カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2023年8月 5日 (土)

夏空を見上げながら

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夏真っ盛り、ジョギングで通る最近の皇居前・行幸通り

慶応高校の応援に甲子園球場に行き、ついでに妻と約束の500系新幹線に乗ろうかと考えてみたが、8月10日から19日までは、「大人の休日倶楽部ジパング」の割引適用外期間だし、航空会社のマイレージも最近の度重なる旅行でほぼ使いきってしまった。台風も来ているので、天候もどうなるかわからない。甲子園の応援はテレビでと決めて、暫くは東京で夏の日々を過ごすことにした。この間、暑い盛りの日課のジョギングは夕方の5時ころから始めるが、それでも東京は、この時間になっても気温32度~33度しか下がらず湿度も60%ほどで、冷房の効いた部屋から外に出るのはなんとも億劫だ。そんな時は走った後のビールの旨さを思い浮かべつつ、予定の時間になったらまず着替え、シューズを履いて表に飛び出すことにしている。最近のニュースは盛んに熱中症に警戒などと云うが、暑さに立ち向かう気持ちでひとたび前に踏み出せば、いつしか自然に歩を刻む自分を発見し、時には三昧の境地に入ることもできる。老境に入ろうとも、何事においてもまず身なりを整えて手をつけること、一歩を踏み出すことが肝要だと心したい。


という訳で、最近はブログのネタも尽きて窓の外に流れる夏雲をながめるばかりだ。よって今回もブツブツと政治の話である。LGBT法案が成立してしまったので、以前にアップしたとおり、第2次安倍政権以来続けてきた自民党支持をやめることにした。党内の慎重論にもかかわらず党議拘束をかけてまでLGBT法案を成立させた上、安倍政権以来の「対韓国への戦略的無視」もやめてしまった岸田政権に愛想が尽きたのだ。私のように考える者が予想以上に多いことがいま保守界隈では話題になっており、案の定、先週末に行われた仙台市議選では、自民党が3議席減、代わりに維新の候補がこれまでのゼロからなんと5議席を取り、参政党も1議席を初めて確保するという大方が予想もしない結果となった。この選挙の結果については、自民党離れした有権者の中でも思想的に中庸の人は維新へ、コアな右の保守層は参政党に流れたとの分析がなされているが、いずれにしても自党への支持者の期待を裏切った岸田政権へ鉄槌が下ったものと自民党内は狼狽しているという。参政党の主張には皇位継承などでいまだ不明な点が幾つかあるものの、先年から大いに注目されてきた彼らが、自民党を見限った保守層の受け皿になり始めたことは間違いない。
2021年12月24日「参政党 新しい保守に期待」
2022年7月11日「安倍晋三元総理を悼む・2022年参院選」


そういう思いで冷ややかに自民党を眺めていたら、次々と彼らがやらかしてくれる。文春砲でやり玉に挙がった岸田首相の懐刀、木原官房副長官周囲にまつわるスキャンダルはどうやら進展なしで終了しそうだが、まずは松川るい参院議員率いる自民党女性局のパリ『研修』旅行問題。そもそも7月の終わりバカンスシーズン真っ盛りのパリに子連れ38人の団体で行き、愚かにもSNSではしゃいでいる姿が炎上したうえ、「税金など公費を使っていない」と苦し紛れの釈明が余計に叩かれている。と思っていたら次は秋本真利衆員議員事務所が、収賄容疑で東京地検の捜索の受けたというニュースだ。風力発電を手掛ける会社社長と、それを後押しする政策を推進する議員が、共同で競走馬を購入・管理する組合を立ち上げ、そこにこの会社から3000万円が投入されたという。真相はこれから解明されるのだろうが、自らの政策と利益が合致するような会社からは、すべからく距離を置くのがまともな政治家というものだろう。この件は、検察に目をつけられてもしょうがない。私はかねてから「SDGS」やら「再生可能エネルギー」ビジネスは、限りなくうさん臭い新手の利権の窓口に違いないと考えてきたので、さもありなんだと思っている。安倍さん亡き後の自民党は、国家観なき議員たちによる糸の切れたタコのような政党になってしまった。といって維新は親中国だし、国民民主はどうも人気がない。参政党以外に受け皿がないことを憂いながら夏空を見上げる日々である。

2023年7月28日 (金)

それ見たことか、LGBT法案

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報道機関などが実施する世論調査で岸田内閣の支持率が軒並み大幅に下がっている。7月22日、23日に行われた毎日新聞の調査では、支持率が28%とこの2か月で17%もダウン、反対に不支持は65%に上っている。わが家の固定電話にもよく世論調査の電話がかかってくるが、いまや固定電話を設置しているのはほとんどがシニア層の所帯のうえ、数分かかる返答に真面目に答えるような暇な人もそう多くはないだろうから、この種の数字の妥当性には大いに疑問を持つのだが、それにしても岸田内閣の不人気具合は顕著である。支持率急降下の原因としては、それぞれマイナンバーカードのごたごたや物価の上昇が主な原因だとの分析がなされ、保守界隈でさかんに云われる「LGBT法案」の強行採決に呆れて自民党の岩盤支持者が離れたという説はこれまでほとんど見られなかった。LGBTの人たちへの理解促進を強調してきた朝日・毎日・東京、TBSなど「リベラル」派メディアは、この法案の成立が国民の一定層にひどく不人気だという世論を惹起させたくないのであろう。


