カテゴリー「船・船旅」の記事

2023年5月24日 (水)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(最終4) 吉野ヶ里公園

220230524

吉野ヶ里駅近辺では、なんとも長閑な光景が広がっていた

3泊のクルーズなどあっという間だ。クルーズ旅行なら最低でも1週間くらいは乗って、そのうち2~3日は寄港地に上陸、残りの日はゆったりと船上生活を楽しみたいところである。船上生活と云えば、これまで飛鳥Ⅱには約400泊ほど乗船したので、我々にはルーティンができている。朝は8時台に起床、朝食は主にビュッフェ、午前中から昼頃にかけてデッキで8キロから10キロのジョギング、昼前に露天風呂に駆け込み、昼食は抜くか、ごく軽くつまむ程度。午後はダンス教室が開催される時は極力参加するが、それ以外はパブリックスペースでゆったりとコーヒーを飲んで過ごす。夕方になると海と夕陽の見える場所で図書室から借りた本を読み(大体うたた寝になる)、5時過ぎからは自室でプシュっと缶ビールを開ける。ショーは特別興味がある演目以外はパスし、8時前の2度目の食事(セカンドシーティング)で夕食を摂った後は、夜は船内各所の生バンド演奏などを聞きつつ、踊れれば数曲ダンスして寝るという生活である。これなら余り疲れることもなく日々が過ごせるが、短いクルーズだと乗船して2日目や3日目にビンゴ大会が開催されるなど、急に忙しくなるのに面食らう事しばし。このような船上暮らしに慣れた今は、クルーズ船にはもっと長く乗っていたいのが山々なるも、価格が高くなった最近の飛鳥Ⅱだと、そう沢山乗ることもできない。


こうしてやや慌ただしかった3泊のクルーズも終了、4日目の朝9時過ぎに博多港で下船した後は、福岡空港からマイレージ予約した便で帰京する事にした。ただせっかくの北九州なのでフライトは午後7時出発にし、下船日は観光してから帰る計画にしている。もっとも北九州と云っても広いエリアだし、大宰府も昨年行ったばかりだ。今回はどこに行こうか思案していると、この3年半、武漢ウイルス騒動で海外旅行ができなかった分、あちこち国内を旅行した結果、あと行ったことのない県が佐賀県だけになったと妻が言う。我が家の「行った場所」の定義は、通過や乗り換えするだけでなく、その土地で下車して宿泊や観光、ゴルフその他イベントに参加するなど、一定時間滞在して消費活動することが必須要件であり、そういえば佐賀県の観光地や都市は訪問したことがなかったことに気がついた。その佐賀と云えばまず思い浮かぶのが唐津や呼子方面だったが、この2か所を半日で急ぎ足で回ってしまうのもちょっと勿体ない。よって今回は3時間くらいあればぐるっと回れる特別史跡「吉野ヶ里遺跡」を訪問することにした。30年ほど前に、弥生時代の大規模な遺構・遺物が発見されたと話題になった吉野ヶ里は、いま「吉野ヶ里歴史公園」として整備されており、長崎本線の車窓からは、ほど近くに復元された物見やぐらなどが見えるので、ちょっと気になっていた場所である。


博多駅から南下すること40キロ、鹿児島本線を鳥栖で降り、長崎本線の電車に乗り換えて博多から1時間ちょっとで、我々は佐賀県にある吉野ヶ里公園駅に着いた。訪れた日は月曜日とあって、駅から公園に向かう地元の道はパラパラと数人が歩くのみである。あたりは収穫が近い麦畑ばかりで、ひばりのさえずりがウルさいほどの何とものどかな場所だった。10分ほど歩いて着いた「吉野ヶ里歴史公園」は、想像をはるかに超えた立派な施設で、眼前には南北の長さは1700米、東西には500米~最大1100米に亘る園地が広がっていた。ここは全国に16ある国営公園の一つで、国土交通省の管轄で整備されたとのこと( ただし吉野ヶ里公園の一部は県営 )。国営公園とは東京近辺なら東上線の森林公園、立川の昭和記念公園などがそれで、2001年に開園になった吉野ヶ里公園は大変な予算・運営費が投じられていることが窺える。東京や大阪近辺ならば平日と云えどもかなりの入場者がいるはずだが、駐車場はガラガラ、園内は韓国や台湾からの外国人客が目立つばかりで、日本人観光客の姿はまばらであった。65歳以上のシニア割引で入場は僅か200円、妻は大人料金460円とあって、なんだか申し訳ないくらいである。


来てみると吉野ヶ里の地はちょっとした高台にあって、背後の背振山地が北風を防ぎ、前面には有明海が開け、傍らに田手川が流れて、山の幸、海の幸が豊富でさぞ住み易かったであろうことが分かる。ここに紀元前5世紀から紀元3世紀の弥生時代にクニができて、後期には一帯で数千人が定住していたとされ、魏志倭人伝に記された卑弥呼の邪馬台国が吉野ヶ里だった可能性もあるそうだ。吉野ヶ里のクニは総延長2.5キロ、幅が4~5米の環濠と柵・土塁によって外部と隔てられ、入口は兵士によって固められていたとのことで、環濠内は、住居のほかに倉庫や物見やぐら、祭殿などがあったほか、墳丘墓や祭壇などが発見されている。ここでは農業が営まれ、周囲とは物々交換の交易をしていたことが分かっており、当時は国内最大規模の環濠集落だったと云われている。園内のトイレを使用した際に、ふと当時のトイレ事情はどうだったのか、糞尿対策はどうしたのか気になって係り員に聞いたところ、まだその辺りはよく分かってないと答えが返ってきた。公園内では今も発掘調査が行われており、トイレ問題も含めてこれからも新たな発見があることだろう。公園内が広いこともあって予定していた見学時間はすぐにオーバー。急いでこの日のもう一つの目的地、佐賀城を見学し福岡空港に駆け付けたところ、スマホの歩数計は一日で2万5千歩、16キロを歩いたことを示していた。

 

