カテゴリー「社交ダンス」の記事

2024年5月 8日 (水)

ダンスパーティ・ タンゴの トライアル

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「初ダンスパーティ・初トライアル(1月15日)」でワルツを踊って以来3カ月あまり、通っているダンス教室のパーティがこの連休中にまた開催され、今度はタンゴのトライアルに出ることにした。妻はパーティには参加するものの、今回も仕事が忙しくトライアルには出ないため、いつも習っている女性の先生と組んでの挑戦である。思い起こせばその昔、色気が付き始めた中学生の頃、やたら異性を意識するあまりフォークダンスさえ逃げまわっていた自分が、人前で情熱の踊り、タンゴを披露するとは何という変化であろうか。昔の友人に社交ダンスの話をすると、皆 「お前が? ウソだろ!」と吹き出すとおり、人生は本当にわからないものである。


内輪のトライアルとは云え人前で踊るにはそれなりの練習がいる。よってダンスパーティ前には週に2~3回の特訓が必要となるのだが、この集中練習と他人の視線にさらされる本番の発表で、何となく一皮むけた気分になれるのがポイント。以前のトライアルによってワルツが少し上達したような感触をつかんだので、今度は次にポピュラーなタンゴに挑戦することにしたものである。社交ダンスと云ってもスタンダード種目にはワルツ、タンゴ、スローフォックスロット、クイックステップ、ヴイニーズ(ウィンナワルツ)の5種目、ラテンはルンバ、チャチャチャ、サンバ、パソドブレ、ジャイブの5種目と計10種目もある。パソドブレやジャイブは未挑戦なるも週に1回、1時間程度の練習ではとてもとても8種目を覚えていられず、いつも中途半端にレッスンを終えている感があるため、トライアルに向けて集中的に1つの種目に専念するのはとても有意義だと思うのだ。


それでも当日が近づくにしたがい、なんでパーティー参加料に加えトライアルの費用を払ってまで「また出ます!」と云ってしまったかと後悔の念がふつふつと湧きおこってくる。空を見上げればこの連休は快晴続きとあって、野球でも見に行ったほうが良かったか、郊外をドライブでもしてた方がずっと気が楽だったなどと、ふと妻に愚痴ってしまうと「私は最初から出られないと云っているのに、私のいない間に勝手に決めて来て!。直前になったらそういう後ろ向きなこと言い出しそうだと思っていたけれど、自分で蒔いた種なのだから自分で刈り取ってね」といつものように淡々とロジカルな返しで相手にされない。


タンゴはもともと男女の駆け引きをモチーフにしたダンスとのことで、男女の下半身はワルツより密着しているうえ、明確でメリハリの効いた動きが求められる種目である。そのため腰から上は広く取り、下半身の使い方が重要なのに、どうも私のような素人は腕力に頼りがち。一曲終わると上半身がガチガチに固まって疲れてしまうのは正しく踊れていない証拠だ。クルーズ船のダンス会場を見ていても、タンゴが決まっている、という男性はあまり見られないようである。ということで頭の中と実際の踊りのギャップは感じるものの、事前の特訓ではなかなかそのギャップを埋められず、最後は「まあ何とかなるわ」と開き直って当日を迎えた。


例によって、バッチリとお化粧や衣装を決めたおば様方でいっぱいの会場には、(3名の先生やバイトの学生パートナー2名以外の)男性は私の他に1名の計2名のみ。ただ、圧倒的少数派であっても、妙齢の女性の集団に気後れしなくなったことは大きな心境の変化と云える。ほとんどの参加者がトライアルを前にアルコールを控える中、今回ものっけからビールやワインを楽しんでいると、パートナーの先生が耳元で「トライアルが終わるまであまり飲まないで下さいね」とささやく。もっとも、船上では食後の酔っぱらった状態で踊っているので、経験的に少々のアルコールがあった方がかえって動きが良いので心配ご無用だ。パーティも進み自分のトライアルの番がくる。いざ名前を呼ばれてフロアーに立ち「間違えたらその時」と覚悟を決めて踊り出せば、なんとか1分半の最後まで間違えず踊り切り、練習で繰り返し直した姿勢や動きも最後まで忘れなかったようだ。「特訓したことは全部出ていたと思います。本番に強いのですね。」の先生のお褒めの言葉に、まだまだボケは来ていないことを実感したダンス―パーティであった。

