カテゴリー「ジョギング・マラソン」の記事

2020年6月30日 (火)

皇居・北の丸公園

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都心と思えぬ緑の庭園を走る

皇居周回コースは今や都心で走る人のメッカのような場所となり、多くのランナーが昼夜問わず走っている。信号もなく安全で走りやすのだが、週に何度も走っているとさすがに飽きてくるものだ。そんな時にはすぐお隣にある皇居・北の丸公園でジョギングをすることが多い。公園と云えば都心には日比谷公園や皇居東御苑などもあるが、日比谷公園が和洋折衷の庭園、東御苑は名所・旧跡となっているのに対し、北の丸公園は都心の緑の森の公園だといえよう。皇居北の丸はもともと江戸城の火災除け用地だった場所で、江戸中期より徳川家の御三卿家である田安・清水両家の領地になっていたそうだ。明治以降は近衛師団の兵営地で立ち入りができなかったが、戦後は森林公園として整備され、東京オリンピックに際してその一画には日本武道館が建てられている。昭和44年からは環境省が管理する公園として、常時一般に開放されている場所である。


この皇居北の丸は周囲の長さは約1.6キロほどのこじんまりした場所なのだが、園内に造られた遊歩道を辿れば、一周1.3キロほどの起伏に富んだ周回コースをつくることができる。ただしここでは環境省北の丸公園利用案内に「個人・団体を問わず、公園内の歩道・遊歩道、車道等においてランニング(ジョギングを含む)される場合、タイム計測やインターバル・ダッシュ等に代表されるような、いわゆる『スプリント・ラン』については、例え全力疾走でなくとも絶対に行わないでください。また、大会等への参加を見越したマラソンの練習についても、その疾走スピードは『他の来園者・利用者にとっては脅威』なので絶対に行わないでください。」とあるように、他の通行人の迷惑になるような、あるいは集団で走るような行為はご法度である。あくまでゆったりと公園の情景の一部となるように走ることが求められるのである。


という事で私はタイムを計測したり目標をもって走る際には隣の皇居周回コースを、ゆっくりと気分よくジョギングしたい日には北の丸公園を利用することにしている。緑多き園内は中央に池が配置され、その周囲は山道あり渓谷あり竹林もあり、さらには湿性植物園などもあって景色に飽きることがない。森の中には旧近衛連隊の碑もあり、コンパクトな敷地の中に上手に公園が造られている事がわかる。春は桜の花、今の季節なら木漏れ日を、秋になれば紅葉を楽しみながら園内を巡ると、走る辛さも忘れ、いつまでもこの道が続いて欲しいと云う気持ちにさえなってくる。ここは最寄の地下鉄竹橋駅や九段下駅からやや離れているため、普段は訪れる者も少なく、地元の人や近隣の勤め人が訪れる程度である。本当はなるべく秘密の場所にしておきたいような静かな公園なのだが、都会のど真ん中で緑豊か、鳥の声を聞きながらゆっくり走ったりそぞろ歩くには最適の場所なのである。

深山幽谷のような一画もある北の丸公園
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2020年5月15日 (金)

ジョギングを継続するには

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皇居のコースも武漢ウイルス禍でランナーが減った

完全テレワークになって2か月。週に一度はファイリングなどの為に事務所に行く以外は通勤の必要もなく、商談も面倒な事は「今や時期にあらず」で先延ばしされるため時間に余裕がある。おりしも気候がよく外で走るには絶好の季節とあって、ついついジョギングの距離や時間も増える。今日はまだ月の半分、15日目なのだが日記をみるとすでに今月は140キロほど走っており、このまま行くと月末には走行距離が300キロ近くになるだろう。昔は長距離の選手は月600キロ、多い月で800キロくらい走ると云われていたから、速さや練習の質はまったく違えどもかつての部活時代の半分近くは走っていることとなる。


