PETER, PAUL & MARY(ピーター・ポール&マリー)ピーター・ヤーロウ氏逝去
フォークソンググループ PETER, PAUL & MARY(PPM)のピーター・ヤーロウ(PETER YARRAW)氏が1月7日ガンにより86歳でニューヨークで亡くなったことが報じられた。懐かしい名前を新聞で見て、家にあった古いPPMのCDアルバムを出して聴いてみることにした。PPMはピーター・ヤーロウとノエル・ポール・ストーキイー(NOEL PAUL STOOKEY)の2人の男性と女性のマリー・トラヴァース (MARY TRAVERS)の3人によって1961年に結成されたフォークグループで "PUFF"や "BLOWIN' IN THE WIND"、"500MILES"、天使のハンマー(IF I HAD A HAMMER)”など多くのフォークソングのヒット曲で知られてきたとおりである。私が彼らの音楽に初めて触れたのは中学2年生のとき、音楽好きな同級生たちが、学芸会の発表でギターを片手に”PUFF”などを披露してくれた時からである。耳に馴染みの良いメロディーと、歌詞カードさえあれば我々でもフォローできる分かり易い音楽が爾来好きになった。
ピーターはコーネル大学、ポールはミシガン州立大学出身のインテリであり、ベトナム戦争厭戦ムードが米国社会を覆っていた60年代当時、多くのフォークソング歌手がそうであったように、社会性に富んだアルバムを数多くリリースしていた。私は当時からどちらかと云えば右寄りの思想だったが、それは別として斬新で楽し気な響きにひかれ、彼らの音楽のメッセージ性は気にせずレコードやCDを聞いては一緒に口ずさんでいた。彼らは社会的な歌ばかりでなくペテロ・パウロ・マリアのグループ名が示すとおり、キリスト教に由来した歌や "THIS LAND IS YOUR LAND”のような故郷を讃える作品、子供向けの歌なども多数出しており、長い期間に亘ってギター2丁と3人の歌声だけで実に多彩な表現を奏でていた。一方でかの有名な"PUFF"では、「何かのメッセージがこの歌に込められているのでは?」との質問に、「ただ子供がPUFFという怪獣と遊んで大きくなったが大人になって別れただけ」と肩透かしの答えをしたように、分かり易いメロディラインとユーモア溢れる展開が多くの聴衆を楽しませてくれた。
1970年ごろPPMは一旦活動を中止するが、1978年に再開しており、私もシアトルに駐在していた1993年に、一度彼らのコンサートに出かけたことがあった。若い頃はキレイだなと思っていたマリーもその時には完全に「アメリカのおばさん」の体形になっていたのには驚いたが、街の中心のホールは満員盛況で賑わっていたことを思い出す。会場は私と同年配かやや年上の”良きアメリカ”を体現するような白人のカップルが多く、客席ではPPMの演ずる懐かしい歌に合わせ皆が一緒に歌詞を口ずさんでいたのが印象的だった。PPMもマリーが2009年に亡くなり、ピーターも世を去って、いまや残るはポール一人だけとなってしまった。ふと国内を見渡すと、ダークダックスも存命なのはいま一人、ボニージャックスは減員、デュークエイセスも高齢のため解散と、かつて一世を風靡した歌唱グループが次々と舞台から消えて寂しい限りだ。懐かしい人々が次々と鬼籍に入るのが齢をとるという事かと、コンサート会場で買ったPPMのTシャツを取り出してみては一人呟く。
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