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2023年12月26日 (火)

関西鉄道の旅 第2弾(2)近鉄特急「ひのとり」

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近鉄難波駅の「ひのとり」

大阪の味、串カツを堪能した翌日は近鉄特急「ひのとり」で帰京である。と云ってもせっかく運賃をかけて来阪し、すぐに戻るにはあまりにも勿体ない。毎時00分に発車する「ひのとり」の乗車は午後とし、午前中は大阪市の南部にある住吉神社にお参りに行くことにする。これならついでに南海電車と阪堺電車に乗車もできる。ここ住吉神社は全国に2300社ある住吉神社の総本山であり、古代より航海の守護神として崇敬を集めた神社である。古くは難波の津から遣唐使が出発し、江戸時代には北前船の起点・終点となった地ならではの社で、きっと昔は眼前に瀬戸内海が広がっていただろうと想像を廻らしながらの参拝であった。帰路に鳥居の目の前にある電停から乗車した阪堺電車の終点は天王寺駅前。先月麻布台ヒルズが開業するまで日本一高いビルだった「あべのハルカス」で大枚1,800円を払い、地上300mにある展望台からの景色を楽しむことにした。この日は寒く空気が澄んでおり、大阪城はもちろん、その先の「太陽の塔」や京都まで確認することが出来たのは思わぬ余禄となった。地下鉄御堂筋線でなんばに戻ると、この界隈は鉄路が複雑に交差しており地下街も迷宮状態だったが、何とか無事に近鉄難波駅に到着。


大阪難波と近鉄名古屋189.7キロを2時間強で結ぶ近鉄の新しい特急「ひのとり」は、赤い塗装の80000系新型電車によって2020年から運転が開始された。この路線を走る「アーバンライナー」には何度か乗ったことがあったが、「ひのとり」は運行当初から注目していたので初乗車が楽しみだ。妻の大阪出張について行くと言った際には、「京都や奈良はこの季節は寒いし週末でホテルも高いからわざわざ来なくていいのに」と素気なかった妻も、「帰りは『ひのとり』のプレミアムシートにして名古屋から新幹線で帰ろう」と提案したところ、「大阪から帰るのにそんなルートがあったとは!!!」と感心することしきり。こちらは永年鉄道ファンをやっており、出張や旅行の際にはどうルートを設定して楽しむかをいつも考えてきたのだから、こんな初歩的な代替案は" A PIECE OF CAKE ! "である。ついでに名古屋から豊橋まで名鉄で行き、豊橋から新幹線で帰京することも考えたが、寒いなか帰宅時間が遅くなるのでこれはまた次回にとっておくことにした。


ということで、近鉄難波駅でビールや昼食を買い込んで、「ひのとり」のプレミアム車両6号車に乗車する。1号車と6号車のプレミアム車両はハイデッカーで観光気分を十分満喫できるようになっているのが良い。周囲を見れば土曜日の午後とあって14時に発車する乗車車両の座席はすべて埋まっている。シートは通路を挟んで2列+1列の配置で、JALの近距離国際線ビジネスクラスのリクライニングシートと同じようなシェル型座席が並び、シートピッチも十分ある。これなら最近エチケットになったかの座席を倒す際に後ろに「倒して良いですか」との声掛けも不要で、思い切り足が伸ばせて後ろを気にすることもない。一人席には女性客が目立つのは、一人用シートなら彼女たちも隣席を気にする必要がないからだろう。車内販売はない代わりにプレミアムシート車両の1、6号車には自動販売機が設置されており、挽き立てのコーヒーや焼き菓子などを車内で買って楽しめるようになっている。


妻面のサイネージには運転情報のほか、前面展望が時々映し出されるのが目を引くが、この映像は切れ切れで僅かな時間しか流されないのが残念だ。常々このブログでも言ってきたが、今はクルーズ船でも飛行機でも前面展望が流される時代なのに対し、鉄道はこの点で遅れている。「ひのとり」はせっかくカメラを設置しているのだから、スクリーンの一画に運転席からの展望や、列車が走行している位置、できれば標高や線路勾配なども常時表示して欲しいところだ。技術的にはそんなに難しい事ではなかろうが、線路勾配などのニーズはニッチ過ぎるだろうか。乗車した「ひのとり」は大阪の鶴橋駅を出た後は、途中に津駅に停車するのみで、名古屋まで所要時間は2時間8分。運賃2,860円、特急料金1,930円、「ひのとり」特別料金はプレミアム車で900円(レギュラー車200円)で計5,690円(レギュラー車4,990円)である。対する新幹線なら新大阪・名古屋間が所要時間は「のぞみ」なら50分、運賃料金が6,680円、(ひかり・こだまなら1時間前後で6,470円)となる。どちらが良いと思うのかはその人次第ではあるが、私なら飛ぶように流れていく東海道新幹線の車窓よりも、生駒・信貴山系、室生山系、鈴鹿山系の3つのサミットを越え、耳成山や長谷寺近辺の風情ある景色を人間的な速度感覚で楽しめる近鉄に軍配を上げたいと思う。

プレミアム車内
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レトロな風情の住吉鳥居前を走る阪堺電車
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2023年12月24日 (日)

関西鉄道の旅 第2弾(1)山陽電鉄

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山陽電鉄最新の6000系 阪神梅田行 直通特急(高砂駅)

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5000系梅田行 直通特急の車内、金曜日午後とは云え閑散としているのが気懸り

妻が年内最後の大阪出張となり、ここのところ「ワシ」族(妻が行くところにワシもワシもとついて行く定年退職ジジイ)気味の私は、彼女の仕事が終わる頃を見越して関西に向かった。先月出張の際は京都で合流したが、今回はまず一人姫路まで新幹線で行って、山陽電鉄で妻の待つ大阪難波に戻ることに決めた。合流した翌日の帰京コースについては、名古屋まで近鉄の新型特急「ひのとり」に乗車するという趣向で、先月に続き「関西鉄道の旅」第2弾である。まずは予てより乗りたいと思っていた山陽電鉄だが、これはJR線や新幹線が並走する大阪~神戸~姫路間において、わざわざ乗ろうとしない限り乗車の機会がない路線である。時間がかなり自由になる身になった今だからこそ、ちょっと気になっていた交通機関をあえて利用する旅が出来るというものだ。


昭和30年代後半、父の転勤で神戸市東部の灘区に住んだことがあったが、当時の鉄道少年の関心と云えば、やはり阪神電鉄 VS 阪急電鉄であった。大阪・神戸間の山側に路線を持ち、駅間も長く高速運転をする阪急電車に対し、海側の商工業地帯を走り抜け、駅数も多いが、高加速・高減速でこまねずみのような運転で走るのが阪神電車で、この両社の競争は当時大いに気になったものだ。一方で神戸の西部から明石や姫路へ向かう山陽電車は、その頃は路面を走る区間もあり、17米の旧型車両や国鉄の払い下げ車両も多く、コトコトと田舎へ向かう中くらいの規模の鉄道という印象であった。その山陽電車が1968年(昭和43年)第三種事業者である神戸高速鉄道の開業によって、阪急や阪神とレールが繋がった。かつては2~4両でのんびり走っていた郊外電車が、阪急・阪神と云う大手私鉄に乗り入れることによってどう変わったのか、その後の発展が気になっての山陽電鉄である。


