カテゴリー「船・船旅」の記事

2025年6月21日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第82日 カボサンルーカス寄港

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アメリカ人向け観光地 カボ サンルーカス

当初、この世界一周クルーズは、メキシコ西岸の寄港地としてマサトランを訪れるはずであった。それが現地の治安が悪化したとの外務省情報により、クルーズ途中で急遽寄港地がマサトランからバハカリフォルニアのカボサンルーカスに変更となった。両港とも2009年春にロス発着の”サファイアプリンセス”によるメキシカンリビエラクルーズで来たことがあるので、ショックは少ないのだが、カボサンルーカスはアメリア人向けの観光やリゾートの街であり、古くからの港町で人々の生活臭を感じることができるあるマサトランを再訪できなかったことはちょっと残念である。まあ何事も安全第一の飛鳥クルーズなので、僅かな危険の兆しも排除しておくということだろうと、まずは寄港地変更も納得することにした。


それにしても先日パナマ運河を超えて、コスタリカのプンタレナスに向かう頃になると、なぜか海の様子が”太平洋”に変わった気配がしたのだが、それはまったく気分の問題であろうか。透明度は高いが赤い藻や浮草の帯がやたら目立ったカリブ海から、太平洋に来ると海の青さや透明さが日本の海水浴場なみになった感じがしてならない。恐竜の生き残りかと見まごうかの姿かたちが怪異なペリカンをほとんど見なくなり、代わりにアホウドリなどの見慣れた海鳥が船の頭上をにぎわせてくれるのも一因であろう。辞書を引けば、そもそもPACIFICとは「平和な、泰平な、平和を好む、穏やかな、温和な」という意味であり、古代から船乗りたちは、この海が穏やかであることを身をもって知っていたので、PACIFIC OCEAN、太平洋と名を付けたとされる。母なる太平洋に入って日本が近づいた気がして安心する一方で、もうすぐクルーズが終わってしまうと残念な気持ちが入り混じるこの頃である。


今日、船はカボサンルーカスを後にしたが、船長の放送ではこの後はしばらく北風に遭遇するとのことである。そういえば2009年に”サファイアプリンセス”で、最終港であったカボサンルーカスから下船するロスアンジェルスまで北上する道中も、強い北風だった。船首にあるスイートルームを奮発した我々だが、強烈な向かい風でせっかくの広い前向きベランダに出ることが出来なかったことを思い出した。これは春から夏に向かい太平洋高気圧が優勢になり、高気圧の吹き出しによる北風が北米大陸西岸に沿って卓越するための現象とみられる。乾いた北風の一方で、カリフォルニア半島に沿って寒流が北から南に向かって流れるために、ロスアンゼルスなどでは、気温は高くともからっとした「カリフォルニアの青い空」を楽しめることになる。船に乗って日本ではわからない世界各地の気候を経験し、地球規模の気象現象に思いを馳せるのもロングクルーズの醍醐味の一つである。

参考:2009年サファイアプリンセスで訪れたマサトランのブログ「メルカードにて」

 

2009年サファイアプリンセスの最前部スイート、カボサンルーカスから帰路は前からの北風でベランダには出られなかった。

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コメントへの返信

ココログでは海外からのコメントは受け付けない仕様になっているため、本日(6月23日)頂いた黒部丸様からのコメントへの返信は以下に記します。帰国したらコメント欄に移します。

『 黒部丸様

貴重な情報をありがとうございます。株主総会での橋本社長の公式コメントとのことで情報内容をオープンにいたします。飛鳥Ⅱの船内にも「にっぽん丸」ファンもおり、すでに「MITSUI OCEAN FUJI」に乗船経験がある乗客もいて、商船三井客船の2028年頃に予定する新造船に多くが興味を持っており船内の会話でも話題になります。「にっぽん丸」は来年引退するとあって、同社の今後の事業展開が注目ですが、やはりやや消極的なのですね。明日からの夕食時の話題にしてみるつもりです。』

2025年6月15日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第76日 パナマ運河を超えて

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今回のナッソーの客船天国

NY出港後、バハマのナッソー、コロンビアのカルタヘナへ寄港し、パナマ運河を通過して飛鳥Ⅱは太平洋に戻って来た。クルーズもいよいよ後半真っ只中である。何日ぶりの太平洋かと勘定してみるが、太平洋と云っても沖縄の辺りは東シナ海と呼ばれるし、どこを起点とするかはけっこう難しい問題である。一応、台湾とフィリピン・ルソン島の間のバシー海峡を抜けた4月4日を太平洋を抜けた初日としてみると、71日ぶりに帰ってきたことになる。ナッソーは例によって入港して来た大型クルーズ船が居並ぶ壮観を楽しみ、カルタヘナでは旧市街を散策、6回目となるパナマ運河(クルマで地峡を往復したこともあるのでそれを入れると8回)では、周囲の友人に運河の仕組みの説明をしたりするうちに太平洋に戻って来た。


