「個人では行きにくい中国地方の名所を一度にめぐる 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅 4日間」瑠璃光寺五重塔と秋吉台、萩 ”おいでませ山口へ!”
石見銀山や宮島などいわゆる有名観光地だけでなく、知る人ぞ知るという名所に連れて行ってくれるのも団体ツアー旅行の楽しみである。宮島から萩への道中、我々のバスは山口市内にある瑠璃光寺の五重塔脇に停車した。山口を中心に西国で勢力を誇った守護・戦国大名の大内氏11代目、大内盛見(もりはる)が1422年に建立した建物である。盛見の兄である大内義弘(よしひろ)は、時の最高権力者だった足利義満(よしみつ)に対して挙兵したものの、むなしく敗走して死を迎えたそうで、その兄の菩提を弔うために大内盛見が建てた塔とのことだ。バスから降りて眼前に見る五重塔の優雅に伸びた屋根は檜皮葺で、青空を背にすっくと立った建物と周囲の木々、背景の山の緑が調和して何とも言えぬ美しい光景である。それもそのはず、「大内文化」の最高傑作とされるこの瑠璃光寺五重塔は奈良の法隆寺、京都の醍醐寺の五重塔と並んで日本の三名塔と云われれているそうだ。私のような重工業に関連するビジネスの出身者にとっては、山口県と云えば山陽地方の徳山や防府、小野田、下関などの工業地帯であり、「大内文化」なる言葉に代表される内陸の山口市などはこれまで訪ねる機会がまったくなかった。優雅な五重塔を見るうち「おいでませ山口へ」というキャンペーンフレーズを思い出し、日本中まだまだ知らない場所だらけであることを改めて思い知るのであった。
美しの五重の塔で心を洗われた後は、特別天然記念物の秋吉台へとバスは進んだ。見渡す限りの草原に白い石灰の岩があちこち顔をのぞかせる日本最大のカルスト台地である。この雄大な景観を形造っている石灰岩は、およそ3億5千万年前に南方の海にサンゴ礁として誕生し、長い年月をかけて移動した後に、この地でカルスト台地を形成したと草原を前にしたジオパークセンター内の説明版に解説がある。実は昭和30年代に父の転勤で北九州・門司港に住んでいた頃に、ここには家族で来たことがあったが、あの頃、門司からどうやって来たのか記憶が定かでない。ただ、あれから60有余年を経て再訪がかなってみると、久しぶりにやって来たカルスト台地を前に、その後の人生いろいろな出来事があったものだという思いが胸をつく。あいにくの寒波に日本中が覆われた週末とあって、雪こそなかったものの寒風が吹き抜ける台地である。かつて家族で歩いたであろう遊歩道を少し歩いて記憶を蘇らせようかと思ったが、あまりの風の冷たさに、そこそこに暖かいバスの車内に駆け戻った秋吉台であった。
この旅の最後の訪問地は萩であった。世田谷に住んでいた子供の頃から、玉電・若林にある松陰神社が身近な存在だったので吉田松陰という名前にはとても親近感があった。その吉田松陰、高杉晋作、木戸孝充、山県有朋など明治維新で活躍した傑物が、萩という人口五万人にも満たない小さな町から出たことに興味があり、いつか行ってみたいと思う場所であった。萩は大内氏に代わった毛利氏の長州36万石の城下町で、「大内文化」の伝統を底流に、長州藩の藩校である明倫館の教育によって有能な人材を輩出し、彼らが時代のリーダーとなり明治維新で活躍したのである。旅の最終日、4日目の午前中は、萩の小ぢんまりした武家屋敷エリアを2時間ほど散策し、高杉晋作、木戸孝充などの生家を見て回ることができた。激動の時代に国を支えた人たちが、この小さな一画から多数出たということが信じられないような静謐な武家屋敷街であった。惜しむらくはここで地元のガイドの案内を聞ければ、明倫館の教育のことなども詳しく聞けたのだろうが、そこは団体旅行ということですべてを望むのは無理というもの。ただこれで島根県の西部や山口県の日本海側の土地鑑も大分ついたので、また機会があったら是非訪れてみたいと思いつつ帰路についた。(了)

























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