2025年7月20日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズから帰って

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7月12日神戸港に帰ってきました。

 

飛鳥Ⅱの世界一周クルーズを神戸で下船し、新幹線で東京に戻って早くも一週間が過ぎた。帰宅した後は、不在の間に大量に貯まった手紙類の整理、車検まで有効期間が一週間もなかった愛車のディラーへの持ち込み、医療機関の定期通院、仕事の取引先への挨拶などで、慌ただしく毎日が過ぎていった。洋上の楽園から一挙に現実に戻って来たわけだが、ふとしたはずみに体が揺れているような感じがまだしており、その感覚が楽しかった日々を思い出させてくれる。どうもこの陸酔い現象は、年齢を重ねる度に、回復期間が伸びているようだ。猛暑と言われていた日本列島だが、この一週間は曇り空の日が多く、体にもそれほど負担になっていないのが幸いである。


今年の104日間のクルーズでは、アジア・アフリカの港に5日、ヨーロッパ諸国で7日間、北米・中南米には12日(含むパナマ運河)と、陸地にいたのが合計24日、残りは海の上という日程であった。2018年の世界一周クルーズでは、102日間に28港(陸上での滞在が32日)の寄港日だったため、旅行代金が高くなった割には、寄港地がかなり少ないことが3月に出発する前はやや不満であった。しかし今回は日本を出て早々に毎日の過ごし方を決め、全行程を通じてマイペースを守ったため、船内生活が自分なりにパターン化されて至極快適に日々を過ごすことができた。まず朝は8時に起床、すぐにデッキを2周(約1000米)ウオーク、朝食はリドで摂り、その後はパームコートで衛星版の新聞を読みつつエスプレッソを一杯、部屋に戻って表計算やメールなどリモートで仕事、11時からの初心者ダンス教室に顔を出し、昼食は抜いて1時間ほどのジョギングが午前中の日程である。


午後1時すぎにほぼ貸し切り状態の露天風呂に飛び込み、その後におやつ兼軽食、午後のラウンジコンサートやら講演を聞くうち、4時からのダンス教室(経験者クラス)に参加、教室の後はリドでビールを軽く一杯(無料)飲んでダイニングでディナー、夕食後のショーは基本的に見に行かず部屋で読書またはネット閲覧の日々である。日によっては新井プロのゴルフレッスンや電子ピアノを借りてのピアノ練習、時々夜のダンス会場に出て軽く踊って帰るなどするうちに、一日が瞬く間に過ぎて行く。この生活に慣れると、港に着いて上陸することが面倒に思えてくるから、不満であった寄港地が少ないのも一切気にならないことが新たな発見であった。船内生活は正に「光陰矢の如し」で、ガラガラの露天風呂から上空を流れゆく雲を眺めていると、「昨日からもう24時間が経ったのか」と驚き、この一瞬が永遠に続いて欲しいと願ったものだった。この様に幸せな時間を過ごせたのは、何より自ら健康であることが第一ではあるが、周囲の理解と協力、また重篤な病人や介護を必要とする親類などがいないことが大きい。これらの境遇に恵まれたことにただただ感謝している。

 

2025年7月 8日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第101日 帰国を前に

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西に向かって日付変更線を超えると、暦の上で丸一日が消滅するという船旅ならでは現象を経験し、飛鳥Ⅱは波穏やかな太平洋を一路日本列島目がけて進んでいる。あと2日で横浜港に到着するが、世界一周クルーズだけは横浜からの乗船者が神戸まで行っても料金が同じという特典を活かして、例によって我々は最終港の神戸で下船、新幹線で帰京することにしている。思い返せば、桜の開花し始めた横浜港で飛鳥Ⅱへのボーディングブリッジを渡ったのがついこの間のような気分もするが、正直に言って、今回はそれほど乗り気マンマン、高揚した気分で乗船したというより、『 飛鳥Ⅱでは最後の世界一周』」という宣伝文句に釣られて「 まあ、行ってみるか」と何となく惰性で予約したという感がなくもなかった。往路、自宅から横浜港の大さん橋に向かう車中では、「あの狭い空間でまた濃密な人間関係が100日以上も続くのか」といささかウンザリさえしたものだった。しかし100日を過ぎ、下船を前にすると、やはり「思い切って乗ってとても良かった」というのが今の感想である。


