酒田探訪 北前船 (酒田・海里の旅②)
酒田は江戸から明治時代の前・中期まで沿岸航路で活躍した北前船の発航の地である。貨物の輸送と云えば、かつて明治の後期にかけて鉄道が全国に開通するまでは、もっぱら沿岸航法による海運がその手段であった。寛文時代、江戸幕府は天領であった出羽(秋田・山形)の米を大坂(大阪)まで大量輸送すると共に、国内の物流網を整備するため、豪商かつ政商で公共工事に長けた河村瑞賢に沿岸航路の整備を命じている。これに応じて瑞賢は酒田を起点に1671年、津軽海峡から太平洋沿岸諸港を経由して江戸に至る東回り航路、1672年に酒田から日本海諸港を経由して関門海峡を越え、瀬戸内海を通って大坂、さらには江戸に至る西回り航路を開発した。彼は綿密な気象・海象の調査を実施し、酒田から大阪や江戸までの航路や水路を開いたばかりでなく、徴税の免除や水先船の設置など各種制度の改廃や整備を行い、さらに船体や船乗りの状態をチェックする番屋を主な港に設けて、安全かつ安定的な海運基盤の確立に尽くしている。現在の海運界においても簡単に実現できない航路や港湾などのインフラ整備や、安全や労務に関する仕組みの構築を全国的に行えたのは、幕府の権威が津々浦々まで行き渡っていたことと、瑞賢の卓越した指導力によるものだと云えよう。
旅の2日目は観光列車「海里」の酒田駅発車は15時3分と遅いので、朝から駅前で借りた観光用レンタサイクル(無料)を繰って、こじんまりした酒田の旧市街地を巡ることにした。地域貢献に力を尽くした大地主の本間家の屋敷や、米の集積や保存に造られた立派な山居倉庫は前回に来た時に訪問したので今回はパス。まずは河村瑞賢の銅像の立つ日和山公園を訪れ、そこに置かれた千石船の2分の1のレプリカや、港の場所を示した1813年製造の常夜灯を見学した。次に寄った酒田海洋センターは、港町らしく商船や漁船の展示が豊富で、海運界OBの私にとっても興味深い場所であった。天気に恵まれ、こうして地図を片手に変速ギアもないチャリをギコギコこぎながらの町の散策を続ける。大きな港町には立派な料亭がよくあるのだが、ここでも港からほど近い住宅街の一角に由緒正しそうな料亭が幾つか現存しており、かつての辺りの繁栄を偲ばせてくれる。北前船の船頭は操船指揮だけでなく、各地の特産品を自ら買い求めて、港々で商売する商人でもあり、運送業兼商社の役目を果たしたので、港に北前船がつくと船乗りや地元の商人たちで料亭が大賑いしたそうだ。そんな料亭の一つ 「山王くらぶ」 では、郷土のつるし飾りであるまことに豪華な「傘福」の展示を見ることができ、ここがその昔「東の酒田、西の堺」と謳われ栄えた土地であることを感ずることができた。
北前船といっても、酒田は津軽海峡を抜ける東回りよりも西回り航路で賑わったようだが、それは江戸時代の商業の中心地である大坂が海路で近いことが第一の理由であるらしい。因みに地図で測ると、酒田から関門海峡を経て瀬戸内海を大坂まで行けば直行で約1400キロ、これに対して酒田から津軽海峡を抜けて東京湾までは約1300キロ、そのまま大坂までは約1800キロの行程である。最上川の水運を利用して内陸から運ばれた庄内米や特産品の紅花 (顔料や染料の元で油も採れ当時は人気商品だったとのこと) を酒田で北前船に載せ替え上方に運ぶには、日本海を経由し、瀬戸内海の潮流に乗って運送するルートが効率的であった。日本海は冬場以外は海が穏やかだし、大陸や朝鮮半島との交易を通じて発展した港町が点在する他、瀬戸内には多くの港があり、津々浦々で商売する北前船にとっては、西回り航路のほうが太平洋岸より商売がし易かったに違いない。上方の市況や積み荷の保存状況を考えて、敦賀から琵琶湖の水運に載せ替えたり、舞鶴や小浜から山越えで急ぎ京や大坂へ運んだ物資もあるのかも知れない、などと想像するとこれを調べるだけで老後の一大研究ができそうだ。そういえば能登の黒瓦が日本海沿岸の諸港に広まったのも北前船によるという話を聞いたし、”にっぽん丸”で訪れた佐渡の小木(宿根木地区)は、かつて多数の北前船建造の大工を擁した地であったことを思い出した。酒田の方言は京言葉に近いという地元の話を聞くと、日本の各地は昔から船によって繋がっていたことを実感するのである。
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