カテゴリー「鉄道」の記事

2021年9月 1日 (水)

半日鉄道プチ旅行 つくばエクスプレスと関東鉄道

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130キロで疾走するつくばエクスプレス、前面のガラスは逃げ切れない虫の死骸が多数付着

引っ越しも一段落、東京にもようやく秋の気配が漂う候となり、ちょっと鉄道に乗ってどこか郊外に出かけたくなった。ということで今回は筑波エクスプレスと関東鉄道常総線に乗る事にした。平日の昼過ぎ、テレワークの合間を縫って、あまり土地勘のない千葉県北部や茨城県南部への訪問で、半日鉄道プチ旅行もこれで7回目になる。2005年に開業した日本でもっとも新しい私鉄である筑波エクスプレスで都心から茨城県の守谷まで行き、1913年に開業した非電化の私鉄、関東鉄道常総線に乗り換えて取手へ、取手からJR常磐線で都内へ戻る約100キロほどの行程である。最新の鉄道とローカル鉄道の気動車を乗り比べるのが今回の小旅行の目的だ。

 

平日の昼下がり、つくばエクプレス始発の秋葉原駅は人出もまばら、まだ真新しい地下駅の構内で乗車したのはつくば駅行き各駅停車のTX-2000系電車であった。この鉄道は正式には「常磐新線」と呼ばれ、沿線の地方公共団体や民間企業が出資した第三セクター鉄道とのこと。なんでも今回の目的地である守谷までは直流、守谷以遠は交流電化という単一路線の鉄道として極めて変わった電化方式を採っており、乗車した2000系も交直両用車両であった。例によってかぶりつきに陣取り前を見ていると、都内は北千住と隅田川鉄橋付近を除きほぼシールド工法で掘られた地下の線路で、トンネル内はけっこうアップダウンやカーブもあって前方を凝視する我が視線も上下左右に忙しい。

 

綾瀬川を過ぎ埼玉県に入るあたりから周囲は徐々に緑が増え郊外の景色となっていく。線路は高架線となり電車のスピードもぐんと上がるが、新しい鉄道とあって道床は堅固で路盤状態は極めて良く、ガラス越しにみえる運転席の速度計は130キロあたりと関西のJR新快速なみになる。6両編成の電車は車掌もいないワンマンの全自動運転とあって、前を見ていても信号器や踏切の安全を確認する灯標などが一切なく、線路わきの標識は「速度照査」とか「B」(ブレーキ)ばかりで、この点では前面展望ヲタクにはちょっと物足りない。電車は疾風のように進んでいくが、平日の昼下がりとあって乗客は一両あたり数人で、線路わきの田園風景と相まって車内はのんびりしたムードが漂っていた。こうして新しい電車の雰囲気を味わううち、40分ほどで乗り換えの守谷駅に到着した。

 

ここで大正初期に開業した関東鉄道の気動車に乗り換えである。つくばエキスプレスが守谷から交流になることや関東電鉄が電化されないのは、茨城県石岡市にある気象庁地磁気観測所への影響を考慮したためとされるが、その辺りの詳しいことは私には良くわからない。ただ都内から40キロほどの処に、昼間は気動車が一両でトコトコ走るローカルな景色が広がっているのがなんとも風情があって良い。高規格の新規開業路線から一転、枕木こそPC化しているがロングレールのない線路を唸りをあげて走るディーゼルカーに身をまかせていると、都会生活からの脱出という気分になってきた。乗車した車両は2019年に増備された新鋭の5020形とあって、空気ばね台車がフンワカとした揺れを一層増幅させるかの乗り心地で終点の取手に到着。都内へ戻るJR常磐線の電車を待つ間に食べた、駅の立ち食い蕎麦が予想外に旨いのに感激して数時間のプチ旅行を終えた。

乗車した関東鉄道の5020形ディーゼルカー(取手駅で)
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2021年7月25日 (日)

京都鉄道博物館

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夜9時過ぎ、東京九州フェリー”それいゆ”を新門司港で下船すると、徒歩乗船客のためにJR門司駅経由でJR小倉駅までの無料連絡バスがあった。この夜は小倉駅のJR九州ステーションホテル小倉に一泊、翌日「大人の休日倶楽部」を利用して、新幹線で帰京することにした。とはいっても真っすぐにトンボ帰りは芸がないので、途中下車して京都で寺社見物でもするかと考えたが、妻がそれは次回ゆっくり行くとして今回是非行きたい所がある、ということで梅小路にある京都鉄道博物館を訪れた。確かにここなら京都駅に近く九州からの道中に立ち寄るには手ごろな場所だと云える。これまで神田須田町にあった旧交通博物館や大阪弁天町の旧大阪交通科学博物館はじめ、大宮の鉄道博物館や名古屋のリニア・鉄道博物館を訪れ、海外でも米・ボルチモア鉄道博物館などに行ったとおり、時間が許せば各地の鉄道博物館を訪問しようと心掛けてきたが、聖地ともいえる梅小路は確かに鉄道ファンとして一度は経験してみたい場所だ。


京都鉄道博物館は、2014年に閉館した大阪弁天町の交通科学博物館と2015年に閉館した梅小路蒸気機関車館が合体して出来た施設である。新大阪方面に向かって東海道新幹線下り列車で京都駅を発車すると、ほどなく進行右手に灰色の扇形機関庫が見えてくるが、これが旧梅小路機関区である。この機関区にはかつて東海道本線の特急「つばめ」や「はと」などの優等列車を牽引したC62はじめ多くのSLが所属し、最後は昭和46年まで山陰本線を走ったC57などがいた名門の機関区であった。SLの運用なき後、1972年にSLの動態保存を目的に機関区は梅小路蒸気機関車館となったが、ここに交通科学博物館の展示物などを加え、2016年新たに京都鉄道博物館として開業した。この京都鉄道博物館には蒸気機関車から東海道山陽新幹線500型まで53両の鉄道車両や数々の展示物がおかれており、なかでも20両に及ぶSLの動態保存が博物館の目玉になっている。現役の東海道本線(JR京都線)や山陰本線(JR嵯峨野線)の列車が目の前を走るのもいかにも鉄道博物館らしい好立地といえよう。