と思っていたら、7月25日の読売新聞の社説「政治の信頼をどう回復するか」では、岸田内閣の信頼に関して「十分な議論もなく、性的少数者(LGBT)への理解増進法を成立させたことで保守層が離反したのだろう」という分析がなされているのをやっと見つけることができた。国会でのLGBT法案の拙速な議論に慎重な姿勢だった読売ならでは真っ当な社説が出てきたと云えよう。何があっても自民党を支持する「岩盤支持層」は約20%と従来から云われてきたから、6月末のLGBT法案の強行採決に失望してこの層が離反したことと、2か月前から17%支持率がダウンしてことは、(世論調査はかなりいい加減な数字だとしても)まずは平仄が合う。「リベラル」系が隠したい議論が、遅きに失したが大手のメディアから展開されたことになり、法案の強行成立が自民党を今後ボディーブローのように苦しめることになろう、と密かに期待したい。私も第2次安倍政権発足以来これまで自民党を支持してきたが、岩盤支持層を甘く見てトンデモ法案を成立させた自民党執行部には鉄槌を下さねばならない。いまは内閣支持率のダウンを見るたびに「それみたことか」とひとり喝采する。 → 「LGBT法案が成立したら自民党支持はやめる(2023年6月14日)」


これまで自民党内でもLGBT法案を推進してきた稲田朋美らバカな議員たちは「LGBT法は理念法にすぎない」「『自称女性』による女性トイレや女性風呂の利用は、それぞれ関係の法則や規則で規制できる」として、法制化がただちにLGBT以外の人々の生活には影響をきたさないとしてきた。ところが法案が成立してから僅か1カ月で事態を憂うような2つの事件が起きて世間を戸惑わせている。一つは経産省のトランスジェンダー職員による、女性トイレの使用制限は違法だとする訴えが、最高裁で認められた件。法案が成立した直後に、省内のフツーの女性の権利を侵害する最高裁判決が下されたことは、稲田朋美らの説明が大嘘だったことを明確に示している。最高裁では5人の判事全員が「この判断が一般のケースに当てはまるものではない」と苦しい逃げの「補足説明」を発表しているが、櫻井よし子氏は週刊新潮8月3日号「ルネッサンス」で「最高裁判決は絶対的な権威をまとう」「日本社会は判決の示した価値観を受け入れるところまで進んでいない。社会の常識も良識も今回の判決とは到底、一致しない。ならばもっと学べと最高裁は言っている」と「世界的にも珍しい」判決や補足説明の示す暗い未来を予測している。「普通の女性」の持つ、ごく当たり前の権利を、LGBT新法案や最高裁判決は踏みにじろうとしているのである。女性たちよ、怒れ!


もう一件、札幌の首なし殺人の被害者は、界隈ではよく知られた女装を趣味とする男性だったそうだ。彼は「ゆきずりの男女関係を求めていたようで夜の店やクラブで会った女性に連絡先を聞いて回ってラブホテルに行く。そうして関係を持った女性が何人もいると噂になっていたました」「性欲が強い」(週刊新潮8月3日号)という家庭のある『男』で、女装を武器に夜の巷で活動していたことがさかんに報道されている。もしこのような「性欲の強い」女装男が「自分は女だ」と自称して、トイレや風呂などの女性エリアに侵入してきたらどうなるのだろうか。生まれた性と自分の認識の違いを悩む本当のトランスジェンダーばかりでなく、女装したただの「変態スケベオヤジ」を今後どうやって区別していくのだろうか。LGBT法案の成立は「自称」女性の価値観をもっと理解する社会を目指しているようだが、これまでひっそりと真面目に暮らしてきた「本当のトランジェンダー」だけではなく、広い世の中には女装オヤジもあまた存在している。新法案や最高裁の示す風潮によってただの変態オヤジが大手を振って町を闊歩し、「自称女性」の「彼ら」がますます存在感を誇示して「活性化」する社会が到来しそうだ。伝統や常識に裏打ちされた、ごく真っ当な世の中を望みたい保守派としては世を憂うるばかりである。

 

7月30日追記:その後の報道ではこの戸籍上も生物学的にも「男」だった女装の被害者は、界隈ではしばしば問題を起こして有名だったとの事。女性トイレを占有したため、店員が注意すると「差別だ」と怒るので、「ジェンダーへの配慮」で女性扱いをせざるを得なかった事もあったという。こんな輩がLGBT法案に後押しされて、全国で増加したら一体世の中はどうなるのだろうか。ああ恐ろしい。

2023年6月14日 (水)

