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2024年7月14日 (日)

播州赤穂 訪問

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赤穂城 本丸への城門

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当時の建物が現存する大石邸長屋門


忠臣蔵に興味を持つようになったのは、子供のころ(昭和39年)にNHK大河ドラマ「赤穂浪士」を見てからだ。長谷川一夫演じる大石内蔵助の「 おのおのがた、討ち入りでござる 」という名セリフ、滝沢修のなんとも憎々しい吉良上野介、宇野重吉演ずる蜘蛛の甚十郎の暗躍などを今でもよく覚えている。当時さっそく大佛次郎の原作「赤穂浪士」の文庫本を買って読んだし、その後も事あるごとに忠臣蔵ゆかりの地を訪ねるのが好きだった。本所松坂町の吉良邸「江戸散策その4(2008年11月16日)」や新橋の浅野内匠頭の切腹終焉の地「12月14日 赤穂浪士の討ち入り(2018年12月14日)」、高田馬場の堀部安兵衛の決闘「高田馬場の決闘(2020年6月22日)」の場所を訪ねたことは過去のブログにアップした通りで、その他にも品川の泉岳寺にある四十七士の墓にお参りしたこともある。三波春夫の長編歌謡浪曲「元禄名槍譜・俵星玄蕃」は全曲暗記しており、ドライブ中に渋滞にはまると一人クルマの中でハンドルを握りつ 「♪ 槍は錆びてもこの名は錆びぬ~♯」と唸ったりする。


赤穂浪士たちの何が、日本人の心にこれほど刺さるのだろうか。誰もが知っているとおり、元禄14年(1701年)、江戸城の松の廊下で、赤穂藩主・浅野内匠頭が、高家で監督役であった吉良上野介に切りかかる刃傷(傷害)事件を起こし、ために幕府は直ちに内匠頭に切腹を命じ、浅野家は取りつぶしの処分を下される。一方的な幕府の裁定に納得できぬ赤穂藩の家臣たちは浪人となり、復讐のために雌伏の時を過ごすこと一年有余、ついに総大将の大石内蔵助を筆頭に47人の浪士(浪人)が吉良邸に討ち入りし憎き吉良の首を取り、亡き主君の本懐を遂げるドラマが「忠臣蔵」であり「赤穂浪士」である。今なら狂信的なテロ集団の組織的犯罪とでも云われる行為だが、公儀(幕府の法律)に反してまでも、忠義(主君や国家に対してまごころを尽くして仕えること=広辞苑)に尽くすところが、深く日本人の琴線に触れるのだろう。「俵星玄蕃」で「命惜しむな名をこそ惜しめ」とうたわれたように、いつの時代も赤穂浪士の志が軽佻浮薄の世を憂う人々に持て囃されるのである。(俵星玄蕃の話は後世に作られたものであるが・・・)


と云っても東京ではこれほど忠臣蔵ゆかりの地に詣でたにも関わらず、肝心な赤穂浪士のふるさと、播州赤穂の地はなかなか訪問する機会がなかった。なにせ東京から赤穂に行くには、新幹線なら「こだま」か一部の「ひかり」しか停車しない兵庫県の相生から、単線の赤穂線に乗り換えるしかなく、その赤穂線は昼間の時間帯には一時間に一本の運転頻度とあって、ちょっと寄ってみようかというわけには行かなかった。しかしいつまで待っていても、本当に行くには自ら行動を起こすしかチャンスは廻ってこない。シニア世代は、時間ならたっぷりあるのである。そう思っていたらたまたま先週末、海運関係の友人たちとしまなみ海道の(伊予)大島にある千年松の地に集まり気勢を上げる恒例の宴会に参加する機会があり、それなら往路に一日余分に日程をとっても念願の赤穂の町に寄り道しようと思いたった。


朝9時過ぎに播州赤穂駅に降り立てば、梅雨時期に関わらず曇り空から晴れ間がのぞき、暑さも感じぬそよ風で、なにやら赤穂義士たちに天から歓迎された気がする。駅からほど近く、ぶらぶらと歩ける範囲に浅野家や義士ゆかりの花岳寺、きれいに整備された赤穂城跡、大石内蔵助を祭った大石神社などが点在して、市内をゆっくり散策することができる。赤穂市立歴史博物館では、この町の上水道が江戸初期に開通し江戸の神田上水、広島の福山上水と並んで「日本三大上水」と呼ばれたこと、入浜塩田による製塩ではこの地がパイオニアであり、良質の塩を上方や江戸に送り出したことなど郷土の誇りが展示されていた。そう云えば吉良上野介の領地である三河でも製塩が行われていたので、塩の生産に関するトラブルで浅野内匠頭には吉良に遺恨があったという説もある。かつてドリフターズの志村扮する吉良が「 この赤穂の田舎侍めが・・・・」と加藤茶扮する浅野内匠頭をさんざん馬鹿にして、それがもとで「 おのれ吉良殿 !!」と加藤が刀を抜いて刃傷沙汰になるコントがあったが、「赤穂五万五千石」は決して田舎大名などではなく、産業を奨励した立派な殿様であり、それが赤穂浪士の忠君に結び着いたであろうと推測できた。しかしここまで来ると、さすがにインバウンドの外国人がほとんど見られないのが良い。忠義などはシナ人や朝鮮人には理解不能であろう。やはり忠臣蔵は日本人の心のふるさとである。

 

製塩の終わりの過程 石釜模型(赤穂市立歴史博物館)
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