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2025年12月

2025年12月28日 (日)

慶応義塾志木高等学校蹴球部 祝・ラグビー花園 初陣を飾る

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花園ラグビー場 第三グラウンド 暖かい日差しの下でお馴染みタイガージャージの試合 

正月休みに入った。慶応競走部の後輩たちは箱根駅伝出場からもう何十年も遠ざかっているので、正月の楽しみと云えばラグビーの大学選手権だったが、最近は大学の蹴球部(ラグビー)も秋の対抗戦グループでは4位から5位で、かろうじて大学選手権に出場がかなう程度の成績にとどまっている。なんとか出られた今年の大学選手権も先日、緒戦で京産大に敗れてしまい、我々塾員(慶応義塾の卒業生)にはつまらない正月になるかと思ったら、慶應義塾志木高校の蹴球部が創部68年目にして初めて大阪・花園の全国高等学校ラグビーフットボール大会に埼玉県代表で出場することになった。神奈川県の慶應義塾高校の方は、過去に全国優勝の経験もあり、県代表として何度も花園に出場したことがあるが、最近は桐蔭学園や東海大相模などの強豪校がひしめく予選で敗れている。そんな中、特段スポーツに力を入れていない志木高が、今年は105回の記念大会で埼玉県の代表枠が2校に広がったとは云え、予選を勝ち抜いて花園出場の切符を掴んだのは快挙である。


慶応義塾志木高校は1948年にもともとは農業高校として開校した高校である。池袋駅から約20分、東武東上線の志木駅前に広がる校地は開校当時は5万坪もあり、校内で栽培された柿は銀座の千疋屋フルーツ店に納品されたほどの特産品であった。1957年に普通高校に転換した後は、神奈川県の日吉にある慶応義塾高校と同じく、退学にならない限りは、卒業生全員が慶応義塾大学の各学部に推薦入学できる塾内一貫教育校である。ただし普通部(日吉)、中等部(三田)などの中学から上がってきた生徒は、ほとんどが慶応義塾高校に進むため、志木高はかつては外部からの入学者がほとんどだったが、最近は普通部や中等部からの内部進学者も増えているらしい。2000人を超える生徒が在籍するマスプロの慶応義塾高校に較べると、志木高は750名ほどの定員のため、24の言語を学ぶことが出来るなどユニークな教育を行っているようだが、人数の関係もありスポーツに特化した活動は行っていない。野球で見れば先年、甲子園で優勝した慶応義塾高校と違い、志木高は県予選では通常2回戦~4回戦で敗退という年が多く、その意味でも今年の蹴球部の活躍は目を見張るものがある。


という事で暇な老生、志木高出身の友人と、昨日は日帰りで東大阪市にある花園ラグビー場に第1回戦の観戦に出かけた。正月休みに入ると、「大人の休日倶楽部」の3割引き切符が使えなくなるが、年内でこれを使えるのは昨日までだったのがラッキーだ。ラグビー観戦と云えば、ことさら気を遣うのが寒さ対策となる。寒風に震えながら観覧席でじっとしていると、じっくりと試合経過を見るどころではなくなるので、スキー用手袋を着用の上、携帯カイロにブランケット、重ね着用のダウンジャケット持参で大阪入りである。初めて最寄り、近鉄奈良線の東花園駅に降り立つと、花園には3つもラグビーグランドがあり、この日は地元の常翔学園(旧・大工大高校)が出場することもあって駅近辺は大変な賑わいであった。入場券を買えば、その日行われるどのグランドの試合も出たり入ったりしながら観戦できるため、志木高の試合が行われる第3グランドの観客席に座ると、第1グランドの試合を見てからこちらへ来たなどと話す高校ラグビーファンの声が周囲から聞こえる。学校関係者でない一般のラグビー観戦者が多いのは関東ではあまり見られない光景で、105回目となるこの大会が地元・大阪ではファンの間に定着していることが分かった。ジジイどもにこんな体験をさせてくれた現役志木高の塾生諸君に感謝、感謝。


