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2025年4月

2025年4月28日 (月)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第25日~26日 中進国の罠

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緑の向こうを走る郊外電車(パールにて)

ケープタウンの街から180キロ離れたアクイラ動物保護区への貸し切りバスは、首都のプレトリアやヨハネスブルグ方面へ向かう主要幹線道路 N 1を走った。バスは途中でワイナリーに立ち寄ったり、昼食会場のホテルに向かうために幹線道路をしばし外れたため、その都度、車窓からは南アフリカ共和国の沿道風景を楽しむことができた。通過する町々は欧米の高級住宅街と同じような瀟洒な邸宅が並ぶ閑静な地域と、粗末なバラック建てばかりで、平日の日中から所在なさげな人たちがたむろしている地域にはっきり分かれている。前者は人口の7%を占める欧米系白人、後者は人口の90%を占める黒人かカラード(混血)が住む町らしく、まだアパルトヘイト時代の残滓があることを気づかせる光景である。


貧しい地区の道路では裸足の黒人が多数歩いており、その傍らの道端には沢山のごみが捨てられている。やはりまだまだ発展途上で、個人がなかなか豊かになっていないことが良くわかる車窓風景だ。南アフリカ共和国の面積は、112万平方キロと日本の約3倍、人口は6000万人で、鉄鉱石や金、プラチナなどの鉱物資源に恵まれている。この国はG20の一角であり、BRICS国としても知られるキリスト教国なのだが、一人当たりの国民所得は約6000ドルと日本の500万円(@¥150で3万3000ドル)の約5分の1以下であり、失業者も多く、近年は個人消費が伸びずに経済成長が鈍化しているそうだ。


一方で幹線道路は少なくともケープタウン近辺は立派に整備されており、車窓から見る我が国と同じ1067ミリの軌間を持つ鉄道も、すべてが電化されていた。よく見れば鉄道の線路は枕木もPCコンクリート化されているし、路盤も強化されているようだ。バラックの立ち並ぶ地域にあったホームや駅舎は、周囲に似合わず小ぎれいで、そこを6両編成の青く塗られたモダンな電車が駆け抜けて行く様は、この国の矛盾を象徴しているかに思える。バスで戻ったケープタウンの市街地は、2011年に訪れた時より派手なイルミネーションで彩られた高層ビルが目立って増えていることが一目瞭然である。これらアンバランスな経済発展の状況を見ると、一人当たりの国民所得が1万ドル近くになると経済成長が難しくなるとする、いわゆる「中進国の罠」に南アが陥っていることがわかる気がした。

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車窓から見るバラック

2025年4月27日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第25日~26日 アクイラ動物保護区サファリドライブ

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インド洋の航海を終えて、飛鳥Ⅱはケープタウンの港に4月24日早暁に入港した。ここでは、今航海で初めての一泊オーバーナイトの停泊となる。以前来たときに停泊した場所は港のはずれの方だったが、飛鳥Ⅱは町の中心に近い場所に出来た新しいクルーズターミナルに着岸した。新ターミナルは一般貨物用の岸壁が並ぶ場所にあり、前後を貨物船に挟まれたごく狭いコーナーに位置している。入港日、そろりそろりと最大警戒の微速前進で市街地が目の前の岸壁に船が着くに連れて、明けゆく空は快晴で雲一つないのが明らかになってきた。昨年の世界一周クルーズでは、霧と雨のケープタウンだったそうだから、まずはこの南半球の秋晴れに感謝である。


前に来たときは、喜望峰や野生ペンギンの生息するボルダー海岸を見学したので、今回は港から180キロほど内陸に入った標高800米ほどの高原にある『アクイラ動物保護区サファリドライブ』へ一泊の本船ツアーに参加することとした。我々にとってはこのクルーズにおける唯一の船外宿泊の行事である。ペット以外の動物と云えば日本では動物園か、せいぜい富士サファリパークのような限られたエリアの施設で見るしかない。だがここでは山手線内側の6倍もの広大な大地に、バッファロー、ゾウ、ライオン、シマウマ、サイ、カバ、ヒョウ、ダチョウ、キリン、ヒヒ、スプリングボックなどが生息し、170種類にのぼる鳥類が見られるそうだから、あまり動物に興味がない私にも心惹かれるツアーであった。とは云っても、本来なら保護区内のライオンやヒョウは、シマウマなどの草食動物を襲ってしまうはずだ。この辺りはどう辻褄を合わせて管理しているのか出発を前に興味は尽きなかった。


