カテゴリー「鉄道」の記事

2022年8月 4日 (木)

京成AE形電車(2代目)スカイライナー

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2代目AE形の落ち着いた車内意匠

武漢ウイルスの感染騒ぎ以来、テレワークの日が増え自宅で過ごす時間が多くなった。テレワークという働き方になると誰の目も意識しなくて済むから、仕事の暇な週日の午後のひと時、首都圏の鉄道で「乗りテツ」を楽しんでいるのは何度もアップしたとおりである。この1年半に相鉄新横浜線、東武伊勢崎線の久喜方面、西武新宿線の川越方面、つくばエクスプレスなどこれまで馴染みなかった駅に行ったり新規開業路線に一人乗ったりでプチ遠出を楽しんできた。この次は2010年に開業した京成の成田スカイアクセス線(成田空港線)でも乗りに行こうかと考えていたら、エアバスA380によるANAのチャーターフライトの機会が来たので、妻と二人で成田空港まで2代目AE車(3代目のスカイライナー車両)で行くことにした。


成田空港アクセスという点で振り返ってみれば、1978年に成田空港が開港した当初から、京成のスカイライナーは運転されていたが当時は多くの人々が都内・箱崎のシティエアターミナルからリムジンバスを利用していた。1991年になり成田駅から空港ターミナルビルに連絡する線路が出来て、JRの成田エクスプレスが運転を始めたものの、スカイライナー共々どちらも都心から空港まで一時間ほどかかり「成田は遠い」という印象を皆が持っていたと思う。このような状況を打ち破るべく2010年に成田空港へ向かう京成の新線が開通し、これを利用して新幹線以外で最速の160キロの速度で日暮里から成田空港第2ターミナルを36分で結ぶ2代目AE形(スカイライナー3代目)が運転を開始した。


地図を見ると、千葉方面に向かう京成電鉄は東京からまず西南方向に向かって東京湾岸近くを走り、途中の津田沼から分岐した線路が千葉県内部の成田に向かっている。1912年(大正元年)に都内・押上と千葉県・市川間で開業した京成は、県都であり人口が稠密な千葉に向かってまず建設を進めたため、東京と社名の由来でもある成田は最短距離で結ばれなかった。津田沼から成田に向かう現在の本線が開通したのは、ようやく1930年(昭和5年)になってからである。このカーブの多い線路に加え緩行列車の退避待ちなど、かつてのスカイライナーは様々な苦労を克服して走っていたものだ。これに対して空港新線は、都内から空港方面に真っすぐ西方に線路が敷かれ、上野ー成田空港間の距離が約5キロ以上短くなった上、1435ミリの標準軌軌道も強化され、新型AE形2代目の投入で到達時間の大幅アップが可能になったのである。


京成上野駅または日暮里駅から、ほぼ20分おきに発車するスカイライナーの料金は、2470円で成田エクスプレスよりり500円以上安い。ウイルスの第7派の蔓延とかでこの日は乗客もまばらだったが、青と白を基調にした清潔感あふれるアコモデーションは適度な暗さの間接照明にマッチして落ち着いた雰囲気である。スーツケース置き場が乗降口近くに設置されているのが空港アクセス列車らしいが、そのほか車内あちこちに防犯カメラが設置されているのがいかにも最近の列車らしい感じである。高砂駅で京成本線と別れ、北総台地を160キロで突っ走る空港新線の高速運転を堪能する間もなく、列車は印旛沼の畔に出てあっけなく成田空港に到着した。かつて皆が持っていた「成田は遠い」という既成概念をぶち壊してくれそうな成田空港線の3代目スカイライナーであった。国際線搭乗の際は、我が家からだと距離的には羽田空港の方が圧倒的に近いが、モノレールの乗り換えや京急線の混雑ぶりを考えると、この列車で成田へ行く方がむしろ楽かと思わせる便利な新空港アクセスであった。

印旛沼近く北総台地を160キロで疾駆するスカイライナー

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2022年7月19日 (火)

久しぶりのNゲージ鉄道模型

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EF81に牽引された夜行列車「トワイライトエクスプレス」

この週末は三連休であった。最近は仕事もテレワークが主で数時間あれば終わる程度の量になり、労働日と休日の区別があまりつかなくなった。とはいえ休日は業務用の携帯電話を持ち歩く必要もないし、会社のメールを開く必要もないのは気が楽でよい。ゆっくりとピアノを弾いたり皇居にジョギングに行ったり、日曜日は特にクルマの少ない都心の道で愛車のドライブを楽しむこともある。今やどのメーカーからもあまり売られなくなったストレート6(直列6気筒)エンジンだが、我がBMWのツインターボ付き”シルキーサウンド”はこのところすこぶる快調である。最近はこれら休日の楽しみに、むかし買い集めたNゲージ鉄道模型が加わった。小学生の甥が遊びに来ることになり、「どれ、ひとつ見せてやるか」と長い間段ボールに保管され、クローゼットの肥やしになっていたのをウン十年ぶりに取り出したのがきっかけだった。


