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2025年5月

2025年5月28日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ 船内同好会 フネのあれこれ

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コンパスルームにて

これまでの世界一周ロングクルーズの最中、船内で顔見知りの人が増えると、デッキの上などで「あの船は何を運んでいるの?」とか「いまパイロットは乗っているのでしょうか」などの質問をしばしば受けてきた。一方で見知らぬ乗客同士で、船や海運に関する話をしているのを耳にする機会も多かった。だが「あ、これはこういうことですよ」と内心分かっていても、他人の会話にわざわざ割り込んで知識をひけらかすのは憚られる。クルーズは非日常の世界とあって乗客それぞれ疑問が湧くことも多いのならば、いっそ情報交換の場をつくり、船に関する基本的知識を興味ある人たちと共有できたらと、乗船前から写真を整理するなど資料を準備してみた。世界一周などのロングクルーズでは、船が主催する催しだけではなく、同好の士が自主的に運営するコミュニティが「同好会」として活動できるのである。

 

飛鳥Ⅱでは、発起人と他6人の賛同者あれば「同好会」として認められ、空いているパブリックルームや設備を使える。麻雀やアロマ愛好者、ヨガなど有志が集まって船内で活動するだけでなく、過去には専門の分野の講義をした学者の乗客もいた。ということで、船内で新たに友人となった人たちに「フネの話をしたい」と同好会立ち上げの趣旨を話すと、みな「大いに結構」と賛同者リストに名を連ねてくれる。題して「クルーズ船から見るフネのあれこれ」という同好会で、張り紙告知の上、第1回目は5月5日にウオルビスベイを出てテネリフェへ向かう区間で開催してみた。妻に助手としてパワーポイントの操作を依頼しながら 船内コンパスルームで、国際信号旗の意味、船舶のトン数、航海灯、船の種類などを解説し、質疑応答で締め切った。コンパスルームは会議室兼多目的ルームで、一体どれくらいの人が興味を持って聞いてくれるのか半信半疑で始めたところ、ほぼ部屋の定員一杯の約30名の参加者があり、嬉しい驚きとともに、多くの乗客がフネに多少なりとも興味があることが伝わってきた。


「同好会」は仕事でもないし、一回やれば良いかなと思っていたところ、参加者から「良かった」「もう一回やって」の声をいただき、意を決して2回目をティルバリー出港の翌々日に開催。自動車運搬船の内部を走るクルマから撮影した自前の動画や、タグボートのブリッジでの操船状況などの手持ちのビジュアル系資料のほか、なぜ”ダイヤモンドプリンセス”は日本一周クルーズでも釜山に寄港するのか、船舶は他国の沿岸を勝手に走ってよいのかなどの海事政策の話もおりまぜる。船から出た汚水やごみはどこに捨てるのか、など皆が興味を持ちそうな話題もとりあげ、活字にはし難い裏話などをしていると話があちこち脱線してしまい時間が足りなくなった。2回目も質問が多く予定の45分をオーバーして終了。「飛鳥Ⅱからは一銭もいただいていません」と笑いを取ると、「続きを希望」の声援が多く、3回目はお茶でも飲みながら、茶話会形式で知識を共有できたらと思案中である。次は進水式で支綱切断しても滑り降りなかった船の話などをしてみようか。

 

パワーポイント資料の一部
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2025年5月27日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第54日 ティルベリー寄港

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ティルベリーのショッピングセンターで購入した商品。英国伝統の海運雑誌。

