カテゴリー「鉄道」の記事

2024年8月25日 (日)

秩父鉄道の石灰石輸送列車 中井精也氏作品

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夏休みになると開催される恒例、京王百貨店新宿店の鉄道フェスティバルが、今年は8月21日(水)から26日(月)まで開かれている。今年で第60回を迎えるというからこの手の催し物の中では老舗のイベントになる。例によって鉄道好き芸人のトークショー、全国の高校鉄道研究会による鉄道模型ジオラマ展示のほか、鉄道グッズや鉄道趣味本、古い時刻表の販売、絵画の展示販売などお馴染み鉄オタ向けのラインアップである。おととし、このフェスティバルに出展する鉄道写真家 中井精也氏の 「ゆる鉄画廊」で、JR木次線の額に入った写真を購入し、これが気に入ったので、わが家の居間にもう一枚彼の作品が欲しいと京王百貨店に足を運ぶことにした。 


中井精也氏は東京出身の57歳、最近はNHKBSやBS-TBSなどにもよく出演する第一線の鉄道写真家で、鉄道車両自体を撮るよりも、列車が画面の片隅に写った『 鉄道のある日本の風景』を表現するのが彼の作品の特徴である。中には車両が一切写っておらず、線路と枕木だけ、或いは踏切だけが被写体の写真もあるのだが、その情景だけで鉄道が醸し出すノスタルジーを感じさせてくれるのが見事なところだ。テレビで紹介されていたが、一枚の写真を得るために、列車の通過時刻に合わせて最適な構図や光線を求め、実に多くの手間と時間をかけていることが、印象的な鉄道写真に繋がるのだろう。前に買った木次線の作品は、川面に映った気動車を撮り、上下反対に見るという凝ったものだっただけに、今回はどんな写真に巡り合えるか楽しみである。


で、購入したのが秩父鉄道の石灰石輸送の貨物列車を撮った作品である。いかにも地方の私鉄らしい4軸動輪(ED)の電気機関車に牽引されたホッパー車が、夕陽を背に荒川であろうか橋脚を渡っていく瞬間をとらえた一枚である。木次線の緑とは対照的にオレンジ色が映えて、居間の白い壁面にメリハリが効いて良かろうと思いこれに決めた。さっそくわが家で写真を飾って見ていると、現在は横須賀線や湘南新宿ラインなどの電車が走る品鶴線の多摩川鉄橋に、貨物列車をよく見に行った子供の頃を思い出した。今のご時勢では到底想像がつかないかも知れないけれども、当時は線路に耳を当て、遠くから電気機関車に牽引された長い編成の貨車が近づいてくる響きを感じて遊んだものだった。世田谷にあった我が家でも夜になると鶴見の操車場から遠くSLの汽笛が聞こえてきたが、今回の彼の作品は我が原風景を蘇らせてくれるような気がする。

購入した写真に中井氏のサインを貰う
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前回買った、気動車が水面に映る木次線の写真
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リンク:「木次線と中井精也氏の鉄道写真: (2022年8月11日)」

2024年7月16日 (火)

500系「こだま」6号車乗車

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ちょうど一年前、しまなみ海道沿いの大島・千年松で行われた宴会に妻と出席し、帰りに500系「こだま」に乗ろうとしたところ、梅雨末期の豪雨で山陽新幹線のダイヤが大きく乱れ、これに乗車がかなわなかった。いつかはリベンジをと機会を探っていたが、一年経過して同じ宴会に妻と共に招待されたのを機に、今年は福山から新大阪まで500系の「こだま」に乗車することにした。かつて「のぞみ」に使われ東京までこの車両が来ていた頃、出張でさんざん乗ったので私は特段の思い入れはないが、JR西日本に残る500系6編成のうち、4編成は2024年~26年に引退と発表されているため、乗るなら今のうちと妻のたっての希望である。「のぞみ」時代の16両編成から今は8両編成になり山陽区間だけで運転される500系「こだま」のうち、6号車の普通車指定席は旧グリーン車がそのまま充てられているので、予め6号車を予約して乗車することにした。


500系新幹線は、山陽新幹線の300キロ運転を念頭に当時の最新技術を投入し、JR西日本によって1996年に登場した。高速運転を可能にすると共にトンネル内の気圧差や空力上の問題解決の為に、先頭車はロケットのような形状とし、車両の断面積も他の形式より小さく円筒状になっているのが特徴。この車両はデビュー当時は、鉄道ブルーリボン賞やグッドデザイン賞を受け(ウィキペディア)、巷で話題になったものだった。新製価格は一編成46億円だったとのことで、これは船なら中型~大型の外航貨物船1隻、航空機ならボーイング737の中古機ほどになるが、登場して30年近く経過しているため、いまでは減価償却も終わっていることだろう。普通車のシートピッチは現在のN700系の1040ミリに対して1020ミリとやや短いため、かつて西日本に出張する際に「のぞみ」5号(東京駅発07:52)をしばしば利用したが、なんだか狭くてごつごつした乗り心地だった記憶がある。


今回はしまなみ街道をドライブしたレンタカーを福山駅で返して、15時31分の500系「こだま」854号に乗車である。今では一日に「こだま」7列車のみ、そのうち博多/岡山間の運転が5本とあって、福山から新大阪まで行くのは一日2本のみとなる妻が切望の500系だ。最近は東海道・山陽新幹線では車内販売がないので、運転から解放されビールやつまみを福山駅で買いこんでホームに。山陽新幹線には500系のほかにN700系、700系ひかりレールスター、九州新幹線のN700系7000番台も運転されており、福山駅の停車列車や通過列車を眺めるのも楽しい。やってきた500系旧グリーン車の6号車は、シートピッチが1160ミリとゆったり仕様で、リクライニングの角度も深い。ただ床は絨毯張りからリノリウムになり、オーディオサービスのイヤホン差し込み口はパネルで覆われ、フットレストや読書灯が撤去されたのはさすがに仕方あるまい。加速も最新のN700Sに較べるとゆったりという感じがしたが、最近の電子制御満載感より無闇に旅を急かされていない感覚である。こうして新大阪までの2時間弱、ビール片手にゆったりと各駅に停車する「こだま」の旅を楽しんだ。車両運用上は、なるべく性能や仕様が揃った形式を揃えるのが効率的なのだろうが、名車である500系の退役が進むのはちょっと哀しい気持ちもする。これでやっと一年越しに妻との約束を果たし、ホッ!。

こだま854・旧グリーン車の6号車
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2024年5月22日 (水)

「海里」(上り)乗車(酒田・海里の旅③)

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上り「海里」のイタリアン弁当(手前)とドルチェ(奥)、イタリアンのボリュームはこれだけ?