とは言え長い間全く動かしていなかった装置一式である。コントローラーが大丈夫か、列車の集電装置やモーターは生きているのか、ポイントマシンの電磁石はまだ機能してくれるのだろうかと当初は心配であった。再開にあたりまずは直線レールだけを取り合えず敷き、EF60型機関車を載せておそるおそるコントローラーのツマミをひねってみたところ、果たしてヘッドライトを点灯させ青い機関車はじわじわと動き始めてくれた。部屋の装飾品として鉄道模型を陳列していたことはあったが、車両たちが久々に走る姿を見ると感慨もひとしおである。「よしこれならいける」とかつて集めた車両を次々と箱から取り出して線路に載せると、どれも一瞬 「え?久々にお呼び?」とばかり始めはやや躊躇するような挙動を見せるが、構わず電圧をあげるとモーター音も軽やかに線路上を走行し始める。どの車両もまるでレールの上を疾走するのが嬉しいかのようだ。


こうなると病膏肓、直線のみならず曲線を織り交ぜて次々とレールを繋ぎ、一周6メートルほどのループ線のほか何本かの引き込み線を展開することにした。久々の通電とあって繋いだレールも最初はうまく電気が流れない箇所があったが、ジョイント部分の角度を微調整したり、線路に細かい紙ヤスリをかけたりするうちに列車の走行が次第にスムーズになってくる。最初はややぎこちなかったポイントマシンも何度か動かしているうちにすっかり調子を取り戻し、本線と側線を走る列車をうまく捌いてくれるようになってくるのが嬉しい。試行錯誤しつつ線路を繋いでは調整したり、別の編成を走らせたりしていると童心に帰りあっと言う間に時間が過ぎていく。


甥に模型を見せたあと一旦レイアウトを片付けたが、こうして線路を敷いて都度片づけるだけでは「子供の遊び」で終わってしまう。ということで、かつて幾度も構想を練りながら実現には至らなかった「ジオラマ」作りに挑戦してみようかという気持ちが湧いてきた。ただスペースに限りのあるマンション住まいゆえ、本格的な情景を作成するのはとても無理である。取り合えず折り畳み収容可能な1メートル四方の板の上に「鉄道のある風景」を実現してみるか、作業場はベランダにするかなどと具体的なイメージを脳内夢想することにした。イメージは昭和30年代、麦わら帽子の少年が虫取り網を持って川のほとりの田舎道を歩く先には踏切があるという設定などがよい。沿線の看板は「菅公の学生服」とか「金鳥の蚊取り線香」にするかなどと細かい情景が膨んでくる。幸いなことに凝り性の妻は、車内灯のない車両の点灯化や、メーカーによって違うカプラー(連結器)の互換化に執念を燃やし始め、なんと先日は一人で鉄道模型ショップに出掛けて行った。どうやら彼女の反対もなさそうだ。

昭和30年代末の山陽本線夜行急行列車はEF60と10系の軽量客車
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2022年6月19日 (日)

渋谷 エクセルホテル東急 トレインシミュレータールーム

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先日は渋谷エクセルホテル東急「トレインシミュレータールーム」に一泊した。妻と二人で一泊朝食付きで合計26,800円である。いまウイルス禍で内外の観光客が激減しているなか、鉄道シミュレーターを設置しオタクを呼び込もうとしている鉄道系ホテルが幾つかある。JR東日本系のホテルメトロポリタンは池袋、丸の内、川崎、さいたま新都心で「JR東日本の運転士が訓練で使用する映像・機器」を再現し、京浜東北線と八高線の運転席を楽しめる部屋を展開している。同じメトロポリタンホテルのエドモント(飯田橋)にはロビーに東北新幹線のE5系の「実機器を採用!」したシミュレーターを置き、宿泊やランチブッフェと組み合わせたパッケージプランを販売している。各地の鉄道の博物館などに行くと鉄道シミュレーターの前は子供たちで一杯で、順番待ちや時間制限があるため並ぶのが大嫌いな私はいつもパスなのだが、これらホテルでは思う存分に”大人のシミュレーター体験”ができるというものだ。宿泊するだけなら今なら都内で一泊数千円の安い部屋がいくらでも見つかるので、それなりの値段を払う価値があるかないかは正にシミュレーターを独り占めできるか否かの価値観次第だと云える。


とは云えJR系ホテルの新幹線の運転はあまりに自動化されていて面白そうでないし、京浜東北線や八高線も馴染みがなくて今一つ気分が盛り上がらない。どうせなら子供の頃から毎日利用した東急線のシミュレータールームがある、エクセル東急ホテルを選ぶことにした。こうして我が家から渋谷まで地下鉄で30分、午後3時のチェックイン開始時刻にシミュレーターがあるエクセル東急ホテル17階の1723号室に入ると、大きな画面を前にして電車の運転台が窓際近くに置かれ、壁面には東急の電車の写真や駅の案内版が張られていた。部屋に一足踏み入れれば、一瞬にしてここが「鉄オタ専用」の空間であることが実感できる演出である。そう言えばこのホテルは子供の頃よく利用した玉電の渋谷駅があった場所に建てられている。サラリーマンになってからも若い時分に渋谷駅から毎日のようにバスや新玉線(田園都市線)に乗ったので、私にとってはここは100%日常生活だった場所である。すっかり様相が変わってしまった渋谷の高層のホテルの一室で、限りなく非日常のトレインシミュレーターに座ると得も云われぬ感慨が湧き起こってきた。


