カテゴリー「船・船旅」の記事

2026年6月 4日 (木)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」日付け変更線を超えて

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6月1日 日付け変更線上の真上を北上する飛鳥Ⅱ 左舷は東半球、右舷は西半球

 

西向きに日付変更線を超えると、カレンダーから一日が消滅するという船旅ならではの現象を今回も経験した。加えて飛鳥Ⅱは日本に向かって船内時間を調整しながら航海を続けているため、1日が25時間になる日が2日に1度出現する。往きの航海では午後2時に行っていた船内時間の調整だが、復航は従来通り夜中の2時に時計の短針を1時間バックさせるので、朝7時だと思って目覚めてもまだ6時だったりする。そんな朝にプロムナードデッキに出てみると、いつもより多くの人が明け方から歩いているから、一時間早く目が覚めてしまった人が多いことが分かる。このような時差調整を繰り返し、現在の船内時間と日本標準時の時差は2時間となった。仕事の連絡を東京にするにも、あまり時間を気にせずに発信・返信できるのは良いが、クルーズ終了の日が迫って来たことを日本時間との差からも感じて寂しいものである。


日本は台風で大雨が降ったそうだが、太平洋の真ん中はこれまで天気もよく海も穏やかだったので、シーホースプールの水も暴れず泳ぐ人の姿が目立つ。我々も毎日のデッキ上のジョギングによって疲労がたまった足をかばうべく、クルーズ終盤は時々泳ぐことにしてきた。船の若干の動揺により、頭上を流れる雲が右に行ったり左に行ったりするのを水中から仰ぎつつ泳ぐのはとても気持ちが良いものだ。海水を汲み上げたシーホースプールに浸かった後に、リドからラーメンなどをプール脇まで持ってきてもらうこともあるが、泳いだ後の火照った体で麺をすすっていると、まるで「海の家」に来たような感覚になってくる。南の空の下、なんと贅沢な「海の家」であろうか。その後、シャワーを浴びてビスタラウンジで氷いちごなどを注文すると、小学校の夏休みがまたやって来たような気分になってウキウキしてくるのだ。


楽園のような船上だが、そこは揺れる船の上である。夫人が船内で転んで怪我をし、途中で緊急下船して帰国を余儀なくされた乗客が、知り合いの中だけでも2組いた。2人とも前日までダンス教室に元気に通っていたのに、急に姿を見せなくなったので、それぞれ親しい人たちに聞いて骨折したとわかったのだが、ほかにも怪我や病気でクルーズを中断したケースがあるようだ。骨折に至らないまでも転んで打撲症を負い医務室に駆け込んだ知人もいるので、やはり船内での一挙手一投足には、注意を払う必要がある。今回は医療費が飛びぬけて高いアメリカの各地を回るクルーズだったので、クレジットカードに付帯する旅行保険だけでなく、万一に備えて海外旅行中の病気や傷害をカバーする保険を別に掛けることを旅行社は強く推奨していたが、我々は「その時はその時」と割り切って、保険料が極めて高い別途の保険には入らなかった。これもあと2日もすれば日本の海上保安庁の管轄する海域に到達するので、もしもの時にもどうやら高額の医療費に直面することもなさそうだ。もうすぐクルーズが終わってしまう寂しさは大きいものの、何事もなく終わりそうという安堵の気持ちも徐々に強くなる終盤である。

 

海の家・飛鳥Ⅱ
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2026年6月 2日 (火)

「飛鳥Ⅲ 2027年パシフィック ディスカバリークルーズ」 船上クルーズ説明会

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毀誉褒貶が相半ばする「飛鳥Ⅲ」である。新しい船体や美術工芸品で飾られた内装が評価される一方で、「コンセプトがまったく意味不明」とか「ショーなどのアクティビティがなくて船上でやることがない」「メニューをチェックするのまでタブレットを使うのか」などと、乗船した人たちからは何かと不満の声も多いようだ。これまで日本船が長年培ってきたクルーズ文化を覆すかに思える船内サービスのIT化や、ショーやダンス会場もなく「何もしないゆったりした船上生活」が、従来の贔屓筋には不満なのだとみえる。その上、「飛鳥Ⅲ」は燃料に環境に優しいと云われるLNGを使用するのだが、これにより燃料補給港が限られて、世界中どこにでも行けるわけではないという問題が生じている。また巨大なLNGタンクを船体内部に収容するためにキャビンや公室、食糧庫などのスペースが制限され、ロングクルーズの企画には多大な制約を与えているとも云われている。