考えてみれば中学3年で走り始めてから50年以上になる。まずは今でも毎日のように元気に走れることを、お天道様に感謝せねばなるまい。ただ日課のジョギングも、日によっては走ることが億劫で気がすすまない時がある。また走り始めても何故か積極的に身体が前に進まないような気がする日もある。そんな際にどうやって「走る気持ち」をキープするかは、ジョギングを続けるにあたり腐心する事だと云える。まず実践するのは、同じ走るのでも、日々の気分によって走る目的を変え、違うコースを走ることだ。かつて学生時代に、当時バリバリ順天堂の沢木監督を招いて話を聞いたことがあり、同僚が「飽きずに長い距離を走るにはどうすれば良いのですか?」と質問すると「まずは400米のトラックを何十周も走りきれるようになってからそんな事は考えなさい」と言われてしまったが、競技するわけでないジョガーならまず嫌にならないような動機付けが必要と云えよう。


という事でジョギングを無理なく継続するのは、走るコースを日々変えることだろう。桜の季節には花見ができる場所まで走ってみる、新緑の頃は公園まで走って行くなどのほか、たまには郊外まで走って行き、帰りは電車にするなど目先を変えることで気分転換がはかれる。ガイドブック片手に都内・近郊の名所、旧跡を訪ねて走るのも良き気分転換の機会である。都内でも10キロも走れば、さまざま場所に江戸時代の遺構や歴史的な遺跡が発見できる。最近はそういう場所に説明版や案内の掲示なども整っているので、じっくり往時の気分に浸るのも良い。その他に自分一人で決めたコース上(私の場合には皇居周回コース)で目標タイムを設定し、タイムトライアルをするのも刺激になる。その記録を取っておくと1年前、5年前、10年前に同じ季節の同じコースでどの位で走れたのが判り、それが練習の励みになったり、反対に自分の老化を実感できたりするものだ。


最近実践しているのが坂道を「喜んで」上る事である。坂道は傾斜の先を見ずなるべく足元だけを見つめて上ると、心理的な負担が少なく感じるものだが、逆に勾配を「意識」し、これを「克服」するように思って走ることにしてみた。というのは65歳を過ぎて体幹、特に大腿四頭筋や腸腰筋が衰えると云われるので、坂道はこれらを鍛える絶好の機会ととらえ、むしろこれを迎え入れる気持ちにしてみたのである。上りながら体幹に意識を集中してみると、人間は嫌いなものでも積極的に立ち向かい、それに意義を見出せば辛さも半減することが今さらながら判る。また腕ふりも走るセオリーに反し、前後ではなく時に左右に振ってみると辛さが和らぐということを最近感じている。ただ、どんな日でも走り終わった後のごほうび、缶ビールの栓をプシュっと開けゴクンと一口飲む場面を想像する事が、走り出す一番のモチベーションになっているのは間違いない。

時には丸の内の有名菓子店に買い物に走るのも練習の一環
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2020年5月 3日 (日)

ジョギングにマスクがいるのか?

どうにもわからないことがある。武漢ウイルスに際し、他人にうつさない為に、ジョギング中にマスクをつける人がいるのはなぜなのか。かつて陸上競技の長距離でマスクをつけて走る練習をする学校があったが、マスクを着用することで空気の取り込み量が減り、その負荷が酸素摂取能力を高めるという目的があったようだ。このようにマスクをして走ると空気のスムースな取入れが阻害され、身体はすぐに息苦しくなって余計な負荷がかかることになる。また、これから汗をかく季節になると、布や紙でできたマスクはすぐに汗で濡れてしまい、長い時間とても着けていられなくなる。今回マスク必要説の根拠にされたと云う欧州の研究例では、走るランナーの後ろ10米くらいまで空気的な影響があり飛沫が飛ぶ可能性があるかのように書かれているが、どうもそれはスリップストリームなど実験の場での流体力学的な推論のようだ。その実験とウイルスの感染が直ちに結び付くのかは甚だ疑問な内容と云えよう。