大型のテレビスクリーンの前にある運転台は、東急8090形の実車にあるものとほぼ同じ機械のようだ。逆転ハンドルは作動せずEBボタンこそないが、力行4ノッチ、ブレーキは7段のワンハンドルの制御装置は本物と同じような作動音を奏で、ノッチ投入は多分実車と同じ力加減だと思われる(機械的な作動音がうるさいため夜間11時から朝7時までは運転をしないで下さいとの表示あり)。画面右上には”電車でGO”でお馴染みの速度や次の駅の停止位置までの距離、到達時間が表示されるほか、このシミュレーターでは電流計や圧力計もそれなりに反応し、回生ブレーキの表示も出て本当の運転席にいるような臨場感が体験できる。電源を入れスピーカーから流れるモーター音と共に東横線の運転を始めると、この10年以上家で"電車でGO"でさえ遊んでいないのでブレーキ動作がなんとも不慣れで下手くそなことを実感する。二人とも各駅で「船漕ぎブレーキ」の連続で、停止位置のはるか手前に停車してしまったり停止位置大オーバーばかりである。シミュレーターでは加速・減速や勾配が体感できず視覚のみで運転するので操作はなかなか難しいが、1時間も熱中して遊んでいると具合もわかってきて、運転後に示されるスコアも最初の50点未満から70数点まで上がってくるのが大いに励みになった。こうなるとゲームに嵌ってしまい、夫婦2人して夜は制限の11時まで、翌日はチェックアウトぎりぎりの午後1時まで、東横線、田園都市線、大井町線で8090形の運転を交代で堪能した。鉄オタスイッチがすっかり点灯した妻は「碓井峠鉄道文化むらの本物の電気機関車EF63(15年前に運転免許取得済)運転か、近場のE5系のシミュレーターか、はたまた大宮の鉄道博物館とセットの京浜東北線シミュレーターも捨てがたい」と悩むことしきりである。

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2022年1月14日 (金)

新金貨物線の旅客化構想

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新金線・新中川橋梁からの車窓(お座敷列車「華」より)

JR総武本線の新小岩と常磐線の金町を結び都内の葛飾区内(ごく一部は江戸川区)を走る、貨物の新金線(しんきんせん・約7キロ)を、葛飾区が主体となって旅客路線化事業に乗り出すと今日の読売新聞が伝えている。荒川と江戸川に挟まれたこの辺り、JR線や京成線、それに地下鉄など都心から東に向かって放射状に延びる線路は多いものの、それらを縦に結ぶ鉄道は京成金町線のみで不便なため、高齢化・人口減対策として新金貨物線の旅客化で南北交通網の利便強化を図るそうだ。新金線と云えば、一昨年(2020年)11月に武漢ウイルス蔓延下、JR大人の休日倶楽部主催のツアー「★貨物線乗車の旅★お座敷列車「華」で満喫 首都圏ぐるり旅 両国発品川行き」で、485系団体貸し切り用お座敷列車「華」に乗車して通過したばかりである。

 

この時は、総武本線の両国駅で「華」に乗車し、同線・新小岩から常磐線・金町まで新金線を走り、その後武蔵野線などを経由して東海道貨物線まで貨物線ばかりの旅を経験したが、その際なぜ都内のこの場所に総武本線と常磐線を結ぶ新金バイパス路線があるのかが不思議であった。このニュースを期に調べてみると新金線は現在は一日数往復の貨物列車が通過する小路線に過ぎないが、かつては物流に於いて重要な路線だったと云うことがわかった。歴史を遡ると明治時代から千葉方面より東京を目指した総武線に、隅田川を渡って都心に入る橋梁が完成したのは昭和7年である。それまでは隅田川東岸の両国が総武線のターミナルで、房総方面の旅客はここで乗降していた。一方で房総から両国以遠を目指す貨物列車は、明治時代に開通していた常磐線の隅田川橋梁を通ることが必要であった。この目的のために大正15年総武本線から常磐線に転線させる新金線が完成したのだが、総武線が隅田川を渡って都心に乗り入れてからも、貨物列車はお茶の水・秋葉原間の急勾配(33‰)を避けて新金線を経由したそうだ。

 

葛飾区の計画では新金線を「JR東日本から借り受け、旅客用として7~10駅を新設する。新小岩-金町間が20分程で結ばれ、区は一日約4万人の利用者を見込んでいる。(車両には)『LRT』(次世代型路面電車)型を採用する構想もある」「整備費用を200億から250億円と試算する」(読売新聞)そうだ。とは云っても「旅客化に際して最大の課題になるのが。金町駅の手前に踏み切りがある国道6号線(水戸街道)との交差だ。」と同紙は指摘する。路面電車と街道の交差に関しては東急世田谷線のように、無閉塞運転として大きな街道(世田谷線では環七)の踏切で道路信号が赤になるのを待ち電車が進行するアイデアもあるが、そうなると同じ線路を走る貨物列車はどういうシステムで運転すれば良いか。また現在単線の新金線を複線化するとなると、線路周囲の余地や橋梁部分などは線増が容易に可能なのか様々な興味が尽きない。いずれにしても2030年とされる部分開業の暁には、ライトレイル・トランジットの近代的な車両と、JR貨物のEF210(桃太郎)などが列車交換で並ぶ光景が出現するかと思うとワクワクする。