この様な評判を一掃すべく、就航より一年余り、「飛鳥Ⅲ」は、船内サービスの改善や寄港地の拡大に鋭意努力を払ってきたようだが、今般これまでになかった新たなクルーズの企画が5月20日に発表された。「飛鳥Ⅲ 2027年パシフィック ディスカバリークルーズ」である。来年の2月から3月にかけて催行される22日間のこのクルーズは、飛鳥クルーズ史上初めて企画された航路だそうで、寄港地はわずか5つと数少ない。しかし親日国である台湾やこれまた親日国パラオに寄港し、日本最西端の与那国島や、日本最東端の南鳥島などの太平洋諸島をぐるっと周遊する特色あるクルーズなのである。以前から妻はパラオに行ってみたいと言っていた上、初寄港する台湾の安平は台南観光の拠点で烏山頭ダム(八田ダム)に行く観光ツアーがあり、パラオでは大東亜戦争の激戦地であるぺリリュー島を訪れるツアーも予定されていると知り、このクルーズの参加に彼女は俄然前のめりになった。日本が一番寒い時期にベストシーズンの南方に行くのも魅力的である。


今日6月1日には「飛鳥Ⅱ」船内でも「飛鳥Ⅲ 2027年パシフィック ディスカバリークルーズ」の説明会が開催され、乗船中のクルーズセールスオフィス江頭氏より詳細な案内があった。冒頭、「飛鳥Ⅲ」については就航以来、船内生活に関して乗客よりさまざまな指摘を受けていること、そしてその問題点は徐々に改善していっていることが語られ、続いて「飛鳥Ⅲ」の船内ガイドと発表されたばかりの新クルーズの説明がなされた。実は発表された「飛鳥Ⅲ」の新クルーズは、「飛鳥Ⅱ」の「2027年オセアニアグランドクルーズ」の航海と時期的に重なっているのである。今回乗船中の「アラスカ・ハワイクルーズ」でも貰えるクーポンなどを使えば、掲示された旅行代金よりかなり経済的に「飛鳥Ⅲ」に乗れますと言うセールス・トークが説明会であったが、そこからは満員御礼でキャンセル待ちの飛鳥Ⅱの予約を振り分けて、両船で一挙両得を狙おうかとする思惑も垣間見えるようだった。とは言うものの前のめりになる妻は、船側の戦略にまんまと嵌り、「取り敢えずキャンセル料がかかるまでは予約はしておこう」と、船内予約ならさらに5万円のクーポンがつくとするキャンペーンに釣られて、「2027年パシフィック ディスカバリークルーズ」を船内予約してしまった。ロングクルーズは今回を以て以後はしばらくお休みとこれまで話していたが、どうもこの予定は簡単に覆りそうだ。

2026年5月31日 (日)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」 ハワイ諸島と消えたマグネット

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ナパリコーストの絶景


2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」の最後の寄港地ホノルル港を飛鳥Ⅱは出港した。あとは横浜に帰るだけである。ダイヤモンドヘッドを遠くに望みつつ、ここに来るといつも感じるのは、クルーズも最終局面になったという寂しさだ。ではあるものの、これまで飛鳥Ⅱで来た4度の世界一周クルーズと今回では、ホノルル出港時の感慨もやや異なるものであった。世界一周クルーズでは、最終港ホノルルに着くまでにすでに3か月も船上生活を続けているため、ワイキキの街並みを眺めると「とうとう帰って来た」感が強かったが、今回は日本を出てまだ1ヶ月強しか経っていない。さすがに1ヶ月程度では里心はつかないし、また留守宅が心配になることもなく、船上生活に倦むような気持ちもおきない。その上、世界一周クルーズでは3か月で20余港に寄港地するのに対して、こちらは1か月強で11もの港に2つの氷河見学と、日程的にはかなりコンパクトで忙しく、時間が経つのもとても早く感じたのだ。100日を超える世界一周クルーズと、全行程が45日のグランドクルーズでは、やはり「乗りこなした満足感」が違うというのがこれまでのところの感想である。


ほとんどが曇天だったり時として氷雨が降る北国の世界から、飛鳥Ⅱはやさしい風が吹き抜ける南の島まで下りて来て、このところ頬をなでる空気も心地よい。ハワイ諸島で最初の寄港地ハワイ島のコナは以前「プライド・オブ・アメリカ」号で来た時に、荒天でテンダーボートが下せず抜港となったが、今回は波も穏やかで安心して沖留めの飛鳥Ⅱから上陸できた。2港目カウアイ島では本船から出る「ワイルア川とシダの洞窟」ツアーに参加、3港目のマウイ島でも「マウイ・トロピカル・プランテーション」へのツアーに出かけることができた。ハワイ島からカウアイ島への航海では、時間調整もあってか、本船は断崖絶壁で有名なナパリコースト沖を一往復半し、左右両舷どちらのキャビンからでも、太平洋有数の眺望を眺められると云うサービス付きだった。この時間に私はたまたま露天風呂にいたのだが、ほかに誰もいない湯船から目前に雄大な絶壁やそこから流れ落ちる滝を見て「これは絶景!!風呂からこんな贅沢な書割りを堪能できるのは、世界広しと云えども飛鳥Ⅱだけだ」と一人浪花節を唸りたくなる気分だった。もっとも同じ時に反対舷の露天風呂にいた妻は当たり前だが海原しか見えなかったらしい。


