2025年11月 3日 (月)

飛鳥Ⅱ 2026年 「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」

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「飛鳥Ⅲ」と洋上の邂逅 2025年5月セントヘレナ島沖で「飛鳥Ⅱ」より

 

「飛鳥Ⅱ」による2026年「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」の支払いをようやく終えた。我々にとっては「飛鳥Ⅱ」による最後のロングクルーズと考えているクルーズである。料金については10月31日までに全額支払えばグランド特別割引として25%オフだったので、いろいろ工面して費用を捻出したのだが、支払い後になんと期限が12月まで延期されたと聞いて何やら拍子抜けである。「飛鳥Ⅱ」は来年1月~2月に36日間の「アジアグランドクルーズ」を行うので、直後に設定された4月末から46日間の「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」の集客はそう容易ではないだろうと想像していたが、案の定、乗船希望者の出足が予想を下回っているのであろう。いきなり割引条件を12月末まで延長するならば、それを知らずに10月末までに料金を支払った我々のような乗客には、オンボードクレジットなりアルコール飲み放題なりのアドバンテージを提供しろ、と声を大にして言いたい。


いま日本船の置かれた状況はと見ると、郵船クルーズはこの夏「飛鳥Ⅲ」が就航して2隻体制となり、商船三井クルーズも「三井オーシャンフジ」と、来年5月に引退する「にっぽん丸」の2隻が同時運航となって、瞬間的に市場は供給過剰状態のように思える。すでにお馴染み「ダイヤモンド・プリンセス」の他に「MSCベリシマ」や「バイキング・エデン」などの外国船も我が国のマーケットに参入しており、30万人と云われる日本のクルーズ客人口を内外船が入り乱れて奪い合っているのが現状だと云えよう。この様な状況もあって、新しいクルーズスタイルを模索すると云われる「飛鳥Ⅲ」は、従来のクルーズ愛好者たちにはあまり評判が芳しくないようで、「飛鳥Ⅱ」と市場を分け合って営業がなかなか大変なようだ。郵船クルーズは、来年は「飛鳥Ⅱ」を主にロングクルーズに投入する一方で、国内市場向けには「飛鳥Ⅲ」スタイルの普及を図る目論見なのだろうが、新規の顧客を獲得したり、リピーターに乗船を促すには「飛鳥Ⅲ」の料金設定があまりに高すぎるのではないかとまずは注文をつけたい。


詳しい資料は持っていないが、クルーズ船の通である何人かの友人の情報やx(ツイッター)によれば、当初、いろいろ不具合が伝えられた「三井オーシャンフジ」は大幅割引の効果も出て集客が好調であり、お別れ間際というノスタルジー効果によって「にっぽん丸」もそこそこの乗船率とのことだ。一方で就航直後に「飛鳥Ⅲ」に乗った人たちは、新しいものが大好き、例えばクルマで言うならば「テスラ」をいち早く購入するような層だと考えられるから、いまEVがさして売れなくなったように、乗船が一巡した後に、彼らがリピーターとして定着するかは非常に興味深いところだ。「飛鳥Ⅲ」では船内を盛り上げるエンターテイメントクルーはおらず、ダンス会場はおろかショーやゲストエンタテイナーなしで、「乗ってて退屈しちゃった」と、「飛鳥Ⅱ」のヘビーリピーターだった友人たちの声も漏れ聞こえる。さらにこの船のバルコニークラスの乗船客は、ご自慢のスぺシャルティレストンを当面予約できない不具合に不満が大きいそうだ。これらの反響をどう捉えるのか、来年の郵船クルーズの行方に注目である。


さて乗り慣れた「飛鳥Ⅱ」のロングクルーズは、一応2026年の「アラスカ・ハワイグランドクルーズ」で打ち止めとし、その後は「飛鳥Ⅱ」の短いクルーズは乗るにしても、主にヨーロッパのリバークルーズなどに挑戦しようと思っているこの頃である。後継の「飛鳥Ⅲ」はごく短い航海に限って、どんな雰囲気なのか試し乗りこそしてみたいものの、この船がネット時代の静かな新たなクルーズを追い求めるなら、あまり魅力は感じないであろう。クルーズは非日常の世界である。ツンとすましてスノッブを気取るより、デッキディナーに盆踊り、皆で楽しく歌ったりダンスをしたり、あるいはオシャレをして弾けるのがクルーズの楽しさだと思っている私としては、設備が素晴らしい上に予想に反して船上のノリが良かった「三井オーシャンフジ」の方が、今や「飛鳥Ⅲ」より魅力的に映る。逆にうんと背伸びをするなら、先般見学した「リージェントセブンシーズ」など本物のラグジュアリークラスの外国船に乗って、久しぶりに英語やマナーで苦労するのも究極の非日常で一興ではないか。3年後にはディズニークルーズも日本に参入する。各船、多種多様なサービスを展開することだろうが、今後どのスタイルに人気が集まるのか注目したい。

 

快適だった「三井オーシャンフジ」2025年夏 佐世保にて

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2025年10月29日 (水)

リージェント・セブンシーズ・エクスプローラー号見学譚

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落ち着いた雰囲気の図書コーナー(日本語の本は置いてなさそうである)