タンゴを習い始めた頃の記事「情熱のタンゴ(2011年3月7日)」。最初は男の先生に習っていた。

2024年1月15日 (月)

初ダンスパーティ・初トライアル

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週に一回、妻と通っているダンス教室で行われるダンスパーティに昨日初めて出席した。クルーズ船でちょっと楽しく踊れたらいいよね、と考えて数年前から夫婦で通っているダンス教室の個人レッスンなのだが、ある程度ステップや基礎を覚えると、(どのダンス教室もそうだろうが)教室主催のパーティに誘われるようになる。このダンスパーティのプログラムの中には、フロアで数組だけで踊るトライアルや一組だけで場を独占するデモンストレーションと呼ばれる生徒たちのダンス披露の時間があり、これに参加すると事前の1~2か月は先生の振り付け指導や特訓を受けることになる。ダンスパーティを開くこと自体はもちろんのこと、トライアルやデモンストレ―ションの為の追加練習もダンス教室の重要な収入源である。これまでも何回かパーティ参加を誘われてきたが、ダンスはクルーズの楽しみの一つと位置付けてきた私たちには、夫婦二人で楽しそうに踊れれば充分で、いわゆる「社交ダンス」を人に見せる気はなかったため、ダンスパーティの参加は断わるのが常であった。


とは云うものの安くはない個人レッスンの授業料をどうせ払うのなら、もう一歩ステップアップもしたくなるのが人情というもの。殊に新年のダンスパーティは、ホテルなどを借りずに会場はいつもの教室というので、参加料もリーズナブルである。70歳代になって自由に使える時間も多くなった今、誰かから誘われた習い事や趣味に少しでも興味を覚えたらまずは参加してみることだ、と常日ごろ思い、登山やスキーなどを再開したことは記してきたとおりである。ダンスもせっかくここまで続けてきたのだから、パーティに初めて出てみるか、聞けばトライアルの時間は僅か1分半程度と言うし、それならワルツのトライアルにも初参加してみるかと急遽思い立ったのが昨年11月のことである。ダンスパーティと云えば大学の新入生時代に、どこかの同好会に所属していた友人からパー券を無理やり押し付けれられ、ダンスもできないのに参加して大いに恥を掻いたことがある。もう二度とこんなものに出るかと会場を後にして以来 半世紀(以上)ぶりの参加となるが、人は変われば変わるものだ。


ところが妻は秋口から始まった仕事に時間を取られており、集中的にレッスンを受ける必要があるトライアル参加には否定的。私一人が普段教わっている女性の先生と組んで出ることになって、年末から年始にかけて先生の特訓を受けてきた。細かい振り付けや姿勢の矯正などの指導を受け、踊りの方はだんだんサマになって来たように感じたが、パーティの期日が近づいてくると、どうして「トライアルに出ます!」などと宣言してしまったのかと後悔の念が強くなる一方だ。習ったルーティーン通りステップをうまく踏めるか、大勢が見守る中でもし大失敗をしたらどうしよう、頭が真っ白になって動けなくなってしまうかもしれない等と次々と良からぬ想像をしてしまう。「いや、失敗したって他人はそんなに注目してないさ」「たかが遊びに過ぎないよ」などと自分に言い聞かすものの、初めての事には不安はつきもの。妻が気の毒そうに同情しているのを横目に、これまでまったくやったことのない自宅での一人シャドウダンスを繰り返した正月明けであった。パーティ前日は入学試験の時のような、何となく眠りも浅く落ち着かぬ夜を過ごして、昼過ぎにこわごわと妻と二人でダンス会場に赴いた。


