« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

2024年12月

2024年12月29日 (日)

2025年はトランプ政権の再登場で日本の覚悟が試される

20241229
この時期に「日中戦略的互恵」で良いのか?

年の瀬である。明ければいよいよ1月21日から米国で第2次トランプ政権が始まる。ワシントンD.Cでは、すでに対シナ強硬派と見られる閣僚や政権中枢メンバーも発表され、新政権は初日から全力で、バイデン大統領政権がこの4年間行ってきたリベラルな政策をひっくり返す新大統領令を次々と出すというから実に楽しみだ。まずは不法移民の取り締まり強化と国外追放、地球温暖化対策の諸協定や諸施策からの離脱、関税の追加導入、特にシナ相手に大幅なタリフ増を行うことなどが予想されている。ここのところ世間に流布されて来たグローバリズムのくびき、特にジェンダーフリーやいわゆる”ポリコレ”による制限を一蹴し、WOKE(=意識高い系)運動から「常識を取り戻す」と彼は宣言していると云うから拍手を送りたい。そう云えば日本国内ではバイデン大統領の下、エマニュエル大使の強引な内政干渉によりLGBT法案が成立してしまったが、本家本元の米・民主党は ” 行き過ぎたポリコレ”でコケてしまい、LGBT法案ではすっかり足をすくわれた格好になっているのが自公政権。だからバカな法案を拙速で通すんじゃないと言ったでしょ、と内心密かに笑いが止まらない。

 

先日JALに搭乗したら、日本語に続き、"LADIES AND GENTLEMEN" というお馴染みのアナウンスが、なんと " GOOD AFTERNOON, EVERY ONE”に変わっていてのけぞった。なんでも「ジェンダーに中立的な表現」を導入したとの航空会社のホームページの説明だが、妻は「有象無象っぽい " EVERY ONE"よりも " LADY"の方がいいのに」と苦笑いをしていた。このような行き過ぎたジェンダーフリーブームにトランプ氏は「性は男と女の2つのみ」「トランスジェンダーの狂気を止める」と広言し、LGBT問題などでバイデン政権により毀損された女性の権利保護に立ち向かうそうだ。なんとも頼もしい男だ。まさにGENE AUTRY の「COWBOY CODE」で歌われたような "HE MUST RESPECT WOMEN, PARENTS, AND HIS NATION'S LAW”を体現するマッチョ大統領の再登場である。 言葉狩りやメディアによる表現の規制ではなく、「まっとうな常識」の世界に戻る初年度が、来る2025年であることを期待したい。


トランプ政権は地球温暖化の対策の枠組みであるパリ協定からの離脱も真剣に考えており、温室効果ガスの排出増加への懸念よりも国内の石油と天然ガスの増産を通して物価上昇(インフレ)の抑制をはかると主張している。大統領選中の彼のスローガンは「ドリル、ベイビー、ドリル(掘って、掘って、掘りまくれ)」であった。先般、兵庫県にある玄武洞を訪問し、傍らのジオ・パークにある博物館を見て知ったのだが、地球は巨大な発電機であり地球磁場の反転は繰り返し起きているとのこと。いうまでもなく磁場の反転となると我々の生活に重大な影響を与えることであろう。そのほかにも隕石の衝突、火山の爆発、太陽フレアの変化など、地球環境の変化には解明されていない実に様々な要因があるようだ。人類によるCO2排出も地球環境変化の要因の一つではあろうが、一知半解の浅知恵で排出権クレジットなど胡散臭いビジネスが行われているのでなかろうか。これらを見るにつけ、いま流行りのCO2規制よりもトランプのやり方が正しいような気がしてならないのだ。


トランプ政権のスタートを前に、もっとも懸念されるのが石破内閣である。トランプ大統領に会えないのは、彼のこれまでの言動に起因するので自業自得だが、なぜ先日わざわざ日中外相会談を行ったのか大いに疑問が湧く。尖閣諸島にはシナの公船が毎日威嚇にやってくる。多くの日本人のビジネスマンが理由も明らかにされずにシナの当局に拘束されているうえ、福島の原発から排出される水を「汚染水」と呼び、日本のEEZ内にブイをいくつも設置し「合法だ」と言いはるのがシナだ。深圳の日本人児童刺殺事件も、経済が大きく落ち込んでいる政府の反日プロパガンダの影響だと云われれている。国是として反日を掲げるそのシナが、いま日本に近づこうとしているのは、トランプ政権の厳しい対中デカップリング策を前に、日米関係に横槍を入れ日米を離反させることが目的なのは明確である。いまトランプが手を振り上げようとするこんな微妙な時期に、わざわざ北京に外相を送り「日中戦略的互恵関係」や「日中経済対話開催」だの「シナ人観光ビザを30日に拡大」などと、彼が激怒するような会談を行う必要があるのか。石破政権の外交音痴ぶりには「おいおいバカ殿ご乱心!それで大丈夫か?」とほとほと心配になる。


