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2024年6月

2024年6月28日 (金)

日々あれこれ

20240628
新橋の飲み会の行き道、寄り道した日比谷公園ではいまユリの花が満開

「70歳を過ぎてウクライナの人と結婚しました。三十歳以上年下の女性です」と会社の同期入社の男からメールの便りが来た。結婚相手は戦乱を逃れて来日したのか、以前から在住している人なのか定かでないが 「お前は生涯独身か」と皆にからかわれていたから人生はわからないものである。そういえば最近は仕事も暇になってみな寂しいのか、次々とお誘いや近況報告の便りが舞い込む。昨日は中学校の男女友達6人の飲み会だったが、幼稚園の時の仲間、高校や運動部の同僚、会社員時代の先輩後輩など、各種集まりの誘いに応じていると、7月もけっこう予定表が埋まって来た。時々今の仕事に関連する付き合いもあって、枯れ木も山の賑わいだが、元気なうちは会合やパーティにはなるべく顔をだすことにしている。


会合と云えば、我々の世代になると、みな時間だけはたっぷりとある。昼飲みだとサラリーマンの迷惑にならないように、午後一時過ぎから開始。夕方の場合は店がオープンする5時きっかりに始め、7時頃には1次会お開き、その後に軽くもう一杯飲むか、あるいはコーヒーなどで、ということが多い。総じてかつての様にバカ呑みしたりせず、ほろ酔い加減で家路につくから、ジジ・ババパワーも世の迷惑にならずに、経済活性化に僅かばかりではあるが貢献していることになる。別れ際には「せっかくだからLINE皆でやろうぜ」「賛成、賛成!」「で、どうやるんだ?」「俺知らないから誰かやって」「俺も」というのがお決まりの会話。そんな場合には子供や孫とLINE連絡を取りあうことが多い女性陣が、「スマホ貸して、私がセットしてあげる」ということで落ち着くが、「俺はまだガラケーだよ」という男性が残っていて一同ずっこけるのがお約束のパターンである。


昨日の読売新聞の「人生案内」には70歳台の歯科医師が、身の廻りのことをすべてやってくれる7歳年下の妻が先に逝ってしまったらと考えると不安でしょうがない、と相談を寄せていた。作家の藤原智美氏の回答は、掃除、洗濯など家事や身の回りのことを一つづつ妻にならって勉強しなさい、とのことである。家事でないが、わが家はスマホ・パソコンの設定からパスワードの管理まで、ネット関係はすべて妻に任せきりで、もし彼女になにかあったら、在宅で引き受けている今の仕事を始め、ネット時代に生きていくのがかなり不便になることは間違いない。この人生案内の男性以上に我々は夫婦の年齢差があるし、ふつうは女性の方が長生きだからまずこんな心配は無用だと思っているのだが、何があるのか分からないのが人生である。「皆同じようなことを心配をしているんだ」と妙に納得しつつも、いまさらネットやスマホの知識を増やす気力もなく、「頼むから先に死なないでくれよ」と、こればかりは下手に出る日々である。

2024年6月21日 (金)

保守の台頭

欧州では”極右政党”が台頭しているとされている。すでにメローニ首相率いる右派が政権を担っているイタリアを始め、フランスではルペン率いる「 国民連合 」、ドイツでも「 AFD 」という”極右”の政党が勢力を伸ばしているそうだ。しかし彼らの主張を見れば、行き過ぎた移民政策や極端な地球温暖化対策に反対し、伝統的な家族形態の復活を唱えているだけで、かつてのナチス党のように特定民族の抹殺などという狂気の政策を掲げているわけではない。その後のイタリアが極端に右にぶれていないのを見てもわかるとおり、彼らは”中道右寄り”と云える政策目標を目指す「 国家保守主義者 」であるようだ。逆に云えばメディア始めいわゆる識者たちが、かなり左に寄った視点から世界の情勢を捉えているから、これらの台頭を”極右”とレッテル張りをしているのである。


イギリスはさっさとブレクジットでEUを離脱したし、アメリカも「もしトラ」ではなく「ほぼトラ」となり、MAGA ( MAKE AMERICA GREST AGAIN ) を主張する共和党トランプ氏の大統領復帰が見えてきた。トランプ大統領の再登場となれば、アメリカがパリ協定から離脱することが予想され、昨今の行き過ぎた地球温暖化対策は一旦立ち止まることになるだろう。さらに移民の流入が大きく規制されることが間違いないし、対中国を念頭に輸入関税も引き上げられる見通しで、国境の壁が今より格段に高くなることが必至であろう。米・民主党やグローバリストたちが唱える「人権」やら「平等」いわゆる「ジェンダー」、「多民族共生社会」や「CO2削減」政策が、足踏みすることになり、さらにはUSスティールの例で見るように株主資本主義の見直しも起こるかもしれない。これら欧州でも米国でも起きている「 国家保守主義 」運動の高まりは、ナショナリストの台頭であり、グローバリズムの終焉を意味している。それはまた、グローバリズムに親和性の高いサヨクやリベラルの後退でもある。