酒田の町の探訪を終え、新潟までの帰路は白新線経由の羽越本線「のってたのしい」観光列車「海里」乗車である。昨年4月に新潟発 酒田行の「海里」下り列車に乗車した際(「海里」に乗車 東北地方・新旧乗り比べ鉄旅 2023年4月3日)は食事とドリンクの付いた旅行商品用の車両である4号車を利用したので、今回も同じく4号車に乗車することにした。その時は新潟の有名料亭の弁当を車内で味わったが、逆ルートでは沿線の鶴岡のイタリアン弁当とドルチェが出るとのことで、どう味やサービスが変わるのか違いをみるのも楽しみである。新潟からやって来て午後1時半に到着した「海里」専用ハイブリッド気動車HBE300系は、折り返し午後3時3分に酒田駅を出発して上り列車になる。乗車すると早速、4号車の車内に配置された2人の専任サービス掛の女性が飲み物の注文にやって来た。彼女たちはJR東日本関連会社から派遣され、週末に運転される「海里」に乗車しない日は、新幹線の車内販売も手掛けているそうだ。車内を見渡せば、我々夫婦の他には個人手配らしき壮年カップルと、その他6人~7人の団体旅行客が1組だけと余裕がある。以前は満席だったので、上りと下りで乗車率にばらつきがあるのか尋ねたところ「その時の状況によってまちまちです」との笑顔の答えだった。


我々は、まず選べるウェルカムドリンクで庄内地方産の地ビール「月山」を注文したが(下りはエチゴビールであった)、この時間の列車で嬉しいのはアルコールが心置きなく呑めること。新潟駅を朝10時過ぎに出る下り列車では、朝っぱらから車内でガンガン呑むのも、と周囲の目を気にする私にとってはアルコールの追加連続にちょっと気がひけたものだ。酔って他人に迷惑をかける訳ではないが、酒飲みの心境としては近くに同輩がいて、皆が楽しそうに呑んでいればこちらも杯が進むのである。この日は夕方とあって周りも呑んでいるし、一日かけてけっこう坂の多い酒田の町を自転車で走り回った身である。早速出されたビールは五臓六腑に染み渡り、やはり酒は体を動かした後に限ると、特にウマい1本目のビールはあっという間に空になった。お待ちかねのイタリアンとドルチェは、どちらも味は良かったが、イタリアンの方は「本当にこれだけ?」という少なさであった。時間的に昼食に遅すぎ、夕食には早過ぎで中途半端だから致し方ないし、腹が減っているなら売店のある3号車で追加の食べ物を買っても良し、途中停車駅では改札外に出られるので外から調達も可なのだが、楽しみにしていたメシが腹の足しにほど遠いのは予想外だった。ということで、前の晩に買った乾き物の残りを取り出し、追加のビールやワイン(ともに有料)を楽しみながらの乗車となった。


午前と較べてこちらが断然良いと思ったのが、日本海の景色であった。この日は雲一つない好天とあって、海岸沿いに走る羽越本線からは、水平線の彼方に傾く太陽と海岸べりの景勝が見えて乗客の目を楽しませてくれる。陽光が海面にキラキラと反射する光景は午前中の便では見られないメリットで、列車も見どころではかなり速度を落として走る。「笹川流れ」で有名な桑川駅では30分ほど休憩があって、海岸に出て周囲の奇岩や沖に浮かぶ粟島の景色をゆっくり見ることもできるのが、この臨時快速列車が「観光列車」である所以。桑川駅では運転士さん自らホームで記念撮影のシャッターを押すサービスをしてくれるので、ついでに「ハイブリッドのこの列車を運転する感覚は気動車ですか?電車ですか?」と質問したところ、「電車です。僕の免許も気動車ではなく電車です。」との答えが返ってくる。普通の列車ではまず味わえない乗務員との会話も、「のってたのしい」列車ならではである。4号車は新潟に向かう先頭車とあって、酔眼をこすりつつ大きく開けた前面展望を楽しんでいるうち、あっという間に3時間半の旅は終わり新潟駅に到着した。

 

車窓から見る夕陽に映える日本海と遠くに浮かぶ粟島
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2024年4月27日 (土)

半日鉄道プチ旅行 京王相模原線 JR相模線

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京王相模原線 運転士の速度テスト(右の指導運転士がボードで見習い運転士の速度計を隠して速度感のテスト中)

連休を前に仕事も一段落で、久しぶりに半日のプチ鉄道の旅に出かける。地図を広げて今回はどこへ行こうかと考えていたら、JR相模線に乗りたくなった。わが家では時々、厄除けで有名な相模の国一の宮、寒川神社にクルマでお参りに行っており、その際に神社のすぐそばを相模線の電車がトコトコと走っていることが気になっていた。一度この神社のあるあたりを電車の窓から眺めてみようかと思ったのが、今回この線を選んだ理由である。相模線は神奈川県の北東部にある橋本と東海道線の茅ヶ崎を結ぶ33キロ、全線単線のローカル線で、東京近郊区間にありながら、1991年まで電化もされず気動車で運転されていた路線である。かつては収益も苦しかったが、終点の橋本駅はJR横浜線と接続するだけでなく、京王相模原線の終着駅でもあり、さらに話題のリニア新幹線の新駅がここに開業予定というから、今後の発展が大いに期待される路線である。