さて何度も言うが 「 MAKE AMERICA GREAT AGAIN」を掲げるトランプ政権が誕生した後は、日本は政治・経済で重大な岐路に立つことになろう。「自国の安全保障はまず自国で考えろ」「同盟よりDEAL」というのが彼の考え方だから、我が国の防衛予算の大幅増加へのプレッシャーや、日米貿易摩擦の解消に向けての議論も待ったなしの厳しい局面を迎え、相当な「オミヤゲ」も必要になるはずだ。そうなれば日本は安くなったアメリカの天然ガスや化石燃料をより大量に購入するとともに、米国の軍需産業から武器・兵器をもっと調達すれば良いではないか。来年は大東亜戦争が終わってから80年である。進駐軍が即席で作った憲法を後生大事に守り、長い間の平和ボケが続いた挙句、今やGDPの伸びはG7で最低となった日本である。トランプ大統領の就任で、来年からは日本も国の在り方を変えるような相当の覚悟が試されることになろうが、政権や国会はいまのままで本当に大丈夫なのか?。リベラルポピュリズムに答えて社会保障費の支出ばかりが膨らみ、増税一本やりの上に親シナ議員ばかりが目立つ自民党や公明党のだらしないサマを見ていると、日本は米国の新政権と本当に太刀打ちできるのだろうか。新年念頭から心配である。

2024年12月23日 (月)

海に眠るダイヤモンド

201705022
2017年4月に訪れた端島

TBSテレビの日曜ドラマ「海に眠るダイヤモンド」全10話が昨日完結した。黒いダイヤモンドと持て囃され、我が国の重工業化の一翼を担ったのが石炭である、これは石炭掘削の島、長崎市沖の端島(軍艦島)を舞台にした物語で、島に暮らす人々を描いた人間ドラマであるとともに、石炭産業従事者の実態をかなり忠実に表現しようとしたセミ社会派ドラマでもあった。端島には2017年4月に訪問したことがあり、コンクリートの塊となった島の有様を眼前にしたが(リンク:セレブリティ・ミレニアム日本一周春色クルーズ(4)軍艦島)、ドラマでは国内石炭産業が活況を呈した時期の生き生きした島の様子が、CGなども交えて再現され、毎週興味深く画面を見ることができた。「海に眠るダイヤモンド」は1960年代に端島の食堂の娘であった朝子(杉咲 花)と、老婆になって現在の東京で生きるその後の彼女自身(宮本信子)、それに朝子と結婚するはずだった島で働く若者の鉄平(神木隆之介)と、彼にそっくりな現代のホスト稼業の玲央(同)の2組が、それぞれ2重になって進む同時並行ストーリーで、時代考察や状況描写もきっちりして安心して見ていられたが、一方で昨日の最終回を見終ってストーリーの展開に些かの疑問が湧いて来たのも事実である。ということで見終わった余韻が消えぬうちに勝手な我が感想を書いてみたい。


反社組織から大金を持ち逃げして端島に来た謎の歌手リナ(池田エライザ)を護るために、一味のヤクザ者を射殺した鉄平の兄(斎藤 工)だが、その兄は炭鉱事故で死んでしまう。あとに残ったリナやリナと兄との間にできた子(鉄平の甥っ子)を組織の追っ手から護るために、自ら兄の犯行の濡れ衣を着て一人逃避行を続けるのが、主人公の鉄平である。狭い島から逃れ警察に事情を話しても理解されず、その後もヤクザたちに追われ続ける鉄平だが、いつまでもその様な境遇に甘んじ、結婚を決めた朝子にさえ連絡を取らなかった彼の行動に果たして意味があったのか、というのが最大の疑問である。端島を脱出した後でも手紙なら朝子に送れるし、もし投函場所から足がつくと考えるなら都度違う場所から出せばよい。朝子にもヤクザの監視の目が光っているなら、親友の賢将(清水尋也)宛に手紙を書き、鉄平の思いや状況を間接的に朝子に伝えることも出来たはずである。何故それらの手も講じず、鉄平はただただ永年に亘って朝子を深く思いつつも、放っておいたのか大いに気になる処である。