ラグジュアリー船の中でも最高峰に位置する「リージェント・セブンシーズ・クルーズ」の「セブンシーズ・エクスプローラー号」船内を見学する機会があり、お台場の東京国際クルーズターミナルに行ってきた。「セブンシーズ・エクスプローラー」は55,254総トン、2016年にフィンカンチエリ(イタリア)で造られた同社5万5千トン型基幹3隻シリーズの第1船で、サイズからするとちょうど飛鳥Ⅲと同じくらいである。ラグジュアリー船と云えば2万~3万トンの小型船がこれまで多かったが、最近の例にもれず、リージェントのフラッグシップも、この大きさに拡大されているのである。同船はこの秋に日本を中心としたクルーズを2航海実施しているそうで、今回は1航海目と2航海目の間の東京港寄港を利用しての見学会となった。ラグジュアリー船の中でもラグジュアリー、値段もさることながら、同社のクルーズでは乗船料金にショアエクスカーションの参加費用もすべて含まれていると云うこともあってか、多くの乗り継ぎ乗船客は東京や近郊の観光地に向かったようで、船内はガラガラであった。よってこの日は我々もゆったりと内部を見て回ることができた。

 

船内に踏み入れると、廊下やパブリックスペースは、重厚なマホガニー様の木目板を施したビクトリア調のしつらえで、照明もそれほど明るくないことに気付く。天井にはシャンデリアがそこかしこに目立ち、床をみれば大理石をあしらったスペースも多く豪華な雰囲気を醸しだしている。これまでにも何隻かのラグジュアリー船を見学したことはあり、先般乗船した「三井オーシャン・フジ」も元はラグジュアリークラスの船だったが、ここは他の同クラス船とは一味違うぞとばかりの主張を感じさせてくれる内装である。このオーセンティックな重厚感は、いかにもアメリカ人のアッパークラスに好まれそうな作りだと思えるし、乗客数は700名余と飛鳥Ⅲなどと同等とあって、船内各部の配置がゆったりしていて居心地は良さそうだ。この日まず案内された「リージェント・スイート」はキャビン面積が412平方米もあって、その広さと豪華さにまず圧倒されたが、こんな部屋にもし泊まることが出来たとしても、私なら一日中「スマホはどこに置いた、読みかけの本は?今度は老眼鏡が見当たらない」と大騒ぎして、妻の顰蹙を買いそうである。もっとも、どう間違ってもこんな部屋に宿泊する機会は生涯ないだろうが…。

 

続いて、ペントハウス・スイートやベランダ・スイートなどの(この船の)標準的かつ快適そうなキャビンを見て回ることが出来た。わずかながら船内に残った乗船客も、みないわゆる西欧系白人シニア層ばかりのようで、カリブ海域のクルーズ船のようなタトゥーまみれの乗船客などはまず見当たらない。こうしてみると「セブンシーズ・エクスプローラー号」船内の、「乗客の織り成す雰囲気」も相当レベルが高そうだ。ただ日本人乗船客にとって問題なのは、これらの客室のうちバスタブが付いているのは3割だけで、7割はシャワーのみとのことで、こうなると長いクルーズは躊躇する向きがあるかもしれない。また当然のことながら、最上級の「リージェント・スイート」をもってしてもウォシュレットが設置されていないというのは、大いに気にかかる点である。最近は、露天風呂から大海原を眺めるのがクルーズの醍醐味などと思っている私からすると、いくらバトラーが付こうと、大浴場やウォシュレットの快適さがない辛さは旅程が長くなればなるほど勘弁して欲しいところである。

 

この日は無料の見学・説明会だったにも関わらず船内フランス料理レストランの「シャルトリューズ」でゆったりと豪華昼食会が開かれ、南ア産の赤白ワインを楽しみながら、本格的なフランス料理を我々も堪能することができた。若い頃は、日本人は我々だけという海外のカジュアル船乗船にフライ&クルーズで幾度かチャレンジしたこともあったが、齢をとって来ると段々と日本船の気楽さに甘えるようになり、風呂とウォシュレットのない生活、醤油気のない横メシ(横文字をしゃべりながら食べるご飯)が堪えがたくなってくるものだ。とは云え、一方でこんな贅沢な空間に身を浸すのも短時間なら良いかも、とも思えてくる。となると長いクルーズなら日本船に乗るとしても、一週間くらいなら圧倒的な高級感に包まれたこのようなラグジュアリー船で、例えば地中海などをぐるっと回ってみるのも悪くないかと思いつつ舷門をあとにした。

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スタインウエイ&サンズのグランドピアノが置かれたリージェント・スイート

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部屋にプライベートサウナまである最上級の船室だが...

2025年10月22日 (水)

ねんりんピック岐阜2025に参加して~夫婦でのマラソン出場記

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ねんりんピック岐阜2025開会式

この間の週末、ねんりんピック岐阜2025にマラソン競技の東京代表として夫婦二人して出場してきた。ねんりんピックは正式名を「全国健康福祉祭」と云い、原則毎年一回、日本全国持ち回りで開かれ、今年で第37回目となる60歳以上のスポーツと文化の祭典である。この大会は厚生労働省、開催都道府県、長寿社会開発センターが主催、スポーツ庁が共催するシニアの為の国民スポーツ大会(旧国体)のようなイベントで、今年は「清流に輝け ひろがれ 長寿の輪」と銘打って、岐阜県各地で25種目に亘る競技や文化交流が実施された。47都道府県代表プラス、各政令指定都市から選抜された計約1万人の参加選手の他に、地元市町村関係者や学生生徒、ボランティアなど延べ60万人が何らかの形で大会に参加すると云うから、地元開催県にとっては一大イベントである。開会式には皇室の臨席を賜り、県知事始め県政の重鎮も出席とあって、警備はもとより大会をスマートに運営するロジ周りも万全が期されていた。出場する選手の選抜方法は、各県別にそれぞれの競技団体に任されており、東京都のマラソン代表は、昨秋行われた東京都および東京都スポーツ協会主催の、シニア健康スポーツフェスティバルのマラソン大会の一発勝負を勝ち抜いてきた選手である。

 

