カテゴリー「船・船旅」の記事

2025年5月17日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第46日  ポルトのジョギング

20250516
ドウロ川に沿って発達したポルトの街

クルーズ46日目の5月15日、飛鳥Ⅱはポルトガルのポルトに入港した。ポルトはポルトガルの国名の由来となった町で、ポートワインの発祥地としても知られており、今は160万人以上の人が住み、首都リスボンに次いでこの国第2の大都会となっている。洋の東西を問わず、内陸からの河川による舟便と海上交通の結節地点は物流拠点として発達する場所が多いのだが、ポルトもドウロ川の河口に発達した古くからの港町である。この日も暑すぎず寒すぎずの天候で、長袖シャツ1枚で過ごせる程度の快適な初夏の陽射しがドウロ川の水面に反射していた。この好天に誘われて、いかにも南欧という赤瓦の古い街並み散策や大聖堂の見学、それにポルトガル国鉄のターミナルであるサンベント駅で列車の発着風景を楽しんた。

 

クルーズターミナルからの無料連絡バスを往復利用して、午後3時半頃に飛鳥Ⅱに帰船したが、ポルトでの最終帰船時間は午後6時とまだ若干余裕があった。その上、初夏のヨーロッパとあって外はまだ真昼のような明るさで、このまま出港まで船に居ても勿体ない気もしてきた。考えてみれば今年の世界一周クルーズは天気もさることながら、シケと呼ばれるほど船が揺れた日がこれまでほとんどなかったため、デッキでのジョギングが毎日可能で、走るのを休んで休養する日がとても少なかった。この日もポルト旧市街の見学ですでに2万以上歩いているし、これまでの疲労が重なっているので、もう走るのは勘弁という気持ちもあったが、クルーズターミナルに間近いビーチ沿いの道や、近くの市立公園の緑が「たまには陸地で走りなさい」と私を呼んでいる気がした。


ということでキャビンに戻るやいなや速攻で着替え、妻と二人で港周辺のジョギングに飛び出した。勇んで港のゲートをくぐり抜け、石畳の道を走り始めると、最初は体が揺れる感じがしてならなかったが、慣れるに従い、一か月半ぶりに陸地を走る足応えを感じる。平日の午後5時前というのにまるで週末のように市民が憩う海岸べりを通り、美しく広大な市民公園の周歩道に入ると周囲はむせ返る初夏の緑で、刈り取りをしたばかりの芝生からは草の匂いが立ち上っている。大地の匂いを嗅げば、やはり人間は陸の動物なのだと改めて実感しながら公園の中で歩を進める。船上でのジョギングで足は疲労しているし、最初はごく軽く30分ほど走って帰ろうと考えていたが、揺れぬ大地と緑の心地良さに、疲れたと嫌がる妻をはるか後ろに置き去りにし、ついつい1時間ほど走ってしまった。飛鳥Ⅱに戻って風呂上りにポルトの遠景をサカナに飲むビールのなんと美味かったことか。

 

1か月半ぶりの陸地でのジョギングに歩も進む(市民公園)
20250516_20250517031801

2025年5月14日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第43日  サクラダファミリアとリーブヘル クレーン

20250513
サクラダファミリアと建築用のリーブヘル社のタワークレーン

クルーズ第43日目、飛鳥Ⅱはバルセロナに到着した。このクルーズ唯一の地中海の寄港地にして、スペイン第2の大都市である。バルセロナ観光と云えば、サクラダファミリア教会なのだろうが、オーバーツーリズムの昨今、この名所が世界中からの人々で大変な人気なのは皆の知るところである。まず入場するのが大変だし、入ってもひどい混雑が予想されるが、私は行列や人ごみが昔から大嫌いなのだ。日ごろ、行列のできるうまいラーメン屋に皆が殺到していると聞くと、例え味がまずく値段が高くても、待たないラーメン屋に行きたいと広言し、周囲の不興を買うのが常となっているほどだ。であるから放っておくと、「サクラダファミリアは混んでるのでパス」と私が宣言しかねないことをあらかじめ見越し、妻が寄港地観光ツアーが発表された昨秋から、この教会の入場がセットで組み込まれている本船のツアーの予約を入れていた。


