兵庫県知事選と新聞・テレビのオワコン化
SNSに否定的な論調の読売新聞11月19日社説(購読する読売新聞オンラインより)
最近、痛快なニュースが2件続いた。メディアの「まれに見る大接戦」との予想を覆してのトランプ大統領の再選と、「斎藤氏追い上げ」との事前報道をはるかに上回る得票での兵庫県知事選の斎藤知事の勝利である。圧倒的なトランプ氏の勝利は、11月7日に『祝・トランプ勝利、試される日本、オワコンのメディア』で書いたとおりであり、斎藤氏も予想以上の大差で対抗の稲村候補を破ったが、この2つの選挙結果はメディアの報道姿勢という点でエポックメイキングな出来事だと感じている。端的に云えば、これまで 『報道しない自由』を最大限に行使してきた従来型の新聞、テレビの報道は今回で完全に”オワコン”化し、代わって有権者が情報源として頼りにし選挙結果に大きく影響するのはネットの情報となったことだ。
兵庫県知事選挙を振り返ってみれば、当初は斎藤知事が 「パワハラ、おねだり疑惑」のトンデモ知事である、との報道がオールドメディアから大々的に流されていた。斎藤知事を裁く百条委員会の結果が出る前に県議会から不信任を突きつけられた時には、「なんという知事なのか」と私も憤慨したのだが、知事選に彼が再び立候補し孤軍奮闘している姿を見た時から、「ウン!?失職したにも関わらずにまた出馬するとは、この人はなんらかの強い信念があるのではないか」と、彼を一方的に悪者扱いする報道に疑問を持ち始めた。私も神戸に住んだことがあるが、兵庫県は巨大な港湾利権、反社の存在、同和や第三国人の問題などが渦巻いている上、井戸前知事の県政が20年も続いた土地である。ひょっとすると従来の利権構造にメスを入れようとした斎藤氏が、守旧派の返り討ちにあっているのが、今回の構図ではなかろうかとの疑念を持ち始めたのだった。
ところが、テレビや新聞を見ても彼を肯定する論調はまずなく、反対に悪行(と指摘される行為)の限りを報ずるニュースばかりであった。一方でネットに流れる情報に接すれば、高校時代の旧友や出身の総務省時代の上司の話として、彼がきわめて優秀かつ温和な人物との評価だったし、知事に就任した後は、財政健全化に尽くすなどの実績も挙げていることも分かった。一体全体、斎藤氏の素顔や実態はどうであったのかひどく好奇心を掻き立てられる情勢であった。それらの情報を踏まえ私が考えたのは、斎藤氏は旧態依然として効率が上がらない県の職員を叱咤するあまり、強い言葉も出たのではないか、そしてそれについて行けず反発した職員による告発がごたごたの発端ではないかと云う見立てであった。古い体制や慣行に慣れ親しんだ庁内で、クレバーな斎藤氏のやり方を良しとしない職員によって公益通報を装った知事告発文書が出されたが、案の定、それは怪文書として知事に一蹴されてしまった、というのが実際のところであろうと思っていた (「公益通報」なのか「怪文書」だったのか、その取扱いが妥当だったか否かについての議論は今も告発文の中味が公開されておらず収束していない)。
そんな折、兵庫県知事選挙に候補者として名乗りを上げたNHK党の立花孝志氏による衝撃的な政見放送が飛び込んできた。当選する意思はハナからなく、NHK放送を使って不正を正したいとの、立花候補による真相(と思われる事実)の暴露で情勢は一挙に逆転し、斎藤氏はSNSを中心に一躍支持を驚異的に拡大し、結果として当選したのである。話を戻すが立花候補の政権放送から後は、立花氏の言葉を裏付ける様々な真実(と思われる)情報が次々と飛び込んできた。最も注目されるのは、斎藤氏の行動をパワハラとして「公益通報」的に告発した県民局長(のち自殺)の公用パソコンからは、多くの女性職員との「不倫日記」なるものが発見され(動画もあったという)たそうで、それが記者会見の場で副知事から開陳されようとした件である。不倫疑惑も問題だが、瞠目するのは、その事実のさわり(それも県の弁護士が公益上発表が妥当と確認済の事実)を公表せんとする副知事を、兵庫県記者クラブに所属する大手新聞社やNHKの記者たちが逆に喋らせないように隠蔽したことである。副知事に不倫に関する発表を辞めるように寄ってたかって強引に彼に迫る記者たちの生々しい遣り取りは、Youtubeで聞くことができる。
メディアはなぜ記者会見の場で不祥事を発表させず封印したかったのか?要はこういうことのようだ。斎藤知事は「パワハラ、おねだり」の最悪の人物であり、告発者である県民局長が正義の味方であるとする『筋書』で報道を続けてきたのが兵庫県記者クラブに属する大メディアであった。よって県民局長が斎藤氏のパワハラに苦しんで告発文を作成したものの逆に処分され、ついに自殺に追い込まれたという彼らの『筋書』にメディアはどうしてもこだわりたかったのである。しかし調査が進展する中で、局長の公用パソコンからは職員として不適切な行為に及んでいた事実が露呈してしまい、その発覚と拡散を恐れて彼は自死を選んだ可能性が高いという推測が成り立つようになってしまった。もしその不適切な行為が世間に広く開示されれば、告発者はいつまでも「正義の味方」であり「斎藤知事のパワハラによって死んだ」というナラティブ(物語)が成立しなくなる。不倫の行為や公用パソコンの実態を知った世論が、どうもことの真相は知事のパワハラではない、との思いを抱くことをメディアが恐れ、事実の隠蔽に走ったということになるのだろう。しかし記者クラブの中にも 「これはおかしい」と記者会見を隠し録音して、Youtuberに流した「漢」がいた。そして斎藤氏は劇的な勝利を得た。人の口に戸は立てられないのである。
一連の展開には、先の米大統領選の際の「まれに見る大接戦」の大誤報と同じ構図が見て取れる。メディアは自分たちが好む『筋書』をまず用意し、それに沿った報道をするが、もし『筋書』に沿わないような情報があれば、それは見て見ぬふりで『報道しない自由』を決めこむ。大統領選ではカマラハリスの無能ぶりや彼女が極左的信条の持ち主であることを日本のメディアは触れなかったし、兵庫県知事選では県民局長の自殺がもっぱら斎藤知事に責任があるかの報道で、「不倫」騒動で局長が窮地に陥っていたことには一切触ないばかりか隠蔽まで行った。そのメディアが好むのは、総じてサヨク的、社会主義、理想主義的なリベラル風に偏した耳ざわりの良い『筋書』であり、現実を糊塗して世間を一定の方向に誘導しようとすることがミエミエのケースが多い。今回の件は斎藤という気鋭の若手知事による、改革への語気鋭いリーダーシップに対して、「パワハラ、おねだり」「公益通報の尊重」とキレイ事を並べ、『報道しない自由』によって彼を追い詰めようとしたメディア側の『筋書』が見事に失敗した事例だと云える。この2~3日、「 虚実相半ばのSNSには規制が必要だ」などと笑止千万のオールドメディアの論調が見受けられるが、片腹痛いとは正にこのことだ。大統領選にしろ兵庫県知事選にしろ、反省するのはまずオールドメディアの方だろう。自分たちの見立てに合わぬ現実を 『報道しない自由』を続ける限り、新聞やテレビはネットに負けることがはっきりしている。
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