メンデルスゾーン「バイオリン協奏曲」恐ろしや
風邪が大はやりのこの時期である。毎週通っているダンス教室の新年ダンスパーティも、主催者側がインフルエンザの罹患者多数で中止になってしまった。そんな折りだが、東京フィルが年に4回「響きの森クラシック・シリーズ」として文京シビックセンターで演奏する、フレッシュ名曲コンサートに義妹から誘われた。フレッシュ名曲コンサートとは「新春に相応しい名曲」を「フレッシュな指揮者やソリスト」(パンフレットの解説)で奏でるコンサートで、ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の声」、メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」にドヴォルザークの「チェロ協奏曲」がこの日のプログラムである。新年とあって「春の声」も良いし、その次の2つの協奏曲を演奏するソリストたちは将来を嘱望される新進気鋭の若者たちだそうで、久しぶりのクラシック生演奏が楽しみであった。
コンサートに先立ち、自分自身は年末から鼻やのどがぐしゅぐしゅしているのがちょっと気にかかっていたが、熱も出なかったし、咳もほとんどなかったので、当日は躊躇なく出かけることにした。ただシーンと静まり返るホールでクラシック音楽を真剣に聴いている時に限って、のどがムズムズして咳払いをしたくなるのは、多くの音楽ファンの ”あるある”ではなかろうか。特に冬の寒い時には空気が乾燥していることもあって、喉が余計いがらっぱいものである。フルオーケストラの大きな音の最中に「コホン」と一つ軽く咳を紛らわすくらいで済めばよいが、それがきっかけとなって咳が止まらなくなるのは廻りに迷惑になるし、まるでウィルスを会場にまき散らすようで迷惑この上ない。簡単に咳が出来ない状況になればなるほど、普段なら気づかないぐらいの小さな喉の違和感が気になってしまうのが、人間の不条理なところである。
コンチェルトはソリストと聴衆の真剣勝負の場だとも云える。繊細なバイオリンやチェロのソロ演奏時に、大きな咳をするのは憚れるので、当日はのど飴と口を潤すペットペットボトル持参で開演を待つことにした。ウインナ・ワルツ「春の声」に続き、いよいよこの日2曲目のメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲が始まった。誰もが知るお馴染みの主題や第2主題の展開に続き、佳境、ソリストの技の見せ所でもあるカデンツァに演奏が入るのだが、場内が息をのんで新進のバイオリニストの技巧に聴き入るあたり、ふと我に返るとむずむずと喉がかゆくなり始めた。このかゆみ、繊細な見せ場の場面で起きがち、そして一旦意識すればするほど気になるものだ。さぁ困った、ここはペットボトルの水で喉をうるおすか、はたまたのど飴を取り出すかとも思うも、わりと長めのカデンツァが奏でられるなか、シーンと静まり返る客席とあってガサゴソと手許を確かめるのもちょっと気がひける。
暫くすると、ムズムズ感もそう大したことがなさそうで、第一楽章終了までは何とか堪えられそうだと思い直し、楽章の切れ目で大きなカラ咳をしてノドを鎮めようと方針を転換することにした。そうこうするうち第一楽章はエンディングを迎え、さあ咳を遠慮なく盛大に放とうと構えていると、なんとこのコンチェルトはそのまま第二楽章に突入していくではないか。今まで同じ曲を他のコンサートでも聞いたこともあったが、その時は喉の違和感もなかったから、切れ目など一切気に留めなかったのが不覚だった。さすがメンデルスゾーンが苦労して書き上げた協奏曲だけあって、この曲は随所に他とは違った工夫が凝らされており、第二楽章と第三楽章も途切れずに、三つの楽章はすべて連続して演奏される形式だったとは目からウロコ。ただ終わるかと思った第一楽章で指揮者が身体の動きを止めず、木管楽器がすぐさま次を始めるのを呆気に取られて見ているうちに、いつしか喉の不快感もすっかり忘れて、気が付けばゆったりとした抒情的な第二楽章のメロディーに没入していたのであった。冬場のクラシック音楽会はいろいろと気を遣うものだ。
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