LGBT問題や移民政策のように、ノイジーマイノリティと呼ばれる特定の少数の権利ばかりを保護し、サイレントマジョリティである真っ当な市民をないがしろにする、グローバリズムの風潮に先進国の人々がウンザリしているのが、これら一連の現象のもとにある。地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想がグローバリズムとの事だが、地球温暖化対策に見られる如く、頭でっかちの理想を一方的に押し付け、それに突き進むのが彼らの特徴である。そしてその裏に必ず見え隠れする利権の構造に世界は辟易としている。世の中のあらゆる差別( と云われる現象 )を無理繰りに掘り起こしては、平等を目指すとする運動( とその利権は )、ソ連崩壊で夢破れた共産主義者たちの絶好の隠れ蓑となって、この20~30年の間、世界を席巻してきた。しかしグローバリストの活動は、結局のところ人権派弁護士などの利権屋を太らせ、社会の分断を招いただけであったし、地球温暖化対策もほころびばかりが目立つ。ごく普通の市民生活を脅かしてきたそんな風潮にそろそろ幕が下りるとは、まことに喜ばしい限りだ。グローバリストである米国民主党バイデン大統領のポチと呼ばれる岸田首相も、早晩お払い箱になるであろう。


世界的な保守の躍進を前に、思想家である先崎 彰容氏(日大教授)が、以前「保守」についてこんな見立てをネットにあげていた。保守思想とは『 自分という存在のなかに、自分以外の存在、歴史という時間が流れていることを知る 』ことだと彼は云う。グローバリズムや共産主義については『 まず共産主義が私たちに馴染(なじ)まないのは、理想に人間の未来を託すからである。わずか数十年の生しか紡いでいない人間が、画一的に社会をつくる。まるで、長い年月のなかで豊かな水と動植物を抱える杜(もり)を、人間の傲慢で植林にしてしまうのと同じである。革新とは、未来のために過去を否定し現在を犠牲にする生き方である。対する保守は、過去を慈しみ、その維持を使命とする 』。けだし事の本質をついた素晴らしい説明だと云えよう。頭の中で作り上げた妄想による理想社会(例えば脱CO2や多文化共生)であるとか、「完全平等」(例えばポリコレやジェンダーレス)を急進的に目指す社会は必ず失敗する。進歩は常に地道かつ漸進的でなければならない。先進国の「国家保守主義の台頭」を歓迎したい。

 

2024年6月14日 (金)

河村瑞賢(伊藤潤著:江戸を造った男)

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酒田の町を2度訪問して、この町がかつて北前船の発航の地であったことを知り、好奇心を大いに刺激されたのは先ごろ記したばかりだ。北前船といえば、2022年5月”にっぽん丸”で佐渡の小木港に寄港した際、「北前船で栄えた町 宿根木散策ツアー」に参加し、北前船の船大工の町や、実物大に復元された千石船”白山丸”を見学したことが記憶に新しい。また今でも瀬戸内海の各地を折々訪れると、北前船が潮待ち、風待ちした港がそこかしこに残っており、往時を偲ばせる常夜燈などの施設や街並みを見ることができる。江戸時代から鉄道が整備される明治時代の半ばまで、北前船が日本の物流を支えていたことを、クルーズ船などで日本の古い港町を訪れれば訪れるほど肌身に感じることが出来る。この北前船の航路を開いたのが河村瑞賢である。彼の胸像を酒田市の日和山公園で見た際に、船乗りでもない江戸の商人だったこの人物が、徳川幕府の命により54才の時に航路を開設したと知り、いったい彼はいかなる者だったのか、にわかに興味を覚えた。(下のリンク参照)


その取り掛かりとして、河村瑞賢の一生を描いた小説「江戸を造った男」(伊藤潤 著)が朝日新聞出版から出ているので取り寄せてみた。文庫本にして、河村瑞賢の幼少の頃から、死に至るまでの足跡を丹念に描いた540頁に亘る大書である。小説なので所々に筋を盛り上げるための創作や誇張があるではあろうものの、一介の商人だった河村瑞賢がなぜ徳川幕府にこれほどに重用され、幕藩体制の下で歴史に残るインフラ整備に力を尽くせたのかがまとめられていた。読み進めると江戸時代初期の流通や経済の仕組みが小説の中に分かり易く描かれ、「なぜ酒田が北前船の発航の地になったのか」など、以前から疑問に思っていた点に得心がいく内容であった。平均寿命がせいぜい40才ほどだった時代に、彼は50歳台で航路開設事業を成功させたほか、80歳過ぎで亡くなるまでに鉱山開発や大規模な治水事業などを成し遂げ、最後は徳川幕府から武士身分を下賜されている。隠居する間もなく清廉を胸に、世の為人の為にと働き、逆境に屈せず数々の難事業を成功させた彼の生き様を描いた「江戸を造った男」は、「ビジネスパーソン必読の長編時代小説」と本の帯にある通り人生訓の本でもあった。


