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2025年5月10日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第39日  テネリフェ・トラム

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アルストム社製 シタディス302型トラム 起点のインテルカンビアドール停留場にて

アフリカ大陸西岸、スペイン領カナリア諸島のテネリフェに到着した。前夜から自キャビンではYoutubeで大瀧詠一の 『カナリア諸島にて』を聞き、充分気分を盛り上げての入港である。テネリフェと云えば、ヨーロッパの人々にとっては避寒地として有名で、街を歩いているとフランス語やドイツ語の観光客が多数歩いているのを見かける。彼らにとれば、東京の人間が熱海や伊豆の温泉にやってくるような感覚なのだろう。この日は港町のサンタ・クルス・デ・テネリフェからトラムに乗って、世界遺産に登録されている古都ラグーナを訪問することにした。船からラグーナまでの有料連絡バスもあったのだが、こちらは僅か15キロほどの距離を往復するだけで、一人174ユーロ(2万7500円)もする。いくら飛鳥料金とは云えども、これは法外だと思っていたところ、昨年この船で当地へ来た友人から、「 トラムに乗る方が安くて便利 」と船内で聞き、自力で行くことにした。


トラムに乗るには、まず港から徒歩で行ける最寄りの停留場でチケットを買う必要がある。外国で公共交通利用をする際は、目的地至近の降車場はどこか、乗り換えがあるのか、切符をどこで買うのかなどけっこうハードルが高いことがあるが、ここでは港近辺から目的地ラグーナにあるトリ二ダッド停留場までのトラム1号線は12.5キロで乗り換えもなく、やってくる電車はすべてが終点まで行くので乗り間違いもないことが分かった。旅行者が乗車するには各停留場にある券売機で、ユーロの現金かクレジットカードで全線均一料金の乗車カードを購入する必要があるが、券売機の表示がスペイン語のみなのがちょっと面倒なところではある(その後撮影した写真から英・仏・独への言語切り替えボタンがあったことが判明)。仕方なく無人の券売機を前に、何となくヤマ勘で往復用の「2回または2人」の画面表示にタッチし、そのカードを2枚買うことにした。往復で一人2.7ユーロ(約400円)だから、船からの連絡バスといかに値段が違うことか。


平日の昼間とあって、トラムは5分から6分おきに次々とやって来る。どの車両も結構人が乗っており立ち客も多い。LRT ( LIGHT RAIL TRANSIT ) やトラムと呼ばれる軽快電車、路面電車の見直しが世界中で起こっており、日本でも宇都宮で新しい鉄道が開業しているが、ここテネリフェでも大昔に廃線になった路面電車を、2007年に全面的にリニューアルし再開業したそうだ。行き交う車両はどれも最新式の低床式連接車で、5両の車両を3つの台車で動かしている。さっそく乗車して購入した乗車カードを出入口のカードリーダーにかざすと、画面に赤でペケ印の使用不可表示が出て、一瞬買い間違えたかと焦る。カードの裏表が逆か、などと何度かトライしていたら、地元のオバちゃんが機械の下部に読み取り装置があるから、下からかざせと身振り手振りで教えてくれた。その通りやってやっとOKの表示が出たが、外国の公共交通機関を初めて利用するときの”あるある”現象を今回も体験することになった。


ボックスシートとベンチシートが混在する車内の仕切り板には、”ALSTOM”との表示が掲げられ、日本でもアルストム式台車などで知られる、仏の鉄道総合メーカー製車両であることが分かる。シタディスというブランドの同社のトラムシリーズは各国に輸出され、今や世界で1800編成以上が使用されているそうで、ここテネリフェではシタディス302型と呼ばれる全長32米、幅2.4米、 1435ミリ標準軌の車両が活躍しているのである。驚いたのは、1号線の港近くにある始点インテルカンビアドール停留場から終点のトリニダードまでの約12.5キロの間には標高差が500米以上あり、平均すれば勾配は40パーミル以上であるのに、乗車したトラムは行き(上り)も帰り(下り)も最高速度50キロで急坂を実に軽々と走ることであった。小さな車輪にパワフルなモーター、回生ブレーキの他に台車を見れば電磁吸着ブレーキも装備しているようで、さすがアルストム社のベストセラー車両だとその快適な乗り心地を楽しんだ。車内ではスマホの電話の声がうるさいものの、老人や体の不自由な乗客が乗ってくれば、若者たちが率先して席を譲っている光景が幾度も見られ、矢張りここは南欧なのだと感心することしきりだった。

清潔な車内、老人・弱者優先のマナーが徹底されていた
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2025年1月21日 (火)

蒲蒲線構想、国交省に正式に申請

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のんびりと3両編成の東急多摩川線と池上線が発着する蒲田駅  青函トンネル付近 新幹線とJR貨物線の三線軌条