とは云うものの山陽と阪急電鉄との相互乗り入れは、1984年(昭和59年)に阪急六甲駅で起きた事故によりその後は中止になっている。当時、阪急・阪神に乗り入れる山陽鉄道の車両は乗務員もそのまま乗り入れ先まで乗務しており、ダイヤを勘違いした山陽の運転士が、阪急六甲駅で出発赤信号を無視、側線から本線に乗り入れたところに、本線を走ってきた後続の阪急梅田行き特急列車が突っ込んだ事故であった。以来、山陽は阪神電鉄のみと直通運転を実施しており、現在は阪神梅田駅から高速神戸駅までの33.6キロと高速神戸から山陽姫路駅まで58.2キロ、計91.8キロを阪神・山陽の相互乗り入れ6両編成の直通特急が十数分おきに運転されている(いまは阪神車、山陽車に関わらず高速神戸で乗務員はすべて交代)。今回はその山陽姫路から阪神梅田まで、気の趣くままに乗り降りをして山陽電鉄のあれこれを味わってみることにした。


ということで、例によって「大人の休日倶楽部」の3割引切符を使い、新幹線「ひかり」で姫路城の威容が見渡せる姫路駅にやってきた。山陽電鉄の姫路駅はJR姫路駅の真向かいにあって乗り換えもごく便利である。もっとも大阪方面から新幹線でやって来たのに、ここで何もせず直ちに折り返し、山陽電車で大阪に戻るなどという酔狂な客はまずいないだろう。始発の姫路駅からは阪神乗り入れ梅田行き直通特急の5000系クロスシート車に乗車。金曜日の午後とあって乗車する人は少なく車内は空席も目立つ。例によってかぶりつきで10分ほど前面展望を楽しむうち、大塩駅で待ち合わせた各停の神戸新開地行きが、懐かしの3000系車両であるのを見てこちらに乗り換えることにした。そう云えば、3000系は1964年から配備された山陽の顔とも云うべき車両で、その頃に全国で配置された国鉄の東海型や165系電車などと前面形状が瓜二つだった。国鉄と私鉄なのに車両のデザインがそっくりなのが気になって、手慰みに下の絵を描いたことからすると当時は相当3000系が気になっていたことが分かるが、50年以上経ってその車両に乗車しているのに気が付いて嬉しくなった。


各駅停車の旅をしばし楽しみ、この日は再び高砂駅で後続の6000系直通特急に乗車して終点の大阪梅田に向かう。最高110キロで疾駆する山陽電車の路線条件は播州平野では良好で、標準軌1435ミリにロングレールの路盤もしっかり整備されており、乗り心地はすこぶる快適。6両編成の直通特急に乗っていると、「私鉄に乗るならやはり関西だ」と思うと共に、通勤対策や過密運転に追われる関東の私鉄に同情したくなる。もっとも神戸近くになっても、車内に立つ客もない山陽電鉄は、ゆったりと乗る分には良いが経営は楽ではないそうだ。原因は日本製鉄広畑製鉄所の高炉廃止など地域産業の伸び悩み、沿線のモータリーゼーションに加え、なにより速達性重視のJR新快速の攻勢で山陽は守勢にまわっているらしい。昔から気になっていた山陽電車である。スピードはJRに敵わぬとも、阪神電鉄とこれだけ相互乗り入れをしているのだから、その先に線路が繋がる近鉄奈良線に乗り入れ、姫路城と奈良という2大世界遺産を直接結ぶ新型観光電車でも走らせ売り上げ促進を図ったらどうだろうか。この列車、山陽電鉄の須磨浦公園で一休みを置くのも一興。山陽/阪神/近鉄を結ぶ特別列車が出来たら絶対に乗ってみたいと一鉄道ファンとして勝手な夢を描いている。(続く)

高校生の頃に暇まかせに書いたイラスト
左画)当時、阪神車両と阪急車両が神戸高速鉄道を介して山陽鉄道内で同じ線路を走っていた。左線(上り)の阪急列車/右線(下り)の阪神列車のライバル同士が(旧)山陽西代駅で顔合わせする様子
右画)方向幕と前照灯の位置こそ違うがデザインがそっくりな国鉄165系と山陽3000系
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2023年12月 4日 (月)

そうだ、京都へ行こう ! 琵琶湖疎水とインクライン。

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京都東山・蹴上(けあげ)付近の琵琶湖疎水

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インクライン: 蹴上から鉄製台車に乗って小舟は京都市内の水路に運ばれた


日本で鉄道が開業したのはよく知られるように、明治5年(1972年)で、場所は新橋・横浜間である。それでは初めて電車が走ったのはどこで、いつであったか。こちらは明治28年(1895年)のことで、京都の伏見と京都駅前を結ぶ路線(路面電車)が日本初の営業用電車として京都電気鉄道(のち京都市電に買収される)によって開業している。京都はわが国の電車発祥の地である。なぜ電車が走り始めたのが、首都・東京でも商都・大阪でもなく京都だったのだろうか。その疑問を解く鍵が琵琶湖疎水にあった。今回、京都の旅にあたり、せっかく京阪京津線と京都地下鉄に乗車するなら、この路線の途中駅、蹴上(けあげ)駅近くにある、明治時代の産業遺構、琵琶湖疎水やインクラインを見ようと思い立った。


琵琶湖疎水とは、第三代の京都府知事であった北垣国道によって進められた、琵琶湖と京都市内を結ぶ運河である。明治維新の後、東京遷都によって、京都は産業が衰退し人口も大きく減ってしまったが、北垣は町の再生を期して琵琶湖から京都市内へ運河を掘ることとし、工部大学校(のち東大工学部)の若き才能 田邊朔郎を迎え、莫大な工事費をかけて、明治18年(1895年)に疎水を造る工事に着手した。途中、京都市東部の蹴上付近では、急坂のために水路が開設できないので水の流れの傍らに長さ600米ほど、急傾斜に線路を敷き、運河を行き来する舟艇は線路上の台車に乗せ、巻き上げ機(当初は水力で計画、のち電力を使用)を動力にここを上下する設備を作った(京都市内は別の水路を利用)。米語ではケーブル鉄道のことをインクラインと云うが、運河開削の責任者であった田邊朔郎はアメリカの土木技術から多くを学んだそうで、この耳慣れぬ用語を小舟運搬の仕掛けにあてはめたのだろう。


