カテゴリー「書籍・雑誌」の記事

2020年7月 6日 (月)

還暦からの底力

20200706

出口治明と云うなぜか今評判の人物による講談社現代新書である。新聞の広告によると多くの大型書店のベストセラーランキング第1位で「大反響!たちまち20万部」なのだそうだ。還暦はとっくに過ぎたし、普段この手の本、たとえば「定年後の生き方」などのジャンルにはあまり興味が湧かないのだが、新聞広告の大きさや本屋の店頭にプロモーションで高く積まれた本書をみて、にわかにどんな著者なのか興味を覚えて読んでみることにした。出口氏は大手生保の役員のあとネット生命保険会社を立ち上げ、今は九州で新しい試みをする大学の学長であると本のカバーに記されている。なんでも稀代の読書家である、という事をどこかで読んだ気がするし、世界や日本の歴史に関する本も書かれているようだ。ただ以前は経済人、今や教育者の身で極めて忙しそうなのに「古今東西の歴史・文化なんでもござい」で「知の巨人」などと聞くと、池上彰のような百科事典やウイキペディアのコピペの達人ごとき、どこかうさん臭い人のような気がしないでもない。


本書の中身としては、高齢者が保護されるべきという考え方は誤りで、次代を担う若者のために高齢者は体力・気力・境遇などに応じて能力を発揮すべし、「変態オタク」系を養成したり、多文化共生を目指す教育なども取り入れるべし、女性の活用やプロモーションは法的強制を伴っても断行すべしなどと、よく聞くメディア受けする主張が述べられている。また老若問わず生きていくのは読書が必要で、なかんずく古典を読むことは知識 x 考える力 = 教養であり、それが国の力になるとの自論も展開される。まさに読書家たる氏らしい提案である。「人生の楽しみは喜怒哀楽の総量で決まる!」と書かれている通り、高齢者は自らを老人などと規定せずに積極的な生き方をすることを薦めており、総じて本屋の店頭で手に取って購読を決めた時に予想した通りの内容であった。本書は大筋において趣旨は理解できるものの、一方で「還暦本」と言っても年齢が紡ぎだす人生の味わいなどにはほとんど無縁で、出口氏のエネルギッシュな生き方や考え方だけが伝わってきた。


出口氏は本書で自分は保守主義だと規定したうえで、保守とは「人間はそれほど賢くない」という前提に立って、理性や理想を重視するよりは伝統や慣習を重視する考え方だとしている。私も保守の定義についてはその通りだと同意する。しかし氏は現在の憲法は「いまの憲法でそれほど困っている人がいる」とは聞いたことがないから「手をつける必要」はなく「わざわざ寝た子を起こさなくてもよいというのが本来の保守主義の考え方であります」(P.188)と書中で論理が一気に飛躍したのには驚いた。これで本当に保守主義者なのか?現憲法の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などとする前提は、ただの「理想」で決して保守思想とは相いれず、ましてわが国には中国や朝鮮の「公正と信義」を信頼してきた伝統などは一切ない。いま眼前では中国の覇権主義、北朝鮮の拉致や核問題、武漢ウイルスでの市民生活の行動制限など、憲法に関わる「困ったことが沢山がおきている」のに「それほど困っていない」とはどういう認識なのだろうか。斯様にこの種の本によくある牽強付会の主張も散見され、また謙遜しているようで実は自慢につながる挿話もちらほらあったのがやや興ざめであった。どうも「知の巨人」などと言われる人の本は苦手である。

 

2019年12月 5日 (木)

リベラリズムの終わり

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私はいわゆる「リベラル」が嫌いである。リベラルを自称する「人権派」の活動をメディアで見聞きすると何となくうさん臭さを感じるし、リベラルが行き場を失ったサヨクの隠れ蓑になっていることも怪しからんと思う。殊に近年リベラル派がLGBTとやらを取り上げてから、彼らのことが一層いやになった。性的な問題は法に触れない限りどういう趣味であろうと個人の自由ではあるものの、それはきわめて個人的かつ慎ましやかなものであって「世間や法律で認めろ」と自己主張する類のものではない、と考えるからだ。