ということで、昼前にまずは新宿から京王線の橋本行特急に乗車する。この特急は調布で本線から相模原線に乗り入れるが、考えてみればこの線の電車に乗車するのも初めてだ。府中や高尾山方面に行く際には京王線本線を利用することはあるものの、新しいベッドタウンの中を走り抜ける相模原線は、親しい友人か親籍などが住んでいなければまず訪れる機会がないエリアだ。乗車した特急電車は調布で分岐後に多摩川を渡り、新緑の多摩丘陵の北の麓を縫うように西進、途中で小田急多摩線としばらく並走するなど、初めての風景を眺めるのが目に楽しい。と、いつものようにかぶりつきで前を注視していると、見習いらしき女性運転士の横に立つ指導運転士が、やおらプラスチックのような小さな板を取り出し、暫くの間それを速度計の前に置いてメーターを隠している。これがいわゆる「速度観測」で、新米運転士に速度計を見なくとも正しい速度を体感させるテストかと、彼女のこれからの健闘を後ろから見守っていた。混雑のない平日の日中、閑散区間で行われる運転士のテストの様子を目の前で見られるのも、暇な老人の特権だといえる。


特急は新宿から40分ほどで終点の橋本駅に到着、駅前の歩道橋から街の様子をひと眺めして、いよいよJR相模線である。JR橋本駅ホームに止まっていたのは4両編成のJR東日本の新鋭E131系電車で、500番台の番号が与えられた相模線用のワンマン車両(ただし運賃の収受は各駅で行うようだ)。乗車したクハE130-502は2021年に総合車両製作所新津事業所で製作された、sustina(サスティナ)ブランドであることが車内の銘板でわかる。ステンレスの外板に青の装飾は、湘南の海や相模川をイメージしたものだそうだ。このE131系は相模線の他に房総地区や日光方面でも投入されているが、幹線で役目を終えたお古が廻ってくるのではなく、このような新鋭車両が相模線に投入されるとは、JR東日本の底力を見るような気がする。房総地区のE131系と異なり、車内すべてロングシートでトイレも設置されていないのは、日中は20分間隔の運転で、乗車時間が最大でもおよそ1時間程度の通勤路線ならではであろう。


橋本駅を出発すると、線路は横浜線と別れ、相模川左岸(東岸)を南の湘南海岸に向かって下っていく。上下列車が交換(行き違い)する駅では側線への進出入速度が25キロや35キロと徐行制限があるが、ローカル線にしては軌道もしっかり整備されているようだし、線路内に夏草がぼうぼうという感じもなく、本線の最高速度が85キロとゆったりしているためか、または新型車両の効果なのか揺れはそう感じないのが良い。進み行くうち相模川が真近になり、この鉄道が河川の砂利採取・運搬を目的の一つとして開業したことを実感させる景色が広がる。途中の海老名では、相鉄線や小田急線との接続で多くの乗客が入れ替わり、相模線から都内や横浜へ向かう乗客の意外と多いことをうかがわせる。相模線は駅での行き違いに時間をとるため沿線には複線化を望む声も多いそうで、たしかにゆったりと設定されたダイヤに思える。近郊が農村だった時代ならこれで良かっただろうが、都会と連絡する今はもう少し速達が望まれるところだ。行路も終盤、期待の寒川付近では車窓に大きな鳥居や参道の緑が見え、初の乗車で完乗1時間、車窓や運転風景を楽しんだ。いつもクルマでばかり来るこのあたりの近郊だが、列車に乗って新たな体験をするのも良いものだ。

JR東日本の新鋭E131系(橋本駅)
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2023年12月26日 (火)

関西鉄道の旅 第2弾(2)近鉄特急「ひのとり」

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近鉄難波駅の「ひのとり」

大阪の味、串カツを堪能した翌日は近鉄特急「ひのとり」で帰京である。と云ってもせっかく運賃をかけて来阪し、すぐに戻るにはあまりにも勿体ない。毎時00分に発車する「ひのとり」の乗車は午後とし、午前中は大阪市の南部にある住吉神社にお参りに行くことにする。これならついでに南海電車と阪堺電車に乗車もできる。ここ住吉神社は全国に2300社ある住吉神社の総本山であり、古代より航海の守護神として崇敬を集めた神社である。古くは難波の津から遣唐使が出発し、江戸時代には北前船の起点・終点となった地ならではの社で、きっと昔は眼前に瀬戸内海が広がっていただろうと想像を廻らしながらの参拝であった。帰路に鳥居の目の前にある電停から乗車した阪堺電車の終点は天王寺駅前。先月麻布台ヒルズが開業するまで日本一高いビルだった「あべのハルカス」で大枚1,800円を払い、地上300mにある展望台からの景色を楽しむことにした。この日は寒く空気が澄んでおり、大阪城はもちろん、その先の「太陽の塔」や京都まで確認することが出来たのは思わぬ余禄となった。地下鉄御堂筋線でなんばに戻ると、この界隈は鉄路が複雑に交差しており地下街も迷宮状態だったが、何とか無事に近鉄難波駅に到着。


大阪難波と近鉄名古屋189.7キロを2時間強で結ぶ近鉄の新しい特急「ひのとり」は、赤い塗装の80000系新型電車によって2020年から運転が開始された。この路線を走る「アーバンライナー」には何度か乗ったことがあったが、「ひのとり」は運行当初から注目していたので初乗車が楽しみだ。妻の大阪出張について行くと言った際には、「京都や奈良はこの季節は寒いし週末でホテルも高いからわざわざ来なくていいのに」と素気なかった妻も、「帰りは『ひのとり』のプレミアムシートにして名古屋から新幹線で帰ろう」と提案したところ、「大阪から帰るのにそんなルートがあったとは!!!」と感心することしきり。こちらは永年鉄道ファンをやっており、出張や旅行の際にはどうルートを設定して楽しむかをいつも考えてきたのだから、こんな初歩的な代替案は" A PIECE OF CAKE ! "である。ついでに名古屋から豊橋まで名鉄で行き、豊橋から新幹線で帰京することも考えたが、寒いなか帰宅時間が遅くなるのでこれはまた次回にとっておくことにした。