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2022年1月14日読売新聞の紙面

2021年11月30日 (火)

西武鉄道 52席の至福

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特別運行「52席の至福x兎田ワイナリーwith乾杯共和国」車両

明治神宮大会も慶應は準優勝に終わって、この次に何か面白いことがないか考えていた時に、妻が「これに乗りましょ!」と提案してきたのが西武鉄道が運行している「西武 旅するレストラン 52席の至福」である。「52席の至福」は西部鉄道秩父線用の4000系4両編成電車を改造し、2016年から営業を行っている乗客定員52名のレストラン専用列車のことである。このレストラン列車は、週末や祝祭日の午前11時前に池袋または西武新宿を出発し、80キロの行程を経てゆっくり2時前に西武秩父に着くブランチコースと、当日その折り返しで秩父を17時42分に出て、池袋または西武新宿に20時過ぎに帰って来るディナーコースの2つの運用がレギュラーに設定されている。あの地味な西武鉄道がレストラン列車を運行しているというのは驚きだが、普段は人気で予約が取りづらいぐらいの盛況だと云う。


妻は以前よりこの列車に興味はあったものの、午前便に乗り朝から酒を飲み酔っぱらうと一日がもったいないし、秩父発の夕方の列車では、早くから暗くなるこの季節で外の景色が見えずに寂しいと乗車の機会を探っていたそうだ。そんな折、平日の昼前にアーリーランチコースを行い、その帰り便で午後2時16分に秩父を出発し、新宿に16時32分に到着するレイトランチコースの特別運行が実施されることをネットで知った。この列車は秩父の兎田ワイナリーとのコラボ便で、レイトランチなら午後のひと時、車窓から晩秋の奥武蔵の紅葉を楽しみつつ、地元ワインでゆっくりランチを楽しめる。と云う事でさっそく座席を検索すると、平日のためかすんなりと予約がとれた。西武鉄道より送られてきた乗車キットには西武線全線が当日乗り放題になるフリーパスが入っており、これで都内から始発の西武秩父駅までは各自で来て下さいという手筈である。


予約してあった秩父行きの特急ラビューが朝の人身事故の影響で運休になるハプニングはあったものの、当日は絶好の行楽日和で心わくわく準急と各駅停車を乗り継いで西武秩父駅に到着した。この地域のシンボルである武甲山を遠望し、秩父神社にお参りしていよいよ「52席の至福」に乗車する。ホームで発車を待つ4両編成の「52席の至福」は、かつて武蔵野を疾駆した101系の機器を流用した4000系がタネ車というあたり、いかにも堅実経営の西武鉄道らしい車両である。しかし内装・外装はかの建築家・隈 研吾氏が手掛け、乗車した4号車の天井は地元埼玉の製材による凝った作りとあって、同社は相当気合を込めて4000系を改造したことが分かる。各地の西武鉄道職員に見送られてのレイトランチは秩父地方の食材を中心にした献立で、提供される白ワインや赤ワインとのマリアージュを意識した味付けだった。廻りを見れば車内は満席で、特別運行だけあってアルコールの消費も目立っていた。普通の通勤電車の合間を縫ってのダイヤ設定のため、都内に入ると買い物や通学客で込み合う駅で急行待ちなど退避時間も長い。私鉄の駅で忙しそうなホーム人たちの視線を感じつつ、ガラス一枚隔ててゆっくりワインを傾けるのも面映ゆい心境で独特な楽しさだった。

秩父ルージュ2018マスカット・ベ ー リーA&メルロー 秩父市釜の上収穫
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イチローズモルトでマリネした武州黒毛和牛のロースト

2021年9月 1日 (水)

半日鉄道プチ旅行 つくばエクスプレスと関東鉄道

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130キロで疾走するつくばエクスプレス、前面のガラスは逃げ切れない虫の死骸が多数付着

引っ越しも一段落、東京にもようやく秋の気配が漂う候となり、ちょっと鉄道に乗ってどこか郊外に出かけたくなった。ということで今回は筑波エクスプレスと関東鉄道常総線に乗る事にした。平日の昼過ぎ、テレワークの合間を縫って、あまり土地勘のない千葉県北部や茨城県南部への訪問で、半日鉄道プチ旅行もこれで7回目になる。2005年に開業した日本でもっとも新しい私鉄である筑波エクスプレスで都心から茨城県の守谷まで行き、1913年に開業した非電化の私鉄、関東鉄道常総線に乗り換えて取手へ、取手からJR常磐線で都内へ戻る約100キロほどの行程である。最新の鉄道とローカル鉄道の気動車を乗り比べるのが今回の小旅行の目的だ。

 

平日の昼下がり、つくばエクプレス始発の秋葉原駅は人出もまばら、まだ真新しい地下駅の構内で乗車したのはつくば駅行き各駅停車のTX-2000系電車であった。この鉄道は正式には「常磐新線」と呼ばれ、沿線の地方公共団体や民間企業が出資した第三セクター鉄道とのこと。なんでも今回の目的地である守谷までは直流、守谷以遠は交流電化という単一路線の鉄道として極めて変わった電化方式を採っており、乗車した2000系も交直両用車両であった。例によってかぶりつきに陣取り前を見ていると、都内は北千住と隅田川鉄橋付近を除きほぼシールド工法で掘られた地下の線路で、トンネル内はけっこうアップダウンやカーブもあって前方を凝視する我が視線も上下左右に忙しい。