ということで、哲学者の萱野稔人氏がリベラリズムの限界を哲学的見地から解き明かそうとする幻冬舎新書の新刊「リベラリズムの終わり」を本屋の店頭でみつけて早速読んでみた。この本で取り上げるリベラリストとは個人の自由を最大限尊重する立場で「他人に迷惑や危害をあたえない限り、個人の自由は制限されてはならない」と考える人たちのことである。その考えはしばしば社会の慣習や通念、伝統に反した頭でっかちの理想主義になるから、かつての理想主義であるマルクス主義がそうだったように独善的傾向をもつことになる。

萱野氏はまず近年話題になっている同性による結婚の問題をとり上げる。ここで本当にリベラルが「個人の立場を尊重」するなら同性同士の結婚だけでなく、一夫多妻や一妻多夫なども認めるべきだが、現実はそれは争点になっていないことを氏は指摘する。このようにリベラリズムも根っこの部分では社会の規範意識に縛られており、それゆえに社会を成り立たせる最高原理にはなりえず自ずから限界があるのに、自らの理想に基く独善的主張を顧みないのが彼らが嫌われる第一の要因だと本書は云う。

次にパイの分配を弱者や移民に手厚くすべきというリベラリズムは、国家の歳入などパイが増えるという前提の下でしか成り立たないと論を展開する。この20年間、我が国は高齢化に伴う社会保障費増でパイは増えていないから、世の中がリベラル寄りからより功利主義的になるのだと氏は云う。功利主義とは社会全体の利益が最適になることを目指すもので、少数の弱者が犠牲になることもあるが、限りある資源を有効に使うために有用な考え方である。わが国のほか欧米諸国が右傾化したと云われるのは間違いで、限られたパイを全体の為に効率よく使うべく功利主義が台頭したものだと云う指摘には肯ける。

本書の後半は、現代リベラリズムの理論的バックボーンになるアメリカの哲学者ジョン・ロールズの「正義論」をベースとした哲学的考察がつづく。個人の自由を真に尊重することと、パイの弱者への意図的な分配を掲げるリベラルは本来は相入れないのでは?など哲学者らしいやや難しい記述が続くが浅学の小生でも何とかついていける内容であった。パイの分配と功利主義に関する考察を通じてリベラリズムには限界があることを示し、「条件依存的にしか実現できない理念を普遍的な正義として主張する」リベラリストの欠点を解き明かした納得の書であった。


 

2019年9月26日 (木)

「夏の騎士」百田尚樹著

20190926

百田尚樹の書き下ろし、3年ぶりの長編小説である。「永遠の0」以来すっかり有名になった百田氏だが、彼の日頃のポリティカルな立ち位置はとても好感がもてるし、「海賊と呼ばれた男」や「カエルの楽園」なども楽しませてもらった。「希代のストーリーテラー」である作者が出した「夏の騎士」はさてどんな話になるのか、ページを繰る前から楽しみである。「あの夏、僕は『勇気』を手に入れた。」と帯にある「夏の騎士」は、43歳になる主人公が31年前、小学6年生の12才の夏の出来事を振り返る小説である。壮年となって充実する人生を歩みながら、思春期に差し掛かる微妙な時代を自ら語ると云う設定なのだが、序盤からゆっくりと盛り上がり、後半の山場そして最後のオチまで時系列にしたがって一直線に話が展開していく。

主人公が経験する12才の夏の日々、秘密の基地造りや自転車の遠出などは、大体その年齢のほとんどのガキがやったことであろう。簡潔な話の推移や平易な文章構成なるも、ところどころで爆笑させられ「あ、これこれ、これやったよね」と思わず身につまされる事の連続で読んでいて心地よい。性的なことに興味を持ち始めたり、それまで邪魔くさいと思っていた同級生の女子を意識し始めたりするあたりは、思わずわが身を振り返って共感してしまうのが作者の筆の旨さである。小説なので結末に至る伏線は作中に散りばめられているのだが、後半のクライマックスがなくとも、このままで青春小説としてありだな、と思えるほど軽妙に話が進んで行く。

かつてのアメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」を彷彿とさせるストーリーなのだが、日常のさまざまな経験から徐々に大人になっていく主人公とその仲間を通じて、小さな一歩でも「踏み出すこと」「勇気を持つこと」に対する作者の肯定的な人生感が示される。物語の最後に、ここまで読んできた読者が密かに期待していたオチがくるあたりが、さすが作者が「希代のストーリーテラー」と云われる所以であろう。この「夏の騎士」、あまりにもあっけなく読んでしまったので、あえて挙げれば読後に「うーん?」と考えこんでしまうようなシニカルな、あるいは黙示的な要素がなかったことだろうか。けれんみのない文章は読後さわやか、期待通りの百田調で安心して楽しめる小説であった。

2019年8月18日 (日)

知ってはいけない現代史の正体

20190818 歴史はいったい何を原動力に動いているのだろうか、それとも単に偶然の積み重ねなのか。そんな疑問を常々抱くなか、本屋の店頭で外務省出身、元駐ウクライナ大使であった馬渕睦夫氏のSB新書新刊「知ってはいけない、現代史の正体」を見つけたので読んでみた。同じ高級官僚出身でも前川喜平とか古賀茂明のようなちょっとどうかと思われる評論家も多い中、これまでネットで見る馬渕氏のニュース解説がなかなか印象的だったのが購読のきっかけである。本書「現代史の正体」によると世界の動きに関わる「絶対に書けない世界史上のタブー」とは、ユダヤ系の人々による「ディープステート」の存在のことだと云う。国家を持たない流浪の民だったユダヤ人が、20世紀初頭からアメリカの金融の中枢を握り、米司法界やメディアを抑え、国民国家の枠を超え国際主義を推進したのがこの100年の世界の歴史であると馬渕氏は説く。彼らがまず実行したことは、国際連合や国際連盟など国民国家の上に置かれた機関の設立であり、国家や民族、宗教・伝統を超えた存在である共産主義の普及だったとされる。

世界的な共産主義革命で敗北した彼らが次に打ち出したのがリベラルの概念や社会主義思想の流布、さらに新自由主義と称される資本移動の自由化・民営化なのだそうだ。これらは一見つながりがないようだが、たしかに本書が指摘するように、いずれもが国民国家を超越する動きであり、伝統的な社会を破壊し、世界を統一基準の価値の下に支配しようとするものである。また国家同士は問題がおきてもなかなか戦争に踏み込めないのだが、ユダヤ人の系譜につながるグローバリスト(国際主義者)は、自らの普遍的価値の敷衍を国家の上に置くから、戦争に対する敷居が低いのだという。このことが戦乱が多発する原因だという本書の指摘は面白い。彼らグローバリストは「自由と民主主義」「民営化」「人権尊重」「男女平等」「少数派の権利擁護」などポリティカルコレクトネスと云う一見だれも反対できない概念をうちだし、これらを国民国家や伝統の上に置きつつ隠れ蓑にして富を収奪し、自らに都合の良い体制を作っているという指摘は肯ける点が多い。

さてこのブログでも日ごろ私は「トランプ大統領はなかなか良い!」と書いているとおりだが、この本を読んで彼が主張することがより理解できた気がした。彼のアメリカ・ファースト主義について、本書では「トランプは、歴代の大統領が『グローバリズム』を声高に叫ぶ”影のキングメーカー=国際金融資本”のコントロール下にあったことに対して正面から宣戦布告している」のであるとしている。すなわち国際主義者、リベラル、社会主義や新自由主義に席巻されたアメリカを、伝統的アメリカ人(WASP)的考えに取り戻そうとするのが日ごろの彼の言説なのだろう。あれだけメディアで叩かれてもトランプ人気は高いこと、かたやブレクジットの混乱などを見ていると、世界はいまグローバリズムとナショナルリズムの狭間でいかに進むべきか分岐点に差し掛かっているようである。日本でもこれまでの国際従属主義から離れ、伝統的な保守思想、日本的な考え方への回帰が図られるのではなかろうか。また自国ファーストに米国が入ったいま、同国に頼る安全保障を見直し、わが国独自で相応の抑止力を保持するよう憲法の改正も急がれる。ディープステート論ですべてが説明できるとも思わないが、国際主義者に席巻される世界の正体を描いたなかなか興味深い本であった。