ということで、近鉄難波駅でビールや昼食を買い込んで、「ひのとり」のプレミアム車両6号車に乗車する。1号車と6号車のプレミアム車両はハイデッカーで観光気分を十分満喫できるようになっているのが良い。周囲を見れば土曜日の午後とあって14時に発車する乗車車両の座席はすべて埋まっている。シートは通路を挟んで2列+1列の配置で、JALの近距離国際線ビジネスクラスのリクライニングシートと同じようなシェル型座席が並び、シートピッチも十分ある。これなら最近エチケットになったかの座席を倒す際に後ろに「倒して良いですか」との声掛けも不要で、思い切り足が伸ばせて後ろを気にすることもない。一人席には女性客が目立つのは、一人用シートなら彼女たちも隣席を気にする必要がないからだろう。車内販売はない代わりにプレミアムシート車両の1、6号車には自動販売機が設置されており、挽き立てのコーヒーや焼き菓子などを車内で買って楽しめるようになっている。


妻面のサイネージには運転情報のほか、前面展望が時々映し出されるのが目を引くが、この映像は切れ切れで僅かな時間しか流されないのが残念だ。常々このブログでも言ってきたが、今はクルーズ船でも飛行機でも前面展望が流される時代なのに対し、鉄道はこの点で遅れている。「ひのとり」はせっかくカメラを設置しているのだから、スクリーンの一画に運転席からの展望や、列車が走行している位置、できれば標高や線路勾配なども常時表示して欲しいところだ。技術的にはそんなに難しい事ではなかろうが、線路勾配などのニーズはニッチ過ぎるだろうか。乗車した「ひのとり」は大阪の鶴橋駅を出た後は、途中に津駅に停車するのみで、名古屋まで所要時間は2時間8分。運賃2,860円、特急料金1,930円、「ひのとり」特別料金はプレミアム車で900円(レギュラー車200円)で計5,690円(レギュラー車4,990円)である。対する新幹線なら新大阪・名古屋間が所要時間は「のぞみ」なら50分、運賃料金が6,680円、(ひかり・こだまなら1時間前後で6,470円)となる。どちらが良いと思うのかはその人次第ではあるが、私なら飛ぶように流れていく東海道新幹線の車窓よりも、生駒・信貴山系、室生山系、鈴鹿山系の3つのサミットを越え、耳成山や長谷寺近辺の風情ある景色を人間的な速度感覚で楽しめる近鉄に軍配を上げたいと思う。

プレミアム車内
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レトロな風情の住吉鳥居前を走る阪堺電車
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2023年12月24日 (日)

関西鉄道の旅 第2弾(1)山陽電鉄

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山陽電鉄最新の6000系 阪神梅田行 直通特急(高砂駅)

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5000系梅田行 直通特急の車内、金曜日午後とは云え閑散としているのが気懸り

妻が年内最後の大阪出張となり、ここのところ「ワシ」族(妻が行くところにワシもワシもとついて行く定年退職ジジイ)気味の私は、彼女の仕事が終わる頃を見越して関西に向かった。先月出張の際は京都で合流したが、今回はまず一人姫路まで新幹線で行って、山陽電鉄で妻の待つ大阪難波に戻ることに決めた。合流した翌日の帰京コースについては、名古屋まで近鉄の新型特急「ひのとり」に乗車するという趣向で、先月に続き「関西鉄道の旅」第2弾である。まずは予てより乗りたいと思っていた山陽電鉄だが、これはJR線や新幹線が並走する大阪~神戸~姫路間において、わざわざ乗ろうとしない限り乗車の機会がない路線である。時間がかなり自由になる身になった今だからこそ、ちょっと気になっていた交通機関をあえて利用する旅が出来るというものだ。


昭和30年代後半、父の転勤で神戸市東部の灘区に住んだことがあったが、当時の鉄道少年の関心と云えば、やはり阪神電鉄 VS 阪急電鉄であった。大阪・神戸間の山側に路線を持ち、駅間も長く高速運転をする阪急電車に対し、海側の商工業地帯を走り抜け、駅数も多いが、高加速・高減速でこまねずみのような運転で走るのが阪神電車で、この両社の競争は当時大いに気になったものだ。一方で神戸の西部から明石や姫路へ向かう山陽電車は、その頃は路面を走る区間もあり、17米の旧型車両や国鉄の払い下げ車両も多く、コトコトと田舎へ向かう中くらいの規模の鉄道という印象であった。その山陽電車が1968年(昭和43年)第三種事業者である神戸高速鉄道の開業によって、阪急や阪神とレールが繋がった。かつては2~4両でのんびり走っていた郊外電車が、阪急・阪神と云う大手私鉄に乗り入れることによってどう変わったのか、その後の発展が気になっての山陽電鉄である。


とは云うものの山陽と阪急電鉄との相互乗り入れは、1984年(昭和59年)に阪急六甲駅で起きた事故によりその後は中止になっている。当時、阪急・阪神に乗り入れる山陽鉄道の車両は乗務員もそのまま乗り入れ先まで乗務しており、ダイヤを勘違いした山陽の運転士が、阪急六甲駅で出発赤信号を無視、側線から本線に乗り入れたところに、本線を走ってきた後続の阪急梅田行き特急列車が突っ込んだ事故であった。以来、山陽は阪神電鉄のみと直通運転を実施しており、現在は阪神梅田駅から高速神戸駅までの33.6キロと高速神戸から山陽姫路駅まで58.2キロ、計91.8キロを阪神・山陽の相互乗り入れ6両編成の直通特急が十数分おきに運転されている(いまは阪神車、山陽車に関わらず高速神戸で乗務員はすべて交代)。今回はその山陽姫路から阪神梅田まで、気の趣くままに乗り降りをして山陽電鉄のあれこれを味わってみることにした。


ということで、例によって「大人の休日倶楽部」の3割引切符を使い、新幹線「ひかり」で姫路城の威容が見渡せる姫路駅にやってきた。山陽電鉄の姫路駅はJR姫路駅の真向かいにあって乗り換えもごく便利である。もっとも大阪方面から新幹線でやって来たのに、ここで何もせず直ちに折り返し、山陽電車で大阪に戻るなどという酔狂な客はまずいないだろう。始発の姫路駅からは阪神乗り入れ梅田行き直通特急の5000系クロスシート車に乗車。金曜日の午後とあって乗車する人は少なく車内は空席も目立つ。例によってかぶりつきで10分ほど前面展望を楽しむうち、大塩駅で待ち合わせた各停の神戸新開地行きが、懐かしの3000系車両であるのを見てこちらに乗り換えることにした。そう云えば、3000系は1964年から配備された山陽の顔とも云うべき車両で、その頃に全国で配置された国鉄の東海型や165系電車などと前面形状が瓜二つだった。国鉄と私鉄なのに車両のデザインがそっくりなのが気になって、手慰みに下の絵を描いたことからすると当時は相当3000系が気になっていたことが分かるが、50年以上経ってその車両に乗車しているのに気が付いて嬉しくなった。


