カテゴリー「スポーツ」の記事

2026年4月 6日 (月)

第59回東京六大学陸上競技大会 観戦

20260406

注目の早大 大型新人 新妻遥己(西脇工業)が優勝した男子5000米

第59回東京六大学陸上競技大会が横浜市の慶應義塾日吉競技場で行われ日曜日は応援に行ってきた。今シーズンの開幕公式競技会である。各校の選手達が冬季練習を終えてどのように成長したのか、早稲田大学に入った注目の長距離新入生陣などが出場するのか観戦への興味は尽きない。ただ最近は、陸上競技にせよ、野球、ラグビーにしろ、学生スポーツを見る際は試合結果だけではなく、孫のような世代となった選手達がスポーツに打ち込み、全身全霊を傾けて競技に挑む姿そのものを見るのが楽しみになってきた。また全国から集まったアスリートに伍して、最難関入学校である東大の選手達がどう奮闘して大会を盛り上げるかを見るのも、この大会でちょっと注目しているポイントである。アマチュアスポーツが高度に専門化するにしたがい、逆に東大の活躍は気になるものだ。などと思いつつ、気温が20度超えとやや暑いほどのコンディションの中、周囲にまだ桜の花が残る日吉のグランドで、出場する各校の選手たちに声援を送った。


今年で大会は59回となるが、我々が現役だった50数年前は、この大会がうぶ声を上げたばかりの頃であった。当時は原宿の織田フィ―ルドなどの会場で選手と東京陸協などの関係者が集まるだけの、応援する人もいないような大会だったが、昨日は6校の応援団やブラスバンドも入って競技場は大いに賑わっていた。応援団以外にも大会に寄せる歌なるものを演奏するバンドや、選手を盛り上げる子供たち(エスコートキッズ)の応援、さらに優勝者インタビューが行われるなど、ショーアップされた企画は手作りの時代を知る者にとっては隔世の感がする。なんでも「一般社団法人東京六大学陸上競技倶楽部」が組織され、大会がこの法人によって開催されるようになったために、スポンサー企業の協賛も得られ、このような盛り上げ方が出来るようになったのだそうだ。かつては陸上の試合といえば「純粋に体育が好き」とか「走ったり跳んだりが好き」系のジャージ姿が似合うオタク的関係者が目立ったが、我々の世代からすれば、その時代が懐かしく思えるほどの大会の盛り上がりである。


華やかになったと云えば、陸上に限らず、最近の学生スポーツの試合会場に足を運ぶと感じるのは、選手の父兄、特に母親の応援が多いことだ。かつて我々が現役だった時代は、高度成長期とあって親世代に余裕などなく、子供たちが勝手に駆けっこしている程度に考える親が多かった。試合会場に選手の母親でも来れば「おい、お前んとこママがまた見に来ているぜ、気持ちワルー」と皆でからかったものである。インターハイに出場したような選手も、親が応援に来ることはほとんどなかったと記憶しているが、最近は母親らしき黄色い声援が観客席からよく聞こえる。両親の世代が子供の成長にじっくり付き合えるようになったのは、正に平和な日本、豊かで成熟した時代になった証であろう。また以前、この大会は男子だけだったが、近年は女子の部があるのも時代の流れである。周囲を見回せば、観客席では我々同期がどうやら最長老グループになっているようだ。いまや立派に改装され近代的な競技場になったが、かつて青春時代に汗を流した場所で、50有余年を経て後輩達の奮闘を見ると、ほんの僅かなりとも今に繋がる伝統の一コマになれて良かったとしみじみ思う。と共に老境の身となっても戻って来る場所があるのはとても幸せなことだと感じる試合観戦である。

2025年12月28日 (日)

慶応義塾志木高等学校蹴球部 祝・ラグビー花園 初陣を飾る

20251228
花園ラグビー場 第三グラウンド 暖かい日差しの下でお馴染みタイガージャージの試合 

正月休みに入った。慶応競走部の後輩たちは箱根駅伝出場からもう何十年も遠ざかっているので、正月の楽しみと云えばラグビーの大学選手権だったが、最近は大学の蹴球部(ラグビー)も秋の対抗戦グループでは4位から5位で、かろうじて大学選手権に出場がかなう程度の成績にとどまっている。なんとか出られた今年の大学選手権も先日、緒戦で京産大に敗れてしまい、我々塾員(慶応義塾の卒業生)にはつまらない正月になるかと思ったら、慶應義塾志木高校の蹴球部が創部68年目にして初めて大阪・花園の全国高等学校ラグビーフットボール大会に埼玉県代表で出場することになった。神奈川県の慶應義塾高校の方は、過去に全国優勝の経験もあり、県代表として何度も花園に出場したことがあるが、最近は桐蔭学園や東海大相模などの強豪校がひしめく予選で敗れている。そんな中、特段スポーツに力を入れていない志木高が、今年は105回の記念大会で埼玉県の代表枠が2校に広がったとは云え、予選を勝ち抜いて花園出場の切符を掴んだのは快挙である。


