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2025年10月 7日 (火)

田園都市線 梶が谷駅の列車事故

20251007
>画像は「日テレ鉄道部」のx投稿より。事故について分かり易く解説。

 

田園都市線の梶が谷駅で列車接触事故があり、通勤・通学の足が大混乱したとニュースになっている。20年以上前になるが、永年に亘り、この駅を利用していたので事故のニュースにはとても驚いた。今から思えば梶が谷駅には色々な特徴があって、それが今回の事故の遠因になっている気がする。渋谷駅起点12.2キロ、この駅は谷間のような場所にあり、構内両端がトンネルに阻まれている大きなカーブの場所に設けられている。そのため、見通しが良くない上に、多摩丘陵から多摩川に向かって緩く下る場所に駅は位置している。構内には隣接して保線区の基地があり、今回、回送列車が入った留置線への分岐器(ポイント)や、隣駅の溝の口駅始発の大井町線用車両を留め置く線路も設けられており、かなり複雑な線路配置の駅である。かつては上り・下り別、2ホーム4線の比較的簡単な線路配置だったが、混雑度ワースト記録の上位に常に名を連ねる田園都市線の上り列車のダイヤ改善のため、2007年に4番線を優等列車通過線専用とし、併せて上り3番線と4番線の駅進入の際のカーブを大きな r(半径)に付け替る等大規模な工事を行い、列車が速い速度で通過・入線できるようにしていた。


事故が起きた留置線は、新玉川線開通以前、かつて田園都市線と大井町線が直通していた頃から、18メートル車4両編成運転などの折り返し用に使われていた線路で、現在の長大編成列車を収容するようには出来ていなかった。この留置線は中央林間方面の頭端がトンネルに頭を突っ込んだ形のために、簡単に延長工事はできない構造になっており、現在の20メートル車10両編成にはギリギリの長さの運用である。また今回のように3番線ホームから留置線へ回送列車が移動する場合には、続行する上り列車は留置線と干渉しない4番線に入線すれば問題が起きる可能性がなくなるが、4番線は2007年の工事以降は急行など優等列車の通過専用線となり、ホームには柵があるなど客扱いができない構造になっている。これら駅の配線に関する様々な状況が今回の事故の背景になっていると考えられる。陸・海・空問わずこの様な事故が起きると、常日頃に交通に関心をもつ者として、何が事故の原因なのかを推理したくなる。専門家の調査もこれからで、まったく素人の推測にすぎないが、安全を担保する高度な予防システムの盲点を突いて起きる事故を、自分なりに考えてみることで、飛行機や船、鉄道を利用する際の興味の度合いも深まってくるのである。


ということで、事故の起こった当夜の事を脳内再現してみることにした。10月5日午後11時前は、日曜日とあって運転頻度も少なく、この日回送列車を運転していたとされる「見習い運転士」にとっては最適な訓練の機会であったことであろう。上り線路を走ってきた回送列車は梶が谷駅ホームの3番線に一旦入り、そこで指導運転士、見習い運転士、車掌は前後を交代、スイッチバックして2つのポイントを通過し留置線の停止位置を目指したはずだ。ところが留置線に入ってから車止めまでの速度が速すぎた為に、自動的にブレーキがかかったとされ、その結果、回送列車の最後端はポイントを過ぎてわずか数メートル、留置線に入ったギリギリの場所で止ったことが事故後の様々な報道写真から明らかになっている。そこは3番線の車両限界に抵触する場所であったため、止っている回送列車の最後部に、3番線に進入せんとする (本来は止まって待っていなければならなかった)後続の上り営業列車が突っ込んで両列車の側面をこする接触事故が起きたものである。この事故でケガ人が一人も出なかったのは、不幸中の幸いである。上に掲げた「日テレ鉄道部」の事故関連図が詳しいので参照されたい。

 

ここで一番の問題点は、なぜ留置線に入ったギリギリの場所、すなわち上り3番線の車両通過を侵害する場所に回送列車が留まっているのに、後続で3番線に入る各駅停車列車のATCが「進行信号」を出したかである( 田園都市線はATCが設置されてるため構内信号機はなく、運転席の速度計に進行・注意・停止や速度制限が表示される )。これは多分、回送列車の最後尾である10両目の台車がポイントを通過し終わって数メートルの地点で、この列車は留置線に入線が完了したもの、少なくとも3番線に入る後続列車の支障にはならないとするように信号回路が設定(=軌道回路の設定)されていたことが原因だと思われる。軌道回路システムはATCと結びつくので、その状況で後続列車の車内表示は「進行」となる。ところが最後尾の後端が止った地点は、実際にはまだ3番線列車の車両限界を侵害する場所であったため、進入してきた後続列車が回送列車の最後部に接触したものであろう。だとすれば実際の車両限界に抵触して軌道回路の設定をしたマッチングミス(不整合)がこの事故の第一原因だと推測できる。もう数メートル回送列車が前進していたか、あるいはポイントにもっと接近した場所で止っていたら、この事故は起こらなかったはずで、たまたま2つの基準の不整合による陥穽に車両が陥って事故が起きたと云えよう。


さらに考えるべきは2007年の工事の際、上り3番線の"r"を大きくして列車進入速度を上げるため、それ以前より留置線に接近して線路を付け替えたとされる点だ。これにより留置線と3番線の線路はポイント近くでいつまでも近接して、2線の車両限界が長く干渉しあうことになったが、この線路配置が適切だったかは、今後検証されることになろう。また見習い運転士が留置線に入った際に、速度超過のために非常ブレーキが機能して列車が停止した点が事故の起因となるが、長さ的に余裕のない梶が谷駅留置線に於いては、夜間はより慎重な運転操作が求められるので、見習い運転士には荷が重かったのかもしれない。もう一点、留置線の頭端まで行かずに止まった回送電車を直ちに再起動させて前に進ませれば、この事故は起こらなかったはずだが、ちょうどこの時「防護無線」が発信されたために、近隣のすべての列車の移動が行われなくなったと報道されている。「防護無線」発進→指令との遣り取りの間、その場に回送列車が止まっているうちに、後続の列車が (目視によって以上を察知し非常制動をかけてとも、下り勾配によって速度を落としきれずに)突っ込んだのだろうか。防護無線は誰が発信したのか、後続列車が迫ってくるのを察知した回送列車後部の車掌か、接触した後続列車の運転士か、事故は時系列的な一瞬の罠に2つの列車が嵌ってしまったことをも示しているようだ。回送列車の最後部の車両がポイントを通過する際に脱線したのではという見立てもあるようで、そうなると防護無線による落とし穴説は崩れるのだが、いずれにしても我が推測は、単なる机上の四方山話、床屋談義の類であって早く国交省事故調査委員会などの報告が出るのを待ちたい。

 

追記:さきほど東急の社長会見があり、事故の原因は2015年のプログラム改修の際に、上記に記した通り要件定義に関わるシステム設計でミスをしたことが原因だと発表されたようである。我が推測も満更ではなかった。その他の背景、遠因については国交省の報告などでいずれ詳しく発表されることであろう。

20240427
見習い運転士(女性)の運転実習:指導運転士(右)がスピードメーターを隠して体感、聴力で速度を答えさせるなど厳しい訓練をする様子 2024年4月京王相模原線にて

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