館内の展示物については、大宮の鉄道博物館で感じた事とあまり変わらずツッコミ不足と思える。例えばEF66電気機関車の実車展示があり、その横にある案内版には「EF66は従来の吊駆式でなく中空可とう駆動方式を採用」だとか「台車は揺れ枕つりを介して車体を結んでいましたが、EF66では空気ばねの横たわみを利用する構造を採用」などとマニアックな説明がされている。その台車の構造を見学できる通路もEF66本体下部に作られているのだが、眼前の実車を前に台車のどこが「中空可とう駆動方式」や「空気ばねの横たわみを利用する構造」なのか具体的に表示されておらず、せっかくの解説が生かされていない。また貨物列車のさまざまな運用を分類するパンチカードは旧大阪交通科学館からの持ち込みで実際に見学者が扱えるのだが、肝心のカードは誰かが持ち去ったのかなくなっており使い物にならない。そのほか入換信号と進路表示器は展示が逆で、内容のわかる係員がいないかと探してみたが、博物館でよくある様に「学芸員」が見当たらない。これまでの「鉄道博物館」で記したように、大人の鉄道マニアが”目からうろこ”とばかり楽しむには、より専門的な展示や資料がやや少なすぎる感がした。


とまあディスってはみたものの、京都鉄道博物館の展示は子供たちやオタクでないフツーの鉄道ファンの知的好奇心を掻き立てるにはとても良く出来ていると思う。館内には一世を風靡した数々の名車両が展示されているほか、シュミレーターを使った実体験コーナー、大きな鉄道ジオラマなど工夫をこらした様々なディスプレイが設置され、日曜日で父母に連れられた子供たちの人気を博していた。屋内の展示ゾーンを抜けて大きな扇形機関庫の前に出ると、そこにあるのは転車台を挟んで多くの蒸気機関車の雄姿であった。なかでも線路上にたたずむ何台かの機関車には石炭が実際に積みこまれ、車軸の下に油受けが置かれて、これら機関車たちが「生きている」ことを感じ取ることができる。公園などに朽ちて置かれたかつての名機関車を見ると何とも寂しいが、ここ梅小路ではどの機関車もよく整備されて余生を楽しんでいるかのようだ。傍らで子供たちが蒸気機関車に歓声をあげているのを見るとなぜかこちらまで気分がなごみ、多くの家族連れで賑わうC56が牽引するトロッコ列車SLスチーム号に300円を払って乗り込んでしまった。

これまでアップした鉄道博物館のブログ
鉄道博物館(2010年11月3日)
名古屋リニア・鉄道館 車掌シュミレーション(2015年3月10日)
ボルチモア鉄道博物館とマクヘンリー砦(2018年6月11日)


阪急2000系に使われた私の好きな住友金属製ミンデンドイツ台車FS345の展示
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2021年7月 8日 (木)

半日鉄道プチ旅行 久喜行き

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東武スカイツリーラインは北越谷まで複々線・日比谷線から直通してきた各駅停車を抜く急行前面展望

テレワークが良いのは監視する者がいないことで、その日に大した用事がなければ外出して遊んでいても誰にもわからない。これまでもあまり自粛要請には従っていないものの蔓延防止とかの生活にも飽きてきたので、先日はテレワークの合間を縫い「鉄分」補給の半日プチ旅行に行って来た。今回は都内から東武スカイツリーライン、伊勢崎線経由で埼玉県の久喜駅まで行き、帰りはJR東北本線(湘南新宿ライン)で帰ってくるという往復100キロの行程にした。都内で東急田園都市線や地下鉄半蔵門線に乗ると、南栗橋行きや久喜行きの電車がよくやって来るが、東京の城南地区で育ち川崎市で永らく暮らした私には東武線沿線の地域にまったく馴染みがない。かねてよりこれらの電車の終点に行ってみたいという願望があり、それを実現せんと半日の息抜きをしたのである。これまでも東武の日光行きのデラックスロマンスカーには何度か乗ったことがあるものの、特急のリクライニングシートに座ると直ちに同行者と缶ビールを”プッシュー”が常だから、今回は純粋にかぶりつきで乗り鉄を楽しみたいと考えた。


ということで北千住駅で久喜行きの急行を待つと、地下鉄半蔵門線経由で入線する車両は、相互乗り入れ先からやって来た東急の5000形である。せっかく東武線の旅を楽しもうと思っていたが、ここで東急の車両とはテツとしてはちょっと場違いな気がしないでもない。最近の東武車両は運転席の真後ろが仕切り版となっておりガラスの窓がないが、せっかく全面ガラス窓で眺望の良い東急車両に乗車したのに、例によって運転手側のブラインドが下がり視界が一部遮られていた。組合闘争が盛んだった60年代、東武線でブラインドの向こうの運転士が停車駅で漫画本を読んでいたのをホームから目撃したことがあるが、今でも東武は組合の力が強くこういうことになっているらしい。JRもその他の私鉄も昼間やトンネル外はみな前面全開なのに、真昼間からブラインドを下げるという悪習はもうやめたらどうかと思う。案の定、右側のガラス越しにキャブをのぞけば、信号喚呼の声は聞こえず、信号確認を指差す手も「ただ、やってます」感のちょっと緩慢な風に見えた。