会場に足を踏み入れて圧倒されたのが、ド派手なドレスに身をつつみ、ステージ映えする濃いメークを「バチッ!」と音がするくらいに決めた中高年のおば様たちの視線。圧倒的に女性が多いために、男性と言えば教室の先生3人と、ヘルプにきた他のダンス教室の先生プラス某大学ダンス部の学生のほかは、いかにも「真面目にダンス習ってます」的ないで立ちの男性(うち2人はカップルだった)が数名という布陣である。この中で3時間を過ごし、その上に人前でトライアルを踊るのかと思うとますます気が重くなってきた。会場には「アルコールの用意もあります」とあるのに、ダンスに備えて女性陣はもちろんのこと、ダンスオヤジたちも一切酒に手を付けない。しかしせっかく参加料を払ってやって来たパーティである。皆に合わせる必要もなく我々夫婦だけがのっけからコップにビールを満たし、スパークリングワインの栓を抜くが、パーティ初参入にも関わらず二人して酒を楽しんでいると、気のせいかもしれないが場違いな冷たい眼差しが感じられなくもない。


クルーズ船ではディナー後、しっかりとアルコール摂取した状態で踊るのが常なので、ここは場内の雰囲気にめげずゴーイングマイウェイを決め込むことにする。少々のアルコールでステップが覚束なくなるようなヤワな酔っぱらい方はしないくらいの自負はある。次々と流れる音楽をバックにダンスタイムやクイズ大会などで適度にアルコールが廻り時を過ごすうち、いよいよワルツのトライアルの時間となった。同じヒートには私と先生の他、女性生徒と男性の先生が2組の合計3組が出場するが、ここまで来たらジタバタしてもしょうがない。まな板の上の鯉の心境でフロアに出る。音楽が鳴り踊り始めると曲のテンポもつかめているし、体も適度に動いていて何とかなっているようだ。近寄ったり決めポーズで飛んでくる「○○さん!」との声援や拍手も良く聞こえる。と思ったら好事魔多し、曲も後半に入り何とか最後まで行けそうだとやや安心したところで、リバースピボットのあとにライトシャッセをすることを完全に失念してしまった。「しまった!」と一瞬思いつつも、ここを何とかごまかして最後の決めに入ったのだが、後から妻に聞くと「まったくわからなかった」というから失敗からのリカバリーはうまくいったということか。初パーティ、初トライアルなのに「とても落ち着いてた」とパートナーの先生も妻も誉めてくれたのは、これまでのクルーズ船のダンスで散々失敗をして恥を掻いて来たからに他ならない。いやぁ、つくづく失敗は成功のもとだと思うのである。

2017年3月16日 (木)

ダンスシューズ

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クルーズ船に乗るようになって「船上ではやはり優雅に踊りか」と始めたダンスだったが、2度のワールドクルーズで、連日社交ダンス教室に通っただけでうまくなるほどその習得は甘くない。と云う事でせっかくさわりを習ったのだから、ここでやめてはもったいないと、近所のダンススクールの個人指導に通い始めてから早くも10ヶ月が経った。

最初は私一人で始め、最近は妻も一緒に週一回のレッスンを受けているが、とにかくステップを覚ようとすれば姿勢の事を忘れ、パータナーのリードに気をとられればステップを忘れての連続である。次に何をすべきなのか、踊りながら頭の中がしばしば真っ白になりつつも、美人の先生の指導よろしく何とかここまで続けてきたのである。

さてダンスと云えばその基礎となる足元は、きちんと足にあった自分のシューズをはくべき事は言うまでもない。しかしこれまで私は、マイ・ダンスシューズを持参して”軟弱な社交ダンスを真剣に踊るようなおのれの姿”、を想像するのがなんとも気恥ずかしく、靴はスクールに備え付けでサイズ的には足より大きいシューズをずっと借用してきた。”ダンスなどは余裕でやってる遊び”とやや斜にかまえ、距離をたもっての参加である。

もう一つ、我が足のサイズは25センチと男性としては小さめにつき、ただでさえぴったりして足が小さく見えるダンスシューズを履くと「馬鹿の大足、マヌケの小足」が目立つようで、こんなものにカネを払えるかと借り物で通してきた事もある。なので、これまで船内でも普通の革靴でダンスをしてきたが、あらためて陸上で習ってみるとダンスは想像していたよりずっと「体育会系」で、うまくなるにはいつまでもブカブカの借り物という訳にいかなくなってきた。