吉野ヶ里公園の環濠内に再現された弥生時代の祭殿

20230524

2023年5月23日 (火)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(3) 宇佐神宮と豊後高田

20230523
全国の八幡神社の総本宮 宇佐神宮

別府は幾度か行ったことがあるが、海から訪れるのは初めてだ。高崎山を左手に、前方に鶴見岳や由布岳を望みつつ、飛鳥Ⅱは別府観光港の石垣地区第4埠頭に9時に着岸した。目の前には大阪~別府航路に今年投入されたばかりのLNGを燃料とするフェリー ”さんふらわあ くれない”が着いており、さかんにトラックのシャシーを積み下ろしている。海に向かって傾斜した別府の街は、船から眺めると所々に湯けむりが立ち上り、ここがいで湯の里だという風情を漂わせている。この日の出帆は17時、乗客の最終帰船時刻は16時30分で、停泊の実質7時間ほどの間に、船から約50キロ離れた宇佐神宮と「昭和の町」豊後高田市をJR日豊線で訪れることにした。とは云え岸壁から3キロ以上離れた別府駅から、1時間に1~2本しかない列車に乗り移動、宇佐駅の西と東にそれぞれ4キロほど離れて位置する2つの目的地を、制限時間内で訪れるスケジュールを作成するのは、ちょっとしたパズルを解くようなもの。本当はレンタカー利用としたいが、最寄りのレンタカー会社は岸壁から遠くて歩いて行けないし、土地勘がないので渋滞にでも巻き込まれたら帰船時間に間に合わなくなる恐れもある。よって今回はJR線の電車や大分交通バスの時刻表、それにネットの情報などを駆使して、これしかないという予定を立てて飛鳥Ⅱの舷門から上陸した。


やって来た宇佐神宮は山や森を背に、寄藻川(よりもがわ)が境内を流れる、いかにも神のおわす場所らしい壮大な神社であった。この神社は歴史的な経緯から、我が国皇室においては伊勢神宮に次ぐ宗廟として位置づけられると参道の由緒書きにある。宇佐神宮は全国八幡社の総本宮とのことであり、八幡信仰とは応神天皇の正徳を称えつつ、日本固有の神道と外来の仏教が融合する宗教なのだそうだ。神仏混淆は日本人の優れた習俗だとかねがね思っていたが、その大もとが宇佐神宮だったとは今まで知らなかった。SEEING IS BELIEVING、何でも来てみるものである。お参りを終え神社そばのバス停から、次は一時間に一本の大分交通のローカルバスで豊後高田に向かう。豊後高田市はかつては国東半島の商業中心地だったが、1965年にこの町が起点だった宇佐参宮線が廃止されたあと、御多分に漏れずモータリゼーションや郊外大型店の進出で町の商店街はさびれる一方だったとのこと。そこで21世紀に入り、町おこしの一環として、昭和の町並みをそのまま活かし観光客を呼び込むことにしたそうだ。昭和30年代のまま残った商店街では、代々伝わるお宝の展示や懐かしい味の店売りが展開され、訪問した人たちはノスタルジックな世界へいざなわれる趣向になっている。ここはテーマパークではなく、今もそこで人々が生活しているままが昭和の世界になっているところがミソだと云えよう。


昼食はバスターミナルにほど近い、カフェ&バー・ブルバールの「懐かしい!!昭和の『学校給食』をとる」セット定食とした。クルーズ船の豪華料理から一転、私は揚げパンと牛乳のセット、妻はソフト麺とカレー汁(カレーではなく汁と書いてあることが重要だそうだ)と鯨の竜田揚げの単品を注文し、あの欠食の時代の昼食をとることにした。学校机のテーブル上に出された「給食」はお約束どおり、アルマイトの食器に先割れのスプーン(割り箸も付いていた)。当時と同じくらい大きなコッペパンを一口かじれば、昔と違ってウマいのが憎いところだ。当時の噛んでも噛んでも噛み切れなかった味のない固いコッペパンに、なんとも説明しがたい程ひどくマズかった脱脂粉乳と較べると、ここで出された「給食」は天国である。妻の方は久しぶりのソフト麺は懐かしかったが、出てきたカレーが今風のいわゆるカレールーだったので、薄い汁への期待が大きかった分「コレジャナイ」感が募ったようだ。私の時代なら「カレー」というだけで嬉しくて飛び上がったものだが、東京で給食が美味くなったのは1964年の東京オリンピックが境だそうで、オリンピック前に小学生だった私と、その後に小学生になった妻とは給食の思い出も異なることが分かった。こうして時計を気にしつつ、無事に戻った飛鳥Ⅱではその晩も贅が尽くされた和食が供された。給食の味から高級な晩餐まで、クルーズ船の旅は変化に富んで楽しいものだ。

昭和の町 豊後高田 おかえりなさい、思い出の町へ。
20230523_20230523202901

「給食」コッペパンに鯨の竜田揚げ、あの脱脂粉乳でないのがにくい。
20230523_20230523204401

2023年5月19日 (金)

飛鳥Ⅱ「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」 (2)

20230519
このクルーズの航跡図 熊野灘では海岸近くを航走

この航海、飛鳥Ⅱの指揮を執るのは小久江 尚船長だった。小久江キャプテンは船内アナウンスが丁寧で話題が豊富、また航路選定の面でも気象・海象・スケジュールの許す限り、乗客が興味を引きそうな対象に極力近寄ってくれるクルーズ船にうってつけの船長に思われる。我々は乗船受付の際に彼が船長だと分かると、思わず「ラッキー」とつぶやいてしまうほどだ。今回も東京湾を出て伊豆大島の南端を交わした後は、本来ならば紀伊半島の潮岬まで一直線に針路をとって足摺岬に向かうところを、航路をそれて紀伊半島東岸に接近して走ってくれた。そのためクルーズ2日目は紀伊半島の山々を遠望でき、右舷のキャビンにいた手元の携帯電話の4Gアンテナも常に3~4本が立っている状態であった。小久江さんとは2011年の世界一周クルーズで彼がスタッフキャプテン(副船長)として乗船した時以来の顔見知りである。その航海中に行われた船上ビアガーデンに参加してくれて、我々と同じテーブルで呑んだのがきっかけだが、船長になった後も船内で会うといつも気さくに声をかけてくれる。クイーンエリザベスのクリストファー・ウェルズ船長、日本船なら「ぱしび」の由良元船長など「この人なら!」という名物キャプテンと共に航海をするのもクルーズの楽しみの一つである。


