カテゴリー「鉄道」の記事

2023年7月20日 (木)

恨めしの山陽新幹線500系

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姫路駅の500系(2019年6月)

三原港で「シースピカ」号による「せとうち島旅クルーズ」を下船した後は、「大人の休日倶楽部・ジパング」を利用し3割引きの新幹線で帰京することにした。といってもジパングの3割引は「のぞみ」号の特急券には適用されないため、三原駅から新大阪駅までは山陽新幹線「こだま」または「さくら」の自由席を利用し、その後は「ひかり」の指定席で手堅く東京まで帰って来ることに。旅行前に時刻表を詳細にチェックしていた妻は「もっと早く帰れる「こだま」もあるけれど、一時間半待てば『500系こだま』が来る」と目を輝かせるので、三原を15時12分に出る500系「こだま854号」新大阪行き(自由席)に乗車することにし、これに接続する新大阪からの「ひかり518号」の指定券をあらかじめ取っておいた。妻は500系新幹線が東京-博多間にデビューした当初から乗ってみたいと思っていたものの乗車の機会がなく、そのうち500系車両は新大阪以西を走る8両編成の「こだま」号のみに運用されるようになってしまい、文字通り遠い存在になったそうだ。いまや500系「こだま」が山陽新幹線で博多方面から新大阪まで運転されるのは1日4本のみとあって、その後もなかなか乗車できぬことを嘆いていたが、今回は三原駅を使うことになり千載一遇のチャンス到来とのことである。


とは言え、私は500系の車両は余り好きではない。1996年に導入された500系新幹線は、山陽区間での300キロ運転に備え、ロケットのような流線形胴体を採用したために車内は狭かったし、乗り心地もごつごつと固いような感じがしたものだ。今は昔の会社員時代、広島県などの取引先へ出張する際には、現地で午後の商談ができるように、東京駅を7時50分に出発する500系の「のぞみ5号」(2006年以降は「のぞみ9号」)を利用することが多かった。当時は現役バリバリで週に何度も飲めや歌えの接待や宴会続き、前の晩の酔いも醒めないまま「のぞみ5号」に飛び乗ったものの、総務係が取ってくれた指定席がたまたま3人掛けの真ん中でもあろうものなら車内の狭さに息苦しさを感じつつ、かなりの乗客が下車する名古屋までひたすら目を閉じて二日酔いを耐えたものだった。500系と聞くだけでその時感じた圧迫感や突き刺さるような振動( これは二日酔いによる個人的な経験かもしれないが )を思い出してしまい、私にとってはあまり印象がよくないのである。


これまでにも妻と旅行する際には、何度か500系に乗りたいとのリクエストがあったにも関わらず、わざわざ時間を調整してまで「あの」500系に乗ることもないとその要求は即座に却下してきたが、今回は三原駅で1時間半の待ちは発生するものの、妻たっての希望の500系にようやく乗る機会が巡って来たのである。ところがこの日、三原港で「シースピカ」号を下船し、大雨の中を歩いて三原駅にやって来ると、改札前で数組の旅行客が駅員と話している光景が目に入ってきた。どうやら山口県内の豪雨のため、在来線の三原から西に向かう全列車は動いておらず、山陽新幹線も西から来る上り列車のダイヤが大混乱しているらしい。この一年半、東海道・山陽新幹線を利用する際に「線路内立ち入り」「豊橋付近の豪雨」で運転見合わせが2回あって、どうもこの新幹線にはついていないが、梅雨時の旅行とあれば大雨も仕方がない。こういう場面ではなるべく早く来た列車で、原因となる地域から離れるのが良策と考え、500系「こだま854」乗車を諦め、まず最初に三原にやってきた上り旧「ウエストひかり」編成の「こだま852」で岡山に向かい、新大阪発の「ひかり518」の指定券は無駄になるが、乗り継げれば岡山始発の「ひかり516」の自由席で帰京することとした。


妻は落胆の様子を露骨に示しているが、その時点で乗車予定の500系の「こだま854」はまだ線状降水帯の発生している山口県内を大幅に遅れながらこちらに向かっており、この後の天気次第ではいつ三原に到着するかもわからない。私はやって来た旧「ウエストひかり」(レールスター)編成の2+2の快適なシートに内心シメシメと思いつつ、「これは天変地異だからしょうがないよ」「経験的にとにかく来た列車に乗って目的地へ近付いた方が良い、駅員さんもそう言ったじゃないか」と渋る妻を強引に「こだま852」の車内に押し込み、終点の岡山駅で若干遅れ気味の始発「ひかり516」の自由席に乗車したのであった。500系乗車を諦めきれない妻は、その後もJR東海の列車走行位置サイトをスマホでチェックしては、遅れの500系「こだま852」に乗っても、乗り継ぎ時間30分で新大阪から予約していた「ひかり518」の発車も遅れたため、結果としては乗り継げて帰って来られたのにと、いつまでもブツブツと未練がましく呟いている。そのあまりの落ち込みぶりにちょっと気の毒になり、「次は必ず500系に乗車する西日本の『こだま』の旅を企画するから」と、無事に帰京した後もまた夏~秋の山陽新幹線の鉄道旅行プランを考え始めるのである。

2023年5月29日 (月)

黒部峡谷鉄道 トロッコ電車

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スリル満点の車窓

飛鳥Ⅱクルーズの翌週は「人気観光地が目白押し!黒部峡谷トロッコ電車・立山黒部アルペンルート・上高地を1日1か所ずつめぐる充実3日間」の旅に行って来た。このところ毎週毎週遊びで忙しい。今回の旅はJR東日本系の”びゅう”が主催する添乗員付き団体旅行(2泊)である。かねてより一度乗りたいと思っていた黒部のトロッコ電車に乗車し、私にとっては50年ぶりとなるアルペンルートと、40年ぶりの上高地を一挙に効率よく回ってくれる旅という事で参加したものである。旅の初日は、一同25名+添乗員の計26名で東京地区から北陸新幹線に乗り黒部宇奈月温泉駅で下車、観光バスで黒部峡谷鉄道の始発駅・宇奈月駅に行き、黒部峡谷トロッコ電車に乗車する日程である。やって来た宇奈月は富山から伸びる富山地方鉄道の終着駅で、地鉄の宇奈月温泉駅ターミナルに隣接してトロッコ列車の基地が拡がり、その山側に黒部峡谷鉄道の宇奈月駅があった。宇奈月から黒部川の渓谷に沿って上流の欅平までの20.1キロ、大正時代末期から昭和初期~戦前にかけて、電源開発のダム資材輸送のために762ミリのナローゲージで敷設されたのが黒部峡谷鉄道である。同鉄道は1953年に地方鉄道の免許を得て観光輸送にも乗り出し、冬季以外に運転されるトロッコ列車が有名になったが、鉄路はまだ資材の輸送にも使われており、会社は関西電力の完全子会社になっている。