と云うことで有無も言わせずに貸し切りバスに揺られて連れていかれたのが「バルセロナ半日観光」である。1992年のバルセロナオリンピックで銀メダルを獲ったマラソンの有森裕子選手が駆け上ったモンジュイックの丘や、サクラダファミリアの建築家ガウディが手掛けた街中の他の建物などを見た後に、いよいよ我々一行はサクラダファミリア教会の見学となった。予想した通り世界中からの観光客でごったかえす教会前の公園では、ツアー引率の現地日本人のガイドさんから、数分に一度「スリに気を付けて下さい」、「あの男の人はどうも不審です」、「この前、友人が一日に2回もスリに遭いました」などと忠告があって、どうも目の前にそびえる教会よりかばんのチャックやポケットの財布の方が気になって仕方ない。そうこうして空港の搭乗口かと思わせる厳重なセキュリティーゲートを通り、我々一行はようやく建物の中を見学することが出来た。


サクラダファミリアはカトリックの教会であり、1882年に着工、天才か変人かと云われたガウディの作品で、いまだに完成されず増築を繰り返している建物である。初期に出来た部分はすでに黒ずんでいるが、完成してまだ間もない建物は、高価な素材やモダンな意匠でできており、なぜこの教会がこれほどの世界的人気なのか、どうも私には今一つ釈然としない。今や未完成の部分は90キロも離れた工場で作成し、現場で組み合わせ作業を行うブロック工法で建築中とのガイドの説明である。むしろ私には今も作業のために使われているスイスのリーブヘル社製の巨大なタワークレーンが目に付いて仕方ない。と云うのも、かつて同社製の船舶用デッキクレーンのトラブルで苦労した思い出が蘇ってきたためだ。見物客だらけの教会内部を見学すること一時間半、ここを訪れたことは一生忘れないだろうが、19世紀末に建て始めた頃の宗教的な目的から、いまや一大観光資源としてテーマパークに化しているのではないかとの感想を持った。もっとも学生時代にここへ来たことのある妻は、あまり観光客も来なかった往時を思い出し、40年後の教会の姿を見ることが出来てとても良かったと感激している。

2025年5月10日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第39日  テネリフェ・トラム

20250510
アルストム社製 シタディス302型トラム 起点のインテルカンビアドール停留場にて

アフリカ大陸西岸、スペイン領カナリア諸島のテネリフェに到着した。前夜から自キャビンではYoutubeで大瀧詠一の 『カナリア諸島にて』を聞き、充分気分を盛り上げての入港である。テネリフェと云えば、ヨーロッパの人々にとっては避寒地として有名で、街を歩いているとフランス語やドイツ語の観光客が多数歩いているのを見かける。彼らにとれば、東京の人間が熱海や伊豆の温泉にやってくるような感覚なのだろう。この日は港町のサンタ・クルス・デ・テネリフェからトラムに乗って、世界遺産に登録されている古都ラグーナを訪問することにした。船からラグーナまでの有料連絡バスもあったのだが、こちらは僅か15キロほどの距離を往復するだけで、一人174ユーロ(2万7500円)もする。いくら飛鳥料金とは云えども、これは法外だと思っていたところ、昨年この船で当地へ来た友人から、「 トラムに乗る方が安くて便利 」と船内で聞き、自力で行くことにした。


トラムに乗るには、まず港から徒歩で行ける最寄りの停留場でチケットを買う必要がある。外国で公共交通利用をする際は、目的地至近の降車場はどこか、乗り換えがあるのか、切符をどこで買うのかなどけっこうハードルが高いことがあるが、ここでは港近辺から目的地ラグーナにあるトリ二ダッド停留場までのトラム1号線は12.5キロで乗り換えもなく、やってくる電車はすべてが終点まで行くので乗り間違いもないことが分かった。旅行者が乗車するには各停留場にある券売機で、ユーロの現金かクレジットカードで全線均一料金の乗車カードを購入する必要があるが、券売機の表示がスペイン語のみなのがちょっと面倒なところではある(その後撮影した写真から英・仏・独への言語切り替えボタンがあったことが判明)。仕方なく無人の券売機を前に、何となくヤマ勘で往復用の「2回または2人」の画面表示にタッチし、そのカードを2枚買うことにした。往復で一人2.7ユーロ(約400円)だから、船からの連絡バスといかに値段が違うことか。