ロングクルーズも終盤になると、友人の数が幾何級数的に増えるものである。なにせ300人ほどの人々が、長さ200米の空間で100日間余り、半共同生活を送るのである。船からのツアーで一緒のバスに乗り合わせたり、ダイニングでたまたま隣のテーブルに座った同士が仲良くなり、お互いの知り合いを紹介するなどするうちに一挙に友人が増えてくる。これまで何となく遠慮していたが、この時期、ふとした機会に打ち解けて、思わぬ人となりが分かる時もある。先日は、毎日ダンス教室では会うが、挨拶する程度だった男性が高校の一年先輩と分かり、2学年共通の先生の話題などで大いに盛り上がった。カリブ海で高校の恩師の思い出で笑うとは思いもしなかった。また私が船会社出身というのを知り、息子が大手海運会社に就職したという婦人から声をかけてもらったこともあった。船内の人の輪が広がってくるに連れ、これまで知らなかった船客の情報や、ちょっとワケあり風の乗客の素性が漏れ聞こえたりして 「 ほぅ...!」と頷くことが多いのもロングクルーズ終盤の船内模様である。

 

ここまで来ると、船内生活もかなりパターン化されてくる。朝食はリドのビュフェで洋食と和食を一日置きとし、朝夕2回のダンス教室に出て、昼食抜きで昼にデッキでジョギング。午後一番に空いている露天風呂に飛び込み、5時過ぎからリドで無料のビールを一杯、夕食は私はウイスキーのハイボールで妻は焼酎のロックを1~2杯呑むが、この航海はアルコールフリーというのがなんともありがたいところだ。夜はディナー後のショーやコンサートは部屋のテレビで楽しむという航海日である。この生活に慣れ過ぎてしまい、寄港日はパターンが崩れて、却って上陸が面倒な気にさえなるから困ったものだ。幸いなことにシケの日が少ないので、デッキで走る距離もふえ、乗船して以来ズボンのベルトの穴が一つ縮まった。快適な生活が送れるのも船長はじめ各クルーの尽力と、優れた船内設備のおかげである。「 明日からは黙っていても朝ごはんは出てきません」「部屋に戻ってもベッドはきれいになっていません」との船長のお別れスピーチを聞くまで残り25日ほどである。

 

パナマ運河を超えアメリカ橋をくぐって太平洋に出る
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コメントへの返信

ココログでは海外からのコメントは受け付けない仕様になっているため、えるべ丸様からのコメントへの返信は以下に記します。帰国したらコメント欄に移します。

『 えるべ丸様

えるべ丸!懐かしい船名ですね。最近の1万TEU以上積むコンテナ船はブリッジが前方にありますが、私はかつてのNY航路やヨーロッパ航路に投入されたエンジンブリッジ セミアフター高速コンテナ船のスマートな船型がやはり好きです。


飛鳥Ⅱの船内でもにっぽん丸の引退の話が良く出て残念だという声を聞きます。今日も夕食のテーブルを一緒にした方は、にっぽん丸引退までに必ず乗るとの事でした。


日本船による今のクルーズ文化を作ったのは、商船三井客船とは誰もが認めることです。「日本の客船」も次世代にむけて模索中だと理解しています。カーニバル社との提携のなかで、どのような方針が打ち出されるのかしばし注目しています。』

2025年6月 7日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第65日~66日 NEW YORK

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NY港ピア90 マンハッタンクルーズターミナルへ着桟

クルーズ第65日目、6月3日、飛鳥Ⅱはハドソン川を遡り快晴のニューヨークに入港した。実はこの世界一周クルーズの始めのステージ、日本からシンガポールまでの区間で、飛鳥クルーズ8代目船長の中村大輔氏の船内講演があり、その中でNYマンハッタン客船ターミナルへの入港が最も難しいとの話を聞いた。よって当港着桟風景がことさら気になってビスタラウンジの前からブリッジワークを見守ることにした。ハドソン川の岸辺から直角に伸びた多くの桟橋の一つであるクルーズターミナルに着けるには、本船を川岸に向かって直角にする必要があるのだが、川の中央で早めに廻頭すると船は真横に川の流れを受けて流されてしまう。潮汐で川の流れが緩くなる時間に着桟作業が行われるにしても、圧流によって押されるのを防ぐために、船首部分だけを着桟する桟橋と上流の桟橋の間に突っ込み、タグのアシストで岸に直角に寄せていく操船が必要になるとのこと。この日は何事もなかったように飛鳥Ⅱは桟橋に着いたが、このような作業を見ていると、さぞ安全には神経を使うことだろうと、クルーズを遂行するスタッフにまずは感謝である。


