カテゴリー「船・船旅」の記事

2022年6月14日 (火)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その6(下船後)・了

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西鉄5000形(二日市にて)

4泊のクルーズを門司港でおりた後、まっすぐ帰京するのもつまらない。北九州で何か楽しみはないかと考えたら、妻が大宰府に行ってみたいと言う。なんでも令和という元号は、万葉集の梅花の歌編序文「初春の令月にして気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」が出展元であり、これら梅花の歌は大宰府で詠まれたものだそうだ。妻はもともと一度は大宰府天満宮を訪れたいと思っていたが、ゆかりの元号になったということで機会を伺っていたようだ。一方で私は大手民鉄16社の中で、ただ一社乗車したことのないのが西日本鉄道(西鉄)であり、彼女の希望が大宰府なら西鉄天神大牟田線と大宰府線に乗れる絶好のチャンスだとただちにこれに賛同する事にした。という事で門司港で下船後はまず鹿児島本線の快速電車で博多駅近くのホテルにチェックインし、翌日の大宰府訪問に備えた。夕刻大濠公園までジョギングをした後(意外と遠かった)、夕食は博多駅筑紫口の居酒屋で名物の焼き鳥に博多ラーメンだったが、にっぽん丸の上品な味に慣れた舌には濃い味付けが刺激的でつい酒を注ぐ杯も進んでしまった。


「大宰府へはそこのバスで行った方が便利ですよ」とのホテルフロントのアドバイスもものかは、地下鉄に乗ってやってきたのは西鉄福岡(天神)駅である。ほとんどの大手私鉄がJRの駅にターミナルや準ターミナルを置いているのに、西鉄はJR博多駅より2キロほど離れた天神という繁華街に立派な始発駅を設けているのが九州男児の心意気を示しているようだ。4面3線の福岡(天神)駅で二日市方面の電車を待っていると、やってきたのは折り返し5000形の花畑行き急行であった。運転席側がパノラミックウインドウなのに反対側の前面はそうではないというアンバランスな顔ながら写真などでお馴染みの西鉄を代表する電車である。福岡(天神)駅を発車するとこの5000形はモーター音や加速感が思いの外スムースで快適なことに気が付いた。5000形は最近のJRや大手私鉄で全盛のVVVF制御ではなく一昔前の抵抗制御なのだが、抵抗制御のリニアな加速音の方が人間の感性に合っているからであろう。二日市まで15キロ、わずか20分の初西鉄だったがさすが九州一、大手民鉄の一画と思わせる5000形の走りっぷりと沿線風景であった。


二日市で西鉄大宰府線の3000形観光列車「旅人」に乗り換え終点の大宰府駅へ。行き止まりホームの駅を出れば目の前は天満宮の参道である。名物の梅ヶ枝餅をぱくつきながらそぞろ歩いて到着した天満宮は、政敵の陰謀によって京から左遷され失意のうちにここ大宰府で亡くなった菅原道真が祀られている。道真の死後に京では疫病や天変地異が起こり政敵も早世したのだが、その道真の怒りを鎮めるための社殿である。道真が優秀な学者だったことから、天満宮は中世以降学問の神様として信仰されるようになり、境内には京都大学合格、国家公務員試験パス祈願など沢山の絵馬が奉納されていた。次に向かったのは大宰府政庁跡である。大宰府政庁は7世紀後半に大和朝廷が置いた役所で、西日本防衛や大陸の窓口の役割を担った歴史的な機関なのだが、こちらは天満宮に比べてアクセスも良くないせいか(我々は天満宮より2キロ半歩いて訪問)訪れる観光客はほとんどいなかった。大宰府といえば天満宮が代名詞なのだが、この政庁跡は大和朝廷時代を偲ばせる貴重な遺構であり、西鉄や地元はもっとプロモーションしたらいかがであろう。

 

旅の締めは福岡空港から2019年度からJALに導入されたエアバスA350-900である。南風の日の夕方15時から19時頃、羽田空港新飛行経路が運用されると、高度を下げていく航空機が我が家からは良く見える。福岡便は主にボーイング777とエアバスが運用されており、帰って来るのにちょうどよい福岡1605発のJAL320便がエアバスで、運よく左舷の席を並んで予約することが出来た。新飛行経路を使ってくれれば都心遊覧便になり我が家を見下ろすことが出来る筈だが、搭乗した日の風向きはまさにお天道様まかせである。クラスJの広いシートに身をあずけ最新のモニターで楽しみながら窓外を眺めていると、この日は房総半島上空から大きく内陸に向けて旋回を始め、どうやら新飛行ルートを使うらしい。荒川の上空あたりでは雲が厚かったが池袋近辺から南へ向かうアプローチに入り高度1000米を切ると、やっと機体は雲の下に出て「あ、うちのマンションが見えた」と二人してしばし興奮しつつ羽田着。こうしてクルーズ船に鉄道、飛行機と「陸と海と空」を堪能する旅を無事終えたのだった。

大宰府政庁跡
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羽田新飛行経路でエアバスA350-900から見る都心風景
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2022年6月10日 (金)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その5(寄港地編 佐渡)

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宿根木の集落は吉永小百合の大人の休日倶楽部CMでも使われた