東京にいるとピンとこないが、琵琶港の標準水位は国交省などの資料を見ると標高約84米ほどに対し、京都市内の標高と云えば京都駅近辺で27米ほどである。琵琶湖湖畔の大津から京都市内まで直線距離にして10キロにも満たない2地点の標高差が50米以上もあるため、まっすぐ直接水を流せばその流れはかなりの急流になることだろう。ちなみに江戸時代前期に開通した多摩川上水(多摩川羽村~四谷)は長さ43キロで高低差が92米であるから、距離が10キロなら20米ほどの高低差であり、これを見ても琵琶湖・京都間にそのまま水路を作れば、かなりの急勾配にならざるを得ないことが分かる。琵琶湖疎水は灌漑用や上水道、工場用水、水力発電に利用されたほか、貨物や旅客を運ぶための小舟を通行させるのが主な用途であったから、それなりの流水量が必要であり、また手漕ぎの小舟が上下するためには穏やかな流れである必要があったはずだ。このような用途のために大津・京都間の逢坂山は長いトンネルを掘削して水を通し、勾配は一定以下にする必要から舟運用の水路は琵琶湖から標高差があまりない京都の東山までとし、そこに堰を設け、以西はインクラインに舟を乗せて京都市内の水路に連絡することにしたと思われる。これはまた灌漑用になるべく高い土地に水を流す目的もあったそうだ。


こうして琵琶湖の大津にある取水口からインクラインまで8キロ余り、水位差が4米、勾配は2000分の1の穏やかな流れが完成したが、正確な測量を行ったうえ、重機械もない明治初期に長いトンネルを掘って、運河を開削したのは大変な工事であったろうと設計者や現場の労苦が偲ばれる。東海道本線や北陸本線が開通するまでは、琵琶湖の舟運といえば日本海側や関ケ原以東の各地と京都や大阪など関西圏を結ぶ物流や人流のハイウエイであった。琵琶湖の対岸から集まった全国からの貨物や旅人を京都に運ぶために、幾多の困難を乗り越えて北垣国道が運河を開くことを決意したことは明治人の心意気を見るようだ。こうして疎水は明治23年(1890年)に完成(その後明治45年(1912年)に第2疎水完成)、翌明治24年(1891年)に日本最初の一般供給用水力発電所がここ蹴上の地で稼働し、京都の町に電気が送られることになった。京都の町は全国でもいち早く電力の恩恵に預かることになり、発電所稼働後4年にして日本で初めての電車がこの地で動くことになったのである。琵琶湖疎水の構築が、京都に於いて我が国初の電車の運転に繋がったわけで、北垣国道もさぞや喜んだことであろう。蹴上駅で地下鉄を降りた時は最寄の南禅寺を参拝しようと考えていたが、入場無料の疎水記念館をゆっくり見学しているうち時間がなくなり、南禅寺は次にまた来ようということになってしまった。どうも寺社仏閣より、産業遺構の方に我々は興味があるようだ。

インクラインの線路は急勾配を京都市内へ向かい下の水路まで下る
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南禅寺奥の院前の水道橋(水路閣):琵琶湖疎水を来た舟はインクラインへ、水の流れは発電所や浄水場へ導管で導かれるほか、この水道橋などを伝って下に流れる。
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2023年12月 2日 (土)

そうだ、京都へ行こう !  京阪京津線など私鉄の旅。

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紅葉をバックに阪急嵐山駅

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嵐電のレトロ車両 27号

最近また働き始めた妻が、先週は大阪に出張というので、一緒に関西に行き、仕事後についでに2人で京都見物をすることにした。私自身、年齢とともに「ワシも一緒、ワシも一緒に」と妻の尻にくっついて外出する「ワシ族」にだんだん近づいているような危惧は感じているのだが、京都は2人とも久しく訪れていないのでちょうど良い機会である。京都観光といえば寺社仏閣めぐり!と相場は決まっているが、それはまたいつでもできる。今回は鉄道乗車体験をメインに京都近辺をぐるっと回ってみることにした。何しろ京都と云えば、日本で初めて営業用の電車が走った都市であり、今も市の中心部から四方へJR線や民鉄の路線が伸びる鉄道の町でもある。先年、梅小路にある「京都鉄道博物館」を楽しんだのはここでアップした(2021年7月25日)通りで、京都は鉄道ファンにとっても魅力あふれる土地なのだ。


仕事が終わって梅田から阪急京都線で駆け付けた妻と合流した翌日は天気も良く、一日かけて京都鉄道の旅である。前夜宿泊した市の中心部、四条烏丸のビジネスホテルを出てまずは紅葉の嵐山へ、最寄駅から乗った阪急京都線を桂駅で乗り換えて阪急嵐山線に。マルーン色の車体、木目調化粧板の車内、緑色シート、銀色の窓枠に一段降下窓とこだわりの阪急電車に乗ると、いつも「ああ、関西に来たな」という実感が湧いてくる。阪急嵐山駅を降りて渡月橋を渡り、今がまさに見ごろの紅葉を堪能し、ついでに天龍寺の国の特別名勝「曹源池庭園」を見た後は、京福電鉄嵐山線(嵐電)で市内へとってかえすことにした。それにしても平日と云うのに、京都はどこへ行っても凄い人出で、歩道をまっすぐ歩くのも難しいほどだ。見れば日本人は3割~4割ほどで、海外からは中国人と韓国人が半分、残りは英語、スペイン語、ドイツ語、仏語などが聞こえ世界中から観光客が押し寄せていることを実感する。


嵐電の嵐山駅からは懐かしい釣り駆け駆動、コンプレッサーの音も勇ましい2両編成の四条大宮行 電車に乗った。乗車した26号車は台車や制御装置は旧車から流用され、外観・内装はレトロ調で纏められていて、いかにも古都観光地の電車と云う風情たっぷり。軌道鉄道(路面電車)である嵐山線は、本来はワンマンカー単行での運転を基本としているらしく、2両目(621号)では降車口である前部運転台に車掌が乗車し運賃収受をしている光景が珍しい。どうやら平日の昼間も観光客で一杯なので、いまは2両で運転されている電車が多いようだ。古くからの軌道線と云えば東急世田谷線で見られるように無閉塞が原則でありながら、ここでは自動閉塞方式を採用しており、線路際に立派な信号柱が並んでいるのがさすが関西私鉄と改めて感心する。直通空気ブレーキの制動ハンドルをこまめに動かしながら停車位置にぴったりと止まる懐かしい運転を見ているうちに、ほどなく京都市営地下鉄 東西線の乗換駅である嵐電天神川に到着した。