1時間に1本ほどの間隔で運転されるトロッコ電車(本当は電気機関車牽引なのでトロッコ列車というべきだが、同鉄道のホームページには「トロッコ電車」とあるためここでも電車とする)は、直流600ボルトの動力源によって運転される。ここでは主に日立製作所製のEDR型と呼ばれる全長7米弱の直流電気機関車により、10両余り(乗客の波動で客車の編成両数は変化するようだ)の客車が牽引されて渓谷に沿った鉄路を登り下りしている。重連総括制御の電気機関車は抑速にエアの他に発電ブレーキを使用、常に列車の先頭に立つプル牽引運転で、標高223米の宇奈月駅から599米の欅平まで、アプト式などではなく粘着方式の運転である。主力のEDR型の他に、粘着性能に優れたインバータ制御・交流モーターのEDV型という新鋭機関車(川重製)もあり、こちらは回生ブレーキを装備しているとのこと。いずれの機関車も台車には空転防止対策のとても大きな砂まき装置が目立つ。客車はオープンタイプのトロッコ車両と、客席がエンクローズされるリラックス客車(こちらは追加料金が必要)の2種類があり、定員は1両20名~30名、いずれも全長は7米強のボギー車両でアルナ工機製であった。編成後尾はボハフ呼ばれる客車で、多分ボはボギー車、ハは普通車、フは手ブレーキ装着を指していると思われ、最後尾には車掌が乗務している。アルナ工機と云えば路面電車の製造が得意であり、かつ関西私鉄の雄である阪急電鉄の子会社であることを考えると、こちら関西電力の完全子会社でナローゲージ鉄道の車両にはアルナ工機製が打ってつけという感じもする。全線単線の運転だが、安全を担保する信号系統は、ATSのようなシステムが構築されているようで、軌道内には地上子が置かれていた。


この鉄道は、旧国鉄の東京起点による列車分類方法を踏襲しているらしく、終点の欅平に登るのが下り列車、起点の宇奈月に下るのが上り列車となっているのが面白い。トロッコ車両に乗車して宇奈月駅を出発すると、車内は地元富山県出身の女優室井滋さんの解説放送が流れ、沿線の様子や鉄道の沿革が分かるようになっていた。黒部峡谷のV字谷に沿って山あり谷ありダムありで、トンネルや橋梁の連続する線路の周囲は、インディジョーンズの映画に出てくるかのスリル溢れる光景が展開する。急カーブの度に車輪とレールの擦れる”キーキー”という摩擦音を派手に響かせつつ、「電車」は最高でも時速25キロ程度で急峻な崖沿いにゆったりと走った。乗車して約1時間、我々”びゅう”団体客は、なぜか終点の欅平まで行かず、2.6キロ手前の鐘釣駅で下車して、黒部川対岸の万年雪の雪渓を眺め、河原の露天風呂付近を散策したが、見るとクラツーなど他の団体も皆ここで降りている。多分終点の欅平まで行くと時間がかかるので、日程管理のために団体客は皆がここで折り返すことになっているようだ。どうせなら終点まで行ってみたいところだが、このあたりが自由の効かない団体旅行の辛いところである。鉄オタの為に、本鉄道に関するより詳しい技術的な資料や展示、説明パンフレットが欲しかったが、そんな客はごく少数だろうからこれまた仕方がない。釣鐘駅より「下りの上り列車」で宇奈月まで戻ってくると総時間は4時間余り、冒険心が刺激される峡谷鉄道の旅であった。天気も順調でこうして旅が始まった。

最新の電機EDV型と途中駅で列車交換
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2023年5月10日 (水)

呑み鉄日帰り旅 ゆざわShu*Kura

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途中の長岡駅に停車中のゆざわShu*Kura号

もう宮使いの身ではないので皆が休みのGWにわざわざ出かける必要もないのだが、この期間は僅かに残った仕事の取引先も休みのため都内にいてもしょうがない。ただ「大人の休日俱楽部ジパング」のJR線3割引きはGW期間中は利用できず、最終日である5月7日(日)からの適用である。なので5月7日(日)に新潟県で運転される「越乃Shu*Kura」に乗るために上越新幹線で越後湯沢駅に赴いた。「越乃Shu*Kura」とはJR東日本新潟支社が主に金・土・日曜日に県内で運転する観光列車で、パンフレットに「地酒王国・新潟で列車に乗って日本酒を楽しむ。おいしいお酒と地元の味覚、大きな車窓から流れる風景がごちそうです。列車の中で新潟のいいトコをとことん満喫する。」とある通り、呑み鉄のために企画された「『酒』をコンセプトとした」列車である。


たしかに2021年度時点で、新潟県の日本酒の酒蔵数は88で日本で一番多く、県別の製造量も第3位とのことで、ここは日本酒の王国になっている。もっとも私は普段はビールとウイスキー、妻はビールと酎ハイ派なので、特段日本酒にこだわりがあるわけではない。特にサラリーマン現役時代は日本酒を注ぎつつ注がれつの宴会が多かった私は、おちょこに入ったあの透明な液体を見ると当時の営業の苦労とともに、悪酔い、二日酔いに陥った苦い情景を思い出してならない。しかし最近NHK BSで放送される「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」で、彼が朝からうまそうに車内で酒を飲むシーンを見て、たまには日本酒を吞みながら列車に揺られる旅も悪くないかと、連休を前に「越乃Shu*Kura」の乗車を思い立ったのである。


「越乃Shu*Kura」は、えちごトキめき鉄道(旧信越本線)の上越妙高駅から上越線、信越線の交わる長岡駅までを基本ルートにし、日程によって信越線・新潟駅、飯山線・十日町駅、上越線・越後湯沢駅まで足を延ばして往復運転されている。今回は越後湯沢から上越妙高までの片道約150キロの乗車で、この経路を運転する列車は「ゆざわShu*Kura」と呼ばれる。ローカル線お馴染みの気動車、キハ40、キハ48を改造した3両編成の列車は、1号車が食事・酒つき旅行商品として販売される34席の専用車両、2号車がサービスカウンター「蔵守 Kuramori」のあるイベントスペース車両、3号車がリクライニングシート36席の普通車指定席である。この列車は営業上は臨時快速の扱いで、3号車は普通乗車券に指定席券540円を買えば、途中の停車駅から随時乗車することも可能である。もちろん3号車は酒を呑まない人でも乗車することができる。