マラソンの部は、海津市にある長良川河川敷コースが会場で、男女とも60歳未満の部と70歳以上の部でそれぞれ3キロ、5キロ、10キロの3カテゴリーに分かれていた。私は60歳台前半で栃木と長崎で開催されたねんりんピックに出場したことはあったが、今回は9年ぶりとなる70歳台3キロへの挑戦である。妻は60歳台で初めて10キロのレースに出場することになって、なんとなく出発前から落ちつかない様子だ。社交ダンス種目などを除き夫婦そろって参加するのは極めて珍しいそうだが、過去の出場経験もあり、妻には悪いが私自身はハナから遠足気分のリラックスムードだ。団体で現地入りする往路の新幹線では、乗った瞬間からプシュと二人で缶ビールの栓を抜くと、周囲を見れば誰もそんな選手は見当たらず、ひそかに期するものがあるのか、みなレース2日前というのに真剣な面持ちである。「酒を少々飲んだって、一晩寝ればどうって事ないよ、旅費の補助もあるし、折角の機会だからもっと楽しめば良いのに」などと内心思うも、最近はさまざまなランニング雑誌などで「速く走るには」やら「レース前のコンディショニング」などの細かいアドバイスが記されていて、それらに感化されるのか、一同シリアスランナーモードになって、レース前を真面目に過ごす処が日本人らしい。

 

雨が心配されたレース当日は、曇り空、微風と絶好のコンディションとなった。夫婦2人とも記録などはあまり気にせず、成り行きで楽しく走ることを心掛け、まず10キロの妻は男子10キロの部の60/70歳台選手と一緒にスタートして行った。その後5キロのスタートを見送り、追って3キロの部も男女全員が一斉にスタートである。この種の大会のキロ表示はあてにならないことが多いので、時間は気にせず気持ちよく走る事と、大体において先行した者がバラバラと落ちてくるから、最初から気負わずに自分のペースを守ろうと云う二点が妻との事前確認事項である。最初オーバーペース気味で突っ込んで、そのまま後半を我慢するほうが結果が良いランナーもいるが、私は後半バテると酷い結果になるので、スタートダッシュしないのがシニアになってから心掛けている点である。号砲一発、走り出せば長良川沿いコースは景色も良く、3キロなどはあっという間のゴールであった。後ろから先行する人々をスイープしていったため、自分は一体何番だったのだろうと思っていると、「おめでとうございます、(70歳以上)3番目です」と高校生らしき補助員の女の子が、3番を示すストラップを首からかけてくれた。過去のねんりんピックでは、いずれも4位だったので、今回は以前より少し豪華なメダルと、立派な美濃和紙製の賞状もいただくことになり、順位は気にしていなかったもののそれはそれで嬉しい結果となった。


しばらくして10キロレースの妻が目標としていたタイムよりも早く戻って来たが、同じ東京の70歳台の選手と競い合っている。この選手は昨秋の予選時にトラックの周回レースで3位を走る妻にコバンザメのように付き、最後の直線でスパートして力の残っていない妻を抜き去り表彰台に立った選手である。「抜いちゃえよ」と声をかけたが、「もうムリ」と今回もまた後塵を拝しながらのゴールで、結果は彼女は70歳以上の2位、妻は60歳台の7位であった。最初は先行していたその選手が徐々に落ちて来たそうだが、妻が後ろから余裕しゃくしゃくて追いかけていると思い、その後は落ちないように必死に頑張ったそうである。またも同じ人をアシストすることになった妻だが、のちにその選手が大学の大先輩だったことがわかり、ペースメーカーとなって感謝されると共に、「何かご縁があったのよねぇ」と奇遇に感心すること仕切りであった。表彰セレモニーではカテゴリーごとに8位までの選手が呼ばれ、4位以下のメダルは金銀銅メダルより少し小さく、また賞状は普通の用紙に横書きであった。夫婦二人がそれぞれ選抜されて同じ大会を走り、二人ともメダルと賞状を貰えたのは望外の喜びであった。因みに東京都のマラソン選手団10名は優勝者のほかに上位入賞者が多く、さすが東京と周囲からほめれていた。

 

(手許で1位8点、2位7点、以下8位1点として集計すると東京都は合計36点(選手10人)でトップ、政令指定都市の浜松市も同点トップ(ただし選手6人)、ほかに静岡県は合計27点(選手6人)を取っているので、県単位とすれば静岡県がダントツで強い。さすが陸上王国)

 

銅メダル(上)と入賞メダル(下) 左は記念に購入したTシャツ
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ねんりんピック栃木(2014年10月・真岡)
ねんりんピック長崎(2016年10月・諫早)

2025年10月11日 (土)

中味のなかった石破所感 『なぜあの戦争を避けることができなかったか』

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今日の読売新聞に掲載された「石破所感」と最近読んだ『あの戦争は何だったか』辻田真佐憲著(講談社新書)

 

昨日発表された6000字超と云われる「石破所感」を全文読んだが、何も書かれていなかった。安倍首相の戦後70年談話を上書きしたいとのことで、思わずひっくり返るようなトンデモ所感かと思ったが、この程度なら大東亜戦争へ至る道を新書本などを数冊読んだことのある人なら誰でも書ける内容である。なにやら歴史を学ぶ心構えを青臭い新任教師から諭されたような中味だとも云える。統帥権の干犯やら美濃部天皇機関説を持ち出して彼は喋っているが、これらは従来さんざん議論されてきた問題であり、わざわざ蒸し返さずとも 「そんなことはとっくに分かっている」、「何を今更」という内容だ。石破総理は「なぜあの戦争を避けることができなかったか」(所感冒頭)と云うテーマをどうしても述べたかったそうだが、そうだとすれば当時の我が国を取り巻く東アジア情勢という一番重要なことに触れていないのかが 「所感」を読んでまず最初に浮かぶ疑問である。そこに敢えて触れないところが、この人のセンスのなさを物語っているようだ。この全文を2回読んでみたが「何でこんなもの出す必要があるの?退任を前にした、ただの自己顕示欲?」と云うのが読後の感想である。