慶応義塾志木高校は1948年にもともとは農業高校として開校した高校である。池袋駅から約20分、東武東上線の志木駅前に広がる校地は開校当時は5万坪もあり、校内で栽培された柿は銀座の千疋屋フルーツ店に納品されたほどの特産品であった。1957年に普通高校に転換した後は、神奈川県の日吉にある慶応義塾高校と同じく、退学にならない限りは、卒業生全員が慶応義塾大学の各学部に推薦入学できる塾内一貫教育校である。ただし普通部(日吉)、中等部(三田)などの中学から上がってきた生徒は、ほとんどが慶応義塾高校に進むため、志木高はかつては外部からの入学者がほとんどだったが、最近は普通部や中等部からの内部進学者も増えているらしい。2000人を超える生徒が在籍するマスプロの慶応義塾高校に較べると、志木高は750名ほどの定員のため、24の言語を学ぶことが出来るなどユニークな教育を行っているようだが、人数の関係もありスポーツに特化した活動は行っていない。野球で見れば先年、甲子園で優勝した慶応義塾高校と違い、志木高は県予選では通常2回戦~4回戦で敗退という年が多く、その意味でも今年の蹴球部の活躍は目を見張るものがある。


という事で暇な老生、志木高出身の友人と、昨日は日帰りで東大阪市にある花園ラグビー場に第1回戦の観戦に出かけた。正月休みに入ると、「大人の休日倶楽部」の3割引き切符が使えなくなるが、年内でこれを使えるのは昨日までだったのがラッキーだ。ラグビー観戦と云えば、ことさら気を遣うのが寒さ対策となる。寒風に震えながら観覧席でじっとしていると、じっくりと試合経過を見るどころではなくなるので、スキー用手袋を着用の上、携帯カイロにブランケット、重ね着用のダウンジャケット持参で大阪入りである。初めて最寄り、近鉄奈良線の東花園駅に降り立つと、花園には3つもラグビーグランドがあり、この日は地元の常翔学園(旧・大工大高校)が出場することもあって駅近辺は大変な賑わいであった。入場券を買えば、その日行われるどのグランドの試合も出たり入ったりしながら観戦できるため、志木高の試合が行われる第3グランドの観客席に座ると、第1グランドの試合を見てからこちらへ来たなどと話す高校ラグビーファンの声が周囲から聞こえる。学校関係者でない一般のラグビー観戦者が多いのは関東ではあまり見られない光景で、105回目となるこの大会が地元・大阪ではファンの間に定着していることが分かった。ジジイどもにこんな体験をさせてくれた現役志木高の塾生諸君に感謝、感謝。


心配していた寒さ対策がまったく不要だったほどの暖かな冬の日差しの下、慶応志木高と青森山田高校の試合が2時半過ぎにキックオフ。青森山田と云えばスポーツで有名だし、ここ数年、花園に連続出場しており、メンバーにはトンガ人留学生もいるから不気味な相手である。勝つにせよ負けるにせよ接戦になるだろうと思いつつ試合展開を見守ったが、敵にしても味方にしても、グランドでプレーする選手達は孫の世代で、どの顔も溌剌として頼もしく感じる。格闘技と球技の要素を混合したのがラグビーとあって、体をぶつけあいながら青春を謳歌している若者たちの姿を眼前にすると、つい目頭が熱くなるのは、こちらが齢をとったせいだろう。試合が進むにつれ、埼玉県予選でも多用した自陣からのモール攻撃が威力を発揮、加えてフルバック大澤君の走力などで、慶応志木高は青森山田高校のデイフェンスを粉砕してトライを重ねる。終わってみれば48対12と思わぬ大差で1回戦をものにして、友人と帰りの新幹線の発車を待つ間、新大阪駅のお好み焼き屋で祝杯をあげたのだった。慶応義塾は我が国のラグビールーツ校である。志木高には願わくはこの調子で勝ち進んで欲しいが、正月の間は「大人の休日倶楽部」の割引がないので、この後は花園まで行けぬとはちょっと残念だ。そういえばJALのマイレッジがあったかなあ?

 

ラグビーの記事と云えばサンスポ (今日付)
20251228_20251228180701

2025年9月21日 (日)

世界陸上東京大会と織田裕二

202509212
TBSテレビの中継画面より

世界陸上競技選手権大会(世界陸上)が東京で開催されたので、毎晩のようにTBSの中継放送を見てしまった。TBSと云えば 「サンデーモーニング」や 「報道特集」を見るまでもなく、左に偏向した報道番組ばかりで普段はなるべく見ないようにしているのだが、「ドラマのTBS」と云われた時代の名残りか  「不適切にもほどがある!」や  「 VIVANT」など世間の耳目を集め、見る者を唸らせるようなドラマも時々放送する。二年に一度開催される世界陸上は、この局の独占中継放送なので、秋の夜長、TBSにチャンネルをあわせることにした。今年は、小池君(400米リレー)、豊田君(400米ハードル)と競走部の後輩である2人の選手が出場しているので、より一層期待が高まる。ただこれまで歴代の世界陸上の中継では、大会の顔である織田裕二のテンションが妙に高く、興を削いでいたが今回はどうだろうか。前回大会では彼がMCを外れてホッとしたが、東京では復帰とあってTVのボリュームを一段と下げての視聴であった。