組織の掟を破って逃げたリナでさえ、端島を脱出した後は、ヤクザに追われることもなく無事に生き延びている。その子(鉄平の甥っ子)は澤田(酒向 芳)となり晩年は朝子の秘書になって現れた通りだ。その程度のヤクザ組織の包囲網なら、鉄平は東京や大阪などの大都会か、或いは誰も知らない田舎の町で暫く一人ひっそりと生きていけたはずだ。実際に全国指名手配の凶悪犯さえなかなか逮捕されないご時世である。違う土地で男一人まじめに暮らしているならば、まずヤクザの組織には見つからないだろうから、ほとぼりが冷めた頃に朝子を呼び寄せれば良かっただろう。そもそも玲央と鉄平は、「似ていない」と最後に(現代の)朝子も言っているが、結局のところ1960年代の鉄平と今に生きる玲央は、何の繋がりもなかったとの結末は大いにのけぞった。また鉄平の親友である賢将がかつて朝子に気があったことや、詐欺師が偶然島に現れたことなど、どうも釈然としないサブストーリーがドラマの中に散りばめられ、2時代並行物語でただでさえ難しい話が一層複雑になっていたのも気が散るところ。察しの悪い私は、同時録画中のテレビ画面を止めて「今、なんて言ったの?」とか「これはどういう事?」とうるさがる妻に問いかけ、繰り返し同じ場面を再生しなければついて行けぬこともしばしばであった。


などと思う処もあるが、最終回の展開は涙無くして見る事の出来ない良くできたドラマで、この3カ月の間は大いに楽しませてもらった。TBSはヒダリに大きく旋回しているニュースやサンデーモーニングなどの報道を一切やめて、ドラマ専門のチャンネルになったら良いのではなかろうか。

2024年12月22日 (日)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(4)玄武洞、地図アプリ

20241222
5つある玄武洞岩盤のうち「玄武洞」

「はなあかり」を城崎温泉で下車、豊岡で泊まった翌日は、夕方の(京都)嵯峨トロッコ列車の乗車券を予約してあったので、半日の時間の余裕ができた。妻は豊岡まで行くのなら玄武洞を見学したいと言っていたが、私は高校時代に習った地学の教師がひどく変わった人物で、岩石やら柱状節理と聞くと当時の不愉快なことを思い出すこともあり興味が湧かない。ましてや玄武洞は豊岡の街から6キロも離れており、バスなどの公共交通機関がなく、アクセスするにはレンタカーかタクシーを使うしかない行きづらい場所にある。だが、ここまで来て国の指定天然記念物でユネスコ・ジオパークにも指定された玄武洞を見ないのも勿体ないかと、”話のタネ”と思って(しぶしぶ)見学することを決めたのである。現地で聞けばタクシーならJR豊岡駅より玄武洞まで片道で3000円、往復6000円との事で、これはレンタカーの料金とほぼ同じだ。レンタカーならば京都に向かう午後の特急の時間に合わせ足の心配もぐっと減るが、クルマを借りたり返したりする手続きや給油の面倒を考えれば、手っ取り早くタクシーで往復する方が簡単そうだ。玄武洞にはタクシー会社への直通電話も設置されていることもわかり、帰路の配車も容易だったので結局タクシーを利用することとした。


玄武洞は円山川沿いに聳え立つ5つの巨大な絶壁で、そこではきれいに発達した柱状節理の岩盤をみることができる。なんでもこの地帯は火山由来の玄武岩で構成されており、熱い溶岩が地表に出て冷却される際に、収縮するに従い外側から規則性のある割れ目が出来、これが柱状節理と呼ばれる連続した石の柱になったとのことである。岩盤に隣接して建てられた玄武洞ミュージアムでは、玄武岩という岩石の日本名はここ玄武洞から名づけられたこと、玄武岩はマグマからできた地球表面でもっとも多い岩石で海洋底は玄武岩が優勢であること、玄武岩の磁性を測定すると地磁気の変化がわかる事などを教えてくれる。1926年に地球磁場の反転を世界で初めて唱えたのも、この玄武洞などで磁性が現在と逆向きであることを見いだした京都大学の松山基範博士だったことを館内の展示で知ったが、今ならノーベル賞を超えてもおかしくない大発見がここを舞台にして日本人によって為されたとは驚きの事実であった。地磁気の逆転によって地球環境は大きな影響を受けることは云うまでもないが、地球科学の発展に日本人が多大な貢献をしたことを知り、地学に対するかつてのネガティブなイメージが少しは拭われたような気がした。


