飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第76日 パナマ運河を超えて
NY出港後、バハマのナッソー、コロンビアのカルタヘナへ寄港し、パナマ運河を通過して飛鳥Ⅱは太平洋に戻って来た。クルーズもいよいよ後半真っ只中である。何日ぶりの太平洋かと勘定してみるが、太平洋と云っても沖縄の辺りは東シナ海と呼ばれるし、どこを起点とするかはけっこう難しい問題である。一応、台湾とフィリピン・ルソン島の間のバシー海峡を抜けた4月4日を太平洋を抜けた初日としてみると、71日ぶりに帰ってきたことになる。ナッソーは例によって入港して来た大型クルーズ船が居並ぶ壮観を楽しみ、カルタヘナでは旧市街を散策、6回目となるパナマ運河(クルマで地峡を往復したこともあるのでそれを入れると8回)では、周囲の友人に運河の仕組みの説明をしたりするうちに太平洋に戻って来た。
ロングクルーズも終盤になると、友人の数が幾何級数的に増えるものである。なにせ300人ほどの人々が、長さ200米の空間で100日間余り、半共同生活を送るのである。船からのツアーで一緒のバスに乗り合わせたり、ダイニングでたまたま隣のテーブルに座った同士が仲良くなり、お互いの知り合いを紹介するなどするうちに一挙に友人が増えてくる。これまで何となく遠慮していたが、この時期、ふとした機会に打ち解けて、思わぬ人となりが分かる時もある。先日は、毎日ダンス教室では会うが、挨拶する程度だった男性が高校の一年先輩と分かり、2学年共通の先生の話題などで大いに盛り上がった。カリブ海で高校の恩師の思い出で笑うとは思いもしなかった。また私が船会社出身というのを知り、息子が大手海運会社に就職したという婦人から声をかけてもらったこともあった。船内の人の輪が広がってくるに連れ、これまで知らなかった船客の情報や、ちょっとワケあり風の乗客の素性が漏れ聞こえたりして 「 ほぅ...!」と頷くことが多いのもロングクルーズ終盤の船内模様である。
ここまで来ると、船内生活もかなりパターン化されてくる。朝食はリドのビュフェで洋食と和食を一日置きとし、朝夕2回のダンス教室に出て、昼食抜きで昼にデッキでジョギング。午後一番に空いている露天風呂に飛び込み、5時過ぎからリドで無料のビールを一杯、夕食は私はウイスキーのハイボールで妻は焼酎のロックを1~2杯呑むが、この航海はアルコールフリーというのがなんともありがたいところだ。夜はディナー後のショーやコンサートは部屋のテレビで楽しむという航海日である。この生活に慣れ過ぎてしまい、寄港日はパターンが崩れて、却って上陸が面倒な気にさえなるから困ったものだ。幸いなことにシケの日が少ないので、デッキで走る距離もふえ、乗船して以来ズボンのベルトの穴が一つ縮まった。快適な生活が送れるのも船長はじめ各クルーの尽力と、優れた船内設備のおかげである。「 明日からは黙っていても朝ごはんは出てきません」「部屋に戻ってもベッドはきれいになっていません」との船長のお別れスピーチを聞くまで残り25日ほどである。
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コメント
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最近、商船三井クルーズはにっぽん丸が2026年5月に引退することを発表致しました。
私はにっぽん丸の引退は日本のクルーズ業界にとって、残念であり損失であると思いまます。
引退だけで新船の発表はなく商船三井のクルーズは既に中古クルーズ船を購入しており、
それを運行するようですね。
投稿: えるべ丸 | 2025年6月16日 (月) 10時28分
えるべ丸様
えるべ丸!懐かしい船名ですね。最近の1万TEU以上積むコンテナ船はブリッジが前方にありますが、私はかつてのNY航路やヨーロッパ航路に投入されたエンジンブリッジ セミアフター高速コンテナ船のスマートな船型がやはり好きです。
飛鳥Ⅱの船内でもにっぽん丸の引退の話が良く出て残念だという声を聞きます。今日も夕食のテーブルを一緒にした方は、にっぽん丸引退までに必ず乗るとの事でした。
日本船による今のクルーズ文化を作ったのは、商船三井客船とは誰もが認めることです。「日本の客船」も次世代にむけて模索中だと理解しています。カーニバル社との提携のなかで、どのような方針が打ち出されるのかしばし注目しています。
投稿: バルクキャリアー(ブログ主) | 2025年7月17日 (木) 12時19分