ここでは多くのクルーが交代するとともに、ルーアン以来久々に本船は港内で一晩停泊した。いよいよこのクルーズも後半へ突入、という気分である。到着するや例によって船からジョギングに飛び出したが、初日は桟橋から約2キロ離れたセントラルパーク公園内の道路を走り、2日目はハドソン川沿いにロアー・マンハッタン方面に走りに行った。ヨーロッパでもニューヨークでも感じたのが、老若男女問わず、来るたびに走る人たちの数が目に見えて多くなったことだ。平日だと云うのに多くのランナーたちが相当な速度で駆け抜けて行き、特に女性の速いランナーの姿が目につく。日本では「なんちゃってランナー」風スタイルが流行りで、膝丈くらいの長さのスパッツスタイルが多いのに対して、ニューヨーカーたちはみな股下の短い、いわゆるランパンで颯爽と走っており見ていて実に気持ちが良い。彼らの走りっぷりに刺激されて、膝の痛みにも拘らず、こちらも両日ともそれぞれ12キロほどジョギングを楽しんだ。


NYに久しぶりにやって来て自分へのみやげで買いたかったものがトランプ大統領の帽子である。2018年に飛鳥Ⅱで来たのはトランプ第一次政権時で、5TH AVENUE 57丁目にあるトランプタワーを訪れたが、あの頃はさして彼のファンということもなく、ビルの地下にあるトランプストアーを冷やかすだけだった。あれから7年、この間バイデン政権はじめ世界ではグローバリズム旋風が吹き荒れたが、やっとここへきて欧州で保守系右派が台頭復活、アメリカでも反グローバリズムの旗手トランプの再選である。対シナへの強硬策、地球温暖化対策の枠組みからの離脱、多様化や移民共生の否定など第2次政権には共感を覚えることが多く、応援グッズを買いたいものだと、走った後にトランプタワーにまたやってきた。" MAKE AMERICA GREAT AGAIN"と大書きしたお馴染みの赤いキャップを買おうと手にしたが、これは彼の頭の形に合わせているのか、字数が多すぎるためか額の部分が大きすぎてどうも私の頭になじまない。と云うことで今回購入したのが、40ドル(もちろん米国製)の写真のキャップである。ただこれを被ってリベラルの多いNYの街を歩くのはさすがに気が引けたので、日本に帰って使おうと思っているところだ。

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快晴のセントラルパークにてジョギング

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MLB公式ストアで買った大谷翔平Tシャツとトランプタワーで買ったトランプキャップ

2025年6月 6日 (金)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第63日 ボストンMTAと"USS CONSTITUTION"

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"USS CONSTITUTION"

 

英国ティルベリー港を出て丸8日間、大西洋横断中は雨、強風、霧、シケと悪天候が続き、ここまで継続してきたデッキのジョギングをあきらめ、フィットネスのランニングマシンに切り替えて過ごした。6月1日、クルーズ第63日目、飛鳥Ⅱは米国マサチューセッツ州ボストンに入港。以前この地に来た時には、ボストン美術館見学やフェンウエイパークでレッドソックスの試合観戦をしたから、今回はどうするかしばし思案にくれる。まずはBee Gees のかの有名な"Massachusetts"を部屋のパソコンのYoutubeから流しながら久しぶりの入港気分を盛り上げてみた。ほかに当地に因んだ音楽がないかとつらつら考えていたら、ふとキングストントリオ(Kingstone Trio)による往年のヒット作 ”MTA"の歌詞が浮かんできた。彼らの"MTA"(Metropolitan Transit Authority)は、アップテンポの愉快な歌で、ボストン地下鉄の料金改定により、出口改札の清算金10セントを払えなくなり、永久に地下鉄に乗り続けるはめになった、チャーリーという男を歌ったプロテストソングである。