平日の昼間とあって、トラムは5分から6分おきに次々とやって来る。どの車両も結構人が乗っており立ち客も多い。LRT ( LIGHT RAIL TRANSIT ) やトラムと呼ばれる軽快電車、路面電車の見直しが世界中で起こっており、日本でも宇都宮で新しい鉄道が開業しているが、ここテネリフェでも大昔に廃線になった路面電車を、2007年に全面的にリニューアルし再開業したそうだ。行き交う車両はどれも最新式の低床式連接車で、5両の車両を3つの台車で動かしている。さっそく乗車して購入した乗車カードを出入口のカードリーダーにかざすと、画面に赤でペケ印の使用不可表示が出て、一瞬買い間違えたかと焦る。カードの裏表が逆か、などと何度かトライしていたら、地元のオバちゃんが機械の下部に読み取り装置があるから、下からかざせと身振り手振りで教えてくれた。その通りやってやっとOKの表示が出たが、外国の公共交通機関を初めて利用するときの”あるある”現象を今回も体験することになった。


ボックスシートとベンチシートが混在する車内の仕切り板には、”ALSTOM”との表示が掲げられ、日本でもアルストム式台車などで知られる、仏の鉄道総合メーカー製車両であることが分かる。シタディスというブランドの同社のトラムシリーズは各国に輸出され、今や世界で1800編成以上が使用されているそうで、ここテネリフェではシタディス302型と呼ばれる全長32米、幅2.4米、 1435ミリ標準軌の車両が活躍しているのである。驚いたのは、1号線の港近くにある始点インテルカンビアドール停留場から終点のトリニダードまでの約12.5キロの間には標高差が500米以上あり、平均すれば勾配は40パーミル以上であるのに、乗車したトラムは行き(上り)も帰り(下り)も最高速度50キロで急坂を実に軽々と走ることであった。小さな車輪にパワフルなモーター、回生ブレーキの他に台車を見れば電磁吸着ブレーキも装備しているようで、さすがアルストム社のベストセラー車両だとその快適な乗り心地を楽しんだ。車内ではスマホの電話の声がうるさいものの、老人や体の不自由な乗客が乗ってくれば、若者たちが率先して席を譲っている光景が幾度も見られ、矢張りここは南欧なのだと感心することしきりだった。

清潔な車内、老人・弱者優先のマナーが徹底されていた
20250510_20250510200601

2025年5月 5日 (月)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第33日  キリンがいるぞ

20250505
瀧総料理長とキリン(右、後ろ姿)

このクルーズではデッキディナーが4回開催させることを乗船前に郵船クルーズから聞いていた。アジアンデッキディナー、アフリカンデッキディナー、カリビアンデッキディナー、ハワイアンデッキディナーで、その日はプールサイドにグリルが設置されて海域・地域に因んだ料理が振舞われる。乗客は潮風に包まれて薄暮の野外ディナーを楽しむが、クルーだけでなく乗客もそれぞれ持参した民族衣装などを着て、クルーズ気分を盛り上げる趣向である。クルーズ12日目、シンガポール出港後に行われたアジアンデッキディナーでは、例によって昭和オヤジの植木等のいで立ちで、いつものように(一部に)ウケたが、次はアフリカがテーマとあって、乗船前から、「 うーン!?この夜のために何を仕込んでいこうか」と悩んだのだった。


久し振りに合った小学校の恩師に 「 キミは小学三年生の頃から、植木等の真似をしておちゃらけるのが好きだったわね」と最近も言われたが、何かイベントがあれば人とホンの少々ずらして、ウケを取るのが好きだった性分は、『三つ子の魂百まで』で今も変わらない。ましてやクルーズ船上なら 「 旅の恥は搔き捨て」だ。せっかくのアフリカンデッキディナーとあれば、何か恰好の衣装がないかと考えて、ネットで調達し仕込んだのがキリンのかぶりもの(高さ約40センチ)と、妻のキリンのカチューシャである。これならワイワイ、ガヤガヤのデッキディナーで、アフリカ民族衣装などを着こんだ女性客が数多くとも、頭三つ分くらい飛び出るので目立つこと間違いない。


