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2025年6月

2025年6月26日 (木)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第86日 ナパ ケンゾーエステイトを訪ねて

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雲一つないカリフォルニアの空の下、ケンゾーエステイトのブドウ畑が広がる

世界一周クルーズも残すところあと2週間強、飛鳥Ⅱはサンフランシスコ港のピア27に到着した。観光の目玉、フィッシャーマンズワーフにほど近い町の中心部のクルーズターミナルである。サンフランシスコには出張で随分と来たことがあるし、飛鳥Ⅱでも2011年に寄港しているので市内観光はせず、今回はベイエリアの北、約80キロにあるナパのワイナリー、「ケンゾーエステイトを訪ねて」への寄港地観光ツアーに参加することにした。ケープタウンからの「アクイラ動物保護区サファリドライブ」の旅、ルーアンでの「モネの家・ジベルニー観光」に次いで、今クルーズ3度目となる停泊地から距離が離れた場所へのエクスカーションである。特段ワインに蘊蓄はないし、昔ナパの隣にあるソノマのワイナリーでしこたま飲んだこともあるが、船から離れてアメリカ国内をバスで移動するのも気分転換で良いかと思っての遠出である。


霧にけぶるサンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを渡り、対岸に行けば、風も心地良いカリフォルニアの青空が広がっていた。ナパは冬に雨季、夏に乾期があることに加え、朝夕の気温差があり、ワイン造りに適しているそうである。「ストリートファイター」などのゲームソフト開発で名を馳せた辻本憲三氏が、1990年にここに470万坪の広大な土地を購入、優れたワイン製造を目指して稼働させたのが「ケンゾーエステイト」である。2005年に最初のビンテージワインを出荷して以来、ここのワインは各地で名声を博しており、飛鳥Ⅱの船内だけで飲むことが出来る銘柄があるなど飛鳥クルーズとも関係が深いとのことである。最新の設備に手間・暇を惜しまぬ本格的なワイン製造過程を見学した後は、自慢の各種ワインを試飲しながらの昼食である。ナパの街にある直営の日本レストランから取り寄せた弁当は、船の食事とは一味違ったしっかりした味つけでうれしかった。普段は1000円くらいのワインしか買わない私も、記念に130ドル(プラス税金10ドル)もする「 紫鈴」というワインを買ってしまったが、これも旅の思い出である。


さてここまで来ると、船内の友達の輪が一挙に広がってくる。クルーズ前半には知人であるごく少数の乗船客同士が話をしたり挨拶を交わしていたものが、残りの日数が減るにつれ、警戒心も薄れるのか、お互いの間を仕切る壁が低くなるようだ。ふと気がつくと、ついこの間まで知らなかった人たちと挨拶を交わしたり、共通の話題を探して盛り上がるようになるから船旅とは不思議なものである。一方で最初のうちはやけに仲良いなと傍から見ていたグループがいつの間にか空中分解していることもある。ちょっとしたことで他人に文句をつける人、自慢話をタラタラと垂れ流す人、やたら話が長い人、挨拶をしない尊大そうな人物などの情報も共有されて、食事やお茶の時間に恰好の話題となるのも小さな共同社会空間ならではである。毎日午前と午後2回行ってきた社交ダンス教室は、発表会を開くことになり、それに向けて練習に精を出すカップルが見られる。日本に近づくにつれて、これからコーラス教室やフラダンスの発表会も開かれるとのことで、徐々にあわただしくなりそうな船内である。

2025年6月21日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第82日 カボサンルーカス寄港

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アメリカ人向け観光地 カボ サンルーカス

当初、この世界一周クルーズは、メキシコ西岸の寄港地としてマサトランを訪れるはずであった。それが現地の治安が悪化したとの外務省情報により、クルーズ途中で急遽寄港地がマサトランからバハカリフォルニアのカボサンルーカスに変更となった。両港とも2009年春にロス発着の”サファイアプリンセス”によるメキシカンリビエラクルーズで来たことがあるので、ショックは少ないのだが、カボサンルーカスはアメリア人向けの観光やリゾートの街であり、古くからの港町で人々の生活臭を感じることができるあるマサトランを再訪できなかったことはちょっと残念である。まあ何事も安全第一の飛鳥クルーズなので、僅かな危険の兆しも排除しておくということだろうと、まずは寄港地変更も納得することにした。