5月23日、クルーズ第54日目、飛鳥Ⅱはヨーロッパ最後の寄港地、イギリスのティルべリー港に入港した。テムズ川の河口より川を上ること約2時間、飛鳥Ⅱが着いたのはロンドン港湾局ティルべリー客船ターミナルであった。このあたりはまだ汽水域で、潮の満ち干によって水の流れが上流に向かったり海へ流れたりと時間によって変化している。ターミナルと云っても古色蒼然たる木造だが、乗下船口の脇にはシーメンズクラブもあり、かつてはオーストラリア移民のP&O客船が発着したと云う由緒正しき伝統の桟橋である。ここからロンドン市内までは電車で40分ほどで行けるも、ロンドンはすでに何度か来たことがあるし、妻は高校時代に住んでいたこともあって、雑踏まみれで物価の高い市内中心部に行くのはやめにした。代わりにシャトルバスで15分ほどのレークサイド・ショッピングセンターで買い物をし、一旦帰船してターミナル近辺をジョギングで回るスケジュールで一日を過ごす。


午前中、シャトルバスで行ったショッピングセンターをぶらぶら歩いていると文房具屋のWHSmithを発見。英国では良く見るチェーン店で、この店では雑誌も売られている。さすが海運国らしく船に関連する月刊誌が、ファションやクルマの本に並んで店頭に置かれており、これらの海運誌を買うのも英国訪問の楽しみである。2011年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズの際にも 『現存最古クルーズ船 』としてアップしたとおりで、今回も久しぶりに "Shipping"と"Ships Monthly"の2つの雑誌の6月号を店頭で購入した。両方とも日本で云えば軍艦記事が中心の『丸』、商船関連の『世界の艦船』、それに各種クルーズ船雑誌などをミックスした船オタクっぽい紙面作りになっている。飛鳥Ⅱに帰ってパラパラとページをめくると、貨物船の記事や新しいクルーズ船会社の紹介、往年の名船の話など興味が尽きない内容で、中には旧日本帝国海軍の重巡洋艦「羽黒」の記事まであって、これから長い大西洋横断の日々にゆっくり読んでみるには十分である。


船に戻って、午後はジョギングタイムである。まずはティルべリーの町へ行って町や駅の様子を眺めた後、川沿いにあるティルバリー要塞(FORT)の周囲をぐるっと走ってみることにした。この要塞はテムズ川の川べりにあって、いかにも首都ロンドン防衛の任を担うような要所に位置している。まるで函館の五稜郭のような五画形の幾何学的な配置の要塞で、もともとは16世紀に国王ヘンリー8世が造らせたものだが、第2次大戦時にも使われ、当時のキャノン砲が今もテムズ川の川面をにらんでいた。入場料を払って中へ入れば地下トンネルや兵士が暮らした部屋もあるそうだが、時間が足りず今回はパスすることにした。要塞はもともと川の湿地に造られただけあって、城壁の周囲には池が張り巡らされ、周囲の緑地では馬がのんびりと草を食んでいる光景が広がる。ここをめぐる緑道は一周が2キロ強で、馬糞に注意しながらのんびりと川風に吹かれてジョギングを楽しむことが出来た。

 

ティルベリー要塞
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2025年5月24日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第51日 モネの家

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「睡蓮」の池


クルーズ第51日目、飛鳥Ⅱはフランスのセーヌ川を、河口から8時間ほど遡上してルーアンに到着した。ルーアンはノートルダム大聖堂やジャンヌダルクが幽閉された塔があることでも有名なノルマンディ地方の中心都市である。以前にも飛鳥Ⅱで来た事があるので、今回はここからさらに約50キロほどパリに近いジベル二ーという村の、画家モネが晩年住んだ家を訪れる本船のツアーに参加するにした。と云っても美術関係には、まったく疎い私である。特に西洋画となるとイエス・キリストなどを描いた宗教画が多いため、無宗教の私にはひどく縁遠いジャンルに思える。ただ、その中で唯一、モネやルノワールなど風景画を数多く描いた印象派の画家ならば、美術音痴の私にも近づき易い感じがして、 『 教養の一環』としてここを訪れることにしたものである。頭が筋肉だけで出来ていないことの証しにもなる。


