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2026年2月

2026年2月24日 (火)

三重県 鳥羽国崎沖 貨物船 「新生丸」と遊漁船 「功成丸」の衝突事故

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499型貨物船 (2025年8月瀬戸内海にてMITSUI OCEN FUJI号より)

三重県の鳥羽国崎町沖で 20日昼、内航貨物船「新生丸」と遊漁船(釣り船)「功成丸」が衝突、「功成丸」は船体が真っ二つとなって2名の釣り客が亡くなり、多くの重軽傷者が出ると云う重大海難事故が発生した。事故が起きたのは午後一時頃で海上は穏やか、視界も良好と云われる中での大変残念な事故であった。この事故では鳥羽海上保安部に業務上過失致死の疑いで逮捕された貨物船「新生丸」の当直2等航海士が、まだ21歳の若さの女性だったことも話題になっている。

 

報道をベースに「新生丸」をトレースすると、同船は広島県呉市の海運会社が新造して所有するいわゆる「499型(ヨン・キュ・キュウ)貨物船」で、JFE物流に定期用船(あるいは航海用船だけかも)され、水島のJFEスチール水島製鉄所から愛知県衣浦にある同社知多製造所への鋼材輸送に従事し、事故時は空船となって水島に折り返す途中だったようだ。「499型貨物船」は、500総トン未満ならば船員資格や乗り組員要件が有利になるために内航海運では広く普及している船型で、長さは80米弱、幅約12米、重量トンでは1600トン余りのバラ積み荷物や鋼材を輸送する汎用型貨物船である。


衝突場所を地図で確認すると、現場は大王崎と潮岬を結ぶ直線上にあり、ちょうど中京工業地帯と西日本各地を結ぶ航路とあって、多くの船舶が輻輳する海域になっている。一方、遊漁船「功成丸」は2001年に就航し、レーダーや魚群探知機などを備え、この海で永年に亘り営業を続けてきた船であることがホームページからわかる。見通しや海象に問題のない昼下がり、現場海域を知り尽くした遊漁船と、荷物はなく船脚も軽い貨物船の間で何があったのだろうか。

 

報道を見て「21歳の女性が一人で当直とは?」などという声がネット上では喧しいが、周囲に船舶がいると言っても湾内から外洋に出てホット一息の時間とあって、船長は自室に戻るか、昼食の為に食堂にでも居たのであろう。499型船は通常甲板部、機関部併せ5人~6人で運航し、入出港や狭水道以外では航海当直は一人体制である。この型の船を操船するには、少なくとも6級海技免状を取得することが必要なのだが、この免状は数か月の座学、乗船実習に半年の乗船経験を経て受験資格を得られるそうだから、若い航海士が一人で操船していたことは何ら不思議ではない。(内航船でも2航士は原則12時~16時の当直に入るそうだ)


多くの釣り客を乗せ釣行中の遊漁船と、貨物船が衝突コースに入った時はどちらの船に優先権があるのだろうか。重いトロール網などを曳く漁船は目立つ場所に鼓型の黒い形象物を掲げ、周囲の船舶に警戒を促すことが定められている。ただ遊漁船(釣り船)については通常の動力船かつプレジャーボートと同様に扱われ、海上衝突予防法に基づき右側から近づいて来る方の船に優先権がある。報道によれば遊漁船「功成丸」の右舷に貨物船「新生丸」のバルバスバウ(球状船首)が衝突しているので、貨物船を右に見る遊漁船に過失度合いが大きいことになる。もっとも事故後、真っ二つになって浮かぶ遊漁船「功成丸」をヘリコプターから撮影した映像を見ると、遊漁船のマストには「本船は動力がなく錨泊中」を示す黒く丸い形象物(球形形象物)が掲げられていた。とすれば「功成丸」が現場で錨を降ろし錨泊をしているところに、貨物船「新生丸」が突っ込んだ可能性が高く、貨物船側の見張り不充分がこの事故の大きな原因になるようだ。但しこの場合でも遊漁船側も見張りの義務があり汽笛を発するなどの必要があったので、そのあたりの過失の割合は微妙になることだろう。

