今日の「私の履歴書」
清酒「月桂冠」相談役の大倉敬一氏が、日経新聞の「私の履歴書」の今月の執筆者で、自分が京都の「ぼん」である事を前面に打ち出していてとても面白い。最近の「私の履歴書」は、自分の才能と努力を披露したいのをオブラートに包みつつ、妙に謙虚な筆致で執筆している様な人が多く、かえって読み手の方が「あの人の普段の言動からしたら、もっと自慢たらたらの方が似合っているのに」と違和感を感じるのだが、大倉氏は「ぼん」の上に「ばか」がつく様な境遇を臆面もなくさらけ出して、本当の金持ちの大らかさを感じさせてくれる。
今日の「私の履歴書」では、「1952年第一勧業銀行に入行した。堂々と書くのははばかれるけれど、コネ入行である」「本店を抜け出して赤坂・溜池にあった・・・ゴルフ練習場に良く通った。ある日、のんびりボールを打っていると、ゴルフ好きの役員に見つかってしまった。まずい、と慌てたが、役員氏はにこにこしながら『そろそろ戻ろうか』。車に同乗させてもらっって本店に帰った。おおらかな時代だった。」とあり、思わずそうだろうなと、にやりとしながら読んでしまう。その他父親にすすめられて祇園で舞妓と遊んだ事など、「ぼん」の面目躍如と云える少年・青年期がつづられていて、苦労物語や成功物語を聞かせられるより余程面白い。
そういえば、以前芝公園にゴルフ練習場があって、若い頃に私も仕事をさぼってよく練習に行ったりしたが、隣の部の部長があちらの打席で球を打っていて、お互い何となく気まずいながら、にっこりと会釈した事を「私の履歴書」を読んだら思い出した。会社の近くに全員超ミニスカの女性理容師ばかりの床屋があって、これまた午後三時頃のんびりと髪を切ってもらっていたら、隣で我が課長が鼻の下を伸ばして、髭を剃り鼻毛を切ってもらっていて、思わず吹き出しそうになった事もあった。たしかにおおらかな時代であったが、大倉氏と違って平民の私は、結局たいして出世もしなかったなどと妙に納得しつつ、コーヒーを飲みながら休日の朝をすごすのであった。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 読売新聞夕刊・インティマシーコーディネーターの流儀 (2025.09.25)
- シニアの秋(2025.09.16)
- ビールはミニグラス、ワインには氷(2025.03.06)
- 八千穂寿司のおいなりさん(2025.02.27)
- 神田川・環状七号線地下調節池(2025.02.24)

コメント