ルーアンの街を離れた貸し切りバスは、小麦や大麦が栽培されている肥沃そうな大地を走った。ここフランスは農業大国にて食料自給率は100パーセント以上だそうだ。船から行く寄港地ツアーの良いところは、現地に詳しいガイドの解説を道中に聞くことができる点にある。この日は、パリに永年住む日本人女性の車内での説明であったが、近代フランス絵画史に関する彼女の博識と分かりやすい説明に感心することしきり。それによれば、フランス人のきわめて合理的な思考方法を背景に、従来の絵画はシンメトリーかつ正確な遠近法で写実的に描かれて来たが、19世紀になり日本の浮世絵が紹介され、流行したジャポニズムが、美術界に多大な影響をもたらしたとのこと。大胆な構図、型にはまらない筆致や遠近法、庶民の生き生きした姿などを描いた浮世絵は、モネら印象派の画家に強い衝撃を与えたと云う。


僅か1時間半ほどの道中で、学生時代に受講した美術史よりも意義深い話を聞いた気がしたが、なるほどノルマンディの牧歌的な景色と、天高く伸びやかな空や雲を見ていると、モネが『光』にこだわった背景も見えるような気がした。やって来たジベル二ーは田舎の村だったが、想像した以上に「モネの家」の周辺は観光名所となっており、世界中から多くの観光客が集まってどこも行列になっていた。なかにはル・アーブルに停泊中の「リーガルプリンセス」からの団体もあり、ここはクルーズ船ツアーの目的地の一つにもなっているのである。名画 『睡蓮』を描いた池の周りは、地元の子供たちの遠足とも重なって、カメのような速度でしか歩を進められない混雑ぶりだ。ただモネの家に入ると、中に展示されている彼の絵や印象派の仲間たちの絵の数を上回るほど、多数の浮世絵が陳列されているのに驚いた。モネは日本に強く惹かれていたとバスの中でも説明があったが、単なる日本人観光客向けリップサービスではなく、彼が本当に日本の美術に憧れを持っていたことが、夥しい浮世絵のコレクションが証明していた。

2025年5月20日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第48日 ビルバオ再訪/クルーズも中盤

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今回もビスカヤ橋までジョギング

クルーズ48日目の5月17日、飛鳥Ⅱはスペイン・バスク地方の中心地であるビルバオに到着した。ここは2018年にも飛鳥Ⅱで来た港である。今回も7年前と同じく、午前中は世界遺産のビスカヤ橋まで往復7.5キロのジョギング、午後は10数キロ離れたビルバオの中心部までシャトルバスを利用して往復し街の散策をした。快晴の土曜日朝で、ビスカヤ橋まで海岸べりの歩道は、多くの地元ジョガーが、かなりのスピードで走っている。午後に訪れたビルバオの市街地では、週末の昼下がりとあって、男も女も老若問わずレストランやバル前の歩道に置かれたテーブルでビールやワインを飲みつつ談笑していた。中にはタバコをくゆらす人やアルコール飲料を手に大声で盛り上がるグループも多く、人生を楽しんでいる様子が目の前に広がっている。アルコールは控え目、タバコは健康に悪いので吸わないのがすべて”善”の我が国だが、スペインやポルトガルの人々の屈託ない吞みっぷりや吸いっぷりを見ると、日本人も今やエコノミックアニマルでなし、エピキュリアン的な生き方をした方が幸せなのではと思えてくる。

 

ここまで毎日練習してきたダンス教室も、入港中は開かれないため、ヨーロッパ海域に入ってからは途切れ途切れになった。ということでこのところは断続的になっているが、経験者クラスの教室では、スペインに因んでパソドブレを練習している。パソドブレは10ある社交ダンスの種目のなかでも、ヴィニーズワルツと共に日本人にはあまり馴染みがない種目である。私も船の上で習うのは初めての経験だ。男性を闘牛士に、女性をケープに見立てた踊りで、「オーレ!」とばかり腕を振り上げたり、その場で回転したりと他の種目にない独特な動きが特徴のダンスである。経験者クラスには、ヨーロッパまで10名以上の男性が顔を見せてきたが、さすがにパソドブレとなると、これにチャレンジする勇気ある男性の参加者は5~6名になってしまった。経験者クラスには出て来るのにパソドブレとなると不参加なのは、自分もそうだったように今さら新しい事にチャレンジしたくないと思う保守的な考えなのか、これまでダンス会場で颯爽と踊ってきたので、この種目では初心者の躓きを人に見せたくない「ええ恰好しい」なのか? 変わった種目でも女性の人数はそれほど減らないのに、やはり男は慣れぬことに弱いことが歴然のようで面白い。

