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2026年1月

2026年1月31日 (土)

「個人では行きにくい中国地方の名所を一度にめぐる 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅 4日間」宮島

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日目の昼食は出雲大社の参道にある蕎麦屋で出雲そばとぜんざい

石見銀山を駆け足で見た後は出雲大社に参拝し、中国山地を超えてその晩は広島市に宿泊である。東京人のふつうの感覚で云えば、石見銀山や出雲大社を訪れたら山陰地方に留まり、津和野に行くか、あるいは松江や鳥取を訪れる旅を考えそうだが、クラツーのこの旅行では一旦は広島に出て宮島見物をし、最後はまた山陰の萩に戻るという変わった日程が組まれている。その上、三次では先の広島サミットでワインを提供して最近話題になっているワイナリーを訪ね、翌日、宮島観光の後は、「日本の三大美塔」と云われる山口市の瑠璃光寺の五重の塔を見物、さらに秋吉台のカルスト台地まで寄ると云うから、まさに「個人では行きにくい」名所がテンコ盛の企画と云える。松江自動車道など道路網が整備され渋滞もないためにこのようなスケジュールが可能になるのだが、各宿泊地での起床は毎日6時頃、朝8時には宿を出るというけっこう厳しい旅であった。

 

こういう団体旅行に参加すると、同調圧力と社交性の欠如という「日本人らしさ」が発揮されているように感じることがままある。添乗員が「12時までにバスに戻って」と案内すれば、軍隊の10分前集合ではないのに、11時50分にはもうほとんどの参加者が自分の席に着いて静かに発車を待っている。我々は集合の3分前くらい前、ぎりぎりにバスに戻ってくることも多いが、車内を自分たちの座席に戻る際、都度「いつも遅いね~」という冷たい視線を通路の両側から浴びるような気がする。妻はギリギリになって「あ、もう一つ買うの忘れた」などと、バスの前で踵を返してみやげもの店に戻り、発車時刻直前に悠々と戻ってやきもきさせることもしばしば。決められた時間に遅れたわけでもないのだから、堂々としていれば良いものの、気の小さい私は、周囲のせっかちな視線に戸惑い気味である。その一方、バスが目的地につけば我先にと乗降ドアに殺到する人が多いのも不思議だ。見知らぬ者同士の団体旅行と云えば、総じて挨拶が下手な人が多いのも気になる。話してみると悪い人ではないのだが、道中目があっても視線をそらせ見て見ぬフリをする参加者も多い。数日間同じ旅を共にする『仲間』なのだから、挨拶や会釈、気の効いた会話くらいは交わしたら如何かと云いたくなる無表情な参加者は特に男性に多いようだ。どうも男は扱いづらい。

 

こうして旅の3日目は宮島にやってきた。日本三景の一つ、宮島は何度も訪れたことがあるので、今回はガイドによる厳島神社の参拝もそこそこに「宮島歴史民俗資料館」を時間をかけて見学することにした。宮島は平清盛をはじめとする平家一門の厳島信仰により広くその名を知られた社である。ここ宮島歴史民俗資料館で神戸一の谷から讃岐の屋島、最後に壇ノ浦と平家が瀬戸内を西に西にと敗走するさまを学ぶと、平家の落人が海辺の各地にひっそり住んだと云われる瀬戸内の歴史のロマンを感じることができる。また地乗り航法の時代には、宮島は瀬戸内海航路の重要な基地だったとの展示もある。北前船はじめ昔の船乗りはこの地で一休みした後、潮や風に乗って音戸の瀬戸から安芸灘、蒲刈島や三原瀬戸へと上方に向かったことだろう。目の前の海峡を眺めていると、当時の船乗りたちの姿が目に浮かぶようだ。ここで各自でとった昼食は、「勝谷菓子パン舗」の「勝谷あんマーガリン」パンと「広島お好み焼きパン」をトライした。このパン屋さんは、もともとは名物もみじ饅頭を作っていたそうだが、2018年からもみじ饅頭のアンを挟んだコッペパンを店の奥でこしらえるようになったそうだ。もみじ饅頭に代わる一風変わった地元新名物パンの食感は、「宮島にきたぞ」という実感を湧きたたせてくれた。同じ場所でも旅は何度来ても良いものだ。(続く)

 

今回は宮島民俗資料館をゆっくりと見学
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宮島の新名物 「あんマーガリン」の勝谷パン舗
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2026年1月29日 (木)