それにしても先日パナマ運河を超えて、コスタリカのプンタレナスに向かう頃になると、なぜか海の様子が”太平洋”に変わった気配がしたのだが、それはまったく気分の問題であろうか。透明度は高いが赤い藻や浮草の帯がやたら目立ったカリブ海から、太平洋に来ると海の青さや透明さが日本の海水浴場なみになった感じがしてならない。恐竜の生き残りかと見まごうかの姿かたちが怪異なペリカンをほとんど見なくなり、代わりにアホウドリなどの見慣れた海鳥が船の頭上をにぎわせてくれるのも一因であろう。辞書を引けば、そもそもPACIFICとは「平和な、泰平な、平和を好む、穏やかな、温和な」という意味であり、古代から船乗りたちは、この海が穏やかであることを身をもって知っていたので、PACIFIC OCEAN、太平洋と名を付けたとされる。母なる太平洋に入って日本が近づいた気がして安心する一方で、もうすぐクルーズが終わってしまうと残念な気持ちが入り混じるこの頃である。


今日、船はカボサンルーカスを後にしたが、船長の放送ではこの後はしばらく北風に遭遇するとのことである。そういえば2009年に”サファイアプリンセス”で、最終港であったカボサンルーカスから下船するロスアンジェルスまで北上する道中も、強い北風だった。船首にあるスイートルームを奮発した我々だが、強烈な向かい風でせっかくの広い前向きベランダに出ることが出来なかったことを思い出した。これは春から夏に向かい太平洋高気圧が優勢になり、高気圧の吹き出しによる北風が北米大陸西岸に沿って卓越するための現象とみられる。乾いた北風の一方で、カリフォルニア半島に沿って寒流が北から南に向かって流れるために、ロスアンゼルスなどでは、気温は高くともからっとした「カリフォルニアの青い空」を楽しめることになる。船に乗って日本ではわからない世界各地の気候を経験し、地球規模の気象現象に思いを馳せるのもロングクルーズの醍醐味の一つである。

参考:2009年サファイアプリンセスで訪れたマサトランのブログ「メルカードにて」

 

2009年サファイアプリンセスの最前部スイート、カボサンルーカスから帰路は前からの北風でベランダには出られなかった。
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2025年6月15日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第76日 パナマ運河を超えて

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今回のナッソーの客船天国

NY出港後、バハマのナッソー、コロンビアのカルタヘナへ寄港し、パナマ運河を通過して飛鳥Ⅱは太平洋に戻って来た。クルーズもいよいよ後半真っ只中である。何日ぶりの太平洋かと勘定してみるが、太平洋と云っても沖縄の辺りは東シナ海と呼ばれるし、どこを起点とするかはけっこう難しい問題である。一応、台湾とフィリピン・ルソン島の間のバシー海峡を抜けた4月4日を太平洋を抜けた初日としてみると、71日ぶりに帰ってきたことになる。ナッソーは例によって入港して来た大型クルーズ船が居並ぶ壮観を楽しみ、カルタヘナでは旧市街を散策、6回目となるパナマ運河(クルマで地峡を往復したこともあるのでそれを入れると8回)では、周囲の友人に運河の仕組みの説明をしたりするうちに太平洋に戻って来た。


ロングクルーズも終盤になると、友人の数が幾何級数的に増えるものである。なにせ300人ほどの人々が、長さ200米の空間で100日間余り、半共同生活を送るのである。船からのツアーで一緒のバスに乗り合わせたり、ダイニングでたまたま隣のテーブルに座った同士が仲良くなり、お互いの知り合いを紹介するなどするうちに一挙に友人が増えてくる。これまで何となく遠慮していたが、この時期、ふとした機会に打ち解けて、思わぬ人となりが分かる時もある。先日は、毎日ダンス教室では会うが、挨拶する程度だった男性が高校の一年先輩と分かり、2学年共通の先生の話題などで大いに盛り上がった。カリブ海で高校の恩師の思い出で笑うとは思いもしなかった。また私が船会社出身というのを知り、息子が大手海運会社に就職したという婦人から声をかけてもらったこともあった。船内の人の輪が広がってくるに連れ、これまで知らなかった船客の情報や、ちょっとワケあり風の乗客の素性が漏れ聞こえたりして 「 ほぅ...!」と頷くことが多いのもロングクルーズ終盤の船内模様である。

 