"MTA"で思い出したが、ボストン地下鉄は米国最古の地下鉄だと云うので、ここでは地下鉄に乗って、チャールズタウンにある米国海軍の最古参である現役艦、帆船"USS CONSTITUTION"を見学することにする。と云うことで地下鉄の乗り方を調べてみると、出札口のマシンでチャーリーカード(SUICAのような交通系カード)またはチャーリーチケット(一回券)を買えとある。なんでも2000年代の乗車券のシステム化に際し、歌で風刺されたチャーリーに捧げるために切符の名称を彼の名前にしたとのことで、いかにもアメリカらしいユーモアに満ちた名付け方が笑える。そのチャーリーチケットを買おうと、地下鉄の入り口に行くと、なんとこの日は、目的地までの路線「オレンジライン」が運休とのことでまずは肩すかしを食らってしまった。仕方なく市営フェリーを使って、チャールズタウンまで往復することにしたが、このフェリーはチャーリーチケットが使用できないとのことで、キングストントリオ由来の切符には今回はご縁がなかった。


ボストン市街からチャールズリバーを挟んだ対岸にあるチャールズタウンには、海軍の施設跡や造船所跡が歴史公園として保存されており、第2次大戦で神風特攻隊に体当たりされ生き残った駆逐艦”カシン・ヤング”("USS CASSIN YOUNG")や、いまだ現役艦で米海軍最古の”コンスティテューション”("USS CONSTITUTION")が展示されていた。"USS CONSTITUTION" は2,200排水トン、長さ93米、3本マストの帆船で1797年にボストンの造船所で建造され、1812年の米英戦争などで活躍した軍艦である。ここでは一般に公開されているが、驚くべきはコンクリートで据え付けらえた遺構などではなく、まだ水に浮かんでいる本物の軍艦なのである。艦上見学には手荷物検査の他ID提示が必要で、実は昨年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズで、この地を訪問した友人から、IDチェックが厳しいのでパスポートコピーでなくパスポート原本持って行った方が良いと聞いていた。よって急遽パスポートを飛鳥Ⅱから一旦返してもらっての訪艦である。


現役の軍艦とあって、"USS CONSTITUTION"の入り口は案の定、厳格な荷物検査とIDのチェックがあったが、日本のパスポートは原本の赤い表紙を見せただけで「Japanese OK!」と顔写真もあらためず通過させてくれる。日本国パスポートの威力はなんとありがたいことか。艦内に入るとこれまた海軍の若い現役水兵が細かい疑問点に応えてくれ、「どこから来たの?」と聞いてくる。「東京から」と答えると「横須賀が母港だった空母”ロナルド・レーガン”に乗っていたよ。銀座とか新宿とか楽しかった。」とひとしきり話もはずんだ。傍らのコンスティテューション博物館では、当時の水兵採用の際の超簡単なテスト要綱(字があまり読めなくてもばほぼ受かる)や艦内生活の実際など、およそ博物館らしくない生き生きした展示が楽しく、ゆっくりと見て回るうちに、久々の寄港地上陸の時間は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

追記:チャーリーやらチャールズの名前が多いのは、1600年代にこの地が地図に掲載される際の英国王子がチャールズだったことに由来するらしい。

2025年5月28日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ 船内同好会 フネのあれこれ

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コンパスルームにて

これまでの世界一周ロングクルーズの最中、船内で顔見知りの人が増えると、デッキの上などで「あの船は何を運んでいるの?」とか「いまパイロットは乗っているのでしょうか」などの質問をしばしば受けてきた。一方で見知らぬ乗客同士で、船や海運に関する話をしているのを耳にする機会も多かった。だが「あ、これはこういうことですよ」と内心分かっていても、他人の会話にわざわざ割り込んで知識をひけらかすのは憚られる。クルーズは非日常の世界とあって乗客それぞれ疑問が湧くことも多いのならば、いっそ情報交換の場をつくり、船に関する基本的知識を興味ある人たちと共有できたらと、乗船前から写真を整理するなど資料を準備してみた。世界一周などのロングクルーズでは、船が主催する催しだけではなく、同好の士が自主的に運営するコミュニティが「同好会」として活動できるのである。

 

飛鳥Ⅱでは、発起人と他6人の賛同者あれば「同好会」として認められ、空いているパブリックルームや設備を使える。麻雀やアロマ愛好者、ヨガなど有志が集まって船内で活動するだけでなく、過去には専門の分野の講義をした学者の乗客もいた。ということで、船内で新たに友人となった人たちに「フネの話をしたい」と同好会立ち上げの趣旨を話すと、みな「大いに結構」と賛同者リストに名を連ねてくれる。題して「クルーズ船から見るフネのあれこれ」という同好会で、張り紙告知の上、第1回目は5月5日にウオルビスベイを出てテネリフェへ向かう区間で開催してみた。妻に助手としてパワーポイントの操作を依頼しながら 船内コンパスルームで、国際信号旗の意味、船舶のトン数、航海灯、船の種類などを解説し、質疑応答で締め切った。コンパスルームは会議室兼多目的ルームで、一体どれくらいの人が興味を持って聞いてくれるのか半信半疑で始めたところ、ほぼ部屋の定員一杯の約30名の参加者があり、嬉しい驚きとともに、多くの乗客がフネに多少なりとも興味があることが伝わってきた。