到着したアクイラ動物保護区では、トラックの荷台に作られたサファリカーの座席に座り、映画「ジュラシックパーク」さながらのゲートを通ってエリア内へ入った。初日と次の日、それぞれ約2時間のサファリドライブである。あたりの灌木地帯にはところどころに池もあり、赤土の肌を見せる岩山が迫る光景は、舞台演出としておあつらえ向きで、まさに我々がイメージする「アフリカ」そのものだ。クルマに揺られお尻が痛くなるほどのゴトゴト道を行けば、近くでゾウの群れが砂浴びをしているかと思えば、池からカバが耳や目を出している。シマウマやバッファローなどがあちこちで草を食み、水をのんびり飲んでいる風景はまさにサバンナで、動物園で飼われている動物たちとは迫力がまるで違う。ただ、のんびり草を食む草食動物たちを見ていると、これらを餌にするライオンやヒョウなどの肉食獣とは「保護区」内でどう共生しているのかやはりひどく心配になった。


ガタゴト道を行くことしばし、ほどなく区内もう一つの電気柵つき金網を通ると、そこはライオン用の特別区域となっていた。サファリカーのドライバー兼ガイドによれば、なんとここではライオンに週に何回か餌をやっているそうで、道のそばでは与えられた大きな餌の肉片を傍らに、人間を恐れることもなくリラックスしたライオンが横たわっている。これを見れば、やはりここは弱肉教食の自然とは一味も二味も違う動物の疑似楽園であることを気づかせてくれる。猛獣エリア外の草食動物も、クルマが近づいても警戒するでないから、これから数代も経てば、保護区内で生きる彼らの肉食獣を恐れる本能的遺伝子も上書きされているかもしれない。総じてここは自然やら動物、環境保護などを看板にした『半』商業的な『半』ワイルドの世界であることが分かった。とは云うものの、日本では味わえない野生に近い環境の動物たちを間近で見れば、今後はわざわざ動物園に行く気も起こらないほど大満足のツアーであった。

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2025年4月23日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第24日 連続終日航海日

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マリナーズクラブでピアノの稽古

桜咲く日本を出港したかと思っていたら、船上で読む毎日新聞衛星版などからもうGWのトピックスが入ってくる。船上での一日は、いつに増して「 今日しかない特別の一日、特別の時間」だと意識しているのだが、それでも、長いインド洋横断の毎日とあって、日々の生活もやや倦んでくる頃である。シンガポールを出てレユニオンまで9日間が連続洋上航海で、この日数はこれから向かうウオルビスベイからテネリフェの9日間に匹敵するこのクルーズ最大の無寄港区間であった。その上、シンガポールからケープタウン間は、船内の時刻改正で1日が25時間となる日が6回もあったため、早朝に眼が醒めるなど、一日がより長く感じた人も多かったことだろう。クルーズ船とは、豪華な三食やショー付きの高級合宿所かと思う時もあるから、明日入港して1泊するケープタウンは久々の大地とあってちょっと楽しみである。

 

「日常」となった船内生活を飽きないように過ごすには、日々の生活のパターン化と、ちょっとした刺激が必要になる。パターン化の第一歩は、毎日午前(初心者向け)と午後(経験者向け)の1日2回、各45分のダンス教室の参加。それに昼休み時間のジョギング(5キロ~10キロ)と、その後の入浴である。ジョギングは甲板部のデッキ作業がない昼12時から1時の間に行っているが、この時間は昼食の時間と重なるのでやむなくメシなしとなる(船の用語でチャブ抜き)。走って汗をかいた後、1時過ぎに飛び込む大浴場や露天風呂は、いつもガラガラで、誰もいない露天風呂で大海原を眺めながら湯船に浸かるのは、最高に贅沢な時間だ。月曜から金曜日は、これらの合い間にネット接続して、メールのチェックや表計算などの業務をこなす。時差があるものの、ここまでは取引先から要求される作表や文書作成が、トラブルなく送信できているようだ。このようにネット接続がふつうになれば『働きながらリモートワークがこなせるクルーズ船』などとする飛鳥Ⅲのような客船も増えてくることだろう。


