恨めしの山陽新幹線500系
三原港で「シースピカ」号による「せとうち島旅クルーズ」を下船した後は、「大人の休日倶楽部・ジパング」を利用し3割引きの新幹線で帰京することにした。といってもジパングの3割引は「のぞみ」号の特急券には適用されないため、三原駅から新大阪駅までは山陽新幹線「こだま」または「さくら」の自由席を利用し、その後は「ひかり」の指定席で手堅く東京まで帰って来ることに。旅行前に時刻表を詳細にチェックしていた妻は「もっと早く帰れる「こだま」もあるけれど、一時間半待てば『500系こだま』が来る」と目を輝かせるので、三原を15時12分に出る500系「こだま854号」新大阪行き(自由席)に乗車することにし、これに接続する新大阪からの「ひかり518号」の指定券をあらかじめ取っておいた。妻は500系新幹線が東京-博多間にデビューした当初から乗ってみたいと思っていたものの乗車の機会がなく、そのうち500系車両は新大阪以西を走る8両編成の「こだま」号のみに運用されるようになってしまい、文字通り遠い存在になったそうだ。いまや500系「こだま」が山陽新幹線で博多方面から新大阪まで運転されるのは1日4本のみとあって、その後もなかなか乗車できぬことを嘆いていたが、今回は三原駅を使うことになり千載一遇のチャンス到来とのことである。
とは言え、私は500系の車両は余り好きではない。1996年に導入された500系新幹線は、山陽区間での300キロ運転に備え、ロケットのような流線形胴体を採用したために車内は狭かったし、乗り心地もごつごつと固いような感じがしたものだ。今は昔の会社員時代、広島県などの取引先へ出張する際には、現地で午後の商談ができるように、東京駅を7時50分に出発する500系の「のぞみ5号」(2006年以降は「のぞみ9号」)を利用することが多かった。当時は現役バリバリで週に何度も飲めや歌えの接待や宴会続き、前の晩の酔いも醒めないまま「のぞみ5号」に飛び乗ったものの、総務係が取ってくれた指定席がたまたま3人掛けの真ん中でもあろうものなら車内の狭さに息苦しさを感じつつ、かなりの乗客が下車する名古屋までひたすら目を閉じて二日酔いを耐えたものだった。500系と聞くだけでその時感じた圧迫感や突き刺さるような振動( これは二日酔いによる個人的な経験かもしれないが )を思い出してしまい、私にとってはあまり印象がよくないのである。
これまでにも妻と旅行する際には、何度か500系に乗りたいとのリクエストがあったにも関わらず、わざわざ時間を調整してまで「あの」500系に乗ることもないとその要求は即座に却下してきたが、今回は三原駅で1時間半の待ちは発生するものの、妻たっての希望の500系にようやく乗る機会が巡って来たのである。ところがこの日、三原港で「シースピカ」号を下船し、大雨の中を歩いて三原駅にやって来ると、改札前で数組の旅行客が駅員と話している光景が目に入ってきた。どうやら山口県内の豪雨のため、在来線の三原から西に向かう全列車は動いておらず、山陽新幹線も西から来る上り列車のダイヤが大混乱しているらしい。この一年半、東海道・山陽新幹線を利用する際に「線路内立ち入り」と「豊橋付近の豪雨」で運転見合わせが2回あって、どうもこの新幹線にはついていないが、梅雨時の旅行とあれば大雨も仕方がない。こういう場面ではなるべく早く来た列車で、原因となる地域から離れるのが良策と考え、500系「こだま854」乗車を諦め、まず最初に三原にやってきた上り旧「ウエストひかり」編成の「こだま852」で岡山に向かい、新大阪発の「ひかり518」の指定券は無駄になるが、乗り継げれば岡山始発の「ひかり516」の自由席で帰京することとした。
妻は落胆の様子を露骨に示しているが、その時点で乗車予定の500系の「こだま854」はまだ線状降水帯の発生している山口県内を大幅に遅れながらこちらに向かっており、この後の天気次第ではいつ三原に到着するかもわからない。私はやって来た旧「ウエストひかり」(レールスター)編成の2+2の快適なシートに内心シメシメと思いつつ、「これは天変地異だからしょうがないよ」「経験的にとにかく来た列車に乗って目的地へ近付いた方が良い、駅員さんもそう言ったじゃないか」と渋る妻を強引に「こだま852」の車内に押し込み、終点の岡山駅で若干遅れ気味の始発「ひかり516」の自由席に乗車したのであった。500系乗車を諦めきれない妻は、その後もJR東海の列車走行位置サイトをスマホでチェックしては、遅れの500系「こだま852」に乗っても、乗り継ぎ時間30分で新大阪から予約していた「ひかり518」の発車も遅れたため、結果としては乗り継げて帰って来られたのにと、いつまでもブツブツと未練がましく呟いている。そのあまりの落ち込みぶりにちょっと気の毒になり、「次は必ず500系に乗車する西日本の『こだま』の旅を企画するから」と、無事に帰京した後もまた夏~秋の山陽新幹線の鉄道旅行プランを考え始めるのである。
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