まずは300名あまりの乗客に対して、それを遥かに上回る数のクルーが精一杯おもてなしの心でサービスをしてくれたことが満足の第一の要因である。かなり慎重かつ真面目に見える渡辺船長だが、船内をよく見回り、乗客の中に気軽に入って寄り添うその姿勢には好感を覚えた。気さくでオープンな三浦機関長からはエンジンの話のほか、クルーの生活などの話もさまざま聞けた。100日間、なるべく乗客が楽しめるように精一杯力を尽くしてくれた多くのクルーの姿を見れば、クルーズ料金を払い込む際には「高い!」と嘆息した価格も、納得以上のお値打ち旅行だったと感じている。気象・海象も我々に味方をしてくれた。見所で雨が本格的に降ったことはなし。わずかにセーヌ川を下る日の河口付近と、パナマ運河の太平洋側出口が雨天だったが、後はほとんどが快晴か曇り空であった。シケの日が続いたのは大西洋横断区間だけにとどまり、デッキでジョギングができずにフィットネスのマシン上を走ったのが僅か10日余りと、これまでの我が世界一周クルーズでは最少の回数であった。その効果があったのか、私自身はこの100日間で体重が3キロほど痩せて、ベルトの穴が2つばかり縮まった。毎日昼にデッキをグルグルと20周(9キロ)ほど走り、露天風呂で大海原を眺めながら汗を流す時間は正に至福の時。ずっとこの時間が続いて欲しいものだと、湯の中から水平線の雲を眺めていた。

 

この世界一周クルーズでは、実質的に全日船内Wi-Fiが無料で使い放題というのが新時代を感じさせてくれる。これがあった為に今回は休職もせず乗船でき、船内で表計算や各種連絡をこなす事ができたことはビジネス上大進歩である。時差の問題やネットの反応が遅い時もあるという問題点はあるが、今や実質的に世界中どこでも船上でリモートで仕事が可能になったと云える。ただしネットのニュースや動画に時間をとられるため、読書の時間が大幅に減るという弊害もある。これまでの世界一周クルーズでは、ライブラリーの宮本輝全集を毎回3巻以上読んだのだが、今回は僅か1巻にとどまっているのは、完全にネットの影響であろう。アルコールがフリードリンクだったことも多いにエンジョイできたが、やはりタダだとついつい飲み過ぎてしまった。毎日毎日、午前と午後の2回、全部で150回近く開かれたダンス教室も勉強になったし、下船を前に開かれたダンス発表会で、多くの前で恥ずかしながら自分のダンスを披露できたのも良き思い出となった。そのほか乗船前に準備した海事・海技の資料を使い、船好きの人を集めて船の説明会を開いたところ、想定以上に多くの人に参加して頂き、好評につき3回も開催できたことは望外の歓びであった。多くの新たな船友ができて彼ら彼女らとは下船後も交流できそうで、今後の楽しみも増えることだろう。

 

帰国を前に7月7日はデッキで飛鳥まつり  クルーは乗客を退屈させないイベント開催に全力で力を注いでいる
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2025年7月 5日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第95日 ハワイを後にして (RUTH'S CHRIS STEAK とPEARL HARBOR)

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PEARL HARBORの戦艦ミズーリ艦上にて

ここまで三食の食事にはとても満足しているものの、フォーシーズンズダイニングで出される洋食は、和牛を中心としたエレガントな肉料理が多い。これが続くと、たまには血の滴るような分厚いアメリカのステーキが欲しくなるから人間とは我儘なものだ。ホノルルに着いて、ちょうど港のゲートを出た前には、東京や大阪にも店があるRUTH'S CHRIS STEAK HOUSEがあるので、停泊2日目の夕方に予約をとって行ってみた。RUTH'S CHRISはアメリカでもそれなりのレストランの上、ここではとにかく物価が高いのが心配だが、航海最後の寄港地だからとつい財布の紐も緩みがちである。久々のアメリカのレストランで、例によって外国人であろうと容赦しないウエイターの言葉の速射砲に戸惑いつつも、グラスワインとショートカクテル、シーザーサラダと16オンス(450グラム)のUSプライムのリブアイ・ステーキを2人でシェア、焼きアスパラガスを付け合わせに頼んでみた。バターと塩の濃厚な味付け、和牛とは一味違う嚙みごたえの牛肉に満足の夕べであったが、気になる値段は合計160ドル、チップ込みで190ドル(2万7千円)と、まず想定の範囲内である。食後のデザートは目の前の船に戻って食べればよいと断り、夜風に吹かれてブラブラと帰船した。( 船に戻って東京のRUTH'S CRISで同じようなメニューならば幾らかを調べるとサービス料込みで2万8千円であった)