「同好会」は仕事でもないし、一回やれば良いかなと思っていたところ、参加者から「良かった」「もう一回やって」の声をいただき、意を決して2回目をティルバリー出港の翌々日に開催。自動車運搬船の内部を走るクルマから撮影した自前の動画や、タグボートのブリッジでの操船状況などの手持ちのビジュアル系資料のほか、なぜ”ダイヤモンドプリンセス”は日本一周クルーズでも釜山に寄港するのか、船舶は他国の沿岸を勝手に走ってよいのかなどの海事政策の話もおりまぜる。船から出た汚水やごみはどこに捨てるのか、など皆が興味を持ちそうな話題もとりあげ、活字にはし難い裏話などをしていると話があちこち脱線してしまい時間が足りなくなった。2回目も質問が多く予定の45分をオーバーして終了。「飛鳥Ⅱからは一銭もいただいていません」と笑いを取ると、「続きを希望」の声援が多く、3回目はお茶でも飲みながら、茶話会形式で知識を共有できたらと思案中である。次は進水式で支綱切断しても滑り降りなかった船の話などをしてみようか。

 

パワーポイント資料の一部
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2025年5月27日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第54日 ティルベリー寄港

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ティルベリーのショッピングセンターで購入した商品。英国伝統の海運雑誌。

5月23日、クルーズ第54日目、飛鳥Ⅱはヨーロッパ最後の寄港地、イギリスのティルべリー港に入港した。テムズ川の河口より川を上ること約2時間、飛鳥Ⅱが着いたのはロンドン港湾局ティルべリー客船ターミナルであった。このあたりはまだ汽水域で、潮の満ち干によって水の流れが上流に向かったり海へ流れたりと時間によって変化している。ターミナルと云っても古色蒼然たる木造だが、乗下船口の脇にはシーメンズクラブもあり、かつてはオーストラリア移民のP&O客船が発着したと云う由緒正しき伝統の桟橋である。ここからロンドン市内までは電車で40分ほどで行けるも、ロンドンはすでに何度か来たことがあるし、妻は高校時代に住んでいたこともあって、雑踏まみれで物価の高い市内中心部に行くのはやめにした。代わりにシャトルバスで15分ほどのレークサイド・ショッピングセンターで買い物をし、一旦帰船してターミナル近辺をジョギングで回るスケジュールで一日を過ごす。


午前中、シャトルバスで行ったショッピングセンターをぶらぶら歩いていると文房具屋のWHSmithを発見。英国では良く見るチェーン店で、この店では雑誌も売られている。さすが海運国らしく船に関連する月刊誌が、ファションやクルマの本に並んで店頭に置かれており、これらの海運誌を買うのも英国訪問の楽しみである。2011年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズの際にも 『現存最古クルーズ船 』としてアップしたとおりで、今回も久しぶりに "Shipping"と"Ships Monthly"の2つの雑誌の6月号を店頭で購入した。両方とも日本で云えば軍艦記事が中心の『丸』、商船関連の『世界の艦船』、それに各種クルーズ船雑誌などをミックスした船オタクっぽい紙面作りになっている。飛鳥Ⅱに帰ってパラパラとページをめくると、貨物船の記事や新しいクルーズ船会社の紹介、往年の名船の話など興味が尽きない内容で、中には旧日本帝国海軍の重巡洋艦「羽黒」の記事まであって、これから長い大西洋横断の日々にゆっくり読んでみるには十分である。


船に戻って、午後はジョギングタイムである。まずはティルべリーの町へ行って町や駅の様子を眺めた後、川沿いにあるティルバリー要塞(FORT)の周囲をぐるっと走ってみることにした。この要塞はテムズ川の川べりにあって、いかにも首都ロンドン防衛の任を担うような要所に位置している。まるで函館の五稜郭のような五画形の幾何学的な配置の要塞で、もともとは16世紀に国王ヘンリー8世が造らせたものだが、第2次大戦時にも使われ、当時のキャノン砲が今もテムズ川の川面をにらんでいた。入場料を払って中へ入れば地下トンネルや兵士が暮らした部屋もあるそうだが、時間が足りず今回はパスすることにした。要塞はもともと川の湿地に造られただけあって、城壁の周囲には池が張り巡らされ、周囲の緑地では馬がのんびりと草を食んでいる光景が広がる。ここをめぐる緑道は一周が2キロ強で、馬糞に注意しながらのんびりと川風に吹かれてジョギングを楽しむことが出来た。