それはさておき、さすが北千住から埼玉県に伸びる東武のトランクライン(幹線)は施設的に立派である。北千住から北越谷までの20キロほどが複々線になっており、私が乗車した平日の昼には久喜や南栗橋行きの急行が急行専用線を、北千住から乗り入れる地下鉄・日比谷線各駅停車が緩行線を使用し、緩急接続(急行と各駅停車間の乗り換え)が効率良くできるような設備が整いダイヤが組まれているようだ。そのほかに場所的に余裕のある駅では急行線の外側に特急通過線も敷かれており、さすが有料特急を多数運転し、近鉄に次いで民鉄第2位、関東NO.1の路線網を誇る東武鉄道だけのことはある。住宅やビルの密集した地域の複々線では各駅停車の列車と並走したかと思う間もなく、窓外は次第に郊外の景色と変わり、ほどなく一直線に線路が伸びる沿線に田園風景が広がっていく。こうして車窓を楽しみつつ、都内から一時間弱でJR線接続の久喜駅に着いた。


東京近郊のどこにでもあるような久喜の駅前をぶらりと冷やかし、帰りはJR湘南・新宿ライン逗子行きのE231系電車のかぶりつきに乗車。こちらは前面展望もよくJRの若い運転士は指差し喚呼を確実に履行し、その際にキャブのモニター画面に異常がないかも確認しているのが気持良い。今回初めて湘南新宿ラインに乗ったが、列車は大宮から貨物線に入り、王子を過ぎて上中里の先から、中里トンネルで大きくUターンして山手貨物線に乗り入れるのを体験することができた。大宮から都内まで前面に次々と展開する幾多の線路群を眺め、進路が開通している方向(すなわち青信号が点灯している線路)はどこなのか、それはどの線に通じるのかなどを観察するのはちょっとした迷路探しのようだ。今はセンターでこれらポイントや信号を制御しているのだろうが、当たり前の日常とはいえ、時間通りに間違いなくポイントや信号が切り替わり、列車が確実に設定された目的地に向かう陰には多大な先人の努力と技術の積み重ねがある。鉄道のシステムはなんと精緻なものかその凄さを再認識しつつ、平日の午後に5時間、経費は2000円弱で近郊鉄道の乗車を堪能した。

湘南新宿ラインのE231系キャブ
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2021年2月 3日 (水)

半日鉄道プチ旅行・「妙な線路大研究」(竹内正浩・著)を読んで

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かねてから不思議に思っていたことがある。東京の西郊外に延びる東武東上線や西武新宿・池袋線、小田急線や京王線はターミナル駅から真っすぐ西に向かっているのに、都心の東側に路線を展開する東武伊勢崎線や京成線は東京近辺でなぜあれほど線路が複雑に曲がっているのだろうか。東武伊勢崎線は北千住から南は線路がくねくねと方向を変えるし、京成本線も上野公園下や日暮里に急カーブがあるほか、路線図を眺めるとあちこちで線路が屈曲しているのがわかる。また京成押上線はせっかく都心近くまで来ながら、永い間なぜか隅田川の向こうの押上で寸止めだったなど、東京の西で生まれ育ちこの辺りに地縁のない私には分からないことが多い。極めつけは両鉄道の線路が平行して走っている千住付近(下地図の黒〇中、京成本線の関谷・東武線の牛田駅近辺)で、ここでは浅草方面行きの東武上り線と、千葉方面に向かう京成の下り線が500米ほどまったく同じ向きに走っている。上り電車と下り電車が同じ方向に向かって走るさまを見る度に、ここはまるで鉄道のラビリンスかと妙な錯覚にとらわれるのだ。


新刊「妙な線路大研究・東京編」(じっぴコンパクト新書・竹内正浩著)がこの疑問を解決してくれた。筆者は膨大な資料に当たり、地理的条件だけではなく政治・行政、往時の軍の施設など多角的な視点から「なぜ鉄道がこの場所を通るのか」「なぜこの鉄道はこんなに妙な線形をしているのか」について詳しく述べている。品川駅の南に北品川駅があるとか、東武東上線や西武新宿線は山手線の内側まで進出する計画があった、などのトピックスに加えて、地下鉄・大江戸線は各駅を出るとまず下り勾配になって節電しながら加速し、駅の手前は上り勾配で減速しやすい構造になっていると目からウロコの解説もあちこちに散りばめられている。とくに本書には「なぜ東武と京成の都心の線路はY字なのか」「浅草と亀戸で悶え苦しむ東武鉄道」「京成の疑惑事件と浅草延伸断念」「なぜ東武線は荒川堤防ギリギリを通っているのか?」と興味深い事項に頁が割かれており、これを読んでやっと永年の疑問が氷解した。


なぜ、東武伊勢崎線や都内の京成線の線路が複雑なのかはこういう事らしい。そもそも武蔵野台地が広がっていた東京の西郊外に較べて、東側は早くから集落が発達していた上に、荒川(隅田川)・中川・江戸川など大きな河川が集まっており、鉄道敷設のための環境が厳しく真っすぐ線路を建設できなかった事が挙げられる。また隅田川より西の都心部は東京市電の路線網が広がっていた上、すでに関東大震災前に地下鉄(銀座線)の建設計画もあり、都市計画上、東武伊勢崎線や京成押上線が隅田川を超えて都心に進出する許可がなかなか下りなかった。そのため京成電鉄は押上から隅田川を超えて西進するのをあきらめ(ただし後年、都営地下鉄・浅草線に乗り入れて都心進出は実現)、別の鉄道会社が日暮里へのルートについて免許を持っていたのでこれを吸収合併しようやく上野方面に路線を伸ばした。また隅田川は川筋が蛇行しているので、その東岸に線路を敷いた東武は川の屈曲に沿って鉄道を作るしかなかった上、大正末期に隅田川のすぐ東に荒川放水路が掘られたため、一旦作った線路の付けなおしを余儀なくされ、ますますウネウネと曲がる路線となった。