ホノルルでは我々が予約した数少ないオプショナルツアーである半日の「真珠湾・戦艦ミズーリ観光」に参加した。予約が取りにくく入場のためのセキュリティーチェックが厳しいとのことで、これまでのハワイ訪問でも何となく足が遠のいていた場所だが、船から気軽に行けるというので参加したものである。かばん類の持ち込みは一切禁止で、財布やスマホなど身に付ける物以外は配布された透明なビニールケースに入れ、貸し切りバスで飛鳥Ⅱ出発した。ゲートではバスの中も隈なくチェックされるというガイドの説明だったが、乗車してきたガードマンは車内に一瞥をくれただけで『OK!』と拍子抜け。日本のクルーズ船からやってきた平均年齢70歳台のシニアグループなどは特段問題なしと思っているようだ。安倍首相が2016年に訪れた追悼施設「アリゾナ記念館」こそ今回のツアーの対象外だったが、終戦時、東京湾で降伏文書が調印された戦艦「ミズーリ」のほか、真珠湾湾攻撃の模様や当時の日米航空機を展示した航空博物館などを見ることができた。両施設とも日本人の女性ガイドによる解説付きで、戦勝国アメリカ側の視点だけでなく、列強による帝国主義の時代に、日本が真珠湾攻撃に至らざるを得なくなった歴史を簡潔に纏めた説明が良かった。ここは日本の修学旅行高校生も良く訪れるというので、「自虐史観に基づいた大日本帝国悪者論ではなく、あなた方のような日本人が正しい歴史を若い彼らに教えて下さい」と彼女らを激励して見学を終えた。


こうして丸3日間のホノルル滞在を終えて飛鳥Ⅱは出港した。毎回、ワイキキやダイヤモンドヘッドを左舷遠くに見てこの港を出る時、「 ああ、これで世界一周クルーズもあとは日本に向かうだけか 」という一抹の寂しさと若干の安堵の気持ちが我が身を包む。船内ではこれまで開催されてきた各種の稽古の発表会が開かれ、衣類や土産物などを自宅に送る宅急便の段ボール箱の販売や、入国のための書類FORMなども配布されているが、本音を言えば「 帰国をそう急かすなよ、ホノルルから下船する神戸まで10泊の太平洋横断の旅が始まったばかり、まだこちらはゆっくりと旅の終盤を楽しみたいのに」という心持ちだ。こんな乗客の心を見透かしたかのように、先日飛鳥Ⅱ「2026年・アラスカハワイクルーズ」が発表され、早めに支払いを完了すれば更に割引になるキャンペーンについて説明会が開かれた。帰国間近い名残惜しい心情をくすぐるかの、次回の売り込みで、飛鳥Ⅱもなかなか商売上手である。いま飛鳥Ⅱは野島埼めがけてまっしぐら、19ノットで全力航走している。日付変更線を超えるこの辺りは太平洋高気圧が強いため、海は凪いで快適な航海中だ。ただこの優勢な高気圧は本船の航行には好都合なるも、これによって日本では7月の初めから酷暑だと聞くと、「 帰心矢の如し」の心境には到底至らない。

たまには分厚いステーキを(RUTH'S CHRISにて)
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2025年7月 1日 (火)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第91日 東京大衆歌謡楽団

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急病人が発生したとのことで、本来は6月30日(月)0700にホノルル入港予定だったものが、サンフランシスコ出港以来、飛鳥Ⅱは毎日19ノットの全速力で航行し、当初より半日以上早く6月29日(日)1500にホノルル港ピア2に着岸した。病人の収容後、29日夕方には乗客も上陸できることになり、図らずも2泊3日と予定より一泊多くホノルルに滞在する事となった。2016年にはここで米国コーストガードの検査が終わらず、出港が遅れたために結果として滞在が2泊となったことがあったが、この時は当初の出港予定時間以降は船に缶詰状態で外出が出来なかった。今回は病気になった方の無事を祈りつつも、結果としてホノルル港で2泊、それも3日間自由に外出できる停泊となり、ちょっと嬉しいところだ。さて、ここまでの船内生活を顧みれば、日常は極めてワンパターン化して、午前・午後2回のダンス教室に毎日のデッキジョギング、夕方はビールを飲むという具合に一日が過ぎ、ディナー後のコンサートや催しはほとんど部屋のテレビでの鑑賞であった。そんな中だが、どうしても会場に足を運びたいと期待していたエンターテイナーが「東京大衆歌謡楽団」であった。音楽はクラシックからポピュラーまで何でも好きだが、彼らの歌う昭和歌謡も好きなジャンルの一つである。


「東京大衆歌謡楽団」は42歳から36歳の4人兄弟による、昭和初期~昭和半ばの名曲を唄う楽団である。長男がボーカル、2男がアコーディオン、3男がウッドベース、4男がバンジョーを担当し、「東京ラプソディ」に始まり「裏町人生」「お富さん」「長崎の女」「ああ上野駅」「高原列車は行く」などの古き良き昭和歌謡を、独特の歌声と風貌でいかにもその時代っぽく聞かせてくれる。彼らは広いレパートリーを誇り、日本全国の神社で奉納演奏をしているほか、街頭での演奏にとどまらず、コンサートも開き多くのオジちゃん、オバちゃんたちの喝采を浴びていることがYoutubeで見ることができる。最近ではラジオでのレギュラー出演もあるというからメジャーとなり人気も出ているそうで、飛鳥Ⅱの世界一周クルーズには初の乗船である。この楽団はカボサンルーカスからハワイまで乗船したが、これには何と日本から「推し活」のオバサマ女性3人も一緒にやって来たのにはちょっとびっくりだ。


