北京世界陸上2015
この夏のイベントは北京での世界陸上だった。例によってテレビから流れる織田裕二の饒舌をうざいととるか、陸上競技への愛情満載だとみるかは微妙なところだ、等と思いながら週末は炎熱下の競技中継をけっこう見てしまった。その中で大会を通じて日本選手のメダルがないまま終わってしまうのかと思ったら、50キロ競歩で谷井選手が3位入賞したのは立派であった。ただ谷井選手のゴール直後を写した翌日の読売新聞などは、数ミリとは言え彼の両足がはっきりと地上から離れており、いくらゴールした後の事で彼がよほど嬉しかったにせよ、新聞のスポーツ部校正者は陸上への愛を持って、競技者の恥にならないよう片足が地面についた写真を選べよと注文をつけたくなった。
それにしても世界陸上を見ていて印象的なのは、私が陸上競技をやっていた1960年代~70年代前半に比べ女子種目が大幅に増えた事であろう。因みに1964年東京や68年メキシコのオリンピック時と比較すると、女子でその後に取り入れられた種目は1500米、5000米、10000米、マラソン、100米ハードル(それまでは80米ハードル)、400米ハードル、3000米障害、マイルリレー、棒高跳び、三段跳び、ハンマー投げ、七種競技(それまでは五種)と、今回の世界陸上で行われた女子23種目のうち何と半数以上の12種目にのぼるのである。
記録的にみても女子の棒高跳びは今では5米の高さの争いで、トラック種目を含め総じて我々の時代の男子インカレとそうレベルに差がないのに驚嘆する。ただ、その中では今回の世界陸上で女子1500米が勝負にこだわったのか優勝記録が4分8秒と遅いので、「うん、これなら昔の俺だったら優勝する可能性はあったかなあ~」などとテレビに向かって一人でつぶやいていると「毎度、女子の記録を見ては俺の方が速かったって、男と女じゃまったく別の記録なのにそれに何の意味があるの?」と妻が横でいつもの様にあきれている。それを聞きつつ世界の女子選手の活躍ぶりを見るにつけ、女性は強くなったものだと時代の変遷に今更ながらため息をつくのであった。
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