峠の走り屋
最近良く寝ている。夕食を終えて夜9時頃になると、テレビの前で寝てしまう。「そんな所で寝ると風邪をひくわよ」と妻は都度注意してくれているそうだが、そんな言葉もまったく記憶にない。夜中の12時頃ふと目が覚めて、あわててシャワーを浴び歯を磨いてベッドにもぐりこむと、また睡魔が襲ってきて朝7時頃までぐっすり眠る。おまけに翌日、昼食を食べた後は事務所のソファでごろっと横になると、そのまま寝込んでしまい午後2時頃まで気がつかない日もある。今や自営業だから良い様なものの、サラリーマン時代なら「 あいつ、まだ寝ているのか、叩きおこせ 」と怒られたところである。
「年を取ると寝るにも体力が要って、なかなか寝坊ができないものだ」と云われる通り、40歳代から50代になった頃は寝坊しようにも眠れず困ったものだった。当時夏の週末などは、朝の5時頃に目が覚めるともう眠る事ができず、東京から箱根まで一人でよく愛車を駆ってドライブに出かけた。早朝の山道を駆け抜け、渋滞も始まる前に家に帰り着いて朝食を採ると、やっと峠の運転の緊張から弛緩して、うとうとと朝寝できたのだった。休日はそれで良いが、会社に行く日はさすがに箱根をドライブという訳にもいかず、朝まで眠りが続く様に医者から睡眠薬の処方箋を貰っていたほどだ。
その頃からの習慣で、未だに睡眠薬は時々医師に処方してもらうのだが、妻に言わせると「 薬はまったく必要ないじゃない 」「 薬を飲まない日も布団に入るとあっという間に寝息を立ててるよ 」と言い「 あかつきの峠の走り屋はどこへ行ったのよ」とにやにや笑う。自覚と実際が違うのが睡眠だと良く云われるが、妻が指摘する様に自分で考えているよりもっと早く眠っているのなら、最近は眠りすぎるくらい眠っているのかもしれない。
さて年齢を重ねるに従い、寝坊できる様になった秘訣は何かと考えると、やはり運動なのであろう。現在2ヵ月後の東京マラソンを目指して月200キロ強走っているのだが、同じ距離をこなしても若い頃より疲労が抜けなくなるのは当然の事と身にしみる。同じ運動量でも40代ではどうという事なかった負荷が今ではきつくなって、それがひいては睡眠に結びつく様だ。フルマラソンのためにはもっと走りこみが必要なのだが、朝起きるたびに、あちこち痛む筋肉や関節を、やっとの思い出で慣らし慣らししていると、「 もうこれ以上走って疲れると、もっと眠ってしまって生活に響くし・・・」 などとトレーニングへのエクスキューズを考え始めるのである。
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