さて、ここからが今回の旅の目的である京阪電鉄 京津線800系電車に乗車となる。かつて三条京阪駅とびわ湖浜大津駅を結んでいた京阪電鉄 京津線(軌道線)は、1998年の東西線開業とともに京都市街地は地下鉄線に乗り入れるようになり、両線を直通する電車は地下鉄・登山電車・軌道線(市電)の3つの顔を持つ路線を走ることになった。地下鉄内はキャブ内信号によるATC運転、京阪電車に接続する御陵(みささぎ)駅以東は京阪のATS制御、終点浜大津の手前800米は、県道の上を一般の交通信号に従って目視確認も必要な路線である。京都・大津間にある逢坂山は最急勾配61パーミル(1000米進む間に61米上がる)、かつ最小曲線半径40Rのカーブで超えるが、これはアプト式などに頼らない通常の粘着運転では箱根登山鉄道(最大80パーミル)に次いでわが国2番目の急勾配である。ここを先ほどまで京都の下を走っていた長さ16.5米 X 4両編成の地下鉄が駆け上る。ちなみにJR線の運転規則では最急勾配は35パーミル、また陸上競技場の400米トラックの曲走路における最も内側のレーンは半径40米弱のカーブだから、この線ががいかに急坂・急カーブなのかがわかる。


地下鉄東西線の御陵駅で地下鉄から京阪の運転士に乗務員が交代し、キャブ後ろのブラインドが全開になるや、我々も例によって「かぶりつき」に陣取ることにする。ほどなく地上に出た電車は、東海道本線をアンダーパスし、山科付近からの上り勾配を全動力車(4M)のパワーでグングン突き進んだ。ところどころ線路際の勾配票の腕木には急坂を表す数字が、曲線票には線路曲線半径を示す数字が表示され、速度制限や制限解除の表示も次々と眼前に飛び込んでくるので、前面展望からいっときも目を離すことができない。急カーブには騒音防止と設備摩耗を防ぐ水まきスプリンクラーが設置されているし、急勾配の途中には坂道のような駅もあって、あれこれと観察するのにとても忙しい。そうこうするうち、電車はサミットの逢坂山トンネルを超えて、琵琶湖へ向かって下り始めた。思う間もなく最後は県道に出て路面電車となり、交通事故に巻き込まれないよう慎重な運転で終点のびわ湖浜大津駅に到着。この間、御陵駅から浜大津駅まで7.5キロ、約25分の興奮の「かぶりつき」の旅だった。最後に浜大津駅の案内所駅員に「雨や雪の日、落ち葉などで急勾配では空転や滑走もあるのですか?」と聞くと「ええ、まあ」と苦笑いの返事が返ってきた。同じ車両に乗りながら地下鉄から路面電車まで一挙に楽しめるとあって「これまででで一番楽しいかぶりつき体験」だったが、このような難所を越えて定時運転を維持するのは大変な苦労があることだろう。(続く)

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京阪 京津線800系前面展望 線路左下・腕木の勾配票は下り41.3‰(だったと思う)表示

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京阪・京津線 ところどころに水まきの設備

2023年7月20日 (木)

恨めしの山陽新幹線500系

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姫路駅の500系(2019年6月)

三原港で「シースピカ」号による「せとうち島旅クルーズ」を下船した後は、「大人の休日倶楽部・ジパング」を利用し3割引きの新幹線で帰京することにした。といってもジパングの3割引は「のぞみ」号の特急券には適用されないため、三原駅から新大阪駅までは山陽新幹線「こだま」または「さくら」の自由席を利用し、その後は「ひかり」の指定席で手堅く東京まで帰って来ることに。旅行前に時刻表を詳細にチェックしていた妻は「もっと早く帰れる「こだま」もあるけれど、一時間半待てば『500系こだま』が来る」と目を輝かせるので、三原を15時12分に出る500系「こだま854号」新大阪行き(自由席)に乗車することにし、これに接続する新大阪からの「ひかり518号」の指定券をあらかじめ取っておいた。妻は500系新幹線が東京-博多間にデビューした当初から乗ってみたいと思っていたものの乗車の機会がなく、そのうち500系車両は新大阪以西を走る8両編成の「こだま」号のみに運用されるようになってしまい、文字通り遠い存在になったそうだ。いまや500系「こだま」が山陽新幹線で博多方面から新大阪まで運転されるのは1日4本のみとあって、その後もなかなか乗車できぬことを嘆いていたが、今回は三原駅を使うことになり千載一遇のチャンス到来とのことである。


とは言え、私は500系の車両は余り好きではない。1996年に導入された500系新幹線は、山陽区間での300キロ運転に備え、ロケットのような流線形胴体を採用したために車内は狭かったし、乗り心地もごつごつと固いような感じがしたものだ。今は昔の会社員時代、広島県などの取引先へ出張する際には、現地で午後の商談ができるように、東京駅を7時50分に出発する500系の「のぞみ5号」(2006年以降は「のぞみ9号」)を利用することが多かった。当時は現役バリバリで週に何度も飲めや歌えの接待や宴会続き、前の晩の酔いも醒めないまま「のぞみ5号」に飛び乗ったものの、総務係が取ってくれた指定席がたまたま3人掛けの真ん中でもあろうものなら車内の狭さに息苦しさを感じつつ、かなりの乗客が下車する名古屋までひたすら目を閉じて二日酔いを耐えたものだった。500系と聞くだけでその時感じた圧迫感や突き刺さるような振動( これは二日酔いによる個人的な経験かもしれないが )を思い出してしまい、私にとってはあまり印象がよくないのである。


これまでにも妻と旅行する際には、何度か500系に乗りたいとのリクエストがあったにも関わらず、わざわざ時間を調整してまで「あの」500系に乗ることもないとその要求は即座に却下してきたが、今回は三原駅で1時間半の待ちは発生するものの、妻たっての希望の500系にようやく乗る機会が巡って来たのである。ところがこの日、三原港で「シースピカ」号を下船し、大雨の中を歩いて三原駅にやって来ると、改札前で数組の旅行客が駅員と話している光景が目に入ってきた。どうやら山口県内の豪雨のため、在来線の三原から西に向かう全列車は動いておらず、山陽新幹線も西から来る上り列車のダイヤが大混乱しているらしい。この一年半、東海道・山陽新幹線を利用する際に「線路内立ち入り」「豊橋付近の豪雨」で運転見合わせが2回あって、どうもこの新幹線にはついていないが、梅雨時の旅行とあれば大雨も仕方がない。こういう場面ではなるべく早く来た列車で、原因となる地域から離れるのが良策と考え、500系「こだま854」乗車を諦め、まず最初に三原にやってきた上り旧「ウエストひかり」編成の「こだま852」で岡山に向かい、新大阪発の「ひかり518」の指定券は無駄になるが、乗り継げれば岡山始発の「ひかり516」の自由席で帰京することとした。