そう云えば、こんな不思議なことがあった。カウアイ島でシダの洞窟ツアーから帰り自室の前に来ると、上陸前にドア脇に確かに貼っておいたハワイ島の寄港地マグネットの表面がはがされていた。ロングクルーズの際には、全寄港地で、小さなマグネットを記念に購入して自室前に掲げておくのが我々の習慣で、今回もそれまでの寄港地分のマグネットを10個ほどを壁面に貼っておいた。ただし表面がはがされたハワイ島のマグネットだけは、2011年に飛鳥Ⅱがヒロを訪れた時のものを流用したもので、15年以上の経年劣化によりラバー地の図柄の部分が反りかえって磁石の部分と剥離しかけていた。これまで船内でマグネットがなくなったことは一度もないし、もし誰かが盗って行くのなら、よりによって最も状態の悪い物を選ぶわけもない。「これは誰かの新手の嫌がらせかしら」などと妻は心配したが、身に覚えもないし、わざわざ壊れそうなマグネットの表面だけを持ち去るとは、イタズラにしては手が込みすぎている。仕方がないので残った磁石の台座だけをそのまま張っておいたのだが、翌日の観光から部屋に戻ると、あら不思議、剥離しかけていた図柄部分がしっかりと接着剤とガムテープで台座に固定されているではないか。本船のクルーが通りすがりに壊れかけのマグネットを発見し、親切に夜間にでも作業場で修復をして戻してくれたのだろうか。「これは謎過ぎる」と二人して首をひねったのだが、壊れかけのマグネットが直り、いつの間にかまたドア横に復活していたという、我々にとって飛鳥Ⅱ乗船史上、もっとも不可解だが結果ハッピーなミステリーを経験したのだった。

 

誰かによって表面が剝がされたハワイ島マグネット
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次の日、修理がなされたそら色のマグネットが所定の位置に貼ってあった(右上)
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2026年5月23日 (土)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」サンフランシスコからナパバレー・ワイントレイン、モントレー・カーメルへ

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ゴールデンゲ―トブリッジを早朝くぐりサンフランシスコに入港


クルーズ第25日目の5月17日日曜日、飛鳥Ⅱは早朝サンフランシスコ湾口のゴールデンゲートブリッジにさしかかった。我々も飛鳥Ⅱでは3度目のサンフランシスコだ。過去2回は雨や霧の中だったが、今回は一転カリフォルニア・ブルーの青空の下での入港である。入港を控え、本船デッキを散策しながら、思わずアルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」を口ずさみたくなったが、考えてみればこの曲は原題が ”It never rains in southen California” であった。サンフランシスコは北カリフォルニアにあって、ロスなどがある南カリフォルニアとは対立気味であり、北カリフォルニア州として独立したい住民も多いそうだから、ここで口ずさむのはロイ・オービソンの ”Carifornia Blue" にした。そういえばお馴染みの歌 ”Carifornia here I come" には "Open up your golden gate"と歌詞があり、かつて移住してきた開拓民や一攫千金の金鉱堀にとって、この湾はさぞ希望の海に見えたことだろう。そんな歌心が湧きおこるような入港風景だった。

 

今回はオーバーナイトで飛鳥Ⅱはサンフランシスコに2日間停泊するため、両日とも船のツアーに参加することにした。第一日目は「ナパバレー・ワイントレイン 美食とワインの旅」である。昨年、世界一周クルーズで当地に来てナパのワイナリー「ケンゾーエステート」を訪れ、帰路この鉄道のナパ駅に立ち寄った際に、「この列車もいいね」と妻と話した鉄道であった。このワイントレインは、もともとはナパ・バレー鉄道として開業、一時は大サザーン・パシフィック鉄道(SP)の傘下にあり、SP時代の古い車両が、ところどころ線路際に留置されていた。ナパ駅からセントヘレナ駅まで片道29キロで、往復58キロを最高時速30キロほどのスピードで3時間かけて列車は運転されている。電源用の発電機を積んだ貨車のほかディーゼル機関車に牽かれた7両ほどの客車は、3軸ボギー台車を履いた1910年代製造のプルマン社製で、用途に応じて各車ごとに車内が改造されていた。保線作業がほとんどなされていないようなガタゴトの軌道を列車は進んでセントヘレナに到着。ここで機関車を反対側の先頭に付け替え、同じ帰り路を辿るという運用である。食事はいわゆるアメリカのランチョンで、料理も熱々でなかなかの味。歓迎のスパークリング以外は、沿線のワインを各自が選ぶスタイル(有料)とあって、我々も沿線のCharles Krugと云うワイナリーのソーヴィ二オン・ブランを一本購入し(税込み48ドルほど)、移り行く車窓の景色ととに昼食を楽しむことができた。

