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2022年10月 2日 (日)

西日本鉄道旅(5)阪急電鉄 雅洛

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阪急京都線 雅洛

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雅洛の内装


豪華弁当を車中で楽しみ、すっかり満足して定刻18時17分終点岡山駅で「SAKU美SAKU楽」を下車した。あとは18時58分の「のぞみ54号」に乗って帰京するばかりと、岡山駅の新幹線改札口を抜けると何やらコンコースは騒然としている。いつもより若干トーンの高い放送を聞けば、台風15号の影響で静岡県内が豪雨となり、東海道新幹線は浜松から先の運転を取りやめているとのことだ。台風の接近はニュースで知っていたが、中国地方はこの日も薄曇りの行楽日和とあって、天気のことは頭の片隅からすっかり消えていたのでびっくりだ。ホームに上がれば30分前を走る「のぞみ52号」がまだ発車できずにいるし、我々が乗車する「のぞみ54号」の到着時間は未定との放送である。それでも上り列車は行けるところまでは運転をしているようで、大幅な遅れながらとりあえず順番に列車を相生や姫路へと進ませているらしい。


ジタバタしてもしょうがない。これから車中が長くなるであろうから、駅の売店で追加のビールや酎ハイに新聞などを買って待っていると、1時間ほど遅れてようやく博多からの「のぞみ54号」が到着、すぐさま出発することになった。途中の姫路駅では先行の「のぞみ52号」がホームで客扱いをしている際中に「のぞみ54号」が同駅の通過線に停車し、2本の「のぞみ」が途中駅でしばらく並んで止まるというとても珍しい場面も経験した。そうこうするうちに、この日は新大阪から先の東海道新幹線列車は運行を取りやめるとの車内放送が入ってきた。我々クラツーの添乗員の顔が急に引き締まり、あたふたと会社に連絡をとり始めたが、こちらは天下の山陽新幹線、どこか異国の地で交通手段がなくなったわけでもなし、何と言っても添乗員がいるのだからと、まさに大舟に乗った気分で先ほどのアルコールを吞み進める。


さすが天下のクラツーである。暫くして新大阪駅前のホテルAPAを人数分予約できたとの添乗員の報告が車内であった。それも2人で素泊まり7500円というから、駅や車中で一晩過ごすことを考えれば「天国」だ。旅行約款上、これは自費でお願いしますと恐縮する添乗員に「自然災害は仕方ないから」と感謝するばかりだ。添乗員付きの団体旅行は何と楽なことか。初めてのAPAホテルで一夜を過ごした翌朝は台風一過、大阪は気持ちの良い秋晴れであった。添乗員の尽力で15時57分発の「のぞみ234号」の予約が取れたので、それまではゆっくりと関西の休日を過ごすことが可能である。ならば、ここまでテツ分の濃い旅をしてきたのでどうせなら最後までテツを楽しみたいと思いたち、妻と2人でまずは関西民鉄の雄、阪急のターミナル梅田駅に行くことにした。9つの線路に次々とマルーン色の電車が発着する梅田駅の壮観な情景を眺めつつ、さて神戸線に乗ろうか宝塚線に乗ろうか、京都線に乗ろうか迷っていると、ラッキーなことに京都線ホームに話題の快速特急「雅洛」が入線して来るではないか。


「雅洛」は2019年3月から運行を開始した京都線の観光特急である。神戸線の7000系通勤車両の中扉をつぶして2扉車とし、内装や座席を純和風に改装、それも各車両で内装の意匠が違うというまことに凝った編成で、土休日に大阪・梅田と京都・河原町間を4往復している。驚くことにこの列車に乗車するのに普通運賃のみで特別料金や指定料は不要であり、我々のようにどこに向かうか決めていない旅行者も、ふらっとスイカ(関西ではイコカ)やパスモ(ピタパ)で乗車できる。梅田駅で乗車してからも物珍しく車内をあちこち見学するうち、「雅洛」はあっという間に京都・河原町に到着。京都滞在時間はわずか17分、阪急河原町駅から四条通りを東に歩き、とって返して京阪電車の祇園四条駅からエレガントサルーン8000系特急に乗って帰阪した。新幹線乗車までは大阪名物「串カツ」で食事し、台風の結果として2人で7500円プラス私鉄運賃で思わぬ関西の休日を過ごせたことになる。家に帰ってみれば3泊4日で12本の列車(含・自宅から東京駅までの地下鉄)に乗車した「鉄道の旅」プラス鉄道博物館となり、翌日も列車酔いか、まだ体が揺れている感じがしてならなかった。(了)

京阪電鉄 エレガントサルーン8000系
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2022年10月 1日 (土)

西日本鉄道旅(4)SAKU美SAKU楽

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行路略図:赤色が乗車路線、朱色が貸切りバス

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強者どもが夢のあと、かつての交通の要衝も今は無人駅の備後落合駅