妻は落胆の様子を露骨に示しているが、その時点で乗車予定の500系の「こだま854」はまだ線状降水帯の発生している山口県内を大幅に遅れながらこちらに向かっており、この後の天気次第ではいつ三原に到着するかもわからない。私はやって来た旧「ウエストひかり」(レールスター)編成の2+2の快適なシートに内心シメシメと思いつつ、「これは天変地異だからしょうがないよ」「経験的にとにかく来た列車に乗って目的地へ近付いた方が良い、駅員さんもそう言ったじゃないか」と渋る妻を強引に「こだま852」の車内に押し込み、終点の岡山駅で若干遅れ気味の始発「ひかり516」の自由席に乗車したのであった。500系乗車を諦めきれない妻は、その後もJR東海の列車走行位置サイトをスマホでチェックしては、遅れの500系「こだま852」に乗っても、乗り継ぎ時間30分で新大阪から予約していた「ひかり518」の発車も遅れたため、結果としては乗り継げて帰って来られたのにと、いつまでもブツブツと未練がましく呟いている。そのあまりの落ち込みぶりにちょっと気の毒になり、「次は必ず500系に乗車する西日本の『こだま』の旅を企画するから」と、無事に帰京した後もまた夏~秋の山陽新幹線の鉄道旅行プランを考え始めるのである。

2023年5月29日 (月)

黒部峡谷鉄道 トロッコ電車

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スリル満点の車窓

飛鳥Ⅱクルーズの翌週は「人気観光地が目白押し!黒部峡谷トロッコ電車・立山黒部アルペンルート・上高地を1日1か所ずつめぐる充実3日間」の旅に行って来た。このところ毎週毎週遊びで忙しい。今回の旅はJR東日本系の”びゅう”が主催する添乗員付き団体旅行(2泊)である。かねてより一度乗りたいと思っていた黒部のトロッコ電車に乗車し、私にとっては50年ぶりとなるアルペンルートと、40年ぶりの上高地を一挙に効率よく回ってくれる旅という事で参加したものである。旅の初日は、一同25名+添乗員の計26名で東京地区から北陸新幹線に乗り黒部宇奈月温泉駅で下車、観光バスで黒部峡谷鉄道の始発駅・宇奈月駅に行き、黒部峡谷トロッコ電車に乗車する日程である。やって来た宇奈月は富山から伸びる富山地方鉄道の終着駅で、地鉄の宇奈月温泉駅ターミナルに隣接してトロッコ列車の基地が拡がり、その山側に黒部峡谷鉄道の宇奈月駅があった。宇奈月から黒部川の渓谷に沿って上流の欅平までの20.1キロ、大正時代末期から昭和初期~戦前にかけて、電源開発のダム資材輸送のために762ミリのナローゲージで敷設されたのが黒部峡谷鉄道である。同鉄道は1953年に地方鉄道の免許を得て観光輸送にも乗り出し、冬季以外に運転されるトロッコ列車が有名になったが、鉄路はまだ資材の輸送にも使われており、会社は関西電力の完全子会社になっている。


1時間に1本ほどの間隔で運転されるトロッコ電車(本当は電気機関車牽引なのでトロッコ列車というべきだが、同鉄道のホームページには「トロッコ電車」とあるためここでも電車とする)は、直流600ボルトの動力源によって運転される。ここでは主に日立製作所製のEDR型と呼ばれる全長7米弱の直流電気機関車により、10両余り(乗客の波動で客車の編成両数は変化するようだ)の客車が牽引されて渓谷に沿った鉄路を登り下りしている。重連総括制御の電気機関車は抑速にエアの他に発電ブレーキを使用、常に列車の先頭に立つプル牽引運転で、標高223米の宇奈月駅から599米の欅平まで、アプト式などではなく粘着方式の運転である。主力のEDR型の他に、粘着性能に優れたインバータ制御・交流モーターのEDV型という新鋭機関車(川重製)もあり、こちらは回生ブレーキを装備しているとのこと。いずれの機関車も台車には空転防止対策のとても大きな砂まき装置が目立つ。客車はオープンタイプのトロッコ車両と、客席がエンクローズされるリラックス客車(こちらは追加料金が必要)の2種類があり、定員は1両20名~30名、いずれも全長は7米強のボギー車両でアルナ工機製であった。編成後尾はボハフ呼ばれる客車で、多分ボはボギー車、ハは普通車、フは手ブレーキ装着を指していると思われ、最後尾には車掌が乗務している。アルナ工機と云えば路面電車の製造が得意であり、かつ関西私鉄の雄である阪急電鉄の子会社であることを考えると、こちら関西電力の完全子会社でナローゲージ鉄道の車両にはアルナ工機製が打ってつけという感じもする。全線単線の運転だが、安全を担保する信号系統は、ATSのようなシステムが構築されているようで、軌道内には地上子が置かれていた。


この鉄道は、旧国鉄の東京起点による列車分類方法を踏襲しているらしく、終点の欅平に登るのが下り列車、起点の宇奈月に下るのが上り列車となっているのが面白い。トロッコ車両に乗車して宇奈月駅を出発すると、車内は地元富山県出身の女優室井滋さんの解説放送が流れ、沿線の様子や鉄道の沿革が分かるようになっていた。黒部峡谷のV字谷に沿って山あり谷ありダムありで、トンネルや橋梁の連続する線路の周囲は、インディジョーンズの映画に出てくるかのスリル溢れる光景が展開する。急カーブの度に車輪とレールの擦れる”キーキー”という摩擦音を派手に響かせつつ、「電車」は最高でも時速25キロ程度で急峻な崖沿いにゆったりと走った。乗車して約1時間、我々”びゅう”団体客は、なぜか終点の欅平まで行かず、2.6キロ手前の鐘釣駅で下車して、黒部川対岸の万年雪の雪渓を眺め、河原の露天風呂付近を散策したが、見るとクラツーなど他の団体も皆ここで降りている。多分終点の欅平まで行くと時間がかかるので、日程管理のために団体客は皆がここで折り返すことになっているようだ。どうせなら終点まで行ってみたいところだが、このあたりが自由の効かない団体旅行の辛いところである。鉄オタの為に、本鉄道に関するより詳しい技術的な資料や展示、説明パンフレットが欲しかったが、そんな客はごく少数だろうからこれまた仕方がない。釣鐘駅より「下りの上り列車」で宇奈月まで戻ってくると総時間は4時間余り、冒険心が刺激される峡谷鉄道の旅であった。天気も順調でこうして旅が始まった。

最新の電機EDV型と途中駅で列車交換
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2023年5月10日 (水)