 

ティルベリー要塞
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2025年5月24日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第51日 モネの家

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「睡蓮」の池


クルーズ第51日目、飛鳥Ⅱはフランスのセーヌ川を、河口から8時間ほど遡上してルーアンに到着した。ルーアンはノートルダム大聖堂やジャンヌダルクが幽閉された塔があることでも有名なノルマンディ地方の中心都市である。以前にも飛鳥Ⅱで来た事があるので、今回はここからさらに約50キロほどパリに近いジベル二ーという村の、画家モネが晩年住んだ家を訪れる本船のツアーに参加するにした。と云っても美術関係には、まったく疎い私である。特に西洋画となるとイエス・キリストなどを描いた宗教画が多いため、無宗教の私にはひどく縁遠いジャンルに思える。ただ、その中で唯一、モネやルノワールなど風景画を数多く描いた印象派の画家ならば、美術音痴の私にも近づき易い感じがして、 『 教養の一環』としてここを訪れることにしたものである。頭が筋肉だけで出来ていないことの証しにもなる。


ルーアンの街を離れた貸し切りバスは、小麦や大麦が栽培されている肥沃そうな大地を走った。ここフランスは農業大国にて食料自給率は100パーセント以上だそうだ。船から行く寄港地ツアーの良いところは、現地に詳しいガイドの解説を道中に聞くことができる点にある。この日は、パリに永年住む日本人女性の車内での説明であったが、近代フランス絵画史に関する彼女の博識と分かりやすい説明に感心することしきり。それによれば、フランス人のきわめて合理的な思考方法を背景に、従来の絵画はシンメトリーかつ正確な遠近法で写実的に描かれて来たが、19世紀になり日本の浮世絵が紹介され、流行したジャポニズムが、美術界に多大な影響をもたらしたとのこと。大胆な構図、型にはまらない筆致や遠近法、庶民の生き生きした姿などを描いた浮世絵は、モネら印象派の画家に強い衝撃を与えたと云う。


僅か1時間半ほどの道中で、学生時代に受講した美術史よりも意義深い話を聞いた気がしたが、なるほどノルマンディの牧歌的な景色と、天高く伸びやかな空や雲を見ていると、モネが『光』にこだわった背景も見えるような気がした。やって来たジベル二ーは田舎の村だったが、想像した以上に「モネの家」の周辺は観光名所となっており、世界中から多くの観光客が集まってどこも行列になっていた。なかにはル・アーブルに停泊中の「リーガルプリンセス」からの団体もあり、ここはクルーズ船ツアーの目的地の一つにもなっているのである。名画 『睡蓮』を描いた池の周りは、地元の子供たちの遠足とも重なって、カメのような速度でしか歩を進められない混雑ぶりだ。ただモネの家に入ると、中に展示されている彼の絵や印象派の仲間たちの絵の数を上回るほど、多数の浮世絵が陳列されているのに驚いた。モネは日本に強く惹かれていたとバスの中でも説明があったが、単なる日本人観光客向けリップサービスではなく、彼が本当に日本の美術に憧れを持っていたことが、夥しい浮世絵のコレクションが証明していた。

2025年5月20日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第48日 ビルバオ再訪/クルーズも中盤

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今回もビスカヤ橋までジョギング

クルーズ48日目の5月17日、飛鳥Ⅱはスペイン・バスク地方の中心地であるビルバオに到着した。ここは2018年にも飛鳥Ⅱで来た港である。今回も7年前と同じく、午前中は世界遺産のビスカヤ橋まで往復7.5キロのジョギング、午後は10数キロ離れたビルバオの中心部までシャトルバスを利用して往復し街の散策をした。快晴の土曜日朝で、ビスカヤ橋まで海岸べりの歩道は、多くの地元ジョガーが、かなりのスピードで走っている。午後に訪れたビルバオの市街地では、週末の昼下がりとあって、男も女も老若問わずレストランやバル前の歩道に置かれたテーブルでビールやワインを飲みつつ談笑していた。中にはタバコをくゆらす人やアルコール飲料を手に大声で盛り上がるグループも多く、人生を楽しんでいる様子が目の前に広がっている。アルコールは控え目、タバコは健康に悪いので吸わないのがすべて”善”の我が国だが、スペインやポルトガルの人々の屈託ない吞みっぷりや吸いっぷりを見ると、日本人も今やエコノミックアニマルでなし、エピキュリアン的な生き方をした方が幸せなのではと思えてくる。