ここまで来ると、船内生活もかなりパターン化されてくる。朝食はリドのビュフェで洋食と和食を一日置きとし、朝夕2回のダンス教室に出て、昼食抜きで昼にデッキでジョギング。午後一番に空いている露天風呂に飛び込み、5時過ぎからリドで無料のビールを一杯、夕食は私はウイスキーのハイボールで妻は焼酎のロックを1~2杯呑むが、この航海はアルコールフリーというのがなんともありがたいところだ。夜はディナー後のショーやコンサートは部屋のテレビで楽しむという航海日である。この生活に慣れ過ぎてしまい、寄港日はパターンが崩れて、却って上陸が面倒な気にさえなるから困ったものだ。幸いなことにシケの日が少ないので、デッキで走る距離もふえ、乗船して以来ズボンのベルトの穴が一つ縮まった。快適な生活が送れるのも船長はじめ各クルーの尽力と、優れた船内設備のおかげである。「 明日からは黙っていても朝ごはんは出てきません」「部屋に戻ってもベッドはきれいになっていません」との船長のお別れスピーチを聞くまで残り25日ほどである。

 

パナマ運河を超えアメリカ橋をくぐって太平洋に出る
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2025年6月 7日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第65日~66日 NEW YORK

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NY港ピア90 マンハッタンクルーズターミナルへ着桟

クルーズ第65日目、6月3日、飛鳥Ⅱはハドソン川を遡り快晴のニューヨークに入港した。実はこの世界一周クルーズの始めのステージ、日本からシンガポールまでの区間で、飛鳥クルーズ8代目船長の中村大輔氏の船内講演があり、その中でNYマンハッタン客船ターミナルへの入港が最も難しいとの話を聞いた。よって当港着桟風景がことさら気になってビスタラウンジの前からブリッジワークを見守ることにした。ハドソン川の岸辺から直角に伸びた多くの桟橋の一つであるクルーズターミナルに着けるには、本船を川岸に向かって直角にする必要があるのだが、川の中央で早めに廻頭すると船は真横に川の流れを受けて流されてしまう。潮汐で川の流れが緩くなる時間に着桟作業が行われるにしても、圧流によって押されるのを防ぐために、船首部分だけを着桟する桟橋と上流の桟橋の間に突っ込み、タグのアシストで岸に直角に寄せていく操船が必要になるとのこと。この日は何事もなかったように飛鳥Ⅱは桟橋に着いたが、このような作業を見ていると、さぞ安全には神経を使うことだろうと、クルーズを遂行するスタッフにまずは感謝である。


ここでは多くのクルーが交代するとともに、ルーアン以来久々に本船は港内で一晩停泊した。いよいよこのクルーズも後半へ突入、という気分である。到着するや例によって船からジョギングに飛び出したが、初日は桟橋から約2キロ離れたセントラルパーク公園内の道路を走り、2日目はハドソン川沿いにロアー・マンハッタン方面に走りに行った。ヨーロッパでもニューヨークでも感じたのが、老若男女問わず、来るたびに走る人たちの数が目に見えて多くなったことだ。平日だと云うのに多くのランナーたちが相当な速度で駆け抜けて行き、特に女性の速いランナーの姿が目につく。日本では「なんちゃってランナー」風スタイルが流行りで、膝丈くらいの長さのスパッツスタイルが多いのに対して、ニューヨーカーたちはみな股下の短い、いわゆるランパンで颯爽と走っており見ていて実に気持ちが良い。彼らの走りっぷりに刺激されて、膝の痛みにも拘らず、こちらも両日ともそれぞれ12キロほどジョギングを楽しんだ。


NYに久しぶりにやって来て自分へのみやげで買いたかったものがトランプ大統領の帽子である。2018年に飛鳥Ⅱで来たのはトランプ第一次政権時で、5TH AVENUE 57丁目にあるトランプタワーを訪れたが、あの頃はさして彼のファンということもなく、ビルの地下にあるトランプストアーを冷やかすだけだった。あれから7年、この間バイデン政権はじめ世界ではグローバリズム旋風が吹き荒れたが、やっとここへきて欧州で保守系右派が台頭復活、アメリカでも反グローバリズムの旗手トランプの再選である。対シナへの強硬策、地球温暖化対策の枠組みからの離脱、多様化や移民共生の否定など第2次政権には共感を覚えることが多く、応援グッズを買いたいものだと、走った後にトランプタワーにまたやってきた。" MAKE AMERICA GREAT AGAIN"と大書きしたお馴染みの赤いキャップを買おうと手にしたが、これは彼の頭の形に合わせているのか、字数が多すぎるためか額の部分が大きすぎてどうも私の頭になじまない。と云うことで今回購入したのが、40ドル(もちろん米国製)の写真のキャップである。ただこれを被ってリベラルの多いNYの街を歩くのはさすがに気が引けたので、日本に帰って使おうと思っているところだ。

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快晴のセントラルパークにてジョギング

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MLB公式ストアで買った大谷翔平Tシャツとトランプタワーで買ったトランプキャップ