 

内航の貨物船のブリッジを考えると、出港後は当直をしている間にも、様々なペーパーワークや雑務をこなさねばならないことがある。見張りはおろそかにできないが、どうしても手元の書類やログブックなどに気を配る必要もあるだろう。時には会社から電話があったりで、一人当直の内航船では、何もかも自分でやらねばならない場面があるそうだ。船内では三度の食事も自炊することが多いと聞く。トン・キロベースでは国内物流の4割は内航海運が占めているにも関わらず、この業種は慢性的な人手不足と3Kの象徴の様な労働環境に甘んじているのが現状である。重大な事故を起こさないために、内航貨物船にこそ絶対的な衝突予防装置の装備が求められると思う。また報道に応じた「功成丸」の乗船者は、衝突時に救命胴衣を着用していなかったかのように語っているが、ライフジャケットの着用義務も今一度徹底することが必要ではなかろうか。

 

錨泊中に掲げる球形形象物 (2025年6月 メキシコ カボサンルーカスの飛鳥Ⅱ FORE MAST)
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2026年2月21日 (土)

宮本輝 「よき時を思う」 (ネタバレあり)

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ちょっと奇妙な小説である。「よき時を思う」は、90歳になる金井徳子お婆さんが子供や孫たちのために開く一世一代の華麗な晩餐会の話と、金井家とは特段縁が深いわけでもない三沢家の親子の話が別々に語られ、2つの家族の物語が絡みあうでもなく終わるという構成である。2023年に刊行された宮本輝の小説「よき時を思う」の文庫版(集英社文庫)がこの度出版されたのを新聞広告で知り、宮本ファンの私としては早速書店に並ぶ文庫本を購読してみた。買ってきた本を手にして一度目は筋を追いながら先を急いで読んでみたところ、ハッピーエンドではあるものの、滋賀県の近江八幡市に住む金井家と東京郊外の三沢家の2つの家族の別個のストーリーが交錯することなく終わる展開に、「これで終わり?」と思わず呟いてしまった。作者は「よき時を思う」で何を描きたかったのか。「よき時を思う」とは、いつの時を思うことなのか、しっくりと頭に入って来ず、結構ぶ厚い本を改めて今度は一ページづつじっくりと字句を追ってみた。


例によってこの小説には悪人が出て来ない。サスペンスやどんでん返し、はたまた恋愛の駆け引きがあるわけでもない。金井家の晩餐会物語の中にはフランス料理やワイン、美術工芸品に関するウンチクがテンコ盛になるが、それも決して嫌みではなく淡々と話は進んで行く。登場人物は全員が教養のある、『レベルの高い人々』で、姑である金井徳子お婆さんとその家に来た嫁(母)がきわどい冗談を交わせる良き仲であり、父と30歳になる娘、金井綾乃が手を組んで街中をデートするような、現実にこんな素晴らしい三世代の大家族がいるのかと思わせる地方の素封家が舞台である。その一家8人のために、一晩で400万円もの費用がかかる極めて豪華な晩餐会を開く徳子さんなのだが、なぜそんな饗宴を催すのかが物語の中で次第に明らかになると云う筋立てだ。16歳で請われて名家に嫁いだが海軍軍人だった夫が新婚2週間で戦死し、一時は自刃(じじん)も考えた徳子さんである。しかし戦後、再婚して教育者となった彼女の凛とした生きざまが、晩餐会を彩る様々な登場人物たちの人生に色濃く投影されると云う設定は、ストーリーテラーの宮本輝の面目躍如という感がする。


