カテゴリー「船・船旅」の記事

2019年1月12日 (土)

にっぽん丸のグアム事故

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2008年正月乗船した「にっぽん丸グアム・サイパンクルーズ」 アプラ港着桟中、今回衝突したと思われる対岸桟橋を船尾からのぞむ (画面左に見えるのは飛鳥Ⅱの船首)

商船三井客船(MOPAS)の「にっぽん丸」(22,000トン)が、昨12月30日夜「ニューイヤー グアム・サイパンクルーズ」でグアム・アプラ港を出港する際、操船を誤って対岸の米軍岸壁に衝突し、岸壁に300万ドルと云われる損害を与えたと報道されている。この事故で本船の船尾右舷下部にも大破孔が生じ、堪航性の維持が困難なため現地で修理が必要になってクルーズは中止、乗客はMOPAS手配のチャーター機などで帰国したそうだ。不幸中の幸いは乗客・乗員に死傷者がなかった事だった。事故後に船長のアルコール検査を行ったところ、船員法に基づく安全基準を超える濃度が検知されて問題になっているところである。


私が初めてクルーズ船に乗ったのが20年前、MOPASがかって運航していた「ふじ丸」で、以来同社の「にっぽん丸」にもたびたび乗船してきたので、他人ごととは思えない事故である。これまでも内外のクルーズ船に乗って狭水道や難しい場所にある岸壁に行き、そのたびに各船長の操船ぶりに拍手を送ってきたのだが、今回はどうしたことだろうか。クルーズ船は、離着岸の際に船長が自ら船橋ウイングのジョイスティックで操船するので、もし本当に「にっぽん丸」の船長が当時酩酊して操船を誤ったのならばこれは大問題である。後進離岸で行き足がつき過ぎたという噂もあるが、ただ船長の指揮下とはいえ、パイロットが乗船してタグが本船をアシストしている状況で、なぜ対岸の岸壁に衝突したのか、事故の解明にはまだ確認しなければならない点が多い。


私は永らく海運に携わって貨物船の海難事故に幾度となく関わってきたが、ニュースを聞いて客船ではこういう場合にどういう事故処理が行われるのかにわかに気になった。ということで、まず「にっぽん丸」の旅客運送約款を読んでみると、その第6条に「天災・火災・海難・本船の故障その他やむを得ない事由が発生した場合には、予定の航海の中止、短縮の措置をとる事がある」とある。また第13条で「前条に基づき航海を中止・変更などの措置によって生じた損害はその賠償する責めに負わず」とされ、第16条で「航海を中止した時は、既航海の部分は徴収し、未達の分は払い戻す」としている。


海難事故を起こした場合にはそれまでの運賃は頂きますが、その後は知りません、自力でなんとかして下さいというのが「建て前」になっているようだ。他の日本船2隻「飛鳥Ⅱ」や「ぱしふぃっく・びいなす」の約款を見ても内容は同じで、「航海過失は免責である」というヘーグルールなどに代表される海運の伝統に根ざした運送約款だと理解できる。ただ事故が船長の飲酒による過失によるものだと認定され、乗客が損害賠償を申し立てた際に、「航海過失の免責」を盾に約款通りの対応をMOPASがとれるものだろうか。この点を知人の海運に関わる法律家に意見を聞いたところ、「それは程度問題・ケースによる、ただし約款の準拠法が日本法なので、日本の法廷ならば損害賠償が認められる事はありうる」との事。


一方この事故で蒙ったMOPASの損害については、船体の破孔は船体保険で、300万ドルとされる岸壁の損傷はPI保険(船主責任保険)でカバーされるであろう。乗客に関する保険としてかけている船客傷害賠償保険は、旅客の死亡・障害・疾病などで賠償責任を負った際の保険のため、今回は適用されるのだろうか?特約がない限り、帰りのチャーター機の費用などはMOPASの持ち出しになるであろうが、その他、本クルーズ後予定されていた数航海のクルーズが中止せざるを得なくなった期待利益に関する保険や、オフハイヤー保険(船舶の休航に伴う損害をカバーする保険)のような保険をMOPASがかけていたのかはわからない。