この「妙な線路大研究」を読んで現地踏査をしてみようと思い立ち、過日、上野駅から京成本線の各駅停車で関谷駅で降り、そこから東武伊勢崎線の堀切駅経由、鐘ヶ淵駅まで探索に行ってきた。関谷駅で千葉方面に向かう京成電車の各駅停車を下車すると、目の前に東武の牛田駅がある。この牛田駅から東武線で都心に戻るためには、改札口を入り向かい側の千葉県に向かうかのホームに立たねばならないのがなんとも奇異である。しかしここから東武の線路は90度近い急カーブで右に折れて南へ下り、堀切駅から荒川放水路の築堤に沿って鐘ヶ淵に向かうルートをとる。「妙な線路大研究」によると荒川放水路ができる前は、東武の線路は景勝地の堀切菖蒲園近くまで今は水路となった地をもっとゆったり大きなカーブを描いていたが、工事の完成で築堤の下をショートカットで南下せざる負えなくなったのだと云う。線路は鐘ヶ淵でまた右に急カーブをとって元々あった線を浅草や押上に向かうようになっており、水にまつわる歴史がこの近辺のトリッキーな線路配置を際立たせている。夕暮れにぶらぶらと歩きつつ、荒川放水路の築堤から東武伊勢崎線の線路を見ていると、ひっきりなしに通るのは地下鉄・半蔵門線経由で乗り入れてくる東急の車両で、東武が都心乗り入れに苦労したのは遠い過去の出来事なのだと改めて思い起こさせてくれた。

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東武伊勢崎線と京成線
東武線(赤)は荒川(中央)と隅田川(その左)の間を苦労しながら走る。牛田と鐘ヶ淵間は荒川開削までもっと大きなカーブだった。
京成線は押上線(下の紫)が隅田川の手前で終わり、日暮里までの現本線(上の紫)は後年に吸収合併した他鉄道の免許線である。
〇印が京成と東武が逆方向に向かって走る牛田駅付近

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荒川放水路開通で築堤の下を走るようになった東武伊勢崎線の線路(鐘ヶ淵から上流を望む)

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鐘ヶ淵駅の大カーブ。築堤下(右)を走ってきた線路はここから本来の経路で浅草(画面奥)へ向かう

2021年1月26日 (火)

「電車を運転する技術」西上いつき著

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鉄道趣味にはいろいろな分野があるが、ポピュラーなのは列車の運転席を見ることだろう。鉄道好きの男子ならば(最近は鉄子もいるが)、一度は電車の運転台(キャブ)に乗って自らがあの鉄の塊を動かしてみたいと思うはずだ。そんな憧れの場、運転台とはどういうものか、もと名鉄の運転士が執筆した新刊「電車を運転する技術(運転台のリアル)」(発行SB クリエイティブ)を本屋の店頭で見つけて購読した。私は電車に乗ると「かぶりつき」に陣取り、目前に迫る線路際の標識や信号、それに応じて巧みにマスコンやブレーキハンドルを操る運転士の所作、各種計器が示す車両の状況などを観察するのを楽しみにしているが、この本ではガラス超しに見るだけでは判らないキャブ内の真相が元プロによって紹介されている。


ページを繰ると、まず運転士の持つカバンの中には何が入っているかに始まり、車輪の「空転」や「滑走」が起きやすい場面やその対策、ダイヤより遅れた時の回復運転の方法、マスコンノッチの投入方などファンには興味津々のトピックが並ぶ。電車のブレーキでは、電力回生ブレーキが失効しやすい場合やら「2段制動3段ゆるめ」「階段制動階段ゆるめ」などかなりマニアックなテクニックも紹介され、なるほどと読みながら思わずニヤリとしてしまう。2007年に碓氷峠鉄道文化むらでEF63の体験運転「電気機関車は腰で運転する(2008年3月10日)」をした際に、「牽引する後部車両のブレーキの効き具合を『腰』で感じながら電気機関車は運転するものだ」という指導機関士の説明が印象的だったが、電車でも同じような感覚だそうで、電車と電気機関車の制動感覚にはそれほど差がないのかとちょっと驚きの箇所もあった。


その他にラッシュ時の運転やら悪天候時の注意など、興味尽きないトピックがテンコ盛りだが、1人前の運転士になるのはどのくらいの教育や経験が必要なのか、見習い運転士時代の教官との関係や葛藤など、一般人には見えない舞台裏の苦労も本書ではいろいろと披露される。以前、山陽本線の電車であったろうか、運転席の後ろにオムツの予備がおいてあるのを見て、「ちょっとトイレへ」などと云えないキャブの厳しさを見た気がしたが、その実態について一部でもこの本で触れることができ、定時に列車を運行する勤めの重さを改めて思い知った気持ちがした。先輩から受け継いだ安全運転のDNAが組織で脈々と流れているとして筆者は本書を閉めている通り、膨大な先人の知恵や経験の集積に現代の科学技術の成果が融合し、鉄道の定時・安全・快適性が担保されていることが本書でも理解できるのである。

2020年12月31日 (木)

半日鉄道プチ旅行・相模鉄道・JR直通列車

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終点・新宿で折り返す海老名行き 相鉄12000系(新宿からJR線内は各駅停車扱い)


