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2025年7月

2025年7月26日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ 余話 『船旅への招待』(斎藤茂太)

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この世界一周クルーズでは、飛鳥クルーズの第8代目船長だった中村大輔氏が日本からシンガポールまでと、最後のハワイから横浜までの区間に乗船し、彼による「客船余話」と称する講演が数回開催された。飛鳥Ⅱや飛鳥Ⅲの汽笛の周波数というマニアックな話やら、「世界一周クルーズ寄港地の中では、ニューヨークのマンハッタンにあるクルーズターミナルへの着桟が一番難しい」など元船長ならではの逸話がとても面白かったが、その中でかつて初代 「飛鳥」で世界一周クルーズに乗船した、精神科の医者にして船好きで知られた作家の故・斎藤茂太氏(モタさん)の著書が紹介された。モタさんの本によると、世界一周クルーズの船客は、乗船して当初シンガポールまででまず 「高揚期」を迎え、その後、船上生活への慣れや倦怠の期間を通じて、100日後の下船に至るまで何回かの心理的変化を経験すると云う。


世界一周クルーズを何回か経験した身からすると、なるほどモタさんの描写は言い得て妙だと、そのプロ的な観察眼に共感を覚える。たしかに世界一周クルーズでは、最初のシンガポールまでの8~9日間は、船内は妙に興奮した華やいだ雰囲気に包まれるが、その後の長いインド洋横断の頃となると「なんだか疲れてしまった」 「何で来たんだろう」などと漏らす人が毎回数名ほど必ず出てきて、中には実際に下船して帰国してしまった乗客もいるらしい。ハワイを過ぎ、もうすぐ日本となった頃、「これでやっと家に帰れて本心はとっても嬉しい」とロングクルーズ初乗船の女性から打ち明けられたこともある。また社交や船内行事のほか、寄港地の行動にも非常にエネルギッシュだなと思っていたら、途中で体調を崩してしまい、しばらく休養をとるためキャビンから出て来れないという乗客もいた。狭い空間で100日以上の時間を缶詰状態で過ごすとあって、うまく自分の心身をコントロールすることは、船上生活をエンジョイするために必須な要素と云える。


中村元船長の講話を聞くうち、モタさんは実際にどう船内の様子を分析し、それを文章にしたのかに興味が湧き、帰宅後に1997年に発売された斎藤茂太氏著 「船旅への招待」(PHP研究所)をアマゾンで取り寄せて読んでみた。以下その一部を紹介してみる (P.157~P.159)。航海開始後間もなくは 「 ワールドクルーズを通して、船客の心理はさまざまに変遷する。まず我々を襲うのは『ハイ』の状態である。96日間 (飛鳥による第一回目の世界一周は96日間だった)という長途の船旅。・・・当然そこに不安も起こる。武者ぶるい、不安を打ち消すための気分の高揚等々が絡みあって『ハイ』が来襲する。それを打ち消すために「何事にもチャレンジする。何でも食べる。何でも飲む。運動もする。それがえてして『オーバー』『やりすぎ』につながる」とある。


このためインド洋に入る頃になると乗客は疲れや倦怠感を覚えるのだが、それを克服してヨーロッパ区間に到達すると「みな船上生活になれ、心身をコントロールする術を知る。・・・これを沈静期と名づけていいと思う」となる。さらに大西洋を渡りニューヨークに着くと、クルーの交代などもあり「当然そこに『ハイ』の心理が生まれても不思議はない」「しかしそれは初期ほど激しくはなかった」。パナマ運河を過ぎて「サンフランシスコを出ると(日本の)税関申告書が配布され、気持ちが一挙に現実に引き戻された」「私はこれを不安期と名づけた」。最後に日本に近づくにつれ(不在の間に貯まった諸事等を思い出し)「『勝手にしやがれ』の思い・・・」が増し、「勝手にしやがれの時期と名付けた・・・」としている。すなわちモタさんは世界一周をするうちに 高揚期 → 倦怠期 → 沈静期 → 小高揚期 → 不安期 → 勝手にしやがれ期と乗客心理が変化すると分析している。