「個人では行きにくい中国地方の名所を一度にめぐる 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅 4日間」石見銀山

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観光用に整備された龍源寺間歩の坑内

 

世界遺産の石見銀山である。これまで出雲大社を訪れる機会があっても、その先の山陰本線の列車本数の少なさに銀山のある大田市まで来るのを諦めていたが、今回やっとバスの団体旅行で石見銀山を訪れることができた。江戸時代初期の最盛期には、世界の3分の1 にあたる銀の産出量を誇った我が国だが、そのかなりの部分を掘り出したのが、石見銀山とのことである。往時のヤマの姿が残されているだけでなく、環境保護や関連する諸施設の在り方、銀に関連する物流を伝える史跡や鉱山の社会性などが総合的に判断されての世界遺産認定だそうだ。と云っても石見銀山は世界遺産区域だけでも500haあり、緩衝地域はその6倍もあると云う。500ヘクタールと云うと500万平方メートルになるから、仮に幅が1キロとすれば奥行は5キロと広大な上、鉱山の町や銀の積出港だった温泉津(ゆのつ)までの街道、世界遺産センターなどを訪ねると見学は一日だけでは済みそうもない。とはいえ団体旅行ゆえ、ここだけ時間をかけるという訳にはいかないので、今回は最もポピュラーなコースで常時一般公開されている龍源寺間歩(間歩とは坑道のこと)を現地ガイドの案内で廻る3時間弱のツアーであった。


龍源寺間歩を巡るツアーは駐車場から往復で5キロあり、坑道までの上り路(帰りは下り)や間歩内の狭い坑道を徒歩で廻るため、シニアにとってはけっこうな「健脚コース」である。もっとも往復の山道には一部で有料の電動カートも利用できるが、途中にある精錬所の跡など、あたりの雰囲気を感じるにはやはり徒歩に限る。ということで、我が団体一行40名弱も小雪の中を、テクテクと龍源寺間歩までの道を上っていった。しばらくすると、銀鉱脈が発見された仙ノ山を中心に露天掘りの跡や朽ちた坑道口があり、それらを見ていると往時はどういうふうに鉱山が経営されていたのかと興味が湧いてくる。歴史を紐解けば1500年代初期にこの地で銀が発掘されて以来、毛利氏や尼子氏などの有力戦国大名の間で土地領有の争いが絶えなかったそうだ。各間歩の経営は山師と云われる親方の下に銀堀り(カネホリ)と呼ばれる坑夫、精練に携わる灰吹士などが集まってほとんどが私有で運営され(徳川幕府の直営間歩も一部にあった)、精練された銀を奉行所(のち代官所)が買い上げたとのことである。銀山一帯は、戦国時代から江戸時代初期・中期にかけてもっとも繁栄したそうで、鉱山関係者や役人のほか寺社仏閣も多く、商人や芸人、遊女などで大変な賑わいだったそうだ。最盛期には周辺の町を合わせると20万人が暮らしたというから大変な産業地だ。


すぐ真上の天井に無数のコウモリが冬眠するせまい龍源寺間歩に入ると、劣悪な環境で作業するカネホリは一日4時間労働の4交代制だったとガイドさんの説明が入る。カネホリは粉じんによる健康被害で平均寿命は30歳だったが、それでも高給につられてとても人気がある仕事だったそうだ。代官所も彼らの衛生面や待遇には特に気を配っており、特殊なマスクの着用を奨めたそうで、鉱山の町で働く人とは「悪代官様」、「ははー!ご無理ごもっとも」という関係ではなかったとのこと。住人が良いものを食べていたため、鉱山の町から出た糞尿は他の地区より栄養価が高く、近隣の農家の肥料として高く売れたとガイドさんは往時のエピソードを披露してくれる。同じ世界遺産である長崎の軍艦島でも知ったことだが、日本の労働慣行は、使用人を馬車馬の如くこき使って利益を上げるのではなく、経営と現場が一体となり生産性を高めるのが伝統である。「朝鮮人労働者が強制労働で一方的に搾取された」などとかつての就業体制を批難する半島の人たちやパヨクが今も時々いるが、彼らは自分たちがそういう性根ゆえ、疑いもせずにほら話をこしらえるのだろう。いわゆる”慰安婦”問題然りである。こうして石見銀山のごく一部だけに触れたツアーだったが、機会があれば、灰吹法と呼ばれる精練方法や物流の実態、鉱山で栄えた大森の町並みなどをもっとゆっくり探求してみたいものである。ガイドさんにはお礼と共に「また来るね~}と挨拶して山をおりた。(続く)