とは云っても、変わった扮装をしてディナー会場に飛び出すのは、毎度ながらちょっとした勇気がいるものである。まさか顰蹙(ひんしゅく)を買うことはないだろうか、いやいや誰からも相手にされず無視されたらどうしよう、などと心配しつつおそるおそるデッキに踏み出せば、我が姿を見るなりみんな一目で 「 プッ!」 と笑ってくれるのでほっと安堵の息が出る。暮れ行くにつれ次第に 「 一緒に写真とって」などとこれまで知らなかったご婦人方も周囲に増えて、まさに被り物は効果抜群である。そのうち 「 下の階にいたらデッキではキリンが出たというので見に来ました」と言うクルーまで現れ、大目立ちとあってまずは成功。カチューシャの妻も共に、キリン姿のまま、フィリピン人のキャビンクルーたちも一緒になって、デッキダンスで大いに盛り上がった一夜であった。翌朝は 「 昨日は盛り上げていただきまして有難うございました」とエンタメクルーから丁重な挨拶があったが、いやいや楽しませて貰ったのはこちらである。クルーズは自ら楽しみを見つけ、自ら盛り上がらなければ損なのだ。

20250507

2025年5月 2日 (金)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第32日  飛鳥Ⅲとの邂逅

20250502 
セントヘレナ島の北側沖合 飛鳥Ⅲとランデブー


砂漠の町、ナミビアのウオルビスベイを出港してから、次港テネリフェまで、飛鳥Ⅱは丸9日間にわたって大西洋を北上する。シンガポールからレユニオン島までのインド洋無寄港区間に匹敵する今航海で最長の洋上生活である。横浜を出て1か月が過ぎ、乗客はクルーズ生活に慣れると共にマンネリ感に疲れを感じる頃とあって、この間、船内では様々なイベントが企画されている。昨日、飛鳥Ⅱはナポレオンが幽閉された絶海の孤島、セントヘレナ島の周囲を回ったが、島の沖合いで4月10日にドイツのマイヤー造船所で引き渡しを受け、日本に回航中の「飛鳥Ⅲ」と洋上でのランデブーが行われた。


今はスマホのアプリで、世界中の他の船の動静もわかる便利な世の中である。飛鳥Ⅲがちょうどアフリカ西岸を南下して来ることは、以前より飛鳥Ⅱの船上でも多くの知るところになっていたが、「どこかで出会うの?」との質問に、渡邊船長は言葉を濁し続けてきた。しかし、もしそのような予定がないなら明確に「ノー」と返答するはずで、否定も肯定もしないということは、当然出会いがあるものとみな密かに期待をしていたのだった。但し、ウオルビスベイ~テネリフェの距離を9.5日で航走するには、相当のスピードと燃料消費が必要なので、余計な離路が可能なのか、一抹の不安がないわけではなかった。と、ウォルビスベイを出て2日目の朝の船長の定例放送で、「明日(5/1)11時頃、ドイツ造船所より日本に航海中の新造船 飛鳥Ⅲとランデブーすることとなりました」との待望のアナウンスがあった。


5月1日、セントヘレナ島の北端の港、ジョージタウン沖を飛鳥Ⅱが通過した頃、一足早く到着しドリフトしていた飛鳥Ⅲが前方の島影から姿を露わにした。これまで何度も完成予想図で見た通りの船影もくっきり、飛鳥Ⅱより一回り太いファンネルには、ニ引きの赤線が遠くからでもはっきりと認められる。飛鳥Ⅱの左舷はるか前方から微速で対向し、次第に接近して来た飛鳥Ⅲは、約300米ほどの距離で舷を交わし一旦後方に去って行く。その時、飛鳥Ⅱ船上はのぼりの他、乗客やクルー手作りの横断幕がデッキ上のそこかしこにはためき、汽笛の交換と共に皆で「ヤッホー」との掛け声を新造船に送った。飛鳥Ⅲは小久江船長以下170名ほどの回航要員が乗船しているそうで、向こうも総出でデッキで手を振っている光景がはっきりと視認できる。


すれ違って飛鳥Ⅱの左舷、艫(とも)側に一旦去った飛鳥Ⅲは、ハードポート(左急旋回)で180度回頭、今度は行き足をほぼ無くした飛鳥Ⅱの右舷を微速前進で追い越して行く。飛鳥Ⅱの船首に出た飛鳥Ⅲは最後に進路を横切って再び左舷側でしばらく並走したが、2隻はまるでワルツのウイーブ(編み込み)さながらの航跡をつくった。この間、約一時間、もしセントヘレナ島の住人が高台からこの様子を見ていたら、さぞ眼前のシーンにびっくりしたことだろう。かつてアデン湾で自衛艦「せとゆき」が飛鳥Ⅱほかの警護の任を終え、軍艦旗も鮮やかに答舷礼を実施してくれた光景を思い出したが、このように護衛艦なみに軽やかに回頭できるのも、アジポッド推進の飛鳥Ⅲならではだ。飛鳥Ⅲは7月11日、我々が日本帰着の日に、横浜で待っていてくれることだろう。