と云うわけで先日とうとうスクールを通して購入したダンスシューズが写真である。価格は高級ランニングシューズとほぼ同じで、週一回の練習なら2年はもつと言う。なんでもダンスシューズにはスタンダード用とラテン用があって、底のすべりなどがそれぞれ微妙に違うほか、ラテン用にはかかとが高いものもあるらしい。このシューズは”汎用型”との事だが、背が高く見えるシークレットブーツではあるまいし、男のハイヒールなどは真っ平ゴメンだから、この程度で充分である。

どうせ買うのならクルーズ船のフォーマル指定日にはタキシードで踊れるようにと、いきなりエナメルシューズにしてしまったのはダンス初心者としてはちょっと背伸びであろうか。もっとも習い事は「形から入れ」とは云うし、先生や妻は「よく似合う」とか「格好イイ」と言っておだててくれるが、ついにマイ・シューズを購入してしまうと、一体この先どこまでダンスを続けて行くのだろうかなどと、いろいろ複雑な気持ちが湧いてくるものである。

2017年3月 1日 (水)

ダンス教室その後

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(街を歩くと沈丁花のつぼみが開花しはじめたのを見ることができる。この花の匂いがあたりに漂うと、やっと春が来たかなと感じる。)



さて週に一回、社交ダンス教室の個人レッスンに通い始めてから早くも9ヶ月が経過した。毎回のレッスンではワルツやタンゴの新しいステップのほか注意すべきポイント、そのほか女性と組む際の姿勢やどうやってリードするかなどの基礎を繰り返し教えてくれる。これまでクルーズ船の船内ダンス教室は、次々とステップを先に進む事が多かったから、ダンスらしい動きや基本の姿勢を丁寧に繰り返し習える点がとても嬉しい。

もっともその分、腰の上部など、ふだんあまり使わない筋肉に負荷がかかっているようで、教室の帰りにはしばしばその周囲が痛いものである。ダンスの先生は『腸腰筋を意識して』と教えてくれるが、腸腰筋とは腰椎と大腿骨を結ぶ筋肉の総称で、ふだん考慮外のそんな筋肉を使うと云うのが腰痛の原因だろうか。腸腰筋は内臓と脊椎の間にあって陸上競技などの際には重要な働きをするらしいが、我々が競走部の現役だった1960~70年代は、そんな筋肉名称がなかったから『それを意識』と言われてもちょっとピンと来ないのである。

時々一緒に飲む友人の整形外科医によると、腰痛によい運動は腹筋と背筋運動を毎日各20回X3セット行うほか、泳ぐならもっぱらクロールをする事だと云う。たしかに60歳代も半ばともなると筋力の低下を覚えるので、今はその友人の助言に従ってジョギングの後に腹筋・背筋エクササイズを心がけ、週一通う区営プールでは平泳ぎを少なくしクロールで腰痛を和らげている。こうしてみるとダンスに必要な筋肉を保つのもそう簡単ではなく、逆にそれらが何歳になっても子供の如く体育会系である私がダンスを続ける一つの理由になっているのである。

2017年1月27日 (金)

ブラックプールへの道?

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週に一回通っているダンス教室の先生に誘われて、新宿駅近くの公共ホールで行われた社交ダンスの競技会を妻と一緒に見学してきた。私たちの先生とその仲間がかかわるサークルから多くの愛好家が参加している大会だが、我々にとってダンスの競技会などをナマで見るのは生まれて初めての経験である。競技はスタンダード5種とラテン5種で、それぞれビギナーの部やら45歳以上の部など幾つかカテゴリーに分かれて一斉に踊り、参加カップルのダンスが審判に採点されるシステムだ。我々は前半のスタンダードの部を見学しただけで帰ったが、会場は踊る人とそれを応援する人の熱気が外の寒風を吹き飛ばさんばかりであった。