クルーズ3日目、にっぽん丸は佐渡の小木港に入港した。佐渡と云えば史跡である金鉱山がユネスコ世界遺産に登録される可能性が濃厚で、いま脚光を浴びている島だ。島の南部に位置する小木港は直江津連絡の高速船が着くものの、大型船の係留はできない小ぢんまりした港であった。しかし小木港は江戸時代は西回りの北前船の主要な寄港地であり、すぐ近くの宿根木集落は当時は廻船業の船主で栄えた町だった。そんな小木港に寄港できるのは小粒なにっぽん丸サイズのメリットだといえよう。佐渡島は沖縄本島につぐ大きさで、Sの字にも似た形の島には南と北に二つの山地があり、その間に両津平野が広がっている。島の北部は日本海的気候で冬の積雪も多いが、南部は比較的穏やかで、両津平野は良質なコシヒカリの産地だそうだ。「離島」というと何等かの目的がないとなかなか訪れないが、クルーズ船は国内の様々な島に気軽に連れて行ってくれるのが嬉しい。


小木では「北前船で栄えた町宿根木散策」の有料ツアーに参加することにした。船から観光バスに揺られて10分ほど、海を挟んで対岸の妙高山地を前にした宿根木は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。地元ガイドさんに案内されて踏み入れた集落は、入り組んだ狭い路地の両側に肩を寄せ合うように住居が並んでおり、それぞれの家を見れば廻船の外板を流用した腰板が目立ち、屋根は真っ黒な能登の瓦吹きである。ここは江戸時代は船大工が住み金融が整備されて船主が多数いたそうで、そこかしこの家並が往時の繁栄を偲ばせてくれる。これまでも瀬戸内に点在する各地の伝統的な船主の町を訪れたが、ここ佐渡も西回り北前船の主要な寄港地であったから、同じような海運業が発達したのであろう。集落の入り口にある佐渡国小木民族博物館には往時の設計図を使い新造された千石船「白山丸」が展示されており、これをゆっくりと見学するうちに江戸時代の廻船業や船主業をじっくり研究したいとの気持ちが湧いてきた。完全にリタイアしたら生涯のテーマとして江戸時代の海運業をじっくり研究するのもよいかもしれない。


集落の見学が終わると、目の前の海岸でこのツアーについているたらい舟の乗船であった。船頭さんは昔絵本で見たような編み笠に絣(かすり)の女性でなく運送会社のドライバーのような男性だ。ライフジャケットを着用して生まれて初めてのたらい舟に乗ると予想通りゆらゆらと揺れて何とも不安定な乗り心地。たらい舟は形は丸いし櫓の支点も柔道の帯のようで、櫓で漕ぐ力を推進力にするには何ともファジーな形態と云える。時速は最高でも3キロだそうでなぜこんな乗り物が佐渡で使われたのか不思議なのだが、箱メガネを使いながら岩場で海草や貝を採取するにはたらい舟が良いそうで観光以外に今でも現役で漁に使われている。ところが好事魔多し。こうして妻と共に海岸を一周するたらい舟体験を終え「右足をその座る所にかけて左足で岸壁に」と言われて彼女が上陸しようとする瞬間であった。私の目の前で妻のジーンズのポケットからはスローモーションのように何かが海にすべり落ちるのが見えた。思わず「スマホ!?」と呟くと陸にいたにっぽん丸の付き添いガイドが「ご主人のは撮影用に先ほどお預かりしたのでここにありますよ!」「あっっっ、私のが落ちたんだ!(心の声:ヒィィィ)」と妻。

ここからは妻の日記から引用。
(完全に水没してしまったので)もう(スマホとして蘇生させるのは)無理だな、と思ったけどその箱眼鏡で見えませんか、と船頭のおじさんに頼んでみる。「どんな形状?」「本体は水色でオレンジの短いストラップの先に銀色のカラビナが付いてます」と言ったらそれらしいものが見えたみたい。アワビ漁に使う鉤(かぎ)にストラップを引っ掛けて掬ってくれようとするけどなかなかうまくいかない。そろそろバスの出発時間なので、もし掬えたら小木のにっぽん丸に届けます、とおじさんが言ってくれたので夫の携帯番号を書き残す。後でわざわざ届けてもらうのはあまりに申し訳ないなと思っていたら、おじさんはタモ(網)が要るなと呟きながらも、海の底を狙いすまして何度も鉤でチャレンジしている。海中を漁ること数分、やがて気合とともに鉤に引っ掛けたスマホをタモに受け、なんとか無事サルベージしてくれた。早く清水で洗った方が良いとのアドバイスを得て近くのトイレで充電口を中心に洗った。ご迷惑をおかけして申し訳なかった。特ににっぽん丸のガイドさんが一緒にショックを受けてくれて申し訳ない。でもとりあえず現物が戻って良かった。平身低頭引き揚げる。


海中滞在時間約10分のスマホは、サルベージ直後は不調だったものの、翌日は機能を完全に取り戻した。それにしても箱眼鏡で拾い上げてくれた船頭さんの技は卓越している。この災難から不安定だと思ったたらい舟は、海中の漁にとても適していることが体験的・実証的によくわかった。関係者の皆さん、お騒がせして大変すみませんでした。