 

当時はフィリピンを含む東南アジアの殆どが欧米列強の植民地であったこと、シナや朝鮮半島は匪賊が跳梁跋扈する混沌の地であったこと、なによりロシア(ソ連)の南下が恐れられていた状況だったが、それに触れずして、我が国だけの在り方を議論しても意味がないことは、誰でもが直ちに考えつくことだ。資源を持たないにも関わらず、アジアで国民国家として一早く立ち上がり、独立自衛を果たさねばならなかった当時のリーダー達の労苦を顧みなければ正確な判断など出来ようもない。「なぜあの戦争をさけることができなかったのか」を追求したいのであれば、分裂していたシナの国内状況、新たなフロンティアを求めて太平洋を西進してきたアメリカとの確執、特にルーズベルト大統領が大戦への参戦機会を強く求めていたこと、ソ連共産主義の驚異などの諸情勢を考慮に入れる必要がある。その分析を踏まえた上で、我が国の国内体制の不備や制度上の問題点、メディアの好戦的報道姿勢を語るべきであろうが、自分ならそうはしないとばかりの後付け、かつ上から目線の組織論的な論考ばかりが石破所感には目立つ。我が国が置かれていた状況を一切捨象したかの『独白』は、日本近代史の試験なら100点満点の30点ギリギリというのが相場だと云える。


さて予想されたことだが、高市さんが総裁に選ばれた瞬間から、メディアやサヨクの一斉攻撃が始まった。その中で何とも喜ばしいのは、公明党の連立政権離脱の報道である。外苑東通りの信濃町近辺をクルマで通る度に、道路の両側に立ち並ぶ創価学会本部始め新しく立派な建物群を見て、一体この金がどこから来るのか、シナからか?といつも不愉快になるのだが、かつては「折伏」でよその家に上がり込んでその家の仏壇を壊し、今やシナ共産党の下僕となる政教一致の迷惑集団が、自民党の足かせから失せるのである。何とも喜ばしいことではないか。かつて石原慎太郎氏が「公明党は必ずや自民党の足手まといになりますよ」と安倍さんに注意したとおりの展開で、いまここで縁が切れるのは自民党にとっては、将来に向けてもっけの幸いだと云える。公明党の応援が無ければ当選できないような自民党議員は落選していなくなれば良い。この後、高市さんが総理大臣として選ばれるか否か注目されるが、自民党が野に下るのもまた善しである。足かせが消えて少しは右に寄ってまともになる自民党 vs 理念がまったく不一致の野合寄せ集め連合という構図になれば、どちらが日本国の為になるのか、国民にはこの後のいろいろな選挙で判断する大きなチャンスがやってくる。

2025年10月 7日 (火)

田園都市線 梶が谷駅の列車事故

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>画像は「日テレ鉄道部」のx投稿より。事故について分かり易く解説。

 

田園都市線の梶が谷駅で列車接触事故があり、通勤・通学の足が大混乱したとニュースになっている。20年以上前になるが、永年に亘り、この駅を利用していたので事故のニュースにはとても驚いた。今から思えば梶が谷駅には色々な特徴があって、それが今回の事故の遠因になっている気がする。渋谷駅起点12.2キロ、この駅は谷間のような場所にあり、構内両端がトンネルに阻まれている大きなカーブの場所に設けられている。そのため、見通しが良くない上に、多摩丘陵から多摩川に向かって緩く下る場所に駅は位置している。構内には隣接して保線区の基地があり、今回、回送列車が入った留置線への分岐器(ポイント)や、隣駅の溝の口駅始発の大井町線用車両を留め置く線路も設けられており、かなり複雑な線路配置の駅である。かつては上り・下り別、2ホーム4線の比較的簡単な線路配置だったが、混雑度ワースト記録の上位に常に名を連ねる田園都市線の上り列車のダイヤ改善のため、2007年に4番線を優等列車通過線専用とし、併せて上り3番線と4番線の駅進入の際のカーブを大きな r(半径)に付け替る等大規模な工事を行い、列車が速い速度で通過・入線できるようにしていた。


事故が起きた留置線は、新玉川線開通以前、かつて田園都市線と大井町線が直通していた頃から、18メートル車4両編成運転などの折り返し用に使われていた線路で、現在の長大編成列車を収容するようには出来ていなかった。この留置線は中央林間方面の頭端がトンネルに頭を突っ込んだ形のために、簡単に延長工事はできない構造になっており、現在の20メートル車10両編成にはギリギリの長さの運用である。また今回のように3番線ホームから留置線へ回送列車が移動する場合には、続行する上り列車は留置線と干渉しない4番線に入線すれば問題が起きる可能性がなくなるが、4番線は2007年の工事以降は急行など優等列車の通過専用線となり、ホームには柵があるなど客扱いができない構造になっている。これら駅の配線に関する様々な状況が今回の事故の背景になっていると考えられる。陸・海・空問わずこの様な事故が起きると、常日頃に交通に関心をもつ者として、何が事故の原因なのかを推理したくなる。専門家の調査もこれからで、まったく素人の推測にすぎないが、安全を担保する高度な予防システムの盲点を突いて起きる事故を、自分なりに考えてみることで、飛行機や船、鉄道を利用する際の興味の度合いも深まってくるのである。