会場では日ごろ教室でダンスを教えている「男性の先生」たちが何度も登場して、参加人数で優る女性のパートナーを務めているのはさもありなんか。「先生」以外の一般参加男性は、それなりに「ダンス好き」のようで、仮に上達しても人前でダンスを見せるなどは到底できそうもない私には、彼らが異星人のように見える。なかには踊りながら無理に口の端をまげて笑う演技をする男性もいて、それを見ているとどうしても映画 “Shall we ダンス?“ の竹中直人の顔が浮かんできてしょうがない。もっとも日本のクルーズ船内のダンスタイムは一曲3分以上かかる曲ばかりで、私などは覚えているステップが数少ないため戸惑う事もよくあるが、競技会では普通1分半程度らしく、これならルーティンを元気よく大きく踊れそうだ。

さて日本の社交ダンスは教える先生が競技ダンス出身の人が多いため、カップルが楽しそうに群れると云うより、どうしても本格的なボール・ルームダンスばかりになってしまうようだ。外国のクルーズ船に乗ると、紅潮した顔で眉を吊り上げて必死に踊っている日本人カップルがいて悪目立ちする事があるが、西洋の(競技でない)ふつうの男女のダンスと「日本の社交ダンス」はかなり違うような気もする。自分を顧みても一方でダンスを習いながらも、他方でなにか違和感を覚えるアンビバレントな心理が共存して、この過程さえ超越すればこの先で「突き抜けた感じ」でも芽生えてくるだろうかと自らを鼓舞したくなる。まあ、あれこれ考えるのはもう少しうまくなってからにしようと、今後のダンス教室の予定を考えつつ競技会場を去ったのであった。

2016年8月 6日 (土)

プロに習うという事

妻に「ダンスはまずリードする男性が覚えて」と言われ 一念発起してダンスの個人レッスンに通い始めて早や2ヶ月(前回Shall we dance again?)。週に1度、会社の帰り道にダンススタジオに立ち寄り、女性の先生に30分ほど教えてもらうのだが、彼女は妻よりも相当若く、ダンスの日にはランチでにんにくの入った餃子など注文するのに躊躇したりしてどうも落ち着かない。こんなのやめて、家に帰ってビールでも飲みたいとの思いにつど駆られるが、すぐにそうするのも尻尾を巻いて逃げる様でしゃくで続けるのである。

それはそうとダンス教室などは、今までの私の行動パターンから縁のなかった場所である。競技ダンス部なのだろうか、レッスンを受けるフロアの傍らでは若い男性がテレビのショーダンスの如き振りで練習している日もあって、「へえ、若い男がこんなの踊るのか」などと改めてカルチャーショックである。もっともせっかく育てた息子が、体をくねらせお尻を振って踊っていたら彼の父親はなんて嘆くのだろうかなどと、つい時代錯誤の考えが浮かんできてしまう。

毎日通った飛鳥Ⅱの船上ダンス教室の先生が「日本は学校のダンス部出身の人が主に先生になるので、踊り方が競技ダンスの延長のようになります」と言っていたが、ワールドクルーズの船上ではしばしばこれみよがし、顔面は必死のボールルームダンスが目についた。本当を云えば私はアメリカ人がプロムで踊るような、べた足の気軽なダンスを習得したいところなのだが、ここは日本ゆえまず流儀にしたがって『真面目』にダンスを習い、ちょっとわかってきたらあとで自分で変えていくしかないのだろう。

という事でまずは正統派ワルツの練習である。船上でやったように大勢でステップを追いかける練習と違い、ここでは”決め”のポーズのほか、「ステップは地面を上から踏むのでなく流れるように前へ」とか「大きな円運動」、体の「ライズとフォール」などと「ワルツ」らしい運動を繰り返し教えてくれる処が個人指導たる所以である。若い頃は体をくねらせるような男はひっぱたいてやりたい、などと思っていたが、今では自分が一生懸命体をひねったりしてポーズをつけたりするのだから何ともおかしい。

こうして、あちらを意識すればこちらがおろそかになるを繰り返しつつ、少しづつ「それらしい」形になっていくのだろうか。先生からは「そろそろタンゴも練習しましょう」というところになったが、この先どこまでダンスが続く事であろうか。うまくなっても「男性の体の一部と女性の一部を密着させて意思を伝えるのですよ」などと云う種目を妻以外の女性と行うのに、なんとも面はゆさを感じてしまうのはぬぐえないだろう。もっともダンスの練習を妻とやると決まって「お前が悪い」「いやあなたがオカシイ」と喧嘩になるものである。