クルーズ開始時、横浜港を出港する際に飛鳥Ⅱでは「セイルアウエイパーティ」が開催される。見送り人の送迎に答えつつ、7デッキでバンドの音楽と共にパーティを開き、皆で出港風景を楽しむ催しで、”ダイアナ””ダンシングクイーン”や”ロコモーション”などの60年代ロックンロールミュージックに合わせて、エンタメのクルーを中心に乗客が一緒にラインダンスを踊るのが恒例になっている。ただほとんどの乗客は日常生活からクルーズ船という異次元の空間に入ったばかりで、いきなり皆の前で踊ろうという雰囲気に馴染めないようだ。特に今回の様に団体客が多い時は、初めての飛鳥Ⅱ、初めてのクルーズ船という人も多いに違いない。こんな時には本船のエンタメクルーが率先して周囲を盛り上げる必要があるのだが、新人ばかりなのか、近頃の若者の特徴なのか、はたまたコロナの余波なのかどうも最近はクルーがシャイで元気が足りない。そこでここのところ、率先して踊ってやろうと、真っ先に妻と二人でバンドの前でツイストなどで身をくねらせることにしている。「70過ぎのジジイが狂ってるんだぞ、さあみなでLET'S DANCE!」という心意気だ。遠巻きにした乗客がもの珍しいものを見るかのように我々を動画撮影するのを横目にしつつ、「旅の恥はかき捨て」「高いカネ払ったのだから楽しんでナンボ!」と人の目などは一切気にしないのがポイント。飛鳥Ⅱのノリの悪さは外国船、とくにアメリカ海域のクルーズ船とは大違いだが、我々が踊っているとそのうち乗客の何人かがオズオズとツイストなどに加わり段々と盛り上がってくるのである。


今回のクルーズでは終日航海日の2日目、午前・午後1回ずつダンス教室が開かれた。飛鳥のダンス教室ならこのところこの人という山下先生が講師である(社交ダンスでは教える人を○○さんと呼ばず先生と呼ぶのが全国的な決まりらしい)。クラブ2100で行われたダンス教室は初心者向けだったので参加はしなかったが、傍らのソファで見ていると内容はお約束のマンボとスクエア・ルンバの講習。彼の説明はダンスを続けるヒントやポイントが散りばめれており、話を聞いているだけで参考になる気がする。初心者向けとはいえ、今回の教室で印象的だったのが「ダンスがうまくなるには人の目をいっさい気にしないこと、度胸が7割です」とのコメントであった。気が小さいのに、ええ格好しいの私にはけだし名言で、改めて「ダンスは度胸が7割」というフレーズを心に刻むことにした。それに励まされて、クルーズ中はパームコートでのバンドの演奏で、人の目を気にせずに毎晩ダンスを楽しむことができた(クラブ2100は前述のとおり夜間はまだダンスが踊れない)。生のバンドをバックに心置きなく踊れるホールは都内でも減り続けている。ラテンにスタンダード、人が少なければテンポまでバンドにリクエストでき、なおかつ人前で恥をかく経験までできるのが船上のダンスである。社交ダンスのリードは男性の役目。妻からは「最近は間違えても、なんら臆することなくニコニコと人前でダンスを続けられるようになったのが凄い」と、船上では夫としての株が大いに上がるのだ。こうしてダンスが徐々に解禁、またフォトショップも再開に向けてトライアルを続けているようで、ようやく長いコロナ禍からクルーズの日常が戻ってきたようだ。

20230519_20230519124701
別府港で接岸の指揮を執る小久江船長(左端)、手前制服が田井副船長 右端はパイロット

20230519_20230519124702
3日目の夜はパームコートでラグーナトリオの演奏で大いにダンスに興じる

2023年5月17日 (水)

飛鳥Ⅱ 「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」(1)

20230517
別府港 高崎山を前面に阪神・別府航路の新造フェリー”さんふらわあ くれない”の後ろに停泊

飛鳥Ⅱの「横浜発 新緑の別府・博多クルーズ」に乗船して来た。5月12日(金)からの週末をはさんだ3泊4日で、横浜港から出港して博多港で下船する片道クルーズである。これに乗船した理由は、片道クルーズの料金が周遊型に比べてやや割安に設定されていることと、今まで別府や博多にクルーズ船で寄港したことがなかった事などによる。季節も良くなりクルーズの季節が到来、バルコニー付きのキャビンに乗りたいのはやまやまだが、この頃、とみに高くなったのが飛鳥Ⅱの乗船料金である。以前はよく乗ったD:バルコニーだとこのクルーズの定価は一人26万円、一泊当たりでは8万7000円となってちょっと高すぎる。ちなみに5年前、2018年当時の飛鳥Ⅱのパンフレットを見ると、3泊クルーズではK:ステートルームは一人11万円台、D:バルコニーで17万円代などの設定もあって、我々にはK:ステートは一泊3万~4万円、D:バルコニーは6~7万円というのがこの船でクルーズする際の相場感であった。実際のところ、最近の同船の乗船料金を目の当たりにすると、その高さに予約する気持ちも萎えかけてしまうのである。よって今回はバルコニー付きキャビンは我慢して、定価18万1000円のK:ステートを株主優待券利用の1割引き、帰りの福岡空港からのフライトはマイレージ利用ということで乗船することにした。


感染症対策も政府の5類相当への移行を受けて、このクルーズからは乗船1週間前のPCR検査は不要となった。2時間近く要した港での当日検査も行なわれなくなったため、午後5時の出港時間の1時間半前までに横浜港大さん橋に行けば良いこととなり、乗船日が有効に使えるようになったのは喜ばしい限りだ。当日は午後3時頃に大さん橋に到着すると、すでに大勢の乗船客が受付開始を今や遅しと待機しており、コロナ前に戻ったかの盛況ぶりであった。聞けば今回の乗船者は500名超だと云うから、やっとクルーズに人が戻って来たことが実感できる。ただ、そのうち400名以上は別府下船の阪急旅行社による九州旅行の何種類かの団体ツアー客であり、博多まで乗船する個人客は100名強とのこと。たまたま飛鳥Ⅱの「2015~2016年飛鳥Ⅱ南極南米クルーズ」で知り合ったご夫妻が、ツアーに参加されていたので話を聞いたところ、船内に2泊して別府で下船後は北九州や最近ブームの宗像神社を1泊で廻り、空路帰京するそうだ。なるほど片道のクルーズでは、こうして旅行社にキャビンを売って船は商売するのかと、その実態に触れて興味深かった。普段は飛鳥Ⅱ常連客ばかりが目につく船内も、旅行社企画による週末利用の家族連れ、親子連れなどの姿が多く、肩の凝らない雰囲気だったのが印象的であった。