この晩餐会とはまったく別個に、金井家の長女、綾子が寄宿する家の大家さんである三沢家の話が小説の中で展開するが、こちらは父親と思春期の息子の深刻な断絶と26年後の再会がテーマになっている。作中、家出して永年行方知らずになっていた息子と会えるものの、うまくやって行けるかと心配する父親に、隣人は「もう心配することないですよ。つまりは、父親が息子のことを心配したから始まったぶつかり合いなんですよ。ちょっとした言い方と、それをどう受け取ったかのほんの微妙な感情のずれなんでしょうね」と答えるが、このあたりが困難があっても時の経過とともに大抵のものは乗り越えられるという作者の心情がにじみ出ているようだ。金井家の物語と三沢家の物語は、それぞれが関連しない別仕立てだが、2度この本を読んでみると、『人生の不条理』は歳月を経るうちに『癒される』とする宮本輝ワールドが通底して描かれていることに気が付いた。「幸せな家族」と「幸せがこれからまた来る家族」それぞれが過ごす「よき時」とは、日々刻々、通り過ぎる日常を丁寧に過ごすことで、人生はより味わい深いものになることを示しているのだと私は解釈した。ほっこりとする気持ちを味わったら、金井一家が住む近江八幡の武佐の町を訪れたくなった味わいのある小説であった。

2026年2月16日 (月)

中道改革連合 負けに不思議の負けなし

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交差点の向こう側 中道 海江田候補の選挙演説 


週に一度くらいはブログを更新したいと思っているが、トピックスも見当たらない。こともなく日々が過ぎてゆく。この間、衆議院選挙では自民党が予想以上の大勝とあって、誠にご同慶の至りだ。東京第一区に住んでいるので、私も妻も選挙区では自民党の山田みき候補に、比例区では日本保守党に投票した。山田みき候補は中道改革連合の海江田万里候補を破って当選、残念ながら日本保守党は当選者を出せなかったが、直近の選挙で2%以上の得票を得ることが必要とされる政党要件を今回も満たすことができ、我々の投票が死票にならなかったことは幸いである。私はふだんから山田候補を特に応援しているわけではないが、元来が保守主義である上に対立候補の中道(ex立憲民主党)の海江田候補には絶対に一票を投じたくないという理由がある。そもそも海江田氏は慶応の経済学部卒とあって同学部を卒業した同窓で親近感はあったし、かつては自宅の近所で良く辻立ちもしていたので16年前にはこんな内容のブログもアップしている。

 

『駅前演説』(2009年7月31日付)

『 朝、衆議院選挙に立候補するであろう、民主党の海江田万里氏が駅前で演説しているのを見た。大学同窓のよしみ、またこれまで、かつての「朝まで生テレビ」その他あちこちのテレビでの彼の発言に好感を持っていたから、いつも「頑張ってね」と声をかけてきた。彼はそのたび演説をやめ、歩み寄って来て「ありがとうございます」と握手を返してくれていたが、先の「郵政民営化」選挙の自民党圧勝のあおりで現在は浪人中の身、演説もより熱がこもっている様だ。

今回は朝の出勤時であったが、一言彼の姿を見たらどうしても言いたい事が思い浮かんだ。 「 海上自衛隊の洋上補給は民主が勝っても続けるのだろうね。あれをやめたら世界の笑われ者になるよ、本当は民主はどちらなの? 」と歩みを止めて彼に聞くと 「その通りです。私が当選すれば、なんとしてでも続けるようやってみます」と明確に答えていた。民主党でも、まっとうな候補者はやはり解っているのか、と少し安心したのだが、では選挙になってやっと現実的な対応も検討するいう事は、派遣が決まった時は現実を見ない党であったという事になる。私などは、ここいらで自民党が野党になって永年の膿、澱を一度出し尽くしてもらいたいものだと願っているのだが、そんな反対の為の反対をして国会の審議を伸ばした民主党しか受け皿がないかと思うと、急に情なくなる。ましてや社民党と連立を組む事を民主党は想定して、その為に自衛隊の扱いがあいまいだ、などとニュースで聞くと、やはりこの党に投票するのはどうしようかと思ってしまう。

悩ましい次回の選挙であるが、さて海江田氏はてっきり学校の後輩だと思って、街頭でも偉そうに口をきいてしまったところ、駅前で配られたビラを良くみるとほんの僅かだが彼が先輩だった事がわかってびっくり。かつてなら1年違えば身分は奴隷であったから大変生意気な注文の仕方をしてしまった、と反省。次回駅前で見かけたら「先輩、頑張って下さいね」と小声で応援する事にした。』