彼が乗船した初代「飛鳥」の時代より30年近くが経過し、社会情勢も乗客の構成も、またそれに伴う船内の様子も当時とは相当変わっているが、クルーズの進行とともに変化する乗客の心理状態は、今も当時もそう変わらないと思われる。私は今回乗船するに当たり、心身のアップダウンを少なくすることを目指し、行動はすべからく70%程度としようと決め、スケジュールは余裕をもったものにすることを心がけた。すなわち昼のアクティビティーはどうしても出たいものだけに厳選する、夕食が過ぎた後のショーや落語は部屋のTVで見て原則会場には行かない、夜のダンス会場は週に一回くらい、夜中に腹が減っても夜食を食べにリドへ行かない、バーやカラオケに行くのはどうしても付き合いがあるときだけと意識的に活動を控え、かつ毎日のルーティンはなるべく決めた通りに行うこととした。「せっかくだから後先を気にせずに大いに楽しもう」と誘惑の声も心の中で響いたが、心身を擦り減らさない程度にしていると、「ああ、今日は楽しかった」「また明日も楽しい日がやって来るに違いない」と余裕ができ、不調も覚えず毎日が過ぎ行くものである。ロングクルーズは腹七分目くらいが私にはちょうど良いようだ。

2025年7月20日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズから帰って

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7月12日神戸港に帰ってきました。

 

飛鳥Ⅱの世界一周クルーズを神戸で下船し、新幹線で東京に戻って早くも一週間が過ぎた。帰宅した後は、不在の間に大量に貯まった手紙類の整理、車検まで有効期間が一週間もなかった愛車のディラーへの持ち込み、医療機関の定期通院、仕事の取引先への挨拶などで、慌ただしく毎日が過ぎていった。洋上の楽園から一挙に現実に戻って来たわけだが、ふとしたはずみに体が揺れているような感じがまだしており、その感覚が楽しかった日々を思い出させてくれる。どうもこの陸酔い現象は、年齢を重ねるに従い、回復期間が伸びているようだ。猛暑と言われていた日本列島だが、この一週間は曇り空の日が多く、体にもそれほど負担になっていないのが幸いである。


今年の104日間のクルーズでは、アジア・アフリカの港に5日、ヨーロッパ諸国で7日間、北米・中南米には12日(含むパナマ運河)と、陸地にいたのが合計24日、残りは海の上という日程であった。2018年の世界一周クルーズでは、102日間に28港(陸上での滞在が32日)の寄港日だったため、旅行代金が高くなった割には、寄港地がかなり少ないことが3月に出発する前はやや不満であった。しかし今回は日本を出て早々に毎日の過ごし方を決め、全行程を通じてマイペースを守ったため、船内生活が自分なりにパターン化されて至極快適に日々を過ごすことができた。まず朝は8時に起床、すぐにデッキを2周(約1000米)ウオーク、朝食はリドで摂り、その後はパームコートで衛星版の新聞を読みつつエスプレッソを一杯、部屋に戻って表計算やメールなどリモートで仕事、11時からの初心者ダンス教室に顔を出し、昼食は抜いて1時間ほどのジョギングが午前中の日程である。


午後1時すぎにほぼ貸し切り状態の露天風呂に飛び込み、その後におやつ兼軽食、午後のラウンジコンサートやら講演を聞くうち、4時からのダンス教室(経験者クラス)に参加、教室の後はリドでビールを軽く一杯(無料)飲んでダイニングでディナー、夕食後のショーは基本的に見に行かず部屋で読書またはネット閲覧の日々である。日によっては新井プロのゴルフレッスンや電子ピアノを借りてのピアノ練習、時々夜のダンス会場に出て軽く踊って帰るなどするうちに、一日が瞬く間に過ぎて行く。この生活に慣れると、港に着いて上陸することが面倒に思えてくるから、不満であった寄港地が少ないのも一切気にならないことが新たな発見であった。船内生活は正に「光陰矢の如し」で、ガラガラの露天風呂から上空を流れゆく雲を眺めていると、「昨日からもう24時間が経ったのか」と驚き、この一瞬が永遠に続いて欲しいと願ったものだった。この様に幸せな時間を過ごせたのは、何より自ら健康であることが第一ではあるが、周囲の理解と協力、また重篤な病人や介護を必要とする親類などがいないことが大きい。これらの境遇に恵まれたことにただただ感謝している。