 

意を決して参加した今回の世界一周クルーズも早くも半分が過ぎてしまった。「今日、いま、ここにいることを楽しもう」と思ってここまで過ごしてきたが、なんと時間の過ぎるのが早い事か。デッキのジョギング、一日2回のダンス教室、たまに夜のダンス会場へ出没、元女子ツアープロによるゴルフレッスン、カラオケタイムなどの他に、マリナーズクラブのグランドピアノを借りてのピアノ練習などと思ったままに予定をこなしていると一日がたちまち過ぎ去ってしまう。その上、この航海では、これまでの仕事の経験を生かして『 クルーズ船から見る船のあれこれ』と名づけた「有志同好会」を開いてみた。信号旗や航海燈の意味、船のトン数や速力の定義、洋上で行き交う貨物船の種類などを、他の乗船者と共有しようと思ったのだが、予想以上に好評のようで、期待を上回る参加者に来て頂き第2回目を開こうと考えている。リモートで船上でこなしている本業の仕事もあり、家にいるよりもここでは中味の濃い日常が過ぎている感がする。毎日美味いものを食べ、アルコールはフリードリンクのクルーズ生活だが、忙しいためなのか体重は乗船してから2キロほど減った今日である。

 

防波堤から大勢の見送りを受けてビルバオ出港
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2025年5月17日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第46日  ポルトのジョギング

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ドウロ川に沿って発達したポルトの街

クルーズ46日目の5月15日、飛鳥Ⅱはポルトガルのポルトに入港した。ポルトはポルトガルの国名の由来となった町で、ポートワインの発祥地としても知られており、今は160万人以上の人が住み、首都リスボンに次いでこの国第2の大都会となっている。洋の東西を問わず、内陸からの河川による舟便と海上交通の結節地点は物流拠点として発達する場所が多いのだが、ポルトもドウロ川の河口に発達した古くからの港町である。この日も暑すぎず寒すぎずの天候で、長袖シャツ1枚で過ごせる程度の快適な初夏の陽射しがドウロ川の水面に反射していた。この好天に誘われて、いかにも南欧という赤瓦の古い街並み散策や大聖堂の見学、それにポルトガル国鉄のターミナルであるサンベント駅で列車の発着風景を楽しんた。

 

クルーズターミナルからの無料連絡バスを往復利用して、午後3時半頃に飛鳥Ⅱに帰船したが、ポルトでの最終帰船時間は午後6時とまだ若干余裕があった。その上、初夏のヨーロッパとあって外はまだ真昼のような明るさで、このまま出港まで船に居ても勿体ない気もしてきた。考えてみれば今年の世界一周クルーズは天気もさることながら、シケと呼ばれるほど船が揺れた日がこれまでほとんどなかったため、デッキでのジョギングが毎日可能で、走るのを休んで休養する日がとても少なかった。この日もポルト旧市街の見学ですでに2万以上歩いているし、これまでの疲労が重なっているので、もう走るのは勘弁という気持ちもあったが、クルーズターミナルに間近いビーチ沿いの道や、近くの市立公園の緑が「たまには陸地で走りなさい」と私を呼んでいる気がした。