10日間余りの彼らの乗船期間に、ギャラクシーラウンジでのメインコンサートが2回、パームコートのラウンジコンサートが1回行われたが、お祭りに湧く神社の境内とはまるで雰囲気の違う飛鳥Ⅱのロングクルーズで、この楽団のコンサートがどこまで受けるかがちょっと心配であった。こんな時は是非とも彼らを盛り立てようと、事前にキャビンでYoutubeの各地の奉納コンサートの様子を視聴して、多くの持ち歌のどこで掛け声が掛かるのか事前にチェックした上で、前の方の席で構えることにした。初回のコンサート当日はやや緊張の面持ちでギャラクシーラウンジに現れた4人に、すかさず「待ってました!」と合いの手を入れ、歌が始まると手拍子を大げさに打ち、乗客ながら彼らに取ってのアウェイ感を払拭しようと気を配るが、傍らに座っている日本から来た推し活ガールズは、ふだんと勝手が違うとみえてひどく大人し目なのが気に懸かる。彼女たちには 「 飛鳥Ⅱたって遠慮するこたないよ。大きな声で一緒に応援しようよ 」と叱咤激励しながらのコンサートである。


彼らのコンサートには「お約束」の掛け声があって、「東京ラプソディ」では「楽~し都」に続き「み・や・こ!」と合いの手を入れ、定番「酒の中から」には3番で「ヘイ!」とこぶしを突き上げるのが「お作法」だ。船内でもこれを知っているであろう我々夫婦と推し活ガールズ3人でステージに届けとばかり大声を張り上げていると、次第にMCを務める次男の舌のすべりも良くなり、皆の顔の表情も緩んだようである。最後は当日の朝食時に私のリクエストした「さよなら港」をアンコールで歌ってくれ ( これは歌う予定になかったようで、知る人ぞ知る、知らない人は全然知らない名曲という前置きが付いた )、終始大満足の夜であった。後で「前の方の席で盛り上がってたのはやはりあなた達ね」と船内あちこちで言われたのは言うまでもない。こうしてあっと言う間に10日間が過ぎたが、クルーズ船のエンターテイナーはコンサートだけでなく、狭い船内で食事や大浴場など他の乗客たちと共同生活を送らねばならない。有名ではあっても碌に挨拶すら出来ないタレントも過去には乗船していたが、「東京大衆歌謡楽団」はその点においても「良き昭和時代」を体現する、とても好感のもてる青年達であった。東京に戻ったら、また彼らのコンサートに行きたいものだ。

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2025年6月26日 (木)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第86日 ナパ ケンゾーエステイトを訪ねて

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雲一つないカリフォルニアの空の下、ケンゾーエステイトのブドウ畑が広がる

世界一周クルーズも残すところあと2週間強、飛鳥Ⅱはサンフランシスコ港のピア27に到着した。観光の目玉、フィッシャーマンズワーフにほど近い町の中心部のクルーズターミナルである。サンフランシスコには出張で随分と来たことがあるし、飛鳥Ⅱでも2011年に寄港しているので市内観光はせず、今回はベイエリアの北、約80キロにあるナパのワイナリー、「ケンゾーエステイトを訪ねて」への寄港地観光ツアーに参加することにした。ケープタウンからの「アクイラ動物保護区サファリドライブ」の旅、ルーアンでの「モネの家・ジベルニー観光」に次いで、今クルーズ3度目となる停泊地から距離が離れた場所へのエクスカーションである。特段ワインに蘊蓄はないし、昔ナパの隣にあるソノマのワイナリーでしこたま飲んだこともあるが、船から離れてアメリカ国内をバスで移動するのも気分転換で良いかと思っての遠出である。


霧にけぶるサンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを渡り、対岸に行けば、風も心地良いカリフォルニアの青空が広がっていた。ナパは冬に雨季、夏に乾期があることに加え、朝夕の気温差があり、ワイン造りに適しているそうである。「ストリートファイター」などのゲームソフト開発で名を馳せた辻本憲三氏が、1990年にここに470万坪の広大な土地を購入、優れたワイン製造を目指して稼働させたのが「ケンゾーエステイト」である。2005年に最初のビンテージワインを出荷して以来、ここのワインは各地で名声を博しており、飛鳥Ⅱの船内だけで飲むことが出来る銘柄があるなど飛鳥クルーズとも関係が深いとのことである。最新の設備に手間・暇を惜しまぬ本格的なワイン製造過程を見学した後は、自慢の各種ワインを試飲しながらの昼食である。ナパの街にある直営の日本レストランから取り寄せた弁当は、船の食事とは一味違ったしっかりした味つけでうれしかった。普段は1000円くらいのワインしか買わない私も、記念に130ドル(プラス税金10ドル)もする「 紫鈴」というワインを買ってしまったが、これも旅の思い出である。