心配していた寒さ対策がまったく不要だったほどの暖かな冬の日差しの下、慶応志木高と青森山田高校の試合が2時半過ぎにキックオフ。青森山田と云えばスポーツで有名だし、ここ数年、花園に連続出場しており、メンバーにはトンガ人留学生もいるから不気味な相手である。勝つにせよ負けるにせよ接戦になるだろうと思いつつ試合展開を見守ったが、敵にしても味方にしても、グランドでプレーする選手達は孫の世代で、どの顔も溌剌として頼もしく感じる。格闘技と球技の要素を混合したのがラグビーとあって、体をぶつけあいながら青春を謳歌している若者たちの姿を眼前にすると、つい目頭が熱くなるのは、こちらが齢をとったせいだろう。試合が進むにつれ、埼玉県予選でも多用した自陣からのモール攻撃が威力を発揮、加えてフルバック大澤君の走力などで、慶応志木高は青森山田高校のデイフェンスを粉砕してトライを重ねる。終わってみれば48対12と思わぬ大差で1回戦をものにして、友人と帰りの新幹線の発車を待つ間、新大阪駅のお好み焼き屋で祝杯をあげたのだった。慶応義塾は我が国のラグビールーツ校である。志木高には願わくはこの調子で勝ち進んで欲しいが、正月の間は「大人の休日倶楽部」の割引がないので、この後は花園まで行けぬとはちょっと残念だ。そういえばJALのマイレッジがあったかなあ?

 

ラグビーの記事と云えばサンスポ (今日付)
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2025年12月25日 (木)

三井オーシャン サクラ Visual Book

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"Visual Book"と称する 「三井オーシャンサクラ」に関する冊子(コンセプトブック)が届いた。商船三井クルーズのフリートに新たに投入される 「三井オーシャンサクラ」号に関する簡単なビジュアル・ガイドブックである。本船は昨年就航した3万2000総トンの 「三井オーシャンフジ」号とまったく同型船で、「フジ」が元々2009年に建造されたSeabourne Cruise社の 「Seabourn Odessey」号であり、「サクラ」は翌2010年に出来た 「Seabourn Sojourn」号であった。両船とも、欧米マーケットでは富裕層を対象に好評を博してきたヨットスタイルのクルーズ船で、ベルリッツ本でも5つ星を獲得してきた名船たちだ。商船三井クルーズはこの2隻を購入し、フジは2024年末から我が国マーケットで運航を開始、サクラは来年9月から営業を始める。両船の大きな違いは、「フジ」がバハマ籍で船舶管理がSeabourne Cruise社時代のものを引き継いでいるのに対し、「サクラ」が日本籍船として来春引退する 「にっぽん丸」の後継となることである。そのため「サクラ」はカボタージュ規制もなくなり、「フジ」に比べ国内だけの短い日程でフレキシブルなクルーズを組めるのが特徴となる。

 


「三井オーシャンフジ」は昨年8月に乗船したことはこのブログでアップした通りだが、今般届いた「三井オーシャンサクラ」のVisual Bookを見て、「フジ」との相違点および私なりに気が付いた点を挙げてみたい。

  • デッキ8のメインプールのトモ側に足湯が設置された → ショートクルーズでは大人が水着に着替えプールに入る光景もあまり見ないので、水のある場所の有効利用という点で足湯の設備を設けるはなかなか良いアイデアだと思う。
  • デッキ5のオーシャンクラブ&バーの一画を寿司バー潮彩に改装 → この一画はスペースが相当あるのに「フジ」ではあまり利用されていなかったので、寿司をつまめる場にするのも良きアイデア。
一方で
  • デッキ9のスパ&ウエルネスは "Seabourn Sojourn"号のままである(フジもそのまま)。→ やたら広いスペースにいくつもの温熱ベッドが置かれており、別室で西欧式のトリートメントの施術を受けられるが、これらがどのぐらい日本の中高年層に受けるかは疑問である。この雰囲気は少なくとも私の趣味ではない。
  • 高いと不評だったベッドの高さは変わっていないように見られる → 「フジ」で私はまったく気にならなかったが、SNSでは高いベッドがこわいという声が多いようだ。