武漢ウイルスは「飛沫」と「接触」で感染するとされる。しかし、そもそも走っている最中にジョガーは飛沫など飛ばすのだろうか。走りながら会話や咳をしたり、痰を吐けば飛沫は飛ぶであろうが、多くのジョガーがそうしているように黙って走っている限り飛沫がどこから出るというのだろうか。広辞苑で調べると「飛沫」とは「飛び散るあわ。しぶき。とばしり。」であり、「とばしり」とは「とびちる水。しぶき。飛沫。」とある。さらに「飛沫感染」とは、「唾液や喀痰の飛沫などによる病気の感染」であって、普通にジョギングしている限り唾液や喀痰、あわ、しぶき、とばしりなどは出ないのに「飛沫感染」とはどういうことなのだろうか。あるサイトでは、ジョギング中は勿論だが、歩いていても人からは「飛沫」がでると主張しており、そうなるとただ普通に呼吸をしているだけで、世の中どこも飛沫だらけということになってしまう。どうもこの問題では、客観的事実より気分が優先してしまっているように感じてならない。それとも「飛沫」は辞書的な定義と、医学的な定義が違うというのだろうか?


このまま何もしなければ日本では42万人が武漢ウイルスに罹ると発表した学者がいたし、少し前には2週間後の東京は今のニューヨークになるとネット記事をのせた在米のジャーナリストもいた。「何も対策をしない」などということはその時点でもすでにあり得ない前提だったし、その後も状況に応じて対策は変化しているから、そのような数学の学理的な発表はまるで意味がない。また国民皆保険制度がなく、医療環境が日本とは大きく異なり、経済格差も大きいニューヨークと東京では条件がまったく異なるのに、比較することに意味があるのかと思っていたら、2週間後の東京はやはりそうなってはいなかった。どうやら武漢ウイルスに関しては、第一線で実際に治療に奮闘していない「その他」の人たちによる恐怖ビジネスが展開されているようだ。この騒動が終わったら、どの(自称)識者、どのメディアと(自称)ジャーナリストが無責任な不安を煽りたてたのか、だれか一覧表でも作ってくれないかと最近思っている。

 

追記:今日(5月3日)昼過ぎに皇居コースで定点観察したところ、目の前を通過する50人のジョガーのうち30人がマスクを着用していた。ただしマスクをまず着用しない外人やシリアスランナーが多く走る時間にはこの比率は下がると思われる。

2019年9月16日 (月)

MGC マラソン グランドチャンピオンシップ 沿道応援

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飯田橋(37キロ)地点の先頭集団、優勝の中村選手(2番目)や3位大迫選手

来年の東京オリンピック代表選考会となるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)が、自宅近くの外堀通りを通るというので昨日は沿道に観戦に行ってみた。とかく物議をかもすオリンピックのマラソン代表選考だが、今回は最近の各地の大会で実績をつくった限られた選手たちによる一発勝負のこのレース(MGC)1位・2位が自動的に代表になる。大事な一発選考レースに出場する男女エリートランナーたちが、目の前をどんな走りで通り過ぎるのか楽しみなところだ。ラグビーのワールドカップや来年のオリンピックの観戦チケットが何万円もすることにやや違和感を感じてしまうなか、マラソンの沿道観戦だけは無料というのもちょっと良い。

わが家からは往路・復路とも歩いて沿道で観戦できる距離なのだが、今回は男子が精鋭30名で女子はわずか10名余の参加とあって往路は一瞬で目の前を通り過ぎてしまう。まだまだ日差しが強い中、行きの選手を見送ったあとに1時間半も炎天下で待つのは疲れるので、昨日はレース前半の模様をテレビ観戦し、レースが近づく10時半ごろに飯田橋駅近くに繰り出すことにした。テレビで見るレースも中盤、そろそろかと家を出てみると外堀通りに向かうすべての道には警察官やボランティアの整理係が立ち、猫一匹通さない交通規制が敷かれている。きっと来年のオリンピック本番を見据えて予行の意味もあるのだろう。