LGBT法案が成立したら自民党支持はやめる

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LGBT法案に関し昨日(6月13日)読売新聞の「首相と自民の見識が問われる」と題する社説が目をひいた。衆議院をすでに通過し、参議院でも16日(金)に可決、成立する公算が大きいLGBT法案に「女性の安全を守れるのか?」と真っ向から反対の論陣を張ったものである。読売新聞と云えば日ごろ岸田政権の最大の後ろ盾となるメディアだと云われてきた。同社の社長でありグループの代表取締役、業界のドンとも云われる渡邉恒雄氏(ナベツネ)は私立の開成高校出身であり、同校を卒業した岸田首相を開成つながりでバックアップしてきたことは良く知られる通りである。政権もこれまでも定期的にナベツネに「御進講」申し上げて来たと言うではないか。ここにきて突如として岸田首相がひどく前のめりになって成立を目指しているLGBT法案に対して、最大の理解者であるナベツネが「拙速に法整備をはかることは許されない」と引き留めにかかり社説のトップに掲げたものと思われる。生物学的には男性が、「自分は女だ」と云えばそれを認めようというのが新法案で、こんな無理無体がまかり通るとは世も末だ。ナベツネも遅きに失したが当たり前のことをやっと言ってくれた。


同社説は「各党は、新法がもたらす影響を真剣に考えるべきだ」として「悪意を持った男性が『女性』と自称し、女子トイレなど利用する事案は現実に起きている。こうした行為は現行法で禁じられているが、新法を盾に、現行の禁止規定を『不当な差別だ』と主張する口実に使われかねない。」とかねてから保守派が指摘していた懸念を取り上げている。海外では「自称女性」の男性が、水泳の女子種目に出て問題になっており、我が国でも女子トイレやスーパー銭湯に「自称女性」が立ち入り、事件になったことが報道されている。LGBT法案が成立してしまえば、今後けしからぬ「自称女性」によって、多くの女性の権利と安全が甚だしく侵害される事例が増えるのは目に見えているのに、なぜ岸田首相がこれを急に推し進めようとしているのか実に不思議である。法制化については女性の人権擁護団体だけでなく、普通に静かにくらしているLGBT当事者たちからも必要ないとする声が多数挙がっている。


岸田首相が新法案の成立を急ぐ背景は、米国民主党のリベラル主張を体現するエマニュエル駐日大使と、そのバックにいるバイデン大統領による圧力であるとか、ここへ来て公明党とぎくしゃくする自民党が公明党が熱心に取り組むLGBT問題を、同党との取引のために人身御供として差し出したものであるなどとの憶測が飛び交っている。もしそうだとすれば「米国の大使と云えども内政干渉の権利はない」と強く反論すべきだし、党利党略のために女性の尊厳と安全に関する問題を軽々しく扱うのはもっての他だと云えよう。G7の前にさかんに報道された、LGBT法制は「先進国で日本が一番遅れている」とのリベラル陣営の主張はまったくのデタラメで、カナダを除きLGBTへの差別を明確に規定した法律を持つG7の国は他にないそうである。同性愛を禁じてきたキリスト教文化とは異なり、そもそも日本には小姓制の中で男色もしばしば見られたし、幇間(ほうかん)などの芸人もいて、同性愛には伝統的に寛容な文化なのである。今もテレビでは女性の恰好をした太った醜い男性が、女性言葉をあやつり愛嬌を振りまいて毎日のように出演しているが、それを誰も咎めたりしていない。これら我が国の習俗をみれば、LGBT法はわが国にはまったく不要であることがわかる。(私はテレビに出てくるこの手の変態が大嫌いなので、すぐさまチャンネルを変えるが)


ごく少数のノイジーマイノリティの為に、国民の大多数を占めるサイレントマジョリティの権利や安全が侵されることを危惧して、維新や国民民主との協議を通じて修正された自民・公明の法案には「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」旨の文言を加えることにしたというが、「自民保守派には『修正案でも女性の人権擁護への懸念が解消されたわけではない』との不満が根強い」(6月14日読売政治面)。一方では法制化を声高に叫ぶリベラル(と称する)活動家達は、修正案では今よりも却って後退だと反対していると云う。どちらにしても我が国の伝統や文化に関わる事柄であり、会期末も迫った国会で拙速に決めるような法案ではないのは明白である。自民党は党議拘束をかけてまで参議院で可決させたいようだが、岸田首相は気でも狂ったのか。もしLGBT法案が成立したなら、この問題で国民を「教育・指導」あるいはクレイム対応する○○委員会やらXX協議会が各地に林立し、予算措置を通じてサヨク活動家に公金が配られることが容易に予想される。そんな金があったら、台湾有事に備えてミサイルの1本でも買った方がはるかに国民のためになる。16日に参議院を法案が通ったら、保守の私としては次の選挙で自民党に投票するのは止めて、一貫して法制化に反対を貫いている参政党の候補者に一票を投じる事ことにする。

2022年10月24日 (月)