 


すぐには無理だろうが、せっかくの日本船である。将来はデッキ9のスパ&ウエルネスは大浴場にして欲しいのでボイラーの増設などの大改造を、またデッキ5のオーシャンクラブ&バーは「船ではダンスや各種アクティビティーが楽しみ」という日本船ファンのために、(ピラーがフロア内にあっても良いから)ダンスフロアの拡張をドックで施工して貰いたい。また2デッキ船尾にあるマリーナは、現在まったく活用を考えていないようだが、このままでは他船にはないせっかくの設備が宝の持ち腐れとなる。ここを有効活用するような寄港地の開発、アクティビティの工夫を望みたいところだ。さてディナーの際にメインの「ザ・レストラン富士」で日本人の上級スタッフに聞いてみたところ「料理のお替わりは自由です」と言ってくれたのが今夏乗船した際の「フジ」である。反対に、何度頼んでも「お替わりは不可」とけんもほろろだったのがこれまでの「にっぽん丸」の「瑞穂」ダイニングであった。一方で、(特殊なものでない限り)アルコール飲料は「フジ」に次いで「サクラ」も料金のうちで無料、という酒飲みには嬉しい特典も今般打ち出された。 同型船2隻目が戦列に加わり、今後どういった差異をつけていくのか、はたまた商船三井クルーズの共通コーポレートカラーを打ち出していくのかが実に楽しみである。

2025年12月22日 (月)

「忘年親睦駅伝」@皇居

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桜田門外から祝田橋広場の駅伝の発着場を臨む


最近は仲間が集まってジョギングやマラソン練習を一緒に励む「走友会」が各地で盛んで、インターバル走など本格的なトレーニングを積んでいる会も多いようだ。私は普段せいぜい妻と一緒か、または一人で、ビールを美味しく飲むためにジョギングを楽しんでいるので、これら走友会には所属していないが、「ねんりんピック岐阜2025」の東京都代表団で知り合ったランナーの友人から、「走友連合忘年親睦駅伝」に出ないかと誘われ、昨日は久しぶりのタスキリレーに参加して汗を流した。この大会は東京近辺の走友会が集まり、男子は一般の部と壮年の部(50歳以上)、それに女子の部に分かれて4月と12月の年2回、皇居の周回コース(1周5キロ)で行われる駅伝で、1人5キロ X 4人で合計20キロを走るものである。3つの部があるとは云ってもスタートは一斉で、昨日はランパン、ランシャツ姿の本格的ランナーチームから、町のなんちゃってジョガー風やオバサンチームまで、参加約50チームのランナーたちがスタート・ゴールとタスキ受け渡し地点である祝田橋の皇居前広場に集まった。


我々は「ねんりんB」と名づけられたチームで壮年の部にエントリーである。構成は58歳が1人、70歳台が3人のシニアだが、ジジイと云ってもみな「ねんりんピック岐阜大会2025」や「鳥取大会2024」の東京代表だから、意気込みだけはそんじょそこらのチームには負けないつもりだ。心配された天気も曇り空で暖かく、スタートした我がチームの1区選手(70才台)は5000米を21分台、全体の中では半分ほどの上々のタイムで、祝田橋に戻って来た。2区ランナー(70歳台)も勇躍23分ほどで帰ってきて、3区担当、チーム最年長の私の番になった。いよいよタスキを受けとり肩にかけるや、結び目を背中に回して余った一辺の端はパンツの腰のあたりに入れて置くのだったな、とルーティンを咄嗟に思いだすあたり、若い頃に教えられたことは忘れないものだ。とは云っても私自身、日頃のんべんだらりと走っている報いか、厳しい追い込み練習の不足で、4キロまでは予定のタイムで走ったものの、最後の1キロはまったく足が伸びずに、22分半の想定よりも1分近く遅れて漸く4区のランナーに引き継ぐことになった。幸い4区の走者はチーム最年少とあって20分台で走り、4人合計では(多分)最高年齢の我がチームも、最後は若者たちに交じって全体の中位くらいで無事ゴールできた。もし年齢別にハンディがあったら上位入賞も出来たかもしれない。