年の暮れだが今年は特に何の予定もない。こんな時にはまた一人で知らない鉄道に乗ってみようかと呟くと、妻は早く行ってらっしゃいよと大賛成の様子。「小人閑居して不善を為す」の夫が手伝いもせずに家でゴロゴロしていると年末の大掃除の邪魔らしい。それならばと昨日は開通してちょうど一年になる相模鉄道・JR線直通列車に乗りに行ってみた。相鉄というと神奈川県民の足という感じで都民にはあまり馴染みがない路線である。この機会にふだん縁のない相鉄線を経験し、併せ神奈川の県央から都内に直通する新規ルートの試乗をしてみようと思い立ったのだ。


と云うことで昨日の昼下がりの新宿発、小田急線の小田原行き快速急行でまずは海老名へ向かった。新宿から海老名までの40キロ余りを40数分間、いつも混んでいる小田急線も年末のためか外出自粛の掛け声のためか、車内はがらがらである。例によってかぶりつきに陣取れば、登戸までの複々線区間に続き多摩丘陵から相模原と伸びる線路は、ロングレールで道床も良く整備され、聞こえるのは運転士の指さし喚呼の声と風切り音だけという快適さ。前を見ているうちにあっという間に海老名に着いた。ここ海老名は相鉄線の始発駅で、近代的な小田急・海老名駅をおりて相鉄線のホームに立つと、乗降客が少ない上に駅が改造工事中でちょっと侘しい感じだ。


とは云うものの、相模鉄道は海老名から横浜駅まで25キロの本線と途中駅・二俣川(ふたまたがわ)から分岐するいずみ野線など合わせ40キロの路線を有し、通勤客輸送のために20米4扉の大型車で最大10両編成が走る今では堂々の大手民鉄路線である。この相鉄は横浜駅方面の混雑緩和と悲願の都心乗りれのために、本線途中の西谷(にしや)からトンネルを掘りJR貨物の羽沢貨物駅付近でJR線に乗り入れ、東海道貨物線~山手貨物線を経由して新宿までの都心に直通するルートをちょうど一年前に開通させた。さらに2022年度には西谷から東急東横線の日吉までトンネルで結び、東急目黒線経由で都営地下鉄・三田線やメトロ・南北線まで列車を直通するのだというから、いまや神奈川県民だけではなく首都圏の鉄道マニアに注目される私鉄だといえよう。


海老名駅のホームで時刻表を確かめると、年末年始は休日ダイヤで海老名発の新宿行き特急は一時間に2本しかなく、折悪しくちょうど出て行ったばかりだった。次の新宿行きまで30分もあるので、折り返しでホームに停車中の各駅停車に乗り、変貌中の相鉄線をじっくり見つつ二俣川(ふたまたがわ)で後続の特急を待ち合わせることにした。乗車した各駅停車の電車は8000系電車で、がらがらの車内でセミクロスシートを独占できるのが何とも気持ち良いのだが、走り出すと床下からは、油切れのギアが噛むかのような爆音が響いてくる。二俣川で特急の待ち時間に次々とやってくる相鉄車両を観察したところ台車の2つの車軸間の距離が長く、台車枠の外にディスクブレーキがついている変わった構造のものが多い。帰宅後に調べてみると相鉄線の在来車両は、直角カルダン駆動と云ってモーターが線路に平行に架装された今では珍しい台車ゆえの轟音と分かったが、乗ってみなければわからない事は多いものだ(現在の鉄道車両はほとんどが平行カルダン)。


二俣川から乗った特急新宿行き12000系はJR線乗り入れ用の新造車両で、こちらは平行カルダンになっているが、車両前面にはラジエーターグリルのような格子柄があって電車というより大型トラックのような顔つきである。相鉄の技術陣やデザイナーは他の鉄道とは一味違うものを目指す、という自負でもあるのだろうか。電車は羽沢から本来は貨物線用の港北トンネルと生見尾トンネルを経由して鶴見に至り、新川崎の貨物ターミナルを通過したのち、旧品鶴線(現在横須賀線などに使用)を通って蛇窪信号所から山手貨物線(埼京線)の大崎駅に乗り入れる。二俣川から新宿まで45分ほど、前方を見ているとこれまで何度か”貨物線の旅”で通った珍しい行程が多く、”かぶりつきファン”にとっては絶好のルートだと云えよう。トンネル続きで運転士の真後ろの大窓のブラインドが降ろされる区間も、空いた車内で前に立つ人もない側窓から前面展望をゆっくりと楽しめた。それにしても相鉄の車両が埼京線の線路を走る光景にはまだ目にしっくりこない。いずれ相鉄が東急線に乗り入れて、西武や東武の車両とネービーブルーの相鉄の車両が並んだらどんな気持ちになるだろうか。こうして家を出てから帰るまで4時間弱、料金も2000円もしない大人の遊びであった。


羽沢横浜国大駅 外側2線がJR線に接続する線路、トンネルに向かう内側2線は2022年度開通予定の東横線・日吉に通じる線路
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原宿付近の埼京線を走る相鉄車両(相鉄が原宿とは何とも奇異に感じる)
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2020年12月 1日 (火)

★貨物線乗車の旅★お座敷列車「華」で満喫 首都圏ぐるり旅 両国発品川行き

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早くも12月、師走となった。武漢ウイルス騒動で散々の一年になろうとしているが、こんな時こそオヤジたちは遊びまわりたいものだ。ということで、この日曜日は「びゅうトラベルサービス」の主催の「お座敷列車『華』で満喫、首都圏ぐるり旅(新金線・武蔵野貨物線・東海道線・高島線)」に乗車した。2019年の5月に「★貨物線乗車の旅★お座敷列車「華」で満喫 首都圏ぐるり旅 新宿発品川行き」(リンク:当時のブログ)を楽しんだシニア5人組と同じメンバーである。485系特急車両を改造したお座敷列車で、普段は通ることのできない東京周辺の貨物(一部専用)線を一日がかりで乗車するオタクのための企画だ。ただし今回は武漢ウィルス感染予防で定員152名のところ80名での催行とあって、料金は以前より高く設定されている。