呑み鉄日帰り旅 ゆざわShu*Kura

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途中の長岡駅に停車中のゆざわShu*Kura号

もう宮使いの身ではないので皆が休みのGWにわざわざ出かける必要もないのだが、この期間は僅かに残った仕事の取引先も休みのため都内にいてもしょうがない。ただ「大人の休日俱楽部ジパング」のJR線3割引きはGW期間中は利用できず、最終日である5月7日(日)からの適用である。なので5月7日(日)に新潟県で運転される「越乃Shu*Kura」に乗るために上越新幹線で越後湯沢駅に赴いた。「越乃Shu*Kura」とはJR東日本新潟支社が主に金・土・日曜日に県内で運転する観光列車で、パンフレットに「地酒王国・新潟で列車に乗って日本酒を楽しむ。おいしいお酒と地元の味覚、大きな車窓から流れる風景がごちそうです。列車の中で新潟のいいトコをとことん満喫する。」とある通り、呑み鉄のために企画された「『酒』をコンセプトとした」列車である。


たしかに2021年度時点で、新潟県の日本酒の酒蔵数は88で日本で一番多く、県別の製造量も第3位とのことで、ここは日本酒の王国になっている。もっとも私は普段はビールとウイスキー、妻はビールと酎ハイ派なので、特段日本酒にこだわりがあるわけではない。特にサラリーマン現役時代は日本酒を注ぎつつ注がれつの宴会が多かった私は、おちょこに入ったあの透明な液体を見ると当時の営業の苦労とともに、悪酔い、二日酔いに陥った苦い情景を思い出してならない。しかし最近NHK BSで放送される「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」で、彼が朝からうまそうに車内で酒を飲むシーンを見て、たまには日本酒を吞みながら列車に揺られる旅も悪くないかと、連休を前に「越乃Shu*Kura」の乗車を思い立ったのである。


「越乃Shu*Kura」は、えちごトキめき鉄道(旧信越本線)の上越妙高駅から上越線、信越線の交わる長岡駅までを基本ルートにし、日程によって信越線・新潟駅、飯山線・十日町駅、上越線・越後湯沢駅まで足を延ばして往復運転されている。今回は越後湯沢から上越妙高までの片道約150キロの乗車で、この経路を運転する列車は「ゆざわShu*Kura」と呼ばれる。ローカル線お馴染みの気動車、キハ40、キハ48を改造した3両編成の列車は、1号車が食事・酒つき旅行商品として販売される34席の専用車両、2号車がサービスカウンター「蔵守 Kuramori」のあるイベントスペース車両、3号車がリクライニングシート36席の普通車指定席である。この列車は営業上は臨時快速の扱いで、3号車は普通乗車券に指定席券540円を買えば、途中の停車駅から随時乗車することも可能である。もちろん3号車は酒を呑まない人でも乗車することができる。


5月7日は東京を昼過ぎに出る上越新幹線「とき321号」を越後湯沢駅で下車、14時45分に出る「ゆざわShu*Kura」に乗車した。我々の乗った1号車は日本海を眺望できるように海側を向いた展望ペアシートとくつろぎペアシート、それにやや広めのらくらくボックスシートが配置されている。この日の1号車の乗客は20名ほどで、因みに3号車も定員の半分くらいの乗車であった。発車して冬場はスキーで賑わう石打駅などを過ぎると、さっそくスパークリング日本酒のウエルカムドリンクが振舞われる。さっぱりしたその泡純米清酒柏露花火(柏露酒造・長岡市)を愉しみながら魚野川に沿って上越線を下るうち、ほどなく新潟産大吟醸の日本酒一合瓶と地元食材にこだわったおつまみのセットがみなに配られた。窓外はあいにくの雨にけぶっているが、米どころ新潟の田植え前の風景を眺めながら、1時間20分ほどで列車はスイッチバックとなる長岡駅に到着。


ここから「ゆざわShu*Kura」は信越線を柏崎、直江津方面に進むが、車内を見ればさすが「酒をコンセプトとした」列車である。この頃には周囲の席はセットの八海山とボトルの大吟醸1合をとっくに飲み干し、2号車で買った地酒呑み比べセットで追加酒を楽しむ人ばかり。呑み鉄列車だけのことはあってみな呑みっぷりが良い。負けじとこちらも日本海を眼前に、新潟名産の鮭の焼き漬け付吞み比べセットをちびりちびりやるうち、だんだん酔いも回って雨で視界もさえない車窓も気にならなくなってきた。酒を呑んでいると時間の経つのが早いものだ。直江津駅からは最終行程、えちごトキめき鉄道に乗り入れると、あっという間、列車は終点の上越妙高駅に18時38分に到着してしまった。ここから北陸新幹線で首都圏へ帰る人が多かったようだが、乗客全員が4時間ほど飲み続けと云う酒飲みには天国の呑み鉄本線の列車であった。上越妙高駅から都内に戻る北陸新幹線車中で、気持ち良く爆睡したのは云うまでもない。

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地元の旬の食材を生かしたおつまみ。お猪口には純米大吟醸八海山(八海醸造・南魚沼市)、青い瓶が越乃Shu*Kuraオリジナル大吟醸酒(君の井酒造・妙高市)、乗車券、指定券とのセットで9000円
・竹の子挟み揚げ
・新潟バーニャカウダ
・駅弁さけめし
・ふきのとう風味の和風ミートローフとオータムポエムのバターソテー
・桜の水まんじゅう

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飲み比べセットは左から越の誉吟醸(原酒造・柏崎市)、越の寒中梅 純米大吟醸 雪蔵貯蔵古酒(新潟銘醸・小千谷市)、鶴の友(樋木酒造・新潟市)

2023年4月27日 (木)

半日鉄道プチ旅行 相鉄・東急 新横浜線

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新横浜線 相鉄線乗り入れ東急4000系(二俣川)

3月18日に開業した相鉄・東急新横浜線に乗車してみた。2021年秋のつくばエキスプレス乗車以来、久々の半日鉄道プチ旅行である。話題の新横浜線の開業で、相模鉄道(相鉄)と東京急行(東急)東横線・目黒線が新横浜駅を介して結ばれ、両社車両の相互乗り入れによって神奈川県県央と東京都心部が結ばれることになった。私にとってはもともと土地鑑のある都内城南部や神奈川県東部地区である。新たな路線で一体どういうオペレーションが展開されているのか興味津々で、平日の午後、仕事の合間に東京メトロ副都心線の東新宿駅から相鉄いずみ野線の湘南台駅まで電車を乗り通してみた。この日、東新宿駅に14時7分にやって来たのは、東武東上線の和光市始発・相鉄線湘南台行きの東急の5000系4000番台の車両であった。本来なら5000系は運転室バルクヘッド(仕切り壁)右側はガラス張りで、トンネル内でもここから前面展望が効くはずだが、4000番台の車両はこの部分がガラスでなく壁面になっておりトンネル内で中央のブラインドを降ろすと前が見えないのが少し残念。といっても次の直通列車は30分も後だし、新規開業線は大部分がトンネルの中ゆえ、今回はかぶりつき展望は諦めホームや車内の様子の観察をしようと乗車した。