自衛隊の洋上補給とは、当時アフガニスタンなどで頻発したテロの対策として、米軍を中心とした艦隊がインド洋に展開し、これら艦艇に海上自衛隊が燃料や物資を国際貢献の一環として行っていた行動である。これに対し例によって共産党や社民党などのサヨクが反対表明をしていたのだが、民主党が政権をとった暁には、この問題にどう向きあうのかを、辻立ちの海江田氏に聞いたものである。その時は、選挙が終わっても海上自衛隊の洋上補給は「なんとしても続けるようにやってみる」と私に向かって断言した海江田氏であった。その言葉を信用して彼を見守っていたのだが、いざ民主党の鳩山政権が2009年夏に誕生してみると、翌年初頭にはあっさりと自衛艦の派遣を止めてしまった。その当時、新聞やテレビでは海江田氏が民主党内で洋上補給を続けるべしと主張したなどの報道は一切なく、挙党体制で海自の派遣中止を決めた模様で、私は「なんだ彼はやはり口先だけの男だったのか」とひどく落胆し、以後一切の応援をしないことにしたものである。


今回の衆議院選挙でも自宅の近所の交差点で海江田候補の選挙演説が始まった。選挙目当ての完全な野合集団である中道改革連合を鼻白む思いで見ていたので、信号待ちの間に周囲にいる海江田候補の運動員に聞いてみた。「辺野古への移設は公明は賛成、立憲は反対だけど一体どうするの?」「安保法制は違憲なの、合憲なの?」「原発は廃止?維持どうするの?」の三質問である。本当は喋っている本人に聞きたかったが、演説の終わりを待つほど暇ではなかったのでビラを配る運動員に尋ねてみた。最初に質問をぶつけた若い運動員は、マスク越しに困った顔をするばかりでなんら返事を寄越さない。次に聞いたやや年上の運動員は、これまたマスク越しにうすら笑いを返してくるばかりで返事が一切ない。「そうか答えられないのか、そうだろうな、じゃあしょうがないな」と毒づいて青信号になった交差点に踏み出した。中道改革連合の大敗については、すでに様々報道されている通りだ。言えることは、旧態依然たる(日本ではなぜかリベラルと呼ばれる)サヨクの教条主義や安全保障観のいかがわしさ、ジェンダーフリーなどの過激思想に国民が飽きたこと、TVや新聞などサヨクびいきのオールドメディアがネット社会に凌駕されたことなどが挙げられる。その上、シナ共産党による誠に時宜を得た恫喝外交が高市政権への大きなアシストになったことは言うまでもない。「負けにふしぎの負けなし」である。

2026年2月 9日 (月)

オルセー美術館所蔵 印象派展

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有名(らしい)ルノアールの「ピアノを弾く少女たち」(写真撮影可)

妻が「オルセー美術館所蔵 印象派」展が上野の国立西洋美術館で開催されているから一緒に行かないかと誘ってきた。美術方面にはまったく疎い私だが、上野なら家から30分の距離だし、陽の光やうつろう大気を描いた風景画主体の「印象派」なら分かり易く気持ちの良い作品も多いだろうと、一緒について行くことにした。頭が筋肉で出来ているわけではないことを証明するために、一年に一度くらいは芸術の香りを嗅ぐことに興味があるふりをすることも必要である。なんでもオルセー美術館は、フランスのパリにある19世紀専門の美術館で、印象派の画家の作品が数多く収蔵されていることで有名だと云う。肖像画や宗教画などと違い、これなら館内で退屈することもないかと思い鑑賞の前日に国立西洋美術館のホームページを見ると、展覧会には「室内をめぐる物語」というサブテーマが付いており、見ても良いと思った風景画ではなく、室内画や人物画が中心の展示だとある。なんと印象派の画家たちは、風景画だけでなく室内を舞台にした作品も数多く手がけたのだそうだ。なんだか肩透かしを喰ったような気がしたが、これも何かの縁、勢いで平日の夕方に上野を訪れることにした。