感染症対策が緩和されたため、船内でのマスク着用も完全に個人の判断となり、終日航海日の2日目は午前と午後にダンス教室も開催された。しかし普通はダンス会場となるクラブ2100は、夜になると距離をとるために相変わらずフロアーにソファーが置かれて、ワルツやタンゴなど動き回るスタンダード種目がまだ踊れないのが残念。高齢者の多い船内ゆえ、徐々に対策を緩和するという方針なのであろう。夜も更けゆき、クラブ2100のわずかに空いたスペースで「飛鳥ダンス」を踊ろうと、飛鳥オーケストラに"ACHY BREAKY HEART"をリクエストしたところ、驚いたことには「その曲を知らない、楽譜を探してくる」との答えが返ってきた。次のステージでやっと演奏してくれたので久しぶりに妻と2人だけで「飛鳥ダンス」を楽しんだが、ダンスに限らず3年余に亘る感染症対策で、本船の「お約束」や「定番」が忘れ去られるのかと寂しい気持ちになる。そういえばフィリピン人クルーは相変わらず顔見知りが多く話も弾むが、エンターテイメントの日本人の女性クルーなどは、この3年で多くが退職したか部門替えになったか、まったく見知らぬ顔ばかりになって皆妙によそよそしい。「やけに偉そうな馴れ馴れしいおっさんだ」などと思われるのは嫌なので、日本人の若いクルーには男女問わずこちらも距離を置いて大人しくしていたものの、以前いた仮装好きのホテルマネージャーや、やたらフランクな日本人エンタメクルー、それにボブさんなどがやはり懐かしい。

湯煙が立ち上る別府市街を見つつ出港
20230517_20230517134701

2023年5月 6日 (土)

ダイヤモンド・プリンセス号 長崎港でパイロット乗船時に事故

20230506h
左端 赤白の2色旗がパイロット乗船中を示すH旗(飛鳥Ⅱ)

5月5日早朝5時半、長崎港港外に於いて、クルーズ客船ダイヤモンド・プリンセスに乗り込もうとしたパイロット(水先人)が海中に転落し死亡する事故が発生した。亡くなったのは69歳になる水先人で、転落してから14分後に救助されたが死亡が確認されたと報道されている。ダイヤモンド・プリンセスは4月29日からの横浜発着の「北日本と韓国9日間」クルーズの際中で、この日釜山から最終寄港地である長崎に入港してきたところであった。パイロットがタグボートやパイロットボートと呼ばれる小艇から本船に乗り込む際、あるいは出港時に下りる際に移乗に失敗し、大怪我を負ったり亡くなったりする事故は世界中の港で起きている。私もこれまで仕事で港外に停泊する大型船に通船から飛び乗ったり、飛び降りたりしたことが何度かあり、その危険性について身を以て経験してきた。軍手をはめ袈裟懸けにしたカバンを背中に廻し、うねる小型船船上から大型船の舷側に垂らされた梯子に乗り移り3点支持でよじ登る、あるいは反対に下船するのは命がけの仕事だと感じたものだ。亡くなった水先人はライフジャケットを付けていたと云うから、移乗に失敗した際に本船とタグボート(ないしはパイロットボート)の間に挟まれて海中に転落したのであろうか。ご冥福をお祈りしたい。


貨物船と違ってクルーズ客船は、入港後ショアエクスカーションや各種行事の日程が細かく組まれている。桟橋には観光バスが待機し地元特産品のブースが出店し、場合によっては市長などVIPの歓迎セレモニーなども予定される。貨物船なら一日沖待ちとなる場合でも、何とか入港したいと関係者が願うのも無理からぬが、事故当時の長崎港の気象・海象はどうであったか? データを見ると、この日の長崎市の日出はちょうど5時30分で、ダイヤモンド・プリンセスがパイロットステーションと呼ばれる水先人乗船海域に到達した時間と一致する。天候は小雨とあるからまだ周囲は薄暗かったであろうが、乗り込もうとする現場ではダイヤモンド・プリンセスかタグボートなどからの照明もあったはずだ。事故の時刻には風は南東からゆるく吹き、長崎県では南からの波は2米ほどとのこと。もっとも長崎港のパイロットステーションは南側に長崎市の香焼地区や伊王島があるため南からの波はそれほど大きくならないと思われる。報道では事故時の波高は1米以下とされているので、移乗に際して特に危険な状況ではなかったであろう。


日本水先人連合会のホーム頁によると、長崎港の水先人は令和3年時点で3名とある。亡くなった方はもと東京湾のベテランパイロットだったようだが、長崎に移り70歳を目前に予期せぬ状況に陥ったとみられる。水先人は水先法による国家試験に合格し、免許を取得し各地の水先人会に所属する必要があるものの、地位はあくまで自営業者であり特に定年などの規定はない。これまでは主に外航船の船長を長く勤めた人が水先人となっていたが、平成19年に規制緩和で海洋大学(旧東京商船大学、旧東京水産大学)、神戸大学(旧神戸商船大学)、海技大学校などで水先人を養成する課程も設けられている。もっともこれまでクルーズ船で国内各地の港に入出港した際に乗り込んでくるパイロットをウイングの上から見ていた限り、みな中高年で、養成機関から実職として独り立ちしたようなパイロットがクルーズ船を嚮導する例はほとんどなかったと記憶する。多くの船客を乗せたクルーズ船には熟練のパイロットを各地の水先人会が派遣するのだろう。特にダイヤモンドプリンセス(11万6千総トン)のような大型船は外航船の船長経験のある1級水先人しか嚮導できないため、シニアクラスが担当するのが常であり、今回亡くなった水先人もやはり大手海運会社の船長OBである。


このようなパイロット乗下船の際の事故を防ぐために、SOLAS(海上における人命の安全のための国際条約)によって、移乗設備にさまざまな規定が定められている。貨物船の場合では乾舷(水面からデッキまでの高さ)が9米以上ある場合は、梯子のみ頼らず途中に本船に設置されているACCOMODATION LADDERを使用するなどと決められているのが一例(下に図示)だが、クルーズ船では海面近くに開口ハッチがある場合が多く、通常パイロットはあまり高さを意識せずに小艇と本船を乗り降りすることが可能である(下写真参照)。さらに海外の港ではヘリコプターでパイロットを運ぶ例もある。そのために貨物船には貨物艙ハッチの上、クルーズ船では船首などに大きく H とランディング目標を描いた船も多い。また水先人自身も安全に業務を遂行できるように、定期的な健康診断を行っていると日本水先人連合会のホーム頁にはある。ただ高齢になるに従い咄嗟の際の運動能力が十分なのか、今回の事故が若い水先人であったら防げたかなど、老化に伴う敏捷性の問題や健康状態が今後議論を呼ぶ可能性もあるだろう。世界中の港で現実に起っているこの種の事故である。ヘリコプター輸送がベストとしても、どの港でも、大小問わずあらゆる船種でのヘリ輸送はコスト面もあり難しい。この種の事故を少なくするための設備が考案されないものだろうか。例えば水先人にハーネスを装着し、本船デッキ上に小さな専用クレーンを設置して、うねりに同期させて吊り上げ(吊り下げ)するアイデアなどはどうだろうか?