こうして一日が、あっという間に過ぎていくが、それだけではクルーズはつまらない。刺激を得るために、たまに夜の部にはクラブ2100の生バンド演奏付きダンスに顔を出すほか、昼はプールに入ったり、かねてから予定していたゴルフのレッスンを受け始めている。ゴルフと云えばかつてあれだけ時間とカネをかけたのに、うまくならなかったのは自己流だったからに違いないと、プロの指導を受けることにしたものである。5日に1回ほどで毎回15分、6デッキ後部の鳥かごで、「うーん、全体的には良いですが、グリップを直した方が」とのアドバイス。教えられたとおりに握ったグリップで振れば、スイングの軌道が一定になって心なしか球の勢いが増したようだ。さすが元女子プロツアーに参戦していたプロだが、これが無料で何回でもレッスンを受けられるとはさすが「飛鳥Ⅱ」である。今日はマリナーズクラブのグランドピアノを借りてピアノの稽古も実施。我が家の電子ピアノとは雲泥の感あるグランドピアノの響きに、指の方が緊張したのか、家ではすんなり弾ける箇所も突っかえてばかりの一時間だった。高級合宿所の貴重な一日はこうして過ぎてゆく。

 

 

2025年4月20日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第19日 レユニオン島

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クルーズ第19日目、飛鳥Ⅱは仏領(県)レユニオン島のル・ポールに入港した。レユニオンはマダガスカルから東に800キロ、モーリシャスから西に175キロの洋上にある火山島で、神奈川県ほどの面積の島に85万人が住む(ウイキペディア)。入港時にレユニオンを遠望したところ、ちょうどハワイのカウアイ島やタヒチのモーレア島のような火山島独特の切り立った山容を背後に、海岸に向かう斜面にコロニアル風の住居が立ち並び、南洋の植物が生い茂る緑ゆたかな島であった。ル・ポールの港から県庁のあるサンドニの街まで、片道2~3車線の立派な自動車専用道路は、途中の部分が、海の中に立つ橋脚の上に施設されていた。ここはもともと海食崖の下を通っていた高速道路が1980年のサイクロンで被害を受け、新たに海上に付け替えられたもので、自然保護の観点から様々な制約が課せられたため、キロ当たりの建設費用は世界で一番高いものになったと云う(レユニオン公式サイト)。シャトルバスでこの海上の道を通って約20分、この日は自由行動でサンドニでの半日の市内観光を楽しんだ。


上陸に当たって飛鳥Ⅱでは、蚊の感染症例(デング熱)があるので、長袖・長ズボン着用の上、虫よけスプレーをして下さいと呼びかけていたが、入港直後、港付近を歩く現地の人たちを見れば半袖・バミューダパンツが多く、どう見ても船の薦める服装は当地では異様に思えてならない。南国の日差しの中、暑苦しそうな長袖・長ズボンに身を包み、ましてや一部にはマスクまでした集団がぞろぞろと街中を歩くのは、まことに奇異で人目をひきそうだ。なにごとも超安全策の飛鳥Ⅱゆえ、このような注意をしているのだろうが、衛生的に問題なさそうな港の周辺を一目見れば、例えて云えばマニラで半ズボンにポロシャツでゴルフをする方が、蚊に刺される恐れがよほど高そうだ。郷に入れば郷に従えと云うから、シャトルバスに乗車する際の他の乗客の冷ややかな視線を横目に、自己責任で行動すれば良いと、短パンにポロシャツでサンドニの街に出かけることにした。