待つことしばし、最近はスマホなどでレースの展開が克明にわかるので、選手が通り過ぎるのを待つのも余裕である。沿道はやはり応援する観客で埋まっているものの、4万人の市民ランナーを応援する人たちでびっしりの東京マラソンより道路間際で応援することができる。いよいよ警察やオフィシャルの車両に続き、テレビ中継車の後ろに選手が迫ってくると、沿道は拍手や応援が一斉に飛び交う。見ると目の前では前半飛び出したホンダの設楽選手の足が止まり、すぐ後ろ50米ほどの集団に吸収されそうな場面が展開されている。エリート選手の集まりといえど、さすがに暑さの中、ここまで駆けてきた選手たちの足取りは軽くはないようだ。

飯田橋は復路の37キロ地点で、ここから外堀通り・靖国通りを曙橋まで約3キロだらだらと上りが続き、そのあとコースは富久町から四谷四丁目まで急坂を駆け上がる。レースも山場、市民ランナーと違って通り過ぎる選手たちからは、オリンピック参加に向かう必死の様子が伺えて応援する方もつい力が入ってしまうものだ。特に暑さの中、この先の長い坂に挑戦する女子選手たちにはひときわ大きな声援を送りたくなる。やはり選ばれたランナー達だけのレースとあって、通りすぎてしまうとあっという間のマラソン観戦だったが、彼らの力走を目の前でみると何かエネルギーを貰った気持ちになるから不思議なものだ。マラソンや駅伝を沿道で観戦した後はいつもそうなるとおり、日課のジョギングはいつになく力が入って速く走ってしまったのである。

女子7位 福士選手
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2019年6月27日 (木)

いだてん~東京オリムピック噺~・前半終了

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金栗四三のバナー

日曜夜のNHK大河ドラマには近年まったく興味がなかったが、今年の「いだてん~東京オリムピック噺」の前半部(6月末までの陸上編)は毎回必ずチャンネルを合わせ楽しみに見た。滑舌の悪いたけしを落語家として配するミスキャストもあって番組は低視聴率に泣いているそうだが、主人公・金栗四三はじめかつて陸上競技界の草創期に活躍した大先輩たちの話がとても興味深い。むかし教科書や専門誌で読んだ雲の上の彼らの生きざまがドラマを通じて活き活きと展開されると、伝説の存在が急に身近に感じられるようだ。

この大河ドラマ、かなり面白おかしく造られたストーリー展開なのだが、実は随所に陸上経験者なら知っている背景や裏話が入っており、それを読みとくのもこの半年間の楽しみだった。我が国の長距離競走の先駆者だった金栗四三の活躍はもちろん、私も履いたハリマヤシューズと陸上界の関わり、東京高師(現・筑波大)が日本の体育やスポーツ普及になした貢献、日本女子体育大学の創始者・二階堂トクヨと高師の関係、箱根駅伝と読売グループなどなど、他にも「な~るほど、そうだったのか」と目からうろこの逸話も毎回見られたのだった。

話の中で、人力車夫の存在がかなり大きな要素になるのは、陸上競技の草創期に「プロ」のランナーであった人力車夫がトラック種目で活躍して問題になっていた事が背景にあるのだろう。実際に明治36年の第8回陸上競技大会(現在の日本選手権)のマラソンでは、1位から5位までを人力車夫が占めたが、結局アマチュア規定違反で失格になっている。また大正14年の第6回箱根駅伝は、日大が3区に登録選手の身代わりで人力車夫を起用し問題になり、日大は翌年の出場を取りやめたこともある。