 

2隻でダンスをするような航跡
20250502_20250502230701 

2025年4月28日 (月)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第25日~26日 中進国の罠

20250427
緑の向こうを走る郊外電車(パールにて)

ケープタウンの街から180キロ離れたアクイラ動物保護区への貸し切りバスは、首都のプレトリアやヨハネスブルグ方面へ向かう主要幹線道路 N 1を走った。バスは途中でワイナリーに立ち寄ったり、昼食会場のホテルに向かうために幹線道路をしばし外れたため、その都度、車窓からは南アフリカ共和国の沿道風景を楽しむことができた。通過する町々は欧米の高級住宅街と同じような瀟洒な邸宅が並ぶ閑静な地域と、粗末なバラック建てばかりで、平日の日中から所在なさげな人たちがたむろしている地域にはっきり分かれている。前者は人口の7%を占める欧米系白人、後者は人口の90%を占める黒人かカラード(混血)が住む町らしく、まだアパルトヘイト時代の残滓があることを気づかせる光景である。


貧しい地区の道路では裸足の黒人が多数歩いており、その傍らの道端には沢山のごみが捨てられている。やはりまだまだ発展途上で、個人がなかなか豊かになっていないことが良くわかる車窓風景だ。南アフリカ共和国の面積は、112万平方キロと日本の約3倍、人口は6000万人で、鉄鉱石や金、プラチナなどの鉱物資源に恵まれている。この国はG20の一角であり、BRICS国としても知られるキリスト教国なのだが、一人当たりの国民所得は約6000ドルと日本の500万円(@¥150で3万3000ドル)の約5分の1以下であり、失業者も多く、近年は個人消費が伸びずに経済成長が鈍化しているそうだ。


一方で幹線道路は少なくともケープタウン近辺は立派に整備されており、車窓から見る我が国と同じ1067ミリの軌間を持つ鉄道も、すべてが電化されていた。よく見れば鉄道の線路は枕木もPCコンクリート化されているし、路盤も強化されているようだ。バラックの立ち並ぶ地域にあったホームや駅舎は、周囲に似合わず小ぎれいで、そこを6両編成の青く塗られたモダンな電車が駆け抜けて行く様は、この国の矛盾を象徴しているかに思える。バスで戻ったケープタウンの市街地は、2011年に訪れた時より派手なイルミネーションで彩られた高層ビルが目立って増えていることが一目瞭然である。これらアンバランスな経済発展の状況を見ると、一人当たりの国民所得が1万ドル近くになると経済成長が難しくなるとする、いわゆる「中進国の罠」に南アが陥っていることがわかる気がした。

20250427_20250428050301
車窓から見るバラック

2025年4月27日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第25日~26日 アクイラ動物保護区サファリドライブ

20250426

インド洋の航海を終えて、飛鳥Ⅱはケープタウンの港に4月24日早暁に入港した。ここでは、今航海で初めての一泊オーバーナイトの停泊となる。以前来たときに停泊した場所は港のはずれの方だったが、飛鳥Ⅱは町の中心に近い場所に出来た新しいクルーズターミナルに着岸した。新ターミナルは一般貨物用の岸壁が並ぶ場所にあり、前後を貨物船に挟まれたごく狭いコーナーに位置している。入港日、そろりそろりと最大警戒の微速前進で市街地が目の前の岸壁に船が着くに連れて、明けゆく空は快晴で雲一つないのが明らかになってきた。昨年の世界一周クルーズでは、霧と雨のケープタウンだったそうだから、まずはこの南半球の秋晴れに感謝である。


前に来たときは、喜望峰や野生ペンギンの生息するボルダー海岸を見学したので、今回は港から180キロほど内陸に入った標高800米ほどの高原にある『アクイラ動物保護区サファリドライブ』へ一泊の本船ツアーに参加することとした。我々にとってはこのクルーズにおける唯一の船外宿泊の行事である。ペット以外の動物と云えば日本では動物園か、せいぜい富士サファリパークのような限られたエリアの施設で見るしかない。だがここでは山手線内側の6倍もの広大な大地に、バッファロー、ゾウ、ライオン、シマウマ、サイ、カバ、ヒョウ、ダチョウ、キリン、ヒヒ、スプリングボックなどが生息し、170種類にのぼる鳥類が見られるそうだから、あまり動物に興味がない私にも心惹かれるツアーであった。とは云っても、本来なら保護区内のライオンやヒョウは、シマウマなどの草食動物を襲ってしまうはずだ。この辺りはどう辻褄を合わせて管理しているのか出発を前に興味は尽きなかった。


