カテゴリー「趣味」の記事

2017年3月16日 (木)

ダンスシューズ

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クルーズ船に乗るようになって「船上ではやはり優雅に踊りか」と始めたダンスだったが、2度のワールドクルーズで、連日社交ダンス教室に通っただけでうまくなるほどその習得は甘くない。と云う事でせっかくさわりを習ったのだから、ここでやめてはもったいないと、近所のダンススクールの個人指導に通い始めてから早くも10ヶ月が経った。


最初は私一人で始め、最近は妻も一緒に週一回のレッスンを受けているが、とにかくステップを覚ようとすれば姿勢の事を忘れ、パータナーのリードに気をとられればステップを忘れての連続である。次に何をすべきなのか、踊りながら頭の中がしばしば真っ白になりつつも、美人の先生の指導よろしく何とかここまで続けてきたのである。


さてダンスと云えばその基礎となる足元は、きちんと足にあった自分のシューズをはくべき事は言うまでもない。しかしこれまで私は、マイ・ダンスシューズを持参して”軟弱な社交ダンスを真剣に踊るようなおのれの姿”、を想像するのがなんとも気恥ずかしく、靴はスクールに備え付けでサイズ的には足より大きいシューズをずっと借用してきた。”ダンスなどは余裕でやってる遊び”とやや斜にかまえ、距離をたもっての参加である。


もう一つ、我が足のサイズは25センチと男性としては小さめにつき、ただでさえぴったりして足が小さく見えるダンスシューズを履くと「馬鹿の大足、マヌケの小足」が目立つようで、こんなものにカネを払えるかと借り物で通してきた事もある。なので、これまで船内でも普通の革靴でダンスをしてきたが、あらためて陸上で習ってみるとダンスは想像していたよりずっと「体育会系」で、うまくなるにはいつまでもブカブカの借り物という訳にいかなくなってきた。


と云うわけで先日とうとうスクールを通して購入したダンスシューズが写真である。価格は高級ランニングシューズとほぼ同じで、週一回の練習なら2年はもつと言う。なんでもダンスシューズにはスタンダード用とラテン用があって、底のすべりなどがそれぞれ微妙に違うほか、ラテン用にはかかとが高いものもあるらしい。このシューズは”汎用型”との事だが、背が高く見えるシークレットブーツではあるまいし、男のハイヒールなどは真っ平ゴメンだから、この程度で充分である。


どうせ買うのならクルーズ船のフォーマル指定日にはタキシードで踊れるようにと、いきなりエナメルシューズにしてしまったのはダンス初心者としてはちょっと背伸びであろうか。もっとも習い事は「形から入れ」とは云うし、先生や妻は「よく似合う」とか「格好イイ」と言っておだててくれるが、ついにマイ・シューズを購入してしまうと、一体この先どこまでダンスを続けて行くのだろうかなどと、いろいろ複雑な気持ちが湧いてくるものである。

2014年12月24日 (水)

ピアノのお稽古

消費税アップの前にと今年3月に電子ピアノを買い、夏場から暇な時にポロポロとピアノの練習を再開した。55年ぶりのブルグミューラーである。「まず30分でも練習するか」とピアノに向かうもあまりの初心者ぶり、すべて忘れているのに愕然となり、やっきになって繰り返し練習する週末が続く。子供の頃は親に言われてイヤイヤやらされていたピアノで、当時は何が楽しみだったかといえば先生の家でレッスンの後にいただくカルピスと、その家の子供で私より数歳年上のやさしいお兄ちゃん達と遊ぶ事だったが、こうして独学で練習を再開してみると上手く引けない自分が何とももどかしい。(半世紀ぶりのピアノ練習2014年3月25日)