スマホを回収してくれるたらい舟の船頭さん(迷惑をかけておきながらでデジカメを出して妻が写真を撮る)
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2022年6月 9日 (木)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その4(寄港地編 関門・天橋立)

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日本製鉄九州製鉄所

先に書いたとおり今回このクルーズを選んだ理由の一つが航路や寄港地が魅力的だった事である。まずは関門海峡である。カボタージュ目的で釜山や済州島に寄港するクルーズ船は、関門海峡を夜間に通行する事が多いが、門司港発着のこのクルーズなら昼の北九州の眺めを船上からゆっくりと堪能できる。小倉・八幡・戸畑の工業地帯に拡がる製鉄所の高炉群、彦島の精錬所の煙突や白島石油備蓄基地の遠影、洞海湾に見えるかつての「東洋一」の若戸大橋など屈曲する関門航路の右舷・左舷につぎつぎに展開する情景は、さながら日本の近代工業化をたどる社会科見学のようで飽きることがない。六連(むつれ)島を最後に見れば、大東亜戦後この検疫錨地が大陸からの引き揚げ船で忙しかった現代史に思いが至る。


翌朝、目が覚めると船は舞鶴湾であった。終戦後に66万人の引き揚げ者が帰国の一歩を踏み出した港である。周囲に山が迫り航路が曲がっている湾内の光景は横須賀港や佐世保港に似ており、ここにかつて帝国海軍鎮守府が置かれた理由も海から来てみるとよく判る。今までも幾度か書いてきたが、クルーズ船で海から訪問すると陸の旅からでは感じることができない、そこに町や港が存在する必然性が体感できるというものだ。ここ舞鶴からは観光バスに揺られて約1時間、日本三景の一つ、天橋立へのオプショナルツアーに参加することにした。松島や安芸の宮島はすでに何度か訪問したので、これでやっと日本三景を制覇できたと思うとちょっと嬉しい気分がする。


天橋立というのは天然の砂州だそうで、ケーブルカーで登った傘松公園からはまずはお約束の「また覗き」を楽しんだ。見ると公園の眼下には橋立観光の遊覧船が走っているのどかな情景が拡がり、砂州の南側には小さな廻旋橋があって、外海につながる宮津湾と橋立内の水域(阿蘇海)を小さな船舶が往来できるようになっていた。阿蘇海の奥には日本冶金の大江山製造所があって、工場の傍らにニューカレドニアやフィリピンから運ばれて来た大量のニッケル鉱石が野積みされているのが傘松山から遠望できる。輸入されたニッケル鉱石は宮津湾で大型のバラ積み本船から何隻かのバージに積み替えられ、廻旋橋を利用して工場の傍の鉱石荷揚げ場までシャトル輸送で運ばれているようだ。


日本でニッケル鉱石を大量に輸入する港は八戸(青森)、日向(宮崎)と宮津の三港のみで、現役時代は八戸や日向の仕事に深く関わってきたものの、ここ宮津に関連する仕事にはまったく縁がなかった。なので持参の望遠鏡は天橋立の松林よりバージの荷揚げ場や鉱石の置き場ばかりに焦点が合ってしまい、まだ仕事の余韻が抜けていないのかと我ながら苦笑。大江山はかつてニッケル含有分が多い鉱石が採れたそうだが、原料を海外に頼る時代になっても天橋立の奥に主力工場があるのはちょっと不思議だ。さて、ツアーのにっぽん丸への帰路は京都丹後鉄道(旧国鉄宮津線)の「天橋立駅」から「西舞鶴駅」まで一両の気動車に揺られる旅であった。途中の由良川にかかる橋梁は水面上3米を走る列車が”バエル”そうで鉄道ファンでなくとも人気のスポットらしく、40分余りの鉄路の内この部分だけを乗る人たちも多かった。こうしてみるとクルーズ船の旅はまことにシニアの社会科見学の場だと思うのである。


天橋立の股のぞき
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京都丹後鉄道・人気の由良川橋梁
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2022年6月 5日 (日)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その3

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食のにっぽん丸

さて「食のにっぽん丸」である。今回の4泊のクルーズでは洋食が2回、和食が2回でいずれもオーソドックスな味で楽しめた。特に和食はダシが適度に効き洋食はドレッシングがとても美味である。せっかくだからディナーも飛鳥Ⅱのように「何でもお替りしてください」と言ってくれると嬉しいが、にっぽん丸は原則お替り不可なのはかえすがえすも残念なところだ(尤も今回はクルーを煩わせては気の毒だとリクエストはしなかった)。また船内のサービスクルーは日本人、フィリピン人とも良く頑張っているも、飛鳥Ⅱと比べ総じてシャイで乗客との距離も控え目だと乗船する度に感じる。例えばフィリピンクルーに知っている限りのタガログを使って話しかけた時は、飛鳥Ⅱのクルーは嬉しそうに返事をして話も弾むが、にっぽん丸は照れ臭そうににこっと笑ってそれっきりということが多い。もっともこれは善し悪しで、飛鳥Ⅱのクルーは馴れ馴れしいとの声が一部にあるようだ。だが、私はせっかくの乗船なのだから飛鳥スタイルの方が楽しめるし、タガログ語の単語をもっと覚えようという気にもなるのである。