事故当初MOPASは約款に基づき、事故までの運賃は徴収、事故以後のものは返金するとしていたが、その後対応を変えクルーズ代金全額返戻するとしたそうだ。クルーズ代金全額を返金し、乗客の帰国費用まで商船三井客船が支払った場合、かなりの金額をMOPASは自腹で支出したのであろう。ネットであっという間に事故の対応が拡散する時代、これからも日本で客船ビジネスを続けていくために「約款にない道義上の責任」をとったものと思われる。あるいは飲酒上での操船となれば、「航海過失免責」とも主張し難い事を考えたのかもしれない。


戦後、航空機時代が来て、郵船が客船の運航から遠ざかっていた時にも、細々ではあるが南米移民船以来、途切れずに客船事業を続けてきた商船三井である。正月の繁忙期に即座に大型機をチャーターし、代金全額を払い戻した事も彼らの矜持なのだろう。今回の事故を契機に副船長を配置するなどMOPASは体制をたてなおし、これからは安全なクルーズ船事業を提供して欲しいものだ。

日本のクルーズ船は離着岸の際、船長自らウイングの操舵スティックで操船する
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2019年1月 6日 (日)

JTB2019年サン・プリンセス世界一周と飛鳥Ⅱ2020年世界一周クルーズ

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昨12月なかば、飛鳥Ⅱが2020年春から103日間のワールドクルーズを行うことを発表した。飛鳥Ⅱによる世界を一周するクルーズは私達が乗船した2018年以来2年ぶりである。この2018年の飛鳥Ⅱワールドクルーズは、アデン湾で海上自衛隊”せとぎり”の護衛を受け、初めて念願のスエズ運河を通行し、地中海から北米・南米を廻った素晴らしい旅であった。ただその前に夢は何度も、と云うことで、私たちは今年2019年に催行される”サン・プリンセス”世界一周チャータークルーズも、一昨年のJTB の説明会場で勢いで申し込んであったのである。こちら”サン・プリンセス”の世界一周チャータークルーズは、ドバイやエーゲ海のドブロクニク(クロアチア)、ベニス、バーリ(共にイタリア)、さらにはカリブ海でオーチョ・リオス(ジャマイカ)など、これまで我々が飛鳥Ⅱで経験した港と違う場所に寄るのも魅力的に思えたのだ。


ではあるものの、やはり友人の会社の手伝いとはいえ、毎年のように仕事をほっぽり出して3ヶ月も家を空けるのも、ちょっと?という気がしないでもない。ごく普通の勤め人だった我々夫婦には、まず先立つ物の問題もある。妻はなによりも”サン・プリンセス”の洗濯場の問題が気になってしょうがないと言っている。というのも我々二人は船内でもジョギングをするため、大汗かいたウエアを毎日洗濯する必要がある。飛鳥Ⅱの場合は各フロアの洗濯場に洗濯機が6台と乾燥機が8台あって、いつでも利用できるが、それでも寄港日の昼間や深夜を除き常時フル稼働であった。これに対してサンプリンセスは、各フロアーに洗濯機と乾燥機が各2台しかないそうで、それも有料のものである。600人から700人の乗客でもいつも満杯だった飛鳥Ⅱの洗濯に対し、2000人の乗客となると毎日のように下着からトレイニングウェアまで船の有料ランドリーに出す事必定で、妻はこれが何とも気が重いらしい。女性の視点は、男とまた違うのである。