ドラマの中ではハリマヤのマラソン足袋が大きく取り扱われており、事情を知らない人は実存した一介の足袋商店の異例の扱いにいぶかる声も出そうだ。しかし長距離走の黎明期に金栗四三の助言を得て、多くの選手に足袋を供給したハリマヤの貢献は知る人ぞ知るところである。「いだてん」は玄人好みのドラマだとも云われていたそうだが、まさに云いえて妙の評価だと思う。とにもかくにも主人公の金栗四三がいなければ、お正月の箱根駅伝もなかったわけで、そう考えると彼の存在は私の人生にも影響を与えてくれた事になる。さてドラマの後半、水泳の田畑政治の活躍はいかばかりだろうか、これも楽しみである。

大塚にある金栗足袋発祥の地の銘板
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2018年10月 5日 (金)

60歳代後半のランナー

人生も60歳代後半になると、筋力の衰えを如実に感ずるものである。60歳くらいまでは皇居一周、ちょうど5キロで高低差約30米のコースを20分以内で走れたが、いまやとてもそんな記録はだせない。それでも65歳になる前は、頑張ると21分くらいで一周できたのが、65歳以降になると22分を切るのに 「ハーハー!、ゼーゼー!!」と喘ぐ始末である。速度にすると5キロの距離を時速15キロで走れたものが、時速13.5キロくらいでしか走れなくなったというわけである。


そう云えば、かつて国際大会で活躍したような元大選手が、還暦過ぎにレ―スに招かれて走るのを見ると、名選手もずいぶん遅くなったと感じたものだ。特に65歳以降に招待された場合は、若い頃と違って、よぼよぼした走りで、まるで他人事として見ていたのだった。ところ変わって今度は自分がその年齢の老人になると、ちょうど彼らのようで、おのれのフォームが町のショーウインドウに映るところなどをみると、一生懸命に走っている割にはよたよたのゆっくりジョギングのように見えて何とも情けなくなってくる。


たとえばいま私が、皇居一周を時速13~14キロで走ろうとした時、ふつうスタートして3キロ~3.5キロくらいで息が苦しくなる。以前なら苦しくともそのままのリズムで5キロ程度は押し通せたのだったが、60歳代後半となると、そこで腕を意識的に振ったり、ステップを維持しようと努力しても、ただバタバタと苦しさに全身もがくばかりでスピードが持続できない。生理学的な知識はないのだが、筋持久力というのだろうか、酸素やスタミナが切れた状態のなかで、筋肉が踏ん張る能力が失せてきた事を如実に感ずるである。


これが老化という事なのだろう。若い頃はまったくの無名選手で、いつも他人の後塵を浴びせられてきたのだが、永く走ってきたおかげで、今は同年代のレースでメダルや賞状を貰えるようになった。だが最近こうも遅くなってくると、次は「70歳代以上」という部門がある大会を狙って走るしか良い思いができないかという気もしてくる。もっとも最近思わぬ大病・手術をして気弱になった私に妻がくれた斎藤茂太氏の「モタさんの楽ラク人生術」という本には、「他人と比較するな」 「ある年齢になったら無理に体を鍛えるなかれ」「年齢相応と思って生きるのが楽なみち」とあって懸命に走るのはもう卒業するかという気持ちも一方でおこるのである。

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息の苦しくなる3.5km過ぎ

2018年2月26日 (月)

東京マラソン2018

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だいぶ前後もばらけてきた終盤の芝公園地点

義理の妹が東京マラソンに出たので、昨日は都内数か所あちこち廻って彼女の家族と応援してきた。天気は曇り空で気温は低いものの風がほとんどなく、応援にはまずまずのマラソン日和である。通過地点そばの地下鉄階段を上がり地上に出ると、いつもは多くのクルマが行き来する大通りを、市民ランナーたちが河の流れのように通過していく。沿道はどこもランナーたちを応援する友人や家族たちが二重、三重の人垣を作って立錐の余地もない。3万人余りの参加者を応援する人たちが、地下鉄で都内あちこちを移動するのだから、この日はさぞかし都営にしろ東京メトロにしろ地下鉄がウケに入っていることだろうと想像される。