初めての地を訪れた際にまず気になるのは、その地の文化である。横断歩道の脇に立てば、歩行者優先で目の前でクルマがサッと止まるのか、はたまた強い者が勝ちとばかり歩行者を無視するかで、文化の優劣は大体わかる。以前、出張でシンガポールを訪れ、その帰路に香港に立ち寄った際、罰金刑が厳しいために歩行者優先だったシンガポールのような感覚で、香港の横断歩道を渡ろうと足を踏み出したところ、クルマがスピードも落とさず目の前を通り過ぎ、肝を冷やしたことがあった。シンガポールと香港、同じ中華系、同じような街のたたずまいでも、中華思想と中国文化がより濃厚な香港では交通道徳は大きく劣っていたのが分かった。その点、サンドニ市街では、完全に歩行者優先のルールが守られており、ここがヨーロッパの出先で、フランスの一つの県であることをまずは実感した。


サンドニの中心部、ラジソンホテルに設けられた飛鳥デスクで薦められた方角に向かって踏み出せば、街路や古くから立ち並ぶ邸宅はフランス風で、混血のクレオールや西欧人がゆったりと道を歩いていた。中心となるヴイクトワール&パリ通りの突き当りにあったエタ公園でしばし休憩をとっていると、色々な人種の子供たちの遠足(校外学習?)が何組も目の前を通り過ぎ、先進国の中でもフランスの出生率が高い現状を垣間見たような気がした。この地は第1次世界大戦のフランス軍の英雄パイロットだったローランギャロス生誕の地でもあった。天気は快晴、そよ吹く海からの風も気持ち良く 「 天国に一番近い島」と云われた同じ仏領のニューカレドニアより、こちらの方が天国に近いのではないかと思わせるレユニオンである。そうこうするうちに、昼休みの時間になると店々のシャッターは降り、レストランの軒先では人々がワインなど片手に食事を始めている。紛れもなくここはフランスそのものであった。

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世界一高価な高架橋

2025年4月16日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第17日 あれから14年

南インド洋にやって来たのは、2011年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ以来14年ぶりである。月日が経つのは何と早いことだろう。レ・ユニオン島が近づくにつれ、飛鳥Ⅱも航路筋に完全に戻ったのか、欧州から極東へ向かう巨大コンテナ船の姿を近くに見るようになった。喜望峰を回る航路が忙しくなったのは、2023年頃からアラブ過激派のテロが頻発して紅海が危険になってからで、大型コンテナ船がこの海域を通るのは以前なかったことである。わが身を振り返れば、この14年の間には職場も変わったし、2度のガン手術も経験した。しかし、この間もインド洋は変わらずにここにあって大きなウネリをつくり、空には南十字星が瞬いている。ふと14年前の我がブログには何を記したのか気になって読み返してみたら、当時はこんなことを感じながらここを通過したのかと感慨深い。

2011年4月26日のブログ

『イルカが船の周りに遊びに来て、しばらく飛び跳ねたり船の速度に合わせて泳いだりするのは、クルーズでは良く経験する光景だ。航路によっては運が良ければ鯨に出会う事もあるし、海鳥が魚を捕食するために海面に飛び込む様を見たり、ふだんの生活では見る事のできないものに出会うのもクルーズの楽しみといえよう。インド洋を航海中の今も、窓の外は天の川をバックに南十字星がくっきりと浮かび、私達は船から配られる今宵の星座図をもとに、デッキでいろいろな星を探している。


沈み行く夕陽の最後の輝きが、プラズマ現象で一瞬みどり色にかわる”グリーン・フラッシュ”もこの航海ですでに2度ほど見る事ができて感動したが、先日は海の上の竜巻を初めて見た。本船の左舷1マイルほどだろうか、一本の水柱が天空と海を繋ぐ神殿の円柱の様にゆっくり移動して行ったが、その竜巻の景色はなにか生きものの様でもあり、自然の神秘を大いに感じさせてくれるものだった。竜巻の下部では滝つぼのごとく海の水が巻き上げられて白く光り、あたり一面の海がにわかに白波を立てる様子は、まるで地の果てとでもいうもので、思わず映画やニュースのトルネード場面を思い出させてくれた。