河村瑞賢の晩年の大事業は大阪・河内平野の治水対策で、本書にはこの工事の模様も詳しい。私は大阪に行く度に淀川の右岸(北岸)を走る東海道在来線が、淀川を渡って大阪駅だけ川の左岸(南岸)に行き、駅を出たら再び淀川を渡って右岸(北岸)に戻る、すなわち駅の前後でなぜ都合2回、大きな淀川を渡っているのか昔から不思議だった。これについては、最近読んだ「鉄道ジャーナル」6月号の「大阪神戸間鉄道の戦前史」に、度重なる大阪地区の大水害を防ぐために明治時代に淀川の大改良工事が行われ、大阪市内の水の流れを新しい箇所に造った放水路に付け替えたことによって生まれた光景であると説明されていた。治水事業が大阪駅の前後で同じ川を渡る2つの鉄橋を作ったとは目から鱗だが、これは東京で暴れ川の荒川を付け替えたためにできた、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵大カーブと同じようなことだったのだ。村田英雄が「王将」で「生まれなにわの八百八橋」と歌ったとおり、大阪の歴史は常に治水の歴史でもあった。瑞賢の死後、懸案の大和川の付け替え工事が行われたが、この町の治水の基礎は彼の工事に負うところが大きいことを知ると、次に大阪に行って見る淀川や道頓堀の景色もまた違ったものに感じることだろう。

リンク:
酒田探訪 北前船 (酒田・海里の旅②)2024年5月20日
続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その5(寄港地編 佐渡)2022年6月10日

2024年6月11日 (火)

膝が痛い(続き)

20240611
ウォーキング中 皇居・北の丸公園でこんな注意書を発見

本格的に膝を痛めてから一か月強。時々通っている整骨院からは「大分よくなったのでそろそろ走っても良いですよ」と云われるようになった。と云うことで恐る恐る走りだしてみたが、今回痛めた右膝だけでなく元々痛かった左膝にも違和感があって、まだまだ本格的に走るには至らない。整骨医からは「もともと悪かった左膝をかばっているうち、右をひどくしたのでバランスを直していきましょう」と云われている段階である。現在のところ1週間7日単位で、ジョギングを2日、区営プールでの水泳1回、チャリ1回、ウォーキング2回、そして完全な休みを1日とるウイークリーローテ―ションを組んでゆっくりと体を動かしている。水泳やチャリは走るほどには膝に力がかからないので、いくらやっても痛みは来ないし、ウォーキングも下り坂を速足で歩いたりしなければ痛みを感じないのが助かる。やっとここまで回復してきたので、この調子で完全回復を目指す日々である。なにより体を動かさないと、夕方のビールが旨くない。


チャリやウオーキングで街を巡ると、ジョギングばかりしている時には目につかなかった景色を発見して別の面白さを感じることもある。こんな珍しい店舗が身近にあったかとか、けっこう古い歴史や由緒ある寺社仏閣がここにあるのかと、足を止めて見学することが以前より格段に増えた。走る行為は一旦スタートすると、没我的に自己の世界に入り易くなり、肉体的にも前ばかりを見て走りがちとなる。ランニング・ハイと呼ばれる現象で、この麻薬的な体験が多くの人を日常的に走る行為に駆り立てるのだが、この時、周囲の景色はただ流れているだけで、記憶にはほとんど残らないものだ。(もっとも妻は走っている時にも、夕飯の献立を考えたりするそうだし、街頭の店先に目についたものがあった、などとよく云うから女性と男性では走る時の視界がまったく違うのかも知れないが。)移動する速度の違いだけで、目に入って印象に残る風景が違うことを、チャリやウォーキングで改めて発見する日々である。


