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2025年2月

2025年2月27日 (木)

八千穂寿司のおいなりさん

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2月24日(月)、テレビ東京の「世界!ニッポン行きたい人応援団」は、シアトル郊外に住み、いなり寿司を愛するアメリカ人女性を日本にご招待する特集だった。この女性の亡き祖母は進駐軍の兵士と結婚してアメリカに渡り、初孫だった彼女に日本料理を教えたそうで、おばあちゃんの味を受け継ぎたいというのが番組に応募した動機とのことだ。シアトル近辺には軍の基地が多いため第2次大戦に従軍して帰国した元兵士の家族が多数住んでおり、進駐軍で日本に滞在した米兵が日本人女性と結婚して連れ帰ったケースも多々あった。私がシアトルに駐在していた時も、進駐軍の軍人だった夫と結婚しアメリカに移住したオバちゃんが秘書をやってくれたが、一人駐在でアメリカの右も左もわからぬ中、彼女の様々な仕事ぶりにとても助けられたことを思い出す。かつての秘書のオバちゃんに孫娘がいれば、ちょうど番組の女性くらいかと考えると彼女に親近感を覚え、いなり寿司の作り方を日本の名店で短期修行しようとするその姿が興味深かった。


番組で彼女にいなり寿司のノウハウを教えた有名店の一つが、九段北のテイクアウト専門の「八千穂寿司」であった。この辺りは我がジョギングコースに近く、少し前よりこのお店があることは知っていたが、そこはJR市ヶ谷駅からは約600米もあり、一口坂という抜け道に面したあまり目立たぬ場所である。しかし「世界!ニッポン行きたい人応援団」でお店の人気や働く人たちの仕事ぶりが紹介されたのを見て、そんな名店ならば一度トライしてみようと、昨日はジョギング帰りに寄ってみた。午後のひととき、こじんまりしたお店にはすでに6人~7人の先客が列を作っていた。繁忙時を除き基本的には作り置きせず、注文を受けた分だけをすぐ後ろの調理場でこさえているため、簡単に客はさばけないようで、おばあちゃん始め4人~5人が一心に作業しているさまが並んだ列から見える。ふだん並ぶくらいなら要らない、ほかの物を買うとするせっかちな私ではあるが、家族総出で黙々と酢飯をお揚げにいれている厨房を見ると列を離れる気持ちにならず、何を注文するか陳列ケースを何度も確かめつつ待つことに。


約10分ほど待って買ったいなり寿司は、「いなり」単品 X 5(750円)、かっぱ巻き+かんぴょう巻+いなり2個(920円)入り「かっぱ合わせ」2点合計1670円プラス8%消費税。愉しみに折りを片手に持ち帰り、一口ほおばると油揚げは甘味がちょうどよく効き、味もしっかりした関東風、酢飯は口の中でほろりとほどけ、胡麻も入っていない素朴で懐かしいおいなりさんである。大将は神田淡路町の「志の多寿司」で修行したそうで、これぞ昔ながらの東京風というところ。子供の頃、玉電(現田園都市線)の真中(現駒沢大学駅)電停前に食堂があって、電車を降りるとそこのおいなりさんや、団子などを買って家路についたことを思い出してしまった。「八千穂寿司」はガリも本気の自家製、テレビで紹介されていた大将や会計の感じも良く、放送の余韻が去った頃にまた買ってみようかと思わせる味であった。お店は2021年に庶民的な巣鴨から靖国神社に近い九段北に移ってきたそうだが、大学や高校、オフィスが連なるこの街にちょっと似合わぬ「古き良き東京」の味わいである。

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2025年2月24日 (月)

神田川・環状七号線地下調節池

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方南町付近、環七通りの地下40米、長さ4.5キロ・内径12.5米の巨大地下調節池(トンネル)


「 神田川・環状七号線地下調節池」の見学ツアーに参加した。善福寺川の川べりにある取水施設を訪れ、地下に造られた普段は入れない巨大な水路を一同40人ほどで見学するのである。武蔵野台地の縁に町づくりがされた東京には、多摩川や荒川など幾つかの水系があり、その一つの神田川は三鷹市の井の頭公園に源を発し、途中で善福寺川や妙正寺川を合わせ、杉並区や新宿・豊島・文京の区境を東に流れる長さ24.6キロの一級河川の水系である。流域の都市化に伴い、かつては地面に吸収されていた雨水が直接都市河川に流れ込み、洪水の被害が大きくなることはよく報道されているが、この神田川水系でも東京の発展と共に大雨が降ればしばしば水害が起きていた。このような状況の下、中流域の浸水対策として昭和61年(1986年)から平成20年(2008年)にかけて整備されたのが、妙正寺川、善福寺川、神田川に通じる地下大水路である。


