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2008年9月 6日 (土)

昭和を点検する

講談社現代新書の「昭和を点検する」保阪正康・半藤一利の対談が面白い。大東亜戦争の泥沼に日本が落ち込んでいった過程を、歴史に詳しい2人の専門家が分析しているのだが、随所に納得する箇所あり、また昭和の初期の世相と今の世相も根っこではあまり変っていない事を感じる。

当時、陸軍・海軍共に、予算の分捕りに眼が行く為に、国際情勢や常識から逸脱した武装や船略(本当の意味で日本に戦略があったかどうかは議論されるところ)を採用してしまう。主的はアメリカでなく海軍・陸軍なのだ。軍隊とは巨大な官僚組織であった証左である。また天皇の統帥権に関して旧憲法の条項にこだわりすぎて、結果軍縮を放棄し軍備拡張にまい進する辺りは、憲法9条論議を彷彿とさせる。 朝日新聞を始めとするメディアが昭和6年を境に「政府の尻をたたいて」軍備拡張を主張し、軍部や国民がその風潮に乗っていく当時の世相などは、「戦後民主主義」を標榜する朝日新聞などが、また同じ事を反対の立場でやっていると常々感じるのである。

これらの本を読んで思う事は、先の戦争は、我々の父祖の代が何か我々と少し違っていて、あるいは当時は特殊な状況であったのではなく、日本社会に内在する基調、日本人の社会の有り様(良い意味でも悪い意味でも)が、当時の国際情勢の下でいわば必然的に日本国を泥沼に引き込んで行ったのであって、決して他人ごとではないと言う事。 現代日本社会を振り返ってみると、この本で指摘されてセンチメントがまだ我々の社会に残されていて、将来、また何らかの危機に遭遇した場合、同じ様な泥沼にわが国が陥っていく可能性がある、とも言えそうだ。

昭和8年、日本が国際連盟を脱退した時、朝日新聞が作った唄。(同書より)
「遂に来れリ 現実と 正義の前に 目を閉ぢて 彼ら(注:国連)が無恥と 非礼なる 42票(注:44票の内、日本の満州進出を認める表1、反対42, 棄権1)を投げしとき、 我が代表は、席をたつ」

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