それにしても日頃走り慣れたコースにも関わらず、設定タイムより1分近く遅いのはいささかショックである。ついこの前まで5キロなら20分以内で走れると思っていたのが、年齢を重ねるにつれて徐々にタイムは落ち、70歳になってからは21分も切れぬようになってしまった。家に帰ってさっそく日記を開きこの2年ほどの皇居での練習タイムを見ると、確かに昨年~今年は一度も22分台では走っておらず、昨日の結果はどうやら実力通りだったことが改めて分かった。レースとなればアドレナリンが出て、20~30秒は早くなるだろうなどと思っていたが、そういう 『思わぬ良い方』に記録が変わるのは、70歳過ぎにはおこらないようだ。若い頃に培った貯金もとっくに使い果たし、今は5キロを走るたびに一年で30秒ずつ悪くなっているようで、年齢には抗えないことを痛感する。今回一緒に走った”ねんりん仲間”たちは、仕事が暇になった50歳位から好きで走り始めたそうで、みな年齢と共にタイムが落ちても、不健康だった中年時代より体が軽くなったことを喜んでモチベーションをキープしている。学生時代に陸上競技を経験した私は「以前に比べて 記録はぐんぐん落ちる一方だし、かつてさんざん苦しい練習をしたから懸命に走る事はこれ以上はごめん」と内心思いつつも、『旨いビール』を飲む瞬間を思い浮かべては「ま、仕方ない、また今日も走ろう」とランニングシューズを履く。

 

追記:12月27日に本大会の正式結果が届いた。参加チームは49チームで、我が「ねんりんB」は壮年の部(50歳以上)19チーム中で7位、若者たちや女子に交じっての全体順位は49チーム中で18位相当と「若い者には負けられない」自負を発揮できた。但し4人の年齢合計ではもっと高齢チームが4チームもあることが判明。最高年齢チームはなんと4人で298歳と一人平均75歳である。それまで我々も頑張るか。

 

タスキの受け渡しを待つ次の走者
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2025年12月14日 (日)

「飛鳥Ⅱ 2026年アラスカ・ハワイ グランドクルーズ」の「寄港地観光ツアー説明会」

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郵船本社で行われた寄港地観光ツアー説明会

 

先日、「 飛鳥Ⅱ 2026年アラスカ・ハワイ グランドクルーズ」の「寄港地観光ツアー説明会」に参加した。来年4月末に横浜港を出発する同クルーズの出港日から遡ること約4ヶ月余、寄港地に於ける船会社主催のショアエクスカーションなどに関する案内の会である。説明会は東京で3回開催される他、福岡、大阪、名古屋でそれぞれ行われるが、その中で我々は東京で行われた最後の説明会に出席することにした。当日、丸の内にある郵船ビルの会議室に約50人から60人の乗船予定者が集合したところをみると、3回行われた説明会に東京近辺からは計約200名、各地会場を含めると全国から300名から400名くらいが参加したことになるのだろう。そう云えばこのクルーズの区間乗船ツアーのパンフレットも我が家に来ていたので、どうやら現時点ではまだ満船(定員約700名)ということにはならず、区間乗船を含めて400人から多くとも500人程度が乗船する適度な混み具合のクルーズになりそうと予想できる。