東京急行多摩川線(旧・目蒲線)の終点である蒲田駅はJR京浜東北線の蒲田駅への乗り換え駅である。この東急線及びJRの蒲田駅と、京浜急行本線と空港線の分岐点にあたる京急蒲田駅は約800米離れており、利用者が両駅を徒歩で連絡するのはとても不便な場所に位置している。よって東急多摩川線を延伸してこの間を結び、東急多摩川線の電車が京急空港線に直結すれば、東急沿線の城南地区から羽田空港へ行くのはぐっと便利になる。同時に東急多摩川線から東急東横線や地下鉄副都心線を経由し、相互乗り入れする西武池袋線や東武東上線の沿線、あるいは同じく東急線に乗り入れている相鉄線沿線からも羽田空港へのアクセスが延伸でとても良くなることになる。この東急蒲田駅と京急蒲田駅を結ぶ路線の建設、いわゆる蒲蒲線計画に関し、この度、東急と大田区が共同で設立した第三セクターより国交省に整備構想の認定申請が正式になされたとの報道があった。かねてから何度も噂されていた蒲蒲線計画だが、都度様々な理由で立ち消えになっていたものが、ようやく前進することになり、鉄道ファンとしては正式申請の報道に大いに興味を掻き立てられているところだ。


この計画の一番のネックだったのが、京急線の軌間(線路と線路の幅)が1435ミリに対して、東急線が1067ミリであり、東急の車両(あるいは東急に乗り入れする地下鉄や西武、東武、相鉄車両)が京急線に入れないことにあった。この隘路を突破するためには、青函トンネル内で北海道新幹線とJR貨物が行っているように3本目の軌条を京急線内に設置するか、外国で実施されている軌間を変えられるフリーゲージ台車を導入する必要があるが、いずれにしても軌間の異なる鉄道間の運転はそう簡単な話ではない。また東急多摩川線は車長18米で3ドアの車両が3両で走るローカル線であるのに対して、京急は18米3ドア車で8両編成、構想実現の折に多摩川線に乗り入れる東急の車両は20米で4ドア車が8両または10両編成と、サイズも車両数もみな規格が違うためにホーム長やホームドアーの調整も容易ではない。蒲蒲線の線路と京急空港線の間で新たに渡り線やポイントを設置するのも、住戸が密集した大田区の工業地域を走る空港線内で用地が確保できるのか疑わしい。このように東急の車両が京急空港線に乗り入れ、羽田空港まで直接運転をするのは物理的にも技術的にも難しい問題が多々あることが、期待されながらもこの構想が長い間進捗しない理由であった。


今回正式に国交省に申請したプランはいかなるものであろうか。大田区の『新空港線(蒲蒲線)メインページ』を見ると、まずは第1期工事として、東急多摩川線を蒲田駅より一つ手前の矢口渡駅より地下化して蒲田駅を地下駅にし、さらに地下を延伸して京急蒲田駅地下に至る線路を建設するとしている(下図)。これにかかる総工費は1250億円で、完成は2040年以降と発表されたとおり遠大な工事である。軌間の異なる車両の乗り入れについては、第2期工事で 『 フリーゲージトレインや三線軌条、駅での対面乗り換えなど、あらゆる整備方法を、技術面・採算面も含めて関係者間で引き続き検討していきます。』(同ホームページ)とやはり宿題が先送りされている。しかしこの第1期工事だけでも、今約37分かかる東急線自由が丘―京急蒲田駅間が、約15分と大幅に短縮されると云うので、東京城南部や埼玉や神奈川方面からの羽田空港アクセス時間が短縮されることは大いに期待できよう。


ただ京急蒲田駅は市街地にある分岐駅という制約から、2階が上り線、3階が下り線となる2面6線のホームで「蒲田要塞」の別名があるほどの変形構造。京急の羽田空港行は列車によって1番線発、または4番線発と都度変わるので乗り慣れないとしばしばホームを間違えそうになる駅である。第1期工事が完成して、新しい蒲蒲線で京急蒲田駅の地下ホームに到着しても、大きな荷物を持った多くの乗り換え客が、一斉に都度発車の階数が変わるホームに間違わずに直行できるのだろうか。私自身、京急蒲田駅で過去に右往左往した経験があるのでその点は心配だ。そもそも東急線の終着駅が「京急蒲田」というのもなんだか違和感を感じてならない。となれば第2期工事が完成して、東急蒲蒲線の電車が京急空港線に直接乗り入れ、空港まで乗り換えなしで行ける日が来ることを祈るのみだが、その頃はこちらも生きているか怪しいものだ。まずは第1期工事後に「東武東上線川越市発、京急蒲田駅行空港快速」などというミステリートレインまがいの列車が走るかもしれないのが鉄道ファンとして楽しみではある。

 

大田区のサイト:「新空港線(蒲蒲線)メインページ」より転載
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2024年12月22日 (日)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(4)玄武洞、地図アプリ

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5つある玄武洞岩盤のうち「玄武洞」

「はなあかり」を城崎温泉で下車、豊岡で泊まった翌日は、夕方の(京都)嵯峨トロッコ列車の乗車券を予約してあったので、半日の時間の余裕ができた。妻は豊岡まで行くのなら玄武洞を見学したいと言っていたが、私は高校時代に習った地学の教師がひどく変わった人物で、岩石やら柱状節理と聞くと当時の不愉快なことを思い出すこともあり興味が湧かない。ましてや玄武洞は豊岡の街から6キロも離れており、バスなどの公共交通機関がなく、アクセスするにはレンタカーかタクシーを使うしかない行きづらい場所にある。だが、ここまで来て国の指定天然記念物でユネスコ・ジオパークにも指定された玄武洞を見ないのも勿体ないかと、”話のタネ”と思って(しぶしぶ)見学することを決めたのである。現地で聞けばタクシーならJR豊岡駅より玄武洞まで片道で3000円、往復6000円との事で、これはレンタカーの料金とほぼ同じだ。レンタカーならば京都に向かう午後の特急の時間に合わせ足の心配もぐっと減るが、クルマを借りたり返したりする手続きや給油の面倒を考えれば、手っ取り早くタクシーで往復する方が簡単そうだ。玄武洞にはタクシー会社への直通電話も設置されていることもわかり、帰路の配車も容易だったので結局タクシーを利用することとした。


