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2008年12月 6日 (土)

ホンダのF1撤退

ホンダがF1から撤退すると言う。突如の大不況に加え、レギュレーションの問題などもある様だ、年間500億円も使って最近は成績もパッとしないとあっては撤退もやむなしかもしれない。しかし日本のメーカーでF1に最初に参戦、以後中断はたびたびあったものの、ホンダがF1に参加しないのは寂しい限りである。

私が初めて、F1に興味をもったのはホンダが参戦するという1964年だった。まだ免許も持っていない子供だったが、当時から乗り物大好き少年だったから、早速「カー・グラフィック」を本屋で買ってきて(当時のカー・グラは頁数の少ない雑誌だった)F1の記事を読み漁ったものだった。まだスターリング・モスとかマニュエル・ファンジオなどと言う伝説の名ドライバーの名前が記事に散見されていた時代である。その頃活躍したジャック・ブラバムだとかジム・クラーク、グラハム・ヒル(カー・グラだけはグレアム・ヒルと記していたのだが、子供の私はどちらが正しいのか大いに迷ったものだった)などの名前は今でも強烈に記憶に残っている。

1965年最終戦のメキシコGP、リッチー・ギンサーのドライブでホンダが初優勝した時や、67年のイタリア・グランプリでジョン・サーティースが最後の直線でトップに躍り出てハナの差で優勝した際は、興奮しまくりで新聞や雑誌の切り抜きを随分とっておいたものだった。フェラーリやブラバム、ロータスなど西欧の一流メーカーを抑えて純日本製のクルマが勝った、という事は当時は大変な事であった。

1964年の日本グランプリで生沢徹のスカイラインが、式場壮吉のポルシェを抜き去った瞬間をTVで観戦して以来「クルマを自分で買える年齢になったらスカイラインしかない」との誓いをたて、以後何十年もスカイラインを乗り継いで来た位、私にとって初期のカーレースは大きなインパクトがあったものだ。

あの頃、まだ稚拙な日本のクルマが世界の名車と戦ったという事は、「安かろう、悪かろう」から「品質」の日本製製品に転換して行く過渡期の象徴な出来事で、そういう意味からも、シンボリックなホンダの撤退は寂しいものである。

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