その後、豊岡にとって返し、特急「きのさき」で京都に向かったが、久しぶりの山陰本線列車に乗車とあって飽くことなく車窓の景色を楽しむことができた。最近は便利になって、スマホの地図アプリで列車がどこを走っているのか瞬時にわかるので、バッテリーが減るのも気にせずにスマホの画面と沿線の景色を見比べるのが旅の楽しみである。景色だけでなく乗っている車両がどういう形式なのか、停車する町の人口や歴史なども即座に検索できるとは、凄い世の中になったものだ。手元のスマホのマップを見ていると「きのさき」は豊岡を出てから円山川水系沿いに川を上り詰め、和田山を経由し分水嶺を超えた後は、由良川水系の支流を下り福知山に至ることが分かった。ここからは由良川の別の水路沿いに上流に向かい、再び日本海と太平洋を隔てる分水嶺を経て、大阪湾に注ぐ桂川水系に分け入り京都を目指す行路を辿っている。山陰本線に限らず、東北本線や中央本線など古くに敷かれた鉄路は、山を越えるのにほとんどが川沿いに僅かずつ標高を稼ぎ、サミットをなるべく短い隧道や切通しで超え、別の水路に至り町へ下るケースが多いようだ。重機械のない時代に山地を越えて鉄道を敷設することが如何に難事業であったのか、先人の苦労を偲ぶことが出来るのも、手許に地図があってならではの事である。列車に乗るとすぐブラインドを下げたり、スマホでも動画を見たりゲームをしている人が多いが、新しいツールを使って歴史や地理の旅を楽しむのも新たな喜びである。(このシリーズ完)

JR西日本289系 特急電車「きのさき」
20241222_20241222140501

2024年12月19日 (木)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(3) 『嵯峨野トロッコ列車』乗車

20241219
DE10の次の車両は吹き曝しのリッチ号5号車

豊岡で一泊した翌日は午前中にユネスコ・ジオパークに指定された玄武洞を見学し、その後の帰路に山陰本線で京都方面まで出て、嵯峨野観光鉄道トロッコ列車に乗車することにした。妻があれも見たい、ここも行きたいと考えに考えをこらした末の旅程だが、旅行会社が企画する団体旅行も顔負けの諸行事テンコ盛のスケジュールになってしまった。同じ値段ならだいたい女性の方が欲張りな内容を求めがちなのが世の常と云えよう。この時期は嵯峨野の紅葉も盛りを過ぎているが、夕方以降に沿線のライトアップ&イルミネーションを楽しむ 「光の幻想列車」とする便が運転されるので、これに乗車するのである。ということで豊岡から乗車した特急「きのさき」を亀岡駅で降りて普通列車に乗り換え、山陰本線の嵯峨嵐山駅で下車、ここからJR線に隣接するトロッコ嵯峨駅に向かった。この季節に限らずトロッコ列車はどの便も満員とあって、あらかじめトロッコ嵯峨駅/トロッコ亀岡駅間の往復列車の乗車券は一か月前の発売開始日にオンライン予約済である。


嵯峨野トロッコ列車は、トロッコ嵯峨駅とトロッコ亀岡駅の7.3キロを走り1991年より運転が行われている。この区間はもともとJR山陰本線の線路であったが、同線が複線電化工事で新線に付け替えられることに伴い、旧来の施設を利用して新たに観光列車として営業を開始したものである。このトロッコ列車はJR西日本より譲り受けたDE10型ディーゼル機関車が動力源となり5両のトロッコ客車を牽引・推進する運転で、(機関車の付け替えはなく)亀岡方の1号客車には総括制御の運転席が設けられている。また嵯峨方の機関車隣の5号車は窓ガラスのない 「ザ・リッチ」と呼ばれるいかにもトロッコらしい車両になっている。路線の途中にはトロッコ嵐山とトロッコ保津峡の2駅があり、保津川の渓谷美や名残りの紅葉をめでながら、トロッコ列車は旧山陰本線の古い橋梁や隧道を片道25分(折り返しの往復で50分)ほどかけて進んで行く。線路は峡谷の左岸、右岸の両方を走るので、全車指定席のどちらのサイドに座っても不公平感なく景色を眺められる。ただ行きの亀岡まではガラスの風防がある2号に乗車したが、帰りは「リッチ」号の5号車にわざわざ席を予約したところ、外は底冷えの空気吹きさらしとあって寒いことこの上なかった。