年をとると時間の経つのが早く感じると云う通り、「まず30分!」のつもりがふと気がつくと1時間となり、日によっては夕食後にまた練習するか、となるからピアノ嫌いの人間も変れば変るものである。毎回フォルテやらピアノ、クレシェンドなどの強弱は無視してまず右手で数回、左手で数回音を追って弾くところから練習を始めるが、五線譜から上下に離れている音符はいつも押しまちがうので、”レ”だとか”ソ”だとか鉛筆で書き込む。そんな事はしてはいけないと昔はよく怒られた事も、ここは独学の強みとあって自己流で良いのである。なんとか片手づつ弾ける様になると両手でトライ、そして次にスラーや強弱など装飾符に気をつけて弾いてみる。


いよいよ最後にペダルを踏む練習を加えると急に足に注意がいってしまい、せっかく上手く弾ける様になった手までがばらばらになるから、手と足で独自にリズムを刻めるドラムの奏者は凄いものだとの思いが浮かぶ。それでも練習を続けていると、前はうまく弾けなかった箇所がスムースに通過できたりして、人間は歳をとっても学習すれば前進できる事が実感できて嬉しい。これまで走るなどスポーツに関係した趣味ばかりで、年齢と共にいかに劣化を防ぐかという事に腐心する身としては、遅々としていても進歩するものがあると云う事実を発見しボケ防止の楽しみが増えたと云えよう。こうなれば若い女の先生に週一度でも習ったら見栄っ張りの私ははもっと一生懸命に練習するのではないか、などとあらぬ妄想を抱きつつ、週末はピアノに向かって練習しているのである

2014年3月25日 (火)

半世紀ぶりのピアノ練習

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「そろそろ会社を辞めさせてくれないか」と打診してみたら「まあ、そんな事言わないでもう少しやって下さいよ」とありがたい様なそうでない様な返事が返ってきた。やっている仕事の本質は若い頃とちっとも変わらないが、事務のIT化では狼狽することが多いし、周囲は新入社員の頃からコンプライアンスやらガバナンスという言葉に慣れ親しんで育った世代ばかりで、この業界の雰囲気も変化してしまい多少疲れを覚えるのである。もっとも還暦をとうに過ぎたこの歳でそう言ってもらえるのは幸せな事だと気を取り直し、4月からももうしばらく勤めを続けることにした。しかしそのためには今までにない何らかのインセンティブが自分に欲しくなったのも事実である。


という事で、購入したのがヤマハの電子ピアノである。考えてみれば小学校1年から6年まで親に無理やりピアノの前に座らせられてすっかりピアノ嫌いになり、反動で中学からこの歳まで体育会系で過ごしてきたものの、各地のマラソン大会でも60歳以上の部はすべて一くくりとあって、後は年齢相応に記録も順位も落ちるだけとは寂しいものである。ここは体を使った運動の他に何か文科系の趣味を持ちたいものだと考え、ならば子供の頃やったピアノかと思いたったのである。先の三連休に届いた梱包を解いて組み立てたのが写真のヤマハ電子ピアノである。こんなキーボードで本格的なピアノの音はもとより、スイッチ切り替えによってハープシコードからジャズオルガン、パイプオルガンなど様々な弦楽器の音が出てくるとは何とも驚きだ。


これで本物のピアノでも最も安い部類の何分の一かの値段、その上メトロノームも内臓されているし、高価な調律も必要ないとは世の中便利になったものである。「バイエルからやりたい」と言う私に、妻は「最近はバイエルなどやらないのよ」と買ってくれたのがブルグミューラーで、その第1番は「素直なこころ」という題名である。性、狷介にして何事にも頑固になりつつある私には、最初から何やら因縁めいた題名である。幼児が弾ける様な易しい楽譜だったが、何回かつっかえながらも初回で一曲が弾ける様になるのは、子供の頃の体験が記憶のどこかに残っているのだろうか。以前にもちょっと思い立ったものの、マジメに取り組むのは50年ぶりで、ボケ防止にこれから少しずつ練習する事にしたいが、「若くてきれいなピアノの先生が近所にいないかなあ」とか「モーツアルトのトルコ行進曲が弾ける様になるのとボケるのがどちらが先だろうか」などと様々な思いが脳裏を駆け巡っている。