 

ここまで毎日練習してきたダンス教室も、入港中は開かれないため、ヨーロッパ海域に入ってからは途切れ途切れになった。ということでこのところは断続的になっているが、経験者クラスの教室では、スペインに因んでパソドブレを練習している。パソドブレは10ある社交ダンスの種目のなかでも、ヴィニーズワルツと共に日本人にはあまり馴染みがない種目である。私も船の上で習うのは初めての経験だ。男性を闘牛士に、女性をケープに見立てた踊りで、「オーレ!」とばかり腕を振り上げたり、その場で回転したりと他の種目にない独特な動きが特徴のダンスである。経験者クラスには、ヨーロッパまで10名以上の男性が顔を見せてきたが、さすがにパソドブレとなると、これにチャレンジする勇気ある男性の参加者は5~6名になってしまった。経験者クラスには出て来るのにパソドブレとなると不参加なのは、自分もそうだったように今さら新しい事にチャレンジしたくないと思う保守的な考えなのか、これまでダンス会場で颯爽と踊ってきたので、この種目では初心者の躓きを人に見せたくない「ええ恰好しい」なのか? 変わった種目でも女性の人数はそれほど減らないのに、やはり男は慣れぬことに弱いことが歴然のようで面白い。

 

意を決して参加した今回の世界一周クルーズも早くも半分が過ぎてしまった。「今日、いま、ここにいることを楽しもう」と思ってここまで過ごしてきたが、なんと時間の過ぎるのが早い事か。デッキのジョギング、一日2回のダンス教室、たまに夜のダンス会場へ出没、元女子ツアープロによるゴルフレッスン、カラオケタイムなどの他に、マリナーズクラブのグランドピアノを借りてのピアノ練習などと思ったままに予定をこなしていると一日がたちまち過ぎ去ってしまう。その上、この航海では、これまでの仕事の経験を生かして『 クルーズ船から見る船のあれこれ』と名づけた「有志同好会」を開いてみた。信号旗や航海燈の意味、船のトン数や速力の定義、洋上で行き交う貨物船の種類などを、他の乗船者と共有しようと思ったのだが、予想以上に好評のようで、期待を上回る参加者に来て頂き第2回目を開こうと考えている。リモートで船上でこなしている本業の仕事もあり、家にいるよりもここでは中味の濃い日常が過ぎている感がする。毎日美味いものを食べ、アルコールはフリードリンクのクルーズ生活だが、忙しいためなのか体重は乗船してから2キロほど減った今日である。

 

防波堤から大勢の見送りを受けてビルバオ出港
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2025年5月17日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第46日  ポルトのジョギング

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ドウロ川に沿って発達したポルトの街

クルーズ46日目の5月15日、飛鳥Ⅱはポルトガルのポルトに入港した。ポルトはポルトガルの国名の由来となった町で、ポートワインの発祥地としても知られており、今は160万人以上の人が住み、首都リスボンに次いでこの国第2の大都会となっている。洋の東西を問わず、内陸からの河川による舟便と海上交通の結節地点は物流拠点として発達する場所が多いのだが、ポルトもドウロ川の河口に発達した古くからの港町である。この日も暑すぎず寒すぎずの天候で、長袖シャツ1枚で過ごせる程度の快適な初夏の陽射しがドウロ川の水面に反射していた。この好天に誘われて、いかにも南欧という赤瓦の古い街並み散策や大聖堂の見学、それにポルトガル国鉄のターミナルであるサンベント駅で列車の発着風景を楽しんた。

 

クルーズターミナルからの無料連絡バスを往復利用して、午後3時半頃に飛鳥Ⅱに帰船したが、ポルトでの最終帰船時間は午後6時とまだ若干余裕があった。その上、初夏のヨーロッパとあって外はまだ真昼のような明るさで、このまま出港まで船に居ても勿体ない気もしてきた。考えてみれば今年の世界一周クルーズは天気もさることながら、シケと呼ばれるほど船が揺れた日がこれまでほとんどなかったため、デッキでのジョギングが毎日可能で、走るのを休んで休養する日がとても少なかった。この日もポルト旧市街の見学ですでに2万以上歩いているし、これまでの疲労が重なっているので、もう走るのは勘弁という気持ちもあったが、クルーズターミナルに間近いビーチ沿いの道や、近くの市立公園の緑が「たまには陸地で走りなさい」と私を呼んでいる気がした。