 

露天掘りの跡の他、あちこちの岸壁にはかつての間歩の入口を見ることができる
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2026年1月27日 (火)

「 個人では行きにくい中国地方の名所を一度にめぐる 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅 4日間 」

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羽田便が一日2便のこぢんまりした萩・石見空港

先週末は金曜日から月曜日まで、クラブツーリズム主催の「個人では行きにくい中国地方の名所を一度にめぐる 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅 4日間」に参加した。江戸時代には世界で産出される銀のほぼ3分の1を占めたと云われる世界遺産の石見銀山、幕末の志士を数多く輩出した萩の城下町、それに小学校時代に家族で行った秋吉台のカルスト台地を訪れてみたいと予てから思っていたのだが、とにかくこの地方は関東からの交通の便が悪い。中国地方の日本海側を貫く山陰本線は、今や東西を連絡する列車がほとんどないローカル線となり、多くの優等列車は山陰・山陽連絡で山陽新幹線連絡に向けての運転だ。島根県~山口県を効率よく廻るには実質的にレンタカーしか手段がないのだが、まったく地理勘のない地方を相当な距離に亘ってドライブするのが億劫で、永年二の足を踏んでいたエリアである。こんな場所こそ地元の観光バスでぐるっと連れて行って貰うのが便利だと思っていたところ、クラツーの企画を新聞の折り込みチラシで知り参加したものである。


なんでもこのツアーは「萩・石見空港利用拡大促進協議会」の助成金を受けているそうで、往復航空運賃+貸切バス+3泊料金(うち夕食2回付)、それに石見銀山や宮島で現地ガイドもついて料金6万5900円 (プラス空港利用料900円)とリーズナブルな設定。ということもあってか、羽田空港に集合した一行は、総勢40名ほどと、これまで私が経験した団体旅行の中ではもっとも多い参加者である。数えてみるとカップルでの参加は6組12名、シニア男性一人参加が5名で、残りのほとんどが中高年の女性、それも一人参加が多いというオバちゃん主体のツアーとなった。中には世界中あちこち旅した女性もいるようで、今回は目的地からしてかなり 「通」好みの旅だと云えよう。この大集団を率いる添乗員は(比較的)若手の女性一人のみで、安い旅という事もあるのか、3泊の道中はバスガイドがおらず、運転手との打ち合わせを含む行程管理はすべて彼女の手に委ねられていた。通常、団体旅行の際には、出発の数日前に添乗員から自己紹介やら注意点などの案内電話があるのだが、今回これはなく、旅の案内もネットから自分でダウンロードせよとの省力化を徹底した成果が、この料金になるのだろう。個人的にはバスガイドのローカルな案内や土地の民謡を聞くのが団体旅行の楽しみの一つなので、もう少し高くても良いからバスガイドは乗車して欲しいところだった。


3泊と行っても「萩・石見空港利用拡大促進協議会」の助成金の都合により、一日2便しかない羽田/萩・石見間のANA便フライトを利用することがマストとあって、行きは羽田空港を15:55発 / 萩・石見空港17:35着、帰りは萩・石見空港を11:20発 / 羽田空港12:45着と、結果としては旅の前後に関してかなり余裕のあるスケジュールとなった。そのため都内や近郊だけでなく、関東一円からの参加者は早朝早く自宅を出たり、帰宅が遅くなったりすることもなく便利だというメリットもあったようだ。何人かの同行者と食事の際などに話をしたが、茨木や栃木からも無理なく参加できると遅めの出発・早めの解散時間をよろこぶ声を聞くことができた。この週末は日本中が大寒波で「不要不急の外出は控えて下さい」とニュースが告げているため、旅程は一体どうなることかと訝りながら、羽田空港の集合場所に赴いたのだが、幸いなことに大雪の雲は島根県西部や山口県には余りかからず、飛行機も時間通りに出発することが分かってホッと一安心。旅の際中も、時に雪が散らついたものの晴れ間もあって、観光には差し障ることもなかったのがラッキーだった。みな普段の心掛けが相当良いのだろう(続く)

 

3泊、400キロ超のバス旅は地元、防長バス(車種:日野セレガ)の運転手さんが宿泊しながら一人でドライブ、バスガイドの声が聞けなかったのは残念だった。
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2026年1月17日 (土)

