金曜の夜なのに・・・・
昨日は久しぶりの出勤日だった。仕事を終え天気も良いので、たまにはうまいメシを喰おうと妻を呼び出して銀座の天ぷら屋へ向かった。いま我々にできることは少しでも飲食店を援助することだ。妻と待ち合わせてそぞろ歩く銀座は5時過ぎだというのに人通りが少なく、中央通りの歩道も広く感じる。ただこんな早い時間にも関わらず、タキシードやダークスーツでびしっと決めたいわゆる「クラブの黒服」店員がビルの入り口にやけに目立った。どうやら緊急事態宣言で飲食店の営業は8時まで、酒類の提供は7時までと云うことで、普段は8時~9時開店の銀座も夕方の5時から営業しているのだろう。冬とは云えまだ明るさが残る時間、パーマをかけたばかりで職場へ急ぐホステス女性の派手な姿が酔客もいない街路で目をひく。
会社の接待費で昔よく来た銀座のバーやクラブはまだ健在かとビルにかかるネオンサインを見ると、知っている店の幾つかはつぶれたのか営業をやめている。あのママはどうしているのかとビルを見上げているうちに、この辺りも大混雑だったバブル時代の事を思い出した。あの頃はとにかく帰りの足であるタクシーを捕まえるのに必死で、お店に入るなり顧客のためにかかり切りでタクシー会社に配車依頼の電話をしていた。だがタクシーのチケットが乱れ飛んだ時代とあって、夜も更けるにつれ簡単にタクシーが捕まらず、大日本帝国(大和・日交・帝都・国際交通の四社)などはお得意様向け用に電話の裏番号があったし、運転手と個人的に契約している同僚もいた。それでも捕まらない時は寒空の下、土橋ガード下の四社の配車場に並んだが、その乗り場も今はもうなく「強者どもの夢の跡」という言葉が浮かぶ。
そういえば昨春、武漢ウイルス騒ぎが始まった時分には、パチンコ屋で感染すると云われたが結局パチンコ屋からクラスターが出たという事実はなかった。その後はGOTOトラベルが諸悪の根源にように云われ菅首相が批難されたが、GOTOが感染を広げたというエビデンスもなかった。そして今は飲食店やバーがスケープゴートになって銀座は閑古鳥が鳴いている。ここへ来て政府は休業や営業時間短縮に応じない業者には罰則を科すというが、基本的人権を損ねかねない法改正を拙速に強行してよいのか。日ごろ何かというと「人権」「憲法違反」と叫ぶサヨクや憲法学者たちが、今おし黙っているのが不思議だ。小池都知事やら医師会長の上から目線の自粛要請は「欲しがりません勝つまでは」「贅沢は敵だ」と国民に自粛を強いた戦時下を彷彿とさせる。天ぷらを堪能しガランとした銀座の街をほろ酔い気分で家路につくと、早く一億総ウイルス狂騒曲を終わらせ、街に元気が戻ってきて欲しいとの思いがますます強くなった。
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