各駅停車の旅をしばし楽しみ、この日は再び高砂駅で後続の6000系直通特急に乗車して終点の大阪梅田に向かう。最高110キロで疾駆する山陽電車の路線条件は播州平野では良好で、標準軌1435ミリにロングレールの路盤もしっかり整備されており、乗り心地はすこぶる快適。6両編成の直通特急に乗っていると、「私鉄に乗るならやはり関西だ」と思うと共に、通勤対策や過密運転に追われる関東の私鉄に同情したくなる。もっとも神戸近くになっても、車内に立つ客もない山陽電鉄は、ゆったりと乗る分には良いが経営は楽ではないそうだ。原因は日本製鉄広畑製鉄所の高炉廃止など地域産業の伸び悩み、沿線のモータリーゼーションに加え、なにより速達性重視のJR新快速の攻勢で山陽は守勢にまわっているらしい。昔から気になっていた山陽電車である。スピードはJRに敵わぬとも、阪神電鉄とこれだけ相互乗り入れをしているのだから、その先に線路が繋がる近鉄奈良線に乗り入れ、姫路城と奈良という2大世界遺産を直接結ぶ新型観光電車でも走らせ売り上げ促進を図ったらどうだろうか。この列車、山陽電鉄の須磨浦公園で一休みを置くのも一興。山陽/阪神/近鉄を結ぶ特別列車が出来たら絶対に乗ってみたいと一鉄道ファンとして勝手な夢を描いている。(続く)

高校生の頃に暇まかせに書いたイラスト
左画)当時、阪神車両と阪急車両が神戸高速鉄道を介して山陽鉄道内で同じ線路を走っていた。左線(上り)の阪急列車/右線(下り)の阪神列車のライバル同士が(旧)山陽西代駅で顔合わせする様子
右画)方向幕と前照灯の位置こそ違うがデザインがそっくりな国鉄165系と山陽3000系
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2023年12月 4日 (月)

そうだ、京都へ行こう ! 琵琶湖疎水とインクライン。

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京都東山・蹴上(けあげ)付近の琵琶湖疎水

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インクライン: 蹴上から鉄製台車に乗って小舟は京都市内の水路に運ばれた


日本で鉄道が開業したのはよく知られるように、明治5年(1972年)で、場所は新橋・横浜間である。それでは初めて電車が走ったのはどこで、いつであったか。こちらは明治28年(1895年)のことで、京都の伏見と京都駅前を結ぶ路線(路面電車)が日本初の営業用電車として京都電気鉄道(のち京都市電に買収される)によって開業している。京都はわが国の電車発祥の地である。なぜ電車が走り始めたのが、首都・東京でも商都・大阪でもなく京都だったのだろうか。その疑問を解く鍵が琵琶湖疎水にあった。今回、京都の旅にあたり、せっかく京阪京津線と京都地下鉄に乗車するなら、この路線の途中駅、蹴上(けあげ)駅近くにある、明治時代の産業遺構、琵琶湖疎水やインクラインを見ようと思い立った。


琵琶湖疎水とは、第三代の京都府知事であった北垣国道によって進められた、琵琶湖と京都市内を結ぶ運河である。明治維新の後、東京遷都によって、京都は産業が衰退し人口も大きく減ってしまったが、北垣は町の再生を期して琵琶湖から京都市内へ運河を掘ることとし、工部大学校(のち東大工学部)の若き才能 田邊朔郎を迎え、莫大な工事費をかけて、明治18年(1895年)に疎水を造る工事に着手した。途中、京都市東部の蹴上付近では、急坂のために水路が開設できないので水の流れの傍らに長さ600米ほど、急傾斜に線路を敷き、運河を行き来する舟艇は線路上の台車に乗せ、巻き上げ機(当初は水力で計画、のち電力を使用)を動力にここを上下する設備を作った(京都市内は別の水路を利用)。米語ではケーブル鉄道のことをインクラインと云うが、運河開削の責任者であった田邊朔郎はアメリカの土木技術から多くを学んだそうで、この耳慣れぬ用語を小舟運搬の仕掛けにあてはめたのだろう。


東京にいるとピンとこないが、琵琶港の標準水位は国交省などの資料を見ると標高約84米ほどに対し、京都市内の標高と云えば京都駅近辺で27米ほどである。琵琶湖湖畔の大津から京都市内まで直線距離にして10キロにも満たない2地点の標高差が50米以上もあるため、まっすぐ直接水を流せばその流れはかなりの急流になることだろう。ちなみに江戸時代前期に開通した多摩川上水(多摩川羽村~四谷)は長さ43キロで高低差が92米であるから、距離が10キロなら20米ほどの高低差であり、これを見ても琵琶湖・京都間にそのまま水路を作れば、かなりの急勾配にならざるを得ないことが分かる。琵琶湖疎水は灌漑用や上水道、工場用水、水力発電に利用されたほか、貨物や旅客を運ぶための小舟を通行させるのが主な用途であったから、それなりの流水量が必要であり、また手漕ぎの小舟が上下するためには穏やかな流れである必要があったはずだ。このような用途のために大津・京都間の逢坂山は長いトンネルを掘削して水を通し、勾配は一定以下にする必要から舟運用の水路は琵琶湖から標高差があまりない京都の東山までとし、そこに堰を設け、以西はインクラインに舟を乗せて京都市内の水路に連絡することにしたと思われる。これはまた灌漑用になるべく高い土地に水を流す目的もあったそうだ。