ということでキャビンに戻るやいなや速攻で着替え、妻と二人で港周辺のジョギングに飛び出した。勇んで港のゲートをくぐり抜け、石畳の道を走り始めると、最初は体が揺れる感じがしてならなかったが、慣れるに従い、一か月半ぶりに陸地を走る足応えを感じる。平日の午後5時前というのにまるで週末のように市民が憩う海岸べりを通り、美しく広大な市民公園の周歩道に入ると周囲はむせ返る初夏の緑で、刈り取りをしたばかりの芝生からは草の匂いが立ち上っている。大地の匂いを嗅げば、やはり人間は陸の動物なのだと改めて実感しながら公園の中で歩を進める。船上でのジョギングで足は疲労しているし、最初はごく軽く30分ほど走って帰ろうと考えていたが、揺れぬ大地と緑の心地良さに、疲れたと嫌がる妻をはるか後ろに置き去りにし、ついつい1時間ほど走ってしまった。飛鳥Ⅱに戻って風呂上りにポルトの遠景をサカナに飲むビールのなんと美味かったことか。

 

1か月半ぶりの陸地でのジョギングに歩も進む(市民公園)
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2025年5月14日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第43日  サグラダファミリアとリーブヘル クレーン

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サクラダファミリアと建築用のリーブヘル社のタワークレーン

クルーズ第43日目、飛鳥Ⅱはバルセロナに到着した。このクルーズ唯一の地中海の寄港地にして、スペイン第2の大都市である。バルセロナ観光と云えば、サクラダファミリア教会なのだろうが、オーバーツーリズムの昨今、この名所が世界中からの人々で大変な人気なのは皆の知るところである。まず入場するのが大変だし、入ってもひどい混雑が予想されるが、私は行列や人ごみが昔から大嫌いなのだ。日ごろ、行列のできるうまいラーメン屋に皆が殺到していると聞くと、例え味がまずく値段が高くても、待たないラーメン屋に行きたいと広言し、周囲の不興を買うのが常となっているほどだ。であるから放っておくと、「サクラダファミリアは混んでるのでパス」と私が宣言しかねないことをあらかじめ見越し、妻が寄港地観光ツアーが発表された昨秋から、この教会の入場がセットで組み込まれている本船のツアーの予約を入れていた。


と云うことで有無も言わせずに貸し切りバスに揺られて連れていかれたのが「バルセロナ半日観光」である。1992年のバルセロナオリンピックで銀メダルを獲ったマラソンの有森裕子選手が駆け上ったモンジュイックの丘や、サクラダファミリアの建築家ガウディが手掛けた街中の他の建物などを見た後に、いよいよ我々一行はサクラダファミリア教会の見学となった。予想した通り世界中からの観光客でごったかえす教会前の公園では、ツアー引率の現地日本人のガイドさんから、数分に一度「スリに気を付けて下さい」、「あの男の人はどうも不審です」、「この前、友人が一日に2回もスリに遭いました」などと忠告があって、どうも目の前にそびえる教会よりかばんのチャックやポケットの財布の方が気になって仕方ない。そうこうして空港の搭乗口かと思わせる厳重なセキュリティーゲートを通り、我々一行はようやく建物の中を見学することが出来た。


サクラダファミリアはカトリックの教会であり、1882年に着工、天才か変人かと云われたガウディの作品で、いまだに完成されず増築を繰り返している建物である。初期に出来た部分はすでに黒ずんでいるが、完成してまだ間もない建物は、高価な素材やモダンな意匠でできており、なぜこの教会がこれほどの世界的人気なのか、どうも私には今一つ釈然としない。今や未完成の部分は90キロも離れた工場で作成し、現場で組み合わせ作業を行うブロック工法で建築中とのガイドの説明である。むしろ私には今も作業のために使われているスイスのリーブヘル社製の巨大なタワークレーンが目に付いて仕方ない。と云うのも、かつて同社製の船舶用デッキクレーンのトラブルで苦労した思い出が蘇ってきたためだ。見物客だらけの教会内部を見学すること一時間半、ここを訪れたことは一生忘れないだろうが、19世紀末に建て始めた頃の宗教的な目的から、いまや一大観光資源としてテーマパークに化しているのではないかとの感想を持った。もっとも学生時代にここへ来たことのある妻は、あまり観光客も来なかった往時を思い出し、40年後の教会の姿を見ることが出来てとても良かったと感激している。

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