それにしても目の前を通るランナーを応援していると、最近は外国人がとても多いのに気がつく。特に目立つのが台湾から来た選手たちで、彼らは団体ツアーなどで大挙してやってくるのだろう。“タイワン加油(ジャヨウ)”と声援を送ると、序盤は皆にっこり笑い返してくれるも、後半38キロ地点の応援ではうなずくのが精いっぱいというのもご愛嬌。そのほかドイツ・北欧・イギリス・イタリア・アメリカなどそれぞれのお国柄をプリントしたウエアを着込んだランナー達に、”ビバメヒコ!””GO AUSSIE"などと声援を送っていると、次第にこちらも大会に参加している気分になってくる。


目の前の大河のごとき流れも、シリアスランナー達が通り過ぎると、奇抜な恰好の人たちが増えていくのが面白い。オロナミンCの茶色の大きな瓶が通り過ぎれば、富士山の着ぐるみを着たランナー、帽子から靴まで上下真っ白なスーツ、和服姿とか金太郎、アラレちゃんにミニーちゃん、ウオーリーにマリオ、あるいは鞄を持った背広のサラリーマン姿も走っていく。酒飲み風おっさんは、蓋をした生ビールのジョッキを持って42キロも走るようで何ともご苦労さんなことだ。それぞれこの日のために準備したウケ狙いコスチューム姿に「いいぞオロナミンC!」などと声援を送ると、皆ここぞとうれし気に手を振ってくれる。マラソンはまさに人と人とのふれあいの場である。


さて最近は応援するランナーが現在どこを走っているのか、一瞬にしてスマホのアプリで見る事ができ、これを目安に地下鉄の降車駅がわかって便利である。それでもホームから地上に出ると、目の前の途切れぬランナーの流れに戸惑い、お目当ての人を見つけるのは難しい。幸い今回の義妹は序盤から梅宮辰夫のお面をしたランナーの後ろを走っていたので「梅宮が来たらもうすぐ」と目印が明瞭で探しやすかった。という事で梅宮の目標が良かったものか、日頃ほとんど走る練習もしていない彼女は5時間そこそこで無事ゴールにたどりついたのであった。こうして走らない者も楽しめた東京マラソンも、警察や消防、大勢の関係スタッフ、その他多くの支えがあってこそ無事に運営されているのが現場に行くとよくわかる。彼らに感謝しつつコースを後にした日曜日だった。

東京マラソンに関する過去の記事
東京マラソン2015 「マラソンには魔物が棲む」か?(2015年2月23日)
東京マラソン 2014・ボランティアの記(参加してこそ・・・)(2014年2月24日)
東京マラソン2013・皆が勝者(2013年2月25日)
感謝・東京マラソン2012(2012年2月26日)
魔の30キロ・地獄の35キロ(2011年2月28日)
東京マラソン応援(2010年2月26日)
東京マラソン後日譚(2009年3月27日)
妻の東京マラソン初挑戦(2009年3月22日)

2018年1月31日 (水)

第16回新宿シティーハーフマラソンは棄権願望のチキンレース

飛鳥Ⅱのクルーズから帰った翌日の日曜は、恒例の新宿シティーハーフマラソンである。第16回目となるこの大会は、東京の真ん中を走るハーフマラソンとして人気の大会だ。最近は東京マラソンの前哨戦としてこれを走りたい人も多く、抽選で出場の可否が決められる中、我々新宿区民は優先枠があるので、今年も気軽に申し込んでおいたものである。とはいうものの昨年のこの大会以来、20キロを超える距離は練習でも走った事がないし、なにより飛鳥Ⅱの船内では怠惰で贅沢三昧の時を過ごしたから、とても寒風のなかハーフマラソンに飛び出す気分にはならなかった。