彼が何故そんなにうざいのかと云えば、陸上競技を本格的に経験したわけではないのに、400米ハードルを 「ヨンパーは...」、1600米リレーを  「マイルリレー」、400米リレーを 「ヨンケイは」などと、仲間内で使う用語を連発する点にある。永年NHKのテレビやラジオで 「日本陸上競技選手権大会」などを視聴しているが、アナウンサーが400米ハードルを 「ヨンパー」と呼ぶのを聞いた記憶はない。例えて言えば、寿司屋に行って「ムラサキ!」「ギョク」「アガリ!」「オアイソ!」などの符牒を連発する客がいれば、周囲は 「”通”ぶっちゃって」と密かに笑い、店の者は内心小ばかにするであろう。同じような感覚で、彼の陸上関係者ぶった表現が、どうも私には鼻について仕方がない。あくまで彼は陸上競技ファンの立場から、それらしく 「4かける400メーターリレー」と云えば聞いている方は安心なのに、「通らしさ」が痛くて残念だ。


箱根駅伝の中継でも感じるのだが、「いまァ!ゴールしました~!!」などアナウンサーの絶叫は陸上競技の雰囲気を損ないがちである。今回も女子競技の時に喋る女子アナはやけに声が高い上に、画面を見れば誰でもわかることを実況するので、「一々喋らなくても見ればわかるよ」とついTVに言いたくなった。本来は地味な競技なのだから、やたらとドラマ仕立てにする必要はない。そういえば3000米障害決勝のゴール前で三浦選手が他の選手に押され順位を落としたシーンに、「あれは妨害だ」との声がネットで湧き上がったが、本人は「これが3000メートル障害の醍醐味であり、難しさでもあるのかなと思います」と悔しかったであろうが淡々としていた。中長距離種目のゴール前は、みな全身全霊を捧げ1センチでも前に出るために無我夢中の場所で、あの程度の接触は競技のうちである。私も高校の県大会1500米で後ろからひっかけられて転倒し、途中棄権を余儀なくされた事があった。世界陸上が盛り上がるのは結構なことだが、織田裕二のしゃべりやネットの頓珍漢な批評など、何かとトラック外がうるさい世界陸上の東京大会であった。などとテレビの前で一人喚いていたら、傍らで妻が 「あなたの方がTV見ながらキャンキャンとうるさいわよ」とのたまった。

2024年11月11日 (月)

旧友と行く慶早戦

202411111

同期の仲間が、最近はみな閑になって、様々なお誘いがあちこちからかかる。先の土曜日は高校時代の友人に誘われて、神宮球場に野球の早慶戦の応援に行ってきた。50数年ぶりに 「 昔の仲間と肩を組んで『塾歌』や『若き血』を球場で歌いたくなった」と云うのが、言い出しっぺで、今は大病院の院長を辞し悠々自適の身になった医者の友人。彼と海外勤務の長かった銀行員のもう一名と三人での野球観戦である。東京六大学野球の秋期リーグ戦も、慶応はここまで東大から挙げた勝ち点1のみで第5位と、久しぶりにBクラスに落ちたのに対し、早稲田はすでに勝ち点4を挙げて首位を走り、この早慶戦で1勝でもすれば優勝とあって、神宮球場には3万人近い観衆が詰めかけた。


慶応が今季振るわなかったのは、主戦投手・外丸君(3年前橋育英)の不調もあるが、何と言っても打撃不振のためで、チャンスを作ってもあと一本がどうしても出ない。なにせ最終週の早慶戦前までチーム打率が2割を切り、主将の本間君(4年慶応)にいたっては、4分3厘という低打率にあえいでいたくらいだ。話題の清原ジュニア(4年慶応)も、速い球で内角を攻められた後に縦の変化球などを投げられればクルっとバットが空を切り三振という場面が多く、とてもプロにすすむレベルではないとみていた。対する早稲田は甲子園でも活躍したエースの伊藤君(3年仙台育英)を擁し、吉納(4年東邦)、山縣(4年早大学院)の両君がプロ野球ドラフト会議で指名を受けるなど戦力はかなり充実している。


ただ「 早慶戦は弱い方が勝つ」というのが、昔から云われるジンクスである。ここ10年ばかりのゲームを思い出しても、慶応が『あと1勝』で優勝という場面で、早稲田に連敗して涙をのんだ場面が幾度あったことか。最近では2020年秋、9回2死から蛭間君(現・西武ライオンズ)の逆転サヨナラホームランで、優勝がポロリと慶應の手中から落ちたことが記憶に新しい。我々の頃は、早慶1回戦の土曜日には「こんな所で講義を受けてないで、今日は出欠とらないから神宮球場に行ってこい」という先生もけっこうおり、学校を挙げて応援するなかで、独特の雰囲気で行われるのが早慶戦である。そんな異様な応援を背に1勝を挙げるのは周囲が考えるほど易しい事ではないようで、今季は優勝にあと一歩の早稲田に慶応が一矢をむくいるチャンスも大とひそかに期待しつつ入場した。