ということで、事故の起こった当夜の事を脳内再現してみることにした。10月5日午後11時前は、日曜日とあって運転頻度も少なく、この日回送列車を運転していたとされる「見習い運転士」にとっては最適な訓練の機会であったことであろう。上り線路を走ってきた回送列車は梶が谷駅ホームの3番線に一旦入り、そこで指導運転士、見習い運転士、車掌は前後を交代、スイッチバックして2つのポイントを通過し留置線の停止位置を目指したはずだ。ところが留置線に入ってから車止めまでの速度が速すぎた為に、自動的にブレーキがかかったとされ、その結果、回送列車の最後端はポイントを過ぎてわずか数メートル、留置線に入ったギリギリの場所で止ったことが事故後の様々な報道写真から明らかになっている。そこは3番線の車両限界に抵触する場所であったため、止っている回送列車の最後部に、3番線に進入せんとする (本来は止まって待っていなければならなかった)後続の上り営業列車が突っ込んで両列車の側面をこする接触事故が起きたものである。この事故でケガ人が一人も出なかったのは、不幸中の幸いである。上に掲げた「日テレ鉄道部」の事故関連図が詳しいので参照されたい。

 

ここで一番の問題点は、なぜ留置線に入ったギリギリの場所、すなわち上り3番線の車両通過を侵害する場所に回送列車が留まっているのに、後続で3番線に入る各駅停車列車のATCが「進行信号」を出したかである( 田園都市線はATCが設置されてるため構内信号機はなく、運転席の速度計に進行・注意・停止や速度制限が表示される )。これは多分、回送列車の最後尾である10両目の台車がポイントを通過し終わって数メートルの地点で、この列車は留置線に入線が完了したもの、少なくとも3番線に入る後続列車の支障にはならないとするように信号回路が設定(=軌道回路の設定)されていたことが原因だと思われる。軌道回路システムはATCと結びつくので、その状況で後続列車の車内表示は「進行」となる。ところが最後尾の後端が止った地点は、実際にはまだ3番線列車の車両限界を侵害する場所であったため、進入してきた後続列車が回送列車の最後部に接触したものであろう。だとすれば実際の車両限界に抵触して軌道回路の設定をしたマッチングミス(不整合)がこの事故の第一原因だと推測できる。もう数メートル回送列車が前進していたか、あるいはポイントにもっと接近した場所で止っていたら、この事故は起こらなかったはずで、たまたま2つの基準の不整合による陥穽に車両が陥って事故が起きたと云えよう。


さらに考えるべきは2007年の工事の際、上り3番線の"r"を大きくして列車進入速度を上げるため、それ以前より留置線に接近して線路を付け替えたとされる点だ。これにより留置線と3番線の線路はポイント近くでいつまでも近接して、2線の車両限界が長く干渉しあうことになったが、この線路配置が適切だったかは、今後検証されることになろう。また見習い運転士が留置線に入った際に、速度超過のために非常ブレーキが機能して列車が停止した点が事故の起因となるが、長さ的に余裕のない梶が谷駅留置線に於いては、夜間はより慎重な運転操作が求められるので、見習い運転士には荷が重かったのかもしれない。もう一点、留置線の頭端まで行かずに止まった回送電車を直ちに再起動させて前に進ませれば、この事故は起こらなかったはずだが、ちょうどこの時「防護無線」が発信されたために、近隣のすべての列車の移動が行われなくなったと報道されている。「防護無線」発進→指令との遣り取りの間、その場に回送列車が止まっているうちに、後続の列車が (目視によって以上を察知し非常制動をかけてとも、下り勾配によって速度を落としきれずに)突っ込んだのだろうか。防護無線は誰が発信したのか、後続列車が迫ってくるのを察知した回送列車後部の車掌か、接触した後続列車の運転士か、事故は時系列的な一瞬の罠に2つの列車が嵌ってしまったことをも示しているようだ。回送列車の最後部の車両がポイントを通過する際に脱線したのではという見立てもあるようで、そうなると防護無線による落とし穴説は崩れるのだが、いずれにしても我が推測は、単なる机上の四方山話、床屋談義の類であって早く国交省事故調査委員会などの報告が出るのを待ちたい。

 

追記:さきほど東急の社長会見があり、事故の原因は2015年のプログラム改修の際に、上記に記した通り要件定義に関わるシステム設計でミスをしたことが原因だと発表されたようである。我が推測も満更ではなかった。その他の背景、遠因については国交省の報告などでいずれ詳しく発表されることであろう。

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見習い運転士(女性)の運転実習:指導運転士(右)がスピードメーターを隠して体感、聴力で速度を答えさせるなど厳しい訓練をする様子 2024年4月京王相模原線にて

2025年10月 5日 (日)

ねんりんピック岐阜2025 東京都選手団結団式

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ねんりんピック岐阜大会2025東京都選手団 剣道代表による選手宣誓

昨日は東京都庁第一庁舎で、「ねんりんピック岐阜2025」の東京都選手団結団式が行われたので、妻と一緒に参加した。ねんりんピックにはマラソン競技の60歳台で2度参加したが70歳台の部では初めて、自身としては都合3度目であり、妻は60歳台のマラソンの部での初参加となる。ねんりんピックは、正式な名称を「全国健康福祉祭」と云い、毎年全国各県持ち回りで開かれるシニア層のスポーツ、文化の交流大会である。国民体育大会(現在は国民スポーツ大会)が文科省主催に対し、60歳以上が主役のこちらは厚労省と各都府県が主催者になっており、37回目となる今年は10月18日(土)から21日(火)まで、岐阜県の各地区が会場となる。ここでは陸上、水泳、サッカー、ラグビーなどのいわゆる競技種目の他に、ゲートボールやペタンクなどのシニア向けスポーツ、さらに文化交流として囲碁、将棋、健康マージャンまで実施されるから、真剣勝負の国体とは一味違うシニアの「全国的お祭り大会」だといえよう。「ねんりんピック岐阜」では参加予定人員はなんと「延べ60万人」と発表されているので、主催する地域にとっては一大イベントである。

