宮本輝 「よき時を思う」 (ネタバレあり)
ちょっと奇妙な小説である。「よき時を思う」は、90歳になる金井徳子お婆さんが子供や孫たちのために開く一世一代の華麗な晩餐会の話と、金井家とは特段縁が深いわけでもない三沢家の親子の話が別々に語られ、2つの家族の物語が絡みあうでもなく終わるという構成である。2023年に刊行された宮本輝の小説「よき時を思う」の文庫版(集英社文庫)がこの度出版されたのを新聞広告で知り、宮本ファンの私としては早速書店に並ぶ文庫本を購読してみた。買ってきた本を手にして一度目は筋を追いながら先を急いで読んでみたところ、ハッピーエンドではあるものの、滋賀県の近江八幡市に住む金井家と東京郊外の三沢家の2つの家族の別個のストーリーが交錯することなく終わる展開に、「これで終わり?」と思わず呟いてしまった。作者は「よき時を思う」で何を描きたかったのか。「よき時を思う」とは、いつの時を思うことなのか、しっくりと頭に入って来ず、結構ぶ厚い本を改めて今度は一ページづつじっくりと字句を追ってみた。
例によってこの小説には悪人が出て来ない。サスペンスやどんでん返し、はたまた恋愛の駆け引きがあるわけでもない。金井家の晩餐会物語の中にはフランス料理やワイン、美術工芸品に関するウンチクがテンコ盛になるが、それも決して嫌みではなく淡々と話は進んで行く。登場人物は全員が教養のある、『レベルの高い人々』で、姑である金井徳子お婆さんとその家に来た嫁(母)がきわどい冗談を交わせる良き仲であり、父と30歳になる娘、金井綾乃が手を組んで街中をデートするような、現実にこんな素晴らしい三世代の大家族がいるのかと思わせる地方の素封家が舞台である。その一家8人のために、一晩で400万円もの費用がかかる極めて豪華な晩餐会を開く徳子さんなのだが、なぜそんな饗宴を催すのかが物語の中で次第に明らかになると云う筋立てだ。16歳で請われて名家に嫁いだが海軍軍人だった夫が新婚2週間で戦死し、一時は自刃(じじん)も考えた徳子さんである。しかし戦後、再婚して教育者となった彼女の凛とした生きざまが、晩餐会を彩る様々な登場人物たちの人生に色濃く投影されると云う設定は、ストーリーテラーの宮本輝の面目躍如という感がする。
この晩餐会とはまったく別個に、金井家の長女、綾乃が寄宿する家の大家さんである三沢家の話が小説の中で展開するが、こちらは父親と思春期の息子の深刻な断絶と26年後の再会がテーマになっている。作中、家出して永年行方知らずになっていた息子と会えるものの、うまくやって行けるかと心配する父親に、隣人は「もう心配することないですよ。つまりは、父親が息子のことを心配したから始まったぶつかり合いなんですよ。ちょっとした言い方と、それをどう受け取ったかのほんの微妙な感情のずれなんでしょうね」と答えるが、このあたりが困難があっても時の経過とともに大抵のものは乗り越えられるという作者の心情がにじみ出ているようだ。金井家の物語と三沢家の物語は、それぞれが関連しない別仕立てだが、2度この本を読んでみると、『人生の不条理』は歳月を経るうちに『癒される』とする宮本輝ワールドが通底して描かれていることに気が付いた。「幸せな家族」と「幸せがこれからまた来る家族」それぞれが過ごす「よき時」とは、日々刻々、通り過ぎる日常を丁寧に過ごすことで、人生はより味わい深いものになることを示しているのだと私は解釈した。ほっこりとする気持ちを味わったら、金井一家が住む近江八幡の武佐の町を訪れたくなった味わいのある小説であった。
« 中道改革連合 負けに不思議の負けなし | トップページ | 三重県 鳥羽国崎沖 貨物船 「新生丸」と遊漁船 「功成丸」の衝突事故 »
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 宮本輝 「よき時を思う」 (ネタバレあり)(2026.02.21)
- 「 日本外交の劣化 」 山上信吾・著(文芸春秋社刊)(2025.01.24)
- 「読書ばなれ」だそうだが・・・・(2024.09.18)
- 河村瑞賢(伊藤潤著:江戸を造った男)(2024.06.14)
- フォーキャスト2024 藤井厳喜 著(2024.04.22)
« 中道改革連合 負けに不思議の負けなし | トップページ | 三重県 鳥羽国崎沖 貨物船 「新生丸」と遊漁船 「功成丸」の衝突事故 »


コメント