マドゥロ大統領拘束 ベネズエラの思い出
カラカス市内にあったベネズエラ建国の父 シモン・ボリバー将軍の像
新年早々、米トランプ政権はベネズエラで軍事作戦を実行し、マドゥロ大統領を拘束してNYへ連行、同国の政治を米国が運営すると表明した。ベネズエラはシナ製の麻薬の一大中継地であることをトランプ大統領は問題視している上、マドゥロ政権がシナの石油利権と深く結びついていることを危険視しての軍事介入である。かねてから不正選挙で選ばれたマドゥロ大統領に正統性はないと米国は主張していたとおりだ。にわかにメディアから流れ来る首都カラカスでの軍事作戦の映像や、現地の特派員のレポートなどを眺めるうちに、1978年にカラカスを訪れた若き日のことを思い出した。当時、石油や鉱物資源の豊富なベネズエラは、第一次オイルショック後の原油価格高騰の恩恵を受け、国中が高景気に湧き、世界各地からの輸入物資で港は恒常的に船混み状態だった。私がその頃、研修生として乗船していた1万トンの日本籍の貨物船は、電気製品や雑貨、オリノコ川流域の製鉄所向けの鋼材などを満載し、パナマ運河を超えて、日本から一か月余りかけてカラカスの外港であるラガイラに到着した。コンテナライゼーションが導入される前の事である。港が満杯のため何日か沖待ちをした後に、船は漸く着岸できたが、南米の怠惰な労働慣行によって、荷役は10日間以上かかる見込みだった。
その間、本職の船乗りでもない員数外の研修生が船に居てもしょうがない、ということで少しでも南米の事情を知ろうと、カラカスにある駐在員のお宅にご厄介になることにしたものである。港のあるラガイラから標高1000米に位置する首都カラカスまではクルマで30分ほどで、日本でもまだ高速道路があまり整備されていない時代に、立派な道路を駐在員のアメ車で一気にかけ登った事を思い出した。カラカスの中心部にあるヨーロッパ風の豪勢なコンドミニアムの自宅では、夫人の手料理をご馳走になり、現地のインターナショナルスクールに通う娘さんに、緑濃き首都の案内をして貰ったことが懐かしい思い出である。ちょうどアルゼンチンでサッカーのワールドカップが行われていた時期で、ベネズエラこそ出場していなかったものの、ブラジルやメキシコなど中南米の国が得点を挙げると、中継放送を聞いていた町のあちこちから歓声が上がったものだった。男ばかりの小さな貨物船で荒波に揉まれて一か月余、久しぶりの家庭料理に家族団らんの空気に触れ、帰りの航海で日本に到着するのはまだ数か月先とあって里心がついたのか、カラカスではやけに人恋しい気持ちになったものだった。
東京外大のスペイン語科を出て、カラカスではベテランの駐在員だった会社の先輩は、「今この国は凄いインフレ景気になっており、輝かしい未来は期待できるが、インフラは未整備で貧富の差は激しく、未開の地が広がって、政治的にも混乱が絶えない」と国情を教えてくれた。あれからすでに半世紀、資源が極めて豊富であるにも関わらず、ベネズエラは今になっても経済的にも社会的にも混とんとしたままで、ついに米国の攻撃によって大統領が拘束される事態に陥ったとは何ともお粗末である。その航海でカラカスでの荷役を終えて、次に行った港はオリノコ川にあるマタンザス港で、ここでは新日鐵製の鋼管を荷揚げしたが、この地の製鉄所は日本の技術協力で操業を行っていた。マタンザス港ではちょうど上流で土木工事を行っていた日本のゼネコンの人たちが、久しぶりの日本船ということで粗末なボートでやって来て、船内で日本食を楽しみ一時を過ごして帰ったが、ベネズエラの発展には実に多くの日本資本が寄与したのである。ところが後年、日本の地位を奪ったシナによる収奪的で荒っぽい「援助」がこの国の役に立たなかったばかりか、シナによる石油利権の蚕食が今回の米国による攻撃原因の一つにもなったと云われている。シナがあちこちの開発途上国や中進国に「援助」という侵略をすると、援助された国々が「離陸」するのが却って大変になることをベネズエラが教えてくれるようだ。ニュースを見ているとベネズエラにまつわる様々な出来事が脳裏に浮かんできた。
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