試合は2年生になってようやく覚醒した左腕、渡邊君(高松商業)の好投に加え、主将・本間君の最後の奮起や4番清原君の4打数4安打、うち1本は大本塁打の大活躍でなんと9対1で慶応の快勝である。この神宮球場で学生野球を応援する良いところは、周囲に連帯感が芽生えることである。土曜日も隣に座った見ず知らずのオヤジ達グループと一緒に応援歌を歌ううち、試合が終わるころには彼らとすっかり仲良くなってしまった。隣のオヤジは「僕は86年卒なんですよ」と言うので「そうか、あの志村君の時代だね」「そうなんす」と慶應が得点を着々と揚げるに連れて会話もはずむ。「先輩の時代は?」「我々の頃は慶応三連覇で強かったよ、山下大輔知っている?」などと話しているうちに、知らない者とも百年の知己のようになっているから同窓とは不思議なものだ。


この日は久々に憎き早稲田に快勝とあって、早稲田の優勝はお預けとなり、みなで歌う「塾歌」の声もひときわ大きかったが、満員の早稲田の応援席から流れる「都の西北」も惨敗にも関わらずスタンドに声高らかに響く。塾歌も良いが、4拍子で悠揚と場内に流れる「都の西北」も素晴らしい。特に感動的なのは3番の「 あれ見よ彼処(かしこ)の常磐の森は、心のふるさと我らが母校、集り散じて人は変れど仰ぐは同じき 理想の光、いざ声揃えて 空も轟(とどろ)に我らが母校の 名をば讃えん」の歌詞で、これを暮れなずむスタンドで聞いていると、いつもジーンと目頭が熱くなる。「勝っても負けても六大学野球は素晴らしいね。特に秋の慶早戦は良い。今日は早稲田をコテンパンにやっつけてもっと気持ちいいや。いつまでもこの伝統が続いて欲しいね。」などと、表参道駅近くで3人で杯を傾けながら秋の夜長を楽しんだ。

追記:日曜日も慶応の執念に負け2連敗となった早稲田は、明日12日に同勝ち点・同勝率の明治と優勝決定戦に回ることになってしまった。

20241117

2024年9月 5日 (木)

時代の証言者 こころで走る 瀬古利彦氏

20240905

読売新聞の「 時代の証言者」 では、マラソンの瀬古利彦氏が、『 心で走る 』との題で、彼の生い立ちや競技歴を連載で寄せている。私も最近は時間ができたので慶応競走部の後輩の試合にはよく顔を出すようになったが、競技場の観客席では瀬古氏の姿を見かけることも多い。彼は早稲田大学競走部のOB会会長をつとめているにも関わらず、息子さんが慶応卒とのことで、日ごろから 「僕は慶応が好きなんですよ」と広言しつつ、試合後のOBたちの飲み会にはいつの間にか慶応側の席にきて、その饒舌に場を和ませてくれる好漢である。私と同じく、60歳過ぎてから奥さんと共に社交ダンスを始めたとのことで、これも彼に親しみを感じるところだ。なので毎朝起きると彼のこのシリーズを楽しみに朝刊を開いているこの頃である。


ここ2日間は、早稲田大学に入学して中村清監督に運命的に出会ったことを中心に話が進んでいるが、かつて駅伝やトラックで遠くから見かけた監督に関するエピソードがとても面白い。昭和51年、瀬古氏の入学と時を同じくして早大に駅伝監督として返り咲いた中村氏は、「『今の早稲田が弱いのお前たちのせじゃない。面倒をみなかったOBのせいだ。俺が代表して謝る 』 と言い出すと、何十発も自分の顔を殴りつけるのです。皆が言葉を失っていると 『 これでも足らんだろう 』と口元に血をにじませ、今度は壁に頭をうちつけました 」。砂浜での朝練習では「『俺はこれを食ったら世界一になれると言われたら食う 』と言って、口の中に(足元の砂を)放り込んでしまいました 」 と、瀬古氏は中村監督の尋常では考えられぬ熱情を著している。


この逸話に関して、友人である早大の元駅伝選手(瀬古よりやや年上)からかつて聞いたのは、 中村監督は口元に血をにじませたではなく、「口から 血がドバっと噴き出た」であり、砂浜の砂を食べたのは、「俺はこんなに陸上競技を愛しているのだと、グランドの土をムシャクシャ食べた」であったが、いずれにしても、そのようなことが本当にあったのだと情景が目にうかぶようだ。その友人は「 練習が終わると、着替えもしない前に中村監督のとにかく長い話が始まるので、汗で濡れた練習着が冷たくなって、みな風邪ひいちゃうんですよ」という話もしていたが、熱血漢の監督と運命的な出会いをし、そのチャンスを逃さず、教えを忠実に実行したのが凡百と違う瀬古選手の偉大なところである。そういえばあの頃は、中村監督に限らず明治大学野球部の島岡監督など軍隊式の名物指導者が健在だった。今では選手に手でも上げようものなら即座にパワハラで訴えられる時代となったから、この連載はまさに「時代の証言」という感がする。