こうして琵琶湖の大津にある取水口からインクラインまで8キロ余り、水位差が4米、勾配は2000分の1の穏やかな流れが完成したが、正確な測量を行ったうえ、重機械もない明治初期に長いトンネルを掘って、運河を開削したのは大変な工事であったろうと設計者や現場の労苦が偲ばれる。東海道本線や北陸本線が開通するまでは、琵琶湖の舟運といえば日本海側や関ケ原以東の各地と京都や大阪など関西圏を結ぶ物流や人流のハイウエイであった。琵琶湖の対岸から集まった全国からの貨物や旅人を京都に運ぶために、幾多の困難を乗り越えて北垣国道が運河を開くことを決意したことは明治人の心意気を見るようだ。こうして疎水は明治23年(1890年)に完成(その後明治45年(1912年)に第2疎水完成)、翌明治24年(1891年)に日本最初の一般供給用水力発電所がここ蹴上の地で稼働し、京都の町に電気が送られることになった。京都の町は全国でもいち早く電力の恩恵に預かることになり、発電所稼働後4年にして日本で初めての電車がこの地で動くことになったのである。琵琶湖疎水の構築が、京都に於いて我が国初の電車の運転に繋がったわけで、北垣国道もさぞや喜んだことであろう。蹴上駅で地下鉄を降りた時は最寄の南禅寺を参拝しようと考えていたが、入場無料の疎水記念館をゆっくり見学しているうち時間がなくなり、南禅寺は次にまた来ようということになってしまった。どうも寺社仏閣より、産業遺構の方に我々は興味があるようだ。

インクラインの線路は急勾配を京都市内へ向かい下の水路まで下る
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南禅寺奥の院前の水道橋(水路閣):琵琶湖疎水を来た舟はインクラインへ、水の流れは発電所や浄水場へ導管で導かれるほか、この水道橋などを伝って下に流れる。
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2023年12月 2日 (土)

そうだ、京都へ行こう !  京阪京津線など私鉄の旅。

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紅葉をバックに阪急嵐山駅

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嵐電のレトロ車両 27号

最近また働き始めた妻が、先週は大阪に出張というので、一緒に関西に行き、仕事後についでに2人で京都見物をすることにした。私自身、年齢とともに「ワシも一緒、ワシも一緒に」と妻の尻にくっついて外出する「ワシ族」にだんだん近づいているような危惧は感じているのだが、京都は2人とも久しく訪れていないのでちょうど良い機会である。京都観光といえば寺社仏閣めぐり!と相場は決まっているが、それはまたいつでもできる。今回は鉄道乗車体験をメインに京都近辺をぐるっと回ってみることにした。何しろ京都と云えば、日本で初めて営業用の電車が走った都市であり、今も市の中心部から四方へJR線や民鉄の路線が伸びる鉄道の町でもある。先年、梅小路にある「京都鉄道博物館」を楽しんだのはここでアップした(2021年7月25日)通りで、京都は鉄道ファンにとっても魅力あふれる土地なのだ。


仕事が終わって梅田から阪急京都線で駆け付けた妻と合流した翌日は天気も良く、一日かけて京都鉄道の旅である。前夜宿泊した市の中心部、四条烏丸のビジネスホテルを出てまずは紅葉の嵐山へ、最寄駅から乗った阪急京都線を桂駅で乗り換えて阪急嵐山線に。マルーン色の車体、木目調化粧板の車内、緑色シート、銀色の窓枠に一段降下窓とこだわりの阪急電車に乗ると、いつも「ああ、関西に来たな」という実感が湧いてくる。阪急嵐山駅を降りて渡月橋を渡り、今がまさに見ごろの紅葉を堪能し、ついでに天龍寺の国の特別名勝「曹源池庭園」を見た後は、京福電鉄嵐山線(嵐電)で市内へとってかえすことにした。それにしても平日と云うのに、京都はどこへ行っても凄い人出で、歩道をまっすぐ歩くのも難しいほどだ。見れば日本人は3割~4割ほどで、海外からは中国人と韓国人が半分、残りは英語、スペイン語、ドイツ語、仏語などが聞こえ世界中から観光客が押し寄せていることを実感する。


嵐電の嵐山駅からは懐かしい釣り駆け駆動、コンプレッサーの音も勇ましい2両編成の四条大宮行 電車に乗った。乗車した26号車は台車や制御装置は旧車から流用され、外観・内装はレトロ調で纏められていて、いかにも古都観光地の電車と云う風情たっぷり。軌道鉄道(路面電車)である嵐山線は、本来はワンマンカー単行での運転を基本としているらしく、2両目(621号)では降車口である前部運転台に車掌が乗車し運賃収受をしている光景が珍しい。どうやら平日の昼間も観光客で一杯なので、いまは2両で運転されている電車が多いようだ。古くからの軌道線と云えば東急世田谷線で見られるように無閉塞が原則でありながら、ここでは自動閉塞方式を採用しており、線路際に立派な信号柱が並んでいるのがさすが関西私鉄と改めて感心する。直通空気ブレーキの制動ハンドルをこまめに動かしながら停車位置にぴったりと止まる懐かしい運転を見ているうちに、ほどなく京都市営地下鉄 東西線の乗換駅である嵐電天神川に到着した。


さて、ここからが今回の旅の目的である京阪電鉄 京津線800系電車に乗車となる。かつて三条京阪駅とびわ湖浜大津駅を結んでいた京阪電鉄 京津線(軌道線)は、1998年の東西線開業とともに京都市街地は地下鉄線に乗り入れるようになり、両線を直通する電車は地下鉄・登山電車・軌道線(市電)の3つの顔を持つ路線を走ることになった。地下鉄内はキャブ内信号によるATC運転、京阪電車に接続する御陵(みささぎ)駅以東は京阪のATS制御、終点浜大津の手前800米は、県道の上を一般の交通信号に従って目視確認も必要な路線である。京都・大津間にある逢坂山は最急勾配61パーミル(1000米進む間に61米上がる)、かつ最小曲線半径40Rのカーブで超えるが、これはアプト式などに頼らない通常の粘着運転では箱根登山鉄道(最大80パーミル)に次いでわが国2番目の急勾配である。ここを先ほどまで京都の下を走っていた長さ16.5米 X 4両編成の地下鉄が駆け上る。ちなみにJR線の運転規則では最急勾配は35パーミル、また陸上競技場の400米トラックの曲走路における最も内側のレーンは半径40米弱のカーブだから、この線ががいかに急坂・急カーブなのかがわかる。