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「津山まなびの鉄道館」にある扇形機関庫

昼食は各自が予め予約してあった出雲そばなどの駅弁を途中の駅でピックアップし車中で楽しむうち、「奥出雲おろち」号は12時36分に備後落合駅についた。備後落合駅は広島駅から岡山県新見までのJR芸備線と、山陰地方からの木次線が落ち合う所ということでこの名前がつけられたとのこと。駅では永坂さんというかつてSLの機関士だった地元の方が、ボランティアとして沿線や往時の様子の説明していることを、先般7月27日の読売新聞の記事で知ったばかりだった。この日も予想通り彼が「奥出雲おろち」到着に合わせ駅舎に詰めていたので「C56で木次線の30‰で客車は何両牽引できたのですか」と聞くと「最大4両です。出雲坂根からのスイッチバックでは大変でした」と当時の苦労を教えてくれた。SL時代はC56や8600(ハチロク)の付け替えや整備のため、駅構内に車庫や転車台が置かれ、最盛期には200人もの国鉄職員が働いていたそうだが、今や寂しき無人駅である。がらんとした広い敷地に数本のレールが敷かれているありさまを見ていると「強者どもが夢のあと」という言葉が浮かんできた。


この後、備後落合から次に乗車する津山線の観光列車「SAKU美SAKU楽」の始発駅、津山まで鉄道で行くとすると、新見経由でJR芸備線とJR姫新線を乗り継いで行かねばならない。ところが新見方面行きの芸備線は朝・昼・夜の一日たった3本、新見から津山までの姫新線の列車は一日6本とあって、16時21分に発車する「SAKU美SAKU楽」にその日のうちに乗車することは到底不可能だ。約100キロ離れている両駅を乗り捨てでレンタカーで行くか、などと考えてもそもそも中国山地の山合いにある備後落合駅の周りにはレンタカーどころか商店さえ見当たらない。ところがこの旅行は我々のために備後落合駅前に貸し切り観光バスが待っており、中国自動車道路を通って津山駅に運んでくれるという設定になっている。団体旅行というと足腰の弱った老人や地理に不案内な中高年の旅だとイメージしがちだが、公共輸送が不便な場所で限られた時間内に効率よく旅をするのにはとても便利な手段だと云えよう。


バスに揺られて津山駅に到着したのは15時前。津山市は岡山県県北の人口10万人の町で、かつては津山藩10万石の城下町でもあった。バスの下車から列車に乗車するまで少し時間あったので、ツアー参加者のうち有志は駅から約800米、津山駅の旧機関区用地にある「津山まなびの鉄道館」見学を案内された。ここには旧国鉄時代の扇形機関庫が残されており多くの気動車が静態保存展示されているほか、鉄道模型のジオラマや岡山の鉄道歴史などを展示する建物、その他鉄道グッズの売店などがある。この扇形機関庫は現存する扇形機関庫では京都の梅小路についで国内2番目の規模だそうで、我々ツアー参加の中からも半数ほどがせっかくだからとこの博物館まで歩いて出かけて行った。鉄道だけでなく倉敷の町や出雲大社参拝など毎日少なくとも1万歩以上歩く結構ハードな行程であるにも拘わらず、僅かな時間を利用してけっこう遠い博物館に赴くとは、やはりテツ分の濃い一行なのだと改めて感心した。


旅は終盤、ここ津山駅から岡山駅までの59キロの津山線で、今年7月から運行を始めた新しい観光列車「SAKU美SAKU楽」に乗車する。「SAKU美SAKU楽」はキハ40系気動車を改造(キハ40 2049)した車両によって岡山・津山間を一日2往復走り、9月一杯は金・土・日は単行で、月曜日は定期列車に連結されて運転される。変わった列車名だが、JR西日本の「せとうちパレットプロジェクト」ホームページを見ると、「美しさ、楽しさを『作』る、笑顔・花が『咲く』、その地の美しさや楽しさを探し求める『索』」という3つの『SAKU』を取り入れ、淡いピンク色の車体カラーにマッチする愛着ある列車名としました」とのこと。我々は津山駅のセブン・イレブンでビールとワインを買い込み、車内で出されるイタリアンばら寿司Xローストビーフを楽しみつつ、夕闇が迫る旭川とその支流の誕生寺川の車窓風景を楽しんだ。車内アテンドの若い女性2人はJR西日本サービスの所属で、この日は「SAKU美SAKU楽」に乗車だが、普段は新幹線の車内販売も担当するとの事。ほろ酔い気分で「ありがとう、次は新幹線で合いましょう」などと声をかけながら、東京に戻る「のぞみ」に乗り替えるべく岡山駅で彼女らに別れを告げた。しかしこの鉄道の旅はここで終わらず、まだハプニングが待っていた。

SAKU美SAKU楽のキハ40 2029 (津山駅にて)
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イタリアン弁当
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2022年9月29日 (木)