到着したアクイラ動物保護区では、トラックの荷台に作られたサファリカーの座席に座り、映画「ジュラシックパーク」さながらのゲートを通ってエリア内へ入った。初日と次の日、それぞれ約2時間のサファリドライブである。あたりの灌木地帯にはところどころに池もあり、赤土の肌を見せる岩山が迫る光景は、舞台演出としておあつらえ向きで、まさに我々がイメージする「アフリカ」そのものだ。クルマに揺られお尻が痛くなるほどのゴトゴト道を行けば、近くでゾウの群れが砂浴びをしているかと思えば、池からカバが耳や目を出している。シマウマやバッファローなどがあちこちで草を食み、水をのんびり飲んでいる風景はまさにサバンナで、動物園で飼われている動物たちとは迫力がまるで違う。ただ、のんびり草を食む草食動物たちを見ていると、これらを餌にするライオンやヒョウなどの肉食獣とは「保護区」内でどう共生しているのかやはりひどく心配になった。


ガタゴト道を行くことしばし、ほどなく区内もう一つの電気柵つき金網を通ると、そこはライオン用の特別区域となっていた。サファリカーのドライバー兼ガイドによれば、なんとここではライオンに週に何回か餌をやっているそうで、道のそばでは与えられた大きな餌の肉片を傍らに、人間を恐れることもなくリラックスしたライオンが横たわっている。これを見れば、やはりここは弱肉教食の自然とは一味も二味も違う動物の疑似楽園であることを気づかせてくれる。猛獣エリア外の草食動物も、クルマが近づいても警戒するでないから、これから数代も経てば、保護区内で生きる彼らの肉食獣を恐れる本能的遺伝子も上書きされているかもしれない。総じてここは自然やら動物、環境保護などを看板にした『半』商業的な『半』ワイルドの世界であることが分かった。とは云うものの、日本では味わえない野生に近い環境の動物たちを間近で見れば、今後はわざわざ動物園に行く気も起こらないほど大満足のツアーであった。

20250426_20250427053001

2025年4月23日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第24日 連続終日航海日

250423 

マリナーズクラブでピアノの稽古

桜咲く日本を出港したかと思っていたら、船上で読む毎日新聞衛星版などからもうGWのトピックスが入ってくる。船上での一日は、いつに増して「 今日しかない特別の一日、特別の時間」だと意識しているのだが、それでも、長いインド洋横断の毎日とあって、日々の生活もやや倦んでくる頃である。シンガポールを出てレユニオンまで9日間が連続洋上航海で、この日数はこれから向かうウオルビスベイからテネリフェの9日間に匹敵するこのクルーズ最大の無寄港区間であった。その上、シンガポールからケープタウン間は、船内の時刻改正で1日が25時間となる日が6回もあったため、早朝に眼が醒めるなど、一日がより長く感じた人も多かったことだろう。クルーズ船とは、豪華な三食やショー付きの高級合宿所かと思う時もあるから、明日入港して1泊するケープタウンは久々の大地とあってちょっと楽しみである。

 

「日常」となった船内生活を飽きないように過ごすには、日々の生活のパターン化と、ちょっとした刺激が必要になる。パターン化の第一歩は、毎日午前(初心者向け)と午後(経験者向け)の1日2回、各45分のダンス教室の参加。それに昼休み時間のジョギング(5キロ~10キロ)と、その後の入浴である。ジョギングは甲板部のデッキ作業がない昼12時から1時の間に行っているが、この時間は昼食の時間と重なるのでやむなくメシなしとなる(船の用語でチャブ抜き)。走って汗をかいた後、1時過ぎに飛び込む大浴場や露天風呂は、いつもガラガラで、誰もいない露天風呂で大海原を眺めながら湯船に浸かるのは、最高に贅沢な時間だ。月曜から金曜日は、これらの合い間にネット接続して、メールのチェックや表計算などの業務をこなす。時差があるものの、ここまでは取引先から要求される作表や文書作成が、トラブルなく送信できているようだ。このようにネット接続がふつうになれば『働きながらリモートワークがこなせるクルーズ船』などとする飛鳥Ⅲのような客船も増えてくることだろう。