その他アルコールの船内持ち込みができないとか風呂がない、ウオシュレットがないなどという不便も考えて、残念ながらキャンセル料のかかる直前の11月に”サン・プリンセス”をキャンセルしたところへ、飛鳥Ⅱ2020年世界一周クルーズの発表である。今回発表された旅程を見るとこちらもインドのゴア、前回は荒天のため抜港されたミコノス(ギリシャ)、パルマ(マヨルカ島)など魅力的な寄港地が多い。私はかつて仕事で関わった鉄鉱石輸出で賑わった旧ポルトガル領のゴア(インド)に興味があるが、妻はリボルノ(イタリア)からフィレンツエやベニスにランド・ツアーをしたい、はたまた今回はマチュピチュにも行ってみたいなどと、パンフレットを前に夢を膨らますのである。それにしても、飛鳥Ⅱの今回発表された価格は、一段と高いのが気に懸かる。硫黄酸化物の規制で2020年から高価なバンカー(燃料)油を炊く必要がある事や、クルーの人件費が上がっている事などを考えても、2018年に比べて10%~20%の値上がりは懐具合に大きく響く気がする。


しかし先の飛鳥Ⅱワールドクルーズから帰国した後、思わぬ病気で入院・手術や治療を経験してみると、元気なうち、身体が動かせるうち、自由が効くうちに出来ることは大いにしておくべし、と云う思いも一段と強くなった。また年齢的に不自由なく旅行などができるのは男性は80歳台前半位まで等という統計を聞くと、心置きなく遊べるのもあと10数年で、そんな時間はあっという間なのかもしれない。若い頃と違ってユースホステルや山小屋泊まりというわけにも行かず、ちょとした海外旅行をすると結構高いものになるから、いろいろ総合すると飛鳥Ⅱのロングクルーズも決してそう高くはないなどと自己の考えを肯定をしてみたりする。毎日の海上生活を楽しみつつ、朝目が覚めると知らない国、美しい港にいるという海外のロングクルーズの魅力はやはり捨てがたいものだ。飛鳥Ⅱの2020年世界一周クルーズを前に、思い切ってまた申し込んでみるかと逡巡しつつ、そうなると遊ぶために、まだ暫く働かなくてはいけないのか、などと悩む新春である。

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僚船サファイヤ・プリンセスのコインランドリー(2009年)

2018年8月14日 (火)

ワールドクルーズと世界史の再学習

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飛鳥Ⅱで駆け足ながらぐるっと世界を廻ると今までと違った視界が開けてくる。今回オマーンのサラーラで本格的なイスラムの世界に触れ、マルタで十字軍騎士団の要塞を見てボストンで合衆国建国の足跡を訪れると、世界史をもっと勉強しておけば良かったとの思いがにわかに湧いてくる。私はこれまで宗教にも美術にもあまり興味がなかったから、西欧の古い教会やキリスト教の宗教画などに馴染めなかったが、実際にあらためて来てみると今までと違う想いが去来するのは年齢のせいだろうか。またかつての多くの戦地の跡や砦を訪れると、なぜ西洋人は歴史を通じていつも戦っていたのだろうかと疑問がおこる。


という事で世界史を勉強しなおそうと思い立ち、帰国後に適当な本はないかと物色していたら、山川出版「(新)もう一度読む世界史」とその付属本である同社の「詳説 世界史図録」を本屋の店頭で見つけた。なんでも山川出版の高校生向け歴史の教科書はつとに有名なうえ、同社の大人向けの学びなおし「もういちど読むシリーズ」も100万部を超えるベストセラーなのだそうだ。「もう一度読む世界史」は教科書仕立ての解説のほか多くの図表が掲載され、「ひと」「新常識」というコラムでは歴史学の新たな知見や新解釈などが紹介されており、読み物としても面白い。「世界史図録」の方も「もう一度読む世界史」に準じて多くの資料が載っており、これを眺めているだけで勉強になりそうだ。


