「はなあかり」「嵯峨野トロッコ列車」の旅 その(4)玄武洞、地図アプリ
「はなあかり」を城崎温泉で下車、豊岡で泊まった翌日は、夕方の(京都)嵯峨トロッコ列車の乗車券を予約してあったので、半日の時間の余裕ができた。妻は豊岡まで行くのなら玄武洞を見学したいと言っていたが、私は高校時代に習った地学の教師がひどく変わった人物で、岩石やら柱状節理と聞くと当時の不愉快なことを思い出すこともあり興味が湧かない。ましてや玄武洞は豊岡の街から6キロも離れており、バスなどの公共交通機関がなく、アクセスするにはレンタカーかタクシーを使うしかない行きづらい場所にある。だが、ここまで来て国の指定天然記念物でユネスコ・ジオパークにも指定された玄武洞を見ないのも勿体ないかと、”話のタネ”と思って(しぶしぶ)見学することを決めたのである。現地で聞けばタクシーならJR豊岡駅より玄武洞まで片道で3000円、往復6000円との事で、これはレンタカーの料金とほぼ同じだ。レンタカーならば京都に向かう午後の特急の時間に合わせ足の心配もぐっと減るが、クルマを借りたり返したりする手続きや給油の面倒を考えれば、手っ取り早くタクシーで往復する方が簡単そうだ。玄武洞にはタクシー会社への直通電話も設置されていることもわかり、帰路の配車も容易だったので結局タクシーを利用することとした。
玄武洞は円山川沿いに聳え立つ5つの巨大な絶壁で、そこではきれいに発達した柱状節理の岩盤をみることができる。なんでもこの地帯は火山由来の玄武岩で構成されており、熱い溶岩が地表に出て冷却される際に、収縮するに従い外側から規則性のある割れ目が出来、これが柱状節理と呼ばれる連続した石の柱になったとのことである。岩盤に隣接して建てられた玄武洞ミュージアムでは、玄武岩という岩石の日本名はここ玄武洞から名づけられたこと、玄武岩はマグマからできた地球表面でもっとも多い岩石で海洋底は玄武岩が優勢であること、玄武岩の磁性を測定すると地磁気の変化がわかる事などを教えてくれる。1926年に地球磁場の反転を世界で初めて唱えたのも、この玄武洞などで磁性が現在と逆向きであることを見いだした京都大学の松山基範博士だったことを館内の展示で知ったが、今ならノーベル賞を超えてもおかしくない大発見がここを舞台にして日本人によって為されたとは驚きの事実であった。地磁気の逆転によって地球環境は大きな影響を受けることは云うまでもないが、地球科学の発展に日本人が多大な貢献をしたことを知り、地学に対するかつてのネガティブなイメージが少しは拭われたような気がした。
その後、豊岡にとって返し、特急「きのさき」で京都に向かったが、久しぶりの山陰本線列車に乗車とあって飽くことなく車窓の景色を楽しむことができた。最近は便利になって、スマホの地図アプリで列車がどこを走っているのか瞬時にわかるので、バッテリーが減るのも気にせずにスマホの画面と沿線の景色を見比べるのが旅の楽しみである。景色だけでなく乗っている車両がどういう形式なのか、停車する町の人口や歴史なども即座に検索できるとは、凄い世の中になったものだ。手元のスマホのマップを見ていると「きのさき」は豊岡を出てから円山川水系沿いに川を上り詰め、和田山を経由し分水嶺を超えた後は、由良川水系の支流を下り福知山に至ることが分かった。ここからは由良川の別の水路沿いに上流に向かい、再び日本海と太平洋を隔てる分水嶺を経て、大阪湾に注ぐ桂川水系に分け入り京都を目指す行路を辿っている。山陰本線に限らず、東北本線や中央本線など古くに敷かれた鉄路は、山を越えるのにほとんどが川沿いに僅かずつ標高を稼ぎ、サミットをなるべく短い隧道や切通しで超え、別の水路に至り町へ下るケースが多いようだ。重機械のない時代に山地を越えて鉄道を敷設することが如何に難事業であったのか、先人の苦労を偲ぶことが出来るのも、手許に地図があってならではの事である。列車に乗るとすぐブラインドを下げたり、スマホでも動画を見たりゲームをしている人が多いが、新しいツールを使って歴史や地理の旅を楽しむのも新たな喜びである。(このシリーズ完)
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