20230506_20230506125501
”セレブリティミレニアム”号から下船しタグボート上で手を振るパイロット(2017年4月新潟港)

20230506solas
SOLAS規定の水先人用上下船設備要件


飛鳥II「秋の瀬戸内航行 土佐クルーズ」高知港出港時のパイロット下船シーン(2021年10月21日)

2023年3月29日 (水)

シルバー・ミューズ号 見学譚

20230329
横浜港 ハンマーヘッドに停泊中のシルバー・ミューズ号(40,700総トン)

いつもクルーズ乗船の際に予約をする旅行会社の案内で、横浜港のハンマーヘッド(新港埠頭)に着岸している”シルバー・ミューズ”号(40,700総トン)の船内見学に夫婦で参加することができた。2023年春に”シルバー・ミューズ”号は、関西発着の「日本周遊と韓国クルーズ」を2回催行するが、その1回目の途中寄港地となる横浜で、乗船客が観光に出かけている間を利用して見学会が行われたのである。国際的なクルーズ船の格付けに於いて、ラグジュアリークラスの中でも最高評価の6+を誇ると云う、ウルトラ・ラグジュアリーである本船のようなクルーズ船をゆっくり見られるチャンスはそう多くはない。我々はこれまで「プレミアムクラス」以下の海外クルーズ船しか乗ったことがないので、最高格付けの船内とはいったい如何なる感じなのか興味津々で横浜に向かった。


横浜港内と云えどもナッソー籍の船内は外国である。当日はパスポートとスマホに準備したワクチン証明書アプリを提示し、シルバーシー社の日本・韓国支配人の糸川氏の案内によって見学者総勢約20名で”シルバー・ミューズ”のギャングウエイを昇った。本船は乗客数が600名弱に対してクルーが400名余と約1.45人のサービスレシオであり、乗客2名にクルー1名以上が目安と云われるラグジュアリー船カテゴリーの中でもトップクラスのサービスを誇る。全長は212.8米で乗客用のデッキが8層に亘るため、外観的には最近のラグジュアリークラス船によく見られるようにトップヘビー気味になっている。因みに5万トン級の飛鳥Ⅱは定員が約700名で、全長が241米と長さは30米も長いが乗客用デッキは同じく8層で、飛鳥Ⅱに較べると”シルバー・ミューズ”はぐっとグラマラスな船の姿である。


それもそのはず、その船型を象徴するように、糸川氏の説明ではシルバーシーのクルーズ船は公室がVERTICALな配置になっているとのことだ。すなわち船内は公室を船首部と船尾部に集中させ、乗客には横に歩くよりエレベーターや階段を利用し上下階に移動する動線を取らせている。飛鳥Ⅱが5/6デッキにパブリックな施設を集中させていたり、最近の大型船が船内あちこちにそれを分散させたりするのとは、この会社の船は設計コンセプトを異にしている。船内にはフレンチ、アジアン、和食(風)など各種料理を提供する8つのレストランがあり、乗客定員に比して飲食スペースが多いのに驚くが、ラグジュアリー船とはこういうものだろうか。特に4デッキのエレベーターホールは周囲を4つのレストランに囲まれてまるで高級飲食店街に来たかと思うほどだ。私ならフレンチに行くつもりで、エレベーターをおりても、ふと醤油の焦げる匂いに誘われて目の前の鉄板焼きレストランに入ってしまいそうだ。朝・昼・夕にこれら8つのレストランを制覇しようとしたら一回のクルーズで体重が増加すること必至である。


”シルバー・ミューズ”は、船幅27米に対して乗客が利用する船内の通路は1本とあって、船内中央に船務用の余分なスペースがなく、両舷に向けて配置されたキャビンは奥行きがあって広々としている。そのため全キャビンにウオークインクローゼットを設ける余裕があり、長旅の衣裳などを格納できて極めて快適であろう。スタンダードなベランダ・スイートでも36平米+バルコニ6平米(すべてにバスタブとシャワースペース付)もあり、飛鳥ⅡのAスイート(37+バルコニ8.5)並みの広さを誇る。もっともこんな広い部屋では、老眼鏡や双眼鏡をどこに置いたのかと始終捜し回らねばならないかもしれない。もちろんこの船では乗船料金はチップ込みでWiFi使い放題、アルコールも飲み放題で全室にバトラーサービスがつく上、各寄港地ではショアエクスカーション一回分がタダだそうだから豪気である。プールも本格的な水泳が楽しめるくらいに立派なのが目立った。今回の「日本周遊と韓国クルーズ」の料金は1泊あたり12万円以上するが、それだけのことはあるようだ。


乗客はと見ると、私達の見学中に船内に残った人たちのほとんどが、いわゆる西欧の英語系白人だったようだ。感心したのが、船内のサービスクルーの笑顔である。乗船客に愛想よくするのは商売上当たり前だろうが、明らかに見学者と一目で分かる我々シニアの日本人団体にも親切に笑顔で接してくれる。金持ちの集団の中にいるとサービスを提供する側も自然とジェントルになるのだろうか、はたまた教育が行き届いているのだろうか。さらに船内にはセルフランドリーもあるというので妻は喜んでいた。ただ残念なのは内装は良いものを使っているであろうに、通路の壁など一部の色が明るすぎて質感に乏しい素材に思えたこと、それにジョギングトラックが鉄板に区画線を引いただけのもので、この点では飛鳥Ⅱの真鍮を使った内装や、デッキを一周全通するチーク材張りプロムナードデッキの秀逸さと対比したくなった。まあ船内でバタバタとジョギングをしたいなら、このような超高級船に乗ることもないということか。日本人の大好きな社交ダンスの場も特にないから、今の我々のクルーズスタイルとはやや趣が違うようだが、将来この船なら気持ちの良い上質なクルーズが楽しめそう。もう少し歳を重ねたら、背伸びして1週間~10日程度のシルバーシー船クルーズに乗ってみようかと思いながら船を後にした。

スタンダードなキャビンもバルコニー付きで広々としている
20230329_20230329160101

大理石調の階段と内装も豪華
220230329

2023年3月18日 (土)