地下鉄東西線の御陵駅で地下鉄から京阪の運転士に乗務員が交代し、キャブ後ろのブラインドが全開になるや、我々も例によって「かぶりつき」に陣取ることにする。ほどなく地上に出た電車は、東海道本線をアンダーパスし、山科付近からの上り勾配を全動力車(4M)のパワーでグングン突き進んだ。ところどころ線路際の勾配票の腕木には急坂を表す数字が、曲線票には線路曲線半径を示す数字が表示され、速度制限や制限解除の表示も次々と眼前に飛び込んでくるので、前面展望からいっときも目を離すことができない。急カーブには騒音防止と設備摩耗を防ぐ水まきスプリンクラーが設置されているし、急勾配の途中には坂道のような駅もあって、あれこれと観察するのにとても忙しい。そうこうするうち、電車はサミットの逢坂山トンネルを超えて、琵琶湖へ向かって下り始めた。思う間もなく最後は県道に出て路面電車となり、交通事故に巻き込まれないよう慎重な運転で終点のびわ湖浜大津駅に到着。この間、御陵駅から浜大津駅まで7.5キロ、約25分の興奮の「かぶりつき」の旅だった。最後に浜大津駅の案内所駅員に「雨や雪の日、落ち葉などで急勾配では空転や滑走もあるのですか?」と聞くと「ええ、まあ」と苦笑いの返事が返ってきた。同じ車両に乗りながら地下鉄から路面電車まで一挙に楽しめるとあって「これまででで一番楽しいかぶりつき体験」だったが、このような難所を越えて定時運転を維持するのは大変な苦労があることだろう。(続く)

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京阪 京津線800系前面展望 線路左下・腕木の勾配票は下り41.3‰(だったと思う)表示

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京阪・京津線 ところどころに水まきの設備

2023年7月20日 (木)

恨めしの山陽新幹線500系

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姫路駅の500系(2019年6月)

三原港で「シースピカ」号による「せとうち島旅クルーズ」を下船した後は、「大人の休日倶楽部・ジパング」を利用し3割引きの新幹線で帰京することにした。といってもジパングの3割引は「のぞみ」号の特急券には適用されないため、三原駅から新大阪駅までは山陽新幹線「こだま」または「さくら」の自由席を利用し、その後は「ひかり」の指定席で手堅く東京まで帰って来ることに。旅行前に時刻表を詳細にチェックしていた妻は「もっと早く帰れる「こだま」もあるけれど、一時間半待てば『500系こだま』が来る」と目を輝かせるので、三原を15時12分に出る500系「こだま854号」新大阪行き(自由席)に乗車することにし、これに接続する新大阪からの「ひかり518号」の指定券をあらかじめ取っておいた。妻は500系新幹線が東京-博多間にデビューした当初から乗ってみたいと思っていたものの乗車の機会がなく、そのうち500系車両は新大阪以西を走る8両編成の「こだま」号のみに運用されるようになってしまい、文字通り遠い存在になったそうだ。いまや500系「こだま」が山陽新幹線で博多方面から新大阪まで運転されるのは1日4本のみとあって、その後もなかなか乗車できぬことを嘆いていたが、今回は三原駅を使うことになり千載一遇のチャンス到来とのことである。


とは言え、私は500系の車両は余り好きではない。1996年に導入された500系新幹線は、山陽区間での300キロ運転に備え、ロケットのような流線形胴体を採用したために車内は狭かったし、乗り心地もごつごつと固いような感じがしたものだ。今は昔の会社員時代、広島県などの取引先へ出張する際には、現地で午後の商談ができるように、東京駅を7時50分に出発する500系の「のぞみ5号」(2006年以降は「のぞみ9号」)を利用することが多かった。当時は現役バリバリで週に何度も飲めや歌えの接待や宴会続き、前の晩の酔いも醒めないまま「のぞみ5号」に飛び乗ったものの、総務係が取ってくれた指定席がたまたま3人掛けの真ん中でもあろうものなら車内の狭さに息苦しさを感じつつ、かなりの乗客が下車する名古屋までひたすら目を閉じて二日酔いを耐えたものだった。500系と聞くだけでその時感じた圧迫感や突き刺さるような振動( これは二日酔いによる個人的な経験かもしれないが )を思い出してしまい、私にとってはあまり印象がよくないのである。


これまでにも妻と旅行する際には、何度か500系に乗りたいとのリクエストがあったにも関わらず、わざわざ時間を調整してまで「あの」500系に乗ることもないとその要求は即座に却下してきたが、今回は三原駅で1時間半の待ちは発生するものの、妻たっての希望の500系にようやく乗る機会が巡って来たのである。ところがこの日、三原港で「シースピカ」号を下船し、大雨の中を歩いて三原駅にやって来ると、改札前で数組の旅行客が駅員と話している光景が目に入ってきた。どうやら山口県内の豪雨のため、在来線の三原から西に向かう全列車は動いておらず、山陽新幹線も西から来る上り列車のダイヤが大混乱しているらしい。この一年半、東海道・山陽新幹線を利用する際に「線路内立ち入り」「豊橋付近の豪雨」で運転見合わせが2回あって、どうもこの新幹線にはついていないが、梅雨時の旅行とあれば大雨も仕方がない。こういう場面ではなるべく早く来た列車で、原因となる地域から離れるのが良策と考え、500系「こだま854」乗車を諦め、まず最初に三原にやってきた上り旧「ウエストひかり」編成の「こだま852」で岡山に向かい、新大阪発の「ひかり518」の指定券は無駄になるが、乗り継げれば岡山始発の「ひかり516」の自由席で帰京することとした。