2025年7月 8日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第101日 帰国を前に

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西に向かって日付変更線を超えると、暦の上で丸一日が消滅するという船旅ならでは現象を経験し、飛鳥Ⅱは波穏やかな太平洋を一路日本列島目がけて進んでいる。あと2日で横浜港に到着するが、世界一周クルーズだけは横浜からの乗船者が神戸まで行っても料金が同じという特典を活かして、例によって我々は最終港の神戸で下船、新幹線で帰京することにしている。思い返せば、桜の開花し始めた横浜港で飛鳥Ⅱへのボーディングブリッジを渡ったのがついこの間のような気分もするが、正直に言って、今回はそれほど乗り気マンマン、高揚した気分で乗船したというより、『 飛鳥Ⅱでは最後の世界一周』」という宣伝文句に釣られて「 まあ、行ってみるか」と何となく惰性で予約したという感がなくもなかった。往路、自宅から横浜港の大さん橋に向かう車中では、「あの狭い空間でまた濃密な人間関係が100日以上も続くのか」といささかウンザリさえしたものだった。しかし100日を過ぎ、下船を前にすると、やはり「思い切って乗ってとても良かった」というのが今の感想である。


まずは300名あまりの乗客に対して、それを遥かに上回る数のクルーが精一杯おもてなしの心でサービスをしてくれたことが満足の第一の要因である。かなり慎重かつ真面目に見える渡辺船長だが、船内をよく見回り、乗客の中に気軽に入って寄り添うその姿勢には好感を覚えた。気さくでオープンな三浦機関長からはエンジンの話のほか、クルーの生活などの話もさまざま聞けた。100日間、なるべく乗客が楽しめるように精一杯力を尽くしてくれた多くのクルーの姿を見れば、クルーズ料金を払い込む際には「高い!」と嘆息した価格も、納得以上のお値打ち旅行だったと感じている。気象・海象も我々に味方をしてくれた。見所で雨が本格的に降ったことはなし。わずかにセーヌ川を下る日の河口付近と、パナマ運河の太平洋側出口が雨天だったが、後はほとんどが快晴か曇り空であった。シケの日が続いたのは大西洋横断区間だけにとどまり、デッキでジョギングができずにフィットネスのマシン上を走ったのが僅か10日余りと、これまでの我が世界一周クルーズでは最少の回数であった。その効果があったのか、私自身はこの100日間で体重が3キロほど痩せて、ベルトの穴が2つばかり縮まった。毎日昼にデッキをグルグルと20周(9キロ)ほど走り、露天風呂で大海原を眺めながら汗を流す時間は正に至福の時。ずっとこの時間が続いて欲しいものだと、湯の中から水平線の雲を眺めていた。

 

この世界一周クルーズでは、実質的に全日船内Wi-Fiが無料で使い放題というのが新時代を感じさせてくれる。これがあった為に今回は休職もせず乗船でき、船内で表計算や各種連絡をこなす事ができたことはビジネス上大進歩である。時差の問題やネットの反応が遅い時もあるという問題点はあるが、今や実質的に世界中どこでも船上でリモートで仕事が可能になったと云える。ただしネットのニュースや動画に時間をとられるため、読書の時間が大幅に減るという弊害もある。これまでの世界一周クルーズでは、ライブラリーの宮本輝全集を毎回3巻以上読んだのだが、今回は僅か1巻にとどまっているのは、完全にネットの影響であろう。アルコールがフリードリンクだったことも多いにエンジョイできたが、やはりタダだとついつい飲み過ぎてしまった。毎日毎日、午前と午後の2回、全部で150回近く開かれたダンス教室も勉強になったし、下船を前に開かれたダンス発表会で、多くの前で恥ずかしながら自分のダンスを披露できたのも良き思い出となった。そのほか乗船前に準備した海事・海技の資料を使い、船好きの人を集めて船の説明会を開いたところ、想定以上に多くの人に参加して頂き、好評につき3回も開催できたことは望外の歓びであった。多くの新たな船友ができて彼ら彼女らとは下船後も交流できそうで、今後の楽しみも増えることだろう。

 

帰国を前に7月7日はデッキで飛鳥まつり  クルーは乗客を退屈させないイベント開催に全力で力を注いでいる
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2025年7月 5日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第95日 ハワイを後にして (RUTH'S CHRIS STEAK とPEARL HARBOR)