 

早慶対抗陸上 100回記念祝賀会でスピーチする瀬古氏
20240707_20240905114401

2024年8月22日 (木)

袖ふり合うも多生の縁

20240822
2024年5月19日(日)SEIKO ゴールデングランプリ陸上(国立競技場)での橋岡選手

高校時代からの友人と2人で、梅ヶ丘にある人気の寿司屋に行った。例によって5時きっかりの店オープンとともに始まる、退職オヤジ的飲み会である。やけにネタが大ぶりの寿司をつまみつつ近況などを語り合ううちに、話題はパリオリンピックの陸上競技に及んだ。この大会、北口選手の女子やり投げ優勝をはじめ、日本代表選手団の健闘が目立ったが、その中で男子走り幅跳びだけは、予選敗退した橋岡選手のフテ腐れたようなテレビインタービューがけしからんと二人してオヤジ話で盛り上がる。陸上競技には詳しい我が友人も「幅跳びは記録が伸びないね、そういえば山田宏臣選手が日本人で初めて8米跳んだのはいつだっけ」と我々の世代なら多くが知る当時話題だった走り幅飛びのことを話し始めた。リンク「地獄のジャンプ」(2008年5月20日)  と、寿司カウンターの隣の席に並んだそれなりの年恰好のシニアカップルが会話を止め、我々の陸上話に聞き耳をたてている気配がした。


案の定、カップルの男性は 「失礼ですが陸上関係者ですか?」と問いかけてくる。 うん!?、そう云えばこの辺りは日大のグランドが近いし、橋岡選手は日大の出身なので我々2人の悪口が彼の気に障ったのか、とすればこんな所で気まずくなるのも嫌だと一瞬かまえつつ、「昔、少しばかりやってました」とおそるおそる答える。「そちらも関係の方ですか?」とこちらから探りをいれると「パリでは後輩の三浦が頑張りました」との言。ああ順天堂大学の出身者か、日大でなくて良かったとホッとしつつ、「三浦選手はすごいですね」と3000米障害で東京大会に続いて連続入賞した三浦龍司君を誉めることにした。「失礼ですが長距離ですか?」と問えば、彼は「棒高跳びでした」とのこと。聞けば私より少し上の世代だそうである。それならば当時順大の主将だった山田宏臣氏とは同じ跳躍部門で切磋琢磨した仲間に違いない。私が友人と交わした日本初の8米ジャンプの会話に、彼が耳ざとく反応したのも道理である。


隣同士に座った客同士である。お互い横を見ながら杯が進むうち 「昔、数年ぶりに出場できた箱根駅伝の前には、(当時順大の監督だった)沢木啓介氏に学校に来てもらい指導を受けたこともあるんです。本番では順大のはるか後塵を拝してましたが…」などと当時の思い出話に花が咲く。彼は「ハハハ、沢木もけっこういい加減なんですよ」とあの沢木氏の厳格なイメージから似つかわしくない面を披露してくれ、なんだか酒の味もより旨く感じてくる。「三浦君は良かったが、パリでは私の後輩の豊田君は足の故障で400米ハードルは残念でした」と後輩自慢を交わすうちに、寿司店は入れ替えの時間となってしまった。ここは人気の寿司屋ゆえ、いつまでもグダグダと居座ることが出来ないのがつらいところである。お互い名前も名乗らず、その場で別れることになったが、50数年前に関東インターカレッジなどで同じ景色を見ていた見知らぬ同士が、時を経て世田谷の寿司屋でたまたま場所と時間を共有するのも不思議な縁(えにし)である。袖ふり合うも多生の縁、スポーツをやって良かった、今晩は楽しかったと思いつつ、皆と別れ生暖かい夜風に吹かれながら帰路についた。

2024年7月26日 (金)

第95回都市対抗野球大会 伏木海陸運送 vs 三菱重工East

20240726
ビール片手に社会人野球観戦

取引先の要請で、久しぶりに東京ドームに第95回都市対抗野球野球大会の応援に行ってきた。応援するのは北信越代表、富山県高岡市の伏木海陸運送で、この会社は港湾荷役を中心とする地場の総合物流会社である。東京など大都市ではあまり知られていないが、港湾荷役や地方の大手物流業者は地元で大変な勢力を持つ有力企業であることが多く、このチームも3年ぶりだがこれまで6回の出場を誇る社会人野球の名門である。この日対する相手は強豪の横浜市代表の三菱重工 Eastで、平日の昼下がりにも関わらずドーム球場には、会社の関係者や取引先、それに地元からの応援団など大勢の観客が集まった。