「東京発着 新春の四日市クルーズ」その(3)木曽三川・治水を知るツアー

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宝暦の治水工事で亡くなった薩摩藩士らが祀られる治水神社


新春の四日市寄港クルーズとあれば、まず思い浮かぶのが「お伊勢さん」参りである。「飛鳥Ⅱ」で2019年に来た際に訪れた椿大神社へ初詣というコースもある。今回は四日市の寄港日に何をするのか皆に諮ったところ、あれこれ案はあったものの、結局決まったのが、「木曽三川の治水について学ぶ」ツアーをしようという事になった。「油島千本松締切堤」の上をクルマで走って薩摩藩士らを祀った「治水神社」に行き、隣接する「木曽三川公園タワー」と、この地区の洪水をいかにコントロールしてきたかの歴史を展示する付設博物館「水と緑の館」を見学するというものである。これらは四日市から名古屋方面に向かって25キロ~30キロ離れた県境にあるのだが、初のクルーズでせっかく四日市に寄港したのに、神社仏閣より社会科見学のような目的地に興味があるとは一風変わった一族である。もちろんこんなマニアックな場所を見学するために本船から出るツアーはないし、近鉄やJR線だけで行ける場所ではないので、まずはレンタカーが必要となった。


国内クルーズでは寄港地で時々レンタカーを借りるのだが、土地鑑のまったくない場所で帰路に渋滞に巻き込まれやしないかなどと、帰船の時間がいつも気になるものだ。気が小さい私はレンタカーでの行動では、午後になるや名所見学もそこそこにやたらと帰り路を急ぎがちになるが、大体に於いて結果は、最終帰船時間のはるか前に港にたどり着いて妻に呆れられることが多い。今回もかなりローカルな目的地とあって、時間管理という点では少々気懸りだったが、幸いなことに義弟は新卒で外車のディーラーに就職し、その後もクルマに関係した仕事をこなしてきた運転のセミプロである。六人乗りのミニワゴンを借りて、木曽三川の輪中や桑名宿の七里の渡しなど数か所の見どころを周遊し、最後は桑名で名物のハマグリも食べようと盛り沢山の行程を躊躇なく引き受けてくれたのでまずは安心である。最新のカーナビも彼のスマホにあり、行程管理も自信ありそうだ。


木曽川、長良川、揖斐川の三大河川が集まるこの地方は、陸路や橋梁が整備できず、江戸時代の東海道は、名古屋の熱田宿から桑名宿まで「七里の渡し」として海路で結んでいた。地質的に東側を流れる木曽川から西の揖斐川に向かって台地は傾斜しており、各河川の川床の高さが違うなど、治水が非常に難しい土地柄だそうで、古くから大雨が降ると洪水が起きやすく被害は甚大であったとのこと。この木曽三川地区で、「油島千本松締切堤」を通って、まずやって来たのは治水神社である。揖斐川と長良川の合流近くにある神社は、宝暦(1751~1764)の頃、幕府の命でこの地区の治水普請に当たった薩摩藩士の犠牲者の霊を鎮めるために建立されたと由緒を記した案内板にある。ここでは工事の遅れや予算オーバーで責任をとって自決した武士、疫病で倒れた者など100名近い命が失われたとそこに記されていた。故郷を遠く離れて縁もゆかりもないこの地で、苦行にあえぎ多くの犠牲者を出した薩摩藩の幕府に対する恨みは強かったそうで、これが明治維新の倒幕の先鋒、薩長同盟に連なっているのかもと歴史に思いを馳せた。


近くの「木曽三川公園タワー」から、名古屋や岐阜市、遠く関ケ原や鈴鹿山脈を一望し、「水と緑の館」では木曽三川の成り立ちや河川の舟運、さらに昭和の伊勢湾台風時の被害写真などを見学して「木曽三川の治水について学ぶ」テーマに沿った一同の好奇心はかなり満たされたようだ。洪水から住宅地を守る輪中を通り、「湾岸長島PA」で名物はまぐりラーメンの昼食を摂った後は、「桑名の七里渡し公園」や、山林王と呼ばれたこの地の実業家、諸戸清六の邸宅「六華苑」を見学して、我々一同は四日市にとって返した。こんな旅にはレンタカーが便利、運転のうまい親族がいてもっと便利、予定の時間に飛鳥Ⅱに戻った四日市への寄港であった。この港に「飛鳥Ⅱ」で寄港するのはこれで三回目だが、有名な名所・旧跡の観光地を訪れるだけでなく、少し視点を変えればその土地の歴史や地理・文化をより深く知る得る機会はある。「この港はもう来たことがあるからいいや」と思わず、違うポイントからアプローチすれば日本中そこかしこに興味を掻き立てられる題材がある。(了)