2019年6月10日 (月)

「歴史戦と思想戦」-歴史問題の読み解き方-集英社文庫・山崎雅弘著

20190610

私は「団塊」のわずか後の世代なのだが、小さい頃からかなり「右」だったことは何度か書いた通りだ。今でも保守本流の安倍首相の立ち位置を支持しているが、一方でいわゆる「リベラル」の立場の人々からの反論にも興味はある。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」である。ということで内田樹などという「リベラル」派が推薦しており、なかなか売れ筋らしい集英社新書「歴史戦と思想戦」(山崎雅弘著)を読んでみた。保守派の論壇が賑やかなことへの反論の書のようだ。

著者はまず産経新聞の論調や江藤淳、曽野綾子から中西輝政、さらにケント・ギルバートらいわゆる最近の「保守の論客」の主張を引用し、「これらの説明を読んで、あれ、おかしいな、と気づかれました?」と反論を展開する。一読するといちおう理路整然と最近の保守派の論点がいかに詭弁に満ち、彼らが世間を誤った認識に導いているかとひっかかりそうになるのだが、やはり「こちら側」から見ると突っ込みどころ満載だ。

保守派は平和で経済が発展した自由な戦後の日本を愛すのではなく、「戦前の大日本帝国」への回帰願望が原点だと著者は云う。しかしここでちょっと考えてみれば、本当は戦争から75年も経っているのに、平和にふるまう日本を認めず過去を蒸し返す中・韓が先ではないか。事あるごとにいまだに過去の行為に謝罪や賠償を求め「もっと反省を、もっとカネを」とゴロツキのような態度をとるから、日本国内が彼らの言うところの「右傾化」し「戦前の見直し」を模索するという事実に著者は目をつぶる。本書は前提と結論が逆なのである。

南京事件でも「虐殺の光景をみたことがない」という証言から、「そんな事件はなかった」とするのは歴史修正主義者だと著者は「右」を攻撃する。しかし「一部を見てそんな事件はなかった」とするのがおかしいと著者が主張するならば、同じく「一部を見て30万人の虐殺があった」と荒唐無稽に誇張する左側も同じことである。そこへも本書は触れない。概してこの本で「右」を叩くそのロジックは、立場を変えれば「リベラル」や「左」が受けても良い批判ともなる。かつて民主党など野党が自民党を攻撃した際に、後でかなりの部分でブーメランとなって自分達の党が窮地に陥った事があったが、そんな場面を彷彿とさせるロジックの書である。「WILL」や「HANADA」でこの本がどう叩かれるか見ものである。

2019年5月 9日 (木)

志水辰夫「裂けて海峡」

20190509

狭いマンション住まいなので、どんなに立派な本でも読んだらすぐ捨てる事にしている。大事なこと、記憶しておくべきことがあれば、ノートにメモでもとっておけば十分だ。ただそうは云っても印象に残り、必ず将来もう一度読みたくなるだろうと思った本だけは書棚に残してある。この10連休は時間もゆっくり取れたので、そんな本の幾冊かを手にとってみた。まずは志水辰夫の「裂けて海峡」(1983年・講談社ノベルス)である。発売当時の活字が小さいのは参ったが、3月に亡くなった母の遺品、ハズキルーペをつけて読書三昧の連休である。