印象派と云えば、私でも分かるのが光の変化の質感を表現する筆致の独特さである。明確な輪郭線を描かず強く短いストローク(というらしい)で大胆に描かれた絵画は、正確さや写実性の追求よりも、見る人をしてそう見えるように描かれた巧みな技法に思える。美術の素養がまったくない私には、印象派の絵画をどのように文章に表現したら良いのかうまい言葉がでてこないのだが、展覧会に行って彼らの絵画の前で短いストロークに目を凝らしたのち、あらためて絵全体を見ると、描かれた何気ない筆太の線たちが実に有機的に働いて作品を作っていることに感心する。人間はある場面を見ても対象物の詳細を一々追っているわけでなく、イメージでとらえたものを脳内で適当にスキャンして理解しているのだから、印象派による場面の捉え方は、人間がふだん相手を認識する視野に近いのかもしれない。などと今まで考えたこともない視点を提供してくれるのも展覧会に行くメリットである。


平日の午後にも関わらず切符売り場はそれなりの列が出来ており、やはりその7~8割が女性であった。老いも若きもそれなりに身なり正しく教養の高そうな「ご婦人がた」が多いようで、こんな「ご婦人がた」の一団に混ざって薫り高き美術作品を鑑賞する一時が日々の生活の中にあっても良いものだ。薄暗い館内に入れば、作品を前にして傍らの解説を読んでなんとなくわかったようなふりをしながらの絵画鑑賞である。有名(らしい)なルノアールの「ピアノを弾く少女たち」の前では、周囲がそうであるように殊更ゆっくり佇み、じっと絵画を凝視するが、細かい技法やら時代背景も分からず、目前の絵から何が伝わってくるかなど自問もできない我が教養のなさにもどかしくなる。ただモネやマネ、ルノアールやセザンヌなどの室内画が展示されているうち、昨年フランスの「モネの家」を訪れた経験から、「あ、これはモネの絵だな」と分かる程度には目もこなれて来た。我ながら嬉しい進歩である。こういう調子でたまには芸術作品に触れ、我が「教養」を少しでも高めたいものだと自答しつつ、黄昏迫る上野の山を下りた。フランス芸術に触れると何故だか美味しいコーヒーが飲みたくなり、帰路にセーヌ河畔のルーアンにもあったパン屋の”PAUL”でケーキを買い、夫婦二人して家でお茶をした文化的な夕べであった。

2025年5月14日ブログ:飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第51日 モネの家

2026年2月 7日 (土)

健康診断 毎年厳しくなる基準値

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区の健康診断(特定健診)を受けてしばらくして結果が郵送されてきた。70歳を過ぎ退職して国保に変わったため、基本的に無料で受けられる自治体の健康診断を受診することにしているが、この歳になれば誰しも身体に多少はガタが来ているものである。どこかが痛くなったり不具合が出ればその時に医療機関にかかれば良いのであって、ふだん何の自覚症状もないのに健診の数値を見て落ち込んだりしたくないと思うものの、この春に乗船予定の「飛鳥Ⅱアラスカ・ハワイグランドクルーズ」には、医者の診断書(健康診断の結果で代替可)の提出も義務付けられているので、そのためもあってのこの時期の受診である。特定健診には、肺、大腸、胃のがん検診もごく安く同時に行ってくれるオプションがあるので、どうせならとこれも受けることにした。届いた結果を見ると、肺、大腸、胃などは特に問題無しだが、予想どおり血圧が高いという指摘であった。また血液検査でも基準から外れた項目が幾つかあり、もう一度医療機関での再検診をお薦めしますなどの注意はあるものの、まずは想定の範囲内で一安心である。