ということでキャビンに戻るやいなや速攻で着替え、妻と二人で港周辺のジョギングに飛び出した。勇んで港のゲートをくぐり抜け、石畳の道を走り始めると、最初は体が揺れる感じがしてならなかったが、慣れるに従い、一か月半ぶりに陸地を走る足応えを感じる。平日の午後5時前というのにまるで週末のように市民が憩う海岸べりを通り、美しく広大な市民公園の周歩道に入ると周囲はむせ返る初夏の緑で、刈り取りをしたばかりの芝生からは草の匂いが立ち上っている。大地の匂いを嗅げば、やはり人間は陸の動物なのだと改めて実感しながら公園の中で歩を進める。船上でのジョギングで足は疲労しているし、最初はごく軽く30分ほど走って帰ろうと考えていたが、揺れぬ大地と緑の心地良さに、疲れたと嫌がる妻をはるか後ろに置き去りにし、ついつい1時間ほど走ってしまった。飛鳥Ⅱに戻って風呂上りにポルトの遠景をサカナに飲むビールのなんと美味かったことか。

 

1か月半ぶりの陸地でのジョギングに歩も進む(市民公園)
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2025年5月14日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第43日  サグラダファミリアとリーブヘル クレーン

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サクラダファミリアと建築用のリーブヘル社のタワークレーン

クルーズ第43日目、飛鳥Ⅱはバルセロナに到着した。このクルーズ唯一の地中海の寄港地にして、スペイン第2の大都市である。バルセロナ観光と云えば、サクラダファミリア教会なのだろうが、オーバーツーリズムの昨今、この名所が世界中からの人々で大変な人気なのは皆の知るところである。まず入場するのが大変だし、入ってもひどい混雑が予想されるが、私は行列や人ごみが昔から大嫌いなのだ。日ごろ、行列のできるうまいラーメン屋に皆が殺到していると聞くと、例え味がまずく値段が高くても、待たないラーメン屋に行きたいと広言し、周囲の不興を買うのが常となっているほどだ。であるから放っておくと、「サクラダファミリアは混んでるのでパス」と私が宣言しかねないことをあらかじめ見越し、妻が寄港地観光ツアーが発表された昨秋から、この教会の入場がセットで組み込まれている本船のツアーの予約を入れていた。


と云うことで有無も言わせずに貸し切りバスに揺られて連れていかれたのが「バルセロナ半日観光」である。1992年のバルセロナオリンピックで銀メダルを獲ったマラソンの有森裕子選手が駆け上ったモンジュイックの丘や、サクラダファミリアの建築家ガウディが手掛けた街中の他の建物などを見た後に、いよいよ我々一行はサクラダファミリア教会の見学となった。予想した通り世界中からの観光客でごったかえす教会前の公園では、ツアー引率の現地日本人のガイドさんから、数分に一度「スリに気を付けて下さい」、「あの男の人はどうも不審です」、「この前、友人が一日に2回もスリに遭いました」などと忠告があって、どうも目の前にそびえる教会よりかばんのチャックやポケットの財布の方が気になって仕方ない。そうこうして空港の搭乗口かと思わせる厳重なセキュリティーゲートを通り、我々一行はようやく建物の中を見学することが出来た。


サクラダファミリアはカトリックの教会であり、1882年に着工、天才か変人かと云われたガウディの作品で、いまだに完成されず増築を繰り返している建物である。初期に出来た部分はすでに黒ずんでいるが、完成してまだ間もない建物は、高価な素材やモダンな意匠でできており、なぜこの教会がこれほどの世界的人気なのか、どうも私には今一つ釈然としない。今や未完成の部分は90キロも離れた工場で作成し、現場で組み合わせ作業を行うブロック工法で建築中とのガイドの説明である。むしろ私には今も作業のために使われているスイスのリーブヘル社製の巨大なタワークレーンが目に付いて仕方ない。と云うのも、かつて同社製の船舶用デッキクレーンのトラブルで苦労した思い出が蘇ってきたためだ。見物客だらけの教会内部を見学すること一時間半、ここを訪れたことは一生忘れないだろうが、19世紀末に建て始めた頃の宗教的な目的から、いまや一大観光資源としてテーマパークに化しているのではないかとの感想を持った。もっとも学生時代にここへ来たことのある妻は、あまり観光客も来なかった往時を思い出し、40年後の教会の姿を見ることが出来てとても良かったと感激している。