こうして船で移動していくと、地球は海の部分が陸地より遥かに広く、この広大な大洋が生命の源であり、かつ地球の天候や環境の源である事がわかる。この海洋で原始の生命が発生して進化し、水は蒸発して雲になり、雨が降って陸地では森が出来、光合成が行われて動物や人間が生きてきた。こうした自然のサイクルに思いをいたすと、まさに海とは奇跡の様な存在で、我々はますます海洋汚染に注意し、この海を守っていかなかればならないと殊勝な考えが浮かんでくる。 加山雄三の「地球をセイリング」の歌詞ではないが、「母なる波の上」に人間の存在があるのだと、毎日海を眺めながら感じている。』

その日の写真 海上のツイスター
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2025年4月14日 (月)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第12日 アジアンデッキディナー

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植木等 後ろ姿

クルーズ第14日目、マラッカ海峡を抜けて船はインド洋の大海原を南西に向かって航行している。乗船して数日は船体の動揺やきしみ音で夜間に目覚めることもあったが、人間の体は環境に慣れるもので、インド洋の大きなウネリの中でも、このところ朝までぐっすり寝ていられるようになった。マラッカ海峡の出口から喜望峰までの直線上には、紅海・スエズ運河の治安がまだ完全ではないためか、以前より数多くの船舶が走っており、渡邊船長もこのコースは予想以上の船舶数だと語っていた。ただ飛鳥Ⅱは途中で食事や船内イベントのために揺れの少ない方位に進路を変えたり、赤道上の緯度00度付近を横走りしてくれたために、現在は周囲には船影もなく、一隻だけで次の寄港地レ・ユニオン島に向かって突き進んでいる。


主要クルーの紹介や、最初のフォーマルデイ、県人会など世界一周クルーズ恒例の出だしのイベントも終わり、シンガポールも過ぎて、船内には落ち着いた空気が流れている。300名弱の乗船者とあって、リドグリルの朝食ビュッフェはピーク時でも好きな場所に座れるし、毎朝の日本の新聞縮刷版を待つための順番待ちもない。露天風呂もいつも数名で贅沢に湯に浸かる日々である。競争が少ないのは融和の源泉なのか、廊下や階段、エレベータなどで見知らぬ同士が声を掛け合う場面も以前より多いようだ。とは云え優雅なクルーズ船も、実際は長さ200米、幅20米の面積、上下は数フロアーの空間とあって、ここは乗客とクルーによって構成される運命共同体である。何よりこのクルーズでは、全100日余のうちで上陸できる日が20日強、それ以外はどこにも行けない洋上生活だ。云わば合宿とも表現できる空間の中、クルーが趣向を凝らして催す各種船内イベントや、今日しか味わえない洋上の体験を存分に味わうのがクルーズを楽しむ極意である。


ということで、シンガポールを出て3日目(第12日目)の夜のアジアンデッキディナーは、自ら大いに盛り上がろうと、今回もいつもの昭和のオヤジのコスチュームに身を包むことにした。アジアンデッキディナーには 「 各国の民族衣装などをお持ちでしたら、是非お召し下さい」と船内紙にあるので、持参した麦わら帽にロイド眼鏡、口にはちょび髭、クレープの肌着に腹巻、足は雪駄、腹巻にはうちわといういで立ちだ。植木等スタイルこそ、日本の民族衣装である。飛鳥Ⅱでは永年デッキイベントの際にこの姿で出ていくことにしているのだが、初回から10数年経ってもこれを追従する乗客はいないし、幸いなことに船から禁止命令も出ない。本音はそろそろこんな格好から卒業したいところだが、古い船友から「またあれやる?期待しているよ」と励まされ、クルーからは「デッキディナーを盛り上げて下さい」とおだてられ、見知らぬ乗客から「一緒に写真を撮って」などと云われれば、オッチョコチョイの江戸っ子としては逃げるわけには行かない。『 臨済録 』曰く 『 随処に主となれば、立処皆な真なり 』( それぞれの置かれた立場で、それぞれのなすべき務めを果たせば、必ずその真価を発揮できる)