 

綾瀬川を過ぎ埼玉県に入るあたりから周囲は徐々に緑が増え郊外の景色となっていく。線路は高架線となり電車のスピードもぐんと上がるが、新しい鉄道とあって道床は堅固で路盤状態は極めて良く、ガラス越しにみえる運転席の速度計は130キロあたりと関西のJR新快速なみになる。6両編成の電車は車掌もいないワンマンの全自動運転とあって、前を見ていても信号器や踏切の安全を確認する灯標などが一切なく、線路わきの標識は「速度照査」とか「B」(ブレーキ)ばかりで、この点では前面展望ヲタクにはちょっと物足りない。電車は疾風のように進んでいくが、平日の昼下がりとあって乗客は一両あたり数人で、線路わきの田園風景と相まって車内はのんびりしたムードが漂っていた。こうして新しい電車の雰囲気を味わううち、40分ほどで乗り換えの守谷駅に到着した。

 

ここで大正初期に開業した関東鉄道の気動車に乗り換えである。つくばエキスプレスが守谷から交流になることや関東電鉄が電化されないのは、茨城県石岡市にある気象庁地磁気観測所への影響を考慮したためとされるが、その辺りの詳しいことは私には良くわからない。ただ都内から40キロほどの処に、昼間は気動車が一両でトコトコ走るローカルな景色が広がっているのがなんとも風情があって良い。高規格の新規開業路線から一転、枕木こそPC化しているがロングレールのない線路を唸りをあげて走るディーゼルカーに身をまかせていると、都会生活からの脱出という気分になってきた。乗車した車両は2019年に増備された新鋭の5020形とあって、空気ばね台車がフンワカとした揺れを一層増幅させるかの乗り心地で終点の取手に到着。都内へ戻るJR常磐線の電車を待つ間に食べた、駅の立ち食い蕎麦が予想外に旨いのに感激して数時間のプチ旅行を終えた。

乗車した関東鉄道の5020形ディーゼルカー(取手駅で)
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2021年7月25日 (日)

京都鉄道博物館

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夜9時過ぎ、東京九州フェリー”それいゆ”を新門司港で下船すると、徒歩乗船客のためにJR門司駅経由でJR小倉駅までの無料連絡バスがあった。この夜は小倉駅のJR九州ステーションホテル小倉に一泊、翌日「大人の休日倶楽部」を利用して、新幹線で帰京することにした。とはいっても真っすぐにトンボ帰りは芸がないので、途中下車して京都で寺社見物でもするかと考えたが、妻がそれは次回ゆっくり行くとして今回是非行きたい所がある、ということで梅小路にある京都鉄道博物館を訪れた。確かにここなら京都駅に近く九州からの道中に立ち寄るには手ごろな場所だと云える。これまで神田須田町にあった旧交通博物館や大阪弁天町の旧大阪交通科学博物館はじめ、大宮の鉄道博物館や名古屋のリニア・鉄道博物館を訪れ、海外でも米・ボルチモア鉄道博物館などに行ったとおり、時間が許せば各地の鉄道博物館を訪問しようと心掛けてきたが、聖地ともいえる梅小路は確かに鉄道ファンとして一度は経験してみたい場所だ。


京都鉄道博物館は、2014年に閉館した大阪弁天町の交通科学博物館と2015年に閉館した梅小路蒸気機関車館が合体して出来た施設である。新大阪方面に向かって東海道新幹線下り列車で京都駅を発車すると、ほどなく進行右手に灰色の扇形機関庫が見えてくるが、これが旧梅小路機関区である。この機関区にはかつて東海道本線の特急「つばめ」や「はと」などの優等列車を牽引したC62はじめ多くのSLが所属し、最後は昭和46年まで山陰本線を走ったC57などがいた名門の機関区であった。SLの運用なき後、1972年にSLの動態保存を目的に機関区は梅小路蒸気機関車館となったが、ここに交通科学博物館の展示物などを加え、2016年新たに京都鉄道博物館として開業した。この京都鉄道博物館には蒸気機関車から東海道山陽新幹線500型まで53両の鉄道車両や数々の展示物がおかれており、なかでも20両に及ぶSLの動態保存が博物館の目玉になっている。現役の東海道本線(JR京都線)や山陰本線(JR嵯峨野線)の列車が目の前を走るのもいかにも鉄道博物館らしい好立地といえよう。