2013年11月 1日 (金)

第11回日比谷公園ガーデニングショー2013

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あと暫くすると、本当に「毎日が日曜日」の生活がやってきそうだ。「小人閑居して不善を為す」という言葉がそっくりそのまま当てはまりそうな私は、来たるべくその日から一体どうやって日々を過ごしたものかと時々真剣に考えてしまう。その点、永年続けてきたジョギングとは誠にありがたいもので、日中に1時間くらい走った場合は、準備・整理運動や着替え、シャワーやらで倍の2時間くらいはあっと云う間に過ぎてしまう。だが学生ではあるまいし、そうそう毎日毎日走ってばかりはいられないから、残りの有り余る時間をいかに有意義に使うかで、これからの生活の質がかなり違ってきそうな気がする。


とすると、子供の頃に親にひっぱたかれながら練習させられたピアノを、あの頃の復習(復讐?)とばかり再開してみようか、はたまた客船で初歩を習ったダンスを正式に習ってみようか等とさまざまなアイデアが浮かんでは消えるが、そんな事をぼそぼそと食卓でつぶやいていると、妻は「いいんじゃない」と他人事である。こうして日々を過ごす中、今週は日比谷公園に於いてガーデニングショー2013が無料で開かれているというので、昼休みにブラブラと公園をのぞいてみる事にした。これまで永い間マンション住まいでガーデニングなどは無縁だと思っていたが、ショーに参加した造園業者や園芸高校、趣味で緑を愛でる人達が、花木や石を使ってどう美しい作品を創作するのか、ちょっと興味が湧いたのである。


この日比谷公園ガーデニングショーは今年で11回目だそうで、広い園内では箱庭を大きくしたような様々な”ガーデン(作庭)”の他、壁につるしたバスケットを花で飾る”ハンギングバスケット”の部やコンテナガーデンのコーナーなどがあり、それぞれ見事に造形された多くの作品が秋空の下で庭園美を競っている。特にハンギングバスケットなら、マンションのベランダの内側でもひっそりと楽しめそうで、これを我が家でやって”日々花を愛で、丹精する穏やかな自分”というきたるべき姿をちょっと想像してみる。これなら今やっているジョギング(体育系)とこれから再開したいピアノ(音楽系)の他に、文化系の趣味としてあまり金もかからない上に人に迷惑もかけない趣味としてできそうな気がしてきた。「草木が育つにはそこそこ時間がかかるから、それまでに飽きちゃいそう」と直感的な感想を述べる妻の鼻をあかす為にも、”花を愛する心やさしいシニア”を演じてみようかと思ったりしている。

写真は作庭(上)、ハンギングバスケット(下・上)、コンテナガーデン(下・下)の作品

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2011年3月 7日 (月)

情熱のタンゴ

悪戦苦闘しながらも夫婦で通っているダンスコースも、何とかワルツの基礎を覚えいよいよタンゴである。タンゴと云えばスロー・スロー・クイックなどとステップを踏む間に、顔の向きもくるっと進路に向けて変えなければならない様だ。ステップを覚えるのに誠一杯なのに、顔の向きにまで気を使えるものか、と内心ではおっかなびっくりなのだが、これをやると何となくそれらしい踊りになって、映画「シャル・ウイ・ダンス」の竹中直人のダンスシーンみたいである。教室の鏡に映るタンゴを踊る自分の姿を見ると、竹中直人のカツラ姿を思い出して、思わず噴きだしたくなってしまうのである。


それにしても社交ダンスは随分と密着して踊るもので、正式な組み方を習うと、妻以外の女性と踊る場合にこんなに密着して良いものかと感じる。タンゴはその中でも情熱的な踊りなのだそうで、かなりタイトな組み方をしなければならない。女性の足の間に自分の足を割って入れてコントロールしなさい、などと言われても、妻以外の女性にダンス初心者でそんな事ができるか、と後ずさりしそうだ。