列車は団体専用列車などにしか使われない両国駅の行き止まりホーム3番線から発車し、まずは総武快速線で稲毛駅近くの黒砂信号所で折り返し新小岩まで戻ってくる。総武線の新小岩から常磐線の金町までの約7キロがこのツアー目玉の一つ、貨物専用線の新金線(しんきんせん)の旅である。いつもは貨物列車だけが通過する新金線を「華」はしずしずと走って行くのだが、この列車を見に来たカメラ片手の多くの鉄道ファンが沿線から手を振ってくれるので、なんだか乗っているこちらも嬉しいようなこそばゆい複雑な気持ちになってきた。


金町からは常磐線と武蔵野貨物線を使い東海道線に乗り入れる行程となる。武蔵野貨物線には越谷・新座・梶ヶ谷と随所に貨物ターミナルが配置されており、この線路が都心を回避し東京から放射状に伸びる各線をつなぐ物流のバイパスとして機能していることがわかる。全国を走る貨物列車はこのようなターミナルでコンテナが積み下ろしされ、行先ごとに編成が組み直されるのだが、その光景を目のあたりにすると我々の知らないところで物流の網が緻密に組み立ててられていることが実感できる。東海道線に乗り入れた「華」は根府川で折り返し、横浜の高島貨物線経由、終点の品川に戻って来た。


朝10時から夕方6時前まで、吉川美南(武蔵野線)と根府川(東海道線)以外はドアも開かず、ただ東京の周りをぐるっと車内に缶詰の300キロの旅である。鉄&鉄子の5人組は例によって首都圏の全路線配線図やら貨物線の時刻表などを広げ、ウイルス禍といえども朝からの酒盛りテッチャン談義であっという間に時間が過ぎてしまった。旅客線から貨物線へ移る亘り線のポイントでは皆で思わず拍手をしてしまうなど、そうじゃないフツーの人から見たらちょっとおかしな集団であっただろう。ただ「華」もお座敷列車として改造されてから20年以上経過し、内装はだいぶ疲れている。以前にも指摘したとおり、車内のスクリーンを大型にして前面展望や沿線の案内、乗務員の所属や氏名、各線の歴史的経緯や役割などを流す程度のサービスは期待したいところだ。地方の第三セクターのイベント列車が頑張っているなか、JRやびゅうトラベルは一層奮起しテツを楽しませて欲しい。

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2020年11月23日 (月)

えちごトキめき鉄道・雪月花

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ET122型気動車ベースの雪月花

大人の休日倶楽部が催行する【予約が取りにくい人気の観光列車を一度に楽しむ!信越の海・山・里の景色とこだわりの食を堪能『ろくもん』と『雪月花』 】、2日目は「雪月花」乗車である。長野駅直結のホテルメトロポリタン長野に宿泊した我々は、翌朝9時にロビーで集合し、「雪月花」が出る上越妙高駅まで新幹線で移動した。因みに「雪月花」は中国の詩からの引用で美しい自然の情景を示す語だと云う。「雪月花」が運転される「えちごトキめき鉄道」は、北陸新幹線の長野・金沢間開業(2015年)に伴い、旧信越本線の妙高高原から直江津間を「妙高はねうまライン」とし、旧北陸本線の直江津・市振間は「日本海ひすいライン」と名付けて開業した新潟県内の鉄道である。「トキめき」のトキは佐渡に渡ってくるトキ(朱鷺)を、「はねうま」は妙高山に雪解け時期に現れる馬の雪形を、「ヒスイ」は糸魚川地区が翡翠の大産地なのが線名の由来だそうだが、新幹線開業で分離された平行在来線は、全国どこも名前がキラキラ過ぎだ。第三セクターで営業のために目立つ必要があったにせよ、信越鉄道とか越後鉄道あたりが、オールド鉄道ファンにはしっくりくる。


「雪月花」の出発駅である上越妙高駅は信越本線時代には「脇野田」駅という地味な駅だったが、今は新幹線から直江津方面への乗り換え駅となり、駅前には早くも全国チェーンのビジネスホテルが建っている。「えちごトキめき鉄道」の問題は旧信越本線部分(妙高はねうま線)が直流で、旧北陸本線(ひすいライン)部分は直流と交流が混ざって電化されているために、同じ会社でありながら両線の車両が簡単には相互乗り入れできない点にある。このためリゾート列車を設定するにあたり、在来の電車を改造した車両ではなく、両線で運転可能な気動車として「ひすいライン」に配備されるET122型気動車をベースに新造されたのが「雪月花」である。2016年度グッドデザイン賞や2017年鉄道ローレル賞の賞状が「雪月花」車内に掲示されているように、パノラマウィンドウを採用し専ら観光列車用に新規設計された車両なので、一歩足を車内に踏み入れるだけでリゾート気分が盛り上がる意匠となっている。


10時19分に上越妙高駅を出た「雪月花」は、妙高山を右手に臨みつつ「妙高はねうまライン」を信越国境の妙高高原駅に向かってゆっくりと登っていく。途中スイッチバックの二本木駅で降り立つことができるが、ここは日本曹達・二本木工場の玄関駅で、かつて駅構内は旅客や貨物列車の往来で賑わったことが伺える。この駅をスイッチバック方式にしたのは停車した列車を引き出すのが困難だったためとの説明で、往時のD51で長大編成の貨物列車を始動させるのが如何に大変だったのかが想像できる。ホームから目の前の日本曹達の工場を見ていると、なぜ直江津ではなくこんな山間部にソーダ灰や塩ビの工場を作ったのか、原料の塩はどこから運んできたのかなどと疑問も次々と湧いてくる。鉄道遺産を訪れるとわが国の産業史が垣間見られ、中高年の脳にはなかなか良い刺激だという気がする。