西日本鉄道旅(3)トロッコ列車 奥出雲おろち号

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山また山の木次線

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スハフ13 801トロッコ車両

国鉄色の特急「やくも9号」を終点出雲市駅で下車すると、駅前には貸し切りバスが待っていた。この日はお約束どおり出雲大社にお参りし、島根ワインのワイナリーで夕食、出雲市駅前のビジネスホテルで宿泊した。明けて最終日の3日目(実は旅は最終日にならなっかたことは後にアップする予定)は東海地方から関東地方に台風の接近が告げられていたが、山陰・山陽地方はうす曇りでこの日の目玉、トロッコ列車の乗車には暑くも寒くもないほど良い天気。トロッコ列車「奥出雲おろち号」は出雲市駅を8時45分に出発、山陰本線を15キロほど松江方面に向かって走り、宍道駅からスイッチバックでハイライト区間の木次(きすき)線に乗り入れて、終点の備後落合駅に向かった。この列車は週末や連休に合わせ、一日一往復木次線をする観光列車で、編成は宍道方にDE10型機関車が付き、備後落合方に連結する12系改造の2両の客車をプッシュ(途中のスイッチバックや山陰線内ではプル)する方式である。


備後落合に向かう先端の客車は窓のないオープン構造のトロッコ車両となっておりすべてが指定席、2両目の客車(スハフ12 801)はタネ車に近いアコモデーションで、こちらは予備車(控車)として使われる。予備車は天候が悪い時などに乗客がトロッコ車両からこちらで過ごすためについており、乗客の乗る車両が2両あるにも拘わらず指定席は1両分しか販売されない。乗客は気分にあわせてオープン車にいるか室内に留まるか、どちらの車両に乗車しても良いことになっている。また備後落合寄りの先頭客車(トロッコ車両 スハフ13 801)には動力源であるDE10をコントロールし、総括運転を行うための運転席(片運転台)が設けられている。聞けば機関車はこの日のDE10 1161から他の同型カマに換えられる事もあるとの機関士の説明だった。


木次線は山陰・山陽を結ぶ陰陽連絡を目的として1916年に開業した非電化全長81.9キロの路線である。当初は私鉄の簸上鉄道(ひかみてつどう)として営業を開始したが、母方の祖父がこの鉄道建設発起人の一人であったことは既にアップした通り (2022年8月11日 木次線と中井精也氏の鉄道写真)。私にとっては縁の浅からぬ路線なのだが、過去に乗車したのは宍道から出雲大東までの13.9キロだけであった。今回は祖父の願いを追体験するかのような初の全線乗車である。宍道から備後落合に向けて先頭に立つトロッコ車両は進行左側だけが運転席とあって、右半分のガラス越しに展開する前面眺望はすばらしいの一言。見ていると最急勾配30‰(1000m進むうちに高さ30m上下する)最小半径160R(カーブの半径が160米の急カーブ)の連続で、列車はゆっくりと中国山地に向けて歩みを進める。東京都内で有名な西武新宿線の高田馬場~下落合間のカーブが158Rで30‰だから、これが右に左に延々と続いてわけであり、まるで登山列車に乗っているかのような気分だ。大正から昭和の初めによくこんな鉄道を敷設したものだと地元の利便性と興隆を願った祖父の苦労を偲びつつ変わりゆく車窓を楽しんだ。


行程の後半になると出雲坂根駅からのスイッチバックや絶景の「奥出雲おろちループ」が連続し、やがて列車は標高727米のサミットにある三井野原駅に到達する。ここから広島県の備後落合駅に向けてブレーキの連続で勾配を下って4時間のトロッコ列車の旅が終わった。初めて全線乗り通した木次線は予想した以上に急峻な山あいを横断する山岳ローカル路線であったが、これは逆に見れば大変な観光資源に恵まれているとも云える。1998年から運転をしているトロッコ列車は車両老朽化によって来年で終了するそうだが、その後は、本格的な観光車両を造り、出雲そばや地元の名産である仁多牛の特別弁当を車内で提供するなどのサービスを展開させたらいかがであろうか。今回の列車も満員であったし、新しい観光用車両で運転すれば特別な料金を払っても乗車する需要は大きいのではなかろうか。終点の備後落合駅ではかつて国鉄時代のSL機関士がボランティアとして沿線の説明をしており、このようなOBを列車に載せて、山を登り下りしたSL時代の苦労を車内で語って貰えばより人気が高まるに違いない。

沿線は素晴らしい景色の連続 国道314号線の出雲おろちループ
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予備車(控車)スハフ12 801

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2022年9月27日 (火)

西日本鉄道旅(2)国鉄色 特急やくも

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旧国鉄特急色に塗られた381系「やくも」

旅の2日目は倉敷駅から出雲市駅に特急「やくも」で移動し、出雲大社に詣でる旅程である。ただし毎日何往復もある特急「やくも」でも、わずか1編成(一日2往復)しかない旧国鉄特急色で塗分けられた列車に乗車するのが、この旅がオタクによる”テツ旅”たる所以である。特急色の「やくも9号」倉敷駅発車は11時16分と遅いため、この日は朝のうちに阿知神社や倉敷市内をジョギングして体調を整え乗車を待つことにした。皆で集合し倉敷駅の伯備線ホームで待つことしばし、隣の山陽本線を頻繁に通過するEF210(桃太郎)牽引の貨物列車や、水島臨海鉄道に乗り入れる新鋭DD200型電気式ディーゼル機関車の雄姿が我々の目を楽しませてくれる。ダイヤ通り定刻になると車体をクリーム4号と赤2号の懐かしい旧国鉄特急カラーに塗分けられた381系「やくも9号」が、始発の岡山駅から倉敷駅に滑り込んで来た。