妻は落胆の様子を露骨に示しているが、その時点で乗車予定の500系の「こだま854」はまだ線状降水帯の発生している山口県内を大幅に遅れながらこちらに向かっており、この後の天気次第ではいつ三原に到着するかもわからない。私はやって来た旧「ウエストひかり」(レールスター)編成の2+2の快適なシートに内心シメシメと思いつつ、「これは天変地異だからしょうがないよ」「経験的にとにかく来た列車に乗って目的地へ近付いた方が良い、駅員さんもそう言ったじゃないか」と渋る妻を強引に「こだま852」の車内に押し込み、終点の岡山駅で若干遅れ気味の始発「ひかり516」の自由席に乗車したのであった。500系乗車を諦めきれない妻は、その後もJR東海の列車走行位置サイトをスマホでチェックしては、遅れの500系「こだま852」に乗っても、乗り継ぎ時間30分で新大阪から予約していた「ひかり518」の発車も遅れたため、結果としては乗り継げて帰って来られたのにと、いつまでもブツブツと未練がましく呟いている。そのあまりの落ち込みぶりにちょっと気の毒になり、「次は必ず500系に乗車する西日本の『こだま』の旅を企画するから」と、無事に帰京した後もまた夏~秋の山陽新幹線の鉄道旅行プランを考え始めるのである。

2023年5月29日 (月)

黒部峡谷鉄道 トロッコ電車

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スリル満点の車窓

飛鳥Ⅱクルーズの翌週は「人気観光地が目白押し!黒部峡谷トロッコ電車・立山黒部アルペンルート・上高地を1日1か所ずつめぐる充実3日間」の旅に行って来た。このところ毎週毎週遊びで忙しい。今回の旅はJR東日本系の”びゅう”が主催する添乗員付き団体旅行(2泊)である。かねてより一度乗りたいと思っていた黒部のトロッコ電車に乗車し、私にとっては50年ぶりとなるアルペンルートと、40年ぶりの上高地を一挙に効率よく回ってくれる旅という事で参加したものである。旅の初日は、一同25名+添乗員の計26名で東京地区から北陸新幹線に乗り黒部宇奈月温泉駅で下車、観光バスで黒部峡谷鉄道の始発駅・宇奈月駅に行き、黒部峡谷トロッコ電車に乗車する日程である。やって来た宇奈月は富山から伸びる富山地方鉄道の終着駅で、地鉄の宇奈月温泉駅ターミナルに隣接してトロッコ列車の基地が拡がり、その山側に黒部峡谷鉄道の宇奈月駅があった。宇奈月から黒部川の渓谷に沿って上流の欅平までの20.1キロ、大正時代末期から昭和初期~戦前にかけて、電源開発のダム資材輸送のために762ミリのナローゲージで敷設されたのが黒部峡谷鉄道である。同鉄道は1953年に地方鉄道の免許を得て観光輸送にも乗り出し、冬季以外に運転されるトロッコ列車が有名になったが、鉄路はまだ資材の輸送にも使われており、会社は関西電力の完全子会社になっている。


1時間に1本ほどの間隔で運転されるトロッコ電車(本当は電気機関車牽引なのでトロッコ列車というべきだが、同鉄道のホームページには「トロッコ電車」とあるためここでも電車とする)は、直流600ボルトの動力源によって運転される。ここでは主に日立製作所製のEDR型と呼ばれる全長7米弱の直流電気機関車により、10両余り(乗客の波動で客車の編成両数は変化するようだ)の客車が牽引されて渓谷に沿った鉄路を登り下りしている。重連総括制御の電気機関車は抑速にエアの他に発電ブレーキを使用、常に列車の先頭に立つプル牽引運転で、標高223米の宇奈月駅から599米の欅平まで、アプト式などではなく粘着方式の運転である。主力のEDR型の他に、粘着性能に優れたインバータ制御・交流モーターのEDV型という新鋭機関車(川重製)もあり、こちらは回生ブレーキを装備しているとのこと。いずれの機関車も台車には空転防止対策のとても大きな砂まき装置が目立つ。客車はオープンタイプのトロッコ車両と、客席がエンクローズされるリラックス客車(こちらは追加料金が必要)の2種類があり、定員は1両20名~30名、いずれも全長は7米強のボギー車両でアルナ工機製であった。編成後尾はボハフ呼ばれる客車で、多分ボはボギー車、ハは普通車、フは手ブレーキ装着を指していると思われ、最後尾には車掌が乗務している。アルナ工機と云えば路面電車の製造が得意であり、かつ関西私鉄の雄である阪急電鉄の子会社であることを考えると、こちら関西電力の完全子会社でナローゲージ鉄道の車両にはアルナ工機製が打ってつけという感じもする。全線単線の運転だが、安全を担保する信号系統は、ATSのようなシステムが構築されているようで、軌道内には地上子が置かれていた。


この鉄道は、旧国鉄の東京起点による列車分類方法を踏襲しているらしく、終点の欅平に登るのが下り列車、起点の宇奈月に下るのが上り列車となっているのが面白い。トロッコ車両に乗車して宇奈月駅を出発すると、車内は地元富山県出身の女優室井滋さんの解説放送が流れ、沿線の様子や鉄道の沿革が分かるようになっていた。黒部峡谷のV字谷に沿って山あり谷ありダムありで、トンネルや橋梁の連続する線路の周囲は、インディジョーンズの映画に出てくるかのスリル溢れる光景が展開する。急カーブの度に車輪とレールの擦れる”キーキー”という摩擦音を派手に響かせつつ、「電車」は最高でも時速25キロ程度で急峻な崖沿いにゆったりと走った。乗車して約1時間、我々”びゅう”団体客は、なぜか終点の欅平まで行かず、2.6キロ手前の鐘釣駅で下車して、黒部川対岸の万年雪の雪渓を眺め、河原の露天風呂付近を散策したが、見るとクラツーなど他の団体も皆ここで降りている。多分終点の欅平まで行くと時間がかかるので、日程管理のために団体客は皆がここで折り返すことになっているようだ。どうせなら終点まで行ってみたいところだが、このあたりが自由の効かない団体旅行の辛いところである。鉄オタの為に、本鉄道に関するより詳しい技術的な資料や展示、説明パンフレットが欲しかったが、そんな客はごく少数だろうからこれまた仕方がない。釣鐘駅より「下りの上り列車」で宇奈月まで戻ってくると総時間は4時間余り、冒険心が刺激される峡谷鉄道の旅であった。天気も順調でこうして旅が始まった。

最新の電機EDV型と途中駅で列車交換
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