さてここまで来ると、船内の友達の輪が一挙に広がってくる。クルーズ前半には知人であるごく少数の乗船客同士が話をしたり挨拶を交わしていたものが、残りの日数が減るにつれ、警戒心も薄れるのか、お互いの間を仕切る壁が低くなるようだ。ふと気がつくと、ついこの間まで知らなかった人たちと挨拶を交わしたり、共通の話題を探して盛り上がるようになるから船旅とは不思議なものである。一方で最初のうちはやけに仲良いなと傍から見ていたグループがいつの間にか空中分解していることもある。ちょっとしたことで他人に文句をつける人、自慢話をタラタラと垂れ流す人、やたら話が長い人、挨拶をしない尊大そうな人物などの情報も共有されて、食事やお茶の時間に恰好の話題となるのも小さな共同社会空間ならではである。毎日午前と午後2回行ってきた社交ダンス教室は、発表会を開くことになり、それに向けて練習に精を出すカップルが見られる。日本に近づくにつれて、これからコーラス教室やフラダンスの発表会も開かれるとのことで、徐々にあわただしくなりそうな船内である。

2025年6月21日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第82日 カボサンルーカス寄港

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アメリカ人向け観光地 カボ サンルーカス

当初、この世界一周クルーズは、メキシコ西岸の寄港地としてマサトランを訪れるはずであった。それが現地の治安が悪化したとの外務省情報により、クルーズ途中で急遽寄港地がマサトランからバハカリフォルニアのカボサンルーカスに変更となった。両港とも2009年春にロス発着の”サファイアプリンセス”によるメキシカンリビエラクルーズで来たことがあるので、ショックは少ないのだが、カボサンルーカスはアメリア人向けの観光やリゾートの街であり、古くからの港町で人々の生活臭を感じることができるあるマサトランを再訪できなかったことはちょっと残念である。まあ何事も安全第一の飛鳥クルーズなので、僅かな危険の兆しも排除しておくということだろうと、まずは寄港地変更も納得することにした。


それにしても先日パナマ運河を超えて、コスタリカのプンタレナスに向かう頃になると、なぜか海の様子が”太平洋”に変わった気配がしたのだが、それはまったく気分の問題であろうか。透明度は高いが赤い藻や浮草の帯がやたら目立ったカリブ海から、太平洋に来ると海の青さや透明さが日本の海水浴場なみになった感じがしてならない。恐竜の生き残りかと見まごうかの姿かたちが怪異なペリカンをほとんど見なくなり、代わりにアホウドリなどの見慣れた海鳥が船の頭上をにぎわせてくれるのも一因であろう。辞書を引けば、そもそもPACIFICとは「平和な、泰平な、平和を好む、穏やかな、温和な」という意味であり、古代から船乗りたちは、この海が穏やかであることを身をもって知っていたので、PACIFIC OCEAN、太平洋と名を付けたとされる。母なる太平洋に入って日本が近づいた気がして安心する一方で、もうすぐクルーズが終わってしまうと残念な気持ちが入り混じるこの頃である。


今日、船はカボサンルーカスを後にしたが、船長の放送ではこの後はしばらく北風に遭遇するとのことである。そういえば2009年に”サファイアプリンセス”で、最終港であったカボサンルーカスから下船するロスアンジェルスまで北上する道中も、強い北風だった。船首にあるスイートルームを奮発した我々だが、強烈な向かい風でせっかくの広い前向きベランダに出ることが出来なかったことを思い出した。これは春から夏に向かい太平洋高気圧が優勢になり、高気圧の吹き出しによる北風が北米大陸西岸に沿って卓越するための現象とみられる。乾いた北風の一方で、カリフォルニア半島に沿って寒流が北から南に向かって流れるために、ロスアンゼルスなどでは、気温は高くともからっとした「カリフォルニアの青い空」を楽しめることになる。船に乗って日本ではわからない世界各地の気候を経験し、地球規模の気象現象に思いを馳せるのもロングクルーズの醍醐味の一つである。

参考:2009年サファイアプリンセスで訪れたマサトランのブログ「メルカードにて」

 

2009年サファイアプリンセスの最前部スイート、カボサンルーカスから帰路は前からの北風でベランダには出られなかった。
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2025年6月15日 (日)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第76日 パナマ運河を超えて

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今回のナッソーの客船天国

NY出港後、バハマのナッソー、コロンビアのカルタヘナへ寄港し、パナマ運河を通過して飛鳥Ⅱは太平洋に戻って来た。クルーズもいよいよ後半真っ只中である。何日ぶりの太平洋かと勘定してみるが、太平洋と云っても沖縄の辺りは東シナ海と呼ばれるし、どこを起点とするかはけっこう難しい問題である。一応、台湾とフィリピン・ルソン島の間のバシー海峡を抜けた4月4日を太平洋を抜けた初日としてみると、71日ぶりに帰ってきたことになる。ナッソーは例によって入港して来た大型クルーズ船が居並ぶ壮観を楽しみ、カルタヘナでは旧市街を散策、6回目となるパナマ運河(クルマで地峡を往復したこともあるのでそれを入れると8回)では、周囲の友人に運河の仕組みの説明をしたりするうちに太平洋に戻って来た。


