ANA SFCマイル修行(4) 宮古島
3ヶ月間の予定で行っているANAのSFCマイル修行も中盤である。5月15日は羽田から宮古島への直行便に搭乗し、3時間半ほど島に滞在した後、夕方に宮古島から那覇へ向かった。今回は当日の夜に那覇から羽田へ帰るプレミアムクラス旅割航空券がとれなかったため、やむなく那覇のビジネスホテルに一泊して翌日に帰京する事となった。一連のマイル修行で唯一の宿泊つきの旅である。
初めて訪れた宮古島だったが、沖縄地方は梅雨に入ったばかりの月曜日とあって、宮古市平良の町もひと気が少なくちょっと寂しく感じる。曇り空からは今にも雨が降りそうとあって、さして町も散策せず、みやげ用の菓子を買って早々に空港にとって返す事にした。その菓子が島の人気銘菓、写真の「久松五勇士」である。私は久松五勇士という人たちを寡聞にして知らなかったが、地元では彼らの顕彰碑も建っている島のヒーローなのだそうだ。
時は明治38年5月、日露戦争の最中である。北上するロシアのバルチック艦隊は、極東の拠点ウラジオストックに入港するのに対馬海峡を通るのか、それとも津軽海峡または宗谷海峡を廻るのか。その動静を一刻も早く知る事が待ち受ける我が連合艦隊にとって喫緊の要事であった。その緊急時に宮古島近海で北上するバルチック艦隊が発見されるが、島には電信施設がないため報告ができない。通信局がある石垣島まで宮古島の5人の若い漁師(久松5勇士)が、嵐の中80マイルの東シナ海をくり船に乗って命がけで力漕し、辿り着いた石垣島からの「敵艦見ゆ」の報は、東郷艦隊の日本海海戦の大勝利に結びついたとされている。
この久松5勇士の功績を讃えて作られた島の銘菓は「宮古の黒糖の味と香りをそのまま生かして」いるそうで、白いバニラクリームがバームクーヘン生地に巻かれ、お茶うけなどにちょうど良い。それにしてもマイルの修行に出たのに、こうして日露戦争や日本海海戦の事まで調べる事になるのだから、知らない土地に行くとは面白いものである。帰宅するとANAからは「間もなくブロンズサービスに到達」とのメールが入り、アップグレードやラウンジ利用について若干のアドバンテージを得られるそうだ。あと那覇への往復は4回である。次はどんな出合いがあるのだろうか。
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