説明会では例によってクルーズに必要な持ち物や旅行保険の手引き、寄港地11港での本船主催ツアーの案内がなされ、参加者一同、スクリーンや配布の冊子を見ながら一時間半ほどの説明を受けた。もっとも紹介されたツアーは、すべて米ドル表示で、そもそも代金が割高な上に、今の為替相場で円に換算すれば、「えっ!」と驚くような値段である(ツアー料金はクルーズ時の為替で精算される)。私たちがアラスカクルーズに初めて乗船したのは、2008年夏の”セレブリティ・マーキュリー”号で、その時の記録を見てみると、ジュノーで行われたクジラウォッチングクルーズ(所要時間4時間)が船内での予約販売価格が135ドルであった。当時の為替が90円ほどだったから、邦貨にして約1万2000円である。一方で”飛鳥Ⅱ”で来年実施される同じ行程のツアーは200ドルで、もし為替が150円なら3万円となる。ケチカン港から行くトーテムバイト州立公園ツアー(2時間半)は、その時の船内予約が45ドル(4000円)だったのに対し、来年は120ドル(1万8000円)と設定されている。水上飛行機によるミスティフィヨルド遊覧飛行(2時間)も当時254ドル(2万3000円)だったものが、今や490ドル(7万3千円)と、どれをみても同じ内容のツアー料金が以前より3~4倍高くなりそうだ。


アラスカクルーズと云えば定番、スキャッグウエイ港から出る人気のホワイトパス・ユーコン鉄道(3時間)は、2011年に”ゴールデン・プリンセス”号のアラスカ・グレーシャーベイクルーズで訪れた際に乗車したが、その時129ドル(当時の為替80円で1万円)だった列車運賃は、来年は210ドル(3万2000円、ただし貸し切りとのこと)である。 『至れり尽くせり、何があっても安心』の飛鳥Ⅱのツアーであることを勘定に入れても、近年の値段の高騰には驚くばかりだが、これも海外はインフレで物価が高くなった上に、円安のデメリットが加わったことによるものである。”ゴールデンプリンセス”に乗船した際は、船尾の広いビスタスイートをエンジョイして7泊で料金は3500ドル、30万円を切る費用とあって、この15年で何と海外旅行の費用が嵩むようになったことかと今更ながら驚く。かつて我が国がバブル経済真っ盛りの頃、アメリカの物価は何でも日本の半分と云われたのも遠い昔の話である。これから来年4月の出発までに、日本国内は国債大増発で金利上昇、対する米国は経済の減速でFRBが金利を下げ、為替が一挙に1ドル100円ほどに戻らないものか、などと都合の良い妄想を浮かべてみたりする。


家に帰って配布された「寄港地観光ツアーガイド」の冊子をじっくりと読んでみたが、やはり各ツアーの値段の高さは気になる。わずかにスキャッグウエイの「シーニックハイウエイと犬ぞりキャンプ見学」(4時間、190ドル)だけでも申し込もうかと思っていると、妻はシアトルから3泊4日の「熱狂と勘当 メジャーリーグ観戦とロサンジェルス 3泊4日」の頁を開いて目を輝かせている。これはシアトルで一旦下船し、ロスでドジャースの大谷選手の試合を2試合見てサンフランシスコで船に戻るツアーで、代金はなんと一人5800ドル、今の為替なら90万円もする。かつては30ドルもあれば内野席で観戦できたMLBの試合が、いくら大谷選手でも「たかが野球」に90万円とは高騰の極みで法外、と冷ややかに冊子を眺めていると、妻は別の旅行社から届いた「MLB ロサンジェルス・ドジャース 3試合観戦 6日間の旅」のパンフレットをこれ見よがしに開いている。そちらを見ると日本からドジャースタジアムでMLB3試合を組み込んだ6日間のツアーは、往復のエターはビジネスクラス利用もあってすべて220万円~270万円になっている。「ね、これ見ると飛鳥Ⅱのツアーもそんなに無茶な料金ではないわよね」と、勝ち誇ったような視線を送ってくる。

 

2011年8月ホワイトパス・ユーコン鉄道乗車
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200万円以上のJTB2026年ドジャース観戦ツアーのパンフ
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2025年12月 8日 (月)

