たった一つの記録
箱根駅伝のナマ中継は全国版かと思っていたら、昨年のお正月を過ごした宮崎ではレースの途中からの放送だったし、今年のお正月にいた石垣島ではまったく中継がなかった。日本のテレビはいつも関東を軸にして流れている訳ではない、と改めて認識した次第である。であるからして、帰京して撮り溜めしていていた年末・年始の娯楽番組と共に、昨晩は箱根駅伝の録画を要所だけ早回しして妻と二人で見た。
妻は東洋大・柏原君の山上りや、早稲田の山下り・高野君の転倒、国学院の10区の寺田君の道間違いなど、もっぱらミーハー的場面だけを早回しして喜んで見ていたのだが、6区復路のスタート地点では、私が出場した昔の画面が昨年に引き続き流されるのではと、早回しをやめて丁寧に画面を見てくれている。最近は過去の駅伝のエピソードを集めた「箱根駅伝今昔物語」と云うコーナーもなくなったから、CMの前に数秒間流される過去のフィルムに注目しなければならないが、早回しをしないでチェックすると駅伝の中継は冗長で結構時間がかかる。
「去年放送したフィルムを又連続して使うかなあ」などと二人で話しながら、画面をチェックしていると、6区の選手がスタートし終わった後に流されるCMの前に、勇ましいファンファーレ風の音楽と共に、見覚えあるちょっと色あせた過去の駅伝回想場面が今年も出て来た。そこには、昨年も見た40年近く前の私が、一斉スタートの他校の選手と競り合いながら走り出していくシーンが映っている。「あ、今年もまた放送された」と新年早々ちょっと嬉しい気分になって、「復路一斉スタート最後の年」にたまたま山下りを走らせてもらった自分の姿を、気恥ずかしい様な奇妙な感覚で眺める。
テレビ中継もなく、箱根駅伝がまだ牧歌的な雰囲気の中で行われていた当時のレース、その中でも私の記録などは高校生でも簡単に出せる様な凡庸なタイムである。しかし伝統の力とか先輩や同僚の応援など、何かの縁があって90年近く続くこの駅伝の一区間を走る事が出来、過去に箱根駅伝を走ったのべ一万人以上になる諸ランナーの、ホンの一すみを穢す事ができた訳である。テレビから流れる一瞬の映像を見ると、永い永い歴史の間に走った一万数千のランナーに混じって、記録は遅くとも、他のだれでもない「私だけの記録」が残っている事がちょっと嬉しくなる正月である。
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