乗船した夜は藤田卓也テノールコンサートに先だって船長・機関長・GMの紹介があった。飛鳥Ⅱは感染症対策でオフィサーが乗船客の前に出て来ることはないし、そもそも短いクルーズでは挨拶自体がないが、久しぶりの紹介は客船らしく良いなと思っていたら、肝心の船長のスピーチは、名前を云う程度の余りにそっけないものでびっくりした。これまで内外のクルーズ船に数百泊したが、その中でも最も短い船長スピーチであった。これからのクルーズに先だって航路の予定や天候予報などを聞けば旅への期待も高まるのに、なんだか肩透かしを食らった感じである。フロントで尋ねると本船の船長は商船三井本体から来ているキャプテンだそうである。貨物船ではないのだからせっかくの機会に客とのコミュニケーションが必要ではないか、と思っていたらやはりその懸念が現実のものになった。佐渡小木港はオーバーナイトでステイの予定が、入港日の出港と変更になったのだが、その際のアナウンスが「翌日の出港時に強風が予想されるため、入港した日の夕方に出帆することになった」との味も素っ気もない極めて事務的なものだったからである。


予定変更に関するブリッジからの船長の放送は、前線が通過するのか低気圧の影響なのか、どのくらいの風がどちら側から吹くのか何も言わない。タグが1隻配置されていたのに拘わらず翌朝の出港が無理なのかなど知りたいことは山ほどあるのに、「なんだこのアナウンスは、これで客を納得させようというのか?」と思わせる簡素なもので思わずのけぞった。我々は停泊二日目の早朝に予定していた小木の町でのジョギングができなくなったし、佐渡で友人と再会したものの急遽予定を繰り上げて帰船した知り合いの船客もいた。安全上の理由によって予定が変わることそのものに異論はないが、大きな変更に際しては十分な説明が必要であると私は考える。と言うのも本船が慌てて出港した翌日に、普段は伊豆諸島航路に就航している東海汽船のさるびあ丸が、にっぽん丸が着いていた同じ岸壁、”強風の時刻”に問題なく着岸したことがすぐにわかったからである。


さるびあ丸は東京の青山学院の小学生の「洋上小学校」としてチャーターされ日本一周の航海途中で小木に寄港したもので、SNSの情報によれば「強風」のはずの小木港に朝に着き、子供たちは問題なく下船して島内を廻っている。排水量(重さ)に比べ風袋が大きい客船は風の影響を受け易いのはわかる。とは云え22,472総トンのにっぽん丸が早々と小木港から退散した同じ岸壁に、アジポット推進とはいえわずか6,000総トンのさるびあ丸が何も問題なく着岸できたのは不思議なところだ。港湾設備が十分でない伊豆諸島で大きなうねりの中で着岸させる技術にたけている東海汽船だから小木港でも問題なく着けたということなのだろうか。SNS時代で乗客も様々情報が簡単に手に入る時代である。船長の情報伝達能力には首を傾げざるを得ず、乗船客を納得させる航海情報を常々提供するように心がけてほしい。


などといろいろ注文をつけたがが、中南米移民船以来一貫して客船サービスを提供している商船三井客船とあって、船内は諸所でクルーズを盛り上げようとする気概を感じた。特に新しく始まったクルーズディレクターによるスポーツデッキにおける入出港時の解説は、彼の乗り物好きの本領発揮のようで海陸のあれこれ蘊蓄も混ざり聞き応えがあって秀逸であった。彼はドルフィンラウンジにHOゲージとNゲージの線路を敷き、ここには鉄道模型を持ち込んでも良いらしいからこれからどうなるか興味深い。また予定変更の結果、ゆっくり見ることができた隠岐諸島、特に西の島沖から見る断崖絶壁は、ハワイのナパリコーストを彷彿とさせる絶景でしばし息を吞んだ。にっぽん丸には伝統のサービスをシェイプアップし、より良いクルーズをこれからも展開して欲しいと願っている。

タグを使って小木港出港
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2022年6月 3日 (金)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その2

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PCR検査の結果を待つ間に配られた豪華弁当

5月24日夜、乗船前夜は北九州空港からバスで小倉駅に到着し、駅に隣接するJR九州のビジネスホテルに宿泊。JALのラウンジでサービスの生ビールを三杯も飲んできたし、夜も10時近いのであっさり(?)と小倉ラーメンの夕食を取ることにした。駅前の食堂で独特の細麺に豚骨スープをすすると「九州に来た」という実感が湧いてきた。横浜からクルーズ船に乗る時は大さん橋の駐車場にクルマを駐め、すぐ上のフロアで乗船手続きなので日常の延長感が強いが、このように違う都市から船に乗るのは面倒なるも旅情を掻き立てられるものだ。翌朝は小倉市内の国道3号線などで40分ほどのジョギングをすませ、鹿児島本線の電車で門司港駅に向かう。集合場所のプレミアホテル門司 ( 旧門司港ホテル )では、おなじみの乗船直前PCR検査だが、乗船客が少なめ(今回は約200名)で受付はスムース。あっと云う間に手続きを終えてPCR検査の結果が出るまでの待機場所である宴会場に通された。ここから乗船するまで延々3時間は、マジックショーやインストラクターによるストレッチタイム、さらにお弁当が出て待つだけの無聊を慰めてくれた。