検査結果を見るたびに思うのが、健診の基準値という閾値(しきいち)の胡散臭さである。この基準値とは何か。検索すると「 20〜60歳くらいまでの健康な人の検査成績をもとに、上限と下限の2.5%ずつを除外したもので、残りの95%の人の数値が基準範囲とされています。つまり、『「現時点では健康と考えられる人の95%が含まれる範囲』が基準値ということです。」と協会健保のサイトに記載されている。とすれば私のように70歳を超えた年代には別の違う基準値があって良いはずである。血管も筋肉、臓器も健康な20歳代の若者と、永年に亘って心身を酷使し、いまや老化のさ中にある我々のようなシニアが同じ物差しで「あなたは基準から外れているから医療機関に行って下さい」という健康診断の評価は乱暴ではなかろうか。自身のことで云えば、年相応の経年劣化と2つのガンの術後経過観察で、年に数回は血液検査を受けており、それぞれかかりつけの医師からは、(今回基準をはずれた項目含め)「基準から外れている項目もありますがまあ誤差の範囲で気にしなくて良いです」と御墨つきを都度貰っている状況である。


この健康診断の閾値は、実施する医療機関によって基準数値の設定に若干のバラつきがあるし、いつの間にか変わっているものもある。今回、肝疾患の疑いありと判定された肝臓については、検査結果の中でAST(GOT)が39 (基準は30以下)、γ-GTPが53(基準は50以下)によるための指摘であろうが(それ以外の肝機能数値は正常範囲内)、他の医院で検査する際の基準値はそれぞれ40以下と80以下で、そこでは問題なしと判定される値である。そもそもγ-GTPは本当の肝臓の病気になれば桁が違うほど跳ね上がるし、営業マンだった40~50歳代には、200以上になることもしばしばあったが、現役を退いた現在の数値は40~50くらいで永年に亘り安定している。血圧に関しては、生来気が小さく典型的な白衣高血圧症であるので医者に行くと途端に跳ね上がるが、前回健診で再検査となり受診した循環器科で、血圧手帳の記録を提示し、超音波検査や心電図、聴診などの結果により薬は飲まなくて良いでしょうと診断を受けている(リンク:健康診断・右脚ブロック(続き)2024年10月18日)。今年もまた血圧が高いとの健診結果で、ここのところ自宅で2台の血圧計で朝、昼、晩と計測しているが、家庭ではほとんど正常で、アルコールも飲んでいないのに昼間から最高血圧が100を切る低い時もある。一体全体、何が正しいのか、どうしたら良いのだろうかと思案するのである。

 

昨秋はねんりんピックのマラソンで全国3位になるほど運動しているから、循環器系に問題あらば何らかの兆候くらいは感じても良いはずだが、走る方は何の問題もなく年齢の割には絶好調である。そもそも最高血圧に関しては、少し前まで年齢プラス90まではOKということではなかったのか。今回の区の健診基準値をよく見れば、LDLコレステロールのそれは他の検査機関では最高で139であるのに比して119と低く設定されているし、血糖値もふつうは正常範囲が110以下がここでは99以下と一段と厳しい。これではひっかかる人が続出だろう。件の循環器科の先生は、「確かに血圧は薬を飲むのにギリギリのところだが、心電図の評価含めて健診の診断は厳し過ぎますね」と苦笑していたのが印象的だ。なぜ健康診断では年々閾値をあげるのか、かかりつけの泌尿器科の先生に聞いてみると、「国が医療費の抑制を図っており、早め早めの対策を打ちたいので、厳しくなっているのでしょうね」とのことである(他に製薬会社はじめ関連業界の思惑もあるだろうことは想像に難くないが・・・)。顧みれば実際に膀胱がんや前立腺がんで早めの対応が出来たのも、会社の健康診断で判ったからで、それを考えると健診が無意味というつもりは毛頭ない。しかし働き盛り人たちに向かって予防的な意味を強調したいがために一律に基準値を厳しくし、それによってシニア層が惑わされてストレスを高めるのもおかしな話である。そんな不満があるなら自治体の無料の健康診断ではなく、受診者の個性を反映するような高額な人間ドックでも受けろよ、と言わるのは承知の上での我が苦言である。傍らでは高血圧の薬をすでに呑んでいる妻が「参考値でしかないのに一喜一憂し過ぎ」と、どこ吹く風で笑っている。

2026年2月 1日 (日)

「個人では行きにくい中国地方の名所を一度にめぐる 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅 4日間」瑠璃光寺五重塔と秋吉台、萩 ”おいでませ山口へ!”