調整池トンネルと名づけられた地下の巨大水路に水を流し込むためには大掛かりな設備が必要である。まず東京西部に大雨が降った際に、神田川、善福寺川、妙正寺川の水位が一定以上になると、3つの河川のコンクリート護岸に設けられた取水口が手動で開けられる。取水口から流入した水は導水路で川べりの取水施設に導かれ、施設内にある導入孔(ドロップシャフト)と呼ばれる高さ40米ほどの特殊な立孔を通って、環状七号線の地下に設けられた調整池トンネルに流される。道路の地下深く、内径12.5メートル、南北に長さ4.5キロに亘るトンネルに3河川から集まる水量は、最大で合計54万m3(約50万トン)とのこと。大雨が去れば2日後にポンプを使って地下の水を汲み上げ、元の河川に戻す作業が行われるが、ポンプが稼働できるように、トンネル内には僅かな傾斜が施されているそうだ。


この日は、地下鉄方南町駅にほど近い善福寺川の取水施設で、まず係員による丁寧なガイダンスを受け、14階のビルに相当する長い階段を地下トンネルに向けて下りて行った。傾斜も急でステップの奥行も狭い階段で地下40米の地底に達すると、潜水艦にも使われる分厚い水密扉の向こうに、調整池トンネルに通じる内径6メートルの連絡路が伸びている。連絡路から本トンネルへ、係員が持つポータブルランプが足元を照らすが、ここは地下の奥深く、灯りがなければ真の闇だ。見学者のある日は絶対に水が流入しない仕組みになっているそうだが、もし南北に延びる暗闇の本トンネルの彼方から濁流が押し寄せれば、”グーニーズ”や”インディジョーンズ”の映画の世界かと思わず想像が逞しくなる。暗所恐怖症や閉所恐怖症気味の人は来るのを止めた方が良さそうだ。トンネル内は地下深いため、気温・湿度とも快適なるも、頭上には環七の渋滞があるとは信じられない空間である。地底に滞在すること1時間弱、色々な説明を受けて浸水対策がいかに大変な事業であるかを実感しつつ、今度は長い階段を登って外の空気が吸える地上に戻った。


こうして見学してきた地下調整水路の貯水量は約50万トン、と云われてもピンとこないが、東京ドームの容積が124万m3とあるから、豪雨の際はドーム球場半分位の量の雨水をここに蓄えておけることになる。ペルシャ湾から原油を運んで来る超大型タンカーが30万トン超なので、これに積めば1.6~1.7隻分の水量となる。大雨の日にトン数的に一体どれだけの雨が流域で降ったのか素人の我々には想像できないため、この貯水量がどれほど意味深いのかはよく分からないのだが、取水施設に展示されたデータによると、システム完成以来これまで調整池トンネルが稼働したのは46回もあり、神田川中流域での浸水の被害は激減したとのこと。地下調節池による損害額の減少効果は、設備投資(工事費は約1000億円だったとのこと)や運営費用をはるかに上回るとの係員の説明であり、このような大規模な河川対策を実施しているのは、東京と大阪の一部だけだそうだ。なるほどこういう設備に税金が使われ、浸水被害に大きな効果があるならば、高い地方税を払う価値もあるのかと納得しながら見学を終えたのだった。

 

善福寺川取水施設と護岸に設けられた取水口
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2025年2月23日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年 世界一周クルーズ ESTAとETA取得

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世界一周クルーズでは、乗船代金や日本から行った方が安いのではと云う料金設定の現地オプショナルツアーの他に、様々な費用が発生し、これがけっこう馬鹿にならない金額となる。出発前の手配で一番大きいのが海外旅行傷害保険で、これは法外に高いのでまた別途記することにする。その他の費用としては、まず使い古してかなり年季の入っってきたデジカメの買い替えがあるのだが、これと共に、これまで世界を何周も共にし、国内旅行でも必携だった双眼鏡が光軸のズレか見え辛くなり、買い替えが必要となった。前回フォーマルのタキシード用ズボンがきつくなっていたのでウエストを出しはしたが、久しぶりに見るとドレスシャツの汚れが浮いていたり、カジュアルの日に履くローファーのかかとが減っていたりと、思わぬ衣類の修正費用もあれやこれやかかる。背広のズボンなどは少し前まではゆったりしたのが主流だったところ、最近は「クルマヤのパッチ」かと見まごうばかりに幅が細くなってしまい、船上のインフォーマル用に新しいのを買おうかとこちらも悩むところだ。種々持っていく電子製品や時計の電池も交換せねばと、気ぜわしいばかりか何かと物入りの長期クルーズ前である。