もともと余計な事を考えずにすみ、あたかも体育の授業の延長感覚でレッスンが出来るだろうと考え、男性プロの先生に教えてもらっていたのだが、今日は先生の都合で途中から急に女の先生になったのには目が点になった。歳の頃40前のなかなか美人なのだが、タンゴの組み方はこうですなどと、心の準備ないまま女の先生と組み、彼女の顔が間近に迫ると、こちらは「そういえば今朝、俺はちゃんと顔を洗ったかな?」とか「鼻毛が伸びているんじゃないか?」「歯槽膿漏は無いって歯医者が言ってたよな」などとダンスどころでなくなって、この場を逃げ出したい気持ちになるのであった。


よほど、この行き詰る空間から早く解放されたかったのだろう、普段はレッスンが終わった後、しばらく妻とフロアーの片隅で復習するところを、今日は終わるやいなや脱兎の如く靴箱へ行って、さっさと自分の靴に履き替えて帰ろうとしていたそうである。まるで終業のベルが鳴り終わらぬのに、先生が授業をまだ続けているのを横目に、教科書を片付け始めるどこかの中学生の様だ、と妻は大笑いであった。


まあ中学校ではフォーク・ダンスさえ逃げ回っていた私が、タンゴを習っていると云うだけで、立派なものだと自分を誉めたくなるが、何でも手をつけて始めてみれば、それなりに興味も湧いてくるものだと分かった。それにつけても鏡に映る己のダンス姿を見ると、踊るという事はあまりに非日常的な世界の事ゆえ、これに嵌る人も多いと言う事も何となく理解できるこの頃である。

2011年2月26日 (土)

シャル・ウイ・ダンス?

「お試し」の1回を含めて妻と通った都合9回の社交ダンスの入門コース、ワンクールが何とか終了した。ブルーズ、ジルバにワルツの初歩を教わったのだが、とにかくステップを覚えるのに精一杯で、不得意科目を居残りで学習させられる生徒の様な気持ちで必死に通ったのだった。あまりに覚えが悪いので、人のいないのを見計らって、住んでいるマンションの駐車場などで妻と復習をしたのだが、時折通るマンションの住人とばったり合うと、いい年をしたカップルが何を抱き合っているのか、と怪訝な顔で見られる。


とりあえず入門コースを完了して、先生から「これで一応クルーズ船などで初歩は踊れます」と言われ、我ながら良くやったものだと今日は妻と周防監督の「シャル・ウイ・ダンス」のDVDを取り出してきて見る。あらためて「シャル・ウイ・ダンス」をじっくり見てみると、まるで自分のぎこちないステップを俳優たちが演じてくれている様であるし、トイレでステップを思い出している場面などは、ダンス初心者の生態をうまく描写しているものだと感心する。主役の役所広司の照れくさそうな仕草と何くそと思う揺れ動く気持ちも、「これってダンスを習う男性の気持ちだよ」と共感できて、よくできた映画だと改めてわかったのだった。


大体リードする男性の方が女性より3倍も大変だと言われる上、音感の鈍い私である。駐車場で練習しながら間違えて妻の足を踏んだりすると、腕を組んでいる妻は手っ取り早く「こっちの足だよ」と蹴って教えてくれるが、蹴られた時は思わず妻の顔が「シャル・ウイ・ダンス」の渡部えり子の顔と二重写しになったりするのである。などと四苦八苦しながらも、今日は「いよ!」と大向こうから声がかかりそそうなワルツのスローアウェイ・オーバースウェイとか言う形までたどり着き、やっとコースを終了できたのは万歳三唱ものだ。で、「これからどうします」と言う先生に、思わず「もうワン・クールやってみようかな」などと心にもない返事をしてしまい今になって後悔している私なのである。

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2011年2月 3日 (木)