 

快晴に恵まれた翌日は「モントレー・カーメル一日観光」に参加した。風光明媚なこの地に、かつて出張のついでに訪れたことがあったが、30年ぶりに夫婦で、しかも飛鳥Ⅱで来ることができたとは嬉しいかぎりだ。モントレーは有名なジャズフェスティバルの開催地であり、お隣カーメルはかのクリント・イーストウッドが市長を務めた町で多くの芸術家や有名人も邸宅を構えている。隣接のペブルビーチ・ゴルフリンクスは全米オープンが幾度も開かれた有名なゴルフ場とあって、このあたりは高級リゾートとしてつとに知られている地域である。ただサンフランシスコの町から、モントレー・カーメルまでは200キロほど離れているため、片道2時間半のバス旅、その上モントレーでは、シーフードで有名な高級レストランで2時間かかるランチが出たとあって、スケジュールはかなりタイトであった。もっとも往復のバス車中では現地に40年在住する日本人の男性ガイドにより、この地の気候や歴史、名産品などの案内をたっぷり聞くことができてとても興味深いツアーとなった。車窓からは懐かしいアメリカのスーパーや小売店、飲食店のサインを望めたかと思うと、ハンバーガー片手に運転するクルマもあって、いかにもアメリカに来たという実感に浸ることが出来た一日だった。

ナパバレー・ワイントレインの車中
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モントレ―のフィッシャーマンズワーフ
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2026年5月21日 (木)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」 シアトルの寄港日

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飛鳥Ⅱはシアトル港ピア66に初入港

カナダのビクトリアに寄港し、飛鳥Ⅱクルーズ22日目は初のシアトル港ピア66に入港である。シアトル入港後、かつて事務所が入っていたダウンタウンの高層ビルに、ピア66から歩いて行ってみると、ビルの外壁はブラウンからブラックにきれいに塗りなおされていた。ダウンタウン近辺では、あのビルに三菱商事、こちらのビルには日本製紙、あのビルには東京銀行があったなどと懐かしい建物の一階ロビーを巡ってみたが、かつては自由に出入りできたエレベーターホールは、今はどこもセキュリティゲートが設けられていた。日本でもそうだが、この30年で人を犯罪人扱いにするかの嫌な時代になったものである。あの頃はまだバブル景気の直後とあって、さして仕事もない日本の多くの企業がアメリカに事務所を構えていた。シアトルには倒産した拓銀などもいたが、「いやあ大したビジネスもないんですよね」と、ダウンタウンの日本メシ屋で駐在員同士で情報を交換したものだった。今、後輩たちの海外勤務と云えば、シナやインドの現法が中心で、そこではみな本当に働かされているようでご苦労さまなことだ。当時はアメリカの物価はだいたい日本の半分くらいで、何を買っても安いと思っていたから世の中変わったものである。思えば本当に良い時代の駐在であった。


「あ、よく呑んだあの日本メシ屋がまだ残っているんだ」などとむかし懐かしい看板を見ながら午前中は街歩きである。その後一旦飛鳥Ⅱに戻って服を着替え、かつて昼休みによくジョギングした海岸べりの道を妻と二人で走ることにした。まずは船の舷門を出て北に向かい、シアトル港のもう一つの客船用のターミナル(ピア90と91)で折り返し、今度は南に向かってイチローも活躍したマリナーズの野球場(現 T- MOBILE PARK)や日本人街、とくにお世話になった日本食材のスーパー宇和島屋や紀伊国屋書店に走りつつ立ち寄ってみた。帰り道はちょっと小高い丘の上にある大聖堂までジョギングして回ったが、なんと云っても土地鑑があるため足どりも軽くなる。走りながら、海岸べりを走るディーゼル機関車の”ファウン、フアウン”という独特の警笛音を聞くと、本当にこの地を再訪したのだと実感が湧いてきた。我が家そのもののとなった飛鳥Ⅱから一歩足を踏み出せば、時空を超えてシアトルの世界、思い出の地に入っていくのだからクルーズとは不思議なものだ。スマホの地図で計ったところ、この日はウオークで5キロ、ジョギングでは計15キロも走っており、今クルーズでは最高の走行距離となった。やはり慣れ親しんだ町は勝手が分かって動きやすい。