これらの客車は車体長14米の元無蓋車のトキ25000形を改造した車両で、乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。一応、2軸ボギー台車を履いてはいるものの、本来は石炭や原木を積んで走っていた貨車なので、揺れは直接身体に伝わってくるし、自動連結器の遊びも大きく、起動・制動の度にガッチャンと騒音や振動が激しいのが気になる。もちろん全車両とも冷暖房がなく前世紀期の遺物的な乗り物だが、これこそが「トロッコ列車」だ、と割り切れば揺れる車内も楽しいものとなる。ただ驚いたのは、基点のトロッコ嵯峨駅を出た直後に、現在の山陰本線の下り線路を900米ほどトロッコ列車が走ること。全区間単線で1列車しか運行されないため、トロッコ鉄道としての閉塞の問題はないとしても、JR西日本の近畿アーバンネットワークの一部を、この列車が往復とも併用するのは大丈夫なのだろうかとふと心配になる。ひんぱんに列車が往来する幹線の本線線路を、トロッコ列車がのろのろ通過する状況にやや違和感を覚えぬでもないが、この点はJR西日本の総合指令所監視の下、ATSが安全を担保しているのであろう。紅葉の美しさや夕方のイルミネーションには心を打たれるものの、妙なことが気になるのが鉄オタのオタクたる所以である。

イルミネーションに映える紅葉と渓谷
20241219_20241219141902 20241219_20241219141901

2024年12月17日 (火)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(2) 『はなあかり』乗車

20241217-1      20241217_20241217152801
半個室の1号車車内、右壁に地元工藝品のショーケース       若狭カレイなどの下り列車の若狭町家弁当

さて敦賀で前泊し、朝は有名な気比神社にお参りしてから、念願の新型車両 「はなあかり」乗車である。「はなあかり」が運転される敦賀・城崎温泉間は、敦賀‐東舞鶴間がJR小浜線(84.3キロ)、東舞鶴‐西舞鶴間がJR舞鶴線(6.9キロ)、西舞鶴‐宮津間が京丹後鉄道の宮舞線(24.7キロ)、宮津‐豊岡間は京丹後鉄道の宮豊線(58.9キロ)、豊岡から終点の城崎温泉(9.6キロ)がJR山陰本線からなり合計184.4キロである。土曜日の午前10時40分に敦賀駅を発車する下りの「はなあかり」は、途中で美浜、小浜、東舞鶴、宮津などに停車し、全区間を4時間59分かけてのんびりと走る。「はなあかり」の列車名は 「地域に光を当て、地域が華やぐイメージ」 「西日本の様々な地域のとっておきに『あかりを灯す』列車であること、地域を明るくする列車であることを表現」したものだとJR西日本は発表している。「季節ごとに、運行エリアを変えて、お客様と各地域を結び、地域のとっておきを発信する」(同発表)列車でJR西日本管内の各路線を走るが、その運行開始第一弾として3月16日に延伸開業したばかりの北陸新幹線に接続する若狭・京都府北部をフィーチャーした観光列車として運転が企画されたそうだ。


「はなあかり」の車両は、JR西日本が山陰方面や陰陽連絡に使用するキハ189系特急用車両を改造したもので、3両編成すべてグリーン車(キロ)である。このうち1号車はスーペリアグリーン車と称する半個室型の車両、2号車は特産品の販売やイベントにも使用できるフリースペースのある一人用座席車と一部ボックス席、3号車が一人用座席と一部ボックス席の混合配置の車両となっている。乗車した1号車は凝った地元工芸品を飾った半個室車両(定員10区画x2の20名)であり、2号車(定員16名)や3号車(定員18名)の一人用席は、かつて151系「こだま」型に連結されていたパーラーカー(クロ151)の一人用シートをモダンにしたようなデザインだ。パーラーカーと云えば昭和30年代、当時の大企業の役員や政治家などがふんぞり返ってタバコをくゆらすかの雰囲気だったが、いま、それよりも豪華な空間で沿線の名産品を集めた弁当 (事前予約でオーダー、下り列車は定価3500円、上り列車は3900円)を楽しみつつ移り変わる車窓の景色を眺められるとは何とも良い時代になったものだ。タネ車のキハ189系は性能的には130キロ運転も可能だそうだが、乗車してみるとあまり路盤も強化されていない若狭湾沿いローカル線を、エンジン音も高らかにゴトン、ゴトンとジョイントを刻んでゆっくり走るのは趣きがあって良いものだった。