わが身をつねって人の痛さを知る

妻と一緒に通うダンスの初心者個人レッスンも、ジルバは何とか基礎のキが出来たらしく、先生は今日はワルツを教えて呉れると言う。いよいよワルツかと勇躍心の準備をし、先生のステップを見ると、彼は何と右足からスタートする。「あれ?社交ダンスで男はすべて左からではないですか?」と思っていると、「最初の左足は捨て足で」などとわからない説明で、クルーズ船でかじったダンスとは違った難しいステップを先生が踊り、「これを今日はやりましょう」と言う。「アチャー、こんなに難しいステップを始めからやるのですか?」と聞くと、「貴方が今まで習ったのは、スクエアワルツと言って、小さいスペースで四角く踊るものでこちらを覚えた方が楽しいです」などと容赦ない。

準備して行った予習箇所がまるで外れた受験生の様な気持ちで、冷や汗をかきつつ仕方なしに先生の指示通りステップを踏むのだが、左足を続けてステップしたりスキップの様な処もあって、これがなかなか難しい。先生は「ヘジテーション何とか」とか「これがシャッセです」などと言うのだが、そんな事より日常しないダンスの動きを覚えるのに精一杯。「そう、上手です、それでいいです」などとおだてられながら部分部分をなんとか覚えると、「さあ最初から通してやってみましょう」という事になるのだが、そうすると最初に習ったステップを忘れていたりで、もう頭が真っ白である。

子供の頃、鉄棒など体育の教師が教えてくれる事は大体人より早くできたのだが、社交ダンスでぎこちなく”たたら”を踏んでばかりいると、運動音痴の子供はきっとこんな試練に堪えながら大人になったのだろうかと、遅まきながら昔の事を思い出す。自分ができないという経験をして、人間は初めて人の痛みが分かるのかと、妙な処で勉強した気にさえなる単純な私である。やっとの思いで今日のレッスンを切り抜け、日課のジョギングをした後、妻と今日習ったダンスを駐車場で復習すると、ステップがジョギングリズムの2拍子ばかりになって、一向に3拍子のワルツステップにならない苦闘の日であった。

2011年2月 1日 (火)

驢馬にひかれて

コントラクトブリッジに続き、人生方向転換の第2部はダンスである。クルーズ船の中のダンス教室でステップの初歩は学んだものの、そこは大勢で教わる場なので分からない部分はそのままだし、自己流で間違って覚えているかも、と危惧していたのは既にアップした通り。かねてから専門のプロにちゃんと学んでおきたいとは思っていたものの、どうも社交ダンスというものは、男性として妙に敷居が高い事も幾度か書いてきた通りの事実。

そんな折、今年になって夫婦とも仕事が暇になり時間ができたので、妻に尻を蹴飛ばされる恰好で近所のダンス教室に二人で通い始めた。教室の先生は何でも学生時代に選手権で優勝した事もあるとかの男性プロで、夫婦二人での個人レッスンである。これなら音感の悪い私でも他の受講者の進み具合に焦る事もなく、分からない箇所は何度でも聞けるから、まあそこまで妻が勧めるのならやってみようかと決断したのであった。

レッスンも今日で3回目、ブルースとジルバを習っているが、家で練習して行ってもスタジオに行くと、ぎこちなくステップが合わなくなるのは相変わらず。それでも相手も商売上手なプロ 「 何か、音楽やってらしゃいました?とても音感が良いですね 」 などと生まれて初めて聞く様なお世辞が満更でもない。客船で習った初歩が効いているのか、「予定より早く次の段階に行けますね」などとおだてられ、まるで歯医者に行く様な気分で始めたレッスンも、慣れてしまえばそれほどでもなくなってくるのは不思議なものだ。

それでもダンスのレッスンが終わりホッとして「やっと解放された」 などと感じるていると、「 最初は週に2回くらい詰めて覚えて方が上達が早いですよ」 という先生の言葉に素直に従って、妻は週2回やると言う。で、しかたなく私も週に2回付き合う事にしたのだが「今に見てろ、クルーズ船の社交ダンスで、華麗にステップが踏んでやる」と遠い夢を見つつ、再試験で不得意科目を履修しなきゃならない学生の様な心もちでダンスを習う日々である。