伯備線は山陽本線の倉敷から山陰本線の伯耆大山まで138キロの陰陽連絡線で、備中と伯耆を結ぶことからこの名前が付けられている。かつては一ローカル線に過ぎなかったが、新幹線岡山開業から米子・松江・出雲方面への最短ルートとして幹線扱いになり、現在は「やくも」や東京始発の寝台夜行特急「サンライズ出雲」が運転されている。もっとも伯備線は中国山地を横断するため線路の最小半径は200米、最大勾配は25‰ときつく、スピードアップが困難な路線であったため、「やくも」に投入されたのが381系振り子車体の特急電車であった。「振り子」とはカーブになると遠心力に応じて車体の下部が振り子のように外側に傾くことで通過速度を上げる方式なのだが、後年に開発された制御装置付きの振り子車両と異なり、381系は重力のままに最大3度まで車体が傾くため、振れ幅が大きく「酔い易い」電車だと云われている。


連休を利用してか、沿線には旧国鉄カラーの車体を撮影する鉄道ファンも多いのだが、乗車してみればボディが何色かは関係ない。それでも撮り鉄が注目する列車に乗っていると云うのは、僅かばかりの優越感を掻き立てられて嬉しい気持ちもする。2007年に出雲大社に行った際に一度381系「やくも」を利用したので、この電車がよく揺れる事は知っていたが、それにしても中国山脈の山中を、最高110~120キロの速度で右に左にのカーブの連続とあってトイレに行くにもよろけて難儀するほどである。ただ山陰線区間に入って運転停車中にふと窓外を見ればPC枕木の他にかなり年季の入った木の枕木が多く、それも所々で犬釘が外れたものもあって、揺れはこの車両特有のものに保線の不味さも影響しているのではと考えられる。などと山岳路線の揺れと眼前に広がってきた宍道湖の車窓風景を楽しむうちに「やくも9号」は定刻の1412分に出雲市駅に到着した。

山陰線・直江駅の線路 犬釘も外れた古い木の枕木
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2022年9月26日 (月)

西日本鉄道旅(1)水島臨海鉄道

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水島港を背に 水島駅のキハ37

三連休を利用して、クラブツーリズム主催  ”西日本鉄道旅3日間、ありがとう!23年度運行終了「奥出雲おろち号」 22年7月デビューの観光列車「SAKU美SAKU楽」” の旅に参加した。これは山陰本線の出雲大社駅(島根県)から備後落合駅(広島県)までJR木次線のトロッコ列車「奥出雲おろち号」に乗り、津山駅(岡山県)から岡山駅まで津山線を走る観光列車「SAKU美SAKU楽」乗車のほか鉄道を楽しもうと云う企画である。今回の目的地である中国地方には山陽、山陰を結ぶ路線(陰陽連絡線)を中心に古くから多くのローカル線が敷設されている。子供の頃から山陽本線の列車に乗る度に「播但線、姫新線はお乗り換え」「芸備線の次の発車は」などという車内放送を聞き、さてこれらの路線に乗り替えるとどんな旅があるのかといつも興味を持ってきた。しかし海岸地方から分け入った山間の町を結ぶ諸路線は運行頻度が低く、いくつかの路線を効率よく乗り継ぐのはダイヤ的にかなり難しいのが実情である。そんな地方のローカル線を走る2つの観光列車を限られた時間内に乗車するには、途中貸し切りバスを使って利用駅を結ぶ団体旅行しかないと、このツアーに参加したのである。


東京駅の集合場所に集まったのは総勢19名の中高年で、鉄道マニア風の他、鉄道よりは途中で立ち寄る倉敷の町や出雲大社の方に興味がありそうなオバちゃんたちなど顔ぶれも多彩だった。添乗員の案内でまずは岡山駅まで新幹線「のぞみ」に乗車し、岡山駅から山陽本線の在来線に乗り宿泊地の倉敷に午後早くに到着するのが初日の日程である。この日は天気も良く、乗車する「のぞみ」85号は、新型N700系S(Supreme)とまずは幸先が良かった。倉敷駅前のビジネスホテルのチェックインした後は自由行動となり、ツアー参加者の多くは美観地区や大原美術館などに出かけたようだが、我々は昨秋当地に旅行した際に美観地区をゆっくり観光したので、今回は倉敷から発車する水島臨海鉄道に初乗車する事にした。この旅は”西日本鉄道旅”であるから、なるべく鉄分(テツブン)の濃い内容にしたいという気持ちである。また海運会社の新入社員時代に最初に担当になったのが、川崎製鉄(現JFEスチール)の原料輸送船で、同社の千葉製鉄所とともに水島製鉄所で多くの豪州・インドの鉄鉱石や原料炭を荷揚げした思い出もある。海運人生最初のステップが「水島」の地ゆえ、ノスタルジックな気持ちが湧いたこともある。