もっとも夕方4時には船に戻らなくてはいけないため、もっと訪れてみたいと思っていた場所には行けずじまいであった。特に近年開通した SOUND TRANSIT と呼ばれる郊外電車に乗る時間がなかったのは残念だった。あの頃 「やがてここには電車が走ることになるのだが、それは一体いつの事になるのやら、生きているうちに開通するか?」とアメリカ人たちが話していたが、それがとうとう実現したのである。とはいうものの、シアトルの街並みそのものは昔とさして変わらないように感じる。この30年で高層ビルは東京の方がアメリカの大都市より林立するようになり、一方でシアトルでは立ち退きが遅れたのか疲弊したような一画がダウンタウンそこかしこに目立つ。このブログに何度も記したように、外国に来てみると、日本のGDP統計はどうも他国と計算方法が違って、かなり厳しめに算定しているような気がしてならない。シナの云われる経済成長率5%は真っ赤なウソであるのは広く知られた通りだが(実際は2%前後とか)、日本は円安の影響は大きいものの、経済成長率が1%前後(名目成長率は4%台)とする政府発表は、どうも実際より低すぎるというのがシアトルでも率直に感じるところである。

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坂道だらけのシアトルダウンタウン、かつての事務所の脇で

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ピア90/91に停泊中の"QUEEN ELIZABETH"に向かってジョギング、計15キロ

2026年5月14日 (木)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」アラスカ各港とシアトル入港

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スキャッグウェイ 砂金すくい体験ツアー

東南アラスカの旅は、ジュノー、スキャッグウエイ、ケチカンとお馴染みの寄港地が続いた。ただ当然のことながら、同じ港に何度来てもまた新たな発見があるものだ。ジュノーではロシア正教会を見たあと、足の向くまま坂道をずんずん分け入ってみると、やがてゴールドクリーク渓谷沿いの田舎道にさしかかった。緩やかな登り勾配の砂利道を3キロほど歩いて行くと、次第に屏風のような絶壁から落ちる滝が目の前に迫ってきて迫力満点である。途中には本格的なトレイルの入口もあって山道に踏み入れることもできたが、それなりの登山靴が必要なようでそれは断念する。足を挫いたり怪我でもしたらクルーズどころではなくなる。スキャッグウエイでは、本船から出た犬ぞりキャンプと砂金すくいのツアーに参加。滅多にみることのできない犬ぞりの訓練場所や、ゴールドラッシュ時代の体験学習は日本では味わえないものだった。


アラスカで四港目、ケチカンまで緯度が下がると、肌に冷たい空気も徐々に穏やかなものに変わっていった。ここまでは寒さや雨で港についても陸上にジョギングに出かけなかったが、このクルーズ初めて上陸してのジョギングをトライする。飛鳥Ⅱなら一周440米の天然チーク張りのデッキを走れるし、フィットネスの器具も一通り整備されているものの、やはり草の匂いを嗅ぎ、道端のタンポポを眺めながらオカの上を走るのが一番だ。観光名所を走って巡るうち、港のそばのCREEK STREETに女性の名前の古い建物が残っている場所に出てきた。DOLLY'S HOUSEと記された木造建物の入り口にある案内版によると、この辺りはRED LIGHT DISTRCTとそのものずばりの「赤線地帯」で、この女性は売春宿の有名な主人だったそうだ。クルーズ船の観光客で賑わう港そばの一画は、かつてはゴールドラッシュや北洋の漁業で一山あげに来た荒くれ男どもが闊歩する町であったことを今に偲ばせる場所だった。どこに行ってもSeeing is believingだ。

 

明日はシアトルで飛鳥Ⅱにとっては初寄港の地となる。シアトルのダウンタウンはエリオット湾を望む坂の町である。1990年代シアトルの事務所に勤務していた時代、毎朝、海に向かって急坂を運転して下りていく際に、フロントガラス越しに日本郵船のコンテナ船が入港する光景をよく目にした。白地に赤の二引きのファンネルマークが朝陽に映えて、日本の船が入港してきたと心が躍ったものだった。あれから30年、そのシアトル港に赤の二引ファンネルのクルーズ船に乗って海から入って行くのは感慨深いものがある。当時勤めていた会社では執行役員くらいにはなるつもりだったが、サラリーマンの常で、いろいろあって出向先で役職定年の身となり、もはやこれまでと早期退職。なぜだか同業他社に誘われて、今もその関係でリモートで仕事をしながらクルーズ船に乗っている。明日シアトルに入港すると思うと、この30年間にあった色々な仕事の思い出が胸に湧きおこる。