5月7日は東京を昼過ぎに出る上越新幹線「とき321号」を越後湯沢駅で下車、14時45分に出る「ゆざわShu*Kura」に乗車した。我々の乗った1号車は日本海を眺望できるように海側を向いた展望ペアシートとくつろぎペアシート、それにやや広めのらくらくボックスシートが配置されている。この日の1号車の乗客は20名ほどで、因みに3号車も定員の半分くらいの乗車であった。発車して冬場はスキーで賑わう石打駅などを過ぎると、さっそくスパークリング日本酒のウエルカムドリンクが振舞われる。さっぱりしたその泡純米清酒柏露花火(柏露酒造・長岡市)を愉しみながら魚野川に沿って上越線を下るうち、ほどなく新潟産大吟醸の日本酒一合瓶と地元食材にこだわったおつまみのセットがみなに配られた。窓外はあいにくの雨にけぶっているが、米どころ新潟の田植え前の風景を眺めながら、1時間20分ほどで列車はスイッチバックとなる長岡駅に到着。


ここから「ゆざわShu*Kura」は信越線を柏崎、直江津方面に進むが、車内を見ればさすが「酒をコンセプトとした」列車である。この頃には周囲の席はセットの八海山とボトルの大吟醸1合をとっくに飲み干し、2号車で買った地酒呑み比べセットで追加酒を楽しむ人ばかり。呑み鉄列車だけのことはあってみな呑みっぷりが良い。負けじとこちらも日本海を眼前に、新潟名産の鮭の焼き漬け付吞み比べセットをちびりちびりやるうち、だんだん酔いも回って雨で視界もさえない車窓も気にならなくなってきた。酒を呑んでいると時間の経つのが早いものだ。直江津駅からは最終行程、えちごトキめき鉄道に乗り入れると、あっという間、列車は終点の上越妙高駅に18時38分に到着してしまった。ここから北陸新幹線で首都圏へ帰る人が多かったようだが、乗客全員が4時間ほど飲み続けと云う酒飲みには天国の呑み鉄本線の列車であった。上越妙高駅から都内に戻る北陸新幹線車中で、気持ち良く爆睡したのは云うまでもない。

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地元の旬の食材を生かしたおつまみ。お猪口には純米大吟醸八海山(八海醸造・南魚沼市)、青い瓶が越乃Shu*Kuraオリジナル大吟醸酒(君の井酒造・妙高市)、乗車券、指定券とのセットで9000円
・竹の子挟み揚げ
・新潟バーニャカウダ
・駅弁さけめし
・ふきのとう風味の和風ミートローフとオータムポエムのバターソテー
・桜の水まんじゅう

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飲み比べセットは左から越の誉吟醸(原酒造・柏崎市)、越の寒中梅 純米大吟醸 雪蔵貯蔵古酒(新潟銘醸・小千谷市)、鶴の友(樋木酒造・新潟市)

2023年4月27日 (木)

半日鉄道プチ旅行 相鉄・東急 新横浜線

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新横浜線 相鉄線乗り入れ東急4000系(二俣川)

3月18日に開業した相鉄・東急新横浜線に乗車してみた。2021年秋のつくばエキスプレス乗車以来、久々の半日鉄道プチ旅行である。話題の新横浜線の開業で、相模鉄道(相鉄)と東京急行(東急)東横線・目黒線が新横浜駅を介して結ばれ、両社車両の相互乗り入れによって神奈川県県央と東京都心部が結ばれることになった。私にとってはもともと土地鑑のある都内城南部や神奈川県東部地区である。新たな路線で一体どういうオペレーションが展開されているのか興味津々で、平日の午後、仕事の合間に東京メトロ副都心線の東新宿駅から相鉄いずみ野線の湘南台駅まで電車を乗り通してみた。この日、東新宿駅に14時7分にやって来たのは、東武東上線の和光市始発・相鉄線湘南台行きの東急の5000系4000番台の車両であった。本来なら5000系は運転室バルクヘッド(仕切り壁)右側はガラス張りで、トンネル内でもここから前面展望が効くはずだが、4000番台の車両はこの部分がガラスでなく壁面になっておりトンネル内で中央のブラインドを降ろすと前が見えないのが少し残念。といっても次の直通列車は30分も後だし、新規開業線は大部分がトンネルの中ゆえ、今回はかぶりつき展望は諦めホームや車内の様子の観察をしようと乗車した。


この電車は副都心線を通ったあと、渋谷から東横線内は急行となり日吉駅に14時38分に到着、そのまま日吉からは各駅停車の相鉄いずみ野線湘南台行きとなって、新しい地下線である東急新横浜線に乗り入れた。日吉から新横浜までの東急線区間は途中の新綱島駅をはさみ5.8キロ、引き続き新横浜から羽沢横浜国大まで相鉄新横浜線で4.2キロ、計10キロほぼ全線がトンネルによる新規開業路線である。シールド工法で掘削されたであろうトンネルは壁面の照明がただ後ろへ流れていくだけの素っ気ない車窓で日吉から7分で2面ホーム4線の新横浜駅に到着した。新規開業路線とあって新横浜駅の利用者はまだそう多くないし、新幹線利用と思われる荷物を持った乗降客もほとんどいないようである。新横浜駅で東急から相鉄に運転士が代わり、残りのトンネルを4分で走り抜けると、JR線が乗り入れる羽沢横浜国大駅が見えてきた。地図を見れば東横線の日吉駅付近から新横浜駅経由で、ルートはほぼ東海道新幹線に沿って施工されていることが分かる。計画から20余年、工事開始から10年、総費用4000億円以上の難工事を乗り越えて完成した路線であるが、通り抜けてみればわずか12分であった。