桑名と云えば「はまぐり」ラーメン
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木曽三川公園タワーより  もっとも左側が木曽川、眼下が長良川、右側が揖斐川 長良川/揖斐川間の堤が「油島千本松締切堤」
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2026年1月16日 (金)

「東京発着 新春の四日市クルーズ」その(2)

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お代わり連発 「ふぐ白子豆腐 清まし仕立て」

 

一族郎党を引き連れてまずは船内見学である。こちらが船首(オモテ)、こちらが船尾(トモ)、右舷はサインボードが青、左舷は赤と説明しても、なかなか方向が掴めないようで、一同あちらへ行ったりこちらを見たりと落ち着かない。一通り見学して回り義妹の口から出た感想は「なんか、義兄さんたち、日本人でもフィリピン人のクルーでも、あちこちでとても親し気にあいさつしてたね」。そう、一度乗ると顔を覚えてくれ「お帰りなさい」とニコニコ応対してくれるのが飛鳥Ⅱの良さである。妻は昨年の世界一周クルーズで担当だった客室係の女性に会えることを期待して、みやげのお菓子を持参していたところ、廊下を歩いていたら後ろから「あ~、○○サマ?」と声をかけられ「ヤーン、会えて嬉しい」と思わずハグを交わしたそうだ。始終乗客が入れ替わり、こちらがいつまた訪れるかは彼女たちはまったく知らないのに、半年ぶりに姿を見た瞬間に名前まで出て来ることに感心することしきり。最近、知った人の顔を見ても名前が中々出て来ない私からすれば驚異である。こういう出会いが、クルーズの愉しみの一つでもある。


西口元総料理長の正統的な洋食、次の現総理長である瀧氏の凝った献立に続き、このクルーズでは和食の岡本総料理長が指揮を執っていた。これまで2泊のクルーズでは、両晩とも洋食の献立だった記憶があるが、今回はさすが2日目のディナーは和食メニューであった。さてどんな味かとテーブルにつくと、前菜に続いて出されたお澄まし(ふぐ白子豆腐、清まし仕立て)のなんと美味かったことか。濃いめの出汁と塩の塩梅が絶妙で、一同まずは 「お代わり!」。柿をくりぬいた器にフルーツ白和えを盛った凌ぎも手が掛かっていて皆でまた 「お代わり!」。卓上コンロで自分で調理する黒毛和牛すきやきでは、義弟が2回肉の追加、80歳台義母も含めて女性陣も漏れなく追加を連発して、揃いも揃ってなんと食欲旺盛な一族かとクルーに呆れられたに違いない。何度頼んでも「お代わりは出しません」とにべもない某邦船他社のクルーズ船には爪の赤でも煎じて呑めと言いたくなる大盤振舞である。


クルーズと云えば我々にはダンスである。今回のダンス教師陣は世界一周クルーズで毎朝、毎夕、計150回ほどレッスンをつけてくれた山本先生(男)、小森先生(女)のコンビであった。2泊の短いクルーズにも関わらず2日目の午後にはダンス教室も開催され、例によってマンボとスクエアルンバ。何事においても、好奇心が羞恥心を大幅に凌駕する義弟夫婦や姪っ子も揃って参加したが、この姪は中学・高校時代にダンス部とあって、パーティダンスのステップなどは一度習えばその場ですぐ出来る。やはりダンスは若いうちに始めるに限ることを彼女が教えてくれるようだ。2人の先生たちも我々夫婦の技量を知っているため、夜のダンスタイムに小森先生から「踊りましょう」と誘われても、今回は躊躇なくクラブ2100のフロアーに立つことができた。踊りながら「いろいろな技をご存じなのね」と褒められれば「これ、先生にこの前のクルーズで教えてもらったステップで、一生懸命思い出し出し踊ったんすよ」、「あら、そうだったかしら、何をお教えしたか忘れたわ」などと楽しい会話が弾んだ「新春の四日市クルーズ」の夜であった。

 

最近は夜のダンスもそれほど躊躇しなくなった(クラブ2100)
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2026年1月15日 (木)

「東京発着 新春の四日市クルーズ」その(1)

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フネを横目に見ながら露天を延々と歩かされる東京港国際クルーズターミナル駐車場