今回のにっぽん丸クルーズで予約したキャビンはスーペリアツインと名づけられたステートルームである。本当はもう少し安いスタンダードステートかコンフォートステートにしたかったのだが、1か月ほど前に乗船予約をした際にはこれらはすでに一杯の状態であった。にっぽん丸はドックのたびに3人部屋のステートルームをスーペリアツインに改装しており、従来の安いキャビンを希望するなら早めの予約が必要になるようだ。ベッドが互い違いに配置されたスタンダードやコンフォートステートは乗船時に部屋に踏み入れた時にいつも違和感を感じてきたが、スーペリアツインはツインの2つのベッド枕の部分が窓際の同じ位置にあるのが「フツー」で良い。


久々のスーペリアツインは、内装が大きくリノベ―トされており使い心地はとても良好であった。収納スペースも十分にあり、これなら今冬のモーリシャスへのクルーズでも十分耐えられそうだ。洗面所・トイレの棚もモダンで機能的である。特にベッド部分とデスクやトイレのスペースが遮光カーテンで仕切られているのは、就寝時の中高年の動線を考えるととてもリーズナブルに思える。残念なのは天井のエアコンの吹出し口が、昔の通勤電車の丸い通風機のようなごく事務的なものであること。それに暗くなってから自室内で点灯すると、4階の我々の部屋はプロムナードデッキから内部が丸見えになってしまうのが何ともいただけない。ここには中から外が見えるも、外からは夜間でも反射して見えないガラスなどをはめて欲しいところである。


デッキのジョギング禁止の本船でも4泊の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」を選んだ理由が、船が舞鶴と佐渡小木港それぞれで毎日着岸するため上陸して街中を走れる旅程だったことにある。しかしなぜか小木港のオーバーナイトステイ予定は急遽前日の夕方に出港することになり(この事は後述予定)、終日航海日が出来てしまった。よってこの日は我々はやむなく7階のオアシスジムで汗を流すことにしたのだが、ここは僅か3台のウオーク・ランニングマシンの内1台が感染対策で使用不可とされていた。ジムにはフィットネスインストラクターではなくフィリピン人サービスクルーの女性が一人ぽつねんとおり、やって来た乗船客の検温と入退室管理をするだけだ。順番を待ってやっと乗ったランニングマシンは、空調がまったく効かない場所に置かれて10分も体を動かすと大汗が噴き出てくる。しかしここにはタオルが置かれておらず「部屋から持ってきてください」とのスタンスにはちょっと驚いた。毎回の事なるも本船のこのフィットネス環境の貧弱さはもう少し何とかならないものか。(続く)

ジムに置かれた僅か2台のランニングマシン
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2022年6月 2日 (木)

続・陸と海と空 にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」その1

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門司港のにっぽん丸

2013年6月に「陸と海と空」と称するブログをアップした。それは乗り物好きの我々が航空機・フェリー・鉄道を乗り継いだ旅行記だったが、先週から今週にかけて久しぶりに各種乗り物を満喫する旅ができた。今回も1週間の旅をするなか、しばし「陸と海と空」というフレーズが脳裏に浮かんできたので、再度この題名で纏めてみたい。その前に2013年当時のブログの冒頭に記した「陸と海と空」の由来を下記にコピーしてみる。


『昭和37年ごろ毎週日曜の朝「陸と海と空」というテレビ番組があった。三遊亭小金馬氏の司会でスポンサーはプラモデルのマルサン。模型の話と共に最新鋭の陸・海・空の乗り物特集が毎週あって、当時全日空に導入されたビッカース・バイカウント機などが紹介されていた。その頃の日本はまだ貧しく、子供にとって特急や飛行機の旅などは夢のまた夢の時代である。乗り物ファンの少年としては、テレビ画面に登場する日航のコンベアジェットや東海道線を疾駆するこだま型の電車を眺めては、早く大人になってあこがれの乗り物の客になりたいと夢を膨らませていたものだった。』


さて今回は4泊5日の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアム」にっぽん丸クルーズを中心に据え、前泊として北九州・門司にほど近い小倉に宿泊、下船後はJR九州や西鉄電車を使い大宰府観光を楽しむことにした。クルーズ船のほか、九州の往復にはマイレージ特典利用の航空機、それも帰路・福岡からはJALの最新鋭エアバスA350-900とし、舞鶴では北近畿タンゴ鉄道乗車のオプショナルツアーに参加、佐渡ではたらい舟を経験するなどの新旧織り交ぜての乗り物ツアーである。


にっぽん丸の「門司発着 海の京都 舞鶴と佐渡島プレミアムクルーズ」乗船を決めた理由は、よく乗る飛鳥Ⅱが5月中はエンジントラブルで休航していること、終日航海日がなく必ずどこかに寄港する日程のため、デッキ走行禁止のにっぽん丸でも寄港地で毎日ジョギングでき運動不足に陥らないこと(これは後の日程変更で予定が狂わさて面食らったのだが・・・)、舞鶴から天の橋立観光や北近畿タンゴ鉄道に乗車でき、佐渡はこういう機会がなければ訪れることのない島であることなどである。ということで、5月25日(水)の乗船に先がけ、24日(火)は夕方のJAL便で北九州空港に向かった。


エアバスA350-900の窓から
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2022年5月16日 (月)