ここが歯医者ならぬダンススタジオ
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2011年1月23日 (日)

とび蹴り

碁・将棋など室内ゲームはまったく苦手でできない。マージャンも高校生で覚えたものの、大学に入って皆がやる様になると、男4人でタバコの煙が充満した狭い場所に集まる雰囲気に馴染めず早々にやめてしまい、以来現在に至るまでやっていない。会社員の時は、マージャンくらいやっておけば良かったなあ、と思う事もあったが、マージャン人口が減った今、下手に「やります」などと宣言すると常にひっぱりだされそうで、まあこのままで良いかと思っていた。一方、早期定年退職して人より早く自由時間が増えた身となっては、これからの時間を有意義に過ごすには、今までの屋外系・運動系の趣味から違う世界に、少しずつ視点を移していきたいと考えていた。

で、ダンスとコントラクト・ブリッジである。ダンスはクルーズ船のダンス教室に幾度か参加した事があるものの、船内ダンス教室は大勢の参加者の中の一人で、わからない処はそのまま過ぎてしまうし、大体音感が悪くて踊りが苦手な私は、揺れる船内のダンス講習などではなかなか覚えられない。かといって日本船の夜のダンスパーティはあまりにも「それっぽい」社交ダンスムード。逆に外国船は「何でもあり」と云う事で、適度に正統かつ適度に楽しいと云うダンス会場がなかなかない。という事で、やはり陸上でプロに初歩は習おうという事になって、妻と社交ダンスの個人レッスンに通い始めた。はてさてどこまで続くのか、下手すりゃ行進で手と足が一緒に出てしまうほどリズム感のない私である、週1回~2回頭が真っ白になりながら、ぎこちなくイントラクターにフロアーを引き摺りまわされる有様が目に浮かぶのである。中学の時、フォークダンスと云うと、気恥ずかしくてトイレに隠れていたツケが、今になって廻ってきたかと苦笑するのである。

コントラクト・ブリッジは昨日、日本コントラクトブリッジ協会の「体験教室」に行って、初めてブリッジの何たるかに触れた。3時間に亘る本格的教室で、初めて方対象と言うが、クルーズ船の初心者ダンス教室などは結構中級者などが出てきてしまい、先生が安心してどんどん先に進めてしまうので、ブリッジ教室もそんなものかと、おっかなびっくりの参加であった。案に相違してブリッジの歴史や初歩の遊び方からゆっくり解説してくれ、教室参加者もほとんどが本当の初心者、皆でゲームをしながらブリッジの基本を感じたのであった。教室参加者は年配の婦人が多かったが、皆かなり上品な雰囲気なのに驚き、こんな仲間たちの集いなら私も将来ちょっとゲームができたら良いな、と興味をもった。インストラクターの話によれば、コントラクト・ブリッジをやっているシニアーは痴呆になる人がとても少ないという事で、すでにボケはじめているわたしには丁度良いかもしれない。

いずれにしても、人生後半はこれまでと違うテイストで、日々生活を活性化させたいと思っているのだが、元来の内弁慶・引っ込み思案である。毎回うじうじと「やってみたいが、どうしようかな~」と逡巡していると、妻の「興味あるなら、まずやってみなさいよ」という強引な”とび蹴り”と”おくり出し”でリングにひっぱりだされるのである。家を出るときは「コンチクショー!」と思うものの、一つ新しい事を覚えて帰ってくると、それはそれで嬉しいもので、”とび蹴り”が効いたなあと感謝するのである。

2010年9月26日 (日)