ということで、今回も米国寄港の為の手続きであるESTA (Electric System for Travel Authorization)と、英国に入国する際の新しいシステムETA (Electric Travel Autorization)の取得については旅行会社に頼まずに、妻が2人分を自ら申請することとした。ESTAは2001年9月11日のテロ事件を契機に、問題ある人物が米国向け飛行機に搭乗する前や、船舶に乗船前にこれを排除するためのオンライン入国管理システムなのはすでに周知の通りだ。英国のETAについては2020年のブレクジット後、独自の入国管理システムを模索してきたこの国が、今年2025年1月から導入したシステムで、両国のものとも事前に申請して入国許可を取得せねばならない。この ESTAやETA申請は旅行社、ないしは代行業者に取得を代行してもらうことも可能ではあるものの、事務代行手数料はESTAでは8800円、ETAは11000円もかかる。 当局にはESTA21米ドル(約3150円)、ETAは10ポンド (約2000円)の取得費用がかかる上に、業者(旅行会社)に頼めば2人分の代行手数料だけで合計4万円にもなるのが痛い。面倒なことが嫌いな私は、税理士にしろ行政書士にしろ、何か必要があればすぐプロに頼みカネで解決しようとしがちなのだが、妻は自分の労働力で経費が削減できるのなら、なるべく自分でやるという主義なので結局は任せることとした。


こういう類の申請用紙はまったく苦手で、訂正箇所ばかりになるおっちょこちょいの私に較べて、銀行で様々な事務作業をこなしてきた妻は、私ほど入力作業に抵抗はないらしい。その上、ETAの方は申請時に自分の写真をアップロードする必要があるため、代行を頼めばその旅行社まで出向く必要まであるようだ。地方のお年寄りなど一体どうするのだろうかと心配になるのだが、とにかく自宅のパソコンから申請すれば、コストも手間暇も大幅にカットできることが分かった。ということで、先日は私が自宅で仕事をしている傍らで妻は自らのパソコンを前に作業を開始した。途中で、ETA用の上半身スナップ写真を撮影したりしながら、キーを叩いていたかと思うと、突然「アラ?」「え!」「あ、間違えた!!」などと一人呟くので、こちらも気が気でない。「 面倒だったら今から旅行会社に頼んだら?」と水を向けても、妻は「まさか」と聞く耳を持たず、最後に申請料の支払用クレジットカードの番号を入力した。ハラハラしながらも見守るうちに小一時間、ESTAの " Authoriztion approved"と ETAの " Your ETA application has been approved"の画面のプリントアウトを誇らしげに見せ、「やった4万円セーブ」と嬉しそうだ。ただこの入力作業も旅行会社から「ESTAとETAの申請はお済ですか?」と何回かの督促(心配?)の電話の末に漸く取りかかったもので、彼らもハラハラと見ていたに違いない。コストセーブは嬉しいが、悠々と構える妻の傍らで早くやったらと内心焦りつつも、任せた以上は信頼して見守る姿勢を貫くのも辛抱がいるものである。


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ETAの申請画面は本題に入る前に二度も「スマホのアプリの方が便利」との画面が出たそうだ
便利なのかもしれないが、文字入力はやはりPCのキーボードの方が勝る

2025年2月18日 (火)

寒川神社?(航海安全祈願と八方除)

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膀胱や前立腺のガン手術後の定期検査の結果、とりあえず体の方は問題なしと分かった。幸い周囲には介護が必要な老人や病人などもいないので、思い切って3月末から”飛鳥Ⅱ”で最後の世界一周クルーズに出かけることにした。といっても3カ月以上、自宅を不在にするには色々と手続きが必要なことは言うまでもない。これまでは勢いで行っていたロングクルーズだが、今や我々も70歳台と60歳台の夫婦となり、飛鳥Ⅱの世界一周乗船者における平均的年齢になってしまった。実際のところ、まだ細々と自宅で仕事をしているので関係先との不在期間の打ち合わせの他、航海中に迎える税金の支払いや車検の手配など、旅に出るには事前に諸々の準備が必要だ。それらを考えるとちょっと気が重くなるのも事実ではあるが、青い海を眺めながらの航海の日々や、異国の地の入港情景など楽しい場面を頭に描きつつ準備に精を出すことにした。