都市対抗野球と云えば、思い出すのは1970年代から80年代にかけて我が国の鉄鋼業が最盛期の時代のことである。当時は南は八幡や大分から北は室蘭まで多くの大手製鉄会社の野球チームが予選を勝ち抜き、まだドームになる前の旧後楽園球場に勢揃いしていた。私は新入社員の最初の配属先が製鉄原料船の部だったため、この時期になると動員をかけられ、部長以下皆で仕事を調整しあって球場に駆け付けたものだった。今でも社会人野球を見ていると『♪ 新日鉄、新日鉄、新ニッーテーツ、ニッポンスティール、GO,GO,GO !!♪』だとか 『# 日鉄、日鉄、新ニッーテーツ、鉄の団結!!♭』などとあの頃繰り返した応援歌のフレーズが頭に蘇る。


当時ナイトゲームとなる第3試合や第4試合以外は、試合が終われば会社に戻らねばならなかったが、オフィスにいるより野球を見ていほうが何倍も楽である。出欠確認の如く「 ちゃんと応援に来てますよ」と相手の担当者を見つけて声をかければ目的を達したようなもので、炎天下の後楽園球場でビールを飲みつつ、延長戦にでもなってくれれば会社に戻るのはさらにゆっくりでよいとほくそえみながら観戦をしたことを思い出す。応援したチームによってはちょっとした土産品が配られることもあり、特に80年代、全農から要請された秋田県経済連チームの応援では、一合入り米パックや食料品が入ったバッグを貰ったものだ。


都市対抗と云えば応援合戦も見もので、ローカル色を前面に押し出した応援団を見ているだけで楽しい。伏木海陸の試合でも駆け付けた高岡市長の挨拶や市歌斉唱、それにハッピを来た踊り手による地元の踊りなどがベンチ上で披露され、ドームでの夏祭りの雰囲気である。野球が共同体の繋がりを一つにする手段になるのは我が国独自の文化だ。試合は三菱重工 Eastの補強選手(都市対抗では予選が同じ地区の他チームから3名補強できる)である東芝の下山選手が2本のソロホームランを打ち、善戦したものの伏木海陸は2対0で敗れてしまった。下山と云えば2年前の慶應大学野球部の主将で、慶応高校~大学の下級生の頃は注目されていたが、主将になった4年時には重圧によるのか今一歩精彩がなかった記憶がある。そんな彼が一回り成長して大活躍する場面を目の当たりにし、嬉しいような気持ちと、「おいおい、ホームランは今日じゃなく早慶戦でやってくれれば良かったのに」と複雑な気持ちがしたが、大学野球選手のその後を見るのもまた社会人野球観戦の楽しみである。

2024年7月 1日 (月)

豊田兼君 パリオリンピックへ(第108回 日本陸上競技選手権大会)

20240701

週末は新潟で行われた第108回日本陸上競技選選手権大会をTV観戦して楽しんだ。この大会、何と云っても400米ハードルで競走部後輩の豊田兼君(4年・桐朋)が47秒99の好記録で優勝し、今夏のパリオリンピック大会の出場切符を手にしたのが嬉しかった。競走部からは2000年のシドニーオリンピックに競歩の小池昭彦君が出場、2004年アテネ大会、2008年北京大会を除き、山形亮太君や横田真人君らが2012年ロンドン、2016年リオ、2021年東京大会と続けてオリンピックに選手に選ばれており、豊田君の出場で4大会連続と記録がまた伸びることになった。次の週末には武漢ウイルス感染騒動後、5年ぶりに體育會の39部を一緒に卒業したOB一同が集まる同期会が行われるが、総勢100名以上の他部参加者の前で後輩たちの活躍に我々競走部のOBはちょっと鼻が高い。


私自身、現役時代は大した選手ではなかったが、ビールを片手にテレビ画面に映しだされる選手達の姿を眺めていると、当時の色々なことが頭に浮かんで来る。あの頃のレースはアンツーカーやシンダーの土の上で行われていたので、私が走った中・長距離のレースでは昨日のような雨の日には、前後の選手の跳ね揚げで全身泥まみれになったものだ。当時は土のトラック用にスパイクの針が長かったため、集団で走ると前の選手のスパイクで脛を削られて、膝から下が血だらけということもあった。今は全天候トラックとなってあの頃より雨の日でも記録の落ちがぐっと少ないのだろう。また最近は女子選手も多くなり、そのユニフォームもカラフルになって陸上競技の大会も華やかになったことが画面から伝わってくる。なにしろ、かつては800米を超えるトラック競技は女性には過酷すぎると云われ、種目がなかったのだから時代は変わるものだ。(因みに女子種目の1500米は昭和44年(1969)、5000米は平成9年(1997)、三段跳びは昭和62年(1987年)、棒高跳びは平成7年(1995年)から日本選手権の実施種目になっている。)

 

昨日もテレビで女子の中・長距離レースを観戦しているうち、つい身が入って「このペースなら50年前のオレなら集団について行って最後のスパートで優勝できたな」などとつい口走ってしまうのだが、傍らの妻は「女子と比べることになんか意味があるの」となんとも冷ややかである。一方で男子800米決勝では社会人のベテラン選手たちがマイペースに徹し、高校2年生の落合選手の先行逃げ切りに対応もしなかったので、「大の大人が策もなく高校生に負けてどうすんだ、高校生なんぞに絶対負けられるかという気概をもって走れよ」「こういう時はだな、最後の直線に入るまで彼を集団でポケットして前に出させないんだ」とつい鼻息荒く語ってしまった。聞いていた妻は「高校生にそんな意地悪するものなの?やぁねぇ」と思わぬところで面白がっていた。