この日は一部みぞれ模様の雨か雪、時折雲間から陽がのぞくという冬空で、その日本海側特有の鈍色の空の下を列車は進んだ。妻は父方の郷里が舞鶴なので幼い頃に何度か沿線を訪ねて来たことがあり、とても郷愁を覚えるそうだが、ふつう関東に住んでいる者には、天橋立以外はあまり縁のないエリアである。と云う事で美浜では原発はあの山の向こうかと想像し、三方五湖の一画の久々子湖を初めて望み、二度目の由良川橋梁を渡るなど、あちこち車窓に目を凝らしているとあっという間に時が過ぎてゆく。小浜や東舞鶴など主な駅では 「はなあかり」は10分以上停車して、ホームで地元特産品の販売に接することができるし、改札口を出て駅前で土地の空気を吸うことも可能だ。運転士も気軽に乗客の応対をしてくれるので、電化区間の小浜線でホームに降りた運転士に 「普段は電車を運転するのですか?気動車ですか?」と問えば 「両方です」との答えが返ってきた。天橋立をバックに宮津湾に浮かんだ大型船からは、海外から運んできたニッケル鉱石を荷揚げするさまなども見え、車窓は「汽車ポッポ」ではないが、「♪ 廻る景色の面白さ ♪」である。目的地に早く到達する旅でなし、美味しいものを食べ呑みながら景色を愛でつつ、「♪ 見とれてそれと知らぬ間に早くも過ぎる幾十里 ♪」の世界に浸るうちに、「はなあかり」は城崎温泉駅に到着してあっという間に5時間の旅は終了した。

 

宮津湾ではニッケル鉱石の荷揚げ風景も遠望できた         2号車はクロ151ばりの一人用座席
20241217_20241217152802     202412173

2024年12月16日 (月)

「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(1) 一筆書き切符

20241217_20241217123301
下が東京都区内発→東京都区内行き乗車券 経路が印刷(行程が多すぎて京都・新幹線は手書き)された一筆書き切符

『11年ぶりの10時打ち 観光列車「はなあかり」』(11月17日)でゲットしたプラチナチケットの旅に妻と二人で行ってきた。「はなあかり」は10月4日から12月22日までの週末限定で、北陸新幹線の終点・敦賀駅とJR小浜線、京都丹後鉄道、JR山陰本線経由で城崎温泉駅までを結ぶ観光列車である(土曜日は敦賀→城崎、日曜日が城崎→敦賀方向で運転)。オールグリーン車からなる3両編成気動車のうち、1号車はスーペリアグリーン車とする半個室風の特別車両で、今回はこの1号車が予約ができたために、東京を出発する前から乗車への期待は盛り上がる一方であった。この旅は、まず今年開通した北陸新幹線の敦賀駅まで金曜日の夕方に行って敦賀で一泊、翌土曜日に下りの「はなあかり」で終点の城崎温泉まで乗車、豊岡に戻り宿泊した後、日曜日朝に天然記念物でユネスコ世界ジオパークである玄武洞を見学し、帰りは嵯峨野トロッコ鉄道で紅葉も体験、京都から東海道新幹線で帰って来るというクラツーも顔負けの欲張りスケジュールだ。


東京から北陸新幹線で敦賀まで行き、若狭湾沿いに地方交通線や第三セクター線を乗り継ぎ、山陰本線経由で京都に出て、最後は東海道新幹線で東京に戻る旅となれば、いわゆる「一筆書き」の乗車券を発行してもらうのがお得である。「一筆書き」とはJR運賃の遠距離逓減制を利用して、乗車駅から複数の駅を経由して、同じ経路を決して二度たどらず(あるいは同じ経路を往復せず)一筆書きする様に乗車駅へ戻って来る経路で購入する切符のことを云い、使い方によってはとても経済的だが、きれいに一筆の行路を辿らねばならないのがミソ。この切符では同じ区間を重複することは「一筆」にならないので、行路をどう決めるかが難しいところである。今回の旅程では、東京都区内から豊岡まで往路と復路の切符を別々に買うより、都内発着で豊岡を最遠地とし往路は北陸、復路は東海道経由とした一筆書き切符の方が、乗車運賃が3千円ほど安くなることが時刻表と首っ引きの計算で分かった。「大人の休日倶楽部」の3割引き運賃の他に、「一筆書き」だけでも夫婦2人で運賃が6千円もセーブできるなら、これを利用しなければ損というものだ。