SEABOURN ODYSSEY(シーボーン・オデッセイ)を商船三井が中古買船

202303181
2011年5月 飛鳥Ⅱで訪れたリスボンでシーボーン・オデッセイの同型船シーボーン・ソジャーンと出会う


本年年初に日本クルーズ客船の”ぱしふぃっくびいなす”が引退し、我が国の日本籍クルーズ船は郵船クルーズ(日本郵船子会社)の”飛鳥Ⅱ”とMOPAS(商船三井子会社)の”にっぽん丸”の2隻のみとなってしまった。ドイツの造船所で完成する予定の郵船向け5万トンの新造船は2025年春の引き渡しだし、商船三井の3万5千トン級の新造船2隻はそのあとの2027年に出来るので、国内クルーズ船市場はしばらくはこの寂しい状況のままかと思っていたら、昨日ビッグニュースが飛び込んで来た。郵船の後塵を拝していた商船三井が2027年の2隻の新造船の他に、ラグジュアリークルーズの雄、シーボーンクルーズ(SEABOURN CRUISE LINE LTD.)社(SINGAPORE)より、2009年6月に竣工した"SEABOURN ODYSSEY"(3万2千トン・船客定員458名)を昨日付けで中古購入したのである。


なにせ2023年3月期の経常利益がなんと7,850億円というウハウハ状態の商船三井だから、この機を逃さず業容拡大を目指すとともに、今期中3月末までに節税対策として大きな買い物をする必要があったのだろう。一方で世界的な感染症の蔓延により海外のクルーズ船会社は青息吐息とあって、各社減船を実施中で、市場には売り物の中古クルーズ船が多かった。全客室が28平米以上でベランダ付(飛鳥Ⅱの人気のD・Eバルコニーは22.9平米)、2つのプールに6つのジャグジー、全室に日本人には必須のバスタブと独立したシャワーを備える"SEABOURN ODYSSEY"は当初の建造船価が2億5千万ドル(約300億円)と云われていたが、今なら相応の中古船価格で商船三井は手に入れることができたに違いない。さらに本船の長さ198.15米というのは、瀬戸内海の夜間航行制限である長さ200米以下という制限をクリアーしており、日本でクルーズ事業を展開するには大型船より使い勝手が良いと考えられる。


1999年に「ナビックスライン」と「大阪商船三井船舶」が合併し新生「商船三井」が発足した時、同社はトップの日本郵船を追い抜くと豪語していたが、その気概はどこへやら。海難事故のニュースこそ目立ったが、営業的には安全運航に徹して1位の郵船との売り上げは差が開く一方であった。そもそも同社の客船部門は1964年の海運集約※(下記注)以来、永年に亘って中南米航路の移民船を手掛けた大阪商船派と、合理主義の三井船舶派の社内確執に翻弄され、営業継続の危機が幾度もあったのが実情である。さすがに今の社長の代になれば、三井だの商船だのと旧来のくびきに惑わされることもなく、グループ全体の多角化、B to Cビジネス拡大戦略として、2027年の新造クルーズ船2隻を決めたものだと理解していた。と思っていたら、なんとラグジュアリー船の代表のような"SEABOURN ODYSSEY"まで購入したというから、これはいよいよ「郵船なにするものぞ」とクルーズ船部門でも商船三井は攻めの姿勢に入ったようだ。


"SEABOURN ODYSSEY"はイタリアの造船所の建造だが、商船三井の客船部門は、かつてユーゴの造船所で出来た客船を2代目の”にっぽん丸”として使用していたこともあり、外国製のクルーズ船の扱いにアレルギーが少ない伝統が残っているのかも知れない。 今後"SEABOURN ODYSSEY"はしばらくシーボーンクルーズにチャーターしてそのまま使われた後に、船名を変更し、必要な改装を施した上で2024年末からMOPASで日本を中心としたクルーズを開始するとの発表である。商船三井はフィリピンにマグサイサイという船舶管理やクルー供給の大きな会社を持っており、現在の”にっぽん丸”もそのサービスを利用している。本船もMOPASの運航となれば”にっぽん丸”と同等、もしくはそれ以上の顧客対応が期待できよう。今年の夏には新しい船名とクルーズの概要や価格が発表されると云うから楽しみである。また同社は世界最大のクルーズ船グループであるカーニバルから、アドバイザーを招聘することを併せ発表したので、外国人の乗船客も視野に入れているようだ。これまでハードの面では飛鳥Ⅱに劣っていた現”にっぽん丸”だったが、商船三井の積極的投資で、近い将来に郵・商のクルーズ船部門での本格的な競争が始まることが期待できそうだ。

 

※海運集約:高度成長する日本経済発展に寄与するために、海運会社の経営安定・船舶整備を目指し、当時乱立していた海運会社を日本郵船、大阪商船三井船舶、川崎汽船、ジャパンライン、山下新日本汽船、昭和海運の6つのグループに集約、政府系金融機関より利子補給した1964年の政策。その後、合併などで現在は3社体制になっている。


ソジャーンの舷門でクルーと話したところ「以前はクリオスタル・ハーモニー(現・飛鳥Ⅱ)に乗っていた。良い船だね」と会話が弾んだ。
202303182

2023年3月 6日 (月)

M/S"AMADEA" (アマデア)東京港新クルーズターミナル初寄港

202303067f
プロムナードデッキに面したキャビンがバルコニ―付に改装されたAMADEA

20230306_20230306134601
2006年3月 横浜大さん橋でAMADEAと飛鳥Ⅱが並ぶ

国を挙げて馬鹿げたお祭り騒ぎを繰り広げた武漢ウイルス騒動もやっと一段落で、外国から多くのクルーズ船が3年ぶりに日本にやって来る。その第1船としてドイツのPHOENIX REISEN(フェニックス・ライゼン)社の"AMADEA"(アマデア) 28,856総トン(ナッソー船籍)が東京港の新クルーズターミナルに初入港。東京には2日間停泊し4日(土)に出港するので、土曜日はUW旗を持って見送りに東京港までドライブに行ってきた。お台場地区の新クルーズターミナルは2020年9月に完成したものの、クイーンエリザベスはじめ海外のクルーズ船がウイルス禍によって寄港をキャンセルし、今回やっとAMADEAが外国船として初めてここを利用する船となったものである。今後、新ターミナル発着の国内クルーズも実施されるだろうから、駐車場などの使い勝手を調べるためにもこの見送りはちょうど良い機会と云える。