ロングクルーズも終盤になると、友人の数が幾何級数的に増えるものである。なにせ300人ほどの人々が、長さ200米の空間で100日間余り、半共同生活を送るのである。船からのツアーで一緒のバスに乗り合わせたり、ダイニングでたまたま隣のテーブルに座った同士が仲良くなり、お互いの知り合いを紹介するなどするうちに一挙に友人が増えてくる。これまで何となく遠慮していたが、この時期、ふとした機会に打ち解けて、思わぬ人となりが分かる時もある。先日は、毎日ダンス教室では会うが、挨拶する程度だった男性が高校の一年先輩と分かり、2学年共通の先生の話題などで大いに盛り上がった。カリブ海で高校の恩師の思い出で笑うとは思いもしなかった。また私が船会社出身というのを知り、息子が大手海運会社に就職したという婦人から声をかけてもらったこともあった。船内の人の輪が広がってくるに連れ、これまで知らなかった船客の情報や、ちょっとワケあり風の乗客の素性が漏れ聞こえたりして 「 ほぅ...!」と頷くことが多いのもロングクルーズ終盤の船内模様である。

 

ここまで来ると、船内生活もかなりパターン化されてくる。朝食はリドのビュフェで洋食と和食を一日置きとし、朝夕2回のダンス教室に出て、昼食抜きで昼にデッキでジョギング。午後一番に空いている露天風呂に飛び込み、5時過ぎからリドで無料のビールを一杯、夕食は私はウイスキーのハイボールで妻は焼酎のロックを1~2杯呑むが、この航海はアルコールフリーというのがなんともありがたいところだ。夜はディナー後のショーやコンサートは部屋のテレビで楽しむという航海日である。この生活に慣れ過ぎてしまい、寄港日はパターンが崩れて、却って上陸が面倒な気にさえなるから困ったものだ。幸いなことにシケの日が少ないので、デッキで走る距離もふえ、乗船して以来ズボンのベルトの穴が一つ縮まった。快適な生活が送れるのも船長はじめ各クルーの尽力と、優れた船内設備のおかげである。「 明日からは黙っていても朝ごはんは出てきません」「部屋に戻ってもベッドはきれいになっていません」との船長のお別れスピーチを聞くまで残り25日ほどである。

 

パナマ運河を超えアメリカ橋をくぐって太平洋に出る
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2025年6月 7日 (土)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第65日~66日 NEW YORK

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NY港ピア90 マンハッタンクルーズターミナルへ着桟

クルーズ第65日目、6月3日、飛鳥Ⅱはハドソン川を遡り快晴のニューヨークに入港した。実はこの世界一周クルーズの始めのステージ、日本からシンガポールまでの区間で、飛鳥クルーズ8代目船長の中村大輔氏の船内講演があり、その中でNYマンハッタン客船ターミナルへの入港が最も難しいとの話を聞いた。よって当港着桟風景がことさら気になってビスタラウンジの前からブリッジワークを見守ることにした。ハドソン川の岸辺から直角に伸びた多くの桟橋の一つであるクルーズターミナルに着けるには、本船を川岸に向かって直角にする必要があるのだが、川の中央で早めに廻頭すると船は真横に川の流れを受けて流されてしまう。潮汐で川の流れが緩くなる時間に着桟作業が行われるにしても、圧流によって押されるのを防ぐために、船首部分だけを着桟する桟橋と上流の桟橋の間に突っ込み、タグのアシストで岸に直角に寄せていく操船が必要になるとのこと。この日は何事もなかったように飛鳥Ⅱは桟橋に着いたが、このような作業を見ていると、さぞ安全には神経を使うことだろうと、クルーズを遂行するスタッフにまずは感謝である。


ここでは多くのクルーが交代するとともに、ルーアン以来久々に本船は港内で一晩停泊した。いよいよこのクルーズも後半へ突入、という気分である。到着するや例によって船からジョギングに飛び出したが、初日は桟橋から約2キロ離れたセントラルパーク公園内の道路を走り、2日目はハドソン川沿いにロアー・マンハッタン方面に走りに行った。ヨーロッパでもニューヨークでも感じたのが、老若男女問わず、来るたびに走る人たちの数が目に見えて多くなったことだ。平日だと云うのに多くのランナーたちが相当な速度で駆け抜けて行き、特に女性の速いランナーの姿が目につく。日本では「なんちゃってランナー」風スタイルが流行りで、膝丈くらいの長さのスパッツスタイルが多いのに対して、ニューヨーカーたちはみな股下の短い、いわゆるランパンで颯爽と走っており見ていて実に気持ちが良い。彼らの走りっぷりに刺激されて、膝の痛みにも拘らず、こちらも両日ともそれぞれ12キロほどジョギングを楽しんだ。