かつて学校の西洋史の時間と言えば、年号を暗記し意味も判らずにただ断片的に起きた事件・事象を覚えたものだった。しかし歴史上の出来事、例えばイギリスの「大憲章」(マグナカルタ)とはどういうもので後世に何を残したか、宗教改革の後に北ヨーロッパが興隆し南欧が没落したのはなぜか、産業革命とは何かなど西欧社会の流れを踏まええつつ歴史を考えるようとすると「もう一度読む世界史」が大きなヒントを与えてくれる。今回のように「百聞は一見にしかず」でまず現地を訪れ、実際何があるのかを自分の眼でみて興味を持つと、初めて歴史を自分のものとして捉えようとする事がわかった。その意味で2年後と言われる飛鳥Ⅱの次回のワールドクルーズでは、終日航海中に「西欧史」の講座を定期的に催したら多くの乗船客が受講して面白いのではないだろうか。

2018年7月 7日 (土)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズを終えて

家に帰ってもちょっと下を向いたり、段差を超えたりすると体が揺れて陸酔いをまだ感じる。早朝ふっと目が覚めた際は寝ぼけた頭に「今日はどこ?」という疑問が一瞬よぎる下船3日目である。今回の103日間のクルーズは小久江船長以下全クルーの尽力のおかげ、一言で纏めれば『とても楽しかった!』に尽きる。クルーだけでなく船上で歓談した新たな友人、その他このクルーズを支え旅を演出してくれたすべての関係者にお礼を述べたい。


2011年に始めて飛鳥Ⅱのワールドクルーズに乗船した際には、多くの乗客から「若いネエー!」と言われ、場違いな所に来てしまったかと当惑もしたが、今回はこちらの年齢も上がり、面の皮も厚くなっってそのような言葉も受け流せるようになった。横浜から乗船して神戸下船まで102泊(103日)、ツアーで船を離れる事もなく完乗した距離は船長放送によると30,851マイル(57,137.5キロ)で地球1.4周に相当するそうだ。


この間に夫婦二人で船上ジョギングした距離は758キロ、内訳はデッキ1,071周=462キロ・フィットネスのマシン217キロ・上陸地で79キロだった。通った社交ダンス教室(午後の中・上級クラス)が45分レッスンを67回、私個人がマリナーズクラブのグランドピアノを借りてピアノレッスンをしたのが1時間X24回となった。また船上からこのブログ更新が25回、禁酒日は(残念ながら)なしという乗船結果であった。


殊に乗船中に留守の家の空気を入れ換えたり、郵便物や税金支払いなど対応して貰った義理の母、クルマのエンジンを時々かけてくれた義理の弟、その他長期休暇の無理を聞いてくれた仕事関係の各位に感謝である。また何とかかんとか最後まで中上級のレッスンについていけたのも、乗船まで指導して下さったダンス教室の先生のおかげだ。最後に今の気持ちは”若手、若手とおだてられいい気になって103日、娑婆に帰れば年金もらうシニア老人!”

それにしても楽しかった夢のクルーズであった。


アデン湾の自衛艦せとぎりの隊員、海保の職員の皆さん、ありがとうございました。20180707

2018年7月 2日 (月)

飛鳥Ⅱ 2018年世界一周クルーズ終了目前

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ワールドクルーズの場合には横浜からの乗船者が同じ料金で神戸まで行けるという特典を利用して我々は神戸で下船する事にした。そうして1日延び103日間となった2018年飛鳥Ⅱ世界一周クルーズもいよいよ下船が間近になった。本船位置を知らせるキャビンのテレビ画面の左隅に日本列島が表示されているのを見る度に寂寞間が湧き上がってくる。桜のニュースを後に出発し梅雨も明けた頃に帰るこのワールドクルーズ、私にとっては総じて大変楽しく思い出深い旅だったといえる。