 

健康促進が目的とは言え、老人の趣味道楽のために大変な額の国家や地方予算が割り当てられることには内心思う処もあるが、それはまた別の話としよう。結団式に先立ち、東京都選手団は30種目311名で、これは主催県に次いで2番目の多さだと発表があり、東京ではシニアの活動が活発に展開されていることを感じさせてくれる。妻は「ついに自分も押しも押されぬこちら側シニアに入ってしまったか」とあきらめ顔の出席である。昨日の結団式ではまず「君が代」斉唱に始まり、役員挨拶や小池百合子 東京都知事のビデオメッセージ、団旗授与と形通りの式次第が進行した。「君が代」と云えば団塊の世代も多いため、歌うのはアレルギー気味の参加者も多いのかと思っていたら、大きな歌声が会場に流れ、活動的なシニアには、偏向思想の持主が少ないことが分かって嬉しい。東京都スポーツ協会理事長の挨拶で 「熾烈な予選を勝ち抜き、選手に選ばれた皆さん」と一同持ち上げられると、何となくざわざわと嬉しいような気恥ずかしいような呟きが会場から漏れてくるのも微笑ましい。


ねんりんピックの選手になるには、各競技団体が定めた予選を勝ち抜かねばならないが、競技種目にもよるが政令指定都市を持つ県は、県の選手枠とは別にその都市枠も割り当てられている。例えば仙台市を擁する宮城県は、仙台市枠とその他地域の2つの枠があるため、政令指定都市を持たない県に比べると2倍の選手を派遣することが出来る。人口の多い東京都はもともと2倍の割り当てがあるが、横浜、川崎、相模原と3つの政令指定都市をもつ神奈川は県内全体で東京都の倍の人数の選手が参加できる規定になっている。なにやら夏の高校野球に於ける県予選の様相にも似ているが、たしかにスポーツ協会理事長の挨拶通り、人口比では全国で一番予選通過が厳しいのが東京都であろう。その分、ねんりんピック本大会では上位に入賞する者も多いようだ。続いての選手紹介で我々マラソン参加者(男女各5名)が起立して会釈をすると、周囲から「オオ~」という声も挙がって、やはりガチ系スポーツは多くの注目を集めていることを感じる。とは云うものの自身を顧みると、70歳を過ぎると走るというより、なんとかヨタヨタとゴールにたどり着くという感じがするものだ。ということでせっかく選ばれたのだから、岐阜県の美味しいものを食べ、試合前夜でも気にせず美酒を呑んで、順番ではなく純粋にスポーツを楽しんでくることにしたいと結団式を後にした。

 

都庁を後に新宿の蕎麦屋で妻と決起会
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ねんりんピック栃木2014に参加して(1)(2014年10月 6日)
ねんりんピック長崎に参加して(2016年10月17日)

2025年10月 4日 (土)

祝 高市さんが総裁選勝利 !(番外)

なんとなんと、オールドメディアの小泉推しに反して、自民党総裁選挙は高市さんが勝ってしまった。世界の保守化現象がやっと日本にも上陸した。ここ数年、保守でなくなった自民党にはホトホト愛想が尽きていたが、高市さんが総理大臣として国会で首班指名された後に、どういう舵取りをするのか大いに注目である。憲法改正論議はさておくとして、スパイ防止法を早急に制定し、ガソリン税減税を矢継ぎ早に実施、さらには靖国神社に首相として参拝すれば、去っていった自民党岩盤支持層の票も戻って来ることだろう。そうなった暁に解散総選挙をしたら良いと、久々に明るい日本の未来がほのかに見えたようでちょっと嬉しい。連立の観点からは、親シナの公明党とは袂を分かち、参政党か国民民主党と政権を組んだらよいのではないか。もちろん日本を何とかして貶めたいメディアやサヨク陣営はありとあらゆる手段で、これから高市イジメを繰り広げるであろう。しかし最早ネットの声は新聞やテレビなどのオールドメディアの偏向報道を完全に凌駕する世の中になった。臆することなく日本国と日本人のために、高市さんには 「ワーク・ライフ・バランスを捨て馬車馬のように」 働いてもらおう。期待してます。

 

2025年10月 2日 (木)

自民党総裁選 スーパ―のレジ袋の恨みと保守本格政権への期待

保守を自認している私は、安倍さんが亡くなった後、LGBT法案を党議拘束までかけて国会を通した自民党にすっかり嫌気がさして、あらゆる選挙で自民党に投票しなくなったことは、何度もここで吐露してきた通りだ。その代わり一時は参政党に注目し、今は日本保守党を応援しているが、これら新興の保守政党はなぜ簡単に内部分裂を繰り返すのか見ていて情けなくなる。参政党は当初は武田邦彦氏や吉野敏氏、かの赤尾敏の孫娘である赤尾由美氏などが幹部に名を連ねていたが、「理念が違う」などの内紛であっという間に彼らがいなくなってしまった。いま、日本保守党も友党としていた河村たかし氏率いる「減税日本」と連携を解消したと報じられている。強い信念を持ったリーダーの下に結集したこれら新興勢力は、世間に名前が知られると、何かのきっかけで、それまで同士を引き付けあっていた求心力が、大きく反発しあうバネになるのだろうか。「小異を捨てて大同につく」ことを心に、少々の不平不満は我慢したら良いのにと思うが、小さな所帯ではそうもいかないのか、政治の世界に入ったことのない私には理解ができない。

 

