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2019年11月18日 (月)

第50回 明治神宮野球大会

20191118
慶應義塾大学野球部が東京六大学野球リーグ戦で3季ぶりに優勝し明治神宮野球大会に臨んでいる。日曜日は神宮球場で行われているこの大会に応援に行ってきた。明治神宮大会は短い日程の間に高校の部と大学の部のトーナメントがあるため、これまで神宮球場と隣の神宮第二球場両方を使って開催されてきたが、オリンピック準備で第二球場が取り壊され、今年から神宮球場だけで一日四試合消化するという忙しいスケジュールである。そのため日曜日の第4試合にあたる慶應義塾 対 北海道地区代表・東海大学札幌戦は、午後5時近くなってからのプレイボールとなってしまった。この時期、晩秋のスポーツ観戦は寒さ対策が必要で、この日はズボン下にセーターとジャケットを着込んでの観戦である。

明治神宮大会は昭和45年に明治神宮鎮座50周年を記念した奉納試合として始まったとの事で、大学の部は各地区のリーグ戦を勝ち抜いた優勝校、もしくはリーグ戦優勝校の中から選ばれた学校によって戦われる秋の大学日本一決勝戦である。今季は11校が参加しており、東京からは慶應の他に東都大学野球優勝の中央大学や首都大学優勝の東海大学などが出場している。これまで50回の大会のうち東都大学代表の優勝が16回、東京六大学代表の優勝が13回と両リーグの優勝回数が飛び抜けているが、年によって東北福祉大や東亜大学(山口)などの活躍もあり、ふだん馴染みのない地方の選手を見るも楽しいものだ。

観戦した慶應 対 東海大学札幌の試合は、慶應の一方的な猛打で9対0で7回コールドゲームとなったが、点差ほど実力の相違はないように見られた。地方の大学野球では観客もまばらだが、この日は神宮球場で慶應を応援する多くのファンやブラスバンド、チアリーダーの前で東海大札幌もやや緊張したのだろうか。東海大にしては与えた四球やボテボテの内野安打、慣れぬ神宮球場のカクテル光線で幻惑されたかのテキサスヒットで慶應の打者が塁を埋め、そこで長打を喫して一方的な試合になったのが残念だった。逆に云えば四球をうまく選び、敵のミスにつけ込むあたりが東京六大学や東都大学など厳しいリーグ戦でもまれたチームの強さなのだろう。

それにしても暗くなり足元から寒気も伝わるスタンドでじっと試合を見ていると、明治神宮大会の大学の部を観戦に来たのは19年ぶりであることに気が付いた(高校の部は39回大会決勝の慶応高校の試合に来たが)。最後に大学の部を見たのが2000年秋の決勝・慶應 対 東海大戦だが、奇しくもこの日の対戦相手は同じ縦じまの東海大ユニフォーム。当時の慶応は投手はオリックスに行った山本省吾、阪神の中村泰広、西武でプレーした長田秀一郎、バッターはロッテに行った喜多隆志など多士済々の選手がいた。考えてみるとそのころ私はまだ40歳代後半の働きざかり、週末も接待のゴルフなど忙しい中での観戦だった。顧みればその翌年には関連会社に一方通行の出向に出され、ほどなく嫌気がして退社、その後は同業他社で働くなど激動が始まった時期であった。神宮球場で大学野球を見ているとかつての印象的な場面がフラッシュバックし、目の前で繰り広げられるプレーと自分の思い出がシンクロして不思議な感慨に浸れるのである。

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