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2025年9月25日 (木)

読売新聞夕刊・インティマシーコーディネーターの流儀

20250925

昨夕、いつものようにジョギングを終え缶ビールのタブを開けて一杯をやりながら、読売新聞の夕刊に目を落とした。夕刊第2面には「多様な愛情表現 寄り添う」とのコラムがあり、それを何となく読み始めた途端、突っ込みどころ満載の文章に思わず口にしたビールを吹き出しそうになった。見れば「インティマシーコーディネーターの流儀」とのタイトルで、浅田智穂なる女性が連続して寄稿しているコラムで、昨日のは連載第2回目らしい。インティマシーコーディネーター(以下ICという)とは、昨年放送されたTVドラマ 「不適切にもほどがある」で初めて知ったが、ドラマや映画などのセクシュアルな場面を作成する際に 『 演者の尊厳や心身の安全を守りながら、演者側と演出側の意向を調整 』する新しい仕事(ウィキペディア)のことを云うらしい。INTIMACYとは英和辞典によれば 「 (キスなど)愛情表現」で、それのコーディネーターとなると何とも怪しげだが、ネットで検索すればコラムを書いた彼女は、映像の現場のベテランであり、日本初のICだと云う。


彼女の寄稿文章は「ICの大事な存在意識の一つは、LGBTQ(性的少数者)のアライ(支える人)になること。人の数だけあるジェンダーやセクシャリティーにおいて、相手のみならず自分自身の愛情表現も様々で、その全てが受け入れられる世の中であって欲しい。そんな世の中に、私はICとして寄り添いたい」と冒頭にある。まずは人の数だけ『 ジェンダー 』などがあるとは何のことだと突っ込みたくなる。トランプ大統領も明言している通り人類の性は男か女か2つしかないのに、人の数だけあるならば、世界には80億超の性があることになる。『 相手のみならず自分自身の愛情表現も様々で、その全てが受け入れられる世の中 』とは、例えば性的変質者の愛情表現も受け入れられる世も含まれることになるのだが、そんな変態にも彼女は寄り添いたいのか?。 また自分自身の愛情表現も受け入れられる世の中に寄り添いたいって、文章として破綻していないか?。 聞きなれぬ 『アライ』とは英語のALLY(味方)を示すらしいが、日本人にまったく定着していない単語を散りばめるあたりが、自らの先進性を自慢するような表現であざとい。


次に「 脚本上の登場人物が自分とは違う属性だった場合、その表現には人一倍気をつけなければならない 」と書かれている。属性とは広辞苑で引けば 『特徴・性質』とある。どうやら彼女はLGBTQの役を演ずる俳優が実際はそうでない場合を言いたいらしいのだが、脚本上の登場人物は演ずる者とは違う属性なのは当たり前であり、それを敢えてそれらしく演ずるのが俳優の仕事であるのは云うまでもない。つまり彼女のこの部分は、何も言っていないのと同じことである。属性と云えば、ICとは離れるが、俳優の覚悟という点で気になることがある。大東亜戦争の軍隊を描いているドラマや映画を見てると、坊主頭でない軍人が時々出てくる。旧大日本帝国の陸軍は上から下まで全員坊主頭であり、海軍も上級士官や特殊な任務以外は坊主頭であった。であるから少なくともカネを貰っているプロ演者ならば、出演に当たって坊主頭にしてくるのが当然であろう。人に見てもらってナンボという意識のないものが、LGBTQであろうと軍人であろうと、「登場人物が自分とは違う属性だった場合」などと尤もらしい言い訳を持ち出すように思える。

 

以下「 性的マイノリティーの表現を監修する『 LFBTQ+インクルーシブディレクター』など知識と表現力」だの 「グラデーションのある数多(あまた)のリアリティーがあるからこそ、『演ずる』前に『理解』は必要。表現の先には観客がいることを忘れてはいけない」だの、どうもLGBTQをもっと良く知れと言いたいらしいが、我々には何を言いたいのか意味不明の文章が続く。読売新聞の夕刊と云えば高齢者の読者が多いはずだが、大多数はこのコラムを読んで、彼女が何を具体的に行い、この文章で何を表現したいのかはよく分からないであろう。耳に優しい「多様」だとか「愛情」、「ジェンダー」などという、それらしいキーワードを掲げ、これに「寄り添え」ば、お手軽に時代の先進を行っているかを見せられるが、そんな薄っぺらい社会が望ましいのか。プロの俳優なら自らが気に入らないセクシュアルな場面でもLGBTQ役でも敢然とやり切る覚悟が必要だし、髪を切れと言われたら切る、それが嫌で自分の属性とやらがどうしても大事だと主張するなら、台本を読んだ時点できっぱりと出演を断るのが筋である。プロ野球の投手だって試合の展開によっては慣れぬ一塁や外野に回されることもある。何かと云うとコーディネーターやらカウンセラーが立ち会う現場では、プロの熟練の技や覚悟が発揮できず、役者も成長しないことだろう。ビールを呑みつつ、訳の分からぬコラムを読んで 「 こんなのを載せるようでは読売ももう駄目だな」と昭和のオヤジは一人して唸っていた。

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