JR倉敷駅に隣接した水島臨海鉄道・倉敷市駅で水島行きの1両編成の気動車に乗車したのは15時26分だった。この時間帯は上り下りとも1時間に1本の運転である。ここから約11キロ南に位置する水島駅までは24分ほどの運転時間だが、朝夕のラッシュ時にはさらに1.2キロ先の三菱自工前駅まで列車は走る。水島臨海鉄道はJR貨物と倉敷市などが出資する第3セクターの臨海鉄道で開業は1970年で、この路線は水島工業地帯の発展とともに存続してきたことになる。ウィキペディアによると2021年度の営業利益はマイナス6300万円、経常利益がマイナス3500万円であり、多くの地方の鉄道と同じように営業は厳しいようだ。そのため倉敷市駅ではわずかながらオリジナルグッズの販売を、水島駅は午後4時で有人の駅業務は終了と売上高促進、経費切り詰めに尽力している様子が垣間見えた。閑散とした乗降客の水島駅で降り立った後、駅からほど近い水島港や工業地帯を一時間ほどかけて散策していると、かつて大学を出て右も左もまったくわからない中、当地の船舶代理店と航路や岸壁などの話を頻繁にした記憶が蘇った。船が遅れると製鉄所の需給がひっ迫し、なんとか到着を早めてくれと懇願され冷や汗をかいたこともあった。水島駅のホームで製鉄所の高炉を見ているうちに、なぜか脳裏には井沢八郎歌う「あゝ上野駅」の「あの日~、ここから始まあああった」という歌詞が脳裏に浮かんできた。

売り上げに協力 水島臨海鉄道の区名札 2000円!
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2022年8月11日 (木)

木次線と中井精也氏の鉄道写真

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鉄道模型を再開してから、最近はデパートで開催される鉄道関連のイベントなどにも興味が湧くようになってきた。ということで先週末は新宿の京王デパートで開かれている鉄道フェスティバルに行ってみた。卒業生が鉄道各社に多数就職する岩倉高校の生徒が作成したHOゲージやNゲージ鉄道レイアウトを眺め、鉄道グッズを販売する各社コーナーなどを見ているうち、会場の一画に鉄道写真家 中井精也氏のギャラリー&ショップ「ゆる鉄画廊 NOMAD」があるのを発見。中井精也氏と云えばJR時刻表の表紙や鉄道各社のカレンダーを担当するなど知る人ぞ知る鉄道写真家である。我が家のリフォーム工事が昨年完了し、きれいになったリビングルームの白い壁を飾る風景画か写真、できれば鉄道に絡んだものが欲しいと思っていたので、有名な鉄道写真家の販売する作品に手頃なものがないか、冷やかしで覗いてみることにした。


その「ゆる鉄画廊」の一画に 青空を背景にみどりに包まれた線路を走る気動車のちょっと変わった色調と構図の写真が展示されていた。全体はとても明るい作品なのだが、画面の空や森、その中を走る朱色の気動車が漫画のような不思議なタッチで表現されている。写真の説明にはJR西日本の木次(きすき)線の風景とあるのに一層心惹かれて見入っているうち、この写真が何となく「買ってちょうだいよ」と呼びかけているような気がしてきた。詰めていた係りの人に聞くと、これは鉄道の風景を直接撮影したものでなく、線路脇を流れる川の水面に映った景色と列車を撮ったのだそうだ。確かにこの写真をよく見ると鉄橋を亘る気動車の輪郭はやや曖昧だし、写真の全面に亘ってうっすらと川底の石ころなどが写っており、川面に反射する光線の具合いがこの作品を劇画チックに仕立てていることが分かった。天地を逆にした様なユニークな作品である。

 

作品が呼んでいるかに思ったのは、JR木次線が題材になっているからであろう。私の母方の祖父は島根県の素封家の家に生まれ、木次線の前身である簸上(ひかみ)鉄道創設の主要発起人の一人として、若き日は鉄道敷設に力を注いだと聞いている。簸上鉄道は山陽・山陰連絡の便を図るために1916年(大正5年)に開通し祖父は取締役も務めていたそうだが、戦争を前に1934年(昭和9年)に国有化されて木次線となっている。木次線は現在は宍道(島根県)と備後落合(広島県)を結ぶ全長82キロの非電化・単線のJR西日本のローカル線である。祖父は後に政界に出て国会議員に選出されるのだが、当時の政治家によく見られた井戸塀政治家の典型で、様々な事業や政治活動、選挙に私財をつぎ込み、亡くなった時には文字通り井戸と塀しか残らなかった。きっと簸上鉄道建設にも資金を注いだに違いないが、祖父の若き日の情熱がJRの路線として今も残り、その線を題材にした作品に図らずもここで出会ったのである。ちょっと気になった写真が木次線だと聞き、これも何かの縁に違いないと思い早速購入し、白い額に縁どられた作品を手にいそいそと帰宅した。


所用から戻ってきた作者の中井精也氏にサインを貰った
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2022年8月 4日 (木)