日本経済に好機到来

最近はテレビをほとんど見なくなったが、新聞のテレビ欄を見ると「止まらぬ円安どこまで重い家計負担に政府は」(テレビ朝日 Jチャンネル)と最近の物価上昇についてワイドショーなどでは危機感を煽っているようだ。ちょっと待って欲しい。長期低迷する我が国の経済を上向かせるのは、長らく続いたデフレスパイラルから脱却し、まずは3%程度のインフレにすることが必要、とすこし前まで(いわゆる)識者やメディアは総がかりで叫んでいたのではなかったのか。ここにきてウクライナ戦乱による資源の高騰に加え日米の金利差によって生じた円安により、日本でもやっと消費者物価指数(CPI)が3%上昇したことが発表されると、今度は「これは悪い円安」やら「悪い価格上昇だ」と彼らは言い出した。


最近は、企業などサービス供給側も原料価格の高騰を製品に転嫁することについて抵抗感が少なくなったそうで、これまで続いてきたデフレマインドがやっと払拭されるようになったことは大変喜ばしいことではないのか。あとは企業に延々と積み重なった500兆円に昇る内部留保を、いかにして従業員の給与アップや新規投資の資金として循環させるかに心を砕くのが喫緊の政策課題になるはずだ。だとすれば従業員の給与や待遇改善のみならず、関連企業や下請け企業に対していま厚く処した企業には、税の優遇措置などを講じて、社会全体にカネが行き渡る政策を立案、実施することが求められているのではないか。


円の為替相場が一時152円に迫り、これは32年ぶりだと大騒ぎだが、その32年前の1990年の各種指標をみれば、「実質経済成長率4.9%、失業率2.1%、インフレ率3.1%とまったく文句のつけようのない立派な経済」と高橋洋一・元内閣官房参与は言う。円安は輸出企業を潤すが、概して輸出企業はエクセレント・カンパニーが多いから、税収やGDPのアップにも直ちに寄与するため円安はむしろ好ましいと彼は主張する。顧みればバブル経済に入ろうとする1980年から1985年にかけて為替は220円から250円で推移し、1990年時点でも145円で、現在の150円というのは歴史的にはごく普通の水準である。いまの金融緩和策や日本の状況を考えれば、この程度の物価上昇や円安で何を大騒ぎしているのかと不思議でならない。一方で生活必需品以外の価格、例えば車の価格は大幅に上がったし、コンサートやスポーツイベントなどの催し物はじめ様々なサービスや工事の値段などはすでに大きく上昇している。漸く待望のインフレ基調にシフトを開始した日本経済と、ラッキーにも機を一にした円安の局面である。目先の日用品や食料品の値上げを否定的に報道するばかりでなく、シナからの経済的離脱が容易になるなど日本には好機が訪れたと捉える報道がもっとあっても良いのではないか。

2022年7月12日 (火)

安倍元首相に別れを告げる

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頭を垂れつつなんとか撮影した霊柩用リムジン車

安倍元首相の葬儀が本日昼から芝の増上寺で執り行われ、そのあと棺を乗せた車が自民党本部にも立ち寄るとの情報があったので、せめて最後の見送りにと自民党本部のある永田町に行ってきた。全国には気持ちを同じくして棺に手を合わせたい人も多いだろうから、都心に住む民としては安倍さんの乗った車に手を合わせねば皆に申し訳ないような気持ちであった。


自民党本部に近い平河町の交差点付近は車列の到着する30分以上も前から、多くの報道カメラとともに通りの両側に立錐の余地がないほどの人が並んでいた。やって来た人たちは総じて黒や紺の地味な服装で、お花を手にした人も多い。自民党本部内の献花台に花を手向ける人の列は、交差点を挟んで広い青山通りの反対側まで伸びており、このような光景を目にするのは初めてだ。私もこの春から屋外ではマスクを外していたが、安倍さんの死を悼む多くの見送りの人に囲まれ、今日だけは屋外でもマスクをしようと殊勝な心掛けになった。


上空には10機以上のメディアのヘリコプターが空中衝突を起こすのではないかと心配になるほど乱舞している。その一群がやがて頭上にやって来ると、ほどなく黒いセダンに先導されて霊柩用の大きなリムジンが見えてきた。柩が載ったそのリムジンに頭を垂れつつ、上目づかいに車内を見れば、昭恵夫人が沿道に向かって何度も頭を下げているのが分かる。安倍さんの最後のお別れにそこかしこで涙ぐむ人も見られるなか、大勢の目の前を通った車列は自民党本部の前を通り国会議事堂に向かって行った。


安倍晋三さん、永い間本当にありがとう。残された我々は何もできぬが、あなたが標榜した「美しい国」を作るべく、僅かばかりでも力を尽くせればとここ永田町で思いを新たにした。

半旗が掲げられた自民党本部
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2022年7月11日 (月)