この電車は副都心線を通ったあと、渋谷から東横線内は急行となり日吉駅に14時38分に到着、そのまま日吉からは各駅停車の相鉄いずみ野線湘南台行きとなって、新しい地下線である東急新横浜線に乗り入れた。日吉から新横浜までの東急線区間は途中の新綱島駅をはさみ5.8キロ、引き続き新横浜から羽沢横浜国大まで相鉄新横浜線で4.2キロ、計10キロほぼ全線がトンネルによる新規開業路線である。シールド工法で掘削されたであろうトンネルは壁面の照明がただ後ろへ流れていくだけの素っ気ない車窓で日吉から7分で2面ホーム4線の新横浜駅に到着した。新規開業路線とあって新横浜駅の利用者はまだそう多くないし、新幹線利用と思われる荷物を持った乗降客もほとんどいないようである。新横浜駅で東急から相鉄に運転士が代わり、残りのトンネルを4分で走り抜けると、JR線が乗り入れる羽沢横浜国大駅が見えてきた。地図を見れば東横線の日吉駅付近から新横浜駅経由で、ルートはほぼ東海道新幹線に沿って施工されていることが分かる。計画から20余年、工事開始から10年、総費用4000億円以上の難工事を乗り越えて完成した路線であるが、通り抜けてみればわずか12分であった。


乗車した電車はそのまま相鉄いずみ野線経由で終点の湘南台に15時21分に到着したが、ダイヤを見ると東急東横線(東京メトロ副都心線)からの直通列車はおもに相鉄いずみ野線に直通し、東急目黒線(東京メトロ南北線・都営三田線)からの直通列車は二俣川から相鉄本線の海老名に向かうのが基本のようだ。こう書いても相鉄線や東急線利用者以外は実際のところよく分からないだろうが、とにかく首都圏の大手私鉄や地下鉄は相互乗り入れの列車運用により、何でこの路線にこの会社の編成が入って来るのか?とびっくりすることがよくある。新横浜新線も都心側は東急東横線と東京メトロ副都心線経由で東武東上線や西武池袋線に繋がるルートと、東急目黒線を介して都営三田線ないしはメトロ南北線・埼玉高速鉄道へ繋がる2つのルートがあり、神奈川の相鉄サイドも本線といずみ野線へ直通する2つのルートに分かれる。それに2019年からは、JR線車両も品鶴線経由で相鉄線に乗り入れているのでこの辺りのダイヤはなんとも複雑。いまや新横浜線が繋がる東急東横線や目黒線、メトロの副都心線は他社の乗り入れ車両のオンパレードで回廊としての役目を強め、もはや鉄道施設一式を保有するとともに列車の運行も行うとされる第1種鉄道事業者の範疇を超えているのではないかと思ってしまう。


今回の開業路線に乗り入れる車両は5社の10形式(鉄道ジャーナル6月号)とのことで、それぞれの路線には特急、急行、快速や各停が走っているから、一旦事故やトラブルでダイヤが乱れた際には、一体どうやって運転を調整するのか心配になる。一匹の蝶の羽ばたきがどこか遠い所で竜巻を起こしているかも知れないと云われるのがバタフライエフェクトだが、例えば埼玉の内陸部の霧で東武線が遅れ、神奈川県民が新横浜駅で東海道新幹線に乗り遅れたなどという事態が頻繁におこるかもしれない。とは云え相互乗り入れ範囲の拡大で、地元を遠く離れた私立学校や自動車学校の募集要項、マンションの販売、寺社の参拝案内や病院・老人ホームなどの車内広告を目にするのは目先が変わって楽しいものだ。電車に乗ったらスマホばかり見ていないで、車内を眺めるだけで、新たな発見がいくつもあるのにと私はいつも思っている。そう云えば今回の新横浜線開業でもっとも恩恵を受けるのが慶應義塾だと云う説を聞いた。相鉄いずみ野線終点の湘南台にある湘南藤沢キャンパスと日吉キャンパス、三田キャンパス(三田線)が乗り替えなしの一直線で結ばれるほか、埼玉県南部の志木高校(東武東上線)や芝公園(三田線)にある薬学部などを移動するのが大変便利になるそうだ。首都圏の新路線開通に目が離せない。

複雑怪奇な新路線図
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2022年12月16日東京都交通局他各鉄道会社合同の報道発表資料より

2023年4月12日 (水)

東北鉄道旅 (補遺編)

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ラッセル車用の雪かき警表 

「海里」や「ツガルツナガル」など座席指定制の列車は別として、鉄道の旅ではなるべく運転台の後ろ「かぶりつき」に立って、列車の前面展望を楽しむことにしている。ローカル線のワンマン運転の列車で、都会ではあまりない運転士の運賃収受業務などを見るのは旅の楽しみの一つだ。また地方によっては線路際に立つ鉄道標識が独特で、この地区ではどういうことが列車運行上に注意すべき点なのか分かるのも面白い。今回は奥羽本線で、黄色の正方形が上下に並んだ写真のような標識が線路際に立っているのをしばしば目にしたが、これは今までの鉄道の旅で見なかったもので一体なんであろうか? 「ツガルツナガル」の折り返し駅である弘前駅でホームに立っていた駅長さんにこの標識が示す意味を尋ねると、「私も良く分からないので運転士に聞いてみましょう」と「弘前へようこそ」の歓迎横断幕を持ってホームに出ていた女性運転士のところへ連れて行ってくれた。


彼女曰く「自分は電車の運転士などで直接関係ないが、あれはラッセル車のための標識です」とのことである。ポールの上に掲げられた黄色の◇の標識は、線路際の雪をどけるためにラッセル車から左右に広げたウイングをここで畳め、下の□は軌道内の雪をかくためのフランジャーをここで上げろという意味で、トンネルの入り口や踏切、線路の分岐器などの手前に設置されているそうだ。雪かき中にウイングやフランジャーをそのままにして走ると、ウイングがトンネルの壁に当たったり、フランジャーが施設を破損させたりするので、それを防ぐために掲示されているとの事である。なるほどこれは雪国ならでは標識で、鉄道防雪林などと同様に首都圏ではまず見ることがない。70歳を越えても、旅に出ると初めて見聞きするものが沢山あるものだ。


弘前駅で「ツガルツナガル」の折り返し時間を利用して訪問した黒石市のB級グルメ、「黒石やきそば」も今回の旅の思い出である。もともとここ黒石ではうどん用の乾麺をゆでて醤油で炒めて食べていたが、戦後、中国人から支那そばが伝わり、乾麺用のカッターを使った太いそばにソースを絡めたところ、これがなかなかいけると評判になったそうだ。これに和風のそばつゆをかけたのが、黒石名物の「つゆやきそば」で、ソース焼きそばに日本そばのたれをかけて食べるのがなんともユニークである。「つゆやきそば」の起源としては昭和30年代、町の食堂で冷えた焼きそばにつゆをかけて温かくしたメニューが評判になったという説や、同じ食堂で麵だけでは腹持ちが悪いためにつゆをかけたら良かったなどの諸説あるそうだ。我々夫婦は、つゆ有りとつゆ無しを一つづつ注文したが、無い方はきわめてシンプルなふつうの焼きそば、つゆ有りの焼きそばは、まさにふつうのそばつゆ(関東風の醤油味)にソース麺を入れた味で、共にあっさりした味であった。


