およげたいやきくん
かつて現役営業職のサラリーマン時代は、この季節になると取引先と連夜の忘年会だった。その当時会社に接待用の寮があったが、12月は多忙な為、たしか鍋料理またはすき焼きかしゃぶしゃぶだけの3択限定メニューとなっていた。毎夜毎夜この3つを順番に食べているうちに胃腸も疲れ果て、たまには吉野家の牛丼やマックなどのジャンクフードが食べたいものだと考えたりしていたのだった。贅沢になれると、その反対が欲しくなるから人間は勝手なものだ。こんな生活を続けているうち、いつか体を壊すのではないか等と危惧しつつ、ようやく年末の休みに辿り付いてホッとするのが、師走の恒例だったと当時がちょっと懐かしい。
今は半分リタイアの閑職組ではあるが未だサラリーマンの身、今週はさすがに職場関連の忘年会が幾つか続いた。飲んでいる間はホホイのホイとばかり調子良いものの、翌日の朝に出社の為に起きると、妻に「う、酒臭い」などと云われるし、体もさすがに辛いものがある。60歳をすぎると、飲んだ翌日はやはり応えるものだ。ユーミンの「12月の雨」の歌詞”雨音に気づいて遅く起きた朝は、まだベッドの中で半分眠りたい♪”と云うくだりは、実は接待に明け暮れるサラリーマンの心情を歌ったものではないか、などとおよそ見当はずれの想像が二日酔い気味でぼんやりした頭に浮かんでくる。
と云う多忙な週であったが、水曜日は予定がなくまっすぐ帰宅。たまたま夜7時の「甦る!昭和の歌謡曲売り上げ・ベスト101」などという民法テレビにチャンネルを合わせると、テレビから流れる懐かしい歌のオン・パレードに思わず引き込まれ、結局3時間番組の最後まで見てしまった。当時の演歌を改めて聞いていると、若い頃はわからなかった歌詞に込められた意味に気づいたり、ピンキーとキラーズやらピンクレディを見て往時の情景を思い出したりと、歌と生活体験が密接に結びついている事を改めて実感した。
ところで番組で紹介された昭和で1番の大ヒットは、何と「およげたいやきくん」だそうである。子門真人が歌う昭和50年の、”毎日、毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれていやになっちゃうよ♪”と云う、ひらけポンキッキの子供向けの歌はサラリーマンの共感を呼んで、なんと450万枚もレコードを売り上げたと云う。往時の12月の連夜の忘年会を思い出すにつけ、サラリーマンも楽ではないなと、テレビにあわせて「たいやきくん」を歌うのである。
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