理科系
ケアンズ沖のグリーン島では、シュノーケルを借りてリーフや泳いでいる魚を見ることができる。さて海へ入っている間に、着替えの服や持参した荷物・水などをどこかに置いておかなければならないのだが、できれば日陰に置いておきたい。砂浜の後ろにはジャングルがあるのだが、この中はちょっと木が密になりすぎ、また地面も湿気を含んでいて荷物置きには不適当。
やはり海岸とジャングルの境目あたりの潅木が茂っている辺りが良い。が、この辺りは太陽の向きと時間によっては陽が直接差し込んでくる気配。海に入っている間にすっかり日向になってしまい、飲料水がぬるくなるのもあまり気持ち良くない。
と、その時、妻はなにやら地面をならして、適当な長さの枝を探し始めた。一体何をしているのかと思っていると、20センチ位の枝を砂浜に直角に差し込んで、陰になっている部分の砂浜に線を引いている。でその砂浜に引いた線から、太陽の影が時間とともにどちらへ移動するかを見て、太陽の動きと影の移動する方向から、今後潅木の陰がどうなるのか調べ始めたのだった。うーん、さすが理学部で物理を専攻しただけある。
私は、大体午後には太陽はこの辺りかと、おおよその見当でいい加減な事を言っていたのだが、なにせここは南半球、太陽は東から出る事はわかるのだが、南が日当たりなのか今ひとつわからない。で突如考案されたこの日時計作戦には「うーん、うまい事考えるものだ」と恐れ入りました。
大体かなりの事を余断をもって、大雑把に入って行く傾向がある、と妻は私の行動を言う。確かにだんだん年をとってくると、いろいろ行動をする際、非合理とわかっていても自分のやり方や永年親しんできた方法で押し通す事が多い。人がこちらが良い、とかこのやり方をしてごらん、と言ったら素直な気持ちで聞く耳を持たないとただの頑固、因習爺さんになってしまうな、とも感じている。お金の使い方やもろもろ理科系的考え方で計算して、モノを買ったり行動している妻に感心する事も多い。老いては妻に従えか。
さて問題の日時計の影だが、いつまでたっても移動しない。そうケアンズは南回帰線に近くこの季節ほぼ真上を太陽が通過していたから、20分位しても陰は短くはなるが位置は変らなかったのだ・・・・・・。とここまで書いてオチにしようかと思ったら、妻は原稿をみて「太陽の動く向きがわかったので、午後に向けて木の反対側に荷物を移動する」ことを考えていたそうである。日時計をただ感心し、影が短くなるので「このままでいい」と見ていた私を「単純王だね」と今、横でほくそえんでいる。
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