まずミコノス島に上陸する日こそ荒天で抜港になったものの、それ以外は時化の日がとても少なかったのが良かった。もっとも揺れないおかげでダンス教室のレッスンが予想以上に進み、何とかついていった中・上級ダンスクラスでは知らないステップに面食らう事も多かったものだ。長さ200米、巾30米の空間で700名の乗船客が生活を共にする訳だから中にはエッと思うような人もいたが、逆に今回もまた帰国後も会える友人ができたのも嬉しい。オマーンやスペイン、グアテマラと初めて訪れた国も印象深い。


なにより小久江船長はじめ運航スタッフ・ホテル部門スタッフ全員が毎日毎日、乗客をいかに楽しませるか、最大限の工夫を凝らしている事が伝わってきたのが嬉しいクルーズであった。思い起こしても予定の寄港地の他に船長の判断でカプリ島やアマルフィ(イタリア)、ジャアンツコーズウエイ(北アイルランド)、ナパリコースト(ハワイ)などの名所のほか、カーリングストーンの産地アルサクレイグ島(スコットランド)、スターウォーズのロケ地スケリッグマイケル島(アイルランド)などに最大限近寄ってくれたのに感激した。そのほか様々なイベントで船内を盛り上げてくれた若いエンタメクルーにも感謝である。神戸で下船してもしばし虚脱感に苛まされそうな気がする下船三日前である。

世界のカーリングストーンのほとんどを産出するアルサクレイグ島

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2018年6月30日 (土)

飛鳥時間

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ダイニングオープン前の行列

ホノルルを出ると船内は帰国ムードで一杯だ。1ミリも作業を開始していない我が家を尻目に、衣類を宅配業者経由で自宅に送るダンボール箱をもういくつ作ったと云う会話が飛び交っている。乗船する際はこの先100日間の寄港地や天候を考えて衣類や持ち物を選ぶ必要があるが、下船時は部屋のものをダンボール箱に詰めるだけである。なぜそんなに早くから準備を開始する必要があるのかといつも不思議に思うのである。


夕食の時間は一回目も二回目もダイニングが開く10分ほど前から入り口の前に行列が出来る。飛鳥Ⅱの夕食は指定席でなく自由にテーブルを選べる方式である。それでもダイニングのキャパシティは充分過ぎるほどあり、テーブルを確保できないなど云う事はまったくないのになぜか列をつくる人が多数いる。毎日いやになるほど海を見ているから今更窓際などにこだわる事もないし、時間を過ぎてからノコノコと入る私達にはオープン前にわざわざ行列するのが飛鳥七不思議のひとつである。


本船から出るオプショナルツアーは、一旦ラウンジかシアターに指定時間に参加者が集合し人数を確認してから出発する。ここでも指定時間の20分ほど前から参加者が集まり始め、定刻の5分ほど前には全員が出そろう。ギリギリに指定場所に行く私達はいつも最後で、すでに集まって待っている連中に「こいつら遅いなあ」と云う顔をされる。キャビンで準備中に係りから電話があり「皆様もうお揃いですが来られないんですか?」と聞かれ「エー!?まだ5分前でしょ、定刻には行きますよ」と応えた事も一度ならず。ことほど左様に飛鳥船上に流れている時間は、普通の感覚より相当せっかちのようだ。

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オプショナルツアーの集合時間一覧

2018年6月29日 (金)

寄港地での食事の楽しみ・後半

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大味だったブリトー(サンディエゴ)

本船の料理もうまいがたまには味の濃いものが恋しくなる。クルーズ後半寄港地の外食。


ボストン。フェンウエイパークでは名物のクラムチャウダーの他にホットドッグにビールである。最近のアメリカの球場は成人である事を示す写真付きIDを提示しないとアルコール類が買えない。普通は免許証を見せるが我々旅行者は一々パスポートを見せるほか「球場の方針」とかで一人ビール2杯までなどと煩わしい。もっともこれはスタンド下など正式な売り場でのルールで客席を廻る売り子はIDなどに頓着せず売れるだけビールを売っている。