玄武洞は円山川沿いに聳え立つ5つの巨大な絶壁で、そこではきれいに発達した柱状節理の岩盤をみることができる。なんでもこの地帯は火山由来の玄武岩で構成されており、熱い溶岩が地表に出て冷却される際に、収縮するに従い外側から規則性のある割れ目が出来、これが柱状節理と呼ばれる連続した石の柱になったとのことである。岩盤に隣接して建てられた玄武洞ミュージアムでは、玄武岩という岩石の日本名はここ玄武洞から名づけられたこと、玄武岩はマグマからできた地球表面でもっとも多い岩石で海洋底は玄武岩が優勢であること、玄武岩の磁性を測定すると地磁気の変化がわかる事などを教えてくれる。1926年に地球磁場の反転を世界で初めて唱えたのも、この玄武洞などで磁性が現在と逆向きであることを見いだした京都大学の松山基範博士だったことを館内の展示で知ったが、今ならノーベル賞を超えてもおかしくない大発見がここを舞台にして日本人によって為されたとは驚きの事実であった。地磁気の逆転によって地球環境は大きな影響を受けることは云うまでもないが、地球科学の発展に日本人が多大な貢献をしたことを知り、地学に対するかつてのネガティブなイメージが少しは拭われたような気がした。


その後、豊岡にとって返し、特急「きのさき」で京都に向かったが、久しぶりの山陰本線列車に乗車とあって飽くことなく車窓の景色を楽しむことができた。最近は便利になって、スマホの地図アプリで列車がどこを走っているのか瞬時にわかるので、バッテリーが減るのも気にせずにスマホの画面と沿線の景色を見比べるのが旅の楽しみである。景色だけでなく乗っている車両がどういう形式なのか、停車する町の人口や歴史なども即座に検索できるとは、凄い世の中になったものだ。手元のスマホのマップを見ていると「きのさき」は豊岡を出てから円山川水系沿いに川を上り詰め、和田山を経由し分水嶺を超えた後は、由良川水系の支流を下り福知山に至ることが分かった。ここからは由良川の別の水路沿いに上流に向かい、再び日本海と太平洋を隔てる分水嶺を経て、大阪湾に注ぐ桂川水系に分け入り京都を目指す行路を辿っている。山陰本線に限らず、東北本線や中央本線など古くに敷かれた鉄路は、山を越えるのにほとんどが川沿いに僅かずつ標高を稼ぎ、サミットをなるべく短い隧道や切通しで超え、別の水路に至り町へ下るケースが多いようだ。重機械のない時代に山地を越えて鉄道を敷設することが如何に難事業であったのか、先人の苦労を偲ぶことが出来るのも、手許に地図があってならではの事である。列車に乗るとすぐブラインドを下げたり、スマホでも動画を見たりゲームをしている人が多いが、新しいツールを使って歴史や地理の旅を楽しむのも新たな喜びである。(このシリーズ完)

JR西日本289系 特急電車「きのさき」
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2024年12月19日 (木)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(3) 『嵯峨野トロッコ列車』乗車

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DE10の次の車両は吹き曝しのリッチ号5号車

豊岡で一泊した翌日は午前中にユネスコ・ジオパークに指定された玄武洞を見学し、その後の帰路に山陰本線で京都方面まで出て、嵯峨野観光鉄道トロッコ列車に乗車することにした。妻があれも見たい、ここも行きたいと考えに考えをこらした末の旅程だが、旅行会社が企画する団体旅行も顔負けの諸行事テンコ盛のスケジュールになってしまった。同じ値段ならだいたい女性の方が欲張りな内容を求めがちなのが世の常と云えよう。この時期は嵯峨野の紅葉も盛りを過ぎているが、夕方以降に沿線のライトアップ&イルミネーションを楽しむ 「光の幻想列車」とする便が運転されるので、これに乗車するのである。ということで豊岡から乗車した特急「きのさき」を亀岡駅で降りて普通列車に乗り換え、山陰本線の嵯峨嵐山駅で下車、ここからJR線に隣接するトロッコ嵯峨駅に向かった。この季節に限らずトロッコ列車はどの便も満員とあって、あらかじめトロッコ嵯峨駅/トロッコ亀岡駅間の往復列車の乗車券は一か月前の発売開始日にオンライン予約済である。