こうして一日が、あっという間に過ぎていくが、それだけではクルーズはつまらない。刺激を得るために、たまに夜の部にはクラブ2100の生バンド演奏付きダンスに顔を出すほか、昼はプールに入ったり、かねてから予定していたゴルフのレッスンを受け始めている。ゴルフと云えばかつてあれだけ時間とカネをかけたのに、うまくならなかったのは自己流だったからに違いないと、プロの指導を受けることにしたものである。5日に1回ほどで毎回15分、6デッキ後部の鳥かごで、「うーん、全体的には良いですが、グリップを直した方が」とのアドバイス。教えられたとおりに握ったグリップで振れば、スイングの軌道が一定になって心なしか球の勢いが増したようだ。さすが元女子プロツアーに参戦していたプロだが、これが無料で何回でもレッスンを受けられるとはさすが「飛鳥Ⅱ」である。今日はマリナーズクラブのグランドピアノを借りてピアノの稽古も実施。我が家の電子ピアノとは雲泥の感あるグランドピアノの響きに、指の方が緊張したのか、家ではすんなり弾ける箇所も突っかえてばかりの一時間だった。高級合宿所の貴重な一日はこうして過ぎてゆく。

 

 

2025年4月20日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第19日 レユニオン島

20250419

クルーズ第19日目、飛鳥Ⅱは仏領(県)レユニオン島のル・ポールに入港した。レユニオンはマダガスカルから東に800キロ、モーリシャスから西に175キロの洋上にある火山島で、神奈川県ほどの面積の島に85万人が住む(ウイキペディア)。入港時にレユニオンを遠望したところ、ちょうどハワイのカウアイ島やタヒチのモーレア島のような火山島独特の切り立った山容を背後に、海岸に向かう斜面にコロニアル風の住居が立ち並び、南洋の植物が生い茂る緑ゆたかな島であった。ル・ポールの港から県庁のあるサンドニの街まで、片道2~3車線の立派な自動車専用道路は、途中の部分が、海の中に立つ橋脚の上に施設されていた。ここはもともと海食崖の下を通っていた高速道路が1980年のサイクロンで被害を受け、新たに海上に付け替えられたもので、自然保護の観点から様々な制約が課せられたため、キロ当たりの建設費用は世界で一番高いものになったと云う(レユニオン公式サイト)。シャトルバスでこの海上の道を通って約20分、この日は自由行動でサンドニでの半日の市内観光を楽しんだ。


上陸に当たって飛鳥Ⅱでは、蚊の感染症例(デング熱)があるので、長袖・長ズボン着用の上、虫よけスプレーをして下さいと呼びかけていたが、入港直後、港付近を歩く現地の人たちを見れば半袖・バミューダパンツが多く、どう見ても船の薦める服装は当地では異様に思えてならない。南国の日差しの中、暑苦しそうな長袖・長ズボンに身を包み、ましてや一部にはマスクまでした集団がぞろぞろと街中を歩くのは、まことに奇異で人目をひきそうだ。なにごとも超安全策の飛鳥Ⅱゆえ、このような注意をしているのだろうが、衛生的に問題なさそうな港の周辺を一目見れば、例えて云えばマニラで半ズボンにポロシャツでゴルフをする方が、蚊に刺される恐れがよほど高そうだ。郷に入れば郷に従えと云うから、シャトルバスに乗車する際の他の乗客の冷ややかな視線を横目に、自己責任で行動すれば良いと、短パンにポロシャツでサンドニの街に出かけることにした。


初めての地を訪れた際にまず気になるのは、その地の文化である。横断歩道の脇に立てば、歩行者優先で目の前でクルマがサッと止まるのか、はたまた強い者が勝ちとばかり歩行者を無視するかで、文化の優劣は大体わかる。以前、出張でシンガポールを訪れ、その帰路に香港に立ち寄った際、罰金刑が厳しいために歩行者優先だったシンガポールのような感覚で、香港の横断歩道を渡ろうと足を踏み出したところ、クルマがスピードも落とさず目の前を通り過ぎ、肝を冷やしたことがあった。シンガポールと香港、同じ中華系、同じような街のたたずまいでも、中華思想と中国文化がより濃厚な香港では交通道徳は大きく劣っていたのが分かった。その点、サンドニ市街では、完全に歩行者優先のルールが守られており、ここがヨーロッパの出先で、フランスの一つの県であることをまずは実感した。