長期航海となればまずは旅の安全祈願となる。これは3月に入ってからと思っていたが、年越しの風邪のあといつまでも咳が収まらない妻が 「厄年のお祓いを一切していなかったからかもしれない」と早めに参拝したいと言う。厄除けと言えば霊験あらたかな相模の国一宮の寒川神社である。「寒川神社は唯一の八方除け守護神として、八方除祈祷と八方除神札の授与を行っている」と同神社の案内にあるとおりだ。「八方除け進行とは周囲の東西南北を基本に、陰陽五行・十干十二支・九星八宮などを配当して地相・家相・方位・日柄・運勢などの吉凶を判断・・・」(同案内)で、旅行などに関する方位の不安を解消し、無病息災、福徳開運をもたらすご神徳があるそうなので、今回も早々にこちらにお参りに行くことにした。


とは云っても寒川神社へは自宅からの距離が60キロあり、公共交通機関で行くには、JR相模線と云う路線しかない。よっていつものようにトラックの軍団に囲まれ渋滞するエリアを何か所か超えての東名高速ドライブでようやく神社に到着したが、平日だというのに境内は思ったよりも賑わっていた。人混みは嫌なので古いお札を返し、お賽銭を多めに納め本殿に参拝だけして混む道をサクっと帰るのかと思いきや、「え、ご祈祷受けないの?」と妻。ここには何度か来たが、ご祈祷を受けたという記憶がなく、かつ祈願受付所の客殿にはかなりの人が列をなしている様に見える。何にせよ並ぶのが真っ平な私はさっさと帰ろうとしたが 「ここまで来たのにまさか」と強引に引っ張られ、御祈願申込用紙を渡された。促されるまま住所氏名生年月日を書き入れ、しぶしぶ行列に並んで、祈願内容を申告し初穂料を納めると受付(グループ)番号を渡されてようやく受付が終了である。


さすがは厄除けで人気の寒川神社とあって、ご祈祷を受ける大勢の善男善女を整然と案内するさまは感心するほどだった。まずは待合室で同じグループ番号の者が約100名ほど溜まるまで待機するのだが、この間「ワールドクルーズに出る前には必ずご祈祷を受けていたのに、全然覚えていないとはどういうこと?」と妻から証拠(下のリンク)を示され返す言葉が見つからない。困った時の神頼みしかない我が希薄な宗教心のなせる記憶欠落なのか。こうして30分ほど待った後、白装束を借りて立派な本殿に通された。ご祈祷は祓詞(はらいことば)に続き、三人も並んだ宮司さん達が、祈願する人の住所氏名、生年月日、祈願内容を一斉に奏上するため、思ったほどには時間はかからないのがよい。神殿で読み上げられる住所を聞いていると、地元の神奈川の他、都内や他県も多く、ここが広く厄除けの神様として知られていることが分かる。こうして受付から一時間ほどで、ようやく名前の入った有難いお札を頂き(記名板剣神札と云う)帰路についたのだった。クルーズに行くにはいろいろ我が家のルーティン(もっともご祈祷のことはすっかり忘れていた)があるのだが、これも楽しみの一貫と思えば渋滞を越えて行くのも悪くはない。

「航海安全祈願(2015年12月8日)」
「寒川なう(2018年3月14日妻のX)」

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2011年3月25日、初の世界一周の前に参拝。震災直後で閑散としている

2025年2月12日 (水)

膀胱がん+前立腺がん 術後の定期検診

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膀胱がんの手術より6年半、前立腺がん摘出手術より4年半、今日は半年に一度の「悪性腫瘍特異物質治療管理」、いわゆる術後の定期検診の日である。近ごろ妻に「年齢の割によく寝るわね」と呆れられる通り、8時間以上ぐっすり眠る日が多いが、この睡眠時間は夜間トイレに立たなくなったことが大きい。昼間にトイレに行く回数も減っているので、体感的には泌尿器系についてまず問題はないだろうと感じているのだが、それでも検査の1週間ほど前になると、「もし今回何かあったらどうしよう」と不安が募る。2021年3月に記したとおり、そもそも膀胱がんも前立腺がんも自覚症状がまったく無かったところ、人間ドックや定例の健康診断の結果で専門医を受診せよと云われ、結局手術に至ったと云う経緯がある。それからすると、自分の感覚というものはそれほど当てにならない気もして、やはり検診の日が近づくと落ち着かない。