乗車した電車はそのまま相鉄いずみ野線経由で終点の湘南台に15時21分に到着したが、ダイヤを見ると東急東横線(東京メトロ副都心線)からの直通列車はおもに相鉄いずみ野線に直通し、東急目黒線(東京メトロ南北線・都営三田線)からの直通列車は二俣川から相鉄本線の海老名に向かうのが基本のようだ。こう書いても相鉄線や東急線利用者以外は実際のところよく分からないだろうが、とにかく首都圏の大手私鉄や地下鉄は相互乗り入れの列車運用により、何でこの路線にこの会社の編成が入って来るのか?とびっくりすることがよくある。新横浜新線も都心側は東急東横線と東京メトロ副都心線経由で東武東上線や西武池袋線に繋がるルートと、東急目黒線を介して都営三田線ないしはメトロ南北線・埼玉高速鉄道へ繋がる2つのルートがあり、神奈川の相鉄サイドも本線といずみ野線へ直通する2つのルートに分かれる。それに2019年からは、JR線車両も品鶴線経由で相鉄線に乗り入れているのでこの辺りのダイヤはなんとも複雑。いまや新横浜線が繋がる東急東横線や目黒線、メトロの副都心線は他社の乗り入れ車両のオンパレードで回廊としての役目を強め、もはや鉄道施設一式を保有するとともに列車の運行も行うとされる第1種鉄道事業者の範疇を超えているのではないかと思ってしまう。


今回の開業路線に乗り入れる車両は5社の10形式(鉄道ジャーナル6月号)とのことで、それぞれの路線には特急、急行、快速や各停が走っているから、一旦事故やトラブルでダイヤが乱れた際には、一体どうやって運転を調整するのか心配になる。一匹の蝶の羽ばたきがどこか遠い所で竜巻を起こしているかも知れないと云われるのがバタフライエフェクトだが、例えば埼玉の内陸部の霧で東武線が遅れ、神奈川県民が新横浜駅で東海道新幹線に乗り遅れたなどという事態が頻繁におこるかもしれない。とは云え相互乗り入れ範囲の拡大で、地元を遠く離れた私立学校や自動車学校の募集要項、マンションの販売、寺社の参拝案内や病院・老人ホームなどの車内広告を目にするのは目先が変わって楽しいものだ。電車に乗ったらスマホばかり見ていないで、車内を眺めるだけで、新たな発見がいくつもあるのにと私はいつも思っている。そう云えば今回の新横浜線開業でもっとも恩恵を受けるのが慶應義塾だと云う説を聞いた。相鉄いずみ野線終点の湘南台にある湘南藤沢キャンパスと日吉キャンパス、三田キャンパス(三田線)が乗り替えなしの一直線で結ばれるほか、埼玉県南部の志木高校(東武東上線)や芝公園(三田線)にある薬学部などを移動するのが大変便利になるそうだ。首都圏の新路線開通に目が離せない。

複雑怪奇な新路線図
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2022年12月16日東京都交通局他各鉄道会社合同の報道発表資料より

2023年4月12日 (水)

東北鉄道旅 (補遺編)

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ラッセル車用の雪かき警表 

「海里」や「ツガルツナガル」など座席指定制の列車は別として、鉄道の旅ではなるべく運転台の後ろ「かぶりつき」に立って、列車の前面展望を楽しむことにしている。ローカル線のワンマン運転の列車で、都会ではあまりない運転士の運賃収受業務などを見るのは旅の楽しみの一つだ。また地方によっては線路際に立つ鉄道標識が独特で、この地区ではどういうことが列車運行上に注意すべき点なのか分かるのも面白い。今回は奥羽本線で、黄色の正方形が上下に並んだ写真のような標識が線路際に立っているのをしばしば目にしたが、これは今までの鉄道の旅で見なかったもので一体なんであろうか? 「ツガルツナガル」の折り返し駅である弘前駅でホームに立っていた駅長さんにこの標識が示す意味を尋ねると、「私も良く分からないので運転士に聞いてみましょう」と「弘前へようこそ」の歓迎横断幕を持ってホームに出ていた女性運転士のところへ連れて行ってくれた。


彼女曰く「自分は電車の運転士などで直接関係ないが、あれはラッセル車のための標識です」とのことである。ポールの上に掲げられた黄色の◇の標識は、線路際の雪をどけるためにラッセル車から左右に広げたウイングをここで畳め、下の□は軌道内の雪をかくためのフランジャーをここで上げろという意味で、トンネルの入り口や踏切、線路の分岐器などの手前に設置されているそうだ。雪かき中にウイングやフランジャーをそのままにして走ると、ウイングがトンネルの壁に当たったり、フランジャーが施設を破損させたりするので、それを防ぐために掲示されているとの事である。なるほどこれは雪国ならでは標識で、鉄道防雪林などと同様に首都圏ではまず見ることがない。70歳を越えても、旅に出ると初めて見聞きするものが沢山あるものだ。


弘前駅で「ツガルツナガル」の折り返し時間を利用して訪問した黒石市のB級グルメ、「黒石やきそば」も今回の旅の思い出である。もともとここ黒石ではうどん用の乾麺をゆでて醤油で炒めて食べていたが、戦後、中国人から支那そばが伝わり、乾麺用のカッターを使った太いそばにソースを絡めたところ、これがなかなかいけると評判になったそうだ。これに和風のそばつゆをかけたのが、黒石名物の「つゆやきそば」で、ソース焼きそばに日本そばのたれをかけて食べるのがなんともユニークである。「つゆやきそば」の起源としては昭和30年代、町の食堂で冷えた焼きそばにつゆをかけて温かくしたメニューが評判になったという説や、同じ食堂で麵だけでは腹持ちが悪いためにつゆをかけたら良かったなどの諸説あるそうだ。我々夫婦は、つゆ有りとつゆ無しを一つづつ注文したが、無い方はきわめてシンプルなふつうの焼きそば、つゆ有りの焼きそばは、まさにふつうのそばつゆ(関東風の醤油味)にソース麺を入れた味で、共にあっさりした味であった。