館内の展示物については、大宮の鉄道博物館で感じた事とあまり変わらずツッコミ不足と思える。例えばEF66電気機関車の実車展示があり、その横にある案内版には「EF66は従来の吊駆式でなく中空可とう駆動方式を採用」だとか「台車は揺れ枕つりを介して車体を結んでいましたが、EF66では空気ばねの横たわみを利用する構造を採用」などとマニアックな説明がされている。その台車の構造を見学できる通路もEF66本体下部に作られているのだが、眼前の実車を前に台車のどこが「中空可とう駆動方式」や「空気ばねの横たわみを利用する構造」なのか具体的に表示されておらず、せっかくの解説が生かされていない。また貨物列車のさまざまな運用を分類するパンチカードは旧大阪交通科学館からの持ち込みで実際に見学者が扱えるのだが、肝心のカードは誰かが持ち去ったのかなくなっており使い物にならない。そのほか入換信号と進路表示器は展示が逆で、内容のわかる係員がいないかと探してみたが、博物館でよくある様に「学芸員」が見当たらない。これまでの「鉄道博物館」で記したように、大人の鉄道マニアが”目からうろこ”とばかり楽しむには、より専門的な展示や資料がやや少なすぎる感がした。


とまあディスってはみたものの、京都鉄道博物館の展示は子供たちやオタクでないフツーの鉄道ファンの知的好奇心を掻き立てるにはとても良く出来ていると思う。館内には一世を風靡した数々の名車両が展示されているほか、シュミレーターを使った実体験コーナー、大きな鉄道ジオラマなど工夫をこらした様々なディスプレイが設置され、日曜日で父母に連れられた子供たちの人気を博していた。屋内の展示ゾーンを抜けて大きな扇形機関庫の前に出ると、そこにあるのは転車台を挟んで多くの蒸気機関車の雄姿であった。なかでも線路上にたたずむ何台かの機関車には石炭が実際に積みこまれ、車軸の下に油受けが置かれて、これら機関車たちが「生きている」ことを感じ取ることができる。公園などに朽ちて置かれたかつての名機関車を見ると何とも寂しいが、ここ梅小路ではどの機関車もよく整備されて余生を楽しんでいるかのようだ。傍らで子供たちが蒸気機関車に歓声をあげているのを見るとなぜかこちらまで気分がなごみ、多くの家族連れで賑わうC56が牽引するトロッコ列車SLスチーム号に300円を払って乗り込んでしまった。

これまでアップした鉄道博物館のブログ
鉄道博物館(2010年11月3日)
名古屋リニア・鉄道館 車掌シュミレーション(2015年3月10日)
ボルチモア鉄道博物館とマクヘンリー砦(2018年6月11日)


阪急2000系に使われた私の好きな住友金属製ミンデンドイツ台車FS345の展示
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2021年7月 8日 (木)

半日鉄道プチ旅行 久喜行き

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東武スカイツリーラインは北越谷まで複々線・日比谷線から直通してきた各駅停車を抜く急行前面展望

テレワークが良いのは監視する者がいないことで、その日に大した用事がなければ外出して遊んでいても誰にもわからない。これまでもあまり自粛要請には従っていないものの蔓延防止とかの生活にも飽きてきたので、先日はテレワークの合間を縫い「鉄分」補給の半日プチ旅行に行って来た。今回は都内から東武スカイツリーライン、伊勢崎線経由で埼玉県の久喜駅まで行き、帰りはJR東北本線(湘南新宿ライン)で帰ってくるという往復100キロの行程にした。都内で東急田園都市線や地下鉄半蔵門線に乗ると、南栗橋行きや久喜行きの電車がよくやって来るが、東京の城南地区で育ち川崎市で永らく暮らした私には東武線沿線の地域にまったく馴染みがない。かねてよりこれらの電車の終点に行ってみたいという願望があり、それを実現せんと半日の息抜きをしたのである。これまでも東武の日光行きのデラックスロマンスカーには何度か乗ったことがあるものの、特急のリクライニングシートに座ると直ちに同行者と缶ビールを”プッシュー”が常だから、今回は純粋にかぶりつきで乗り鉄を楽しみたいと考えた。


ということで北千住駅で久喜行きの急行を待つと、地下鉄半蔵門線経由で入線する車両は、相互乗り入れ先からやって来た東急の5000形である。せっかく東武線の旅を楽しもうと思っていたが、ここで東急の車両とはテツとしてはちょっと場違いな気がしないでもない。最近の東武車両は運転席の真後ろが仕切り版となっておりガラスの窓がないが、せっかく全面ガラス窓で眺望の良い東急車両に乗車したのに、例によって運転手側のブラインドが下がり視界が一部遮られていた。組合闘争が盛んだった60年代、東武線でブラインドの向こうの運転士が停車駅で漫画本を読んでいたのをホームから目撃したことがあるが、今でも東武は組合の力が強くこういうことになっているらしい。JRもその他の私鉄も昼間やトンネル外はみな前面全開なのに、真昼間からブラインドを下げるという悪習はもうやめたらどうかと思う。案の定、右側のガラス越しにキャブをのぞけば、信号喚呼の声は聞こえず、信号確認を指差す手も「ただ、やってます」感のちょっと緩慢な風に見えた。


それはさておき、さすが北千住から埼玉県に伸びる東武のトランクライン(幹線)は施設的に立派である。北千住から北越谷までの20キロほどが複々線になっており、私が乗車した平日の昼には久喜や南栗橋行きの急行が急行専用線を、北千住から乗り入れる地下鉄・日比谷線各駅停車が緩行線を使用し、緩急接続(急行と各駅停車間の乗り換え)が効率良くできるような設備が整いダイヤが組まれているようだ。そのほかに場所的に余裕のある駅では急行線の外側に特急通過線も敷かれており、さすが有料特急を多数運転し、近鉄に次いで民鉄第2位、関東NO.1の路線網を誇る東武鉄道だけのことはある。住宅やビルの密集した地域の複々線では各駅停車の列車と並走したかと思う間もなく、窓外は次第に郊外の景色と変わり、ほどなく一直線に線路が伸びる沿線に田園風景が広がっていく。こうして車窓を楽しみつつ、都内から一時間弱でJR線接続の久喜駅に着いた。