手術後の定期検診は採血と採尿に医師の診断である。採血からは取り切れなかった前立腺がんがある場合に数値が上がる腫瘍マーカーPSAの他に、血液やら全身の状態を表す健康診断なみの項目を調べる。尿検査は潜血反応以外に、尿路に欠陥がある場合に多く検出される細胞の病理検査など多岐の項目に亘っている。もっとも膀胱がんの術後5年目までは、あまり愉快とは云えない膀胱内視鏡検査があったが、これは卒業とあって検診が簡単になったのが嬉しいところ。とは云え朝8時半から業務が始まる病院の採血センターには、開始時間前に毎度すでに多くの人が並んでいる。ここでの採血・採尿が遅れると即日判定の結果が出るのが遅くなり、その日の主治医の診断時間も後ろにずれてしまうので、自分を含めせっかちな老人達が何十人も早朝から詰めかけるのである。


何回も同様のルーティンをこなしているとは言え、問題は採尿である。病院で採尿カップをもらう時刻は朝8時半過ぎ、習慣的に便意がやってくる時間である。当然のことながら男性の場合は立ったまま採尿するのだが、この時に便意が切迫していると曲者だ。立ってはいるが、尿を出そうとして下半身の筋肉を緩めるとお尻も緩み、便の方まで出そうになって、冷や汗ものとなる (もちろん出したことはない)。では、と1つしかない個室が空くタイミングを見計らい、まず排便をと考えて座ると、今度は尿が同時に出そうになる。今回は先に便意を覚えたため、まずは便をと個室に入ったが、うっかり同時に出てしまわないよう前を抑制しつつ後ろを解放するなどは至難の技である。結局座るやいなや、あっという間に前が先に開放されてしまい、慌てて採尿カップを構えてなんとか事なきを得たが、一部取り遅れもあり、量が足りないのではないかとやきもきした。


外来迅速検体検査と呼ばれる血液・尿検査の結果が出るまでの1時間ほどを待合室で過ごし、半年ぶりに主治医の呼び出しとなる。毎度「何ごともありませんように」と祈りつつ恐る恐る診察室の引き戸をあけると、医師は検査結果を横目で睨みつつ、こちらの最近の調子を尋ねる。前立腺手術後にほとんどの人で起きる尿漏れも、ようやく感知できないほどになったことなどを報告すると、医師はパソコンのカルテに入力しながら「数値はどれも問題ありません。尿もキレイです」「次は半年後に来てください」と嬉しい検査結果の解説である。これで今回も無罪放免、この春から久しぶりにロングクルーズに行こうと進めていた計画も一歩前進である。泌尿器系では検査前の飲食・飲酒はあまり結果に関係ないとは知りつつも、採血・採尿を控えて、ここ数日は何となく健康に良さそうな食事をし、飲酒も量を越えないように心していたが、今日はお祝いにジャンクフードにウイスキー濃いめの水割り晩酌である。

2025年2月 8日 (土)

秋川雅史 スぺシヤルリサイタル

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某金融機関ご招待で、サントリーホール(ブルーローズルーム)で開かれた「秋川雅史スぺシャルリサイタル」に先日行ってきた。秋川雅史と云えば、国立音大を出たテノール歌手にして「千の風になって」でよく知られる芸能人でもある。リサイタルは2時間強で、前半がオペラの歌曲中心、後半は日本の歌で、最後は定番お待ちかねの「千の風になって」という曲目であった。これまでクルーズ船にエンターテイナーとして乗船してきた彼の歌を、ごく近くで聞いたことがあったが、小会場でも音響が素晴らしいと云われるサントリーホールでは、まるで別人のように迫力ある歌声が響いたのが印象的。平日の昼間の招待リサイタルとあって、400人ほどの聴衆は年齢的にクルーズ船上のコンサートのような雰囲気であった。