安倍晋三元総理を悼む・2022年参院選

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安倍元首相の暗殺という悲劇的事件の直後の参院選、予想通りに自民党の大勝、立憲民主党や共産党の敗北でまずはほっとした。まず安倍さんの件である。彼が首相を退いてからすでに2年が経過するも、この間もサヨクメディアや反日の学者・評論家が「アベガー」と罵りながら、安倍政治やらアベノミクスをことさら非難するのをまことに奇異に感じていた。彼らがいまだにあれほど安倍政治を声高に敵視するということは、よほど安倍さんが怖いのか、あるいは彼の言動が正しく、日本を貶めたい勢力にとっては都合が悪いのだろうと考え、ますます彼を応援する気持ちを私は強くしていた。また在日朝鮮人問題などに些かでも声を挙げればすぐヘイトスピーチだと非難するのに、安倍さんを攻撃する聞くに堪えない言動には何もお咎めなしという、メディアのダブルスタンダードにも驚くばかりであった。


安倍さんに対して「おまえは人間ではない、たたっ切ってやる」と言った法政大学の山口二郎や、自説はまったく当たらないくせに「アホノミクス」と経済政策を口汚く罵った同志社の浜矩子らに代表されるような常軌を逸した攻撃がこれまで彼に為されてきた。安倍さんには何を言っても良い、すべて都合の悪い事は彼の責任とする「アベノセイダーズ」やら、どんなに彼を貶めても許されると勘違いした一部世論の展開が、今回の暗殺の引き金になったものと私は考えている。犯人は宗教問題で彼を恨んでいたと言っているらしいが、保守与党の幹部であらば例え怪しげな新興宗教であっても反共を掲げた集団には、日ごろの挨拶やら折に触れた祝辞くらいは送ることもあるだろう。しかし直ちに安倍さんが深くこの団体に関わり主導的役割を務めていたとは到底考えられない。安倍さんに対してなら何を言ってもやっても良い、悪いのはすべてアベなのだとする風潮が一部にあり、それをサヨクメディアや反日学者・評論家などが繰り返し増幅させた事が、勘違い逆恨み犯人の背中を押して暗殺事件が引き起こされたのに違いない。国士である安倍さんにはまだまだ活躍して貰いたかったのに残念でならない。


昨日の参院選挙では、個人的には選挙区で自民党の生稲晃子氏に、比例区には参政党に投票した。東京は自民党の朝日健太郎氏はトップ当選が固かったのでパス、自民党から2人目が出てほしかったので生稲さんに投票したものである。タレント時代から画面を通して知る彼女は、出過ぎず引っ込み過ぎずの好感の持てる態度であったし、政治にはド素人だろうが当選すれば今後それなりの行動をしてくれるだろうとの思いである。比例区も自民党をと考えたが選挙前から自民党は大勝が予想されていたし、昨年12月24日「参政党新しい政党に期待」とこのブログにアップしたように、私の嫌いな「ポリコレ」を打ち負かしてくれるこの党のユニークかつ新しいパワーに期待して票を投じた。参政党はメディアからはまだ好奇の目、キワモノ扱いで取り上げられているが、感染症対策、地球温暖化、脱炭素など、いわゆる「ポリコレ」に対抗する独自の主張を、Youtubeやニコニコ動画でじっくり聞くと頷くことが多い(但し次は男系男子でなく愛子天皇でも良いという彼らの主張は理解できぬが)。結果をみれば生稲氏は東京で5位当選、参政党も誕生間もないのに比例区で1名選出と、我が票が死なずに機能してくれその点では満足する朝である。

その他関連ブログ:
2022年2月20日 立憲民主党はどこへ行く?

2022年2月25日 (金)

ロシアのウクライナ侵攻

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最近は毎日8時間たっぷり寝たうえに、昼寝やらうたたねをするありさまである。寝すぎでさすがに数日に一日は寝つきが悪かったり、朝早く目が覚めたりする。早暁に起きてしまった今日は、あちこちのニュースやネット記事でウクライナ情勢を見ている。ロシアのウクライナ侵攻でまず頭に浮かんだことは、国際的な紛争に対する最終的な答えは国連の決議などではなく軍事力であるという冷徹な現実であった。と共に日本国憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という前文は、武力によって安全が失われる現実を前にしてなんと空しく響くことかという気持ちであった。今回の当事国であるロシアや国際的な脅威となっているシナにわが国は地理的に直ちに向きあっているのに、「平和を愛する」彼らの「公正と信義を信頼」せよというのであろうか。まずは日本国憲法の見直しが急務であることがわかる。こう書くと、これを機に飛んでもないこと云うなと反対の声も聞こえそうだが、武漢ウイルス対策では政府の小さなミスさえあれほど問題視するのが日本国民である。となると有事の際わが国の安全に関して、対ウイルス以上の完全な準備と予防が国民から求められるだろう。憲法は、現実に即して見直しておいた方が良いに決まっている。 

 