京成AE形電車(2代目)スカイライナー

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2代目AE形の落ち着いた車内意匠

武漢ウイルスの感染騒ぎ以来、テレワークの日が増え自宅で過ごす時間が多くなった。テレワークという働き方になると誰の目も意識しなくて済むから、仕事の暇な週日の午後のひと時、首都圏の鉄道で「乗りテツ」を楽しんでいるのは何度もアップしたとおりである。この1年半に相鉄新横浜線、東武伊勢崎線の久喜方面、西武新宿線の川越方面、つくばエクスプレスなどこれまで馴染みなかった駅に行ったり新規開業路線に一人乗ったりでプチ遠出を楽しんできた。この次は2010年に開業した京成の成田スカイアクセス線(成田空港線)でも乗りに行こうかと考えていたら、エアバスA380によるANAのチャーターフライトの機会が来たので、妻と二人で成田空港まで2代目AE車(3代目のスカイライナー車両)で行くことにした。


成田空港アクセスという点で振り返ってみれば、1978年に成田空港が開港した当初から、京成のスカイライナーは運転されていたが当時は多くの人々が都内・箱崎のシティエアターミナルからリムジンバスを利用していた。1991年になり成田駅から空港ターミナルビルに連絡する線路が出来て、JRの成田エクスプレスが運転を始めたものの、スカイライナー共々どちらも都心から空港まで一時間ほどかかり「成田は遠い」という印象を皆が持っていたと思う。このような状況を打ち破るべく2010年に成田空港へ向かう京成の新線が開通し、これを利用して新幹線以外で最速の160キロの速度で日暮里から成田空港第2ターミナルを36分で結ぶ2代目AE形(スカイライナー3代目)が運転を開始した。


地図を見ると、千葉方面に向かう京成電鉄は東京からまず西南方向に向かって東京湾岸近くを走り、途中の津田沼から分岐した線路が千葉県内部の成田に向かっている。1912年(大正元年)に都内・押上と千葉県・市川間で開業した京成は、県都であり人口が稠密な千葉に向かってまず建設を進めたため、東京と社名の由来でもある成田は最短距離で結ばれなかった。津田沼から成田に向かう現在の本線が開通したのは、ようやく1930年(昭和5年)になってからである。このカーブの多い線路に加え緩行列車の退避待ちなど、かつてのスカイライナーは様々な苦労を克服して走っていたものだ。これに対して空港新線は、都内から空港方面に真っすぐ西方に線路が敷かれ、上野ー成田空港間の距離が約5キロ以上短くなった上、1435ミリの標準軌軌道も強化され、新型AE形2代目の投入で到達時間の大幅アップが可能になったのである。


京成上野駅または日暮里駅から、ほぼ20分おきに発車するスカイライナーの料金は、2470円で成田エクスプレスよりり500円以上安い。ウイルスの第7派の蔓延とかでこの日は乗客もまばらだったが、青と白を基調にした清潔感あふれるアコモデーションは適度な暗さの間接照明にマッチして落ち着いた雰囲気である。スーツケース置き場が乗降口近くに設置されているのが空港アクセス列車らしいが、そのほか車内あちこちに防犯カメラが設置されているのがいかにも最近の列車らしい感じである。高砂駅で京成本線と別れ、北総台地を160キロで突っ走る空港新線の高速運転を堪能する間もなく、列車は印旛沼の畔に出てあっけなく成田空港に到着した。かつて皆が持っていた「成田は遠い」という既成概念をぶち壊してくれそうな成田空港線の3代目スカイライナーであった。国際線搭乗の際は、我が家からだと距離的には羽田空港の方が圧倒的に近いが、モノレールの乗り換えや京急線の混雑ぶりを考えると、この列車で成田へ行く方がむしろ楽かと思わせる便利な新空港アクセスであった。

印旛沼近く北総台地を160キロで疾駆するスカイライナー
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2022年7月19日 (火)

久しぶりのNゲージ鉄道模型

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EF81に牽引された夜行列車「トワイライトエクスプレス」

この週末は三連休であった。最近は仕事もテレワークが主で数時間あれば終わる程度の量になり、労働日と休日の区別があまりつかなくなった。とはいえ休日は業務用の携帯電話を持ち歩く必要もないし、会社のメールを開く必要もないのは気が楽でよい。ゆっくりとピアノを弾いたり皇居にジョギングに行ったり、日曜日は特にクルマの少ない都心の道で愛車のドライブを楽しむこともある。今やどのメーカーからもあまり売られなくなったストレート6(直列6気筒)エンジンだが、我がBMWのツインターボ付き”シルキーサウンド”はこのところすこぶる快調である。最近はこれら休日の楽しみに、むかし買い集めたNゲージ鉄道模型が加わった。小学生の甥が遊びに来ることになり、「どれ、ひとつ見せてやるか」と長い間段ボールに保管され、クローゼットの肥やしになっていたのをウン十年ぶりに取り出したのがきっかけだった。


とは言え長い間全く動かしていなかった装置一式である。コントローラーが大丈夫か、列車の集電装置やモーターは生きているのか、ポイントマシンの電磁石はまだ機能してくれるのだろうかと当初は心配であった。再開にあたりまずは直線レールだけを取り合えず敷き、EF60型機関車を載せておそるおそるコントローラーのツマミをひねってみたところ、果たしてヘッドライトを点灯させ青い機関車はじわじわと動き始めてくれた。部屋の装飾品として鉄道模型を陳列していたことはあったが、車両たちが久々に走る姿を見ると感慨もひとしおである。「よしこれならいける」とかつて集めた車両を次々と箱から取り出して線路に載せると、どれも一瞬 「え?久々にお呼び?」とばかり始めはやや躊躇するような挙動を見せるが、構わず電圧をあげるとモーター音も軽やかに線路上を走行し始める。どの車両もまるでレールの上を疾走するのが嬉しいかのようだ。