都内の二つ星レストランシェフが越後の食材で調理したフレンチの重箱料理を楽しみつつ、妙高山の雄姿を眺めるうちに妙高高原駅で列車は折り返し、今来た線路を直江津に向かって下る。腹も一杯になった昼過ぎ、列車は直江津で再び進行方向を変え、今度は右手に日本海を望みつつ裏日本縦貫線の一部である「日本海ひすいライン」を走り始める。糸魚川向き先頭車には展望デッキがあり、食後のひと時はここで運転士の一挙手や、海岸線の前面展望を楽しめるのも観光列車ならではだ。途中の頚城隧道(くびきずいどう)には筒石駅というトンネル内の駅があり、地上へ至る階段を見ることができるように列車は停車する。この駅から地元の人が利用する300段弱の階段を、限られた停車時間なので地上まで駆け上がってみたのだが、筋トレのような勾配は満腹後の腹ごなしにちょうど良い運動となった。こうして「雪月花」は13時16分に終点・糸魚川駅に到着し、昨日の「ろくもん」に続き連日昼からの豪華飲み食いの旅は終わった。2日間に亘り極楽の道中だったが、グルメとは趣向を変え、産業遺産・鉄道遺構を訪ねる特別列車があったら人気が出るかもしれない。いずれにしても鉄道の旅は色々な発見があり、薄れかけていた知的好奇心が大いに刺激されるようだ。

フレンチのお重
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二本木駅スイッチバック
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2020年11月22日 (日)

しなの鉄道・ろくもん

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軽井沢駅にて:展示されているかつての峠のシェルパEF63と「ろくもん」

大人の休日倶楽部が催行する【予約が取りにくい人気の観光列車を一度に楽しむ!信越の海・山・里の景色とこだわりの食を堪能『ろくもん』と『雪月花』 】と名づけられた団体旅行に参加した。旧信越本線の長野県側を引き継いだ「しなの鉄道」が運転する観光列車「ろくもん」と、旧信越本線と旧北陸本線の新潟県部分を引き継いだ「えちごトキめき鉄道」の「雪月花」を一挙に楽しもうという企画ツアーである。旅は初日に軽井沢から長野まで「ろくもん」に乗り長野で一泊、2日目は上越妙高から糸魚川まで「雪月花」に乗車し、両日とも豪華昼食を車内で楽しみつつ、山間部から海岸線まで沿線の情景を楽しむと云う趣向である。GO TOが利用できるというので、以前「TOHOKU EMOTION」や「肥薩おれんじ鉄道」でこの種の列車の楽しみにすっかり味をしめた妻のたっての希望で参加することにした。


東京駅の集合場所に現れたのは「大人の休日倶楽部」とあって50歳以上と見られるシニアが16名で、まずは添乗員に引き連れられ皆で北陸新幹線で「ろくもん」の出発駅・軽井沢に向かう。しなの鉄道・軽井沢駅に造られた旧国鉄軽井沢駅の貴賓室を模した部屋で休むことしばし、10時34分発、115系電車を改造した3両編成の電車「ろくもん」に乗車となった。「ろくもん」とは信濃ゆかりの戦国武将、真田幸村の家紋だそうだ。軽井沢から長野まで74キロ余りを2時間15分かけ、地元のレストラン「アトリエ・ド・フロマージュ」のフレンチを味わいつつ、「美食・自然・文化を満喫する」(パンフレット)。指定されたシートに座り乗車料金に含まれるドリンクを注文すると、いきなり地ビールの缶が一人2本も出てくる豪華版ランチだ。最近は昼にアルコールを飲むことを極力さけているが、こんな日は午前中から堂々グビグビ呑めて嬉しい。


昼食なのでそうボリュームはないものの、長野に向かいながら、地元の鱒やサーモン、チョウザメほかプレミアム牛など素材の味を活かした料理が次々と出される。かつて新幹線開業前、特急「あさま」や急行「妙高」が1時間ちょっとで駆け抜けた区間を2時間以上費やして走るとあって、沿線の見どころでは徐行運転しながら詳しい案内放送、主要駅のホームで地元特産品のワゴンセール、随所でお約束の地元の送迎と嫌が上にも旅心が掻き立てられる。そうこうするうちに最初の缶ビール2本づつではおさまらず、地元産ボトルワイン(2500円)を頼んで2人で1本開けてしまった。昼からほろ酔い、まことに良き鉄道の旅である。と言いつつも酔眼をこじ開け沿線の情景を眺めると、旧信越本線は浅間山や白根山系の西麓を巻き、江戸時代の善行寺往還を辿りながら千曲川の河岸段丘に沿って施設された事が良くわかる。ゆっくりの旅は、新幹線の車窓からでは気が付かない地史がわかって面白いなどと思っているうちに終点・長野へ到着した。