さてウクライナがNATOにすでに加盟していれば、今回の事変にもEUが結束して軍事的な反撃したはずで、ロシアも簡単に手出しはできなかったであろう。集団安全保障がいかに重要かが今回のロシアの侵攻が明らかにした。目を転じれば、尖閣を始めシナの横暴はますますエスカレートし、ロシアの軍用機も変わらず毎日のように我が国に向けて偵察飛行(昨年上期だけで102回-統合幕僚本部)を繰り返している。このような敵対勢力を前に、わが国の存亡のためには日米安保体制をより盤石にする為のあらゆる施策と防衛予算の大幅な増額が求められよう。またウクライナは過去に諸国の「公正と信義を信頼」して核兵器を廃棄しているが、もし彼らが今も核を保有していれば、ロシアもこう一方的な侵攻はできなかったはずである。これを契機に日本でも抑止力として独自の核を持つべしという議論が深まることを期待したい。残念ながら一国の独立のためには「力」が必要だというのが、まずはここまでの教訓だといえる。

 


今回はEUが有効な手出しをできぬ最大の理由が、脱炭素政策で石炭火力や原発による発電を縮小・廃止してしまい、ヨーロッパのエネルギー源をロシアの天然ガスに頼っていることにあるとされる。今年末で原発をすべて停止しロシアの天然ガスに頼る予定だったドイツの弱腰が、これを如実に語っている。云うまでもなくエネルギーの確保は国家運営の最も重要なポイントである。この侵攻を期に先進国では脱炭素政策を棚上げし、石炭火力発電や原子力発電の見直しの動きが強まることであろう。日本も休止中の原発を一刻も早く再稼働し、より安全な原子力利用へ研究・開発に予算をつぎ込とともに、最先端の技術をもつ石炭火力発電を見直すことが安全保障の観点からも求められる。またシナは虎視眈々とロシアのやり方と米国や西側の動きを注視していると云われている。ロシアがウクライナを攻撃したように台湾の外省人保護などを名目に、シナは硬軟とりまぜた台湾攻略作戦を想定しているはずである。台湾にとどまらず北海道の水源林などを買い占めているシナ人や、沖縄は独立すべしなどと唱えている人々と呼応して、中共は将来日本に向けてなにを起こすのか分からない。ウクライナの出来事は決して対岸の火事ではない。

 

2022年2月20日 (日)

立憲民主党はどこへ行く?

立憲民主党の退潮が著しい。バイデン大統領にまるで相手にされない親中の岸田首相・林外相への批判の声が国内でも高まり、自民党もヨロヨロしているのにそれ以上の失策の連続である。公共メディアを謳うCLP(CHOOSE LINE PROJECT)に動画制作費を拠出していたことに始まり、怪しげな団体ブルージャパンへの巨額の支出、菅元首相の対維新への「ヒトラー」発言、蓮舫議員の不適切ツイッターの数々など次々と耳目を集める問題がこの党に沸き起こっている。何かあると自民党を舌鋒鋭くしつこい追及を続けるのに、自分たちへの批判に対しては説明責任は果たさず、開き直ったり都合の悪いことにダンマリを決め込む姿勢が国民に呆れられているようだ。


初夏に迫った参院選で、立憲民主党は共産党と連携し選挙協力を継続するのか、共産とは水と油の連合の顔を立てるかの股裂き状態で、候補者選びがまったく進展していないそうだ。弱り目に祟り目とあって、立憲民主党は参院選では壊滅的な敗北を喫するのではなかろうか。それにしてもなぜリベラル(と呼ばれるサヨク)がこれほどまでに退潮傾向にあるのだろうか。日本の世論の右傾化、と云うより日本が「フツーの国」になろうとするトレンドを完全に見誤り、世相に乗り遅れてしまったと感じてならない。米ソの冷戦時代には「非武装・中立」の旧・社会党のような無責任政策を掲げても国民から一定の支持があったが、中国共産党の覇権主義・軍国化・人権問題さらには朝鮮半島の情勢で、今やそのようなお花畑が通じる情勢ではなくなった。現在の日本の置かれた立ち位置にまったく無頓着で目をつぶり、政府の批判ばかりしているのがサヨク後退の大きな要因であろう。


右傾化と云えば石原慎太郎氏の死去で思いだしたのが、1970年代から80年代に話題になった自民党の青嵐会のことである。「非武装・中立」論が流布され、社会党・共産党に推されたマルクス主義者の美濃部都知事の時代に、反共を掲げ、日教組に支配された教育の正常化、国防に対する国民の覚醒、自主独立の憲法などを訴えて世間の耳目を集めたのが石原氏や浜田幸一氏らの青嵐会であった。当時彼らへの評価は「極右」「国粋主義者」であり、世相からするとかなり浮いた存在であったが、かつて教員の50%以上が加入していた日教組も今や加入率が20%と低下し(文科省調査)、憲法改正を前向きに考える国民も最近の各種世論調査では約半数またそれ以上となった。あの青嵐会の主張が今ならごく普通の国民にも受け入れられる意見となったことは、我が国が右傾化(フツーの国化)していることの証左であり隔世の感で誠によろこばしい。