テノール歌手として本格的な歌唱かつ豊かな声量、(私には判別できぬが、多分)確かな技量も良かったが、秋川雅史氏の持ち味は、聴衆をまったく飽きさせないそのトークの軽妙、洒脱なところであった。歌曲の印税は誰が受け取るのかの芸能界裏話に始まり、歌手としての見せ所はどこか、テクニック、感情、魂のこもった歌はそれぞれどう違うか等と云うおしゃべりが、次に歌う歌曲の紹介にいつの間にか繋がると云う座持ちの良さである。これは天性の「エンターテイナー」的気質に、永年「芸能界」で鍛えた経験によるものであろう。彼がクラシック界だけではなく「芸能人」としてテレビの歌謡ショーに出演したり、長時間のリサイタルを演じられのも、歌唱力に加えてトークのうまさ所以だと納得できる。若い頃によく公開録画に行った「題名のない音楽会」の黛敏郎氏を彷彿とさせるそのしゃべりを楽しんでいると、時間はあっという間に過ぎていく。


私の幼な馴染みで秋川氏と同じ国立音大の声楽科を出た友人と時々酒を飲むと、歌い手が最もやりたいのはオペラの主役なのだそうである。ただわが国のオペラ公演では、ひな壇で歌う歌手はガタイが良く見栄えのする海外から呼んだ歌手が多いため、なかなか日本人には順番が回ってこないのが不満だと彼は漏らしている。友人のボヤキとたがわず、「芸能界」に深く足を踏み入れた秋川氏もオペラの舞台への憧れが言葉の端々に伺え、「今夏にトスカを自主公演するので是非聴きに来て下さい」と宣伝も怠りない。それにしても秋川氏は57歳になった今も、毎日音楽の向上を目指して練習を事欠かないとのことである。サラリーマンなら更なる能力向上を目指して切磋琢磨をするのはそろそろ卒業という年齢なのに、件の友人は「練習は必要だが、齢をとるとエネルギーを貯めるために休みが必要、あとウオーミングアップが大事」だそうで、音楽家とはなんとも大変な仕事である。エネルギーを燃やし一曲終わる度に肩で息するかの全力投球の秋川氏からは、素晴らしい歌を多くの前で演じるのは如何に大変なのかが伝わってくる。

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2025年2月 5日 (水)

ディズニーと日本郵船 業務提携

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「ディズニドリーム」号 2011年6月ナッソーにて              デッキには白雪姫などディズニープリンセスが


東京ディズニーランドやディズニーシーを運営するオリエンタルランドは、日本でディズニークルーズを2028年から開始するとすでに公表済みである( ディズニークルーズ日本に上陸(2024年7月10日))。ディズニークルーズは、14万総トンの日本籍大型クルーズ船をドイツの造船者で新造し、お台場にできた東京港クルーズターミナルを母港に数日間のショートクルーズを展開するとしているが、昨2月4日にオリエンタルランドは、「クルーズ事業のコンサルティング」および「船舶管理と運航管理」を日本郵船および郵船クルーズと共同で行うと発表した。郵船クルーズは初代「飛鳥」でクルーズ事業を1991年に開始、「飛鳥」はドイツに売船されたが、現在は「飛鳥Ⅱ」と今夏より加わる「飛鳥Ⅲ」の2隻体制で、日本人向けの本格的クルーズを継続している。今般発表されたこの取り組みでは、郵船グループがこれまで培ったノウハウをディズニー船による新しい事業に注ぎ、『ファミリーエンターテイメントクルーズ』を目指すとのことである。


昨年夏にこのニュースが最初に出された折には、新しく出来たクルーズ船の船舶管理と運航管理は日本郵船グループが引き受ける事になるだろうと個人的に思っていたが、今回は予想通りの追加発表である。日本郵船はフィリピンのマニラにNYK-FIL SHIP MANAGEMENTという船舶管理、船員養成の会社を持っており、日本郵船グループの各種貨物船やタンカーの他、飛鳥クルーズが事業を行うために必要なフィリピン人船員の育成を行っている。NYK-FILは海外の船主にもサービスを提供しており、クルーズ船の部門では、アメリカのディズニークルーズにもこれまで船員を供給している。その繋がりがあるため、日本国内での日本籍船によるクルーズにおいては、ディズニーはまず日本郵船グループとタイアップするものと睨んでいたので、やはり、という感である。

 