よって若い先生から「そう、それで良いです、上達をしています」と云われ「ああ、なるほど」とポイントが少しでもわかると嬉しいもので、プロに金を払って習うとやはり上達が違うものだと気づかされる。考えてみれば、これまで「無駄な自尊心」「根拠のない自信」にとらわれて人にモノを教わる事が苦手だったが、ダンスで個人レッスンを経験してみると、プロに金を払って習っていたらもっと上達できた種目もあったかも、とあらためて思えてくる。たとえばゴルフは永年、お金も時間もかけたものの結局うまくならず、最近はあほらしくなってプレーする事も止めてしまったが、もう一度最初からプロに習ってみようか、などという気持ちになってくるのである。

2016年6月29日 (水)

Shall we dance again ?

3月30日の飛鳥Ⅱ「ダンス編」でアップした通り、妻に送り出されて一人で近所のダンス教室に通い始めて約1ヶ月がたった。週に1回各30分のペースで5回ワンセットになる女性の先生による個人指導レッスンも、やっと第1クールが終わったところである。小・中学校時代にはフォークダンスさえ逃げまくっていた私だから、正直言って社交ダンスに対する心理的抵抗もないではない。だが、せっかく大枚はたいて乗船した飛鳥Ⅱで、何十日間もダンス教室に参加したのだから、ここで終わっては何とももったいないと云う気持ちでのレッスンである。まあ60歳台も半ばになってジョギングばかりしていると、このままいつまでも走り続けられるのかと云う不安も芽生えてくるので、ここでダンスも良いかとのひそかな思いもある。

と云うことで、今回のレッスン始めはまずワルツであった。船上では足型を追うのにかなりの時間をさいたが、陸の教室ではまず基礎の動きとあって、大きな鏡の前で腰を動かして重心移動の練習をしたり、体をひねってポーズを決めたりの時間が長い。「こうすれば女性が踊りやすいのですよ」と先生が示すと、やはり船上の多人数のレッスンとはかなり違う事が私にもわかる。パーティの席で酒でも飲みながら、何となくええ格好をしたいという不埒な動機の中年ながら、基礎からこうして習ってみると、ダンスは随分と奥深いものだという気がしてくる。基礎をマスターした上でこそ上手になれると云う事は、自己流でやって結局モノにならなかった我がゴルフ暦を反省してみれば瞭然だから、ここはじっと先生の指導に従う事にするのである。

不得意種目にチャレンジしているゆえに何らかのインセンティブが必要とあって、先生はきれいだし妻より若くてまずは良かったなどと思っていたが、考えてみればプロの個人レッスンは1分間に約100円宛チャージされている料金である。先生に手をとられて踊っているうちに、何か自動販売機に100円玉がチャリーン!チャリーンと音をたてて吸い込まれて行くかの如き幻想が頭をよぎっていくのが何とも悩ましい。しかし各地の公民館などで募集している「社交ダンス教室」は主に平日の昼で今の私には無理だし、基礎のキから教えてくれるプロのレッスンはさすが、とちょっと気分を新たにしているところだ。そのうち船上でカクテルを片手に見知らぬ女性を優雅に誘いだし”SHALL WE DANCE?”と言えたら、などと果かない夢を抱きつつ奮闘しているおっさんである。

毎週のレッスン教室会場
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2011年10月30日 (日)

見上げたもんだよ風呂屋の○○○○

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にっぽん丸のクルーズ料金が、都民クルーズで割引になると云うのでこの週末を利用して" ウイークエンド・秋の伊豆諸島周遊クルーズ"に参加した。金曜日の午後7時、仕事にけりをつけ、東京港から伊豆七島に向かうこのクルーズは”東京シティー・フィルと楽しむ週末”と云うテーマクルーズである。2泊3日のノンストップクルーズは、東京シティーフィルによる船内コンサートのほか、団員によるワークショップなどクラシックのイベントもあり、テーマによるものか "乗客の織り成す雰囲気" と云う点では、今までの国内クルーズの中では、特に気持ちの良いクルーズであった。