昨秋の衆院選を前に当時の代表・枝野氏が掲げた公約には、LGBTやら日本学術会議のサヨク学者の任命問題など、「フツー」の国民にとってはどうでも良い(というより気持ちが悪い)項目が並び、あらためて「この党はだめだわ」と唖然とした。サヨクを支持する団塊世代の老人が高齢化し、政府批判ばかりで左傾化したマスメディアは働き盛り世代以下には見向きもされない時代である。これまで野党を支持した選挙の票は、見当違いの立憲民主党に代わり維新の会に向かったとされるが、維新は小さな政府や新自由主義を標榜しており、この政党の伸長が日本の幸福につながるのかは疑問である。立憲民主党は共産党の抱き着き戦略を速やかに振りほどくとともに、LGBTやら人権・平等・夫婦別姓などを叫ぶコア支持層と距離を置き、もう少し右旋回して中庸な国民政党に転換しないと消滅してしまうのではなかろうか。

 

2021年12月24日 (金)

参政党 新しい保守に注目

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参政党参議院選挙予定候補者の発表会見の終了後画像(Youtubeより)

クリスマスの時期になった。若かりし日を思い出すと、この時期は欧米諸国や豪州が休みに入り、海外からのテレックス受信もほとんどなくなり、新年を前にホッと一息、のんびりと出社していた候である。あの頃は世界経済や国際貿易・物流に中国という国の存在がまったくなく、いわゆる白人の先進国だけが商売の相手であった。まだ学生気分も抜け切らない若い頃、英法に基づく論争や、欧米先進国流の商習慣で攻めてくる人たちとの対応に一年間悩まされ続けてきただけに、テレックスのマシンからはじき出される通信内容が、クリスマスのお祝いメッセージ一色のこのシーズンは、平和な気持ちで過ごすことができた。


当時は、欧米と日本が世界の経済の中心だったが、今や中共の覇権主義が世界を席捲せんとし、世界のパラダイムも大きく変容している。仕事も暇になった昨今、新年を迎えるに当たって我が国はどこへ向かおうとしているのか大いに気になるところである。まず来年早々に迫った北京オリンピックの外交的ボイコットにしろ、対中非難決議にしろ、岸田首相の対中共姿勢はまだ明確になっていないが、このままずるずるとわが国は、無法な中共との関係を続けていくのかが心配だ。また地球が温暖化しているとする怪しげな前提で、脱炭素社会の実現を早急に目指すというあきれた世界の潮流を見ると、やはりその裏にディープステート的なるものの存在があってもおかしくない、という疑心さえ湧きあがる。国内では「ポリコレ」の名のもとにLGBTの権利やら夫婦別姓などを声高に叫び、日本の良き伝統を潰さんとする勢力が跳梁跋扈し目障りな事この上ない。何にもまして、重症化もしないのに、オミクロン株なるものの出現で、またメディアや(いわゆる)専門家がお祭り騒ぎを繰り広げるのかと思うとほとほとうんざりである。そろそろ我々も真剣に将来を考えるべきが来たのではないか。


そんな時に一つ、興味を惹かれる新しい話題を発見した。「参政党」という昨年結成された新しい政党が、来年の参院選に選挙区で最低でも15人、比例代表に5人以上の候補者擁立を明言したニュースである。なぜ山の物とも海の物とも付かない新政党に注目するかと云えば、その中心メンバーがこれまで保守の立場からYoutubeで政治や社会問題での発信に熱心に取り組み、彼らの顔やその主張を良く知っていた事にある。Youtubeを通じて知る限り、彼らの言動は、日ごろ私が抱く思考と重なり首肯する点が多い、というのが彼らに期待する所以である。リベラルという名の左翼や共産主義の人たちが報道界の主流を占め、ポリコレ的なエセ正義を喧伝するのに対して、保守の側、良き日本の伝統を守ろうとする側の発信は、これまでネットや一部の雑誌などに偏ってきた。参政党なる新組織の人たちがネットの場から国政に進出し、広く保守的な正論を開陳する事が、これからの我が国に必要だと私は考える。それは公明党や党内親中派の顔色を窺い、なかなか動かない自民党を突き上げる契機にもなることだろう。


という事で、さっそく参政党の綱領を読むと「先人の叡智を活かし、天皇を中心に一つにまとまる平和な国をつくる。」「日本国の自立と繁栄を追求し、人類の発展に寄与する。」「日本の精神と伝統を活かし、調和社会のモデルをつくる。」とあって、その言やよし!とまずは拍手を送りたい。参政党の幹部として私が知るのは、元大蔵省の官僚で衆議院議員を一期務めた経験もある松田学氏である。Youtubeを通じて知る限り、彼の考えは経済的にはリフレ派ないしMMT論に近いようであり、また最近は武漢ウイルス騒動は大騒されすぎと冷ややかにとらえた発信を続ける点に好感が持てる人物である。同じく幹部の篠原常一郎氏は小室・眞子問題に切り込み、小室母を刑事告発したことでかねてよりネット界では注目を浴びている人物だ。この告発自体はややミーハー的過ぎる気もするが、問題を自ら掘り起こし行動する積極的な姿勢は大いに評価できよう。それにお馴染みの武田邦彦氏は「虎ノ門ニュース」や彼のサイトで地球温暖化に疑義を唱えるなど、ポピュリズムにおもねることなく、常に独自の視点で切り込むのが人気の科学者である。かの赤尾敏氏の姪が幹部の一員、というのも興味深い。彼らを中心に動き始めた参政党が、今後どのような活動を展開するのか、注目してフォローしたい。