ナッソーでは飛鳥Ⅱを目の前にコンク貝のフリーッターとサラダ、もちろんバハマの地ビール「KALIK」も…。船を目の前に飲んだり食べたりしていると帰船時間を気にしなくて良いのが嬉しい。


グアテマラの古都アンティグアでは町の中心・時計台近くのレストランに入る。鶏肉をスパイシーなスープで煮込んだスバニク(SBANIK)が大当たり。メニューを見てアタリをつけたのだがこれが想像通りでとてもうまかった。知らない土地でよく判らないメニューからエイヤ!と選んだ料理が旨いと「ヤッタ」と快哉を叫びたくなる。


サンディエゴはメキシコ国境の都市。最近アメリカでは一角を歴史的な装いにして観光客を呼び込む町が多いが、ここも”オールドタウン”地区がそうなっている。お約束のブリトーに妻はビーフタコス。ビールもおなじみ”XXドス・エクス”の生!。

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写真は左上から時計回りにホットドッグ(FENWAY DOGとA FOOTLONG DOG、ボストン)・コンク貝料理(ナッソー)・ビーフタコス(サンディエゴ)・スバニク(アンティグア)

2018年6月28日 (木)

アンティグア観光

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十字架の丘

グアテマラはかつて栄えたマヤ文明の中心地であった。スペインが統治したあと19世紀初頭にメキシコに併合されたものの、他の中米の国々と同じようにメキシコの内紛によって独立した。マヤ文明の中心地だけあってインディオの比率が高く、住民は純朴で我々と目が合うと「オラ!」とにっこりと笑って挨拶してくれる。飛鳥Ⅱはそのグアテマラのプエルト・ケッツアルに6月11日に入港した。プエルト・ケッツアルは首都グアテマラシティの外港とは云え周囲にこれと言った観光地もなく、治安もあまり良くない。なので我々は船から出る有料の連絡バスで約100キロ離れた古都アンティグアに行って観光することにした。


アンティグアはスペイン植民地時代の首都で高度約1000米余の高原にある。プエルケッツアルからマイクロバスで2時間弱だが、折りしも入港前に噴火したフエゴ火山によって最寄の高速道路が通行止めとなり、バスは途中からローカルの山道を抜けてアンティグアに向かう。日本製のバスはシートベルトもない古いクルマで、がたごとの道を飛び跳ねながら走ると「田舎のバスはオンボログルマ♪」と昔の歌を思い出す乗り心地である。片側一車線の山道は渋滞続きだったが、民家の軒先をかすめてノロノロ進んでいると、グアテマラの人達の生活が垣間見えゆっくりの旅も楽しいものである。


アンティグアの町は、3キロ四方ほどのこじんまりとした町で、石畳の道を歩いて観光できる。ガイドからは「十字架の丘は歩いて登る山道に強盗が出て危ない」と聞かされたが観光の要所には警官が配置されており危険はまったく感じなかった。20年前に当地にいた義弟によると、当時も強盗に注意と云われていたそうで、多分その頃の事件がいまだに上書きされず語り継がれているのだろう。総じて飛鳥Ⅱから出るツアーは安全第一に傾き過ぎるばかり、自分達で歩いて回るには充分な情報が行き渡らない時もある。それにしてもかつて義弟からグアテマラの話を聞いても、ひどく遠い国に感じていたものだ。それが飛鳥Ⅱに乗るとこうして簡単に来る事ができる。有名観光地だけでなく、思わぬ場所へ連れて行ってくれるのもクルーズの楽しみだと今さらながら思うのである。

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2018年6月23日 (土)

飛鳥Ⅱ代替船

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サンディエゴの飛鳥Ⅱ

1990年にクリスタル・ハーモニーとして完成した飛鳥Ⅱも船齢28歳と相当なお婆さんになった。リプレースについて様々な検討がなされているが、プランが具体化して発表できるような段階ではまだないとされる。関係者の話では次のワールドクルーズは2020年を予定しているそうで、それまではこのまま本船を使う事は間違いないだろう。それどころか大型クルーズ船を建造できるドックは世界でも限られており、数年先の受注まで発表されている中に飛鳥Ⅱの代替船が見当たらないないから、中古船でも買ってこない限り当分の間この飛鳥Ⅱが使われるはずだ。