嵯峨野トロッコ列車は、トロッコ嵯峨駅とトロッコ亀岡駅の7.3キロを走り1991年より運転が行われている。この区間はもともとJR山陰本線の線路であったが、同線が複線電化工事で新線に付け替えられることに伴い、旧来の施設を利用して新たに観光列車として営業を開始したものである。このトロッコ列車はJR西日本より譲り受けたDE10型ディーゼル機関車が動力源となり5両のトロッコ客車を牽引・推進する運転で、(機関車の付け替えはなく)亀岡方の1号客車には総括制御の運転席が設けられている。また嵯峨方の機関車隣の5号車は窓ガラスのない 「ザ・リッチ」と呼ばれるいかにもトロッコらしい車両になっている。路線の途中にはトロッコ嵐山とトロッコ保津峡の2駅があり、保津川の渓谷美や名残りの紅葉をめでながら、トロッコ列車は旧山陰本線の古い橋梁や隧道を片道25分(折り返しの往復で50分)ほどかけて進んで行く。線路は峡谷の左岸、右岸の両方を走るので、全車指定席のどちらのサイドに座っても不公平感なく景色を眺められる。ただ行きの亀岡まではガラスの風防がある2号に乗車したが、帰りは「リッチ」号の5号車にわざわざ席を予約したところ、外は底冷えの空気吹きさらしとあって寒いことこの上なかった。


これらの客車は車体長14米の元無蓋車のトキ25000形を改造した車両で、乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。一応、2軸ボギー台車を履いてはいるものの、本来は石炭や原木を積んで走っていた貨車なので、揺れは直接身体に伝わってくるし、自動連結器の遊びも大きく、起動・制動の度にガッチャンと騒音や振動が激しいのが気になる。もちろん全車両とも冷暖房がなく前世紀期の遺物的な乗り物だが、これこそが「トロッコ列車」だ、と割り切れば揺れる車内も楽しいものとなる。ただ驚いたのは、基点のトロッコ嵯峨駅を出た直後に、現在の山陰本線の下り線路を900米ほどトロッコ列車が走ること。全区間単線で1列車しか運行されないため、トロッコ鉄道としての閉塞の問題はないとしても、JR西日本の近畿アーバンネットワークの一部を、この列車が往復とも併用するのは大丈夫なのだろうかとふと心配になる。ひんぱんに列車が往来する幹線の本線線路を、トロッコ列車がのろのろ通過する状況にやや違和感を覚えぬでもないが、この点はJR西日本の総合指令所監視の下、ATSが安全を担保しているのであろう。紅葉の美しさや夕方のイルミネーションには心を打たれるものの、妙なことが気になるのが鉄オタのオタクたる所以である。

イルミネーションに映える紅葉と渓谷
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2024年12月17日 (火)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(2) 『はなあかり』乗車

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半個室の1号車車内、右壁に地元工藝品のショーケース       若狭カレイなどの下り列車の若狭町家弁当

さて敦賀で前泊し、朝は有名な気比神社にお参りしてから、念願の新型車両 「はなあかり」乗車である。「はなあかり」が運転される敦賀・城崎温泉間は、敦賀‐東舞鶴間がJR小浜線(84.3キロ)、東舞鶴‐西舞鶴間がJR舞鶴線(6.9キロ)、西舞鶴‐宮津間が京丹後鉄道の宮舞線(24.7キロ)、宮津‐豊岡間は京丹後鉄道の宮豊線(58.9キロ)、豊岡から終点の城崎温泉(9.6キロ)がJR山陰本線からなり合計184.4キロである。土曜日の午前10時40分に敦賀駅を発車する下りの「はなあかり」は、途中で美浜、小浜、東舞鶴、宮津などに停車し、全区間を4時間59分かけてのんびりと走る。「はなあかり」の列車名は 「地域に光を当て、地域が華やぐイメージ」 「西日本の様々な地域のとっておきに『あかりを灯す』列車であること、地域を明るくする列車であることを表現」したものだとJR西日本は発表している。「季節ごとに、運行エリアを変えて、お客様と各地域を結び、地域のとっておきを発信する」(同発表)列車でJR西日本管内の各路線を走るが、その運行開始第一弾として3月16日に延伸開業したばかりの北陸新幹線に接続する若狭・京都府北部をフィーチャーした観光列車として運転が企画されたそうだ。


「はなあかり」の車両は、JR西日本が山陰方面や陰陽連絡に使用するキハ189系特急用車両を改造したもので、3両編成すべてグリーン車(キロ)である。このうち1号車はスーペリアグリーン車と称する半個室型の車両、2号車は特産品の販売やイベントにも使用できるフリースペースのある一人用座席車と一部ボックス席、3号車が一人用座席と一部ボックス席の混合配置の車両となっている。乗車した1号車は凝った地元工芸品を飾った半個室車両(定員10区画x2の20名)であり、2号車(定員16名)や3号車(定員18名)の一人用席は、かつて151系「こだま」型に連結されていたパーラーカー(クロ151)の一人用シートをモダンにしたようなデザインだ。パーラーカーと云えば昭和30年代、当時の大企業の役員や政治家などがふんぞり返ってタバコをくゆらすかの雰囲気だったが、いま、それよりも豪華な空間で沿線の名産品を集めた弁当 (事前予約でオーダー、下り列車は定価3500円、上り列車は3900円)を楽しみつつ移り変わる車窓の景色を眺められるとは何とも良い時代になったものだ。タネ車のキハ189系は性能的には130キロ運転も可能だそうだが、乗車してみるとあまり路盤も強化されていない若狭湾沿いローカル線を、エンジン音も高らかにゴトン、ゴトンとジョイントを刻んでゆっくり走るのは趣きがあって良いものだった。