ねんりんピック岐阜2025 東京都選手団解団式

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10月18日(土)から21日(火)にかけて岐阜県下の各地で行われた「ねんりんピック岐阜2025」の東京都選手団解団式が、一昨日、東京都庁の大会議室で行われた。例によって「君が代」「東京都歌」斉唱、都の事務局の挨拶、団旗返還などの行事のあと、いよいよ東京の代表選手の成績が発表された。全国から参加した選手一万余のうち、東京都は30種目に309名が出場し、マラソン(女子5キロ)の他、サッカー、社交ダンス(団体戦)、ディスクゴルフ(個人戦)などの種目で優勝、他にも多くの入賞者を輩出したと報告がなされた。ねんりんピックは「健康福祉祭」であくまでスポーツの”交流大会”のため、都道府県別の順位比較はないものの、総合的にみて東京都は全国でかなり上位の成績を挙げたものと思われる。会場では各種目の成績がスクリーンに順次映し出され、優秀な選手の名前が読み上げられるたびに拍手が起き、その健闘をたたえて盛り上がった解団式であった。


解団式の後半は、各種目代表者による結果報告の時間に当てられた。各種目の代表がそれぞれ一人づつ、持ち時間1分程度で壇上で喋るという決まりであったが、高齢者の『あるある』で、とにかく話が長くなる人が多い。わざわざ解団式に参加する人たちは、時間がたっぷりある高齢者だからまあじっくり聞くのも良いものの、一人で5分くらいマイクを離さないツワモノもおり、皆なかなか話が終わらない。とは云っても若い頃はそれぞれの組織で、それなりのスピーチをした人も多数なのか、総じて話しが上手、場内を湧かせるユーモア混じりのトークもあり、運動能力が衰えていない老人はボケも少なく口も達者だと元気を貰った気がしてきた。またラグビーは60歳台前半の出場資格取り立ての若い選手が中心だとか、サッカーは都内の多くのチームの選抜者で構成されているなど、それぞれのチームの成り立ちがここで披露され、多人数で行う體育會系本格派スポーツのシニア『適齢期』選手集めが大変であることがわかった。と思えば「誰でもやる気があって手を上げれば都の代表ですぐ出られます」と言う、ふだんあまり耳にしない静的種目の代表あいさつも聞けて、「そうかこんな穴場のスポーツでねんりんピック参加の道もあるのか」となかなか興味深いスピーチの時間であった。


中には「岐阜市の長良川競技場で行われた開会式で選手達は立ったり座ったりさせられて大変だった。また割り当てられた宿がひどかった。」などと、岐阜大会の運営には無関係の東京の事務局にはまったくお門違いのクレームを発する発言者がいるのも、この種の高齢者イベントの『あるある』である。最近は個人情報保護法とやらで、写真集などは出さないイベントが多いなか、さすがシニアの大会だけあって、競技中の写真や集合写真、移動中の新幹線車内のスナップなど顔写真がばっちり満載の立派な冊子を参加者全員が貰って解団式はお開きとなった。それにしても会場を見渡せば、かくしゃくとしたシニアが多く、こんな元気な人たちばかりなら高齢者社会も安泰だと勇気も湧いてくる。我々も今回のマラソンの部の選手と前回のねんりんピック大会のマラソン選手で、合同駅伝チームを作って12月末に都内で行われる駅伝大会に出ることが決まり、それに向けて練習スケジュールを練るかなどと話しつつ会場を後にした。良い思い出の場を作ってくれた岐阜県に感謝である。

 

ねんりんピック岐阜2025 東京都選手団結団式
ねんりんピック岐阜2025に参加して~夫婦でのマラソン出場記 

顔写真満載の写真集
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2025年12月 4日 (木)