「海里」の終着駅である酒田は、これまで人口10万人のごく普通の東北の一都市、あるいは火力発電の基地くらいの認識しかなかった。今回、列車待ちの約2時間に駅前の観光案内所が無料で貸し出していた自転車で街をぐるっと回ってみると、江戸時代はここは「西の堺、東の酒田」と呼ばれた大変な商都、港町であったことを知り驚いた。酒田は地域の水運の要であった最上川と海上輸送の結節点にあり、東回りと西回り両方の北前船発航の港として発展したとのこと。「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれたことから、最上川は急流のイメージがあったのだが、実際に見る川は庄内平野を悠々と流れる大河である。内陸から川舟で運ばれてきた米や紅花を北前船に積み換え、各地の着物や工芸品、美術品を荷揚げしたのが酒田で、自転車で訪れた山居倉庫や、日和山公園にある北前船のレプリカなどから当時の繁栄ぶりがうかがえる。日本の港町をクルーズ船や列車で巡ると北前船の津(港)から発展した場所が多いことが分かり、北前船のことをもっと知りたいという気持ちも湧いてくる。「だったら次は酒田発新潟行きの上り『海里』をからめて旅を企画しちゃおうかな?イタリアン弁当も食べてみたいから」と妻が横で笑っている。


現存する洋式の木造六角灯台として日本最古の貴重な日和山公園灯台(旧酒田宮之浦灯台)
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酒田の山居倉庫 米を約1万トン収納できた。収納された米に対しては倉荷証券が出され、これは有価証券として流通可能であった。
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2023年4月 5日 (水)

弘南電鉄7000系に乗車

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黒石駅の弘南鉄道7000系 フルステンレス車体とパイオニアⅢ台車が特長的

「ツガル ツナガル」号に乗り往路の終着駅である弘前駅の手前、大鰐温泉駅にさしかかると進行右手の車窓に懐かしい銀色の電車の姿が見えてきた。弘前市を拠点とする弘南電鉄の大鰐線を走る7000系で、もと東急電鉄7000系を譲り受けた車両である。東急7000系は、昭和37年(1962年)アメリカのバッド社のライセンスの下、東急車両製造(現・総合車両製作所)で日本で初めてのフルステンレス車両として製作され、パイオニアⅢ型というユニークな台車を履いて一世を風靡した革新的な電車だった。私にとっては、学生時代は東急東横線の日吉にあるキャンパスやグラウンドへの通学時に乗車し、社会人になっても通勤に東急と相互乗り入れの地下鉄日比谷線で利用した思い出の電車である。7000系は1990年ごろから東急線での運用が終わったのち全国の私鉄に譲渡され、弘南電鉄に於いては20両以上が弘南線と大鰐線の2つの路線で第2の人生を歩んでいる。かつて「弁当箱」と呼ばれたステンレスの角ばったこのユニークな車体を、遠く離れたこの弘前の地で見るのがなんとも不思議な気がしてならない。


「ツガル ツナガル」号は11時26分に弘前駅に到着し、15時13分に折り返し秋田に向かって出発する。その間の4時間弱の自由時間は、弘南鉄道黒石線の7000系電車に乗り、藩政時代の町並みが残る黒石市へ行き ついでに名物の黒石やきそばを食べて帰ろうと云うことにした。弘南線はJR弘前駅に隣接したプラットホームから発車(大鰐線の中央弘前駅は市内の別の場所にある)する全長16.8キロの路線で、終点の黒石まで電車は途中11駅に停車して約35分で走る。この路線の運転頻度は1時間に1本~2本なので、帰りの「ツガル ツナガル」号発車までに帰って来られるかを慎重に計算してから、黒石市に向かうことにした。始発の弘前駅で乗ったのは1964年製の7012(東急時代は7025)+7022(同7026)の編成で、この車両もかつては東京で何回も乗車したに違いないから約30年ぶりの再会だ。こちらでの外観は雪国用のスノウプロウが運転台下につき、ドアが半自動開閉式になったものの、それ以外は東急時代とほとんど変わっていないし、ディスクブレーキが台車枠より外側にある独特な形状のパイオニアⅢ型台車がまだ健在なのを見て何だか嬉しくなる。


車内に足を踏み入れると、まずは運転台の懐かしい跳ね上げ式デッドマン装置のマスコンが目についた。運転士が病気などで不省状態になり動作をしなくなった際に、緊急ブレーキをかける装置で、当時の車両には跳ね上げ式がよく採用されていた。座席のモケットはたしかエンジ色だったが、今は違う色に張り替えられ、かつてなかったロングシートの仕切り板も一部に設置されていた。車端妻板にあった東急車両製造の銘板と、BUD社のライセンスで製造されたとする誇らしげなプラスチック板の表示は残念ながら取り払われている。車内蛍光灯が一部切れたままになっているのが何とも寂しい光景で、赤字に悩む地方民鉄の悲哀を映し出しているようだ。ただ一旦走り出すと、抵抗制御、平行カルダンの直流モーターの奏でる走行サウンドが耳に心地よい。最近のインバーター制御、交流モーター電車が垂れ流す金属の擦れたような電子的サウンドはどうにも不快で、昭和30年代の車両の機械音・電気音の方が人間の感性に沿っていると日頃私は思っているのだが、その思いがますます強くなった。東急時代に発揮していた加速の良さも相変わらずである。


軌道強化までに金が廻らないのがローカル私鉄のつねで、電車は右に左に大きくゆれながら最高速度も60キロ以下でごとごとと津軽平野を走って行く。終点の黒石で古い町並みを歩き、妻と二人で名物の焼きそばとつゆ焼きそば(なんとソース焼きそばに日本蕎麦のつゆがかかっている)を分けあって食べた帰路は、同じ1964年製造の7013(旧7029)+7014(旧7030)の編成に乗り、雄大な岩木山を車窓に臨みながら「ツガル ツナガル」号の待つ弘前駅に戻った。日曜の午後とは云え、行きも帰りも2両編成の電車には10人~20人ほどの乗客とあって、地方民鉄の経営の困難さを目のあたりにした感があるが、弘南鉄道も地元の足としていつまでも存続してほしいものだ。それにしても毎日のように利用した車両がまだ現役で活躍していると、世話になった老人に再会したようで、ついねぎらいの言葉もかけたくなってくるのである。

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黒石名物 焼きそば と つゆ焼きそば

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岩木山を臨みながら弘南鉄道・弘南線は走る

2023年4月 4日 (火)

「ツガル ツナガル」12系客車列車の旅

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牽引はJR東 秋田車両センターのDE10

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ほぼ原形の12系客車客室内

「海里」乗車の翌日は、秋田と弘前を往復する12系客車列車「ツガル ツナガル」号に乗車である。この列車はJR東日本系列の旅行会社「びゅう」が企画・募集した臨時団体専用列車で、地元とJRの観光キャンペーン「ツガル ツナガル」の開幕に合わせ、一日1往復で4月1日(土)・2日(日)の2日間だけ運転された。鉄道の楽しさの原点はといえば 私にとっては”ゴトゴトッ ゴトン ゴトゴトッ ゴトン”と飽くなく続くジョイントを切る車輪の音に身を委ねることだと云える。特に床下設備が少ない客車列車の台車から聞こえてくる、軽やかで規則的なジョイント音を聞いていると旅に出たという感動がひときわ強くなってくる。電車や気動車でなく客車列車の旅、それも奥羽本線のような幹線で「ツガル ツナガル」号が運転されることをメルマガで知り、秋田-弘前間の往復乗車ツアーに申し込んだのである。