この日は一部みぞれ模様の雨か雪、時折雲間から陽がのぞくという冬空で、その日本海側特有の鈍色の空の下を列車は進んだ。妻は父方の郷里が舞鶴なので幼い頃に何度か沿線を訪ねて来たことがあり、とても郷愁を覚えるそうだが、ふつう関東に住んでいる者には、天橋立以外はあまり縁のないエリアである。と云う事で美浜では原発はあの山の向こうかと想像し、三方五湖の一画の久々子湖を初めて望み、二度目の由良川橋梁を渡るなど、あちこち車窓に目を凝らしているとあっという間に時が過ぎてゆく。小浜や東舞鶴など主な駅では 「はなあかり」は10分以上停車して、ホームで地元特産品の販売に接することができるし、改札口を出て駅前で土地の空気を吸うことも可能だ。運転士も気軽に乗客の応対をしてくれるので、電化区間の小浜線でホームに降りた運転士に 「普段は電車を運転するのですか?気動車ですか?」と問えば 「両方です」との答えが返ってきた。天橋立をバックに宮津湾に浮かんだ大型船からは、海外から運んできたニッケル鉱石を荷揚げするさまなども見え、車窓は「汽車ポッポ」ではないが、「♪ 廻る景色の面白さ ♪」である。目的地に早く到達する旅でなし、美味しいものを食べ呑みながら景色を愛でつつ、「♪ 見とれてそれと知らぬ間に早くも過ぎる幾十里 ♪」の世界に浸るうちに、「はなあかり」は城崎温泉駅に到着してあっという間に5時間の旅は終了した。

 

宮津湾ではニッケル鉱石の荷揚げ風景も遠望できた         2号車はクロ151ばりの一人用座席
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2024年12月16日 (月)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(1) 一筆書き切符

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下が東京都区内発→東京都区内行き乗車券 経路が印刷(行程が多すぎて京都・新幹線は手書き)された一筆書き切符

『11年ぶりの10時打ち 観光列車「はなあかり」』(11月17日)でゲットしたプラチナチケットの旅に妻と二人で行ってきた。「はなあかり」は10月4日から12月22日までの週末限定で、北陸新幹線の終点・敦賀駅とJR小浜線、京都丹後鉄道、JR山陰本線経由で城崎温泉駅までを結ぶ観光列車である(土曜日は敦賀→城崎、日曜日が城崎→敦賀方向で運転)。オールグリーン車からなる3両編成気動車のうち、1号車はスーペリアグリーン車とする半個室風の特別車両で、今回はこの1号車が予約ができたために、東京を出発する前から乗車への期待は盛り上がる一方であった。この旅は、まず今年開通した北陸新幹線の敦賀駅まで金曜日の夕方に行って敦賀で一泊、翌土曜日に下りの「はなあかり」で終点の城崎温泉まで乗車、豊岡に戻り宿泊した後、日曜日朝に天然記念物でユネスコ世界ジオパークである玄武洞を見学し、帰りは嵯峨野トロッコ鉄道で紅葉も体験、京都から東海道新幹線で帰って来るというクラツーも顔負けの欲張りスケジュールだ。


東京から北陸新幹線で敦賀まで行き、若狭湾沿いに地方交通線や第三セクター線を乗り継ぎ、山陰本線経由で京都に出て、最後は東海道新幹線で東京に戻る旅となれば、いわゆる「一筆書き」の乗車券を発行してもらうのがお得である。「一筆書き」とはJR運賃の遠距離逓減制を利用して、乗車駅から複数の駅を経由して、同じ経路を決して二度たどらず(あるいは同じ経路を往復せず)一筆書きする様に乗車駅へ戻って来る経路で購入する切符のことを云い、使い方によってはとても経済的だが、きれいに一筆の行路を辿らねばならないのがミソ。この切符では同じ区間を重複することは「一筆」にならないので、行路をどう決めるかが難しいところである。今回の旅程では、東京都区内から豊岡まで往路と復路の切符を別々に買うより、都内発着で豊岡を最遠地とし往路は北陸、復路は東海道経由とした一筆書き切符の方が、乗車運賃が3千円ほど安くなることが時刻表と首っ引きの計算で分かった。「大人の休日倶楽部」の3割引き運賃の他に、「一筆書き」だけでも夫婦2人で運賃が6千円もセーブできるなら、これを利用しなければ損というものだ。


ところが今回の「一筆書き」には一か所難所があった。下り列車の「はなあかり」は最後の区間である山陰本線に豊岡から乗り入れるが、その豊岡では降車の客扱いがなく乗客は全員10キロほど北にある終点の城崎温泉駅まで連れていかれる。終点で「はなあかり」を下車後に南に位置する京都方面に向かう予定の我々は、この場合、城崎‐豊岡間の山陰本線は同じ区間を2度通ることになり、これでは一筆書きでなくなり乗車券が無効になってしまう。この事態を防ぐために、終点の城崎温泉駅で一旦改札を出て、豊岡-城崎温泉間の運賃200円を乗り越し精算し、改めて城崎温泉からその日の宿がある豊岡駅行の200円の切符を買うこととした。「一筆書き」切符はこうした行路上の制約が多いが、もう一つ問題点は、経由地が多いため最近増えている駅の自動改札機が対応しない場合があることだ。自動改札機は、入場記録や出場記録の整合性が取れていないとその後の駅でエラーになり「係員に切符を見せるよう」促されるし、そもそも地方では自動改札機が設置されていない駅も多い。今回は途中から改札口(新幹線改札を含む)を通るたびに、どこから来てどこへ行くのか、一々切符を見せて駅員に説明する手間が必要であった。安く旅を仕立てるのも楽ではないが、どの駅でも有人改札口で説明をすると気持ちよく通してくれるばかりか、「遠路お疲れ様です」と声をかけてくれる駅員もおり、旅の風情も一段と増したのだった。