最近いつも感心するのは800米から5000米まで多種目に積極的な挑む田中希美選手のチャレンジ精神。特に土曜日は800米の予選を走り、その1時間半後に5000米決勝を走るというふつうは考えられない間隔でレースをこなしたのには驚いた。彼女はよほど強靭なメンタルと大きな目標を持って競技に励んでいるに違いない。この心意気があれば、いつの日かもう一皮むけて国際的にも有名な大選手になることだろう。その反対に日本の男子跳躍陣はどうも覇気がなく、走り幅跳びの今回の優勝記録は7米95と8米にも届かなかったのはなんとも不甲斐ない。山田宏臣氏が8米01を跳んだのは「地獄のジャンプ(2008年5月20日投稿)」1970年と今から54年も前のことであり、1969年(昭和44年)の日本選手権の優勝記録は7米90だから、その当時から走り幅跳びはあまり進歩していないようだ。雨の影響があったことはわかるが、棒高跳びや走高跳の記録も然り。何十年も記録が伸びないのは、跳躍選手の発掘・育成になにか欠陥があるのではなかろうか。いずれにしてもオリンピック・パリ大会は間もなく開幕である。4年に一度(今回は東京以後3年)の熱い夏がやってきた。

 

男子800米 高校生の落合君が独走(Youtubeの日本陸連チャンネルより)
20240701800m

2024年5月13日 (月)

第103回関東学生陸上競技選手権大会(陸上 関東インカレ)

20240510ic-10
1年生でいきなり1部校10種競技に優勝し、将来が嘱望される高橋諒君(桐朋)LIVE中継より

週末は関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)の応援であった。昨今の駅伝人気で箱根駅伝ばかりが注目されているが、関東学生陸上競技連盟に加盟している159校にとって、この大会は春季における最大の競技会である。関東インカレはここのところ相模原競技場や横浜スタジアムで行われることが多かったが、今年は自宅に近い国立競技場で開催されるとあって、現場で直接 塾競走部の後輩の応援をしたいと思っていた。とは言え大会は、5月9日(木)から12日(日)まで4日間続き、入場料は当日券で2,500円(前売り券は2,000円)もするため連日フルに観戦すれば1万円コースになってしまう。よって1~3日目まではYoutubeのライブ中継で戦況を見守り、最終日のみ国立競技場に赴くことにした。


対校選手権大会と銘打たれているように、本大会は個人としての栄誉を競うのではなく、学校単位の競技会の形式をとっている。男子は3部の大学院生の部を除き、1部16校とそれ以外の2部校に競技は分かれ、それぞれの種目の決勝1位が8点、2位が7点、3位6点、以下8位が1点を獲得する学校対抗の得点争いの試合である。大会に参加できるのは、各種目で昨年1月1日以降に1・2部別に設定された参加標準記録(B標準)を突破した選手1名に限られ、特により高い記録(A標準)を突破した選手がいれば、追加選手(但し追加選手もB標準突破が条件)1名の参加が可能で、各校とも各種目に最大3人までが出場できる規定になっている。因みに現役時代の私は参加標準記録突破などは夢のまた夢で、大会に参加できる同僚の選手をスタンドから羨ましく応援していたものであった。


関東インカレと云えば、気になるのが2部落ちのこと。1部16校の得点争いの結果、15位と16位の学校は2部の上位2校と翌年は自動的に入れ替わる制度のため、選手層の薄い慶應は例年2部落ちしないかを心配しながらの応援となる。といっても最近は高校生への勧誘が功を奏して、インターハイで活躍した有望な選手の入学もチラホラで、後輩たちは1部の10位前後の総合成績を保っており、ヒヤヒヤしながらの観戦がないのが応援する側にとっては嬉しい。もっとも出場選手たちにとっては、得点争いのため、4日間でなるべく多くの種目を掛け持ちしなけらればらないのが辛いところである。特にトラック種目では予選、(準決勝)、決勝を何度も勝ち抜く必要があり、出る者は参加種目を調整し、体力を温存しながらより多種目で得点争いに関わるところに、他の競技会と違った難しさがある。また、青学大や駒大など多くの箱根駅伝有力校は2部校であるため、トラックやフィールド競技に満遍なくエントリーする学校よりも、駅伝に特化した2部校の方がしばしば長距離種目に限って記録が良いことがあるのも本大会の特徴だと云える。