東北地方での客車列車にはいろいろと思い出がある。若い頃、北海道へ行くには旧型客車による急行「八甲田」などに長時間乗るしかすべがなく、東京へ帰る上り夜行列車では床に新聞紙を敷いて眠ったものである。サラリーマンの現役時代は八戸出張の際に50系の客車列車によく乗った思い出もある。当時はまだ東北新幹線は盛岡が終点で、その先の八戸に行くには東北本線在来線の時代だった。何かの影響でダイヤが乱れ、新幹線に連絡する青森行き特急「はつかり」に乗れない時は、ED75に牽引された50系客車による普通列車で八戸に向かうほか手段がなかった。かつてD51三重連の貨物列車があえぎながら登った奥中山の峠の鉄路を、赤い電気機関車を先頭にする客車に乗って幾度か超えた記憶はいまも鮮明に残っている。東北の鉄道旅と云えば、私には「客車列車」なのである。


さて「ツガル ツナガル」の秋田-弘前間の行程はすべて電化されているため、ひそかに今回の列車はJR貨物の電気機関車が牽引するのではないかと期待していたが、秋田駅のホームに入ってきたのは、旅行パンフのイメージ写真通りDE10型ディーゼル機関車が前後についた列車であった。編成は弘前寄りからDE10 1759+スハフ12 162+オハ12 366+オハ12 367+オハ12 369+スハフ12 161+ DE10 1647で、機関車ほかすべてJR東日本の車両なのは、同社がこのキャンペーン主催者であることを考えればしょうがない。5両の客車を引っ張る程度なら力の強いDE10型機関車1台で十分だと思うのだが、前後に2台も機関車が組み込まれているのは、折り返しの弘前駅で機廻しの設備や要員に問題があるからなのか。列車はホイッスルを一笛、プッシュ・プル方式のディーゼル機関車のうなりと共に定刻に秋田駅を出発した。


「ツガル ツナガル」号は秋田駅を8時25分に出発、奥羽本線を北上して弘前までの148キロを3時間かけて走った。弘前で自由行動の後、復路は弘前15:13分発でやはり3時間で秋田に戻る行程である。連結された5両の客車には400名ほどが乗れるが、宣伝が不十分なのか、客車列車という対象が地味なのか、残念ながら乗車したのは100名もいなかったようである。ただその分、車内はゆったりで車窓からはようやく芽を吹かんとする東北の緑や、やっと蕾から咲き始めた桜を存分に眺めることが出来た。もっとも列車はこの週末だけの限定運転とあって、キャンペーン関係者の駅頭での送迎に加え、沿線はどこもカメラを手にした多くの撮り鉄であふれていたのが印象的だった。


乗車した12系客車はトイレや洗面所をリニューアルし、さすがに灰皿や栓抜きこそ撤去されていたものの、それ以外はほとんどかつてのままの状態が保たれていた。車内放送のオルゴールも寝台列車の定番「ハイケンスのセレナーデ」なのが懐かしい。この日の天気は快晴、奥羽本線は適度にロングレールと在来のレールが混ざり、期待通り客車独特の軽やかなジョイント音を存分に楽しんだ車中であった。途中、いくつかの駅で車外に出て手足を伸ばしつつ、八郎潟の干拓地や難所・矢立峠の景色を楽しんだ往復300キロ、6時間あまりの旅は、一言で言えば唱歌「汽車」の世界だったと云えよう。

♪  ♪                                  ♪ ♪
今は山中 今は浜 今は鉄橋渡るぞと 思う間も無くトンネルの闇を通って広野原(ひろのはら)
遠くに見える村の屋根 近くに見える町の軒(のき)森や林や田や畑 後へ後へと飛んで行く
廻り灯籠の画(え)の様に変わる景色のおもしろさ 見とれてそれと知らぬ間に早くも過ぎる幾十里

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「ツガル ツナガル」キャンペーンで弘前駅では津軽三味線の見送り

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八郎潟の彼方に沈む夕陽をバックに列車は快走

2023年4月 3日 (月)

「海里」に乗車 東北地方・新旧乗り比べ鉄旅

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桑川駅で停車中のHBE300系「海里」

桜前線が北上し日本列島に春がやってきた。先の土曜日は東北地方の初春を楽しもうと新潟-酒田間の快速列車「海里」に乗車、翌日曜日は秋田-弘前間を往復する貸し切り列車「ツガル ツナガル」号に乗って鉄道の旅を満喫した。「海里」は2019年に製作されたJR東日本の新鋭観光用ハイブリッド型気動車で、各週末ごとに新潟-酒田間で運転されている。かたや「ツガル ツナガル」は、12系客車(1977年製)が使われるのが目玉となる団体専用臨時列車でこの週末だけの限定運転である。今回はさらに弘前で「ツガル ツナガル」が折り返す3時間弱の合間を使って、弘南鉄道で第2の人生を過ごす東急の旧7000系ステンレスカー(1964年製)にも乗ることができたので、まさに新旧車両の乗り比べ鉄道の旅となった。


まずはJR東日本のハイブリッド気動車HBE300系を使用した「新潟・庄内の食と景観を楽しむ列車」である、「海里」号の乗車だ。「海里」は新潟-酒田間168キロ間で運転され、1・2号車は全車指定席車両(指定料金840円)、3号車が売店・イベントスペース車、4号車が食事やドリンクがセットになった旅行商品用の車両からなる4両編成の豪華快速列車である。午前の運転は新潟発の酒田行きで、この区間を3時間16分で走り、4号車では新潟の料亭などの日本料理が出される。酒田から新潟へ戻る午後の列車は3時間35分の車中で、庄内の名物イタリアン料理店の味が楽しめる趣向になっている。4号車の料金は片道一人16,400円と値段は少々張るものの、我々は新潟までの新幹線は大人の休日倶楽部ジパングの3割引き、帰りの秋田発のフライトはマイレージ利用とあって、新潟から酒田まで4号車乗車を奮発することにした。