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緑→赤→青の一筆書き行路。豊岡-城崎間の往復(400円)は別料金。

2024年11月17日 (日)

11年ぶりの10時打ち 観光列車「はなあかり」号

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JR西日本おでかけネットより 「はなあかり」

この10月から新たに運行が始まった人気の観光列車 「はなあかり」の切符に妻が執心である。「はなあかり」はJR西日本が所有する3両編成の観光列車で、「季節ごとに運行エリアを変えて、お客様と各地域を結び、地域のとっておきを発信する」(JRおでかけネットより)新しい列車である。その 「はなあかり」は運行第1弾として、10月5日から12月22日までの週末、北陸新幹線敦賀延伸に伴い開催される 「北陸デスティネーションキャンペーン」に併せ、北陸新幹線に接続する小浜線から若狭・京都府北部を経由し城崎温泉を結ぶ観光列車として運転されることになった。妻は父親の郷里が 「はなあかり」が走る京都府の舞鶴市内であり、近辺の福井県小浜近辺にも遠い親戚がいて、小さい頃からこの辺りを海水浴で訪ねたことがあるので沿線はとても懐かしい地域らしい。


「はなあかり」のタネ車はJR西日本の特急型気動車キハ189系である。車両は内装・外観とも今回すべて改装され、1号車はスーペリアグリーン(定員20名)、2号車は特産品名物販やイベントにも使用するスペースを備えたグリーン車(定員16名)、3号車が豪華ボックス席の他に横1+1列独立シートを配置したグリーン車(定員18名)の3両編成になっている。乗客定員は52名(全車指定)で、車内にはJR西日本管内のとっておきの工芸品も展示されているとのことで、すべての車両はキハからキロに格上げされている。JR各社は観光キャンペーンとして、各地で改造車両の観光列車を走らせる営業努力を重ねており、JR西日本でも、我々はこれまで『奥出雲おろち号』(木次線)、『べるもんた』(城端線氷見線)、『SAKU美SAKU楽』(津山線)に乗ったことはそれぞれ記した通りだ。


人間は齢をとると、子供の頃に慣れ親しんだ場所にことさら郷愁を覚えるようだ。私も父親の転勤で住んだ門司港や神戸の街を時折歩きたくなったりするのだが、妻も子供の頃に毎年訪ねた舞鶴の祖父母の家や、小浜の親戚のことを懐かしみ、最近も 「飛鳥Ⅱ」や「にっぽん丸」では機会があれば舞鶴に寄港するクルーズに墓参りがてら乗船している。そんな妻ゆえ 「はなあかり」の運転開始を知るや、矢もたてもたまらず乗車したくなったようだ。とは云え週末限定で僅か50席余の指定席はプラチナチケットである。特に妻の希望である豪華な内装のスーペリアグリーン車は、ネットでは取れず窓口販売のみであるから切符の確保は簡単ではない。ということで、次月のここなら何も予定がないという週末を決めて、指定席確保のために最寄のJR駅みどりの窓口で1ヶ月前の予約開始が始まる10時打ちに賭けることにした。


10月半ばの第1回目10時打ちのため、妻は朝10分前にみどりの窓口に行くも、すでにその時点で(他の列車の予約であろう)10時打ちの人達が4名おり、自分の番が来るまで少なくとも10分以上かかることを察したそうだ。なにせプラチナチケットゆえ10時00分00秒を一瞬たりとも逃せば、全国から殺到する希望者の後塵を拝することが必定だ。ということでこの日は早々に戦わずして意気喪失の帰宅。翌日上り列車の10時打ちには、気合を入れて朝9時過ぎにはみどりの窓口に並び、10時シャープに駅係員のENTER KEYを押すさまを見守ったが、この時もあえなくどこかの誰かに瞬殺ですべての予約を取られてしまい、駅員の申し訳なさそうな顔に送られてみどりの窓口を無念の退出。ということで12月に乗車する列車の予約が最後のチャンスとばかりに、妻は先週三度目の正直に出かけて行った。かくも女の執念は強いのだ。


3度目はいかにも早打ちが得意そうに見える、マニア的な若いJR駅員が対応してくれたそうだ。時間になる3分ほど前から他の予約の人たちを待たせて10時打ちに向けてスタンバイするなか、NTTの時報とともに彼の指はEnter Keyを押す。妻は心配そうにその様子を眺めているしかなかったと云うが、「取れましたが、この席番号がご希望の海側かどうかは...」「いえいえ、取れて嬉しいです、ありがとうございます!」というやりとりがあったとのこと。嬉しさのあまり小躍りしながら帰宅した妻は、今度は朝10時40分に敦賀を出る下り「はなあかり」で車内専用に出される豪華ランチ弁当を喜々としてネットで注文している。いろいろ調べた結果、取れた席も希望の海側だったようで始発の敦賀にはどうやって行くか、終点の城崎温泉からはどのルートで帰京するか、ネットや時刻表を睨みながらあれやこれや旅のプランを考えている。こんな時の妻はひどく楽しそうだ。

3度目の正直のみどりの窓口
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2024年8月25日 (日)