こうなると病膏肓、直線のみならず曲線を織り交ぜて次々とレールを繋ぎ、一周6メートルほどのループ線のほか何本かの引き込み線を展開することにした。久々の通電とあって繋いだレールも最初はうまく電気が流れない箇所があったが、ジョイント部分の角度を微調整したり、線路に細かい紙ヤスリをかけたりするうちに列車の走行が次第にスムーズになってくる。最初はややぎこちなかったポイントマシンも何度か動かしているうちにすっかり調子を取り戻し、本線と側線を走る列車をうまく捌いてくれるようになってくるのが嬉しい。試行錯誤しつつ線路を繋いでは調整したり、別の編成を走らせたりしていると童心に帰りあっと言う間に時間が過ぎていく。


甥に模型を見せたあと一旦レイアウトを片付けたが、こうして線路を敷いて都度片づけるだけでは「子供の遊び」で終わってしまう。ということで、かつて幾度も構想を練りながら実現には至らなかった「ジオラマ」作りに挑戦してみようかという気持ちが湧いてきた。ただスペースに限りのあるマンション住まいゆえ、本格的な情景を作成するのはとても無理である。取り合えず折り畳み収容可能な1メートル四方の板の上に「鉄道のある風景」を実現してみるか、作業場はベランダにするかなどと具体的なイメージを脳内夢想することにした。イメージは昭和30年代、麦わら帽子の少年が虫取り網を持って川のほとりの田舎道を歩く先には踏切があるという設定などがよい。沿線の看板は「菅公の学生服」とか「金鳥の蚊取り線香」にするかなどと細かい情景が膨んでくる。幸いなことに凝り性の妻は、車内灯のない車両の点灯化や、メーカーによって違うカプラー(連結器)の互換化に執念を燃やし始め、なんと先日は一人で鉄道模型ショップに出掛けて行った。どうやら彼女の反対もなさそうだ。

昭和30年代末の山陽本線夜行急行列車はEF60と10系の軽量客車
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2022年6月19日 (日)

渋谷 エクセルホテル東急 トレインシミュレータールーム

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先日は渋谷エクセルホテル東急「トレインシミュレータールーム」に一泊した。妻と二人で一泊朝食付きで合計26,800円である。いまウイルス禍で内外の観光客が激減しているなか、鉄道シミュレーターを設置しオタクを呼び込もうとしている鉄道系ホテルが幾つかある。JR東日本系のホテルメトロポリタンは池袋、丸の内、川崎、さいたま新都心で「JR東日本の運転士が訓練で使用する映像・機器」を再現し、京浜東北線と八高線の運転席を楽しめる部屋を展開している。同じメトロポリタンホテルのエドモント(飯田橋)にはロビーに東北新幹線のE5系の「実機器を採用!」したシミュレーターを置き、宿泊やランチブッフェと組み合わせたパッケージプランを販売している。各地の鉄道の博物館などに行くと鉄道シミュレーターの前は子供たちで一杯で、順番待ちや時間制限があるため並ぶのが大嫌いな私はいつもパスなのだが、これらホテルでは思う存分に”大人のシミュレーター体験”ができるというものだ。宿泊するだけなら今なら都内で一泊数千円の安い部屋がいくらでも見つかるので、それなりの値段を払う価値があるかないかは正にシミュレーターを独り占めできるか否かの価値観次第だと云える。


とは云えJR系ホテルの新幹線の運転はあまりに自動化されていて面白そうでないし、京浜東北線や八高線も馴染みがなくて今一つ気分が盛り上がらない。どうせなら子供の頃から毎日利用した東急線のシミュレータールームがある、エクセル東急ホテルを選ぶことにした。こうして我が家から渋谷まで地下鉄で30分、午後3時のチェックイン開始時刻にシミュレーターがあるエクセル東急ホテル17階の1723号室に入ると、大きな画面を前にして電車の運転台が窓際近くに置かれ、壁面には東急の電車の写真や駅の案内版が張られていた。部屋に一足踏み入れれば、一瞬にしてここが「鉄オタ専用」の空間であることが実感できる演出である。そう言えばこのホテルは子供の頃よく利用した玉電の渋谷駅があった場所に建てられている。サラリーマンになってからも若い時分に渋谷駅から毎日のようにバスや新玉線(田園都市線)に乗ったので、私にとってはここは100%日常生活だった場所である。すっかり様相が変わってしまった渋谷の高層のホテルの一室で、限りなく非日常のトレインシミュレーターに座ると得も云われぬ感慨が湧き起こってきた。