NYに久しぶりにやって来て自分へのみやげで買いたかったものがトランプ大統領の帽子である。2018年に飛鳥Ⅱで来たのはトランプ第一次政権時で、5TH AVENUE 57丁目にあるトランプタワーを訪れたが、あの頃はさして彼のファンということもなく、ビルの地下にあるトランプストアーを冷やかすだけだった。あれから7年、この間バイデン政権はじめ世界ではグローバリズム旋風が吹き荒れたが、やっとここへきて欧州で保守系右派が台頭復活、アメリカでも反グローバリズムの旗手トランプの再選である。対シナへの強硬策、地球温暖化対策の枠組みからの離脱、多様化や移民共生の否定など第2次政権には共感を覚えることが多く、応援グッズを買いたいものだと、走った後にトランプタワーにまたやってきた。" MAKE AMERICA GREAT AGAIN"と大書きしたお馴染みの赤いキャップを買おうと手にしたが、これは彼の頭の形に合わせているのか、字数が多すぎるためか額の部分が大きすぎてどうも私の頭になじまない。と云うことで今回購入したのが、40ドル(もちろん米国製)の写真のキャップである。ただこれを被ってリベラルの多いNYの街を歩くのはさすがに気が引けたので、日本に帰って使おうと思っているところだ。

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快晴のセントラルパークにてジョギング

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MLB公式ストアで買った大谷翔平Tシャツとトランプタワーで買ったトランプキャップ

2025年6月 6日 (金)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第63日 ボストンMTAと"USS CONSTITUTION"

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"USS CONSTITUTION"

 

英国ティルベリー港を出て丸8日間、大西洋横断中は雨、強風、霧、シケと悪天候が続き、ここまで継続してきたデッキのジョギングをあきらめ、フィットネスのランニングマシンに切り替えて過ごした。6月1日、クルーズ第63日目、飛鳥Ⅱは米国マサチューセッツ州ボストンに入港。以前この地に来た時には、ボストン美術館見学やフェンウエイパークでレッドソックスの試合観戦をしたから、今回はどうするかしばし思案にくれる。まずはBee Gees のかの有名な"Massachusetts"を部屋のパソコンのYoutubeから流しながら久しぶりの入港気分を盛り上げてみた。ほかに当地に因んだ音楽がないかとつらつら考えていたら、ふとキングストントリオ(Kingstone Trio)による往年のヒット作 ”MTA"の歌詞が浮かんできた。彼らの"MTA"(Metropolitan Transit Authority)は、アップテンポの愉快な歌で、ボストン地下鉄の料金改定により、出口改札の清算金10セントを払えなくなり、永久に地下鉄に乗り続けるはめになった、チャーリーという男を歌ったプロテストソングである。


"MTA"で思い出したが、ボストン地下鉄は米国最古の地下鉄だと云うので、ここでは地下鉄に乗って、チャールズタウンにある米国海軍の最古参である現役艦、帆船"USS CONSTITUTION"を見学することにする。と云うことで地下鉄の乗り方を調べてみると、出札口のマシンでチャーリーカード(SUICAのような交通系カード)またはチャーリーチケット(一回券)を買えとある。なんでも2000年代の乗車券のシステム化に際し、歌で風刺されたチャーリーに捧げるために切符の名称を彼の名前にしたとのことで、いかにもアメリカらしいユーモアに満ちた名付け方が笑える。そのチャーリーチケットを買おうと、地下鉄の入り口に行くと、なんとこの日は、目的地までの路線「オレンジライン」が運休とのことでまずは肩すかしを食らってしまった。仕方なく市営フェリーを使って、チャールズタウンまで往復することにしたが、このフェリーはチャーリーチケットが使用できないとのことで、キングストントリオ由来の切符には今回はご縁がなかった。


ボストン市街からチャールズリバーを挟んだ対岸にあるチャールズタウンには、海軍の施設跡や造船所跡が歴史公園として保存されており、第2次大戦で神風特攻隊に体当たりされ生き残った駆逐艦”カシン・ヤング”("USS CASSIN YOUNG")や、いまだ現役艦で米海軍最古の”コンスティテューション”("USS CONSTITUTION")が展示されていた。"USS CONSTITUTION" は2,200排水トン、長さ93米、3本マストの帆船で1797年にボストンの造船所で建造され、1812年の米英戦争などで活躍した軍艦である。ここでは一般に公開されているが、驚くべきはコンクリートで据え付けらえた遺構などではなく、まだ水に浮かんでいる本物の軍艦なのである。艦上見学には手荷物検査の他ID提示が必要で、実は昨年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズで、この地を訪問した友人から、IDチェックが厳しいのでパスポートコピーでなくパスポート原本持って行った方が良いと聞いていた。よって急遽パスポートを飛鳥Ⅱから一旦返してもらっての訪艦である。