最近の風潮は

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新宿御苑側道の紅葉

クルマを運転しながらFMラジオを聞いていたら、対談形式の番組に国語辞典の編纂者が出演していた。彼曰く 「最近、『ご苦労様』という言葉は上から目線に聞こえるので使わない方が良い、ねぎらいの言葉であれば『お疲れ様』がふさわしい、という説が流布しているが、『ご苦労様』にはそんな人を見下すような意味はまったくない」とのこと。私も仕事で若者たちと日々メールの遣り取りをしているが、業者などに対して「ご苦労様」というべき箇所で、やたらと「お疲れ様」が出てくることに違和感を感じていたので、やはりそうだなとハンドルを握りながら一人で肯いていた。そのほか、日頃彼らとのメールでどうしても気になのが、「させて頂きます」のようにやたらとへりくだる口調、あるいは対象となる相手に面と向かっているのでなく一般的な客体である人(人々)に対してまで「いらっしゃる」という尊敬語を多発する点である。いずれも低姿勢であるかの発信にしておけば、波風が立ちにくい事を狙っているのだろうが、若者よ卑屈になる必要はないと云いたい。「ご苦労さま」「○○を致します」「○○がいます」で充分である。


先ごろ行ったホテルには無料で新聞が置いてあり、その「地域版」に、県内の結婚やおくやみ、新生児の命名を伝えるコーナーがあって、東京の新聞にはないので、ついそのページに見入ってしまった。なかでも目を引いたのが、赤ちゃんの命名欄であった。ある大きな市の赤ちゃんの新しい名前を上から読んでいくと、徠捺(きな)、夾生(こう)、暖弥(はるや)、紫響(しおん)、柚凪(ゆずな)、翔生(とき)、乃愛(のあ)、星來(せな)、空優(くう)、璃音(りのん)、琉彩(るあ)、世成(せな)等々となっている。これらはわざわざ凝った名前の例を拾ったわけでなく、掲載順にそうなっていたのである。これ以外も漢字はIMEパッドでなければ出て来ない字も多く、読み方もフリガナがなければまず読めない名前ばかりで、昔の様に一郎や春子などのシンプルな名前は見当たらないし、なかには性別がよく区別できないものもある。両親はさまざまな思いを子供の名前に託しているのだろうが、幼稚園や学校で先生は出席簿を読めるのだろうか、役所の窓口などで確認を求められたりしないのかと新聞を読みつつ他人事ながら気になった。名前の点からも世の中は変化している事を感じる。


中学時代の男女友人たちと昼呑み会を行う。最近は皆がヒマになって、幼稚園、小・中・高、大学、社会人など、各時代の旧友との呑み会が多くなった。こういう際にタッチパネルで酒や料理を注文するのに苦闘し、思った通りのグラスや料理が届くと皆で胸をなでおろすのがシニアの”あるある”だ。ちょっと値段が高くなってもよいから、従来の声掛け一つで注文を受けるテーブルがあれば気軽なのにと友人らとこぼすことしきりである。そのうちLINEで連絡しようということになり、皆がスマホを取り出すのは良いが「あーでもない、こうでもない」と友達登録やらグループの設定にひどく時間がかかるのも”お約束”。アルコールが廻るにつれて、亡くなった会社時代の友人へお悔やみをしようにも、個人情報保護法やらコンプライアンスがんじがらめで連絡先さえ教えてくれない現役の会社に憤慨の声も高まる。まあ最近の風潮に首を傾げることが多いのは、こちらが齢をとった証拠であろう。個人情報と云えば「近頃はAIとかで、顔だけ別にすげ替えられたり、別の目的で使われるのは心配、だから写真には写りたくないよね」と女性が云うので、「誰も70歳代も半ばになろうとする婆さんの画像を水着姿の下半身に合成したりしないぜ」と茶化したくなったが、そこは口にせず腹の中でぐっと呑みこんで杯を重ねた同窓会だった。

2025年12月 1日 (月)

風情ある高岡の町

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富山湾の海の幸 バイ貝、ブリ、アオリイカ、ノドグロ、白エビ、ヒラメのさしみ