「裂けて海峡」は、息をも継がせぬ展開が読者を魅了する冒険小説だ。主人公がひょんなことからヤクザを殺し服役中に、彼の小さな会社が所有する内航船が九州沖で行方不明になることから話が始まる。出所した彼はヤクザの組員に追われながらも船の遭難原因を調べるうちに、つぎつぎと驚愕の事実が分かってくるのだが・・・。「え、そうくるの?」というダイナミックな筋立てと、主人公が某巨大組織から追われるスリル満点の逃亡シーンの描写が本書の醍醐味といえよう。その中に謎の老人やら美女が絡んで、話は映画のO07をもっと切迫させたような場面の連続である。

作者、清水辰夫は内航海運に関係したことでもあるのだろうか、貨物船に関する記述もホンモノっぽくてよい。そう云えばこの本を読んだ時分、私も30歳代の忙しい盛りであったことを思い出す。当時は余りの面白さに時間が経つのも忘れ、深夜になっても目が離せず、翌日の勤務に響かないか心配したものだった。読後、すっかりシミタツ節に魅了され、彼の「飢えて狼」「あっちが上海」などにハマったことも懐かしい。今回も2日ほどで読み切って、妻に「この本おもしろいよ」と薦めてみた。今朝は目覚ましが鳴っても彼女がなかなか起きて来ないので、どうしたのか聞いたら「夕べ読み始めたらやめられなくて三時になっちゃた」と言っている。「裂けて海峡」はその後、新潮文庫からも出されたから今でもアマゾンか大きな本屋に行けばあるだろう。おすすめである。

2019年4月 6日 (土)

日本共産党の正体

20190406

元号が「令和」と発表され、メディアでは平成の30年間の回顧が盛んに特集されている。なかなか良い響きの新元号だと私は思うが、天皇を党の綱領で認めない共産党がこの事についてどうコメントするのかに興味があった。ということで新聞に載った共産党のコメントを読んでみると「元号はもともと中国由来のものだ。中国では皇帝が空間のみならず時間を支配した。君主が時間を支配する元号は、今の憲法にはなじまない。政府が元号を強制するのはよくない」という趣旨である。世の中、70%以上の人たちが元号が変わることを前向きにとらえているそうだが、そんな中、このトンチンカンなコメントを読んで「やはり共産党!」と妙に納得してしまった。

マルクス・レーニン主義が消滅し、世界の国々で「共産党」という党名がなくなっているが、「日本共産党」だけはそのプレゼンスがまだ国内に残っているというのが面白い。「天皇や自衛隊を認めない」日本共産党とは一体いかなる組織なのか、最近読んだ新潮新書の新刊「日本共産党の正体」(福富健一著)がとても良かった。この本では占いの類に過ぎないようなマルクス主義を科学として信望する人々(党員)がまだ国内に30万人もおり、機関紙「しんぶん赤旗」が100万部も発行されているという党勢が詳しく書かれている。その他そもそも共産主義とはなにか、日本共産党の歴史はどうだったか、党の歴代大物の略歴や現在の綱領がどうなのかが判りやすく纏められている。(もっとも赤旗は最近西暦・元号を併記している)

共産主義社会は必ず到来するという唯物史観、歴史の必然ゆえにそれを実現させるためには「暴力革命」も辞さないというその手段、個人の意思は全体の意思と一致していなければならないのと云う「民主集中制」など、現実をみないアタマでっかちの思想が共産主義の「本質」である。この本を読み、なぜ日本共産党がこれほどまでに教条的なのか、今では国民から「もっとも保守的な政党」と揶揄されるほど硬直しているのか、その不可解な行動原理の理解に役立った。それにしても世界から消えていく絶滅危惧種である「共産主義者」が、日本では教育界やメディアの世界で生き残り、いま「リベラル」と名を変えて活動しているのがおぞましい。リベラル信望者である団塊以上の老人が退くと共に、天皇や自衛隊を認めない日本共産党も消えていって欲しいものだ。

2018年10月22日 (月)