にっぽん丸で航く モーリシャスプレシャスクルーズ(2022年12月出港)

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2011年4月モーリシャスのポートスイル港

客船にっぽん丸を運航する商船三井客船 (MOPAS) が今年12月出港の「にっぽん丸で航くモーリシャス プレシャスクルーズ」を発表、5月12日に行われた商船三井グループの同クルーズに関する記者会見の模様(動画)がMOPASホームぺージに掲載された。定期用船中だったばら積貨物船WAKASHIO号が2020年7月に起こしたモーリシャスでの海難油濁事故を受けて、商船三井は現地の自然環境の回復・保全のほか、地域社会への貢献に取り組む活動を継続しており、その一環として今回のクルーズが決まったとの説明が動画会見から流れてくる。「日本とモーリシャスの架け橋」「モーリシャスの観光を盛り上げ」のために、2012年以来久しく催行されていなかった、にっぽん丸によるロングクルーズをMOPASは再開するとのことである。今回はモーリシャスのポートルイス港に3泊も停泊し、農業体験や現地の人々との交流も企画されているそうだ。


当時のブログ
WAKASHIOの座礁油濁事故を考察する(2020年8月14日)
WAKASHIO の座礁油濁事故を考察する(続)(2020年8月22日)
にもあるようにWAKASHIO号事故の法的な責任は商船三井ではなく岡山県の船主にあるが、その後、現実に起きた災厄から逃げずに社会的責任を果たそうと努力する会社の姿勢は高く評価できる。そうしたなか、まだ世界的にコロナウイルスによる混乱が続くにも拘わらず、一早くモーリシャスを目的地にしたクルーズを実施するのは相当な決断だと云える。このクルーズは47泊48日で最も廉価のスタンダートステートで181万円(1泊当たり38,510円)、デラックスベランダが383万円(同81,500円)、最高のグランドスイートで815万円(同177,000円)、株主優待は優待券1枚で3%、最高6%割引とのことである。現在の日本クルーズ船の水準からみれば発表された価格はきわめてリーズナブルであり、そのうえ最大定員450名のところ募集するのは350名と発表されており、これで採算が取れるのか心配になるほどだ。商船三井本社の決算が絶好調で余裕があるなか、モーリシャスへの貢献が口約束だけではないことを実証するかのクルーズにみえる。災い転じて福となさんとする姿勢にまずは「あっぱれ」と拍手を送りたい。


しかし発表された旅程を前に乗船を真剣に検討するかとなると、「ウーん」と唸ってしまうのも事実。まずシンガポールを過ぎた後の航海日が長いことが問題である。シンガポールからマーレ(モルディブ)が中4日、マーレからポートルイス(モーリシャス)が中4日というのはまだ我慢できるが、帰路のトゥアマシナ(マダガスカル)からシンガポールまではインド洋を9日間航海日だけというのはさすがに気乗りしない。(帰路は南インドに寄港して欲しいものだ。)島影一つないインド洋はうねりも大きく、プールの水は大暴れし、人気のダンス講習では種目も限られよう。楽しみと云えばグリーンフラッシュや洋上で見る竜巻などの観察だが、これも日がな一日自室から見ることができるのは値段が高くかつ数が少ないベランダ付キャビン利用者だけに限られる。にっぽん丸はデッキでジョギングもできないし、フィットネス施設も小規模で我々にとってはこのクルーズに乗船したら時間を持て余すに違いない。とは云え2018年の飛鳥Ⅱのワールドクルーズ以来、ウイルス騒動で中長期クルーズとは縁が遠い。にっぽん丸モーリシャスプレシャスクルーズの日程を見てはとかく煩わしい陸上の世界から解放され、波にゆったり揺られたい気も強くなってくる。

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インド洋の大きなうねりで水平線が大きく上下する(2011年4月飛鳥Ⅱ)

2022年5月 6日 (金)

”東京みなと丸”による「東京港を観て学ぶ」ツアー

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竹芝小型船船着場の”東京みなと丸”

東京都の新造視察船 ”東京みなと丸” による「東京港を観て学ぶ」ツアーに参加した。東京都港湾局主催の ”東京みなと丸” を使った約1時間半の東京港巡り(無料)は、毎週火曜日から金曜日の午前と午後に2回づつ行われており。毎回先着順で乗船申し込みを受け付けている。東京都港湾局のホームページにはこのツアーに関して「東京港は日々進化しています。首都圏の生活と産業を支える物流をさらに円滑なものにするため、ふ頭や倉庫、橋や道路を整備して、港湾機能の充実・強化を図っています。また、臨海副都心では、ビジネスと観光の拠点として賑わいと活力あるまちづくりが進んでいます。視察船『東京みなと丸』は、みなさんの生活と深く関わる東京港の役割を多くの方に知っていただくことを目的に運航しています。」とある。


発着場所の竹芝小型船船着場に行くと、目の前には豪華クルーザーかと見まごう白い瀟洒な ”東京みなと丸” が出港を待っていた。視察船というよりは、まるでカリブ海の金持ち所有のプライベートヨットというたたずまいである。2020年にイタリアの造船所で完成した ”東京みなと丸” は建造費が20億円とのことで全長35米、総トン数215トン。いかにも小池現都知事が好きそうなVIP接待用の豪華クルーザーと云う外観だが、実は舛添知事の時代に建造を決めており、以前の視察船 ”新東京丸” が老朽化したための代替船である。船価20億円だそうでこの価格なら2万重量トン級の外航貨物船も建造できる。就航当時はメディアでも報道されたが、いかにも税金の無駄遣いとの声が一部の煩いところから聞こえそうな船ではある。