大型のテレビスクリーンの前にある運転台は、東急8090形の実車にあるものとほぼ同じ機械のようだ。逆転ハンドルは作動せずEBボタンこそないが、力行4ノッチ、ブレーキは7段のワンハンドルの制御装置は本物と同じような作動音を奏で、ノッチ投入は多分実車と同じ力加減だと思われる(機械的な作動音がうるさいため夜間11時から朝7時までは運転をしないで下さいとの表示あり)。画面右上には”電車でGO”でお馴染みの速度や次の駅の停止位置までの距離、到達時間が表示されるほか、このシミュレーターでは電流計や圧力計もそれなりに反応し、回生ブレーキの表示も出て本当の運転席にいるような臨場感が体験できる。電源を入れスピーカーから流れるモーター音と共に東横線の運転を始めると、この10年以上家で"電車でGO"でさえ遊んでいないのでブレーキ動作がなんとも不慣れで下手くそなことを実感する。二人とも各駅で「船漕ぎブレーキ」の連続で、停止位置のはるか手前に停車してしまったり停止位置大オーバーばかりである。シミュレーターでは加速・減速や勾配が体感できず視覚のみで運転するので操作はなかなか難しいが、1時間も熱中して遊んでいると具合もわかってきて、運転後に示されるスコアも最初の50点未満から70数点まで上がってくるのが大いに励みになった。こうなるとゲームに嵌ってしまい、夫婦2人して夜は制限の11時まで、翌日はチェックアウトぎりぎりの午後1時まで、東横線、田園都市線、大井町線で8090形の運転を交代で堪能した。鉄オタスイッチがすっかり点灯した妻は「碓井峠鉄道文化むらの本物の電気機関車EF63(15年前に運転免許取得済)運転か、近場のE5系のシミュレーターか、はたまた大宮の鉄道博物館とセットの京浜東北線シミュレーターも捨てがたい」と悩むことしきりである。

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2022年1月14日 (金)

新金貨物線の旅客化構想

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新金線・新中川橋梁からの車窓(お座敷列車「華」より)

JR総武本線の新小岩と常磐線の金町を結び都内の葛飾区内(ごく一部は江戸川区)を走る、貨物の新金線(しんきんせん・約7キロ)を、葛飾区が主体となって旅客路線化事業に乗り出すと今日の読売新聞が伝えている。荒川と江戸川に挟まれたこの辺り、JR線や京成線、それに地下鉄など都心から東に向かって放射状に延びる線路は多いものの、それらを縦に結ぶ鉄道は京成金町線のみで不便なため、高齢化・人口減対策として新金貨物線の旅客化で南北交通網の利便強化を図るそうだ。新金線と云えば、一昨年(2020年)11月に武漢ウイルス蔓延下、JR大人の休日倶楽部主催のツアー「★貨物線乗車の旅★お座敷列車「華」で満喫 首都圏ぐるり旅 両国発品川行き」で、485系団体貸し切り用お座敷列車「華」に乗車して通過したばかりである。

 

この時は、総武本線の両国駅で「華」に乗車し、同線・新小岩から常磐線・金町まで新金線を走り、その後武蔵野線などを経由して東海道貨物線まで貨物線ばかりの旅を経験したが、その際なぜ都内のこの場所に総武本線と常磐線を結ぶ新金バイパス路線があるのかが不思議であった。このニュースを期に調べてみると新金線は現在は一日数往復の貨物列車が通過する小路線に過ぎないが、かつては物流に於いて重要な路線だったと云うことがわかった。歴史を遡ると明治時代から千葉方面より東京を目指した総武線に、隅田川を渡って都心に入る橋梁が完成したのは昭和7年である。それまでは隅田川東岸の両国が総武線のターミナルで、房総方面の旅客はここで乗降していた。一方で房総から両国以遠を目指す貨物列車は、明治時代に開通していた常磐線の隅田川橋梁を通ることが必要であった。この目的のために大正15年総武本線から常磐線に転線させる新金線が完成したのだが、総武線が隅田川を渡って都心に乗り入れてからも、貨物列車はお茶の水・秋葉原間の急勾配(33‰)を避けて新金線を経由したそうだ。

 

葛飾区の計画では新金線を「JR東日本から借り受け、旅客用として7~10駅を新設する。新小岩-金町間が20分程で結ばれ、区は一日約4万人の利用者を見込んでいる。(車両には)『LRT』(次世代型路面電車)型を採用する構想もある」「整備費用を200億から250億円と試算する」(読売新聞)そうだ。とは云っても「旅客化に際して最大の課題になるのが。金町駅の手前に踏み切りがある国道6号線(水戸街道)との交差だ。」と同紙は指摘する。路面電車と街道の交差に関しては東急世田谷線のように、無閉塞運転として大きな街道(世田谷線では環七)の踏切で道路信号が赤になるのを待ち電車が進行するアイデアもあるが、そうなると同じ線路を走る貨物列車はどういうシステムで運転すれば良いか。また現在単線の新金線を複線化するとなると、線路周囲の余地や橋梁部分などは線増が容易に可能なのか様々な興味が尽きない。いずれにしても2030年とされる部分開業の暁には、ライトレイル・トランジットの近代的な車両と、JR貨物のEF210(桃太郎)などが列車交換で並ぶ光景が出現するかと思うとワクワクする。

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2022年1月14日読売新聞の紙面

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