この種のイベント列車は時間に余裕がある上に鉄道関係者がフレンドリーで、普段聞けないような鉄オタ質問が気軽にできるのも思わぬ利点である。軽井沢で先行電車の車輪空転により「ろくもん」の入線が遅れたが「山岳線用115系の2M 1T(2両モーター車1両付随車)で砂箱を装備しても結構空転するのですか?」と尋ねると「この落ち葉の季節、信濃追分などの上り勾配で雨の降り始めには車輪は空転しまくり、下り勾配ではそりの様に滑走してしまいます」。戸倉駅で「この中継信号機は出発信号が遠いから設置しているのですか」との問いに「お詳しいですね。信越本線時代は旅客も貨物も編成が長かったから出発信号機はあんなに先なのです」と駅の人が応じてくれる。JR貨物のタキ(タンク車)やEH200が入線して来るのは「けっこうな使用料をJR貨物から頂いています」とのことで、気になった鉄道好奇心がその場で確かめられる。景色も食もテツもあっという間の「ろくもん」の旅だったが、敢えて一点無理とわかって注文をすれば、碓井線の粘着運転ももうないのだから、115系のDT21Bコイルばね台車は、ふんわか料理を楽しめるように空気ばね付き台車に換装できればなお良いと思った。

地元産の食材を使ったフレンチ
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「ろくもん」車内
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2020年11月14日 (土)

半日鉄道プチ旅行・東急多摩川線

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かつての東急線電車の塗色、青と黄色の塗分けをした1000系とすれ違う

取引先の若者に「家はどこですか?」と聞くと「多摩川です」と答えが返ってくる。一瞬どこだか分からなかったが「あー、昔の多摩川園前ね。東横線の他に目蒲線もあって便利で良いですね」と言うと、彼は怪訝そうな顔をして黙り会話は途切れてしまった。後でどうしたことかと考えてみたら、今は目蒲線はもうないから最近沿線に越してきた若者には通じなかったことに気が付いた。目黒と蒲田を結んだ東急・目蒲線は目黒と多摩川園前(現多摩川)間が地下鉄と相互に乗り入れて東急・目黒線となり、残りの多摩川園前と蒲田間が東急・多摩川線となったのが西暦2000年のことで、それから早くも20年たって目蒲線時代を知らない若者がいても不思議ではないわけだ。


この会話に刺激され目蒲線時代の情景を思い出していると、その昔ラジオでも時々かかる程度にヒットした「目蒲線物語」という歌が頭に浮かんできた。「♯僕の名前は目蒲線、寂しい電車だ目蒲線、あってもなくてもどうでもいい目蒲線♪」という歌で、3~4両の旧型車両で東京の城南地区を地味に走る電車を茶化していた。とはいうものの1923年(大正12年)に出来た目蒲線は大東急の発祥路線であり、路線全長13キロながら目黒でJR山手線、蒲田では京浜東北線と連絡するほか、田園都市線を除く東急電鉄の各鉄道線に乗り換えられた大変便利な路線であり、地元の足として大いに機能していた。


20年前に2つに分かれた目蒲線のうち東半分である目黒線は、地下鉄乗り入れですっかり近代化され、今や堂々の幹線に格上げされている。この目黒線は2022年度に東急が相模鉄道と相互乗り入れした暁には、海老名や二俣川方面から20米車・8両編成の電車が走る予定で、「あってもなくてもどうでもいい目蒲線」時代から大出世である。しかし今回、半日鉄道プチ旅行でどの鉄道に乗ろうか考えた時、旧目蒲線のもう一方、まだローカル色が色濃く残る多摩川線を選ぶことにした。多摩川線は「乗るぞ」と決めないと、この後一生乗るチャンスがないかも知れないのも選択の理由である。


平日の昼下がり、蒲田駅の多摩川線ホーム先端にたたずむと、同じく蒲田を起点とする東急・池上線の18米3両編成の電車も見ることができる。東急の他の鉄道路線が20米4扉の大型車両で運転されているのに、この2線だけは18米3扉車というのが、いかにも地元限定の住民の足という感じがする。やってくる車両はかつて日比谷線乗り入れ車両として活躍した1000系のほか、7000系という新型車両があるのが目をひくが、これらも多摩川・池上線2線だけで運転される。


蒲田から終点の多摩川までは両端をいれても5駅、わずか5.6キロ、所要時間10分の多摩川線はワンマン運転となっている。ワンマンと云っても所定の停止位置に止まると、ドアの開閉操作は自動で行われるようで、駅に着いても運転士は2両目・3両目のモニター画面を見て安全を確認しているだけだ。車内はやはり地元のおばちゃんや高校生が目立ち「あの人、最近見ないけど病院に通っているの?」などと言う会話が聞こえてくる。蒲田でそこそこ埋まった座席も、終点多摩川に近づくと徐々に減っていくので、この時間はJR線から乗り換えて来た沿線住民の利用が多いのだろう。


乗っていると途中の鵜の木駅で、50年前に何度か乗り降りした事を突然思い出した。当時、高校3年の第二外国語は仏語を選択したのだが、そもそも英語さえ逃げていたので仏語などは論外。惨憺たる成績で、家で"toi et moi"(トワ・エ・モア)をトイエット・モイなどと発音したらしく、勉強にはあまり口を出さなかった母があまりの酷さに慌て、知り合いの娘さんに仏語指導を頼んだのだった。その彼女は立教大学仏文科の大学生で鵜の木駅近くの大きな家に住み、夏休みの間なら時間が取れるという事だった。鼻血ブーの男子校高校3年生は、2人きりで女子大生から勉強を教わるというシチュエーションに、妖しい妄想を抱いて鵜の木駅を降りて家に向かったが、やはり期待したような事は何も起こらなかったひと夏だった。などと思い出に耽っているうちに多摩川線の旅も終わり、あまりにあっけないので終点・多摩川から東横線・大井町線・田園都市線と東急線を乗り継いで家路に着いた。

 

追記:多摩川線には蒲田より延伸して京急空港線に乗り入れ羽田空港に至る蒲蒲線構想がある。そうなれば旧目蒲線の蒲田口も再び脚光を浴びるだろうが、標準軌(1435ミリ)の京急線に狭軌(1067ミリ)の東急線がどう乗り入れるのか乗り越えるべき課題は大きい。

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