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2025年1月 8日 (水)

吉例「七草がゆ」と賀状や家族葬のこと

20250107

妻が新春の吉例、七草がゆを昨日こしらえてくれた。例の”セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ”の七草である。七草がゆは歳の初めに粥とともに若菜を食べ一年の無病息災を祈る目的で、平安時代から定着した風習だそうで、お正月の飲み食いで疲れた胃腸の回復に、粥を食べてお腹を休める目的もあると言われている。春の七草や七草がゆについては、この時期に何度もこのブログで記してきたとおりなので、ちょっと検索してみると、2012年1月8日以来これまで4回アップしていることが分かった。初めて書いた2012年は、まだ毎日出社が必要なサラリーマン時代だったとは云え、一線を退き第2の職場で宴会が少なくなったことなどを記しており、次の2014年には会社に行く前に真冬でも朝30分ほど走っていたことに触れている。2022年にはオミクロン株のことを付記しているが、こうして同じ時期に過去のブログを読み返してみると当時の記憶が蘇り、それを辿りつつ新年に当たり心を新たにするようで面白い。


そういえば今年の正月は、「これをもって来年からは新年のご挨拶状を控えさせていただきます」という文面の賀状を結構受け取った。それも90歳を過ぎ字を書くのも覚束ないような年頃の人だけでなく、同期の友人や年下の60歳台の人達からもこういう賀状を何枚も貰ったのにはちょっと驚いた。賀状の交換は虚礼と云えばたしかに虚礼であり、何年も会っていないに関わらず「今年も宜しく」だとか「また会いましょう」など、とても本気とは思えぬ常套句を毎年繰り返すというのも考えてみれば変な話である。いまや本当に連絡をとろうと思えば、メールやLINEがすぐつながる時代なのに、正月だけ特別の遣り取りを続けるのもほとんど意味がない。ただ普段の生活では思い出さないような親戚や遠い知人から近況を添えた賀状を貰うと、「あの伯父さんも元気そう」「若い頃は苦労したようだがあいつも良かったなあ」などと、一瞬ではあるが過去の絆を思い出し、遠く離れてもお互いに完全に忘れているわけではないことを確認しあえる意味もある。そういう儀式は一年に一度くらいはあっても良いと私は思っている。


同じように最近は葬祭も簡素化されて、都会ではいわゆる「家族葬」が増え、友人はおろか親戚さえも知らぬ間に葬儀を執り行っているのが普通になってきた。高齢の親戚や友人の父母の身を密かに案じていると、旧年中に当人が亡くなったので来年の賀状は出しませんとの連絡葉書を受け取って驚くことがしばしばである。かつて会社員時代には、会社の仲間は勿論のこと、取引先の父君などが亡くなった際にも訃報が廻り、おっとり刀で通夜や告別式に駆け付けたから時代は変わったものだ。当時の携帯は国内でしか使えなかったから、海外出張から帰って成田空港で電源を入れた途端、「取引先の部長の父君が亡くなったので、その足で大阪の通夜に行けますか?」と会社から電話を受けたこともあった。そういう場に行けば、同業他社や業界関係者が多数集まっており、お清めの膳で一杯のみながら葬式外交や普段は交わせない会話も繰り広げられたのだった。葬儀は残された家族の為だけの儀式ではなく、故人に関わった関係者の区切りの場や儀礼の場でもある。時代の流れとは云え、賀状廃止や家族葬と聞くと、なんとなく寂しく感じる昨今である。

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