2025年5月10日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第39日  テネリフェ・トラム

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アルストム社製 シタディス302型トラム 起点のインテルカンビアドール停留場にて

アフリカ大陸西岸、スペイン領カナリア諸島のテネリフェに到着した。前夜から自キャビンではYoutubeで大瀧詠一の 『カナリア諸島にて』を聞き、充分気分を盛り上げての入港である。テネリフェと云えば、ヨーロッパの人々にとっては避寒地として有名で、街を歩いているとフランス語やドイツ語の観光客が多数歩いているのを見かける。彼らにとれば、東京の人間が熱海や伊豆の温泉にやってくるような感覚なのだろう。この日は港町のサンタ・クルス・デ・テネリフェからトラムに乗って、世界遺産に登録されている古都ラグーナを訪問することにした。船からラグーナまでの有料連絡バスもあったのだが、こちらは僅か15キロほどの距離を往復するだけで、一人174ユーロ(2万7500円)もする。いくら飛鳥料金とは云えども、これは法外だと思っていたところ、昨年この船で当地へ来た友人から、「 トラムに乗る方が安くて便利 」と船内で聞き、自力で行くことにした。


トラムに乗るには、まず港から徒歩で行ける最寄りの停留場でチケットを買う必要がある。外国で公共交通利用をする際は、目的地至近の降車場はどこか、乗り換えがあるのか、切符をどこで買うのかなどけっこうハードルが高いことがあるが、ここでは港近辺から目的地ラグーナにあるトリ二ダッド停留場までのトラム1号線は12.5キロで乗り換えもなく、やってくる電車はすべてが終点まで行くので乗り間違いもないことが分かった。旅行者が乗車するには各停留場にある券売機で、ユーロの現金かクレジットカードで全線均一料金の乗車カードを購入する必要があるが、券売機の表示がスペイン語のみなのがちょっと面倒なところではある(その後撮影した写真から英・仏・独への言語切り替えボタンがあったことが判明)。仕方なく無人の券売機を前に、何となくヤマ勘で往復用の「2回または2人」の画面表示にタッチし、そのカードを2枚買うことにした。往復で一人2.7ユーロ(約400円)だから、船からの連絡バスといかに値段が違うことか。


平日の昼間とあって、トラムは5分から6分おきに次々とやって来る。どの車両も結構人が乗っており立ち客も多い。LRT ( LIGHT RAIL TRANSIT ) やトラムと呼ばれる軽快電車、路面電車の見直しが世界中で起こっており、日本でも宇都宮で新しい鉄道が開業しているが、ここテネリフェでも大昔に廃線になった路面電車を、2007年に全面的にリニューアルし再開業したそうだ。行き交う車両はどれも最新式の低床式連接車で、5両の車両を3つの台車で動かしている。さっそく乗車して購入した乗車カードを出入口のカードリーダーにかざすと、画面に赤でペケ印の使用不可表示が出て、一瞬買い間違えたかと焦る。カードの裏表が逆か、などと何度かトライしていたら、地元のオバちゃんが機械の下部に読み取り装置があるから、下からかざせと身振り手振りで教えてくれた。その通りやってやっとOKの表示が出たが、外国の公共交通機関を初めて利用するときの”あるある”現象を今回も体験することになった。