乗船すると案内されたのは22人収容の広々とした会議室風のキャビンであった。昨年の東京オリンピックに際してプレスやコンフェレンス用に準備されたそうで、豪華ヨット風の内装かといそいそと乗り込んだものの、その事務的で簡素な造りにはやや拍子抜けである。階上にはパントリー、ダイニング、展望デッキなどがありテーブル・絨毯は和風の調度品となっているとのことだが、そのGENERAL ARRANGEMENT(一般配置図)や写真はネットでは一切公表されていない。世界の東京である。ケチくさい仕様などにせず海外のVIP接待用に豪華な内装で私はまったく構わないが、警備上の理由か、納税者への(余計な)配慮か、このツアーでも階上は立ち入り禁止で見学できないのは残念であった。


「東京港を観て学ぶ」クルーズは遊覧レストラン船などと同様に大井ふ頭、羽田空港沖、中央防波堤、東京ゲートブリッジ、青海コンテナふ頭などを廻るごく標準的なコースだったが、東京港港湾振興協会OBによる船内での解説は「さすが」と言いたくなるような名調子。新しく出来た中央防波堤付近の解説、特に浮きドックで伊豆諸島の港湾整備用にケーソンを造っていることや、新しいPCB処理工場の設置など、港というととかく船や荷捌きに目が行きがちなところ、東京港の新たな役割を学べたことは収穫であった。このツアー、有料にしても良いから階上にあると云われるパントリーなどを解放し美味しいコーヒーでも提供して、もう少しゆっくりと回ったら良いのにと感じた。せっかくの豪華なヨット風の船体なのだから、ケチ臭い航海にせず「乗って楽しかった」と人気を博すようなエクスカーション・イベントにしたら如何であろうか。

会議室風の船内
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2022年5月 1日 (日)

続々・KAZU1の遭難事故 保安庁の検査と小型船舶安全規則

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瀬戸内海で運航される小型船舶(18トン)の操縦席(2021年11月)。19トンのKAZU1もかつては瀬戸内海で使用されていた。

知床で行方不明だったKAZU1の船体が「カシュニの滝」沖合の深度100米の海底で見つかった。今後船体引き上げがうまくいけば事故の原因が解明されることだろう。云われていた船体の亀裂が荒れた海で耐え切れずに破孔が生じ浸水したのか、あるいは岩場で座礁し船底が損傷して浸水したのか、はたまた先にエンジンが故障して動力を失い船が荒波にもまれうちに浸水沈没したのかがわかるはずだ。それにつけても実職歴が実質半年の船長と初乗船で海の仕事は初めての甲板員のクルー、会社の船舶無線のアンテナが折れている上、船内に備えつけられているはずの衛星利用の携帯電話が故障していたなど、報道で次々にこの会社のずさんな運航体制が浮かびあがる。事故当日に会社の無線アンテナが使用できずとも、稼働していたとされる僚船KAZU3の無線でKAZU1に呼びかけなどは出来たはずだが、この事故にはまだまだ明かされない事実も多いのではないか。


今回は無線や衛星携帯電話の連絡手段がダメなので普通の携帯電話を使用することとして直前に行われた海上保安庁の検査をパスしたそうだが、そもそも相模湾や駿河灘など人口密集地に近い海上でも少し沖合に少し出れば携帯の電波は届きにくかったりまったく届かなくなったりする。ましてや知床半島など人口が極めてまばらな地域の沖合で携帯電話だけの通信手段、それも実際の疎通テストもなしに書類申請のみで保安庁は検査に合格させたそうで、なんといい加減なものであったのか呆れててしまう(かろうじてdocomoしか通じないのに船長の携帯はauだったとの報道である)。地元の顔見知りによるなあなあ体制なのか、ただやりましたという形だけなのか、どのような検査が保安庁によって行われたのか大いに疑問である。


この点では外航船舶の場合には船舶検査の他に、ISM CODE ( INTERNATIONAL SAFETY MANAGEMENT CODE ) という厳しい品質管理基準が強制的に導入されており、このような杜撰な検査はまかり通らない仕組みになっている(それでも時々大きな事故はおこるが)。ISM CODEは陸上のIS0に似た船舶の安全基準で、保船・運航・緊急事対応などの安全管理システムを船舶の所有者が自ら構築し、定期的にそれについて厳しい査察を受ける国際的な規制である。定期的に行われる審査に合格しその証書がなければ旅客船を含む外航船舶は航海ができないシステムだが、日本国内内航の小型船舶でも少なくとも多くの旅客を輸送する船舶には同じようなシステムを強制適用することが今後必要になるのではないか。