秩父鉄道の石灰石輸送列車 中井精也氏作品

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夏休みになると開催される恒例、京王百貨店新宿店の鉄道フェスティバルが、今年は8月21日(水)から26日(月)まで開かれている。今年で第60回を迎えるというからこの手の催し物の中では老舗のイベントになる。例によって鉄道好き芸人のトークショー、全国の高校鉄道研究会による鉄道模型ジオラマ展示のほか、鉄道グッズや鉄道趣味本、古い時刻表の販売、絵画の展示販売などお馴染み鉄オタ向けのラインアップである。おととし、このフェスティバルに出展する鉄道写真家 中井精也氏の 「ゆる鉄画廊」で、JR木次線の額に入った写真を購入し、これが気に入ったので、わが家の居間にもう一枚彼の作品が欲しいと京王百貨店に足を運ぶことにした。 


中井精也氏は東京出身の57歳、最近はNHKBSやBS-TBSなどにもよく出演する第一線の鉄道写真家で、鉄道車両自体を撮るよりも、列車が画面の片隅に写った『 鉄道のある日本の風景』を表現するのが彼の作品の特徴である。中には車両が一切写っておらず、線路と枕木だけ、或いは踏切だけが被写体の写真もあるのだが、その情景だけで鉄道が醸し出すノスタルジーを感じさせてくれるのが見事なところだ。テレビで紹介されていたが、一枚の写真を得るために、列車の通過時刻に合わせて最適な構図や光線を求め、実に多くの手間と時間をかけていることが、印象的な鉄道写真に繋がるのだろう。前に買った木次線の作品は、川面に映った気動車を撮り、上下反対に見るという凝ったものだっただけに、今回はどんな写真に巡り合えるか楽しみである。


で、購入したのが秩父鉄道の石灰石輸送の貨物列車を撮った作品である。いかにも地方の私鉄らしい4軸動輪(ED)の電気機関車に牽引されたホッパー車が、夕陽を背に荒川であろうか橋脚を渡っていく瞬間をとらえた一枚である。木次線の緑とは対照的にオレンジ色が映えて、居間の白い壁面にメリハリが効いて良かろうと思いこれに決めた。さっそくわが家で写真を飾って見ていると、現在は横須賀線や湘南新宿ラインなどの電車が走る品鶴線の多摩川鉄橋に、貨物列車をよく見に行った子供の頃を思い出した。今のご時勢では到底想像がつかないかも知れないけれども、当時は線路に耳を当て、遠くから電気機関車に牽引された長い編成の貨車が近づいてくる響きを感じて遊んだものだった。世田谷にあった我が家でも夜になると鶴見の操車場から遠くSLの汽笛が聞こえてきたが、今回の彼の作品は我が原風景を蘇らせてくれるような気がする。

購入した写真に中井氏のサインを貰う
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前回買った、気動車が水面に映る木次線の写真
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リンク:「木次線と中井精也氏の鉄道写真: (2022年8月11日)」

2024年7月16日 (火)

500系「こだま」6号車乗車

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ちょうど一年前、しまなみ海道沿いの大島・千年松で行われた宴会に妻と出席し、帰りに500系「こだま」に乗ろうとしたところ、梅雨末期の豪雨で山陽新幹線のダイヤが大きく乱れ、これに乗車がかなわなかった。いつかはリベンジをと機会を探っていたが、一年経過して同じ宴会に妻と共に招待されたのを機に、今年は福山から新大阪まで500系の「こだま」に乗車することにした。かつて「のぞみ」に使われ東京までこの車両が来ていた頃、出張でさんざん乗ったので私は特段の思い入れはないが、JR西日本に残る500系6編成のうち、4編成は2024年~26年に引退と発表されているため、乗るなら今のうちと妻のたっての希望である。「のぞみ」時代の16両編成から今は8両編成になり山陽区間だけで運転される500系「こだま」のうち、6号車の普通車指定席は旧グリーン車がそのまま充てられているので、予め6号車を予約して乗車することにした。


500系新幹線は、山陽新幹線の300キロ運転を念頭に当時の最新技術を投入し、JR西日本によって1996年に登場した。高速運転を可能にすると共にトンネル内の気圧差や空力上の問題解決の為に、先頭車はロケットのような形状とし、車両の断面積も他の形式より小さく円筒状になっているのが特徴。この車両はデビュー当時は、鉄道ブルーリボン賞やグッドデザイン賞を受け(ウィキペディア)、巷で話題になったものだった。新製価格は一編成46億円だったとのことで、これは船なら中型~大型の外航貨物船1隻、航空機ならボーイング737の中古機ほどになるが、登場して30年近く経過しているため、いまでは減価償却も終わっていることだろう。普通車のシートピッチは現在のN700系の1040ミリに対して1020ミリとやや短いため、かつて西日本に出張する際に「のぞみ」5号(東京駅発07:52)をしばしば利用したが、なんだか狭くてごつごつした乗り心地だった記憶がある。