サンドニの中心部、ラジソンホテルに設けられた飛鳥デスクで薦められた方角に向かって踏み出せば、街路や古くから立ち並ぶ邸宅はフランス風で、混血のクレオールや西欧人がゆったりと道を歩いていた。中心となるヴイクトワール&パリ通りの突き当りにあったエタ公園でしばし休憩をとっていると、色々な人種の子供たちの遠足(校外学習?)が何組も目の前を通り過ぎ、先進国の中でもフランスの出生率が高い現状を垣間見たような気がした。この地は第1次世界大戦のフランス軍の英雄パイロットだったローランギャロス生誕の地でもあった。天気は快晴、そよ吹く海からの風も気持ち良く 「 天国に一番近い島」と云われた同じ仏領のニューカレドニアより、こちらの方が天国に近いのではないかと思わせるレユニオンである。そうこうするうちに、昼休みの時間になると店々のシャッターは降り、レストランの軒先では人々がワインなど片手に食事を始めている。紛れもなくここはフランスそのものであった。

20250419_20250420034901
世界一高価な高架橋

2025年4月16日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第17日 あれから14年

南インド洋にやって来たのは、2011年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ以来14年ぶりである。月日が経つのは何と早いことだろう。レ・ユニオン島が近づくにつれ、飛鳥Ⅱも航路筋に完全に戻ったのか、欧州から極東へ向かう巨大コンテナ船の姿を近くに見るようになった。喜望峰を回る航路が忙しくなったのは、2023年頃からアラブ過激派のテロが頻発して紅海が危険になってからで、大型コンテナ船がこの海域を通るのは以前なかったことである。わが身を振り返れば、この14年の間には職場も変わったし、2度のガン手術も経験した。しかし、この間もインド洋は変わらずにここにあって大きなウネリをつくり、空には南十字星が瞬いている。ふと14年前の我がブログには何を記したのか気になって読み返してみたら、当時はこんなことを感じながらここを通過したのかと感慨深い。

2011年4月26日のブログ

『イルカが船の周りに遊びに来て、しばらく飛び跳ねたり船の速度に合わせて泳いだりするのは、クルーズでは良く経験する光景だ。航路によっては運が良ければ鯨に出会う事もあるし、海鳥が魚を捕食するために海面に飛び込む様を見たり、ふだんの生活では見る事のできないものに出会うのもクルーズの楽しみといえよう。インド洋を航海中の今も、窓の外は天の川をバックに南十字星がくっきりと浮かび、私達は船から配られる今宵の星座図をもとに、デッキでいろいろな星を探している。


沈み行く夕陽の最後の輝きが、プラズマ現象で一瞬みどり色にかわる”グリーン・フラッシュ”もこの航海ですでに2度ほど見る事ができて感動したが、先日は海の上の竜巻を初めて見た。本船の左舷1マイルほどだろうか、一本の水柱が天空と海を繋ぐ神殿の円柱の様にゆっくり移動して行ったが、その竜巻の景色はなにか生きものの様でもあり、自然の神秘を大いに感じさせてくれるものだった。竜巻の下部では滝つぼのごとく海の水が巻き上げられて白く光り、あたり一面の海がにわかに白波を立てる様子は、まるで地の果てとでもいうもので、思わず映画やニュースのトルネード場面を思い出させてくれた。


こうして船で移動していくと、地球は海の部分が陸地より遥かに広く、この広大な大洋が生命の源であり、かつ地球の天候や環境の源である事がわかる。この海洋で原始の生命が発生して進化し、水は蒸発して雲になり、雨が降って陸地では森が出来、光合成が行われて動物や人間が生きてきた。こうした自然のサイクルに思いをいたすと、まさに海とは奇跡の様な存在で、我々はますます海洋汚染に注意し、この海を守っていかなかればならないと殊勝な考えが浮かんでくる。 加山雄三の「地球をセイリング」の歌詞ではないが、「母なる波の上」に人間の存在があるのだと、毎日海を眺めながら感じている。』

その日の写真 海上のツイスター
20110425

より以前の記事一覧

フォト
2025年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