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瑠璃光寺の美しい五重塔 日本の三名塔とのこと

石見銀山や宮島などいわゆる有名観光地だけでなく、知る人ぞ知るという名所に連れて行ってくれるのも団体ツアー旅行の楽しみである。宮島から萩への道中、我々のバスは山口市内にある瑠璃光寺の五重塔脇に停車した。山口を中心に西国で勢力を誇った守護・戦国大名の大内氏11代目、大内盛見(もりはる)が1422年に建立した建物である。盛見の兄である大内義弘(よしひろ)は、時の最高権力者だった足利義満(よしみつ)に対して挙兵したものの、むなしく敗走して死を迎えたそうで、その兄の菩提を弔うために大内盛見が建てた塔とのことだ。バスから降りて眼前に見る五重塔の優雅に伸びた屋根は檜皮葺で、青空を背にすっくと立った建物と周囲の木々、背景の山の緑が調和して何とも言えぬ美しい光景である。それもそのはず、「大内文化」の最高傑作とされるこの瑠璃光寺五重塔は奈良の法隆寺、京都の醍醐寺の五重塔と並んで日本の三名塔と云われれているそうだ。私のような重工業に関連するビジネスの出身者にとっては、山口県と云えば山陽地方の徳山や防府、小野田、下関などの工業地帯であり、「大内文化」なる言葉に代表される内陸の山口市などはこれまで訪ねる機会がまったくなかった。優雅な五重塔を見るうち「おいでませ山口へ」というキャンペーンフレーズを思い出し、日本中まだまだ知らない場所だらけであることを改めて思い知るのであった。


美しの五重の塔で心を洗われた後は、特別天然記念物の秋吉台へとバスは進んだ。見渡す限りの草原に白い石灰の岩があちこち顔をのぞかせる日本最大のカルスト台地である。この雄大な景観を形造っている石灰岩は、およそ3億5千万年前に南方の海にサンゴ礁として誕生し、長い年月をかけて移動した後に、この地でカルスト台地を形成したと草原を前にしたジオパークセンター内の説明版に解説がある。実は昭和30年代に父の転勤で北九州・門司港に住んでいた頃に、ここには家族で来たことがあったが、あの頃、門司からどうやって来たのか記憶が定かでない。ただ、あれから60有余年を経て再訪がかなってみると、久しぶりにやって来たカルスト台地を前に、その後の人生いろいろな出来事があったものだという思いが胸をつく。あいにくの寒波に日本中が覆われた週末とあって、雪こそなかったものの寒風が吹き抜ける台地である。かつて家族で歩いたであろう遊歩道を少し歩いて記憶を蘇らせようかと思ったが、あまりの風の冷たさに、そこそこに暖かいバスの車内に駆け戻った秋吉台であった。


この旅の最後の訪問地は萩であった。世田谷に住んでいた子供の頃から、玉電・若林にある松陰神社が身近な存在だったので吉田松陰という名前にはとても親近感があった。その吉田松陰、高杉晋作、木戸孝充、山県有朋など明治維新で活躍した傑物が、萩という人口五万人にも満たない小さな町から出たことに興味があり、いつか行ってみたいと思う場所であった。萩は大内氏に代わった毛利氏の長州36万石の城下町で、「大内文化」の伝統を底流に、長州藩の藩校である明倫館の教育によって有能な人材を輩出し、彼らが時代のリーダーとなり明治維新で活躍したのである。旅の最終日、4日目の午前中は、萩の小ぢんまりした武家屋敷エリアを2時間ほど散策し、高杉晋作、木戸孝充などの生家を見て回ることができた。激動の時代に国を支えた人たちが、この小さな一画から多数出たということが信じられないような静謐な武家屋敷街であった。惜しむらくはここで地元のガイドの案内を聞ければ、明倫館の教育のことなども詳しく聞けたのだろうが、そこは団体旅行ということですべてを望むのは無理というもの。ただこれで島根県の西部や山口県の日本海側の土地鑑も大分ついたので、また機会があったら是非訪れてみたいと思いつつ帰路についた。(了)

 

秋吉台のカルスト台地
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一度来てみたかった萩の武家屋敷町
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