旧古河庭園
先週の日曜日は、梅雨前の青空の下、北区・滝野川 の旧古河庭園までジョギングしてきた。自宅から約30分、ジョギングも毎日同じコースばかり走るのは嫌だし、評判の庭と今を盛りのバラの花壇の見物をしようと足を伸ばしたのだが、武漢ウイルス騒動も取り敢えず一段落で、園内はそこそこの人たちで賑わっていた。ここはかつて古河財閥が所有していた邸宅で、現在は東京都が管理する文化財庭園である。入場料150円(65歳以上は70円)を払えば、鹿鳴館などを設計したジョサイア・コンドル設計による洋館(別料金)と洋風庭園、京都の庭師・小川治兵衛が造った日本庭園からなる和洋折衷の庭の美を誰でも見物する事ができる。庭園内はそぞろ歩くに適度な広さで、見物者のなかには見合いの席から直行したかのような善男善女ふうのカップルも散見される。
庭園には諸所に傾斜地を利用したバラ園や滝、池(心字池)が配置され、その風情は変化に富んでおり、もとは旧石神井川(藍染川)が上野台地を侵食してできた高低の差を利用して造園したものであろうことがわかる。現在の石神井川はここより1キロほどの北の王子駅付近から隅田川に注いでいるが、江戸時代の初め頃までの石神井川はこの辺りを通って駒込方面に流れており、上野の不忍の池を経由して江戸市中にあったとされるお玉が池に流れ込んでいたと云う。江戸前と呼ばれた東京湾にそそぐ多くの河川が、台地を切り開いてできた谷と坂の織り成す風景が江戸の街の特徴と云えるが、神田川の崖線沿いに造られた椿山荘などと同じように、古河庭園も台地と谷戸の地形差を利用して設計された名園である。
入口にある説明板には「日本の十代財閥の古河家により整備された」と記載されているとおり、古河と云えば足尾銅山の開発に始まり古河鉱業や富士電機などの企業群が有名な財閥だった。もっとも今や旧財閥の三井と住友が一緒になる時代とあって、古河グループと言っても頭に浮かぶのは富士通や朝日生命くらいであろうか。時代は変わり名門企業や財閥と云われた集団が、文化財や広大な庭園を保有し、限られた人たちだけがその鑑賞や入場の恩恵にあずかるような場面も激減した。都内にまだまだ多く残る旧三菱・三井財閥や日立グループなど名門企業の広大な接待施設も、そのうち新興企業に買われたり公営の庭園になって行くのだろうと考えつつ庭園の門を出た。
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