ところが今回の「一筆書き」には一か所難所があった。下り列車の「はなあかり」は最後の区間である山陰本線に豊岡から乗り入れるが、その豊岡では降車の客扱いがなく乗客は全員10キロほど北にある終点の城崎温泉駅まで連れていかれる。終点で「はなあかり」を下車後に南に位置する京都方面に向かう予定の我々は、この場合、城崎‐豊岡間の山陰本線は同じ区間を2度通ることになり、これでは一筆書きでなくなり乗車券が無効になってしまう。この事態を防ぐために、終点の城崎温泉駅で一旦改札を出て、豊岡-城崎温泉間の運賃200円を乗り越し精算し、改めて城崎温泉からその日の宿がある豊岡駅行の200円の切符を買うこととした。「一筆書き」切符はこうした行路上の制約が多いが、もう一つ問題点は、経由地が多いため最近増えている駅の自動改札機が対応しない場合があることだ。自動改札機は、入場記録や出場記録の整合性が取れていないとその後の駅でエラーになり「係員に切符を見せるよう」促されるし、そもそも地方では自動改札機が設置されていない駅も多い。今回は途中から改札口(新幹線改札を含む)を通るたびに、どこから来てどこへ行くのか、一々切符を見せて駅員に説明する手間が必要であった。安く旅を仕立てるのも楽ではないが、どの駅でも有人改札口で説明をすると気持ちよく通してくれるばかりか、「遠路お疲れ様です」と声をかけてくれる駅員もおり、旅の風情も一段と増したのだった。

20241217
緑→赤→青の一筆書き行路。豊岡-城崎間の往復(400円)は別料金。

2024年12月 9日 (月)

WHAT SWEETER MUSIC

20241209

妻の大学時代の友人女性が、コーラス伴奏のオーケストラの一員として演奏すると云うので、昨晩は練馬文化センターに行ってきた。TOKYO EMBASSY CHOIRと名づけられたグループによる ”WHAT SWEETER MUSIC" と銘打たれたクリスマスの演奏会である。会場の練馬区というと私はつい大根を連想してしまうのだが、西武池袋線の練馬駅前に降り立てば、目の前に聳え立つ立派なコンサートホールにまずはびっくりである。東京23区特別区の他、都下の各市や町にこのような箱物があることは文化的には素晴らしいこととは云え、一体全体これらの建設や維持管理ににどれだけのカネがかかっていることか? 常日ごろ、都民税や区民税の負担の重さを感じる身とすれば、いろいろ考えてしまうが、それはまた別の話。一年に一度くらいは、聖なるクリスマスのクラシック音楽でわが心を清めるのも良いかと、コンサート会場に足を運んだ。


TOKYO EMBASSY CHOIRとは千代田区一番町にある駐日イギリス大使館に勤める館員や従業員を中心に構成されるコーラスグループだそうで、昨日は男性20名、女性30名ほどが出演していた。舞台には英国人らしき外国人の他、大使館関係者であろう日本人の団員の姿も多い。一方で客席は大使館員やその家族、友人などでいろどりも華やかで、総じてきわめて上品な雰囲気なのは外交官の社会ならではだろう。曲目と云えば、キリスト教には馴染みのない私には、何ともとっつきが悪そうなレスピーギの「降誕祭のためのラウダ(神を讃える歌)」やハイドンのミサ曲であったが、いざ開演してみれば「古き良き西洋のクリスマスコンサート」という感じの演目で、思ったほど眠くなることもなく聴きとおすことができた。