反対に色々な考えの人がいても、共存して生きていけるのが自民党の強みであろう。その自民党はやっとあの悪夢の民主党政権をも上回る史上最悪だった石破総理を引きずり降ろして、総裁選の真っただ中である。例によって頭が空っぽの小泉進次郎を(文春以外の)オールドメディアが露骨に持ち上げているが、インターネット上の動画に彼ばかりを称賛し他の候補を中傷するコメントを自陣営が投稿したことがバレて批難を浴びたと思ったら、地元の神奈川県連が、対する高市候補支持の党員を排除(離党扱い)していたことが分かって大きな問題になっている。小泉進次郎と云えば、個人的にはスーパーのレジで「有料のビニール袋要りますか?」と聞かれるたびに、「まったく人気取りだけのためにこれまで無料だったことに余計な事をしてくれたものだ」と彼の顔が浮かんで腹が立つばかりだが、自民党内にはその人気だけを利用したい人間も多いのだろう。しかし議員立法の実績はわずか数件、ちょっと難しい質問には論点ずらし、何より確固たる国家観や経済政策を持っていないようで、彼の口から出るのは誰かの原稿を読んだかのコメントばかりである。一方で彼は人当たりだけはとても良く、自民党の重鎮からは評価が高いそうだ。正に「神輿は軽くてパーが良い」を地で行く総裁候補である。

 

安倍さん亡きあとの自民党などは、どうでも良いが、もし小泉進次郎候補が総理大臣になったら、本当にこの国が正常に機能するのか、その点は心配で仕方がない。ちょうど一年前の今頃、海の向こうのアメリカでは、カマラ・ハリスの頭が空っぽだったことが次第に分かってしまい、NYタイムスやワシントンポストなどリベラル系オールドメディの応援報道をあざ笑うかのごとく、最後はトランプ氏が大統領選に圧勝した。同様に日本でもいざ総裁選挙が実施された暁には、オールドメディアの小泉推しに逆らって、保守の高市候補が勝っていたという状況にならないか、ひそかに期待している。高市さんならシナや韓国の横グルマに反しても靖国参拝を実行するであろうし、憲法改正の道筋にも曙光が見えるだろう。何と云っても、彼女は積極財政派だから景気も上向きになることが期待できる。ここのところアメリカだけでなく欧州でも保守派が伸長しているのは、行き過ぎたグローバリズムが多くから飽きられたことを意味している。洋の東西を問わず、人々は「共生」だの「ジェンダー」、「多様化」、「人権」やら「持続可能な環境」など、耳障りばかり良いプロパガンダにウンザリしており、保守的な心情に根差した家族・友人・地域・国家を基盤とする安定的な社会の到来をいま望んでいるのである。日本にも高市さんによって、久々の保守本格政権が戻って来ないものか。

参考:「参政党 新しい保守に注目」2021年12月24日
参考:日本保守党(百田新党)に入党(新規会員登録)2023年10月3日

2025年9月25日 (木)

読売新聞夕刊・インティマシーコーディネーターの流儀

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昨夕、いつものようにジョギングを終え缶ビールのタブを開けて一杯をやりながら、読売新聞の夕刊に目を落とした。夕刊第2面には「多様な愛情表現 寄り添う」とのコラムがあり、それを何となく読み始めた途端、突っ込みどころ満載の文章に思わず口にしたビールを吹き出しそうになった。見れば「インティマシーコーディネーターの流儀」とのタイトルで、浅田智穂なる女性が連続して寄稿しているコラムで、昨日のは連載第2回目らしい。インティマシーコーディネーター(以下ICという)とは、昨年放送されたTVドラマ 「不適切にもほどがある」で初めて知ったが、ドラマや映画などのセクシュアルな場面を作成する際に 『 演者の尊厳や心身の安全を守りながら、演者側と演出側の意向を調整 』する新しい仕事(ウィキペディア)のことを云うらしい。INTIMACYとは英和辞典によれば 「 (キスなど)愛情表現」で、それのコーディネーターとなると何とも怪しげだが、ネットで検索すればコラムを書いた彼女は、映像の現場のベテランであり、日本初のICだと云う。


彼女の寄稿文章は「ICの大事な存在意識の一つは、LGBTQ(性的少数者)のアライ(支える人)になること。人の数だけあるジェンダーやセクシャリティーにおいて、相手のみならず自分自身の愛情表現も様々で、その全てが受け入れられる世の中であって欲しい。そんな世の中に、私はICとして寄り添いたい」と冒頭にある。まずは人の数だけ『 ジェンダー 』などがあるとは何のことだと突っ込みたくなる。トランプ大統領も明言している通り人類の性は男か女か2つしかないのに、人の数だけあるならば、世界には80億超の性があることになる。『 相手のみならず自分自身の愛情表現も様々で、その全てが受け入れられる世の中 』とは、例えば性的変質者の愛情表現も受け入れられる世も含まれることになるのだが、そんな変態にも彼女は寄り添いたいのか?。 また自分自身の愛情表現も受け入れられる世の中に寄り添いたいって、文章として破綻していないか?。 聞きなれぬ 『アライ』とは英語のALLY(味方)を示すらしいが、日本人にまったく定着していない単語を散りばめるあたりが、自らの先進性を自慢するような表現であざとい。