今回はしまなみ街道をドライブしたレンタカーを福山駅で返して、15時31分の500系「こだま」854号に乗車である。今では一日に「こだま」7列車のみ、そのうち博多/岡山間の運転が5本とあって、福山から新大阪まで行くのは一日2本のみとなる妻が切望の500系だ。最近は東海道・山陽新幹線では車内販売がないので、運転から解放されビールやつまみを福山駅で買いこんでホームに。山陽新幹線には500系のほかにN700系、700系ひかりレールスター、九州新幹線のN700系7000番台も運転されており、福山駅の停車列車や通過列車を眺めるのも楽しい。やってきた500系旧グリーン車の6号車は、シートピッチが1160ミリとゆったり仕様で、リクライニングの角度も深い。ただ床は絨毯張りからリノリウムになり、オーディオサービスのイヤホン差し込み口はパネルで覆われ、フットレストや読書灯が撤去されたのはさすがに仕方あるまい。加速も最新のN700Sに較べるとゆったりという感じがしたが、最近の電子制御満載感より無闇に旅を急かされていない感覚である。こうして新大阪までの2時間弱、ビール片手にゆったりと各駅に停車する「こだま」の旅を楽しんだ。車両運用上は、なるべく性能や仕様が揃った形式を揃えるのが効率的なのだろうが、名車である500系の退役が進むのはちょっと哀しい気持ちもする。これでやっと一年越しに妻との約束を果たし、ホッ!。

こだま854・旧グリーン車の6号車
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2024年5月22日 (水)

「海里」(上り)乗車(酒田・海里の旅③)

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上り「海里」のイタリアン弁当(手前)とドルチェ(奥)、イタリアンのボリュームはこれだけ?


酒田の町の探訪を終え、新潟までの帰路は白新線経由の羽越本線「のってたのしい」観光列車「海里」乗車である。昨年4月に新潟発 酒田行の「海里」下り列車に乗車した際(「海里」に乗車 東北地方・新旧乗り比べ鉄旅 2023年4月3日)は食事とドリンクの付いた旅行商品用の車両である4号車を利用したので、今回も同じく4号車に乗車することにした。その時は新潟の有名料亭の弁当を車内で味わったが、逆ルートでは沿線の鶴岡のイタリアン弁当とドルチェが出るとのことで、どう味やサービスが変わるのか違いをみるのも楽しみである。新潟からやって来て午後1時半に到着した「海里」専用ハイブリッド気動車HBE300系は、折り返し午後3時3分に酒田駅を出発して上り列車になる。乗車すると早速、4号車の車内に配置された2人の専任サービス掛の女性が飲み物の注文にやって来た。彼女たちはJR東日本関連会社から派遣され、週末に運転される「海里」に乗車しない日は、新幹線の車内販売も手掛けているそうだ。車内を見渡せば、我々夫婦の他には個人手配らしき壮年カップルと、その他6人~7人の団体旅行客が1組だけと余裕がある。以前は満席だったので、上りと下りで乗車率にばらつきがあるのか尋ねたところ「その時の状況によってまちまちです」との笑顔の答えだった。


我々は、まず選べるウェルカムドリンクで庄内地方産の地ビール「月山」を注文したが(下りはエチゴビールであった)、この時間の列車で嬉しいのはアルコールが心置きなく呑めること。新潟駅を朝10時過ぎに出る下り列車では、朝っぱらから車内でガンガン呑むのも、と周囲の目を気にする私にとってはアルコールの追加連続にちょっと気がひけたものだ。酔って他人に迷惑をかける訳ではないが、酒飲みの心境としては近くに同輩がいて、皆が楽しそうに呑んでいればこちらも杯が進むのである。この日は夕方とあって周りも呑んでいるし、一日かけてけっこう坂の多い酒田の町を自転車で走り回った身である。早速出されたビールは五臓六腑に染み渡り、やはり酒は体を動かした後に限ると、特にウマい1本目のビールはあっという間に空になった。お待ちかねのイタリアンとドルチェは、どちらも味は良かったが、イタリアンの方は「本当にこれだけ?」という少なさであった。時間的に昼食に遅すぎ、夕食には早過ぎで中途半端だから致し方ないし、腹が減っているなら売店のある3号車で追加の食べ物を買っても良し、途中停車駅では改札外に出られるので外から調達も可なのだが、楽しみにしていたメシが腹の足しにほど遠いのは予想外だった。ということで、前の晩に買った乾き物の残りを取り出し、追加のビールやワイン(ともに有料)を楽しみながらの乗車となった。


午前と較べてこちらが断然良いと思ったのが、日本海の景色であった。この日は雲一つない好天とあって、海岸沿いに走る羽越本線からは、水平線の彼方に傾く太陽と海岸べりの景勝が見えて乗客の目を楽しませてくれる。陽光が海面にキラキラと反射する光景は午前中の便では見られないメリットで、列車も見どころではかなり速度を落として走る。「笹川流れ」で有名な桑川駅では30分ほど休憩があって、海岸に出て周囲の奇岩や沖に浮かぶ粟島の景色をゆっくり見ることもできるのが、この臨時快速列車が「観光列車」である所以。桑川駅では運転士さん自らホームで記念撮影のシャッターを押すサービスをしてくれるので、ついでに「ハイブリッドのこの列車を運転する感覚は気動車ですか?電車ですか?」と質問したところ、「電車です。僕の免許も気動車ではなく電車です。」との答えが返ってくる。普通の列車ではまず味わえない乗務員との会話も、「のってたのしい」列車ならではである。4号車は新潟に向かう先頭車とあって、酔眼をこすりつつ大きく開けた前面展望を楽しんでいるうち、あっという間に3時間半の旅は終わり新潟駅に到着した。

 

車窓から見る夕陽に映える日本海と遠くに浮かぶ粟島
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