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PEARL HARBORの戦艦ミズーリ艦上にて

ここまで三食の食事にはとても満足しているものの、フォーシーズンズダイニングで出される洋食は、和牛を中心としたエレガントな肉料理が多い。これが続くと、たまには血の滴るような分厚いアメリカのステーキが欲しくなるから人間とは我儘なものだ。ホノルルに着いて、ちょうど港のゲートを出た前には、東京や大阪にも店があるRUTH'S CHRIS STEAK HOUSEがあるので、停泊2日目の夕方に予約をとって行ってみた。RUTH'S CHRISはアメリカでもそれなりのレストランの上、ここではとにかく物価が高いのが心配だが、航海最後の寄港地だからとつい財布の紐も緩みがちである。久々のアメリカのレストランで、例によって外国人であろうと容赦しないウエイターの言葉の速射砲に戸惑いつつも、グラスワインとショートカクテル、シーザーサラダと16オンス(450グラム)のUSプライムのリブアイ・ステーキを2人でシェア、焼きアスパラガスを付け合わせに頼んでみた。バターと塩の濃厚な味付け、和牛とは一味違う嚙みごたえの牛肉に満足の夕べであったが、気になる値段は合計160ドル、チップ込みで190ドル(2万7千円)と、まず想定の範囲内である。食後のデザートは目の前の船に戻って食べればよいと断り、夜風に吹かれてブラブラと帰船した。( 船に戻って東京のRUTH'S CRISで同じようなメニューならば幾らかを調べるとサービス料込みで2万8千円であった)


ホノルルでは我々が予約した数少ないオプショナルツアーである半日の「真珠湾・戦艦ミズーリ観光」に参加した。予約が取りにくく入場のためのセキュリティーチェックが厳しいとのことで、これまでのハワイ訪問でも何となく足が遠のいていた場所だが、船から気軽に行けるというので参加したものである。かばん類の持ち込みは一切禁止で、財布やスマホなど身に付ける物以外は配布された透明なビニールケースに入れ、貸し切りバスで飛鳥Ⅱ出発した。ゲートではバスの中も隈なくチェックされるというガイドの説明だったが、乗車してきたガードマンは車内に一瞥をくれただけで『OK!』と拍子抜け。日本のクルーズ船からやってきた平均年齢70歳台のシニアグループなどは特段問題なしと思っているようだ。安倍首相が2016年に訪れた追悼施設「アリゾナ記念館」こそ今回のツアーの対象外だったが、終戦時、東京湾で降伏文書が調印された戦艦「ミズーリ」のほか、真珠湾湾攻撃の模様や当時の日米航空機を展示した航空博物館などを見ることができた。両施設とも日本人の女性ガイドによる解説付きで、戦勝国アメリカ側の視点だけでなく、列強による帝国主義の時代に、日本が真珠湾攻撃に至らざるを得なくなった歴史を簡潔に纏めた説明が良かった。ここは日本の修学旅行高校生も良く訪れるというので、「自虐史観に基づいた大日本帝国悪者論ではなく、あなた方のような日本人が正しい歴史を若い彼らに教えて下さい」と彼女らを激励して見学を終えた。


こうして丸3日間のホノルル滞在を終えて飛鳥Ⅱは出港した。毎回、ワイキキやダイヤモンドヘッドを左舷遠くに見てこの港を出る時、「 ああ、これで世界一周クルーズもあとは日本に向かうだけか 」という一抹の寂しさと若干の安堵の気持ちが我が身を包む。船内ではこれまで開催されてきた各種の稽古の発表会が開かれ、衣類や土産物などを自宅に送る宅急便の段ボール箱の販売や、入国のための書類FORMなども配布されているが、本音を言えば「 帰国をそう急かすなよ、ホノルルから下船する神戸まで10泊の太平洋横断の旅が始まったばかり、まだこちらはゆっくりと旅の終盤を楽しみたいのに」という心持ちだ。こんな乗客の心を見透かしたかのように、先日飛鳥Ⅱ「2026年・アラスカハワイクルーズ」が発表され、早めに支払いを完了すれば更に割引になるキャンペーンについて説明会が開かれた。帰国間近い名残惜しい心情をくすぐるかの、次回の売り込みで、飛鳥Ⅱもなかなか商売上手である。いま飛鳥Ⅱは野島埼めがけてまっしぐら、19ノットで全力航走している。日付変更線を超えるこの辺りは太平洋高気圧が強いため、海は凪いで快適な航海中だ。ただこの優勢な高気圧は本船の航行には好都合なるも、これによって日本では7月の初めから酷暑だと聞くと、「 帰心矢の如し」の心境には到底至らない。

たまには分厚いステーキを(RUTH'S CHRISにて)
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2025年7月 1日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第91日 東京大衆歌謡楽団