初めて乗車するハイブリッド気動車は、停車中はエンジンのアイドル音があまり聞こえぬ静かな車両だった。このHBE300系は床下に置かれた直列6気筒のディーゼルエンジンを直接駆動力には使用せず、発電機を回転させる電力用として使用し、発電機からの電力と搭載された蓄電池の電力でモーターを動かす駆動方式である。船舶などではすでにお馴染みのディーゼル・エレクトリック推進であるが、これまでトルクコンバーターを介した液体式気動車の発するエンジン音や振動に永年慣れた身としては、ハイブリッドと云え、どうも気動車に乗っているような気がせず、車内に入ってくる走行音がちょっと物足りないと感じるほどだ。「海里」の走る白新線と奥羽本線はローカル線と異なり軌道も十分に強化されているうえ、HBE300系は台車も空気ばねを使用しており、これまで乗った「べるもんた」や「SAKU美SAKU楽」などキハ40系をタネ車にした観光列車より乗り心地は快適である。


この日、4号車で出された日本食は、新潟の老舗料亭「鍋茶屋」の懐石料理弁当であった。料理にはアルコール類を含む新潟特産の1ドリンクがフリーでついてくるのだが、ただ午前10時過ぎに新潟駅を発車するとすぐ食事が始まるため、朝っぱらから酔っぱらうのもちょっと気がひける。このため前泊してのり込んだ新潟で、この日早朝からジョギングに出かけ、汗を流してビールに備えることにした。うまい酒を飲むのも、苦労がいるのである。やがて列車は日本海が迫る海岸べりを走り、奇岩、絶壁が連続する景勝地「笹川流れ」最寄り駅の桑川駅で30分以上停車。ここではホームから海岸まで下りることができ、朝のビールと追加(有料)で飲んだ日本酒の地酒で火照った頬を冷ますことができた。考えてみればと大阪始発の「トワイライトエクスプレス」でも上野発の「あけぼの」でも、かつての寝台特急列車はこの辺りを夜中に通過したので、日本海のこのような絶景をじっくり見るのは初めてのことになる。こうして新潟の食と酒、それに沿線の風景を堪能しつつ、桜の開花前線とともに「海里」は北上し、古くから商都である酒田に到着した。

4号車の車内
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料亭新潟・鍋茶屋の懐石の弁当
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2023年3月 5日 (日)

川越線の「あわや正面衝突事態」との報道は確かか?

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3月2日午後夜10時前、大宮から川越方面に通じる川越線の単線区間で「あわや正面衝突」というニュースが飛び込んで来た。ちょうどギリシャで列車の正面衝突事故が起きたことが報道されたばかりだが、川越線はほとんどが単線とはいえ、首都圏に於けるJR線でそのような事態が発生するとはにわかには信じがたい。鉄道は安全を担保するために、列車の行き違いができない単線区間の駅間(閉塞区間)には、一本の列車しか入線できないきわめて厳格な仕組みで成り立っている。電気信号で制御されるATS(自動列車停止システム)が導入される前は、スタフやタブレットと呼ばれる通行手形を保持する一本の列車だけが、両駅間を運行できるシステムになっており、最も原初的なスタフ交換では手形の受け渡しミスで列車が正面衝突する危険性がかつて存在したのも確かである。しかし川越線は、今や埼京線に直通するE223系10両編成の電車が約20分おきに運転され、ATOS(東京圏輸送管理システム)管理の下、ATS-P型が完備する自動閉塞の近代的路線となって、単線区間での列車正面衝突の危険は余程の事(例えば1991年の信楽高原鉄道正面衝突事故は、方向てこと呼ばれる信号工事の設定ミスや運転規則違反が重なって起きた)でもない限り起こりようもない線区になったと考えられる。


ニュースでは、当日は強風で川越線のダイヤが大幅に混乱するなか、指扇(さしおうぎ)駅と南古谷(みなみふるや)駅間で【注:ここはニュースでは伝えられていないが、両駅の間にある川越車両センターに分岐する側線に入るポイントを挟んで】上り列車と下り列車が対峙して同じ線路上で停車し、お互いの距離は600米だったと報じられている。両方の列車とも指扇駅と南古谷駅を出発する際の信号は青だったが、南古谷駅に向かう下り列車の運転士が、営業運転中にも拘わらず分岐器(ポイント)が車両センター(車庫)に向かって開通しているのでおかしいと思いポイント手前で停止、一方で指扇駅に向かう上り列車も、南古谷駅を青信号で出発したものの、ポイント手前の信号が赤を現示するため停車したところ、両列車が見合う形でデッドロックになったとされている。メディアは「正面衝突の可能性」(ANN)のほか「信号の不具合が起きていた可能性」(NHK WEB)などと報じているが、鉄道ではそう簡単に正面衝突事故は起きないはずだし、信号の不具合ならシステムとしてフェイルセーフで全信号が赤になるので、どうもこれらが伝える内容はいま一つ信じられない。


真実を究めるというよりは、書かない自由の権利を最大限に行使しつつ、少しでも煽れることはセンセーショナルな記事にしつらえる、というメディアの手法はこの3年のウイルス騒動で明らかである。どうせこのニュースも不勉強な記者らの「あわや正面衝突?」との妄想でつくられたものに違いなく、当夜現場で何がおきたのか、本当に危機一髪の危険な状態だったのかを自分で調べてみることにした。本件については事件後、さっそく多くの鉄オタによる真相探求サイトやツイッターがネットを賑わしていて、それを見ると川越線や車両センターの線路配置などの詳細が描かれており大いに参考になる。Youtubeには川越線の運転席からの前面展望動画が上り線・下り線ともアップされており、閉塞区間や出発信号機、場内信号機の現示位置もすぐ分かるから、世の中、便利になったものである。各種サイトや繰り返し見たYoutube動画などから、当夜はこうだったであろうと推定される経緯を下の①~⑦のとおり記し、その概略図を上に掲げてみる。