事故を受けて改めて小型船舶操縦士の教則本や、船舶安全法の小型船舶安全規則を読んでみると、沿海資格や沿岸資格の小型船は安全に関する項目については除外規定が極めて多い上に、温かい海でも寒い海でも沖縄から北海道まで基準が国内一律であることがわかった。なかでもこのブログの4月25日の追記のとおり、小型船舶安全規則第五十八条2では「沿海水域限定の小型船舶は救命いかだに代えて救命浮器でも可」との除外規定があり、これが今回の寒い海での海難事故で多くの犠牲者を出す原因になったと考えられる。知床のような寒い海水域で船が沈んでも、海上に投げ出されるのでなく救命いかだに乗り移ることが出来れば多くの人命は救われたであろう。

 

本船はもともと瀬戸内海の島々の連絡用に建造された船なので救命浮器しか装備されていなかったが、売船されて知床で営業に就くに際して本来ならば定員分の救命いかだの搭載が望ましかったはずだ。メーカーのカタログを見ると救命いかだは浮器の4倍もの値段なのだが、寒い海で営業する遊覧船には救命いかだの搭載を義務づけるように法律改正をすべきであろう。日本の海岸線の長さは世界で6位、排他的経済水域まで含めると広さは世界4位、亜熱帯から亜寒帯まで含む広大な日本の海を一つの安全基準で規制することは無理がある。また小型旅客船営業に対する保安庁(または小型船船舶検査の代行機関)の検査体制の見直しや、安全のための船舶管理システムの導入が望まれる。

 

5月3日追記:

億円単位と云われるKAZU1船体の引き上げ費用について
今回の事故に関して船主(今回は運航会社)には船舶全損につき損保の船舶保険で保険金が支払われる。被害に遭った旅客には損保の船客障害賠償保険で保険金が支払われる(社長の話では乗客に対する保険金額は十分な額が設定されているとされている)。海難上は船主にはこれ以上の賠償責任はない。もし全損となった船体を法的に撤去する必要がある場合、すなわち当該船骸が油濁の原因や航路の障害となり海岸法や港則法、海上安全法などに抵触する時にはPI保険(船主責任保険)もしくは船舶保険のPI特約で処理することになるが、おそらくこの会社はPI保険(またはPI特約)には入っていないだろうし、深海に沈んだKAZU1の法的な引き上げ義務も船主には生じないだろう。よってKAZU1の船体引き揚げについてはその必要性がある捜査機関、すなわち国が費用を支払うことになると思われる。杜撰な運航管理の結果事故が起き、その引き上げ費用を税金で賄うというのは心情的には納得できないが、法的にはこうなるはずだ。

 

2016年3月ハワイ・ホノルルでの飛鳥Ⅱ
米国COAST GUARDの検査により救命艇の是正措置で一日出港が遅れる。その際の救命艇のテストの模様。米COAST GUARDの検査は大変厳しい事で知られる。
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2022年4月26日 (火)

続・KAZU 1の遭難事故

KAZU1の遭難事故に関して、日夜さまざまな事が報道されている。そのうちのいくつか気になる点を記してみよう。

4月25日付の読売新聞(朝刊)は「KAZU1に甲板員として乗っていた曽山さんは、今年4月に観光船の運航会社『知床遊覧船』に入ったばかりで、それまでは船員としての実務経験はなかった。大学卒業後に各国を巡り、税理士事務所で勤務していたが、『船に乗りたい』と入社した」と報じている。今回の航海はKAZU1にとって今季初の営業航海だったから、彼にとっては人生初の海上の現場であった。知床の海の経験が一年余りの船長と、まったく船員実務経験のない甲板員の2名でいきなり事故に遭遇した後、災害からの離脱や乗客の誘導などが適切に行われただろうか大いに疑問が残る。

 

ネットニュースでは、冬季に観光船が上架されている間に他社の船は船体に付けられた防触亜鉛版(アノード)を交換するのに、KAZU1は行っていなかったとの同業他社の声が伝えられていた。とするとKAZU1には十分なメンテナンスが為されていたのだろうか。また4月25日のTV報道ステーションでは水難学会会長の斎藤秀俊氏が、雪国では冬の間に甲板の上に積もった雪の雪解け水が、甲板上部の給油口からしみこんで燃料タンクに水が入ってしまう事があると発言していた。それを知らずにエンジンを始動すると、その水がエンジンに回って、動かしているうちに出力が落ち、突然止まってしまうことがあるそうだ。今季初航海のKAZU1ではこのような事象が起きた可能性もあるだろう。

 

「水に落ちた犬は叩け」というシナの諺があるが、この会社の風評や好ましからざる実態が、ここ数日メディアより次々曝露されている。数年前にこの会社の船員は全員解雇されて知床の海を熟知していない船長が操船している、昨年は2度の事故を起こしている、社長は陶芸家で船舶や観光業とは無縁だった等々である。有名なハインリッヒの法則によれば、一つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景に300のヒヤリ・ハット異常があって、それらが一直線で結びついた時に悲劇的な事象が起こるとされている。今回はこれらの地元での悪い評判が、ただちに事故につながったのだと云えよう。以前、小型船舶免許や安全規則に関する様々な要件の緩和措置は遊漁船の営業対策支援の面が多いと聞いたことがある。しかしたとえ小型船舶で沿岸・沿海ないしは平水限定と云えども多数の客を乗せて観光を行う船には、近海水域以上の船舶に準じたより厳しい安全基準が適用されるべきではなかろうか。

 

飛鳥Ⅱの救命艇に装着されている防触亜鉛板
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