2026年新春、我々のクルーズは、2泊の飛鳥Ⅱ 「東京発着 新春の四日市クルーズ」 から始まった。今回は、ロングクルーズに乗船する際に、いつも留守中の税金の支払いなどで世話になっている妻の母親、義妹夫婦、大学卒業を前にしたその娘(姪)ら総勢6人乗船の謝恩クルーズである。このクルーズは「飛鳥Ⅱ」では珍しく、東京港の新クルーズターミナル発着とあって、現役バリバリで働く義妹夫婦にとっては、仕事の不稼働時間がミニマイズできることも乗船理由の一つとなる。とは云うものの、東京港の台場地区にできた新しいクルーズターミナルは周囲がまだ整備されておらず、ゆりかもめ「東京国際クルーズターミナル」駅からのアクセスは、およそ旅の序章を盛り上げるような雰囲気ではない。特に自家用車利用の場合は、粗末な駐車場から手荷物を持って吹き曝しの道を800米も歩かされ、一体これが首都の「国際クルーズターミナル」なのかと呪いたくなる殺風景なアクセスだ。雨や雪でも降ったらどうするつもりなのだろうか。クルーズ船の乗下船と云う面では、雰囲気も便利さも横浜港の大さん橋に遥かに劣るのが、ここ東京国際クルーズターミナルの現状であった。

 

さて、今回の「新春の四日市クルーズ」は東京港出港が午後4時半だったが、たまたまこの日の午前中、船内は4月24日から始まる「2026年アラスカ・ハワイグランドクルーズ」の生活説明会会場に当てられていた。今さら飛鳥Ⅱの船内生活や各種催しを案内してもらう事もないのだが、この説明会では最後にメインダイニングで、ランチのコース料理と飲み物 (ビール等のアルコール類も。以前は飲み放題だったがここ数年は一人一杯限りになってしまった)が振舞われることになっている。たまたまその日の夕刻からのクルーズに乗船するのだから、この説明会に参加すれば朝からクルーズ気分を味わうことが出来ておトクではないかと思い、郵船クルーズ本社に当日の居場所を確認することにした。曰く、朝の説明会受付で荷物を渡しておけば、アサインされるキャビンまで届けてくれ、一旦ターミナルまで下りずとも、船内のレセプションで2名分のチェックインもやってくれると云う。という事で、この日は朝から説明会に出席、そのまま船内に居残らせてもらい午後からのクルーズに参加することとした。変則的な頼み事も、可能である限りかなえてくれようとするのが飛鳥Ⅱの素晴らしい点で、この姿勢がファンを引き付ける所以であろう。

 

無料のランチビールでほろ酔い気分となり、食事後はパームコートで寛ぎつつ、早々に船内でチェックインを済ませると、午後2時半過ぎにクルーズ参加者が乗船してきた。こういう機会はそう滅多にはないのだが、真っ先に乗船する10階のスイートルーム客たちが、ボーディングブリッジを通って乗り込んで来るのを、船内からゆったり眺めるのは、ちょっとした優越感である。そうこうするうち、やがて妻の母や義妹夫婦などの一団が賑やかに乗り込んできた。姪っ子は低学年だった2009年に、我々と一緒に「にっぽん丸」に乗船したことがあるものの、小さ過ぎて細かい記憶は定かでないらしい。「豪華客船・飛鳥Ⅱ」には初乗船と言うことで、アスカプラザのゴージャスな雰囲気に一同頬も紅潮しているようだが、そう云えば今から20年以上前、内外のクルーズ船に乗り始めた頃は、我々も興奮して舷門をくぐったものだった。動くリゾートホテルというだけでなく、その日の気象や海象によって航海模様が変わり、クルーや乗客が混然となった一種の閉鎖的空間で過ごせば、翌朝には別の町、別の国という旅の有りようが、クルーズへの憧れを駆り立てるのだろう。

 