2025年6月 6日 (金)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第63日 ボストンMTAと"USS CONSTITUTION"

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"USS CONSTITUTION"

 

英国ティルベリー港を出て丸8日間、大西洋横断中は雨、強風、霧、シケと悪天候が続き、ここまで継続してきたデッキのジョギングをあきらめ、フィットネスのランニングマシンに切り替えて過ごした。6月1日、クルーズ第63日目、飛鳥Ⅱは米国マサチューセッツ州ボストンに入港。以前この地に来た時には、ボストン美術館見学やフェンウエイパークでレッドソックスの試合観戦をしたから、今回はどうするかしばし思案にくれる。まずはBee Gees のかの有名な"Massachusetts"を部屋のパソコンのYoutubeから流しながら久しぶりの入港気分を盛り上げてみた。ほかに当地に因んだ音楽がないかとつらつら考えていたら、ふとキングストントリオ(Kingstone Trio)による往年のヒット作 ”MTA"の歌詞が浮かんできた。彼らの"MTA"(Metropolitan Transit Authority)は、アップテンポの愉快な歌で、ボストン地下鉄の料金改定により、出口改札の清算金10セントを払えなくなり、永久に地下鉄に乗り続けるはめになった、チャーリーという男を歌ったプロテストソングである。


"MTA"で思い出したが、ボストン地下鉄は米国最古の地下鉄だと云うので、ここでは地下鉄に乗って、チャールズタウンにある米国海軍の最古参である現役艦、帆船"USS CONSTITUTION"を見学することにする。と云うことで地下鉄の乗り方を調べてみると、出札口のマシンでチャーリーカード(SUICAのような交通系カード)またはチャーリーチケット(一回券)を買えとある。なんでも2000年代の乗車券のシステム化に際し、歌で風刺されたチャーリーに捧げるために切符の名称を彼の名前にしたとのことで、いかにもアメリカらしいユーモアに満ちた名付け方が笑える。そのチャーリーチケットを買おうと、地下鉄の入り口に行くと、なんとこの日は、目的地までの路線「オレンジライン」が運休とのことでまずは肩すかしを食らってしまった。仕方なく市営フェリーを使って、チャールズタウンまで往復することにしたが、このフェリーはチャーリーチケットが使用できないとのことで、キングストントリオ由来の切符には今回はご縁がなかった。


ボストン市街からチャールズリバーを挟んだ対岸にあるチャールズタウンには、海軍の施設跡や造船所跡が歴史公園として保存されており、第2次大戦で神風特攻隊に体当たりされ生き残った駆逐艦”カシン・ヤング”("USS CASSIN YOUNG")や、いまだ現役艦で米海軍最古の”コンスティテューション”("USS CONSTITUTION")が展示されていた。"USS CONSTITUTION" は2,200排水トン、長さ93米、3本マストの帆船で1797年にボストンの造船所で建造され、1812年の米英戦争などで活躍した軍艦である。ここでは一般に公開されているが、驚くべきはコンクリートで据え付けらえた遺構などではなく、まだ水に浮かんでいる本物の軍艦なのである。艦上見学には手荷物検査の他ID提示が必要で、実は昨年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズで、この地を訪問した友人から、IDチェックが厳しいのでパスポートコピーでなくパスポート原本持って行った方が良いと聞いていた。よって急遽パスポートを飛鳥Ⅱから一旦返してもらっての訪艦である。


現役の軍艦とあって、"USS CONSTITUTION"の入り口は案の定、厳格な荷物検査とIDのチェックがあったが、日本のパスポートは原本の赤い表紙を見せただけで「Japanese OK!」と顔写真もあらためず通過させてくれる。日本国パスポートの威力はなんとありがたいことか。艦内に入るとこれまた海軍の若い現役水兵が細かい疑問点に応えてくれ、「どこから来たの?」と聞いてくる。「東京から」と答えると「横須賀が母港だった空母”ロナルド・レーガン”に乗っていたよ。銀座とか新宿とか楽しかった。」とひとしきり話もはずんだ。傍らのコンスティテューション博物館では、当時の水兵採用の際の超簡単なテスト要綱(字があまり読めなくてもばほぼ受かる)や艦内生活の実際など、およそ博物館らしくない生き生きした展示が楽しく、ゆっくりと見て回るうちに、久々の寄港地上陸の時間は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

追記:チャーリーやらチャールズの名前が多いのは、1600年代にこの地が地図に掲載される際の英国王子がチャールズだったことに由来するらしい。

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