谷あり竹林もあり、さらには湿性植物園などもあって景色に飽きることがない。森の中には旧近衛連隊の碑もあり、コンパクトな敷地の中に上手に公園が造られている事がわかる。春は桜の花、今の季節なら木漏れ日を、秋になれば紅葉を楽しみながら園内を巡ると、走る辛さも忘れ、いつまでもこの道が続いて欲しいと云う気持ちにさえなってくる。ここは最寄の地下鉄竹橋駅や九段下駅からやや離れているため、普段は訪れる者も少なく、地元の人や近隣の勤め人が訪れる程度である。本当はなるべく秘密の場所にしておきたいような静かな公園なのだが、都会のど真ん中で緑豊か、鳥の声を聞きながらゆっくり走ったりそぞろ歩くには最適の場所なのである。

深山幽谷のような一画もある北の丸公園
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2020年5月15日 (金)

ジョギングを継続するには

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皇居のコースも武漢ウイルス禍でランナーが減った

完全テレワークになって2か月。週に一度はファイリングなどの為に事務所に行く以外は通勤の必要もなく、商談も面倒な事は「今や時期にあらず」で先延ばしされるため時間に余裕がある。おりしも気候がよく外で走るには絶好の季節とあって、ついついジョギングの距離や時間も増える。今日はまだ月の半分、15日目なのだが日記をみるとすでに今月は140キロほど走っており、このまま行くと月末には走行距離が300キロ近くになるだろう。昔は長距離の選手は月600キロ、多い月で800キロくらい走ると云われていたから、速さや練習の質はまったく違えどもかつての部活時代の半分近くは走っていることとなる。


考えてみれば中学3年で走り始めてから50年以上になる。まずは今でも毎日のように元気に走れることを、お天道様に感謝せねばなるまい。ただ日課のジョギングも、日によっては走ることが億劫で気がすすまない時がある。また走り始めても何故か積極的に身体が前に進まないような気がする日もある。そんな際にどうやって「走る気持ち」をキープするかは、ジョギングを続けるにあたり腐心する事だと云える。まず実践するのは、同じ走るのでも、日々の気分によって走る目的を変え、違うコースを走ることだ。かつて学生時代に、当時バリバリ順天堂の沢木監督を招いて話を聞いたことがあり、同僚が「飽きずに長い距離を走るにはどうすれば良いのですか?」と質問すると「まずは400米のトラックを何十周も走りきれるようになってからそんな事は考えなさい」と言われてしまったが、競技するわけでないジョガーならまず嫌にならないような動機付けが必要と云えよう。


という事でジョギングを無理なく継続するのは、走るコースを日々変えることだろう。桜の季節には花見ができる場所まで走ってみる、新緑の頃は公園まで走って行くなどのほか、たまには郊外まで走って行き、帰りは電車にするなど目先を変えることで気分転換がはかれる。ガイドブック片手に都内・近郊の名所、旧跡を訪ねて走るのも良き気分転換の機会である。都内でも10キロも走れば、さまざま場所に江戸時代の遺構や歴史的な遺跡が発見できる。最近はそういう場所に説明版や案内の掲示なども整っているので、じっくり往時の気分に浸るのも良い。その他に自分一人で決めたコース上(私の場合には皇居周回コース)で目標タイムを設定し、タイムトライアルをするのも刺激になる。その記録を取っておくと1年前、5年前、10年前に同じ季節の同じコースでどの位で走れたのが判り、それが練習の励みになったり、反対に自分の老化を実感できたりするものだ。


最近実践しているのが坂道を「喜んで」上る事である。坂道は傾斜の先を見ずなるべく足元だけを見つめて上ると、心理的な負担が少なく感じるものだが、逆に勾配を「意識」し、これを「克服」するように思って走ることにしてみた。というのは65歳を過ぎて体幹、特に大腿四頭筋や腸腰筋が衰えると云われるので、坂道はこれらを鍛える絶好の機会ととらえ、むしろこれを迎え入れる気持ちにしてみたのである。上りながら体幹に意識を集中してみると、人間は嫌いなものでも積極的に立ち向かい、それに意義を見出せば辛さも半減することが今さらながら判る。また腕ふりも走るセオリーに反し、前後ではなく時に左右に振ってみると辛さが和らぐということを最近感じている。ただ、どんな日でも走り終わった後のごほうび、缶ビールの栓をプシュっと開けゴクンと一口飲む場面を想像する事が、走り出す一番のモチベーションになっているのは間違いない。

時には丸の内の有名菓子店に買い物に走るのも練習の一環
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