「海里」の終着駅である酒田は、これまで人口10万人のごく普通の東北の一都市、あるいは火力発電の基地くらいの認識しかなかった。今回、列車待ちの約2時間に駅前の観光案内所が無料で貸し出していた自転車で街をぐるっと回ってみると、江戸時代はここは「西の堺、東の酒田」と呼ばれた大変な商都、港町であったことを知り驚いた。酒田は地域の水運の要であった最上川と海上輸送の結節点にあり、東回りと西回り両方の北前船発航の港として発展したとのこと。「五月雨を集めて早し最上川」と詠まれたことから、最上川は急流のイメージがあったのだが、実際に見る川は庄内平野を悠々と流れる大河である。内陸から川舟で運ばれてきた米や紅花を北前船に積み換え、各地の着物や工芸品、美術品を荷揚げしたのが酒田で、自転車で訪れた山居倉庫や、日和山公園にある北前船のレプリカなどから当時の繁栄ぶりがうかがえる。日本の港町をクルーズ船や列車で巡ると北前船の津(港)から発展した場所が多いことが分かり、北前船のことをもっと知りたいという気持ちも湧いてくる。「だったら次は酒田発新潟行きの上り『海里』をからめて旅を企画しちゃおうかな?イタリアン弁当も食べてみたいから」と妻が横で笑っている。


現存する洋式の木造六角灯台として日本最古の貴重な日和山公園灯台(旧酒田宮之浦灯台)
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酒田の山居倉庫 米を約1万トン収納できた。収納された米に対しては倉荷証券が出され、これは有価証券として流通可能であった。
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2023年4月 5日 (水)

弘南電鉄7000系に乗車

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黒石駅の弘南鉄道7000系 フルステンレス車体とパイオニアⅢ台車が特長的

「ツガル ツナガル」号に乗り往路の終着駅である弘前駅の手前、大鰐温泉駅にさしかかると進行右手の車窓に懐かしい銀色の電車の姿が見えてきた。弘前市を拠点とする弘南電鉄の大鰐線を走る7000系で、もと東急電鉄7000系を譲り受けた車両である。東急7000系は、昭和37年(1962年)アメリカのバッド社のライセンスの下、東急車両製造(現・総合車両製作所)で日本で初めてのフルステンレス車両として製作され、パイオニアⅢ型というユニークな台車を履いて一世を風靡した革新的な電車だった。私にとっては、学生時代は東急東横線の日吉にあるキャンパスやグラウンドへの通学時に乗車し、社会人になっても通勤に東急と相互乗り入れの地下鉄日比谷線で利用した思い出の電車である。7000系は1990年ごろから東急線での運用が終わったのち全国の私鉄に譲渡され、弘南電鉄に於いては20両以上が弘南線と大鰐線の2つの路線で第2の人生を歩んでいる。かつて「弁当箱」と呼ばれたステンレスの角ばったこのユニークな車体を、遠く離れたこの弘前の地で見るのがなんとも不思議な気がしてならない。


「ツガル ツナガル」号は11時26分に弘前駅に到着し、15時13分に折り返し秋田に向かって出発する。その間の4時間弱の自由時間は、弘南鉄道黒石線の7000系電車に乗り、藩政時代の町並みが残る黒石市へ行き ついでに名物の黒石やきそばを食べて帰ろうと云うことにした。弘南線はJR弘前駅に隣接したプラットホームから発車(大鰐線の中央弘前駅は市内の別の場所にある)する全長16.8キロの路線で、終点の黒石まで電車は途中11駅に停車して約35分で走る。この路線の運転頻度は1時間に1本~2本なので、帰りの「ツガル ツナガル」号発車までに帰って来られるかを慎重に計算してから、黒石市に向かうことにした。始発の弘前駅で乗ったのは1964年製の7012(東急時代は7025)+7022(同7026)の編成で、この車両もかつては東京で何回も乗車したに違いないから約30年ぶりの再会だ。こちらでの外観は雪国用のスノウプロウが運転台下につき、ドアが半自動開閉式になったものの、それ以外は東急時代とほとんど変わっていないし、ディスクブレーキが台車枠より外側にある独特な形状のパイオニアⅢ型台車がまだ健在なのを見て何だか嬉しくなる。


車内に足を踏み入れると、まずは運転台の懐かしい跳ね上げ式デッドマン装置のマスコンが目についた。運転士が病気などで不省状態になり動作をしなくなった際に、緊急ブレーキをかける装置で、当時の車両には跳ね上げ式がよく採用されていた。座席のモケットはたしかエンジ色だったが、今は違う色に張り替えられ、かつてなかったロングシートの仕切り板も一部に設置されていた。車端妻板にあった東急車両製造の銘板と、BUD社のライセンスで製造されたとする誇らしげなプラスチック板の表示は残念ながら取り払われている。車内蛍光灯が一部切れたままになっているのが何とも寂しい光景で、赤字に悩む地方民鉄の悲哀を映し出しているようだ。ただ一旦走り出すと、抵抗制御、平行カルダンの直流モーターの奏でる走行サウンドが耳に心地よい。最近のインバーター制御、交流モーター電車が垂れ流す金属の擦れたような電子的サウンドはどうにも不快で、昭和30年代の車両の機械音・電気音の方が人間の感性に沿っていると日頃私は思っているのだが、その思いがますます強くなった。東急時代に発揮していた加速の良さも相変わらずである。


軌道強化までに金が廻らないのがローカル私鉄のつねで、電車は右に左に大きくゆれながら最高速度も60キロ以下でごとごとと津軽平野を走って行く。終点の黒石で古い町並みを歩き、妻と二人で名物の焼きそばとつゆ焼きそば(なんとソース焼きそばに日本蕎麦のつゆがかかっている)を分けあって食べた帰路は、同じ1964年製造の7013(旧7029)+7014(旧7030)の編成に乗り、雄大な岩木山を車窓に臨みながら「ツガル ツナガル」号の待つ弘前駅に戻った。日曜の午後とは云え、行きも帰りも2両編成の電車には10人~20人ほどの乗客とあって、地方民鉄の経営の困難さを目のあたりにした感があるが、弘南鉄道も地元の足としていつまでも存続してほしいものだ。それにしても毎日のように利用した車両がまだ現役で活躍していると、世話になった老人に再会したようで、ついねぎらいの言葉もかけたくなってくるのである。

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黒石名物 焼きそば と つゆ焼きそば

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岩木山を臨みながら弘南鉄道・弘南線は走る

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