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急病人が発生したとのことで、本来は6月30日(月)0700にホノルル入港予定だったものが、サンフランシスコ出港以来、飛鳥Ⅱは毎日19ノットの全速力で航行し、当初より半日以上早く6月29日(日)1500にホノルル港ピア2に着岸した。病人の収容後、29日夕方には乗客も上陸できることになり、図らずも2泊3日と予定より一泊多くホノルルに滞在する事となった。2016年にはここで米国コーストガードの検査が終わらず、出港が遅れたために結果として滞在が2泊となったことがあったが、この時は当初の出港予定時間以降は船に缶詰状態で外出が出来なかった。今回は病気になった方の無事を祈りつつも、結果としてホノルル港で2泊、それも3日間自由に外出できる停泊となり、ちょっと嬉しいところだ。さて、ここまでの船内生活を顧みれば、日常は極めてワンパターン化して、午前・午後2回のダンス教室に毎日のデッキジョギング、夕方はビールを飲むという具合に一日が過ぎ、ディナー後のコンサートや催しはほとんど部屋のテレビでの鑑賞であった。そんな中だが、どうしても会場に足を運びたいと期待していたエンターテイナーが「東京大衆歌謡楽団」であった。音楽はクラシックからポピュラーまで何でも好きだが、彼らの歌う昭和歌謡も好きなジャンルの一つである。


「東京大衆歌謡楽団」は42歳から36歳の4人兄弟による、昭和初期~昭和半ばの名曲を唄う楽団である。長男がボーカル、2男がアコーディオン、3男がウッドベース、4男がバンジョーを担当し、「東京ラプソディ」に始まり「裏町人生」「お富さん」「長崎の女」「ああ上野駅」「高原列車は行く」などの古き良き昭和歌謡を、独特の歌声と風貌でいかにもその時代っぽく聞かせてくれる。彼らは広いレパートリーを誇り、日本全国の神社で奉納演奏をしているほか、街頭での演奏にとどまらず、コンサートも開き多くのオジちゃん、オバちゃんたちの喝采を浴びていることがYoutubeで見ることができる。最近ではラジオでのレギュラー出演もあるというからメジャーとなり人気も出ているそうで、飛鳥Ⅱの世界一周クルーズには初の乗船である。この楽団はカボサンルーカスからハワイまで乗船したが、これには何と日本から「推し活」のオバサマ女性3人も一緒にやって来たのにはちょっとびっくりだ。


10日間余りの彼らの乗船期間に、ギャラクシーラウンジでのメインコンサートが2回、パームコートのラウンジコンサートが1回行われたが、お祭りに湧く神社の境内とはまるで雰囲気の違う飛鳥Ⅱのロングクルーズで、この楽団のコンサートがどこまで受けるかがちょっと心配であった。こんな時は是非とも彼らを盛り立てようと、事前にキャビンでYoutubeの各地の奉納コンサートの様子を視聴して、多くの持ち歌のどこで掛け声が掛かるのかチェックした上で、前の方の席で構えることにした。初回のコンサート当日はやや緊張の面持ちでギャラクシーラウンジに現れた4人に、すかさず「待ってました!」と合いの手を入れ、歌が始まると手拍子を大げさに打ち、乗客ながら彼らに取ってのアウェイ感を払拭しようと気を配るが、傍らに座っている日本から来た推し活ガールズは、ふだんと勝手が違うとみえてひどく大人し目なのが気に懸かる。彼女たちには 「 飛鳥Ⅱたって遠慮するこたないよ。大きな声で一緒に応援しようよ 」と叱咤激励しながらのコンサートである。


彼らのコンサートには「お約束」の掛け声があって、「東京ラプソディ」では「楽~し都」に続き「み・や・こ!」と合いの手を入れ、定番「酒の中から」には3番で「ヘイ!」とこぶしを突き上げるのが「お作法」だ。船内でもこれを知っているであろう我々夫婦と推し活ガールズ3人でステージに届けとばかり大声を張り上げていると、次第にMCを務める次男の舌のすべりも良くなり、皆の顔の表情も緩んだようである。最後は当日の朝食時に私のリクエストした「さよなら港」をアンコールで歌ってくれ ( これは歌う予定になかったようで、知る人ぞ知る、知らない人は全然知らない名曲という前置きが付いた )、終始大満足の夜であった。後で「前の方の席で盛り上がってたのはやはりあなた達ね」と船内あちこちで言われたのは言うまでもない。こうしてあっと言う間に10日間が過ぎたが、クルーズ船のエンターテイナーはコンサートだけでなく、狭い船内で食事や大浴場など他の乗客たちと共同生活を送らねばならない。有名ではあっても碌に挨拶すら出来ないタレントも過去には乗船していたが、「東京大衆歌謡楽団」はその点においても「良き昭和時代」を体現する、とても好感のもてる青年達であった。東京に戻ったら、また彼らのコンサートに行きたいものだ。

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