アジアンデッキディナー
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2025年4月10日 (木)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ 第9日 シンガポール フェーバーパーク

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クルーズ第9日目、最初の海外寄港地シンガポールに飛鳥Ⅱは寄港した。朝9時の入港直後は雨まじりの天気だったが、11時ごろ船外に出かける頃には雨も止み曇り空が周囲に広がっていた。南国特有の湿気はあるものの、真上から刺すように照りつける太陽もなく、曇天で寧ろ歩き易くて助かるコンディションである。歩くとは言っても、シンガポールはかつて仕事で数え切れぬほど来た場所だし、妻も若いころに出張で長期滞在しており、もう町の喧騒や観光名所を見たいとは思わない。とは云え、せっかくだからブラブラとどこかへ行こうかと考えていると、昨年も飛鳥Ⅱ世界一周クルーズに乗船した友人から、フェーバーパークの散策を勧められた。


フェーバーパーク(Mt.FABER PARK)は、飛鳥Ⅱが着岸したクルーズターミナルの背後に横たわる高さ100米~150米の丘陵で、近年、自然公園として整備された一帯である。昨日はターミナルに隣接する地下鉄ハーバーフロント駅前のハイウエイ高架下をくぐってまずはMarang Trailと云う遊歩道にとりついた。ここでは高度を稼ぐために最初の10分ほどは階段を上るのだが、傾斜も適度な上、ステップはきれいに舗装されており登るのに苦痛はまったく感じない。一歩丘陵に踏み入れれば、周囲はうっそうとおいしげる熱帯雨林で、木々のあちこちから日本では聞けぬ虫の音や鳥の鳴き声がする。汗をかきつつ緑に包まれた道を歩いていると、ここが昭南島と言われた大日本帝国時代は、こんな風景が広がっていたのかと想像が掻き立てられる。


セントーサ島からクルーズターミナルを経由してフェーバーパークにやってくるケーブルカー(ロープウエイ)の終点を過ぎ、ヒルトップウォークと呼ばれる稜線をたどる道は、どこも整備されており、途中にトイレや道路標識、自販機なども設置された格好の散歩コースになっていた。適度なアップダウンを繰り返しつつ途中のヘンダーソン・ウェイブと呼ばれる場所まで、道そのものはもっと先まで伸びるが、ここで引き返し往復で約6キロの森林浴を楽しむことができた。途中にはシンガポールに7頭あると云われるマーライオン像もあり、ところどころで周囲に広がるシンガポールの街や、夥しい船が集う港の景色を眺めながら、2時間弱歩いた快適なトレイルであった。


ただ最初、クルーズターミナルの入国審査場を出た所に設置された飛鳥Ⅱデスクで、この丘に行く旨を事前に告げると「ケーブルーカーを使って下さい」と詰めていた現地在住の日本人が強く勧める。いや「歩いて登りたいんです」と幾度か言い張ると、呆れたように「まあ道はありますけどね...」との返答だった。暑い国とあって向こうは親切でアドバイスをくれているのはよくわかるが、寄港地では体を動かしたい派の乗客もいる。船のすぐ脇から歩いて2~3時間の往復と云えば、船内で縮こまった体をほぐす恰好のエクササイズの機会だと思ったが、色々な要望を持つ人が乗船しているから、それに対応する現地の案内も大変だ。老若男女、体育系も文科系も乗船する中、皆の要望を一様に叶えるのも長期クルーズは至難の業だ。

ヘンダーソン・ウェイブ(Henderson Wave)と呼ばれる木橋
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稜線よりビルの向こうに飛鳥Ⅱを遠望
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2025年4月 7日 (月)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第8日 シンガポール入港を前に

