思考停止社会
講談社現代新書「思考停止社会」を読んで、わが意を得たりという気持ちである。著者の郷原信郎氏は、地検の検事などを経て現在はコンプライアンスの専門家として、政府や企業の調査委員を歴任していると紹介されている。
10年ほど前からだろうか、コンプライアンスという”水戸黄門の印籠”が、世の中の規律・規範のすべてを決定するかの如き風潮になった事が私には気持ち悪かった。”コンプライアンス違反”という烙印を押すだけで、法律違反だけでなくモラルやスキャンダル、時としてプライバシーまでがメディアに増幅されてごちゃごちゃに裁かれ、その裏に隠された様々な事実や物事の本質を隠蔽してしまう、という様に見えていたので、本屋の店頭で本書を手にして迷わず講読したのであった。
この本では、不二家の「消費期限切れミルク隠蔽事件」など幾つかの例をあげて、マスコミの見当違いの批判に事の本質が曲げられた事例が書かれている。不二家の場合は、法律違反をしていなかったが、形式上の社内のルールを破った事をメディアに「隠蔽」したと騒がれ、企業が存続の淵に落ちたと云う。実は、私は、この騒動の時に、みのもんたの不愉快な報道を見て不二家に同情を覚え、普段あまり食べない”ぺこちゃん焼き”をわざわざ買いに行ったのだが、其の時にはすでに不二家の各店は休業の憂き目を見ていた。
多民族の集合国家で、法が市民の拠り所として社会が成り立っている米国に対し、法や裁判は社会の特殊なケースを扱うもので、それ以外の社会の規範や調和と云う点については、アメリカと違うやり方で今まできたのが日本である。「 社会内 の多くのトラブルや揉め事は、『法令』ではなく、社会規範や論理などに基づいて解決 」「 当時者や関係者がそれなり自分の頭を使って、あるいは他人の知恵を返りて話し合いをまとめた 」のがわが国であると本書は述べている。特殊なケースを扱う法令は「遵守」して祭り上げて置けば良いが、それ以外の事件は当事者間の穏当な解決、状況を踏まえた判断が求められてきたのである。それが”コンプライアンス”の名の下に、社会の規範・内輪の規則に関した件までが「遵守」すべきものとして無条件に祭り上げられ、メディアによって増幅する今の状況が健全な社会なのか、本書は警告をならしている。
法律は、時代にまったく適合していない箇所も多いので、本来法律は常に合理性を有しているかの検証が必要なのだが、そういう事も”コンプライアンス違反”と云う”水戸黄門の印籠”で片付けて、やらねばならない事を怠る「思考停止社会」の危険性を本書は指摘している。各位ご一読あれ。740円である
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