ボックスシートとベンチシートが混在する車内の仕切り板には、”ALSTOM”との表示が掲げられ、日本でもアルストム式台車などで知られる、仏の鉄道総合メーカー製車両であることが分かる。シタディスというブランドの同社のトラムシリーズは各国に輸出され、今や世界で1800編成以上が使用されているそうで、ここテネリフェではシタディス302型と呼ばれる全長32米、幅2.4米、 1435ミリ標準軌の車両が活躍しているのである。驚いたのは、1号線の港近くにある始点インテルカンビアドール停留場から終点のトリニダードまでの約12.5キロの間には標高差が500米以上あり、平均すれば勾配は40パーミル以上であるのに、乗車したトラムは行き(上り)も帰り(下り)も最高速度50キロで急坂を実に軽々と走ることであった。小さな車輪にパワフルなモーター、回生ブレーキの他に台車を見れば電磁吸着ブレーキも装備しているようで、さすがアルストム社のベストセラー車両だとその快適な乗り心地を楽しんだ。車内ではスマホの電話の声がうるさいものの、老人や体の不自由な乗客が乗ってくれば、若者たちが率先して席を譲っている光景が幾度も見られ、矢張りここは南欧なのだと感心することしきりだった。

清潔な車内、老人・弱者優先のマナーが徹底されていた
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2025年5月 5日 (月)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第33日  キリンがいるぞ

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瀧総料理長とキリン(右、後ろ姿)

このクルーズではデッキディナーが4回開催させることを乗船前に郵船クルーズから聞いていた。アジアンデッキディナー、アフリカンデッキディナー、カリビアンデッキディナー、ハワイアンデッキディナーで、その日はプールサイドにグリルが設置されて海域・地域に因んだ料理が振舞われる。乗客は潮風に包まれて薄暮の野外ディナーを楽しむが、クルーだけでなく乗客もそれぞれ持参した民族衣装などを着て、クルーズ気分を盛り上げる趣向である。クルーズ12日目、シンガポール出港後に行われたアジアンデッキディナーでは、例によって昭和オヤジの植木等のいで立ちで、いつものように(一部に)ウケたが、次はアフリカがテーマとあって、乗船前から、「 うーン!?この夜のために何を仕込んでいこうか」と悩んだのだった。


久し振りに合った小学校の恩師に 「 キミは小学三年生の頃から、植木等の真似をしておちゃらけるのが好きだったわね」と最近も言われたが、何かイベントがあれば人とホンの少々ずらして、ウケを取るのが好きだった性分は、『三つ子の魂百まで』で今も変わらない。ましてやクルーズ船上なら 「 旅の恥は搔き捨て」だ。せっかくのアフリカンデッキディナーとあれば、何か恰好の衣装がないかと考えて、ネットで調達し仕込んだのがキリンのかぶりもの(高さ約40センチ)と、妻のキリンのカチューシャである。これならワイワイ、ガヤガヤのデッキディナーで、アフリカ民族衣装などを着こんだ女性客が数多くとも、頭三つ分くらい飛び出るので目立つこと間違いない。


とは云っても、変わった扮装をしてディナー会場に飛び出すのは、毎度ながらちょっとした勇気がいるものである。まさか顰蹙(ひんしゅく)を買うことはないだろうか、いやいや誰からも相手にされず無視されたらどうしよう、などと心配しつつおそるおそるデッキに踏み出せば、我が姿を見るなりみんな一目で 「 プッ!」 と笑ってくれるのでほっと安堵の息が出る。暮れ行くにつれ次第に 「 一緒に写真とって」などとこれまで知らなかったご婦人方も周囲に増えて、まさに被り物は効果抜群である。そのうち 「 下の階にいたらデッキではキリンが出たというので見に来ました」と言うクルーまで現れ、大目立ちとあってまずは成功。カチューシャの妻も共に、キリン姿のまま、フィリピン人のキャビンクルーたちも一緒になって、デッキダンスで大いに盛り上がった一夜であった。翌朝は 「 昨日は盛り上げていただきまして有難うございました」とエンタメクルーから丁重な挨拶があったが、いやいや楽しませて貰ったのはこちらである。クルーズは自ら楽しみを見つけ、自ら盛り上がらなければ損なのだ。