いま世界的にコロナ後のクルーズ船の需要回復で、船員の供給は大きく不足しているそうだ。飛鳥Ⅱの顔見知りのフィリピン人サービスクルーに、最近見かけない船員の消息を聞くと、「あ、彼は今アメリカのクルーズ船に移りました」という答えが返ってくることもしばしば。給料はそれほどでなくとも、飛鳥Ⅱのような船で高齢者相手にゆったりとサービスしたい船員もいれば、何千人も乗る大型船に乗り、ハードワークであっても金を稼ぎたい者もいて、人それぞれで移動も多い。日本の国内クルーズも、暫く「飛鳥Ⅱ」と商船三井クルーズの「にっぽん丸」の2隻だけだったところ、昨年末から「MITSUI OCEAN FUJI」が就航、今夏には「 飛鳥Ⅲ」がデビュー、2028年にディズニー船の他に商船三井クルーズに新造船が2隻加わる。この状況で日本語の対応ができる外国人サービスクルーがひっ迫しているそうだが、その点でもオリエンタルランドはNYK-FILを傘下に持つ郵船グループと提携するのは妥当な判断といえる。今後、日本人船員の配乗などクルーズに関わる諸手配、食料や備品、船用品、ドックなど、あらゆる面で郵船グループの実績が活かされることとなろう。


さて本場カリブ海のディズニークルーズに就航している「ディズニードリーム」などは13万トンで4000人も収容する大型船である。14万トンの新造船が就航するにあたり、窓のないインサイドキャビンなどを設けるのか、大浴場が設置されるのか、船上の遊具やアトラクション施設がどうなるかなど、今から国内向けの船内仕様を想像すると興味が尽きない。何よりクルーズは初めての子供連れ乗客も多いだろうから、従来考えられない状況も船上で繰り広げられるであろう。機能一点張りの東京港の新クルーズターミナルは、ディズニーの母港となった暁には、どのような夢一杯の空間になるのか、はたまた数千人の乗下船で港へのアクセスは大丈夫かなど素人が考え出しても課題が次々と浮かんで来る。以前記したように、伊豆の無人島または房総半島の一画に、日本版キャスタウエイ・ケイ (Castaway Cay、ディズニーがバハマに所有する無人島) ならぬ専用ビーチやアトラクションを造り、クルーズ船からボートで上陸して家族で一日大冒険できるようなことになれば、ジジイとなっても是非乗船したいものである。

 

母港となる東京港クルーズターミナル                 無機質なターミナル内部をどう夢空間にするのか?
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2025年2月 2日 (日)

ダイヤモンド・プリンセス 2023年5月 長崎港のパイロット落水事故

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事故調査報告書に基づく当日の概況図

クルーズ船で寄港地に入港する朝、パイロット(水先人)を乗せた小型のボートが接近する窓外の「ブーン」というエンジン音で目覚めることがよくある。クルーズ船の一日の始まりである。2023年5月5日ゴールデンウイークさ中の「子供の日」早暁、韓国・釜山港より長崎港に入港してきたクルーズ船”ダイヤモンド・プリンセス”号 115,875総トン、以下本船)に接舷したパイロットボート”ゆかり”から移乗しようとした水先人がステップを踏み外して落水し、死亡した事故があったことは、翌5月6日に「 ダイヤモンド・プリンセス号 長崎港でパイロット乗船時に事故」で記した通りである。その事故報告書が国土交通省・運輸安全委員会のホームページにこの度掲載されたので、事故の詳細を改めてトレースしてみた。(船舶事故調査報告書 水先船 ゆかり 水先人死亡)

”ゆかり”は11総トン、長さ14.74米の小さなパイロットボートで、船長一人が操船に当たり、その朝は69歳になるパイロットを本船に送りこまんとしていた。パイロットは大手海運会社の船長OBで元々東京湾のパイロットであったが、最近になり長崎港の水先人会に所属していたと事故当時に報道されていた。時間はちょうど長崎の夜明けにあたる朝5時半ごろ、天候は曇りだったそうである。”ダイヤモンド・プリンセス”(以下本船)と”ゆかり”船上のパイロットは、長崎港入口のパイロットステーション(パイロットが乗船する海域)に於いて、5時30分に本船に乗船する旨VHFで打ち合わせをしていたところ、”ゆかり”は当該海域に早めに到着したため、より本船に接近するために西方(沖の方)の海域に移動したと報告書に記載されている。