この「東京発着 新春の四日市クルーズ」は700名超の乗客で満船状態であった。最近あまり経験したことのない大人数である。通常は年末年始クルーズのあとは閑古鳥が鳴くことが多いそうだが、それを見越して、今回は東京都民には割引がある「都民クルーズ」とした上(そのため東京港発着とした)、クルーズコンサルタント試験の合格者向け乗船研修も受け入れて集客したとのことである。このため旅行社の社員ら普段あまり見かけない若者の団体が数十名乗船しており、船内は若やいだ雰囲気に包まれていた。満船とあって朝食ラッシュの時間帯や、行事が一段落した後の風呂場(グランドスパ)では、一部混雑が見られたが、どこも大混乱というほどではなく、この船の乗客誘導の動線管理が優れていることを改めて実感することになった。ただ若者団体の中には、明らかに日本人とは違うアジア系グループが見られたのは些か気になる点だ。商船三井クルーズでは米国最大手クルーズ会社である「カーニバル」と組んで、インバンド需要も取り込むそうだが、郵船クルーズもアジアからの乗客に向けてセールスを始めるのか。国内ではインバウンド観光客による様々な弊害が取り沙汰されている。外国人の乗船を嫌うわけではないが、本船の良さが損なわれないように海外からの旅行者を迎えてほしい処である。

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誰もいない船内でパームコートを占有

2026年1月 5日 (月)

マドゥロ大統領拘束 ベネズエラの思い出

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カラカス市内にあったベネズエラ建国の父 シモン・ボリバー将軍の像

 

新年早々、米トランプ政権はベネズエラで軍事作戦を実行し、マドゥロ大統領を拘束してNYへ連行、同国の政治を米国が運営すると表明した。ベネズエラはシナ製の麻薬の一大中継地であることをトランプ大統領は問題視している上、マドゥロ政権がシナの石油利権と深く結びついていることを危険視しての軍事介入である。かねてから不正選挙で選ばれたマドゥロ大統領に正統性はないと米国は主張していたとおりだ。にわかにメディアから流れ来る首都カラカスでの軍事作戦の映像や、現地の特派員のレポートなどを眺めるうちに、1978年にカラカスを訪れた若き日のことを思い出した。当時、石油や鉱物資源の豊富なベネズエラは、第一次オイルショック後の原油価格高騰の恩恵を受け、国中が高景気に湧き、世界各地からの輸入物資で港は恒常的に船混み状態だった。私がその頃、研修生として乗船していた1万トンの日本籍の貨物船は、電気製品や雑貨、オリノコ川流域の製鉄所向けの鋼材などを満載し、パナマ運河を超えて、日本から一か月余りかけてカラカスの外港であるラガイラに到着した。コンテナライゼーションが導入される前の事である。港が満杯のため何日か沖待ちをした後に、船は漸く着岸できたが、南米の怠惰な労働慣行によって、荷役は10日間以上かかる見込みだった。


その間、本職の船乗りでもない員数外の研修生が船に居てもしょうがない、ということで少しでも南米の事情を知ろうと、カラカスにある駐在員のお宅にご厄介になることにしたものである。港のあるラガイラから標高1000米に位置する首都カラカスまではクルマで30分ほどで、日本でもまだ高速道路があまり整備されていない時代に、立派な道路を駐在員のアメ車で一気にかけ登った事を思い出した。カラカスの中心部にあるヨーロッパ風の豪勢なコンドミニアムの自宅では、夫人の手料理をご馳走になり、現地のインターナショナルスクールに通う娘さんに、緑濃き首都の案内をして貰ったことが懐かしい思い出である。ちょうどアルゼンチンでサッカーのワールドカップが行われていた時期で、ベネズエラこそ出場していなかったものの、ブラジルやメキシコなど中南米の国が得点を挙げると、中継放送を聞いていた町のあちこちから歓声が上がったものだった。男ばかりの小さな貨物船で荒波に揉まれて一か月余、久しぶりの家庭料理に家族団らんの空気に触れ、帰りの航海で日本に到着するのはまだ数か月先とあって里心がついたのか、カラカスではやけに人恋しい気持ちになったものだった。


東京外大のスペイン語科を出て、カラカスではベテランの駐在員だった会社の先輩は、「今この国は凄いインフレ景気になっており、輝かしい未来は期待できるが、インフラは未整備で貧富の差は激しく、未開の地が広がって、政治的にも混乱が絶えない」と国情を教えてくれた。あれからすでに半世紀、資源が極めて豊富であるにも関わらず、ベネズエラは今になっても経済的にも社会的にも混とんとしたままで、ついに米国の攻撃によって大統領が拘束される事態に陥ったとは何ともお粗末である。その航海でカラカスでの荷役を終えて、次に行った港はオリノコ川にあるマタンザス港で、ここでは新日鐵製の鋼管を荷揚げしたが、この地の製鉄所は日本の技術協力で操業を行っていた。マタンザス港ではちょうど上流で土木工事を行っていた日本のゼネコンの人たちが、久しぶりの日本船ということで粗末なボートでやって来て、船内で日本食を楽しみ一時を過ごして帰ったが、ベネズエラの発展には実に多くの日本資本が寄与したのである。ところが後年、日本の地位を奪ったシナによる収奪的で荒っぽい「援助」がこの国の役に立たなかったばかりか、シナによる石油利権の蚕食が今回の米国による攻撃原因の一つにもなったと云われている。シナがあちこちの開発途上国や中進国に「援助」という侵略をすると、援助された国々が「離陸」するのが却って大変になることをベネズエラが教えてくれるようだ。ニュースを見ているとベネズエラにまつわる様々な出来事が脳裏に浮かんできた。