飛鳥から帰って、天気予報はどうかと見れば当日は曇りで最高気温が5度との事で、それを聞くとますます萎えてくる。おまけに今回は妻ではなく一緒にレースに出る事になっている義理の妹は、一体どうしている事やらと前日LINEをチェックすると、彼女は昼からずっと何かイベントの打ち上げで飲んでいるという。夕方には「明日はムリかも」とあり、LINEの別の参加者からは「このままじゃ、明日倒れるから棄権をしなさい」と忠告が入っている。この様子なら彼女はまず出走しないだろうから、こちらもスタートに行かない良い口実ができたと思いつつベッドに入った。


とは思ったものの念のため当日早朝に確かめると、前の晩遅くに何を思ったのか「おやすみなさい、明日はとりあえず行きます」とびっくりの方針大転換。このまま二度寝を楽しもうかとすっかり棄権モードになっていた私だが、かなり年下の義妹の手前、走る方では大先輩である私がそう簡単に辞めると言うわけにいかなくなった。「やめるんじゃなかったのか!?」としぶしぶ準備を整え、会場の神宮球場に向かったのである。


ということで実に気合の入らないハーフマラソンだったが、彼女の方は心配していた関門の制限時間をクリアーして無事完走、私も年相応に記録は落ちたものの、60歳以上の部では今年も何とか入賞できたのであった。義妹は姉である私の妻から、私があまり走る気がないと聞かされていたようで、私が先に走らない宣言をしたら、渡りに船とばかりにやめられると思っていたそうだ。お互い「棄権」という誘惑へのチキンレースを競いながら、ついに引き下がる事ができずにギリギリまで粘り、その結果がまぁオーライだったというのがこのハーフマラソンの真相らしい。

スタート・ゴール会場の神宮球場のベンチから。野球の監督達はこの視線でゲームを見ているのか。
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2016年12月 1日 (木)

ねんりんピック東京都選手団解団式とスクワール麹町

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東京都選手団団旗返納

長崎ねんりんピックの東京都選手団解団式が、先の日曜日に四谷駅前のスクワール麹町で行われた。参加22種目、約400人の役員・選手のうち、解団式に集まったのは人数的に全参加人数の半分ほどだろうか。好成績であった水泳やマラソンの結果が紹介され、それぞれの競技の戦いぶりが報告された後、参加団旗が東京都体育協会に返納されて、今回の長崎ねんりんピック東京都選手団の活動は打ち上げとなった。会場では各種目競技チームからそれぞれ1名の代表がこの大会に参加した感想を述べたが、主に70歳台になろうという各長老の話しっぷりはしっかりしていて滑舌もよく、とても老人のスピーチとは思えなかった。ねんりんピックに参加するような元気なシニアたちは、しゃべる方も若者以上に元気なものだと目を見張ったのである。


そういえばねんりんピックのマラソン(各3キロ・5キロ・10キロの3種目)では、総じて60歳以上の部でも70歳以上の部でも、その年代に達したばかりの”若い”人が上位に多数入っていたようだ。その中で西日本のある県の代表が68歳にして60才台の部で3位になっており、「年齢が上がっても、やりようによってはまだまだ走れるのだ」と私はその人の走りっぷりにずいぶん勇気づけられた。こういう元気なランナーを見ていると、私も60歳代の後半になっても、Young at Heartで頑張ってみるかと云う気持ちが湧いてくる。今後、仕事に拘束される時間が減って練習時間はよりとれる事になるだろうから、まずは2年後のねんりんピック富山大会の東京予選に出るべくトレーニングをつんでみようかと欲も沸いてくるのだった。