 

ケチカン ドリーの家
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2026年5月 8日 (金)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」 コディアックとアラスカ氷河クルーズ

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コディアックの町 自然保護ビジターセンター前のグリズリーベア像

 

アラスカ州のコディアック島には初めてやって来た。人口6千人のこの島の主な産業は水産業だが、コーストガードの関係者も多数住んでいるそうだ。辺境の島である。飛鳥Ⅱが着いた岸壁の一角にはカニ獲り用の金属籠が積まれ、岸壁からコディアックの街まで歩いておよそ10分ほどの道路わきには、水産物を出荷する冷蔵コンテナが多数置かれており、いかにも漁業の地という風情である。ここに到着するまで一週間以上、飛鳥Ⅱは霧の中、雨もようの寒い海を渡ってきたが、コディアック島はさすがに合衆国ではハワイ島に次ぐ2番目に大きな島だけあって、上陸してみれば頬をなでる空気も陸地の穏やかなものになる。アルティーク博物館で聞いたところ、コディアックの港には3月から11月までの間にクルーズ船が30隻ほど寄港するそうだが、クルーズ船のシャトルバスやツアーバスには子供たちを送迎する現地の黄色いスクールバスが使われていた。この町には歴史博物館や自然保護ビジタセンターなども整い、これからの産業振興のためにも、クルーズ船の寄港に期待を寄せているようだ。


翌日、飛鳥Ⅱはプリンス・ウイリアム・サウンド(入り江)に入った。このクルーズの目玉の一つ、グレイシャー(氷河)観光である。シアトルやバンクーバー発着の1週間程度のアラスカ・クルーズ(ラウンドのクルーズ)では、氷河見物は1回のみのケースが多いが、さすが飛鳥Ⅱだけあって、あまりクルーズ船が行かないカレッジフィヨルドとハバード氷河の2つの氷河を今回いっぺんに見ることができた。プリンス・ウイリアム・サウンドと聞けば思い出すのは1989年に起きた巨大タンカー"エクソン・バルデッツ号事件である。20万トンのアラスカ原油をバルデッツ港( この入り江の別の奥部)で積み込み、カリフォルニアに向かう同号が航路を離れて座礁、船体の破孔から4万トンもの原油が流れ出した油濁事故は大変衝撃的で当時は広く世界に報道された。事故の原因は船長の飲酒、当直航海士の不適切操船、計器の故障などが挙げられるが、これを契機に油濁汚染に関して法律や保険、船体要件など多くの対策がとられることになった。事故の起きた海域のすぐ近くを飛鳥Ⅱが航行したのも何かの縁、現場の北緯60度50分、西経146度40分に数マイルの距離に接近した際には双眼鏡を手に往時の混乱ぶりに思いを巡らした。


アラスカクルーズに来たのはこれで3回目である。フライ・アンド・クルーズで最初に来たのが2008年夏であった。この頃は日本では今ほどクルーズが旅行形態として注目されていなかった時代である。バンクーバーからセレブリティ・クルーズのマーキュリー号に乗って7泊、今回訪れたハバード氷河を見る行程の料金がスイートルーム使用で一人約3000ドルであった。当時の為替が100円強だったから、一晩4万円ほどでバトラー着きの広いキャビンに乗ることができた。そのころはまだ出張の多い仕事をしていたので、夫婦2人分の飛行機代はマイレージ利用とあって、今から思えば随分とリーズナブルに海外クルーズを楽しめたことになる。それでもマーキュリー号の2千人ほどの乗客の中で、日本人は我々ただ2人。当時ダイニングは指定席だったので、インド人のバトラーに「英語で社交しながらのメシはあまり食べたくないので、できれば2人だけのテーブルを用意してほしい」と伝えてのクルーズだった。あれから18年、いたれりつくせり飛鳥Ⅱでの訪問である。世界広しと云えども、露天風呂に浸かりながら氷の漂う氷河の海面を見下ろすことができるのは、日本のクルーズ船ならではと、つくづく有難く感じながらの旅である。

 

エクソン・バルデッツ号事故の至近海域でバルデッツに向かわずカレッジフィヨルドに向け針路変更
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ハバード氷河の前にて
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2026年5月 4日 (月)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」コディアックまで1日半、最長無寄港区間が間もなく終了

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飛鳥Ⅱより3日遅く釧路を出てコディアックには1日早着する懐かしのウエステルダム号(2010年英国周遊クルーズで乗船)が抜き去って行く

 

