じじいの出番
定年後再就職した会社には、今もシッピングブローカーとして時々出入りをしているが、その部門の若手を相手に、契約書や船荷証券の講義を3回に亘って講義してほしいと頼まれた。入社数年目の男女で、バラ積み貨物船部門の5人ほどが受講者である。今の海運会社の若手社員は、「習うより慣れろ」の我々の時代と違って、新入社員時代からマナーやコンプライアンス、法務や保険などについて関係各部や顧問弁護士などから至れる尽くせりの講習を受けている。ところがいざ現場に出てみると、教科書にはない変化球的な問題が日々続出し、習ったことだけではとうてい先に進めないのが実際である。以前は仲間同士で智恵を絞ったり過去の事例を研究して備えたものだが、今の若者は自分の弱点と見られそうな場面に直面すると、誰かに「教えて下さい」と大声で助けを求める手段はまずとらない。なにしろ「今日は風邪で休みたい」と会社に申し出るのに、(かつて一生懸命ガラガラ声で演出した)電話でなく、さらっとメールで伝える世代だから、言葉による情報の共有が我々の頃とは違うようだ。
以前と違って、ほとんどの会社組織から「課長代理」や「部長代理」「専任部長」などの肩書を持つ役職者が極端に減ったことも若者を困難に追いやっている。これら役職者は日々のメール(昔ならテレックスやファクス)をチェックし、周囲の電話のやりとりや日常会話からちょっとした異常を検知して、大きな問題になる前に手を打つ役割を負ってきたが、今の組織では人員削減の余波で極端にこういう人達が少なくなっている。入社してほどない若者たちは、目の前を通過する契約書や証券自体の字づらは知っていても、何かトラブルがあった際に、歴史を踏まえた上で実務へ応用したり、うまく条文を援用することまで気が廻らないし、それを教える人がいない。そこで私のようなロートル、しかも会社を去って久しい人間に、これら書類の「内容見直し学習」講師の依頼が廻って来た。といっても私は海運界に入って50年間、ほとんどが荷主への営業活動、船舶の仕込み、運航管理などをしてきたものだから、法務や保険などの部署で専門的に仕事をしたことはない。ただこれまで多くのトラブルに出会ってきた中で、法務や保険のプロの意見は一応聞きつつ、現場で実務的に解決を図ってきた経験を(おそらく)買われての久々の登板である。
よって実務家としてはどんな紛糾事例が実際に起こり易く、現場ではどう相手と『妥協』して『適当』に折り合いをつけるのかなどの話が多くなる。「 こんな問題は、社内の法務室や弁護士に聞いても、決まりきった答えしか返ってこないから、さっさと担当レベルで妥協しておいた方が得策だ、あとで大きな問題には絶対ならないから 」などとコンプライアンスがちがちの専門家が聞いたら、目をむきそうな実務家視線のヒントを織り交ぜることを講義中に忘れないように心がける。また洋の東西を問わず海運はどう発展してきたか、どういう歴史的背景を以てそれぞれの条項が成立したのか、どの部分が時代遅れで無用なのかの説明も多めに加えた。難解な契約文書の条項の一言一句の成り立ちを、記憶の片隅に留めておくことは、後年、彼らが何等かの問題に遭遇した際に解決の一助になろうとの気持ちである。こうして3回、1回1時間半の予定だったものが、なるべく法務や保険の専門家の視点から外れつつも、その領域のことを語るという変則気味の切り口にしたため、ついつい話があちこちに脱線してしまった。雑談を含めて終了時間をオーバーし、毎回2時間以上の講義となったが、受講者は予想外に皆が熱心に聞いてくれた。受けが良かったのは、自分の多くの失敗談を包み隠さず喋ったためか。定年後、クルーズ船で日本や世界の港町を訪れ、そこで得た海運の知見をまぶしたことも彼らの興味をそそったようだ。人生、無駄なことは何一つもない。これまで「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」との心境だったが、若い人たちから「お世辞でなく、是非またやってください」と聞くと柄にもなく嬉しいものである。
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