 

人生に於いて、ある時までほとんど縁のなかった地方が、何かのきっかけで急に身近になることがある。我が家では富山県がそんな場所に当たる気がする。もともと仕事の関係で高岡市に近い富山新港を何度か訪れたことはあったが、これまで観光でゆっくりと訪れたことのない当地に最近はよく来るようになった(富山県に関連するブログは下のリンク先参照)。先週は仕事を兼ねた旅で、富山新港に近い高岡市を妻と一緒に廻ることができ、あらためて歴史あるその街並みに心を奪われた。高岡市は人口16万人で富山県の北西部、能登半島の東の付け根にある産業都市である。隣接する伏木地区は古代は越中の国府が置かれた土地であり、高岡は加賀前田家二代当主の前田利長が築いた高岡城の城下町として発展した。加賀藩の本拠地は金沢だったため、一国一城の令によりお城は廃城になるも、その後もここは加賀藩百万石の流通、経済の場として栄えた町である。江戸時代の後期から明治時代にかけては、伏木港が北前船の寄港地としてにぎわい、多くの廻船問屋や船主たちが活躍したのだそうだ。


富山県と云えば、山から海までいろいろと名物はあるが、まずは海産物だといえる。能登半島に抱かれた富山湾は3000米級の立山連峰が日本海に沈みこむ場所に位置し、水深が1000米もある深い海とのこと。半島の沖は北からの寒流と南からの暖流がぶつかる海域とあって、両方の海に住むサカナが集まる好漁場である上に、富山湾には神通川、庄川などの多くの河川が流れ込み、山からの栄養でプランクトンが豊富なのだという。自然の生け簀のような湾内には200種類ものサカナが生息し、中でもブリやホタルイカ、ベニズワイガニなどが美味で有名である。かつて出張で高岡に来た際に、地元の寿司屋で食べた氷見ブリが東京で食べる本マグロの大トロより旨いことに仰天したことは、『氷見ブリと「べるもんた」(1)(2)』で記したとおりだ。今回もお得意先の高岡の工場の人たちと、早めの忘年会を市内の料理屋で行い、寒ブリのシーズンにはやや尚早だったが、地酒でノドグロなどの海の幸を堪能した。


宴会の翌日は、夕方までに東京に帰れば良いから半日の高岡市内観光で、出張に一緒について来た妻とともに、ジョギングで名所を廻ることにした。日本の三大大仏と云われる(それにしては奈良や鎌倉のそれよりはかなり小さいが)高岡の大仏、商家の家並みが立ち並ぶ山町筋、鋳物師の町で千本格子や石畳の金屋町、高岡城址などを急ぎ足で見て回った。この町は空襲に遭わなかったために、明治~大正~昭和初期に出来た街並みがそのまま残っており、それが公園のように特別に隔離されていることもなく、町の景色としてごく普通にあるところが風情を感じさせる。かつては夜行列車で来るか、上野から富山まで特急「白山」や「はくたか」で6時間以上かけた距離も、北陸新幹線に乗れば東京~富山間は最速の「かがやき」で2時間強である。首都圏に住む人間にとっては、富山に限らず金沢や福井が今やとても身近な場所になったのが嬉しい。北陸新幹線が西に延伸するに連れ、これまであまり意識しなかった日本海側の各都市に、大変立派な歴史があり伝統の街並みが残っていることに、あらためて気が付かされる此の頃である。また富山県や高岡市をゆっくりと訪ねて来たいものだ。

 

2代目の前田利長が7人の鋳物師を呼び寄せて住まわせた高岡の金屋町
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2023年2月20日氷見ブリと「べるもんた」(1)
2023年2月16日氷見ブリと「べるもんた」(2)
2022年7月5日大牧温泉
2022年7月8日瑞泉寺・五箇山合掌造り・”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール(べるもんた)
2023年6月1日立山黒部アルペンルート(1)
2024年6月4日立山黒部アルペンルート(2)と上高地

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