横浜港を出港して11日目、飛鳥Ⅱはベーリング海からユニマック海峡を抜けて北太平洋に戻って来た。このクルーズ初の寄港地であるアラスカのコディアック港には、出港から第13日目の5月5日にようやく到着する。時差調整があるにせよ、初っ端からまる11日間に亘って連続航海日というのはかなり思い切った長さである。このクルーズでは、もちろん最長の連続航海区間だ。改めてこれまで過去に乗船した飛鳥Ⅱの記録を調べてみると、我々にとって最も長い無寄港は、2025年の世界一周クルーズのシンガポールからレユニオンまでと、ウォルビスベイからテネリフェまでの洋上で、なか9日間であった。よって今回は無寄港乗船区間としては最も長い記録である。かつて九州からアラスカのアンカレッジまで、セメントを輸送していた船は、燃料消費量を抑えるための減速航行で13日を標準としていたから、荷物を満載して運航する船足の遅いバラ積貨物船と同じくらい、飛鳥Ⅱはのんびりと走っている。

 

この間、5月2日にユニマック海峡近くに来るまでは、陸地や島の影はほとんど見えず、行き交う船も滅多に通りかからない海域を飛鳥Ⅱは航行してきた。深い霧に閉ざされた北の海を見ていると、えらく遠いところへ来てしまったとの思いが胸に迫って来た。無寄港区間を調べるうちに、総じて飛鳥Ⅱのロングクルーズは、最近ゆったりとしたスケジュールになっていることに気が付いた。世界一周クルーズで見れば、2011年には大西洋横断のスケジュールが7日間であったのに対して昨年2025年は8日かけ、ハワイから横浜までの日数も往時は7日であったのが昨年は8日になっていた。乗っている客は時間に追われる人達でないので、燃料油が高騰したためエンジンをフルに回さずゆっくり走ってコスト削減を図っているであろう。しかし今回は飛鳥Ⅱの初乗船者が100名弱もいるそうだから、彼らは、この11日間がやや冗長だと感じているのではなかろうか。

 

事実、横浜を飛鳥Ⅱより2日遅い4月26日に出港し、途中に釧路港にも寄港しているホーランド・アメリカラインのウエステルダム号が、昨日あっさりと飛鳥Ⅱの左舷を抜き去っていった。この船は飛鳥Ⅱより一日早い5月4日に同じ目的地のコディアックに到着するが、こうしてみると旅の標準、クルーズ船の通常の感覚からすれば、この区間は10日弱で航走するのが妥当なのであろう。もっともここではゆっくり走る分、船内のエンターテイメントクルーたちは乗客を飽きさせないように諸プログラムに工夫を凝らしており、本日はプールサイドで「氷でツルツル運動会」なる催しものが開催されていた。参加しなかったが、何でも氷を使ったゲームで乗客を楽しませる催しだったそうだ。社交ダンス教室も、午前の初心者クラスは毎回100名以上と全乗客の5分の1もの参加者を集め、午後の経験者クラスも50名弱と大盛況で、無寄港日ばかりの日程とあって、用意されたダンスのカリキュラムは順調すぎるほどに進展している。ということで、次々と進んでしまうダンス教室を消化するのにとても忙しい。

 

12~13ノットと満載バラ積船並みにゆったり航海の飛鳥Ⅱ航跡図
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2026年4月30日 (木)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」キスカ島

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クルーズは7日目となる。現在、緯度は50度近辺、カムチャッカ半島を超えアリューシャン列島沿いに飛鳥Ⅱはゆっくり東に向かって航海を続けている。本船の前方遠く、目には見えぬがそこにはキスカ島がある。太平洋を船で旅すると、我らの親たちの代が、80有余年前にこの海でアメリカと雌雄を決したことを考えずにはいられない。朝起き抜けに体をほぐそうとデッキを歩いていると、口からついて出るのは「♪ 朝だ夜明けだ、潮(うしお)の息吹、うんと吸い込むあかがね色の、胸に若さのみなぎる誇り、海の男だ艦隊勤務、月、月、火、水、木、金、金🎵」(月月火水木金金)である。日によっては「♪見よ、東海の空あけて、旭日(きょくじつ)高く輝けば、天地の生気はつらつと希望は踊る大八洲(おおやしま)、おお晴朗(せいろう)の朝雲に、聳(そび)ゆる冨士の姿こそ、金甌無缺(きんおうむけつ) 搖ゆるぎなき、我がにつぽんの 誇りなれ🎵」(愛国行進曲)だったりする。