2021年12月19日 (日)

そろそろ旗幟鮮明に、岸田首相

20211218will

ここ数年、定期的に1~2週間遅れで読み終わった週刊文春と週刊新潮を知人から貰っている。週刊文春はどうしたわけか、このところ左旋回とポピュリズムにおもねったような記事ばかりで、冴えもなくあまり面白くないが、週刊新潮には武漢ウイルス騒動にしても、眞子問題にしても「オヤッ!」と思わせる切り口の記事があって、最近はもっぱら新潮の方を読む時間が多い。特に週刊新潮12月16日号の「真珠湾攻撃80年の真説、日本はなぜ米国と開戦に突き進んだか」とする牧野邦昭・慶応義塾大学経済学部教授の特集記事は目を引いた。現在は石橋を叩いても渡らないような慎重な日本人だが、世界を相手に大東亜戦争に入った時の我々の父祖の代は、今とは違う何か特別な世代であったのか、と云うのは私にとってまだ解答が見えない永年抱いてきた疑問である。


この特集記事では、満州国の経済建設に関わった陸軍の秋丸次郎主計中佐の「秋丸機関」関係書類が最近の調査で明らかになり、その中で読み解かれた事柄からなぜ日本が戦争することになったかを牧野教授が解説している。ヒトラーによる独ソ戦開始に伴い日本の軍部内では南進論と北進論が対立したあげく、結局両論併記となり、「当時の日本に明確な方針がなく・・・近視眼的な選択をしていったことで、とりうる選択肢が狭まって行き、最後は極めて高いリスクを冒して戦争に賭けることになってしまった」と記事は述べる。メディアや議員が対米強硬論を主張し、世論がそれを支持すると「集団心理が働くと極論が支持される」ようになり、戦争に勝つ確率はごく低いのに「様々な情報のうち都合の良い部分」を材料として、「人間は希望的観測にすがりたくなります」とする。長期的ビジョンの欠落が希望的観測を過大評価し、その場の状況に応じて近視眼的な判断をして、かえって国が行き詰まることを牧野教授は警告している。


同様な指摘は月刊"WILL"1月号の葛西敬之氏(東海旅客鉄道会長)と櫻井よしこ氏による「太平の眠りから覚めよ、日本!」と題する対談記事からも読み取れる。対談のなかで、第二次大戦の欧州でフランスがあっさりとドイツの占領下に置かれたのに対し、チャーチル率いるイギリスは挙国一致でナチスと戦った例を踏まえ、リーダーが現実を直視しその現実を国民に告げる必要がある事を2人が話している。葛西氏は、中共の覇権主義と軍拡を前にして、「国家の礎ともいえる安全保障について国民が危機意識を共有しなければ、民主主義そのものが成り立たない」と危機感を顕わにし、大東亜戦争後「多くの政治家、リーダーたちはそれ(=国家が進むべき道を示すこと)をせず、(近視眼的に)民意に従い寄り添うこと」ばかりを選んできたとしている。「その点で、安倍氏は確固たる国家感、歴史観、世界感を持ち・・・メディアを敵に回す覚悟を決めて安保法制を成立させたことで、集団的自衛権の道を拓いた」と氏は安倍元首相を称える。まさに同感である。


さて大東亜戦争から76年経過し、日本は初めて自ら対中共に対する長期的ビジョンを明確にすることが求められている。台湾危機も取り沙汰される中、日本は地理的に中共と対峙する最前線に位置する一方、経済的には日中両国は深く結びつき相互依存体制を築いている。きわめて我が国の立場は微妙であるがゆえに、今般の米英豪カナダなどの北京オリンピック「外交的ボイコット」に対して、「オリンピックの意義、わが国の外交にとっての意義などを総合的に勘案し、国益の観点から判断していきたい」と岸田首相はあいまいな姿勢を取り続けている。しかし戦前の南進・北進論と同じく、自由と民主主義を共有するアメリカの側につくのか、欲に目がくらんで専制独裁主義の中共につくのか、今こそリーダーの決断が試されているのである。このままずるずると近視眼的な場当たり姿勢で米国の安全保障にすがりつつ、中共とはつかず離れず、しかし経済的にはエンジョイしたいというムシの良い「両論併記」を我が国は続けることができるのか。自由や民主、人権とは程遠い強権的覇権国家を目指す中共とあいまいな姿勢で対峙することは、結局国家の存在を危うくするのではないか。かつて長期的ビジョンの欠落、近視眼的な対応が大日本帝国を危うくしたが、今は国内の経済団体を敵に回しても、経済に多大な影響があろうとも国家の大計のためには、中共と一線を画すべきだと私は確信する。そろそろ岸田首相には、旗幟鮮明に対中非難決議や北京オリンピックの外交ボイコットを発表してもらいたい。

 

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