東京近郊のどこにでもあるような久喜の駅前をぶらりと冷やかし、帰りはJR湘南・新宿ライン逗子行きのE231系電車のかぶりつきに乗車。こちらは前面展望もよくJRの若い運転士は指差し喚呼を確実に履行し、その際にキャブのモニター画面に異常がないかも確認しているのが気持良い。今回初めて湘南新宿ラインに乗ったが、列車は大宮から貨物線に入り、王子を過ぎて上中里の先から、中里トンネルで大きくUターンして山手貨物線に乗り入れるのを体験することができた。大宮から都内まで前面に次々と展開する幾多の線路群を眺め、進路が開通している方向(すなわち青信号が点灯している線路)はどこなのか、それはどの線に通じるのかなどを観察するのはちょっとした迷路探しのようだ。今はセンターでこれらポイントや信号を制御しているのだろうが、当たり前の日常とはいえ、時間通りに間違いなくポイントや信号が切り替わり、列車が確実に設定された目的地に向かう陰には多大な先人の努力と技術の積み重ねがある。鉄道のシステムはなんと精緻なものかその凄さを再認識しつつ、平日の午後に5時間、経費は2000円弱で近郊鉄道の乗車を堪能した。

湘南新宿ラインのE231系キャブ
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2021年2月 3日 (水)

半日鉄道プチ旅行・「妙な線路大研究」(竹内正浩・著)を読んで

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かねてから不思議に思っていたことがある。東京の西郊外に延びる東武東上線や西武新宿・池袋線、小田急線や京王線はターミナル駅から真っすぐ西に向かっているのに、都心の東側に路線を展開する東武伊勢崎線や京成線は東京近辺でなぜあれほど線路が複雑に曲がっているのだろうか。東武伊勢崎線は北千住から南は線路がくねくねと方向を変えるし、京成本線も上野公園下や日暮里に急カーブがあるほか、路線図を眺めるとあちこちで線路が屈曲しているのがわかる。また京成押上線はせっかく都心近くまで来ながら、永い間なぜか隅田川の向こうの押上で寸止めだったなど、東京の西で生まれ育ちこの辺りに地縁のない私には分からないことが多い。極めつけは両鉄道の線路が平行して走っている千住付近(下地図の黒〇中、京成本線の関谷・東武線の牛田駅近辺)で、ここでは浅草方面行きの東武上り線と、千葉方面に向かう京成の下り線が500米ほどまったく同じ向きに走っている。上り電車と下り電車が同じ方向に向かって走るさまを見る度に、ここはまるで鉄道のラビリンスかと妙な錯覚にとらわれるのだ。


新刊「妙な線路大研究・東京編」(じっぴコンパクト新書・竹内正浩著)がこの疑問を解決してくれた。筆者は膨大な資料に当たり、地理的条件だけではなく政治・行政、往時の軍の施設など多角的な視点から「なぜ鉄道がこの場所を通るのか」「なぜこの鉄道はこんなに妙な線形をしているのか」について詳しく述べている。品川駅の南に北品川駅があるとか、東武東上線や西武新宿線は山手線の内側まで進出する計画があった、などのトピックスに加えて、地下鉄・大江戸線は各駅を出るとまず下り勾配になって節電しながら加速し、駅の手前は上り勾配で減速しやすい構造になっていると目からウロコの解説もあちこちに散りばめられている。とくに本書には「なぜ東武と京成の都心の線路はY字なのか」「浅草と亀戸で悶え苦しむ東武鉄道」「京成の疑惑事件と浅草延伸断念」「なぜ東武線は荒川堤防ギリギリを通っているのか?」と興味深い事項に頁が割かれており、これを読んでやっと永年の疑問が氷解した。


なぜ、東武伊勢崎線や都内の京成線の線路が複雑なのかはこういう事らしい。そもそも武蔵野台地が広がっていた東京の西郊外に較べて、東側は早くから集落が発達していた上に、荒川(隅田川)・中川・江戸川など大きな河川が集まっており、鉄道敷設のための環境が厳しく真っすぐ線路を建設できなかった事が挙げられる。また隅田川より西の都心部は東京市電の路線網が広がっていた上、すでに関東大震災前に地下鉄(銀座線)の建設計画もあり、都市計画上、東武伊勢崎線や京成押上線が隅田川を超えて都心に進出する許可がなかなか下りなかった。そのため京成電鉄は押上から隅田川を超えて西進するのをあきらめ(ただし後年、都営地下鉄・浅草線に乗り入れて都心進出は実現)、別の鉄道会社が日暮里へのルートについて免許を持っていたのでこれを吸収合併しようやく上野方面に路線を伸ばした。また隅田川は川筋が蛇行しているので、その東岸に線路を敷いた東武は川の屈曲に沿って鉄道を作るしかなかった上、大正末期に隅田川のすぐ東に荒川放水路が掘られたため、一旦作った線路の付けなおしを余儀なくされ、ますますウネウネと曲がる路線となった。