  1. ①強風でダイヤが混乱するなか、中央センターの列車指令が川越方面行き下り営業列車を、川越車両センター行きの回送と設定する誤インプットをする(この列車の営業は指扇駅までと指令は誤解か?)。
  1. ②これにより下り回送電車の進路は指扇駅出発信号(青)→第2閉塞(青)→第1閉塞(青)→車両センター着発線場内(多分 黄色信号現示)で開通。車両センター行きポイントの進路分岐表示は左側に進路開通を現示していたはず。
  1. ③営業中なのに車庫行きはおかしいのでは?と下り列車運転士が指令に問い合わせのため、車両センター着発線場内信号機の手前で停車。
  1. ④このとき上り列車に対しては南古谷駅の第3出発信号が赤となっており、第2出発は黄色、第1出発信号機が青となっているはず。
  1. ⑤上り列車は青信号に従い南古谷駅を出発し、赤を現示する第3出発信号のところまで進行してポイント手前で停車。
  1. ⑥両列車がポイントを挟んで対峙する形で停車し運行できなくなった。
  1. ⑦この状態から回復するために、上り列車を南古谷駅までバックさせた後、下り列車も同駅まで前進したが、安全確認に3時間かかった。


ここまで見ると指令のコンピュータへのインプットミスがそもそもの原因であったにせよ、その後は⑥までシステム的には極めてロジック通りに事が進んでいる事がわかる。すべては安全を構成する要件通りに事態は推移しているのである。そもそも上り列車は、南古谷駅の第3出発信号機より同駅に近い駅構内内部にいるわけで、これは対向して駅に進入する下り電車が側線に退避するまでの間、上り列車が単に駅構内で「信号待ち」をしていた状態であったとも云える。こうして見ると、メディアが騒ぐ正面衝突一歩手前とは、実際はかなり様子が異なっていた事がわかる。指令が間違った行先を設定しても、正面衝突は起こりえなかったのである。問題は列車設定のインプットミスをどう防ぐかという事と、⑦以降、仮にインプットミスをした際に、速やかに元に戻すコンティンジェンシープランが不十分であった事に尽きるようだ。このような事態がこれからもダイヤ混乱時に想定されるなら、少なくとも指扇駅と南古谷駅間だけでも複線化することが望ましいが、車両センター内に留置する車両の配置を工夫して、車両センター着発線場内信号から南古谷駅まで下り列車が進めるようにするアイデアも考えられるのではないか。路線図などを眺めながら、事故防止にはどうしたら良いかなどと思考を廻らすのも鉄道趣味の一つである。近々現場を通過する列車に乗ってみたいものだ。

2023年2月20日 (月)

氷見ブリと「べるもんた」(2)

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新高岡駅の「べるもんた」

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世界広しと云えども隋一の景色との富山湾 海越しに3千米級の急峻(立山連峰)が立ち上げるのかここだけとか

旅の2日目のハイライトは、JR西日本の”ベル・モンターニュ・エ・メール”乗車だ。”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール”は原語フランス語では"Belles montagnes et mer"で、Bellesは美しい、montagnesは山々、etは英語のand、merは海の意味である。富山県の美しい山々や海を楽しむ観光列車ということで名前がつけられたが、列車の愛称にしては少々凝りすぎと思われ、通称「べるもんた」号と呼ばれている。2015年4月に東京から金沢まで北陸新幹線が延伸したことをうけ、同年10月から高岡駅または新幹線の新高岡駅を起点に、砺波平野を南下する城端線(じょうはな線)と、富山湾に向かい北上する氷見線で「べるもんた」の週末限定の運転が開始され、以来人気の観光列車になっている。


新幹線開業により、富山県内の在来の北陸本線は第三セクターの「あいの風とやま鉄道」となったため、北陸本線高岡駅を起点としていたJRの氷見線と城端線は、在来のJR線との接続点がない離れ小島の孤立路線となり、従来より一層厳しい経営状態に直面することになった。もっとも沿線は砺波平野のチューリップ、瑞泉寺や五箇山、雄大な立山連峰遠望や富山湾の絶景などの観光資源が盛りだくさん。そこで新幹線の延伸と相まってこれを増収に活かさない手はないと、「 べるもんた」の運転が始められたそうだ。キハ40を改造しダークグリーンに塗られた観光列車(単行一両編成)は土曜日が高岡駅から新高岡駅経由で城端線(高岡駅~城端駅29.9キロ)を、日曜日は氷見線(高岡駅~氷見駅16.5キロ)+高岡駅/新高岡駅(城端線1.8キロ)(合計18.3キロ)間で各々1日に2往復運転されている。尚、この列車に乗るには、通常の乗車券以外に城端線運行でも氷見線運行でも指定料金530円が必要である。

我々は昨年7月に同列車の城端線部分に乗ったが(瑞泉寺・五箇山合掌造り・”ベル・モンタ―ニュ・エ・メール”)、今回は寒ブリ喰いたさに富山に来たところ、幸運にも日曜日の午前中に氷見駅から新高岡駅間を運転する「べるもんた2号」のチケットをとることができた。昨年城端駅から乗車した際は、暑さのため車内で出されるご当地クラフトビールがまさかの売り切れという、我々によっては大きな災難に見舞われたので、今回はリベンジの意味もあり、乗車前は氷見市内をゆっくりとジョギングで観光し、十分汗も出してビールを楽しみに乗車に備えることにした。


再度乗車することになった「べるもんた」号だが、車両はこの地方の景色を楽しむために、大きな窓は額縁調にデザインされており、吊り革は高岡の銅器をイメージ、座席の仕切り版は井波彫刻の作品と、沿線の伝統工芸品が前面に押し出された意匠である。列車は一両編成なので車内に厨房スペースこそないが、氷見寄りの車端には寿司やつまみを準備する寿司カウンターが設けられており、「白エビと紅ズワイ蟹のお造り」を肴に、前に飲みそこなった「はかまビール」「麦やビール」と銘打たれた城端の特産ペールエールを楽しむ。「海越しに3000米級の山々を見られるのは世界でもここだけ」とガイドの説明を聞き立山連峰の車窓風景を楽しむうち、列車はあっという間に高岡へ到着。高岡駅では、氷見線の7番ホームから新高岡駅に向かう城端線の2番ホームまで14か所のポイントを通過して進行方向を変える小さなアトラクションも楽しめるが、それにしても乗車時間が短いのがちょっと残念である(氷見駅~高岡駅なら31分、氷見駅~新高岡駅は1時間5分)。せっかくの観光列車なのだから、氷見から城端線の城端駅までを乗り通す便があっても良さそうなものだというのが2回乗車した感想である。

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富山湾をバックに地元ビールに白エビと紅ズワイ蟹のお造り

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高岡駅では合計14のポイントを通過し氷見線から城端線へ移動

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