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2025年5月 2日 (金)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第32日  飛鳥Ⅲとの邂逅

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セントヘレナ島の北側沖合 飛鳥Ⅲとランデブー


砂漠の町、ナミビアのウオルビスベイを出港してから、次港テネリフェまで、飛鳥Ⅱは丸9日間にわたって大西洋を北上する。シンガポールからレユニオン島までのインド洋無寄港区間に匹敵する今航海で最長の洋上生活である。横浜を出て1か月が過ぎ、乗客はクルーズ生活に慣れると共にマンネリ感に疲れを感じる頃とあって、この間、船内では様々なイベントが企画されている。昨日、飛鳥Ⅱはナポレオンが幽閉された絶海の孤島、セントヘレナ島の周囲を回ったが、島の沖合いで4月10日にドイツのマイヤー造船所で引き渡しを受け、日本に回航中の「飛鳥Ⅲ」と洋上でのランデブーが行われた。


今はスマホのアプリで、世界中の他の船の動静もわかる便利な世の中である。飛鳥Ⅲがちょうどアフリカ西岸を南下して来ることは、以前より飛鳥Ⅱの船上でも多くの知るところになっていたが、「どこかで出会うの?」との質問に、渡邊船長は言葉を濁し続けてきた。しかし、もしそのような予定がないなら明確に「ノー」と返答するはずで、否定も肯定もしないということは、当然出会いがあるものとみな密かに期待をしていたのだった。但し、ウオルビスベイ~テネリフェの距離を9.5日で航走するには、相当のスピードと燃料消費が必要なので、余計な離路が可能なのか、一抹の不安がないわけではなかった。と、ウォルビスベイを出て2日目の朝の船長の定例放送で、「明日(5/1)11時頃、ドイツ造船所より日本に航海中の新造船 飛鳥Ⅲとランデブーすることとなりました」との待望のアナウンスがあった。


5月1日、セントヘレナ島の北端の港、ジョージタウン沖を飛鳥Ⅱが通過した頃、一足早く到着しドリフトしていた飛鳥Ⅲが前方の島影から姿を露わにした。これまで何度も完成予想図で見た通りの船影もくっきり、飛鳥Ⅱより一回り太いファンネルには、ニ引きの赤線が遠くからでもはっきりと認められる。飛鳥Ⅱの左舷はるか前方から微速で対向し、次第に接近して来た飛鳥Ⅲは、約300米ほどの距離で舷を交わし一旦後方に去って行く。その時、飛鳥Ⅱ船上はのぼりの他、乗客やクルー手作りの横断幕がデッキ上のそこかしこにはためき、汽笛の交換と共に皆で「ヤッホー」との掛け声を新造船に送った。飛鳥Ⅲは小久江船長以下170名ほどの回航要員が乗船しているそうで、向こうも総出でデッキで手を振っている光景がはっきりと視認できる。


すれ違って飛鳥Ⅱの左舷、艫(とも)側に一旦去った飛鳥Ⅲは、ハードポート(左急旋回)で180度回頭、今度は行き足をほぼ無くした飛鳥Ⅱの右舷を微速前進で追い越して行く。飛鳥Ⅱの船首に出た飛鳥Ⅲは最後に進路を横切って再び左舷側でしばらく並走したが、2隻はまるでワルツのウイーブ(編み込み)さながらの航跡をつくった。この間、約一時間、もしセントヘレナ島の住人が高台からこの様子を見ていたら、さぞ眼前のシーンにびっくりしたことだろう。かつてアデン湾で自衛艦「せとゆき」が飛鳥Ⅱほかの警護の任を終え、軍艦旗も鮮やかに答舷礼を実施してくれた光景を思い出したが、このように護衛艦なみに軽やかに回頭できるのも、アジポッド推進の飛鳥Ⅲならではだ。飛鳥Ⅲは7月11日、我々が日本帰着の日に、横浜で待っていてくれることだろう。

 

2隻でダンスをするような航跡
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