この「妙な線路大研究」を読んで現地踏査をしてみようと思い立ち、過日、上野駅から京成本線の各駅停車で関谷駅で降り、そこから東武伊勢崎線の堀切駅経由、鐘ヶ淵駅まで探索に行ってきた。関谷駅で千葉方面に向かう京成電車の各駅停車を下車すると、目の前に東武の牛田駅がある。この牛田駅から東武線で都心に戻るためには、改札口を入り向かい側の千葉県に向かうかのホームに立たねばならないのがなんとも奇異である。しかしここから東武の線路は90度近い急カーブで右に折れて南へ下り、堀切駅から荒川放水路の築堤に沿って鐘ヶ淵に向かうルートをとる。「妙な線路大研究」によると荒川放水路ができる前は、東武の線路は景勝地の堀切菖蒲園近くまで今は水路となった地をもっとゆったり大きなカーブを描いていたが、工事の完成で築堤の下をショートカットで南下せざる負えなくなったのだと云う。線路は鐘ヶ淵でまた右に急カーブをとって元々あった線を浅草や押上に向かうようになっており、水にまつわる歴史がこの近辺のトリッキーな線路配置を際立たせている。夕暮れにぶらぶらと歩きつつ、荒川放水路の築堤から東武伊勢崎線の線路を見ていると、ひっきりなしに通るのは地下鉄・半蔵門線経由で乗り入れてくる東急の車両で、東武が都心乗り入れに苦労したのは遠い過去の出来事なのだと改めて思い起こさせてくれた。

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東武伊勢崎線と京成線
東武線(赤)は荒川(中央)と隅田川(その左)の間を苦労しながら走る。牛田と鐘ヶ淵間は荒川開削までもっと大きなカーブだった。
京成線は押上線(下の紫)が隅田川の手前で終わり、日暮里までの現本線(上の紫)は後年に吸収合併した他鉄道の免許線である。
〇印が京成と東武が逆方向に向かって走る牛田駅付近

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荒川放水路開通で築堤の下を走るようになった東武伊勢崎線の線路(鐘ヶ淵から上流を望む)

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鐘ヶ淵駅の大カーブ。築堤下(右)を走ってきた線路はここから本来の経路で浅草(画面奥)へ向かう

2021年1月26日 (火)

「電車を運転する技術」西上いつき著

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鉄道趣味にはいろいろな分野があるが、ポピュラーなのは列車の運転席を見ることだろう。鉄道好きの男子ならば(最近は鉄子もいるが)、一度は電車の運転台(キャブ)に乗って自らがあの鉄の塊を動かしてみたいと思うはずだ。そんな憧れの場、運転台とはどういうものか、もと名鉄の運転士が執筆した新刊「電車を運転する技術(運転台のリアル)」(発行SB クリエイティブ)を本屋の店頭で見つけて購読した。私は電車に乗ると「かぶりつき」に陣取り、目前に迫る線路際の標識や信号、それに応じて巧みにマスコンやブレーキハンドルを操る運転士の所作、各種計器が示す車両の状況などを観察するのを楽しみにしているが、この本ではガラス超しに見るだけでは判らないキャブ内の真相が元プロによって紹介されている。


ページを繰ると、まず運転士の持つカバンの中には何が入っているかに始まり、車輪の「空転」や「滑走」が起きやすい場面やその対策、ダイヤより遅れた時の回復運転の方法、マスコンノッチの投入方などファンには興味津々のトピックが並ぶ。電車のブレーキでは、電力回生ブレーキが失効しやすい場合やら「2段制動3段ゆるめ」「階段制動階段ゆるめ」などかなりマニアックなテクニックも紹介され、なるほどと読みながら思わずニヤリとしてしまう。2007年に碓氷峠鉄道文化むらでEF63の体験運転「電気機関車は腰で運転する(2008年3月10日)」をした際に、「牽引する後部車両のブレーキの効き具合を『腰』で感じながら電気機関車は運転するものだ」という指導機関士の説明が印象的だったが、電車でも同じような感覚だそうで、電車と電気機関車の制動感覚にはそれほど差がないのかとちょっと驚きの箇所もあった。


その他にラッシュ時の運転やら悪天候時の注意など、興味尽きないトピックがテンコ盛りだが、1人前の運転士になるのはどのくらいの教育や経験が必要なのか、見習い運転士時代の教官との関係や葛藤など、一般人には見えない舞台裏の苦労も本書ではいろいろと披露される。以前、山陽本線の電車であったろうか、運転席の後ろにオムツの予備がおいてあるのを見て、「ちょっとトイレへ」などと云えないキャブの厳しさを見た気がしたが、その実態について一部でもこの本で触れることができ、定時に列車を運行する勤めの重さを改めて思い知った気持ちがした。先輩から受け継いだ安全運転のDNAが組織で脈々と流れているとして筆者は本書を閉めている通り、膨大な先人の知恵や経験の集積に現代の科学技術の成果が融合し、鉄道の定時・安全・快適性が担保されていることが本書でも理解できるのである。

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