コンサートの伴奏はアンサンブルメゾンという京都大学出身者がメインとなるアマチュアオーケストラであった。妻の友人は京大出ではないが学生時代からコントラバスの演奏を続けており、人手が足りない時に助っ人として、自分の所属するオーケストラ以外で演奏する(トラ出演と云う)そうだ。コントラバスという楽器は、奏者が少ないため年齢を重ねても彼女にはあちこちからお呼びが多いらしい。正直に言って私にはコーラスやオーケストラの音楽性やレベルは分からないが、聞いた限りではプロとの大きな差は我が耳では区別できずコンサートを楽しむことができた。いずれにせよ歌でも演奏でも、こうして愛好者が集まっていつまでも音楽を続けられるとは羨ましい限りだ。運動はいくら練習を積み重ねても加齢に伴って落ち込みが激しい種目が多いが、音楽は日々レッスンを続ければ必ずしも直線的に劣化するわけでもなさそうだ。もし若い時に戻れたら、今度は運動部ではなく音楽関係の部に入ってみるのも悪くないか、と思いつつ帰路についた。

2024年12月 5日 (木)

石山寺・平等院・近江路

20241205
瀬田の唐橋

仕事人生も終わり、暇になった友人たちから様々なお誘いが来て忙しい。先の週末は、この春に滋賀県の大津に移住した小・中学時代の同級生の家を、昔からの友人と共に訪れてきた。絶好の秋晴れに恵まれ、テレビの大河ドラマ「光る君へ」で、益々人気となっている石山寺や宇治の平等院を友人の案内で参拝し、今が盛りの紅葉に映える名所巡りを楽しむことができた。いま京都市内は外国人観光客でごった返しており、四条通りや有名観光地周辺では歩道も歩けないほどだが、さすがに石山や宇治まで足を伸ばせば、外国人が押し寄せるというほどでもなく、適度に賑やかな風情だったのがとても良かった。思い返せば今からちょうど60年前、父の転勤で神戸に住んでいた頃にこの2つの古刹を訪れたことがあったが、記憶に残っている当時の情景よりすべてが整備されキレイになったようである。つくづく日本は豊かな良い国だと感じた旅であった。


大津と云えば、東京に住む人間としては、こんなチャンスでもなければゆっくり滞在する土地でもない。東海道新幹線に乗れば「まもなく京都です」の車内放送で、周囲の乗客が慌ただしく降車準備を始めるのが大津の付近だし、上りの新幹線列車では座席を確認したり荷物を収納したりと落ち着かないうちに瀬田の唐橋を車窓にちらっと眺めつつ通過、と云うことで滋賀県の県庁所在地にも関わらずここはひどく印象が薄い場所であった。しかし実際に来て今回短時間ながら琵琶湖の遊覧船に乗る機会を得ると、大津や滋賀県は歴史上とても重要な場所だったことを改めて知ることになった。滋賀(近江)は東から鈴鹿山脈を越えて琵琶湖に至る東海道、長野や岐阜から内陸を通って来る中山道、日本海側各地を結ぶ北陸道などの結節の地であり、なによりかつては琵琶湖舟運の拠点が大津であった。この辺りは昔から交通の要衝であったのだ。


上代から日本は、大陸や朝鮮半島との交易で栄えた日本海側が物流のメインルートであったから、各地から船で運ばれた物資は敦賀や小浜で陸揚げされ、琵琶湖の舟運に載せ替えられて大津や堅田(大津市)まで運ばれていたと云う。大津からは陸路で大坂まで運ばれた物資もあったが、川船を使って瀬田川(淀川)を下る物流もあり、さらに大坂の河口からは木津川、大和川の水路を利用して積み荷が奈良盆地まで上ることができたそうだ。大津は往時は関西物流の一大拠点で、それが大津(大きな湊)と呼ばれた所以なのであろう。奈良遷都(710年)の前、大津に国の都が置かれたのが667年というのも、この地が当時の先進の地であり、人の交流やモノの輸送で国を統轄するのにふさわしい場所であったと云うことに違いない。時代が下ればこの要衝の地で近江商人が生まれ、今もその末裔が伊藤忠商事や西武鉄道などとなり日本経済を牽引しているのである。大津や滋賀(近江)の歴史が我が国の発展に大きく寄与したと分かると、毎度新幹線で通過するだけでは勿体ない気がしてきた。次は近江電鉄に乗って、ゆっくりと近江盆地を訪ね歩いてみたいと思っている。SEEING IS BELIEVING である。

20241205_20241205122601
紅葉の石山寺参道

20241205_20241205122602
宇治平等院

« 2024年11月 | トップページ | 2025年1月 »

フォト
2025年5月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