AMADEAは昨年12月フランスのニースを出た150日間の西回りの世界一周クルーズの途中で、パナマ運河を越えたあとはイースター島やタヒチを含む南太平洋の島々を経由し、約400人の乗客を乗せてグアム・サイパンから先週清水港に入港、内地2港目の東京港のあとは名古屋、神戸、広島、長崎など日本国内の10港をじっくりと訪れる予定になっている。このAMADEAはもともと初代”飛鳥”として1991年12月に三菱重工長崎造船所で完成、2005年にPHOENIX REISEN社に売船され、改装されて現在の船名になった船であり、同船にとっては久しぶりの里帰りの旅でもある。個人的には飛鳥だった時代はこの船のことについてよく知らなかったが、AMADEAとなってからは何故か浅からぬ縁ができて、今回の見送りも4度目の出会いということになった。


思い起こせばAMADEAとの初の出会いは2006年3月のことであった。偶々、横浜の中華街で仕事仲間と会食があり、食後に腹ごなしで港の方へブラブラと歩いて行ったら、ちょうどその日がAMADEAの命名式の日で、飛鳥Ⅱと同船の2船が大さん橋の両側に揃い踏みしている光景に出会ったのである。当時は飛鳥Ⅱにも乗船したことがなかったから、後年この両船にこんなに近しくなることはまったく予想できなかったのだが…。次に2011年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズのオプショナルツアーで、アムステルダムからドイツのワルネミュンデまでAMADEAを郵船クルーズがチャーターして、キール運河経由の2泊クルーズを楽しんだのが2度目の思い出。さらに2018年の飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ途中、スエズ運河に向かって紅海を航海中、サラーラ(マスカット・オマーン)からエジプトのサファガに向かうAMADEAと偶然に出会い、数日間、飛鳥Ⅱと同航してお互い長旅のエールの交換を経験したのが3度目のことだ。


紅海での邂逅から5年ぶりに身近にみるAMADEAは、白い船体がきれいに塗られ発錆も遠目にはまったく見えない。ほぼ同じ時期に同じ造船所で造られた今の飛鳥Ⅱ(EX,CRYSTAL HARMONY)より外観上は美しく見映えがするほどである。その後は船体に大きな改造はされていないようだが、7デッキのキャビンの一部が、プロムナードデッキに直接面したバルコニー付きになったのが今回目立った点である。このバルコニーはプライバシーの観点から嫌う乗客もいるだろうが、他方チーク材張りの広いデッキとバルコニーが一体となって、開放的で広々として良いという声も大きいのではなかろうか。アメリカのゴルフ場に行くと、コースすぐ脇の住宅が柵や生垣もなく、ゴルフ場の緑と庭先が一体になっているのに驚くことがあるが、プロムナードデッキに面したバルコニーも同じような感覚なのだろう。一度、この種のキャビンを利用してみたいとも思うものの、気軽にパンツ一丁でバルコニーに出られないのは唯一の気懸りではある。


新しいクルーズターミナルの送迎デッキで、乗客の避難訓練の様子を見ていると、全員マスクをつけを救命胴衣持参で真面目な点呼風景なのがいかにもドイツ船らしい。こうして出港を待つうち、本船に2011年に乗船した時の思い出が蘇ってきた。川のような狭いキール運河を通航中、船尾デッキで行われた地元の若者たちのフォークダンスショーを、本場ドイツの生ビールを片手に眺めたのは忘れられない楽しいひと時だった。そういえばあの時仲良くなって朝食を一緒に取ったピアニストのギュンターさんはまだ元気で乗船しているのだろうか。飛鳥から引き継がれた、田村能里子氏の絵画もそのままだろうかなどと船内の様子も気にかかる。運河の側道を自転車に乗ってAMADEAに伴走する人々、運河を渡る鉄橋を通過する列車、鳥の声や本船の引き波の美しさなど、ビールをしこたま飲みつつ楽しんだ情景などを思いだすうち、また海外クルーズに行きたいという思いが強くなってきた。早く海外クルーズが全面的に再開されないかと願いつつ、汽笛を鳴らしながらターミナルを離れるAMADEAをいつまでも見送っていた。

2011年飛鳥Ⅱ世界一周クルーズ乗船記のリンク
AMADEA 船内の様子
キール運河終日航海日(5月18日)

20230306_20230306134602
2018年4月 紅海で飛鳥Ⅱと並んで航海するAMADEA

20230306
2011年5月キール運河を行くAMADEA船上の地元若者のローカルショー

2023年2月 6日 (月)

順中逆西 来島海峡の”せいりゅう”事故

20230206
事故を告げる読売新聞2月5日朝刊

20210530
2021年5月白虎事故の際の航路推定図(再掲)

2月2日夜7時半ごろ、海の難所、来島海峡航路の西出口付近でガット船”せいりゅう”と499型の貨物船”幸栄丸”が衝突する海難事故が起こった。この事故で”せいりゅう”は沈没、同船船長が亡くなり若い一等航海士がいまだ行方不明だと報じられている。新聞やテレビの報道によると、現場は2021年5月に起きた『来島海峡 プリンス海運 ”白虎”号の沈没事故』の衝突地点にごく近く、事故に至った状況も”白虎”と似ているようだ。今回の事故の当事者である”せいりゅう”は津久見で石灰石を積み込み、岡山県の笠岡に向かい航海していたそうで、本船は、いつき灘(来島海峡西方海域)に於ける船舶の一般航法である右側通行から、海上交通安全法による来島海峡の通峡ルール『順中逆西』(潮流が連れ潮ならば中航路、逆潮ならば西航路を通行)に従い、左側通行となる来島海峡中航路に向けてコースを進んでいたとされている。(但し下記※以下に注目下さい)


一方で対向する”幸栄丸”は空船状態で、左側通行だった来島海峡西航路を抜け、目的地の岩国に向け航路出口で右側通行への転舵を終えた時点だったようで、”白虎”の事故と同じく、今回も2船のコースが交差する海面で事故が起きたことになる。また事故が起きたとされる時間は一等航海士の当直時間(通常0400~0800、1600~2000)であり、ガット船”せいりゅう”の操船は未だに行方がわかっていない一等航海士だと推定される。4名から5名の乗組員で運航される内航船はブリッジの当直もふつう一人なので、事故の起きた海の難所である来島海峡でも両船とも船橋での見張りは一人であったことだろう。