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シンガポール入港を前に南の海でゆったりとした船内時間が流れている。3回乗ったこれまでの世界一周クルーズより今航海は穏やかな雰囲気を感ずるのだが、この余裕の空気はどこから来るのだろうか。乗船客が少ないために、食事のテーブルもシアターの席もいち早く確保する必要がないこともあるが、私自身が年齢を重ねて、ちょうど世界一周乗船客の平均年齢になったことも関係ありそうだ。初めて世界をぐるっと廻った2011年にはまだ50歳台の後半で妻は40歳代であった。今航海の乗船者の平均年齢は73.5歳だそうで、世界一周クルーズの乗船者平均年齢は毎回その辺りとあって、2011年当時は多くのシニア客の中で若造が場違いな場所に来てしまった感があった。今年はようやくほぼ乗船客の平均年齢に達したことから、肩身の狭い気持ちが払しょくされ、伸びやかな気持ちになっているのかと自己分析している。


ということで船内関係者から聞いたデータでは、この航海で最高齢は90歳代から10代までの乗船客がおり、その中で最も多い年齢層は我が70歳代、続いて80歳台、60歳代が続くと云う。男女比は男性が約40%で女性が約60%、全乗客のうち飛鳥Ⅱの初乗船者が約30%だそうだ。シングル(一人乗船)の乗船者が100名以上とのことだが、船内で早々に友人を見つけて、いたって賑やかなのが女性の一人乗船者陣である。一昨日もダイニングの我々の背後では、たまたまテーブルが並びだったご婦人2人がたいそう盛り上がっており、大きな笑い声が夕食中ずっと絶えなかった。帰り際、2人は「騒々しくて大変失礼しました。私たち今日初めてお会いしたんですが楽しくて...」と周囲に謝っているので、思わず「 いいえ、こちらも仲間に入れて欲しくなりました」とお返しした。シングル(と思われる)男性陣は総じて大人しく、対して友人を見つけてはひどく元気なのが女性客である。どこへ行っても女性は強い。


歳を重ねると時間の経過をより速く感じるものだとは思いつつ、それにしても船上では時間が経つのが早い。ネットの接続、ダンスレッスン、毎日のジョギングなど公私おりまぜて参加していると、あっという間に夜になっている。6日の晩はおまけにカラオケにまで参加してしまった。まあ酔って幾ら調子よく歌っても、帰りのタクシーやら酔客の息が臭い電車で家路につく必要がないのが船旅の良さである。船上で再開しようと目論んでいるゴルフレッスンは、初っ端なは予約が詰まっているため、参加者のほとぼりが醒め船上生活に飽きた頃から参加することにした。このあたり、先の長いロングクルーズならではの余裕である。航海の序盤、人間というのは赤の他人であっても僅かでも会話を交わせば、一瞬にしてお互い垣根も低くなるものだ。乗り合わせた船である。どうせなら他の多くの人と挨拶を交わし、気持ち良く船内生活を楽しみたいものである。

2025年4月 6日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第6日 一日25時間

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露天風呂より石垣島をのぞむ

 

飛鳥Ⅱはベトナム沖を順調に南下している。この航海では起き抜けの体を目覚めさせ、朝食を美味しくいただこうと、起床してすぐにデッキを2周ほど(900米弱)歩くことにした。朝陽を拝みながら「🎼朝だ、夜明けだ、潮(うしお)の息吹、うんと吸い込むあかがね色の胸に若さのみなぎる誇り、海の男だ艦隊勤務、月月火水木金金♭」などと口ずさみながら深呼吸をしてデッキを歩くのがとても気持ちよい。クルーズ船では食事やアクティビティに参加するだけで階段を昇り降りし、船内どこに行くにも長い通路を歩くため、思ったより一日に歩く距離が多くなるものだ。毎日のジョギングやダンス教室を除いても、歩数は軽く一万歩を超える日々で、のんべんだらりとしている普段の生活よりかなり活動していることになる。