「米韓同盟消滅」を読んで

20181022

距離は近いがひどく遠い隣国、韓国は最近あらゆる面で、奇妙なふるまいをする。そこでソウルや香港などに駐在した日経新聞のベテラン記者である鈴置高史氏著の「米韓同盟消滅」を読んでみた。この10月に発売されたばかりの新潮新書の新刊で、一読してまさに我が意をえたりと膝を打ちたくなる内容である。以前にも書いたが、旧帝国陸軍の軍医だった私の祖父は、新宿の大久保に住み、今の戸山公園あたりにあった陸軍の病院に勤務していた。東京の空襲が激しくなったため庭先に家具を埋めて郊外に避難したが、戦争が終わって元の家に帰ると、朝鮮人たちがあたりを不法占拠して立ち退かず、やむをえずに西荻窪に居を構えたのだと幼い頃に幾度か聞かされた。そんなわけで今でもハングルだらけ、新大久保界隈の異様な世界をみると、あまり良い気持ちはしない。


さて最近は「最終かつ不可逆的に合意した」慰安婦問題をいとも簡単にひっくり返す、済州島の観艦式に招待した我が自衛艦に旭日旗を上げるなと注文する、朴大統領に対するごく普通の批判記事を書いた産経新聞の記者を長期拘束するなど、枚挙にいとまがないほどこの国は日本に対して非礼な事を繰り返している。そんなに日本人が嫌いなら、我が国を訪問などしなければよいものを、都内でも無遠慮に大声で朝鮮語を話しながら闊歩する韓国人観光客が多いのは実に不思議だ。さらに国際社会が一致して北朝鮮に制裁を加える中、文在寅政権は南北融和の掛け声とともに包囲網をゆるめようと欧州行脚もした。彼らのすることは理解不能で、私はこの国に一切かかわりたくないから、たまたま乗船したクルーズ船が釜山や済州島に入港しても、最近は一歩も上陸せずに船内で過ごすことにしている。


この本では中国の柵封国家だった朝鮮半島の歴史、反日を超え”卑日”になった最近の経緯、自意識過剰で「中学2年生」程度の成熟度である国内の実態などが詳しく語られる。法の支配ではなく、儒教思想によって国が動くことが多くの実例で示されており、なぜ韓国が奇異な行動をとるのかがよくわかる。私は朝鮮半島に関わらないことが日本人のためだと常々思っているが、そうは云っても気になるのが北朝鮮の傀儡・文在寅政権の動きである。このままだと北の核と南の経済力が一体になって半島統一がなされるとみられるが、そうなった場合には、米韓同盟は必要なくなり、米軍は半島から撤退する可能性が高いと本書は指摘する。その際に中国は覇権を半島全体に伸ばすことが必至だから、朝鮮半島全体が中国の強い影響下に置かれるに違いない。中国勢力圏下の朝鮮半島と、我が国や米国の勢力は対馬海峡で対峙することになって、東西冷戦なきあと、米・中両大国の覇権争いの最前線は海峡にひかれよう。対馬海峡はあらたなベルリンの壁になる、との私の危惧は本書を読んでますます強くなるのであった。

2018年7月19日 (木)

「保守の行方」と「保守と大東亜戦争」

20180719

物心ついてから私は一環して保守を自認している。かつて学生運動が盛んなりし頃は、機動隊に石や火炎瓶を投げる全共闘のヘルメット姿を見て、こちらから全共闘に石を投げていたものだ。今でも霞ヶ関などを歩くと、あまり身なりがきれいでない初老の人たちから「安保法制反対」だの「原発反対」だののビラを手渡されそうになるが、「俺は法案も原発も賛成だよ」とそんな紙は突き返してしまう。かつての革新、今で云うリベラル派の時流に乗ったような主張が嫌なのである。


といっても自分が誇りに思ってきた「保守」とは一体何なのか、本来の保守、保守の本質は何かという疑問にいつも突き当たる。ソビエト連邦が崩壊するまではアメリカに代表される自由主義経済と民主主義体制を信奉するのが保守で、平等に価値を置き計画経済のソ連や中共を模範とするのが革新だというはっきりした分類があった。日本でも「保守」は総じて「親米」だったし経済開放の勢力で、「革新」は社会主義・共産主義的社会をめざし全体主義志向の人たちだった。