私たちの今回の乗船の理由は、都民割引というインセンティブの他に、”飛鳥Ⅱ”ワールド・クルーズで延々と習ったダンスを忘れない為に、ここらで一度復習をしてみようかと云う気持ちもあった。なにせちょっとステップを習っても、スポットライトに浮きあがるステージをダンスのカップルが縦横に踊るのを見ているだけで、気弱な私などは尻込みしてしまう性質である。しかしあの世界一周のダンス練習成果が自分の心身にどの程度変化をもたらしたのかを見るのは、”にっぽん丸”のダンスフロアーが絶好の舞台、なにせ生バンドでダンスを踊れる様なホールは都内でも今や数軒しかないそうだから、船の社交ダンス会場はこれ上ない復習の場なのである。


「 ここで逃げたら男じゃない 」と覚悟を決めて初日のコンサート後に、夜の社交ダンス会場をおそるおそる覗いてみる。すると居ました、例の通りダンス好きそうな男女がダンスシューズをはいて処狭しと踊っているのである。今までなら「 あの中に飛び込むのは勇気がいるなあ 」「 人が見ているなあ 」などと感じただけで頭の中が真っ白になり、その次の足が出なくなって「 やっぱり帰ろう 」とダンスモードになった妻の不興を買ったところである。ところが今回は「 よしあれだけレッスンを受けたのだから、行ってしまえ 」とくそ度胸も定まり、達人たちのステージに妻と勇躍乗り出す。


すると、何故かいつもよりスムースに体も動き出して、心配した「 頭の中が真っ白 」という現象も起こらない。もちろんちょっと忘れたり詰まったりもする処もあるのだが、結構冷静にリカバリーをしてルーティンに戻せるとは我ながら大したものである。ラテン・モダンと数曲こなす中なぜだか急に自信も湧いてくるのだが、こうなると現金なもので、「 なんだうまい人との差も、相対的なものじゃないか、そのうち何とかなるさ 」などと、無闇に根拠なき自信が湧いてくるのも私の単純なところ。結局二晩で2時間半ほど妻もびっくり、エネルギッシュにダンスを踊ったのであった。


たしかに私の学校には「 練習は不可能を可能にする 」という名言があり、スポーツでは「 流した汗は無駄にならない 」などという言葉もあるが、ダンスまた然りで、あれだけ練習回数をこなせば、何とか私の様なシャイな人間でも人前で踊れる様になる事が実証されたのである。この日が来るのを待ってきつい言葉や「 蹴り 」で私をリードしてきた妻が、「大したもんだ、人前で躊躇しなくなったのは 」と誉めれば、私も「我ながら見上げたもんだよ、風呂屋のフンドシ 」と寅さんのセリフが自然と口から出てきて、思わず船上で口笛を吹くのである。

2011年6月 6日 (月)

ワールドクルーズ・ダンス教室

船旅とくればダンスである。昔の大西洋を亘る定期船のホールで、ダンスを踊る貴族などの映画を見ると、何と優雅ですばらしいものかと思う。しかし私がダンスを習うなどと云えば大抵の人は、「 冗談だろう 」とのけぞって吹きだすほどであるから、私自身としても踊る事について心のこだわりがないわけではない。ではあるが、どんなものでも「 たしなみ」は、知らぬより知っていた方が良いだろうし、長い船内生活で何か身につけられるとすればダンスくらいのものだろうかと思い、変わらず船内のダンス教室になんとか通っている。


日本を出てクルーズも60余日、そのうち約50日間の終日航海日の朝と夕に2回づつ行われるダンス教室は、これまで計約100回ほど開かれた事になる。ダンスは多分ワールドクルーズの各種催しの中でも最も人気のある教室の一つと思われ、教室の進め方で、参加者からの熱心な希望や苦情が多いそうである。中にはオーバーランドツアーで、1週間も飛鳥Ⅱから離れている間、ステップを先に進めないでくれと要求する人もいるとの事で、先生もあれやこれわがままな注文をさばくのに大変である事が伺えるのである。


