順天堂大学・献体遺骨返還式
三年前に亡くなった母は医学の発展に資する志で、生前に順天堂大学の解剖学教室に自らの意志で献体の申し込みをしていた。その気持ちには大いに賛成であったものの、ただでさえ人が亡くなった直後には混乱がおきるなか、葬儀やさまざまな手続きが普通と違う段取りになるであろうことが、喪主となるはずの私にはやや心配であった。実際問題として母が亡くなったのは土曜日の早朝で、遺体は直ちに病院の霊安室に安置されたが、そこには病院詰の葬儀社が配置されており、火葬場やお寺の準備の相談に乗ってくれるルーティンになっていた。特段の注文が無ければ、予算に応じて葬儀の規模・場所や霊柩車の車種から僧侶の手配まで、一貫したサービスを展開してくれるシステムなのである。
ところが母の遺体は献体に供するために、その葬儀社の世話にはなれない。亡くなった直後に、予め登録本人が死亡したら電話をして下さいとあった順天堂大学の解剖学教室の教授の携帯電話番号にかけると、休日の朝のためか誰も電話に応答しないので困った。仕方がないので1時間ほど間をあけて何度か携帯に電話をして漸く話が繋がったものの、この病院にクルマを手配するまでまた数時間を要するとのこと。遺族一同が交代でお昼を近所の飲食店ですませ手配を待つこと数時間、同大学差し回しのワゴンに母の棺が載せられたのは、その日の夕方であった。こうして順天堂に運ばれた母の遺体は、本来なら一年ほどかけて医学生の解剖実習に供され、翌年春に同大学の手配で火葬されて遺骨が返還される予定となっていた。
ところが武漢ウイルスの蔓延で順天堂大学では解剖実習ができず、遺骨返還が大幅に遅れている旨の書状がその後に届いた。すべて本人の遺志で献体登録したものの、この間まだ順天堂大学のどこかで冷凍されたままであろう母の遺体を想像すると、やや複雑な気持ちになったものである。ようやく解剖実習は昨年夏から11月にかけて行われたとのことで、その後順天堂大学により火葬され、結局予定より大幅に遅れて駒込の吉祥寺で数年分の遺骨の合同返還式が行われるとの通知が先日あった。遺族の参加を要請するその書簡には、ウイルス感染予防のため返還式の出席人数は各1~3名にして欲しいとのことで、弟と吉祥寺に出かけると全部で41組の遺族が参集していた。
返還式では医学部長や解剖学教室の教授の挨拶があり、人体の解剖が医学教育にいかに重要かの説明とともに、献体をした故人とそれを認めた遺族へ丁寧なお礼が述べられた。実際に解剖実習に当たった医学部2年生の挨拶からは、初めて本当の人の体を解剖する際の緊張や、その意味の重さが語れられる。そういえば日本における西洋医学の創始者である杉田玄白や前野良拓の著書ターヘルアナトミア(解体新書)は、オランダの解剖学の本だったことを思い出したが、医学生が人体の構造を知るのはまず解剖がその第一歩であるのは論を俟たないのだろう。こうして返還式も滞りなく終了したが、母の遺体が医学のために、また彼らが立派な医者になるために少しでも役立ったのなら、やや面倒だった葬儀手続や大幅な遺骨返還遅延も亡き母の良き思い出になるだろう、と骨壺を抱え吉祥寺の山門を歩み出た。
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