ライブ中継によると土曜日までに後輩たちは1部校の10種競技、400米で優勝(8点x2)、走り幅跳びで5位(4点)110米ハードルで5位(4点)と順調に得点を伸ばし、3日目を終わった時点で10位以内を確保している。中継で見ていた前日までの結果を胸に、日曜日朝、千駄ヶ谷駅から国立競技場に向かう我が足取りも軽やかである。結果、この日はハーフマラソンで8位入賞と云う長距離種目での久々の快挙もあったし、200米決勝には2名残るなど後輩の健闘を現場で楽しませてもらった一日だった。一方で、我々の時代には慶應に入って陸上競技をやろうなどと云う女子はおらず女子部員はいなかったのだが、女子の部でもやり投げが優勝、800米も3位入賞と時代が変わったことも実感した。男子は最後に残念ながら棄権種目や予選突破できない種目もあり、最終的に1部で総合34点、12位と例年並みの結果に終わったが、国立競技場一杯に響き渡る関東インカレ独特の各校応援席の盛り上がりに久々に接して血が湧いた日であった。

1部校400米優勝の豊田君(4年桐朋)を伝える2024年5月11日(土)付 読売新聞記事 
20240513

 

2024年4月30日 (火)

東京六大学野球 慶應の渡辺憩君 初スイングがリーグ史上初の快挙

20240429
渡辺選手の史上初の初打席代打サヨナラホームラン(BIG 6 TVより)

風薫る季節、昨日は恒例の東京六大学野球春季リーグ戦の法政‐慶應、早稲田-明治の試合を観に明治神宮野球場に行ってきた。両カードとも1勝1敗で迎えた3回戦、この日勝てば優勝に一歩近づく大事な2試合とあって、観客席には1万余の観衆が入っていた。第1試合の慶應 対 法政戦は今秋のプロドラフト会議で上位指名が期待される法政の篠木君(木更津総合)と慶應の3年生エースの外丸君(前橋育英)の投手戦が予想されていた。篠木君は、1990年ごろに法政のエースとして活躍しプロ入りした高村祐投手(宇都宮南)を彷彿とさせる本格派の右腕で、下級生の頃から注目されていた投手である。片や外丸君は変化球をうまく使い、昨秋は慶應を大学日本一に導いたクレバーな投球が持ち味。試合は見込み通り投手戦が続き、後を継いだリリーフ陣の頑張りもあって、9回を終わってスコアは1対1のまま延長戦へともつれこんだ。


1対1のタイゲームのまま、連盟規定によりこの回を以て引き分け再試合となる12回裏の慶應の攻撃に、代打で起用されたのが一年生の渡辺憩君。昨年夏の甲子園大会で優勝した慶應高校の捕手で、これが神宮デビューとなる。このまま引き分けになるかとの雰囲気も漂い始めた一死後の打席、3ボール、見逃しの1ストライクの後、法政3年の宇山君(日大三)の高めの直球を渡辺君が思い切りよく振ると、なんと打球は高々とレフトスタンド中段に飛びこむ大ホームランになった。初打席の代打サヨナラホームランは長いリーグ戦史上でも初の快挙だそうだが、さらに彼の場合には大学に入った春の打席の初スウイングでもある。大学の公式試合で初めて振ったバットに当たった球が、優勝を左右するかもしれないサヨナラホームランになるとは劇的な幕切れであった。まさに野球は筋書のないドラマである。明治や法政に較べて選手層が薄い慶應が良く戦っているのは、堀井監督の采配が冴えていることが大きな要因だと思える代打の一振りだった。


眼前でプレーする選手たちも、もう孫の年代になってきた。母校が勝っても子供たちの勝敗にあまり興奮しないように、相手校の良いところも見ようと自制しているのだが、やはり第1試合で慶應が勝てば気持ちよく第2試合も見られるというものである。第2試合の早明戦は、これまたプロが注目する明治のショートストップ宗山君(4年・広陵)が出場するので試合中盤まで観戦することに。残念ながら宗山君は早稲田の伊藤投手(3年・仙台育英)の奮闘でこの日は良いところがなかったが、実力に加え甘いマスクでこの後人気も高まることだろう。ということで、こちらも延長戦の末に早稲田が5対0で明治を下して早慶が今週は勝ち点をゲットした。プロに進むにせよ一般企業に就職するにせよ、神宮球場で大勢の観客や母校の応援団の前で野球が出来ることに誇りを持って、各校の選手達はこの後もリーグ戦を盛り上げて欲しいものである。


ふと気が付けば、隣はかつて昭和の時代、リーグ戦を沸かした慶應の大エースが一人静かに観戦している。周囲には選手の友人や父兄に混じって、腰が曲がったり杖をついたりして来場した老人が、日がな一日、のんびりと野球を眺めている。老人たちの中には相手側スタンドの校歌も一緒に口ずさんでいる人もいて、きっと彼らは長い間このリーグ戦を見てきたに違いないと密かに共感を覚える。私も各校お馴染みの校歌や応援歌を聞くと、かつて目の前で繰り広げられた情景や六校の選手が活躍するありさまを思い出し、その折々に自分が置かれていた境遇やその後の来し方が自然に頭に浮かんで懐かしい気持ちになる。東京六大学野球のリーグ戦を見始めて60年、今日もここで元気に野球を観戦できる幸せを噛みしめながら、若者の溌剌としたプレーに自分も元気を貰った。神宮球場は「私の居場所」という空間である。

第2試合の早明戦開始
20240430

より以前の記事一覧

フォト
2026年4月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