ホワイトノイズ

先日無線受信機という新しい玩具を手に入れた妻は、週末になると無線の傍受にチャレンジしている。場所は東京港のお台場地区、羽田空港の管制塔も遠望できる絶好のエアチェックポジションである。エアチェックというのは、昔FM放送をテープに録音する事だったが、こんなのもエアチェックと云うらしい。当初の目的である「船舶無線」で、まず「国際VHF16ch」に周波数をあわせてみる。東京湾内を航行する船舶は常にVHF16ch(156.8MHz)をモニターすることが義務付けられており、16chで航路管制センターや他船と交信を開始、必要に応じ別チャンネルに移動し、16chをあけてその後の会話を行なう事になっている。なので傍受する方もまず16chにあわせておけば、どの通信も入って来ることになる。

「こちら○○丸、東京マーティス(東京湾管制センター)、感度は如何でしょうか」「こちら東京マーティス、感度良好です。18チャンネルに移動して下さい」「了解」のように航行する船舶から管制に呼びかけがあると、傍受する我々もチャンネルを18に切り換えれば引き続き通信が聞こえる訳である。管制から「こちら、東京マーティス、○○灯標を正横に見て浦賀水道を横断している船舶は応答して下さい」のように呼びかけがあったりするのも面白い。ただ船舶無線の交信はポツリ、ポツリと入って来る程度で無音期間と「ザー」というホワイトノイズばかりが聞こえ、今度は自然と羽田空港に離着陸する航空機に目が行くことになる。

無線傍受のHow To本には付録に簡易版周波数表が付いていたので、早速羽田の管制に周波数を変更すると、船舶とは打って変りひっきりなしに電波が飛び込んで来る。航路(空路?)、離陸、着陸、場内とそれぞれ管制が違うので聞く種類が多く、楽しむにはコツが入りそうだが、便名と行き先などの指示を聞くと旅情を誘う。英語の交信なのだがタワーと飛行機とは棒読みに近い専門用語の羅列で会話していて、これに慣れた日本人パイロットがシカゴやロスの輻輳する空域で、アメリカ人管制官が早口かつ余計な表現などを混ぜた時には、100%対応できるのだろうか、などと興味は尽きない。

しかし世に中にはいろいろなマニアがいるもので、航空機無線傍受は解説本も多いのに驚く。妻は会社帰りに参考書を買って来て、これはしばらく傍受熱も冷めそうにないが、音楽をゆっくり聴いたり風の音を楽しみたい私には、無線機から流れてくる音は「ホワイトノイズ」にしか聞こえないのである。
20100917


Bulkcarrier 2010-09-27 21:44:13

まろんの父さん

今晩は。そうですか、これをplane watchingと云うのですね。ヒースローは何でもFirst come, first serve方式でなく、空港の廻り4箇所で着陸機をホールディングさせ、間隔を最短にして効率良く着陸させるそうですね。いつも混んでるのはこんな理由なのでしょうか。

きっとplane watchingも面白かった事でしょう。羽田も時々アメリカ人などネーティブスピーカーらしきパイロットからの交信があると、「あらっ」と思いますが、今秋の国際化が楽しみです。

船舶watchは 「今、浦賀水道航路、観音崎を北航する船は、AIS(船舶識別装置)の表示が違うので、どこへ行くのですか?」などと管制から注意されている船があってこれまた面白いです。


まろんの父 2010-09-27 15:25:34

Bulkcarrier様

ご無沙汰いたしております。欧米では「plane watching」は、航空無線受信専用レシーバと高倍率双眼鏡を片手に、空港屋上で楽しむ趣味として確立しておりますのに、日本ではかような趣味は、まだまだの感がございます。かく申します私も、大昔のイギリス勤務時代、無線とちゃちな双眼鏡片手に週末になるとヒースローへ出向いて屋上で同好の志と、飽かず空を眺めておりました。ただでさえ各国の便が離着陸する中で、壁が壊れたばかりの旧東側の航空機の飛来の際など、みな大騒ぎしていたのを思い出します。船舶無線も受信できるとは、今日まで存じませんでした。ちなみに新千歳の屋上では、写真撮影(とくに冬期)が盛んですが、レシーバを持った方はみかけたことがございません。

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