中古船の購入も考えられるものの、メンテナンスの面からみて日本で汎用される諸機器を装備した船が候補として望ましいが、欧州の造船所で完成した船はヨーロッパ仕様とあって部品の交換も容易ではない。水まわり一つとっても浴槽につかる習慣をもつ日本人向けの船と、シャワーで充分の西欧向けの船では、タンクや増水設備の基準が大きく異なるであろう。その他ランドリーの設備やら厨房・食料貯蔵設備などを考えると、中古船を購入してすぐさま飛鳥クルーズに転用するのは簡単ではないはずだ。


ひょっとすると数年後には”にっぽん丸”や”ぱしび”と業務提携したり、外資と組んでまったく新しいコンセプトの日本船(日本籍に必ずしもあらず)が誕生したりする可能性もある。すでにコンテナ船の分野では郵船・商船三井・川崎汽船の大手三社が新しい会社を作って共同事業を進め始めた通りである。造船所もクルーズの建造については我こそはと思う日本の造船所が現れることを望みたいところだ。飛鳥Ⅱのデッキに張り巡らされた素晴らしいチーク材は資源的にもう大量に入手するのが困難らしいが、様々な隘路を克服し次世代の日本船が早く発表されないものか。諸外国の港でモダンなデザインの大型船と並ぶと、本当は贅沢な造りながら見た目は一世代前の船である飛鳥Ⅱにちょっと肩身が狭い感がするのである。

2018年6月20日 (水)

カルタヘナの要塞で考える

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カルタヘナのサン・フェリペ要塞 中南米で奪った富を守るために16世紀から造られた

コロンビアのカルタヘナはかつてスペインの大西洋における奴隷貿易の中心地であった。カルタヘナの町はスペインが中南米の植民地で奪った金銀やエメラルドの集積地であり、ここに集まった財宝がスペイン本土へ積み出されたのだという。これら集まった膨大な富を狙う海賊には、英国などの列強が裏で操つる傭兵が多数いたとの事である。まさに盗人が泥棒を襲うかのような国家ぐるみの血なまぐさい略奪行為がこの辺りで繰り広げられていたわけである。


ここまで飛鳥Ⅱで欧州や新大陸の各地をざっとながら巡ってくると、彼ら西欧人の歴史は対立と戦争の連続であったという思いに至る。あちこちで常に血で血を争ういくさが繰り広げられてきたのだ。その要因は地続きの地勢をベースにした民族の移動、モスリム対キリストの宗教戦争、さらに英国対スペインなど列強の覇権争いと様々なものがあったろう。いたる所にある要塞や戦いの跡を訪れると、異なる存在が平和裡に共存することより、征服や支配をすると云う遺伝子が彼らの根底にあると思える。


翻ってわが国は明治時代まで豊臣秀吉の朝鮮出兵など極く一部の例外を除いて他国へ兵を出したことはない。列強が血で血を争った近世には徳川幕府の天下統一がなり、統一国家のもとに文化の発展や資本の蓄積が行われたのである。ケント・ギルバート氏などが述べているように、マッカーサーの進駐軍は戦争中に体験した日本軍の強さを恐れ、日本人は野蛮で伝統的に好戦的な民族だと決めつけて徹底的な愚民政策を施した。その影響はいまだ根強く残ったままだが、日本人が他国を侵略したり他の民族を支配するDNAは持っていない事を海外に出る度に強く感じる。安全保障上の法案が審議されるたびに「軍靴の音が聞こえる」「息子が戦場に行かされる」「徴兵制になる」等のキャンペーンはいい加減に止めて欲しいものだ。

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