それはさておき、2度にわたるねんりんピック大会出場に際して、集合場所として四谷駅前のスクワール麹町に何度も来たが、この便利な施設は11月30日で土地借用契約満了のために全館規模での営業が終了する。施設の一部こそ来年はまた使用できるとの事だが、ここはねんりんピックの他、かつて仕事関連の集会のために何度か来たことがあり思い出深い会館でもある。元々この場所には消防署があって本来は東京消防協会の厚生施設だと云うが、来年以降は駅前のこの立派な建物はどうなるのだろうか。ただ次回もし都の予選を突破しねんりんピックに出られる事になっても、その時に集まるのはこの場所でないのかと思うと、ちょっと寂しい気持ちもする。そんな感慨を抱きつつ、フランス語の「広場」という意味からきたスクワール麹町で行われた解団式に参加したのだった。

2016年10月17日 (月)

ねんりんピック長崎に参加して

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ねんりんピック長崎の開会式

この週末は、”長崎でひらけ長寿の夢・みらい”と銘打たれた第29回全国健康福祉祭(ねんりんピック長崎)のマラソン交流大会に参加した。国民体育大会(国体)が日本体育協会や文科省が主催するに対し、こちらの”ねんりんピック”は60才以上の高齢者の大会として厚労省が主催(共催:スポーツ庁)するイベントで、毎年、日本の各地持ちまわりで開かれている。参加者の年齢からして本格的な競技志向というよりは、「地域や世代を越えた交流」を趣旨とするので、同じ強い選手が続けて出る事がない様に、選手は隔年にしか参加できない仕組みになっている。私も東京都の予選を突破して、一昨年の27回栃木大会以来のマラソン交流へ出場である。


土曜日は秋空に恵まれ、諫早にあるトランス コスモス スタジアム長崎陸上競技場では、常陸宮華子さまご臨席の下、スポーツ庁の鈴木大地長官も参加し、盛大な開会式が行われた。全国の都道府県に加え各政令指定都市の代表選手団は入場行進や式典の後、スタンドに着席して配られたお弁当を楽しんだが、2万人収容できる観客席がほぼ満員だったから、各競技にそれだけの数の選手・役員たちが集まった事がわかる。これを見ていて思わず宿代や貸切バス代の他おみやげ費用なども含め、何億円の経済効果が開催県にあるのだろうかと疑問が浮かんできた。参加する選手には、交通費・宿泊費に一定の補助が各出身地方から出ているし、国体ではそれらが全額公費負担だそうだから、国体やねんりんピックなどは、お金が開催県へ循環して地方を活性化させるシステムとしての役割もあるのだろう。


などと野暮な事ばかりでなく、実際に町をユニフォーム姿で歩いていると、子供たちが必ず「こんにちは」と声をかけてくれるのがとても気持ちよい。きっと全国からお年寄りが集まってくるから必ず挨拶をする様に言われているのだろうが、彼らにとっても観光バスが何百台も集まり、大挙して老人が我が町に押し寄せてくる光景は印象深いものに違いない。それにしても開会式の地元の高校生たちで構成されたブラスバンドは素晴らしかったし、様々なダンスのエキジビションも完成度が高くて感心した。こうして子供たちの挨拶をうけ、年々レベルが高くなっているような課外活動に触れる一方で、老人たちがピンピンと元気で走ったり飛んだりしているのを見ると、日本はやっぱり良い国だと思うのである。


さて男女あわせて250名ほどが参加した3キロ、5キロ、10キロの各マラソンは、男性選手の多くが短いランパンにランニングシャツ姿のシリアスランナー・スタイルで、いまどきの若者に多いタイツを履いた”なんちゃってランナー”風はあまり見ない。最近の各地の普通のマラソン大会より余程こちらの格好が「本格的」なのは、それぞれが各地方代表として誇りを持って走る証であろう。もっとも急に蒸し暑くなった天気の影響からか、頑張りすぎて足に力が入らなくなり、ふらふらになって倒れる男性ランナーが何人かいたのは年齢を考えると仕方がないか。ただ女性ランナーには倒れる人がいなかったようだから、歳をとっても女性の生命力は男より強い事をあらためて思い知らされた。私は今回も入賞する事ができてメダルを貰えた上、各県代表のランナー達といろいろ交流でき快い疲労と共に帰京してきた。

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