現役の軍艦とあって、"USS CONSTITUTION"の入り口は案の定、厳格な荷物検査とIDのチェックがあったが、日本のパスポートは原本の赤い表紙を見せただけで「Japanese OK!」と顔写真もあらためず通過させてくれる。日本国パスポートの威力はなんとありがたいことか。艦内に入るとこれまた海軍の若い現役水兵が細かい疑問点に応えてくれ、「どこから来たの?」と聞いてくる。「東京から」と答えると「横須賀が母港だった空母”ロナルド・レーガン”に乗っていたよ。銀座とか新宿とか楽しかった。」とひとしきり話もはずんだ。傍らのコンスティテューション博物館では、当時の水兵採用の際の超簡単なテスト要綱(字があまり読めなくてもばほぼ受かる)や艦内生活の実際など、およそ博物館らしくない生き生きした展示が楽しく、ゆっくりと見て回るうちに、久々の寄港地上陸の時間は瞬く間に過ぎ去っていった。

 

追記:チャーリーやらチャールズの名前が多いのは、1600年代にこの地が地図に掲載される際の英国王子がチャールズだったことに由来するらしい。

2025年5月28日 (水)

飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ 船内同好会 フネのあれこれ

20250527
コンパスルームにて

これまでの世界一周ロングクルーズの最中、船内で顔見知りの人が増えると、デッキの上などで「あの船は何を運んでいるの?」とか「いまパイロットは乗っているのでしょうか」などの質問をしばしば受けてきた。一方で見知らぬ乗客同士で、船や海運に関する話をしているのを耳にする機会も多かった。だが「あ、これはこういうことですよ」と内心分かっていても、他人の会話にわざわざ割り込んで知識をひけらかすのは憚られる。クルーズは非日常の世界とあって乗客それぞれ疑問が湧くことも多いのならば、いっそ情報交換の場をつくり、船に関する基本的知識を興味ある人たちと共有できたらと、乗船前から写真を整理するなど資料を準備してみた。世界一周などのロングクルーズでは、船が主催する催しだけではなく、同好の士が自主的に運営するコミュニティが「同好会」として活動できるのである。

 

飛鳥Ⅱでは、発起人と他6人の賛同者あれば「同好会」として認められ、空いているパブリックルームや設備を使える。麻雀やアロマ愛好者、ヨガなど有志が集まって船内で活動するだけでなく、過去には専門の分野の講義をした学者の乗客もいた。ということで、船内で新たに友人となった人たちに「フネの話をしたい」と同好会立ち上げの趣旨を話すと、みな「大いに結構」と賛同者リストに名を連ねてくれる。題して「クルーズ船から見るフネのあれこれ」という同好会で、張り紙告知の上、第1回目は5月5日にウオルビスベイを出てテネリフェへ向かう区間で開催してみた。妻に助手としてパワーポイントの操作を依頼しながら 船内コンパスルームで、国際信号旗の意味、船舶のトン数、航海灯、船の種類などを解説し、質疑応答で締め切った。コンパスルームは会議室兼多目的ルームで、一体どれくらいの人が興味を持って聞いてくれるのか半信半疑で始めたところ、ほぼ部屋の定員一杯の約30名の参加者があり、嬉しい驚きとともに、多くの乗客がフネに多少なりとも興味があることが伝わってきた。


「同好会」は仕事でもないし、一回やれば良いかなと思っていたところ、参加者から「良かった」「もう一回やって」の声をいただき、意を決して2回目をティルバリー出港の翌々日に開催。自動車運搬船の内部を走るクルマから撮影した自前の動画や、タグボートのブリッジでの操船状況などの手持ちのビジュアル系資料のほか、なぜ”ダイヤモンドプリンセス”は日本一周クルーズでも釜山に寄港するのか、船舶は他国の沿岸を勝手に走ってよいのかなどの海事政策の話もおりまぜる。船から出た汚水やごみはどこに捨てるのか、など皆が興味を持ちそうな話題もとりあげ、活字にはし難い裏話などをしていると話があちこち脱線してしまい時間が足りなくなった。2回目も質問が多く予定の45分をオーバーして終了。「飛鳥Ⅱからは一銭もいただいていません」と笑いを取ると、「続きを希望」の声援が多く、3回目はお茶でも飲みながら、茶話会形式で知識を共有できたらと思案中である。次は進水式で支綱切断しても滑り降りなかった船の話などをしてみようか。

 

パワーポイント資料の一部
20250527_20250528075501

«飛鳥Ⅱ 2025年世界一周クルーズ第54日 ティルベリー寄港

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