昨日までの3日間、飛鳥Ⅱは深い霧の中、北の海を航行してきた。この立ち込める霧で思いおこすのは、旧帝国陸海軍のキスカ島撤退作戦のことであった。撤退のその日も、この海域は同じような天候だっただろうと往時に思いをはせる。キスカ島と隣のアッツ島に日本軍の守備隊が上陸したのは、昭和17年6月6日のことである。時を同じくして南の海域ではミッドウエイ海戦が日米の機動部隊で繰り広げられていることから、二つの島の占領は「ミッドウエイの陽動作戦」だったと云われる。しかしミッドウエイで圧倒的な勝利を得て、太平洋の制海権を握った米軍は、米国領土を日本軍に制圧されたことを決して許さなかった。反撃に出た米軍により翌昭和18年5月末にはアッツ島の守備隊が玉砕し、次はキスカ島で直ぐにでも米軍の上陸作戦が必至とされた矢先に、島の守備隊に大本営から撤退命令が下ったのである。


とはいえ、キスカ島はすでに米国の戦艦や巡洋艦で包囲されていた。これから島に上陸せんする米軍3万余の将兵が待ち構える中での、守備隊の撤収は困難を極め、作戦は幾度か失敗している。任務にあたる第五艦隊の気象士官の涙ぐましい努力によって、7月29日は深い霧が発生することが固いと予測した日本軍は、巡洋艦や駆逐艦からなる8隻をキスカ島に向かわせ、最後に霧に紛れて同日5000余名の将兵をかろうじて島から救出することに成功したのである。その経緯は、「キスカ島の奇跡」として知られるとおりである。敵前でごく短時間のうちに撤収に成功した艦隊の物語は、戦後映画になったほか、最近では評判の松岡圭祐の小説『八月十五日に吹く風』にも詳しい。もぬけの殻になった島に上陸した米軍は、まさか敵がいないとは予想だにせず、同士撃ちによって多くの死傷者を出したという。深い霧に囲まれたこの海を進むにつけ、クルーズ船は、いろいろな戦史に思いをはせる機会を与えてくれるものだと思うのである。

船外は小雪舞う北太平洋 キスカ島南方
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2026年4月28日 (火)

飛鳥Ⅱ2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」太平洋東航横断

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4月25日夕刻 早くも僅かながらグリーンフラッシュを見る

今回の乗船客は約550名、それに対して総勢約520名のクルーが対応してくれるからその比率はほぼ1対1となる。世界にあまたあるクルーズ船の中でも、これは豪華ラグジュアリー船としてカテゴライズされる割合である。この航海の乗客の平均年齢は74歳だそうで、ちょうど私くらいの年齢が全体の真ん中ということになる。初めてのロングクルーズ乗船は十余年前、かつては若造と思われるかと虚勢を張り気味だったが、それも今はむかしの物語となった。ここでも女性客の方が人数的に多いのがクルーズあるあるで、ざっと見たところ女性は6割ほどでシングルの乗船者も多い。見れば女性同士の話の輪が船内そこかしこで広がり、相変わらずダンス会場では男性が数少なく華やかな衣裳のご婦人方が目に付く。


横浜を出て今日で5日目。4月における北太平洋の高緯度海域はまだまだ荒天、シケになる日も多いのだが、皆の心がけが良いのか初日の夜以外はこれまでのところ揺れもほとんどなく、いたって平穏な航海が続いている。海外クルーズとなると時差調整がつきもので、東に向かって北米大陸に向かう際は毎日船内の時計を1時間づつ進め、一日が23時間になる日を数日作って目的地の標準時間と合わせることになる。飛鳥Ⅱではこれまで皆が就寝中の午前2時に時刻改正をするのが常だったが、この航海では昼間の午後2時に時刻が変わる方式になった。本船では初の試みである。退役した「ぱしふぃっくびいなす」の東進も昼間の時刻改正だったそうだから、どうやら「ぱしび」から移って来たクルーの発案らしい。各船の良いところを持ち合って工夫するとは喜ばしいことだ。


飛鳥Ⅱの45日ほどの『グランドクルーズ』に今回初めて乗船して感じたことがある。船内の雰囲気が予想していたより明るいことである。「100日を超える世界一周にはもう乗れないが、グランドクルーズならまだ乗れる」と、こちらの方が高齢者の人数が多くなることを聞いたことがあったが、どうしてどうして、皆さん見ていると元気な姿が目立つ。午前中の初心者向けダンス教室も、午後の経験者向け教室もこれまでにない参加人数だし、フィットネスクラブでは筋トレで重いバーべルやマシンに挑む女性もいる。現役を引退したばかりに見えるカップルも世界一周クルーズより多そうだし、個性派も目立ち、これから我々より若い世代とも船内で交流できそうだ。飛鳥Ⅱはアラスカに向かって、貨物船程度の時速13ノットで霧の中をゆったり航走している。

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