この時の本船船上の観測記録では南東の風で風力5(毎秒風速8~10米)とされているが、これは海面に波頭が立つ状態だと云える。事故現場に最も近い伊王島観測所では、当時の波は南西からで波高は約0.8米と記録されている。本船船長はVHFでのパイロットとの打ち合わせに従い、針路は真東(方位90度)、時速は8ノット(時速約15キロ)未満で接舷、パイロット乗船予定であったところ、実際の本船の方位は111度、速力7.3ノット(時速約13.5キロ)とほぼ予定通りに操船されていたことが報告書で明らかだ。このように長崎港入口へ東進する本船に対して、風は南東から吹き、波も南西から、即ち右舷側から寄せるため、通常は風下に当たり波も穏やかな本船の左舷側(北側)のパイロット昇降口を使うのだが、当日はなぜか当該パイロットの指示で右舷側の乗船口に垂らされたパイロットラダー(昇降縄ばしご)から移乗する段取りになっていた。尚、長崎市には強風注意報と波浪注意報が前日に発令され当日も解除されていなかった。


ほぼ予定時刻の午前5時28分頃に両船は接舷し、パイロットがボートが船首を本船に押し付けながら、本船から垂らされたパイロットラダーに取りつこうとする際に、『 水先人は、”ゆかり”が波を受ける”ダイヤモンド・プリンセス”の右舷側に接舷したことから、乗員室左舷側ドアから出て、”ゆかり”の船首部へ向かった後、ダイヤモンド・プリンセス”に乗り込もうとして同船のパイロットラダーのサイドロープを掴み、同ラダーのステップに左足を掛けた際、”ゆかり”の船首部が波の上下動により急降下し、左足が同ステップから外れるとともに、サイドロープを掴んでいた手が離れ、5時29 分ごろ落水した。』(事故報告書より抜粋、但し書中A船は”ゆかり”、B船は”ダイヤモンド・プリンセス”に読み替え)。当時の海水温度は18~19℃であった。落水後、”ゆかり”の船長や”ダイヤモンド・プリンセス”の現場当直の乗り組み員らが、しばし呆然として救命浮き輪投下が遅れた不手際もあり、”ダイヤモンド・プリンセス”から降下させた救命艇に落水したパイロットが引き上げられたのが5時44分、医務室に運ばれ救命措置が施されたが、溺死が確認されたとのことである。パイロットが着けていたガス式の救命胴衣の機能が不完全だったことも認められていると事故報告書にある。


今回出された事故報告書を読むと、当該パイロットは業務に向かう前、個人で気象・海象の情報をインターネットより得ていたとある。とすれば、当日朝の長崎地方気象台の観測は北の風であったから、それに基づいて風下の南側である右舷から乗船しようとしたものだと(報告書に明示されていないが)推測ができる。ところが現場は南からの風と波であった。なぜ彼が急遽ではあるが、その場で乗船口を変更しなかったかは謎のまま残る。本船の舷門当直の面倒を慮り、(客船の特性から)岸壁到着の遅れを気にしたのであろうか。その他、事故の要因として”ゆかり”がパイロットステーションに早めに到着したので、本船を迎えにより西方であるより沖に進んだために、波が想定より高かった可能性もある。亡くなったパイロットは本船始め他の客船の長崎港入出港の嚮導経験は豊富なようだが、東京湾パイロットから転身して間もないため、地元特有の気象や海象条件が他の同僚や先輩またはOBらと共有されていたのかという点も気になる。パイロットは個人事業主ゆえ情報収集や安全管理はそれぞれが行うのが建前なのだろうが、組合(水先人会)が率先してこれらを指導し、情報交換の場を設けても良かったのではないか。

 

上記の私の思い通り、事故報告書の「再発防止策」には1.パイロットボートの接舷は波の少ない方へ、2.救命胴衣は国交省の承認品を使用し定期的な点検・機能確認を 3.パイロットボートは本船に可能な限り圧着し補助者を乗り組ませる  4.落水者が出た際には直ちに救命浮き輪を投下  5.各水先人会は、事故情報、ベストプラクティスやヒヤリハットについて、共有を図ることが望ましい、とある。補助者の問題はコストが絡むが、それ以外はどれをみても当然のルーティンとは思えるものの、日ごろの訓練がないといざと云う現場では混乱してしまうのであろう。クルーズ船でパイロットを間近で見ると彼らは概して高齢であり、上下船に際してその安全確保が気になるのだが、今回の事故報告書の防止策を可能な限り遵守して安全に水先業務が遂行されることを望みたい。私自身としては、クルーズ船乗船に際して、最近かなりいい加減になってきた避難訓練や救命具の確認・装着にやはり心せねばと気を引き締めたいと思っている。

 

2024年11月飛鳥Ⅱ「ウイーンスタイルクルーズ」航海中、長崎港沖の現場海域を遠望する。陸地に見えるクレーンは香焼造船所。
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