膝に痛みが出るまで、これまでは永きに亘り、最低でも毎月延べ20時間は走るようにしてきた。私の平均的なジョギング速度は時速にして約10~11キロなので、最低でも毎月200キロ、多い月は270キロほど走ってきたことになるが、これはやはり老体には過剰な距離であろうか。走る行為は、エネルギーの点ではとても効率的で、メッツ(METS)という運動強度を示す単位によれば、ジョギングは自転車や歩行に較べて、(速度によって異なるが平均的に)単位時間あたり2倍以上のカロリーを消費する計算になる。故障前に比べて同じ様に食べ同じ生活様式を維持すれば、腹も出てくるということになるので、自転車を漕ぐ日や町を歩く日は2時間ほどは継続するようにしている。ジョギングは10キロ走るのにも1時間ほどで済むので、エネルギー効率という観点からすると、チャリや歩行は「倍以上の時間が必要」ということになるが、加齢に伴う痛みとあればこれも仕方ない。時間だけはいくらでもあるのが老人の特権でもある。天が休息を命じていると信じ、完全に膝の痛みがとれるまでは、町の景色を楽しみながらゆったりとペダルを漕ぎ、ウォーキングの歩を進めることにしている。

「膝が痛い(2024年5月15日)」

2024年6月 1日 (土)

じじいの出番

20240601

定年後再就職した会社には、今もシッピングブローカーとして時々出入りをしているが、その部門の若手を相手に、契約書や船荷証券の講義を3回に亘って講義してほしいと頼まれた。入社数年目の男女で、バラ積み貨物船部門の5人ほどが受講者である。今の海運会社の若手社員は、「習うより慣れろ」の我々の時代と違って、新入社員時代からマナーやコンプライアンス、法務や保険などについて関係各部や顧問弁護士などから至れる尽くせりの講習を受けている。ところがいざ現場に出てみると、教科書にはない変化球的な問題が日々続出し、習ったことだけではとうてい先に進めないのが実際である。以前は仲間同士で智恵を絞ったり過去の事例を研究して備えたものだが、今の若者は自分の弱点と見られそうな場面に直面すると、誰かに「教えて下さい」と大声で助けを求める手段はまずとらない。なにしろ「今日は風邪で休みたい」と会社に申し出るのに、(かつて一生懸命ガラガラ声で演出した)電話でなく、さらっとメールで伝える世代だから、言葉による情報の共有が我々の頃とは違うようだ。


以前と違って、ほとんどの会社組織から「課長代理」や「部長代理」「専任部長」などの肩書を持つ役職者が極端に減ったことも若者を困難に追いやっている。これら役職者は日々のメール(昔ならテレックスやファクス)をチェックし、周囲の電話のやりとりや日常会話からちょっとした異常を検知して、大きな問題になる前に手を打つ役割を負ってきたが、今の組織では人員削減の余波で極端にこういう人達が少なくなっている。入社してほどない若者たちは、目の前を通過する契約書や証券自体の字づらは知っていても、何かトラブルがあった際に、歴史を踏まえた上で実務へ応用したり、うまく条文を援用することまで気が廻らないし、それを教える人がいない。そこで私のようなロートル、しかも会社を去って久しい人間に、これら書類の「内容見直し学習」講師の依頼が廻って来た。といっても私は海運界に入って50年間、ほとんどが荷主への営業活動、船舶の仕込み、運航管理などをしてきたものだから、法務や保険などの部署で専門的に仕事をしたことはない。ただこれまで多くのトラブルに出会ってきた中で、法務や保険のプロの意見は一応聞きつつ、現場で実務的に解決を図ってきた経験を(おそらく)買われての久々の登板である。


よって実務家としてはどんな紛糾事例が実際に起こり易く、現場ではどう相手と『妥協』して『適当』に折り合いをつけるのかなどの話が多くなる。「 こんな問題は、社内の法務室や弁護士に聞いても、決まりきった答えしか返ってこないから、さっさと担当レベルで妥協しておいた方が得策だ、あとで大きな問題には絶対ならないから 」などとコンプライアンスがちがちの専門家が聞いたら、目をむきそうな実務家視線のヒントを織り交ぜることを講義中に忘れないように心がける。また洋の東西を問わず海運はどう発展してきたか、どういう歴史的背景を以てそれぞれの条項が成立したのか、どの部分が時代遅れで無用なのかの説明も多めに加えた。難解な契約文書の条項の一言一句の成り立ちを、記憶の片隅に留めておくことは、後年、彼らが何等かの問題に遭遇した際に解決の一助になろうとの気持ちである。こうして3回、1回1時間半の予定だったものが、なるべく法務や保険の専門家の視点から外れつつも、その領域のことを語るという変則気味の切り口にしたため、ついつい話があちこちに脱線してしまった。雑談を含めて終了時間をオーバーし、毎回2時間以上の講義となったが、受講者は予想外に皆が熱心に聞いてくれた。受けが良かったのは、自分の多くの失敗談を包み隠さず喋ったためか。定年後、クルーズ船で日本や世界の港町を訪れ、そこで得た海運の知見をまぶしたことも彼らの興味をそそったようだ。人生、無駄なことは何一つもない。これまで「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」との心境だったが、若い人たちから「お世辞でなく、是非またやってください」と聞くと柄にもなく嬉しいものである。

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