子供の頃から踊りなどやれるか、と硬派を気取っていた私としては、連日のダンス教室は、はっきり云って食事のたびに嫌いな料理をこれでもかと出される様なもので、嫌気が差すこともままある。しかし妻の叱咤激励に逆らうと、のちのち拙い事になるであろうから、なんとかここまで続けて来たのだが、よちよちステップながらブルース・ジルバ・タンゴ・ワルツ・など約10種目を次々と毎日の様に良く練習したもので、この点では自分を自分で誉めてやりたくなるほどだ。


もっとも練習には参加するものの、毎夜ホールで開かれるダンスタイムは、ベテランの人たちがところ狭しと踊っていて、気の弱い私などはちょっと覗いただけで気後れして、踊らずに自室に帰ってきている有様である。なにしろ「 ダンスが上手になるために、これまで払ったレッスン料は高級車一台分 」などと豪語している人たちが踊っているから、「 ダンスを覚えるのにそんなに金がかかるなら、だんぜん高級車を買った方が良い」 などと思っている私にはついていけるはずもない。「 夜のダンス会場にいらっしゃい、もっと上達するから 」と言われると、「 外国船ではワルツやルンバをまともに踊るとかえって『浮いて』しまうからこれで十分 」などと偉そうに負け惜しみをうそぶいている毎日なのである。


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2011年3月 7日 (月)

情熱のタンゴ

悪戦苦闘しながらも夫婦で通っているダンスコースも、何とかワルツの基礎を覚えいよいよタンゴである。タンゴと云えばスロー・スロー・クイックなどとステップを踏む間に、顔の向きもくるっと進路に向けて変えなければならない様だ。ステップを覚えるのに誠一杯なのに、顔の向きにまで気を使えるものか、と内心ではおっかなびっくりなのだが、これをやると何となくそれらしい踊りになって、映画「シャル・ウイ・ダンス」の竹中直人のダンスシーンみたいである。教室の鏡に映るタンゴを踊る自分の姿を見ると、竹中直人のカツラ姿を思い出して、思わず噴きだしたくなってしまうのである。

 

 

それにしても社交ダンスは随分と密着して踊るもので、正式な組み方を習うと、妻以外の女性と踊る場合にこんなに密着して良いものかと感じる。タンゴはその中でも情熱的な踊りなのだそうで、かなりタイトな組み方をしなければならない。女性の足の間に自分の足を割って入れてコントロールしなさい、などと言われても、妻以外の女性にダンス初心者でそんな事ができるか、と後ずさりしそうだ。

 

 

もともと余計な事を考えずにすみ、あたかも体育の授業の延長感覚でレッスンが出来るだろうと考え、男性プロの先生に教えてもらっていたのだが、今日は先生の都合で途中から急に女の先生になったのには目が点になった。歳の頃40前のなかなか美人なのだが、タンゴの組み方はこうですなどと、心の準備ないまま女の先生と組み、彼女の顔が間近に迫ると、こちらは「そういえば今朝、俺はちゃんと顔を洗ったかな?」とか「鼻毛が伸びているんじゃないか?」「歯槽膿漏は無いって歯医者が言ってたよな」などとダンスどころでなくなって、この場を逃げ出したい気持ちになるのであった。

 

 

よほど、この行き詰る空間から早く解放されたかったのだろう、普段はレッスンが終わった後、しばらく妻とフロアーの片隅で復習するところを、今日は終わるやいなや脱兎の如く靴箱へ行って、さっさと自分の靴に履き替えて帰ろうとしていたそうである。まるで終業のベルが鳴り終わらぬのに、先生が授業をまだ続けているのを横目に、教科書を片付け始めるどこかの中学生の様だ、と妻は大笑いであった。

 

 

まあ中学校ではフォーク・ダンスさえ逃げ回っていた私が、タンゴを習っていると云うだけで、立派なものだと自分を誉めたくなるが、何でも手をつけて始めてみれば、それなりに興味も湧いてくるものだと分かった。それにつけても鏡に映る己のダンス姿を見ると、踊るという事はあまりに非日常的な世界の事ゆえ、これに嵌る人も多いと言う事も何となく理解できるこの頃である。

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