事故の当事船であるガット船という船種は、内航海運業界でも一種独特な地位を占めている。ガット船はデッキ上にガットと呼ばれる大きなクレーンとグラブを装備して、海砂利などを海中から直接積み込み、港湾作業現場などで直接海面におろすことが出来る船のことを指す。ふつうの貨物船の荷役作業は、陸上の専門業者が行うが、ガット船は例外的扱いで自船で荷役作業を行うことができる。この船を運航する業者も砂利業界に関連した会社が多く、未組織の船員も多数乗船していると云われているが、このことが事故の原因なのかは、現在のところ不明である。一方の当事者である”幸栄丸”は499型と呼ばれている内航貨物船であり、500総トン未満の船舶は乗組員の免状や船舶の諸要件が緩和されるため、内航輸送に広く使われている船型である。”幸栄丸”の船主(あるいは運航会社)の住所は大三島(今治市)とあって現場とは目と鼻の先ゆえ、この辺りの海域は熟知していたであろうに事故とは残念だ。


今回の事故は、難所と云われる海域で両船の進路が交錯し、”せいりゅう”の横腹に、幸栄丸が衝突して起こっている。衝突後、ガット船の大きな船倉(ホールド)に499型貨物船の鋭利なバルバスバウ(球状船首)が喰いこんで海水が一挙に流れ込み、ガット船船長と一航士が逃げる間もなく船は転覆沈没したようだ。この事故では第一義的には相手船の左舷灯(赤灯)を視認していたであろう”せいりゅう”側に避航義務があったと考えられるが、衝突直前になって両船がどのような行動をとったのかは今後の事故調査によって明らかになるであろう。本海域では重大事故が多発することに鑑み、以前にも述べたように、来島海峡交通安全センター(来島マーチス)は来島海峡航路の西端である大角鼻沖よりもさらに西方を航行する船舶の看視を強め、注意・警告の発信をされるように望みたい。


※なおこれまでのところ、報道では”せいりゅう”は来島海峡を通峡するコースをとっていたかのように断定されているが、揚げ地は笠岡なので本船は来島海峡航路西端の大角鼻から、来島海峡に向かわず直進し、北方に位置する伯方島と大島間にある「船折の瀬戸」経由、備後灘から笠岡に向かうルートを選択していた可能性もある。この場合”せいりゅう”は、「船折瀬戸」に向かうために来島海峡航路の最西端を横切って事故に遭ったとも考えられる。いずれにしても”せいりゅう”の不明の一航士の一刻も早い発見を祈る。

瀬戸内海を走るガット船
20230206_20230206205401

2019年 フェリー”さんふらわあきりしま”昼の瀬戸内感動クルーズ(西航)で臨む来島海峡 真正面が西航路、中央の馬島より右が中央航路
20230206_20230206213601

九州と備後灘を最短で結ぶ船折瀬戸
20230206_20230206213602

2023年1月20日 (金)

嗚呼!飛鳥Ⅱ2023年オセアニアグランドクルーズ運航中止

20230120

1週間前、飛鳥Ⅱの運航会社である郵船クルーズ株式会社から「飛鳥Ⅱ 2023年オセアニアグランドクルーズに関するご案内」とする手紙を受け取った時から、悪い予感はしていた。東京港を出て39泊、オーストラリアやニュージーランド、ニューカレドニアを巡る飛鳥Ⅱ 2023年オセアニアグランドクルーズの出港が2月10日に迫ってきた矢先である。ウイルス騒ぎで海外クルーズが催されなくなって3年、2度も延期を重ねた飛鳥Ⅱオセアニアグランドクルーズだが、現地のオプショナルツアーの参加コンファーメーションも受け取り、すでに気持ちの半分は真夏の南半球にあった。その手紙は、昨年末に再び起った電気関係機器の不具合で、「本船の速力を制限しての運航とする必要がある状態が現在まで継続」している事を告げ、新春のドックで修復を試みているが、「仮に速力の回復が見込めない場合には、本オセアニアグランドクルーズのスケジュールが変更になる、もしくは予定した日程の維持が困難になる可能性」があることが書かれていた。


ディーゼルエレクトリック推進という、いまやさして珍しくない動力方式なのに、度重なる重大な不具合とは一体何が起こっているのか疑問が湧きおこるが、素人の部外者が何を考えてもしょうがない。手紙の字句を文言通り読んで、スケジュール変更やら日程の調整ですむと考えるか、ひょっとすると更なる措置に対するショック緩和療法として、取り合えずダメジを小出しにしたジャブの手紙なのか訝しく思ったが、「本件に関する次回のご案内は1月20日頃を予定」とのことで、クルーズの準備を始めつつ「次回のご案内」を待っていたところである。すでに仕事の上ではクルーズで不在の期間に業務を引き受けてくれる代理人の設定をすませ彼への報酬も合意、確定申告の時期ゆえ証憑の収集を早めて税理士にも相談、病院の予約はクルーズの時期に重ならないように調整するなど準備を進めていた。しばらくお休みしていた社交ダンスレッスンも新年になって再開したばかりである。私には珍しく着々と準備を進めたのも、この3年間、鎖国状態で海外クルーズへ出られなかった反動だと云えよう。


という宙ぶらりんの状態の中、ついに昨1月19日に郵船クルーズから「飛鳥Ⅱ 2023年オセアニアグランドクルーズ運航中止のお知らせ」が発表された。それによると推進システムの不具合については「現時点では完全な原因特定には至っていないこと」「また定期点検中には、速力回復の確証が得られないこと」が判明し、「お客様の安全を確保した上で長期の海外クルーズを催行することは出来ないとの判断に至り、大変残念ながら『2023年 オセアニアグランドクルーズ』につきましては、運航中止を決定」したとのことである。やはり先の書簡は、ショック緩和の為のプレ・ノーティスだったのかと改めて合点がいく思いだ。我が家は寄港地のVISA申請はこれから、また海外旅行者障害保険付保もまだ検討中であったし、仕事の代理人は話がつくであろうから金銭面のダメジはあまりないだろう。だがここ数ヶ月間楽しみにしていたイベントが消滅してしまい、心にポッカリと穴があいてしまった昨日~今日である。返金された旅行代金で春から夏にかけて、ウンと贅沢な国内旅行に行くか、ヨーロッパのリバークルーズに乗船するかと、空いた穴を埋めるべくいろいろ代替案を考え始めねばならない気分だ。


≪参考≫「飛鳥Ⅱ 電気系統の不具合・原因(2022年4月12日)」

より以前の記事一覧

フォト
2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想
無料ブログはココログ