こうしてデッキを歩いていると、外板がどこもきれいに錆打ちされており、新しい船かと見まごうばかりに船体が白いのに気づく。そういえばパームコートやリドのガラス廻りのパッキン、内装の化粧板もかなりの部分が新しく張り替えられており、船齢を感じさせない船の美しさである。プール周りもきれいになっているし、ところどころで船内が刷新されているのがわかる。これらを観察するにつけ、相当な費用をかけて本船が整美されていることがこちらにも伝わり、『飛鳥Ⅲ』が就航してもこの船が当分の間、現役で使用されることが予想できる。ミャンマー産の天然チーク材を張ったプロムナードデッキ、廊下や階段の手すりに多くの真鍮が施されているオーセンティックな内装など、贅沢な空間で日々を過ごしているが、そのすべてが程よくリノベートされて快適さが保たれていると感じる毎日だ。


船内のIT化に伴い、仕事の一部を持ち込んだことを先に記したが、便利な状況になるほど予想外なことも起こる。仕事の関係者と留守宅のケアを頼んだごく一部の親戚以外には、世界一周クルーズに出ていることを告げていないため、突如「 今週、新宿あたりで一杯やらない?」などと旧友からラインLINEメッセージも入って、都度「すまんが、いま海の上」などと釈明に追われることになる。IT化も功罪相半ばで、陸地との交信が便利になった一方で、日常に一挙に戻される連絡が来るのが現代のクルーズ風景なのだろう。さて昨日より船内は時刻改正で日本標準時より1時間バックし、4月4日は25時間あった。これから地球を西へ西へと移動するに連れ、一日の時間が長くなり、最後はその調整でカレンダーから消える日ができる。ジューヌ・ベルヌの小説『 八十日間世界一周』で示されたトリックの反対の現象が起きるのだが、これから一体どういう光景が我々を待ち受けているだろうか楽しみだ。

 

毎日歩いたりジョギングをするプロムナードデッキ
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2025年4月 4日 (金)

飛鳥Ⅱ2025年世界一周クルーズ開始

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4月1日、神戸港を出港

3月31日、桜咲く横浜港を出港、翌4月1日に神戸港で西日本の乗客が乗船して、103日間に亘る飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズが始まった。今日、本船は石垣島を右舷に見て、時速19ノットで南下、周囲の海の色も空の雲も徐々に南方特有のものになったきた。このクルーズの乗船客は横浜から約180名、神戸から約80名、計300名弱と少なく、そのため船内はどこへ行ってもゆったりムードが漂っている。2011年に初めて世界一周に出た折は、東北大地震の直後だったためキャンセル客が多く、乗船者が約400名と少なかったが、それにも増して今回は静かで、コロナ禍時代を思い出してしまうほどだ。


その為もあろうか、いつに増して、『 乗客の醸し出す雰囲気』が整然としており、エレベーターや廊下で他人に進路を譲り合う場面や、見知らぬ同士が会釈を交わす機会も多いようだ。ロングクルーズになると、その日の新聞の縮刷版(以前は読売新聞もあったが、今回は毎日新聞のみになっている)が数部バインダーに綴じられてパームコートやライブラリーに置かれ、午前中は多くの船客が殺到して順番待ち状態となるものだが、今回はいつも新聞が余っているのが助かる。何よりなのは、このクルーズでは、告知されていた夕食時のフォーシーズンダイニングだけでなく、リドグリルでも夕方5時以降はビール、ワイン、日本酒などがフリーなことで、我々にとってはまさにラグジュアリー船状態である。


ネット接続は無料で24時間使い放題(ただし3時間ごどに一旦切断される)とあって、リモートワークで簡単な仕事を船内に持ち込んでいるが、乗船前はうまく機能するかいささか心配であった。少しずつ業務を船上で開始してみたが、これまでのところ陸上より反応が若干遅いものの、メールの送受信など仕事を船内で遂行する上では満足のいく水準である。この調子なら船上でリモートワークをしましようと、現役世代に積極的にプロモートするクルーズ船が出現(飛鳥IIIはそのコンセプトもありそうだが)してもおかしくない時代なのかと感じる。ロングクルーズの嬉しいところは、乗船して数日たっても「ああ、早くも半分すぎてしまった」などと焦らなくて済む点にある。まだ航海は始まったばかり、徐々に船内のペースに合わせて、アクティビティの参加予定などを考えるクルーズ第4日目である。

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本邦最南端の有人島、波照間島。奥は西表島

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