袖ふり合うも多生の縁
2024年5月19日(日)SEIKO ゴールデングランプリ陸上(国立競技場)での橋岡選手
高校時代からの友人と2人で、梅ヶ丘にある人気の寿司屋に行った。例によって5時きっかりの店オープンとともに始まる、退職オヤジ的飲み会である。やけにネタが大ぶりの寿司をつまみつつ近況などを語り合ううちに、話題はパリオリンピックの陸上競技に及んだ。この大会、北口選手の女子やり投げ優勝をはじめ、日本代表選手団の健闘が目立ったが、その中で男子走り幅跳びだけは、予選敗退した橋岡選手のフテ腐れたようなテレビインタービューがけしからんと二人してオヤジ話で盛り上がる。陸上競技には詳しい我が友人も「幅跳びは記録が伸びないね、そういえば山田宏臣選手が日本人で初めて8米跳んだのはいつだっけ」と我々の世代なら多くが知る当時話題だった走り幅飛びのことを話し始めた。リンク「地獄のジャンプ」(2008年5月20日) と、寿司カウンターの隣の席に並んだそれなりの年恰好のシニアカップルが会話を止め、我々の陸上話に聞き耳をたてている気配がした。
案の定、カップルの男性は 「失礼ですが陸上関係者ですか?」と問いかけてくる。 うん!?、そう云えばこの辺りは日大のグランドが近いし、橋岡選手は日大の出身なので我々2人の悪口が彼の気に障ったのか、とすればこんな所で気まずくなるのも嫌だと一瞬かまえつつ、「昔、少しばかりやってました」とおそるおそる答える。「そちらも関係の方ですか?」とこちらから探りをいれると「パリでは後輩の三浦が頑張りました」との言。ああ順天堂大学の出身者か、日大でなくて良かったとホッとしつつ、「三浦選手はすごいですね」と3000米障害で東京大会に続いて連続入賞した三浦龍司君を誉めることにした。「失礼ですが長距離ですか?」と問えば、彼は「棒高跳びでした」とのこと。聞けば私より少し上の世代だそうである。それならば当時順大の主将だった山田宏臣氏とは同じ跳躍部門で切磋琢磨した仲間に違いない。私が友人と交わした日本初の8米ジャンプの会話に、彼が耳ざとく反応したのも道理である。
隣同士に座った客同士である。お互い横を見ながら杯が進むうち 「昔、数年ぶりに出場できた箱根駅伝の前には、(当時順大の監督だった)沢木啓介氏に学校に来てもらい指導を受けたこともあるんです。本番では順大のはるか後塵を拝してましたが…」などと当時の思い出話に花が咲く。彼は「ハハハ、沢木もけっこういい加減なんですよ」とあの沢木氏の厳格なイメージから似つかわしくない面を披露してくれ、なんだか酒の味もより旨く感じてくる。「三浦君は良かったが、パリでは私の後輩の豊田君は足の故障で400米ハードルは残念でした」と後輩自慢を交わすうちに、寿司店は入れ替えの時間となってしまった。ここは人気の寿司屋ゆえ、いつまでもグダグダと居座ることが出来ないのがつらいところである。お互い名前も名乗らず、その場で別れることになったが、50数年前に関東インターカレッジなどで同じ景色を見ていた見知らぬ同士が、時を経て世田谷の寿司屋でたまたま場所と時間を共有するのも不思議な縁(えにし)である。袖ふり合うも多生の縁、スポーツをやって良かった、今晩は楽しかったと思いつつ、皆と別れ生暖かい夜風に吹かれながら帰路についた。
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