2026年1月 3日 (土)

2026年(令和8年)正月

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令和8年元旦 強羅「つつじ荘」の初日の出


穏やかな東京の正月である。元旦は義母や義妹・姪一家と共に箱根にある新宿区の保養所・「つつじ荘」で迎えた。家で過ごせば、お節料理の準備などで女性たちにとってこの時期は大変なのだが、旅先なら上げ膳据え膳で彼女たちの機嫌もすこぶる麗しく、こちらとしても心が平穏に保てるというものだ。「つつじ荘」は区営の保養所とは云え、豊富な湯量を誇る箱根強羅の源泉かけ流し、それも硫黄成分の匂いが立ち昇る湯で、まさに「これぞ温泉!」という風情の宿泊施設である。豪華な設備や高級な食材があるわけではないが、白濁の湯に清掃の行き届いた清潔な館内とアクセスの良さ、年末年始には特別メニューや餅つきもあって、数日間ゆっくりと正月気分を満喫できた。せっかくなので、大晦日には大吟醸酒のボトルなどを奮発し、皆で日本の温泉場らしく大部屋に総勢6名の雑魚寝、浴衣卓球やカラオケも楽しみ、全部込み込みで一人一泊1万円とはさすが公営の湯である。


新年、我が国経済も積極財政の高市さんが首相になって大いに期待が持てるようになった。石破前総理のすべてに於いてだらしなかった所作、長々と何を言っているのか分からなかったスピーチとは対照的に、いかにもきちんと躾や教育を受けたことが分かる彼女の立ち居振る舞いが清々しい。ガソリン価格はあっという間に30円~40円も下がり早くも高市効果が実感できたし、シナの脅しにまったく動じない彼女の外交姿勢は頼もしい限りだ。最近はエマニュエル・トッド始め、著名な欧米の思想家が続々「次は日本の時代だ」との著作を出しているそうで、それらの根拠は日本の国体の継続性にあると云われている。古くからシナの冊封体制とは距離を置き、明治維新の混乱のさ中でも欧米列強に伍して独立を貫き、大東亜戦争の荒廃からも一早く復活したように、日本の国体が包含する レジリエンス(強靭さ)が、混沌とした世に再び力を発揮しそうだと世界から注目されている。いま世界の趨勢を見れば( リベラルと云われる)サヨクやグローバリズムが退潮し、反対に保守主義が復活して伝統への回帰が図られている。地球を俯瞰すると、高市さんの登板は誠に時宜を得たものだと思われ、この一年の日本の復活を期待したい。


個人的には元気なうちに、訪れたことのない場所をなるべく回りたいという気持ちで、1月はまず「 島根・広島・山口ぐるっと満喫旅」というクラツーの団体旅行に参加することにした。かねてから山口県の萩や島根県の石見銀山を訪れたいと思っていたのだが、東京から行くと、山陰各地を横に繋ぐ鉄道のダイヤは実に不便である。レンタカーという手もあるものの、土地鑑が無く苦労をしてまで行くこともないと思っていたところ、新聞のチラシにこの旅が掲載されているのを見て、迷わず申し込んだものである。団体旅行のメリットは、自分たちで行く場合には知り得ない、地元バスガイドや添乗員の案内を聞けることにある。レンタカーを利用すると、どうしても目的地へ急ぐ旅、点と点の旅になりがちなのだが、ローカルな途中景勝地の案内、ロスの少ない列車やフライトの乗り換え・接続時間など貸し切りバス旅行で得るものも多い。まだ 「若い者には負けられない」とは思いつつも、個人手配旅行と団体旅行を目的地によって使い分けながら、今年も旅を楽しみたいと考えている正月である。

 

今日は皇居周回コースの走り初め 昨夜の雪がまだ残る三宅坂
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