次に「 脚本上の登場人物が自分とは違う属性だった場合、その表現には人一倍気をつけなければならない 」と書かれている。属性とは広辞苑で引けば 『特徴・性質』とある。どうやら彼女はLGBTQの役を演ずる俳優が実際はそうでない場合を言いたいらしいのだが、脚本上の登場人物は演ずる者とは違う属性なのは当たり前であり、それを敢えてそれらしく演ずるのが俳優の仕事であるのは云うまでもない。つまり彼女のこの部分は、何も言っていないのと同じことである。属性と云えば、ICとは離れるが、俳優の覚悟という点で気になることがある。大東亜戦争の軍隊を描いているドラマや映画を見てると、坊主頭でない軍人が時々出てくる。旧大日本帝国の陸軍は上から下まで全員坊主頭であり、海軍も上級士官や特殊な任務以外は坊主頭であった。であるから少なくともカネを貰っているプロ演者ならば、出演に当たって坊主頭にしてくるのが当然であろう。人に見てもらってナンボという意識のないものが、LGBTQであろうと軍人であろうと、「登場人物が自分とは違う属性だった場合」などと尤もらしい言い訳を持ち出すように思える。

 

以下「 性的マイノリティーの表現を監修する『 LFBTQ+インクルーシブディレクター』など知識と表現力」だの 「グラデーションのある数多(あまた)のリアリティーがあるからこそ、『演ずる』前に『理解』は必要。表現の先には観客がいることを忘れてはいけない」だの、どうもLGBTQをもっと良く知れと言いたいらしいが、我々には何を言いたいのか意味不明の文章が続く。読売新聞の夕刊と云えば高齢者の読者が多いはずだが、大多数はこのコラムを読んで、彼女が何を具体的に行い、この文章で何を表現したいのかはよく分からないであろう。耳に優しい「多様」だとか「愛情」、「ジェンダー」などという、それらしいキーワードを掲げ、これに「寄り添え」ば、お手軽に時代の先進を行っているかを見せられるが、そんな薄っぺらい社会が望ましいのか。プロの俳優なら自らが気に入らないセクシュアルな場面でもLGBTQ役でも敢然とやり切る覚悟が必要だし、髪を切れと言われたら切る、それが嫌で自分の属性とやらがどうしても大事だと主張するなら、台本を読んだ時点できっぱりと出演を断るのが筋である。プロ野球の投手だって試合の展開によっては慣れぬ一塁や外野に回されることもある。何かと云うとコーディネーターやらカウンセラーが立ち会う現場では、プロの熟練の技や覚悟が発揮できず、役者も成長しないことだろう。ビールを呑みつつ、訳の分からぬコラムを読んで 「 こんなのを載せるようでは読売ももう駄目だな」と昭和のオヤジは一人して唸っていた。

2025年9月21日 (日)

世界陸上東京大会と織田裕二

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TBSテレビの中継画面より

世界陸上競技選手権大会(世界陸上)が東京で開催されたので、毎晩のようにTBSの中継放送を見てしまった。TBSと云えば 「サンデーモーニング」や 「報道特集」を見るまでもなく、左に偏向した報道番組ばかりで普段はなるべく見ないようにしているのだが、「ドラマのTBS」と云われた時代の名残りか  「不適切にもほどがある!」や  「 VIVANT」など世間の耳目を集め、見る者を唸らせるようなドラマも時々放送する。二年に一度開催される世界陸上は、この局の独占中継放送なので、秋の夜長、TBSにチャンネルをあわせることにした。今年は、小池君(400米リレー)、豊田君(400米ハードル)と競走部の後輩である2人の選手が出場しているので、より一層期待が高まる。ただこれまで歴代の世界陸上の中継では、大会の顔である織田裕二のテンションが妙に高く、興を削いでいたが今回はどうだろうか。前回大会では彼がMCを外れてホッとしたが、東京では復帰とあってTVのボリュームを一段と下げての視聴であった。


彼が何故そんなにうざいのかと云えば、陸上競技を本格的に経験したわけではないのに、400米ハードルを 「ヨンパーは...」、1600米リレーを  「マイルリレー」、400米リレーを 「ヨンケイは」などと、仲間内で使う用語を連発する点にある。永年NHKのテレビやラジオで 「日本陸上競技選手権大会」などを視聴しているが、アナウンサーが400米ハードルを 「ヨンパー」と呼ぶのを聞いた記憶はない。例えて言えば、寿司屋に行って「ムラサキ!」「ギョク」「アガリ!」「オアイソ!」などの符牒を連発する客がいれば、周囲は 「”通”ぶっちゃって」と密かに笑い、店の者は内心小ばかにするであろう。同じような感覚で、彼の陸上関係者ぶった表現が、どうも私には鼻について仕方がない。あくまで彼は陸上競技ファンの立場から、それらしく 「4かける400メーターリレー」と云えば聞いている方は安心なのに、「通らしさ」が痛くて残念だ。


箱根駅伝の中継でも感じるのだが、「いまァ!ゴールしました~!!」などアナウンサーの絶叫は陸上競技の雰囲気を損ないがちである。今回も女子競技の時に喋る女子アナはやけに声が高い上に、画面を見れば誰でもわかることを実況するので、「一々喋らなくても見ればわかるよ」とついTVに言いたくなった。本来は地味な競技なのだから、やたらとドラマ仕立てにする必要はない。そういえば3000米障害決勝のゴール前で三浦選手が他の選手に押され順位を落としたシーンに、「あれは妨害だ」との声がネットで湧き上がったが、本人は「これが3000メートル障害の醍醐味であり、難しさでもあるのかなと思います」と悔しかったであろうが淡々としていた。中長距離種目のゴール前は、みな全身全霊を捧げ1センチでも前に出るために無我夢中の場所で、あの程度の接触は競技のうちである。私も高校の県大会1500米で後ろからひっかけられて転倒し、途中棄権を余儀なくされた事があった。世界陸上が盛り上がるのは結構なことだが、織田裕二のしゃべりやネットの頓珍漢な批評など、何かとトラック外がうるさい世界陸上の東京大会であった。などとテレビの前で一人喚いていたら、傍らで妻が 「あなたの方がTV見ながらキャンキャンとうるさいわよ」とのたまった。

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