しかし今や状況はかなり違う。東西冷戦が終焉しマルクス・レーニン主義は消滅、その後に出現した新自由主義や経済のグローバル化などによって「保守」とは一体何をさすのか定義する事が難しくなった。殊に自国第一主義を掲げるトランプ大統領の保護貿易を批難し「自由貿易を守るのは中国」などと云う最近の中国の発言を聞くと、プロパガンダに過ぎないのは判るが「自由を規制するのがアメリカで自由を守るのが中国か??」と苦笑する。


「保守」という概念を本当はどう捉えたら良いのかとの思いに、最近読んだ新書2冊がとても参考になった。「『保守』のゆくえ」(中公新書クラレ)の佐伯啓思氏は、今日の進歩主義やグローバリズムは従前の確かな価値や秩序原理をこわし、世の中を混沌状態に陥いらせているから、進歩主義を牽制すべきなのが保守者の基本だと言う。保守はそれぞれの国や地域で、歴史的に生成してきた慣習や社会構造、文化や価値観を急激に変更してはならない、改革は漸進的であるべきだと佐伯氏は述べる。


「保守と大東亜戦争」(集英社新書)の中島岳志氏も人間は不完全で間違いを犯すものだから、理性に万全の信頼を置く事は間違いであるとしている。信ずるべきは伝統や慣習、良識などであり歴史の風雪に耐えた社会的経験値で、やはり改革は漸進的に行うのが保守の態度であると云う。急進的変化、ラジカルで極端なものの中には必ず理性への過信が含まれており、それに依拠してはいけない事を、戦争反対を貫いた「保守派」の言葉から中島氏は導きだしている。


二つの書を読んでわが身を顧みたが、私は常々ラジカルな言動にはついて行けず社会変化はゆっくりが良いと思っているし、年齢が進むに連れて伝統や慣習にこだわる様になってきた。かつての革新派、今のリベラルの主義主張にはもとより賛同できないし、やはり自分は保守主義派だったかと再認識したのだった。

2018年2月28日 (水)

「リベラル」という病 (岩田 温 著)

20180228

先の総選挙を前に空中分解した民進党が、小池百合子氏が率いる希望の党に吸収される際におきた茶番劇には笑ってしまった。小池氏が集団的自衛権の行使容認に踏み込んだ安保法制や憲法改正に賛成する事を受け入れ条件とすると、あれほど安部総理の暴走を許さないと反対していた民進党の「日本のリベラル」たちがころっと方針を変え、踏み絵を踏んで希望の党になびいてしまったのだ。しょせんリベラル政党とは国民の事よりおのれの選挙目当ての互助会に過ぎず、日頃声高に叫ぶ主義・主張などは便宜的な付け足しに過ぎなかったという事が暴露されたようである。


リベラルの正体見たりという思いでそのドタバタ劇の報道を見ていたのだが、なぜ、そして、いかに彼らがそんなにおバカなのか、にわかに知りたくなり岩田温著の新刊「『リベラル』という病」(彩図社)を買ってしまった。岩田氏は新進気鋭の政治学者だそうで、東西古今の文献に通じた氏はリベラルの定義にも触れつつ不思議な「日本のリベラル」(いわゆるサヨク)を縦横に批判する。それによると「日本のリベラル」は周囲の情勢を一切無視し、ただ平和憲法を護れば平和が保てると主張するような「現実を無視した反知性主義者」であると云う。さらに彼らリベラルはむやみに共産主義に親和的で、その実態や共産党の本音に目をつむりがちだと指摘し、旧ソ連の悲惨な歴史が本書で語られる。


考えてみると1960年に「日米安保反対」を叫んだ日本のリベラル(サヨク)勢力の主張がまかり通り、もし我が国が日米安保なしであったら今の日本は一体どうなっていたかと想像すると恐ろしい。また天皇を認めない日本共産党は「当面」は認めると云っているが、では彼らがいつ天皇陛下を認めないと変身するのか。そのほか世界中でフツーに認められている集団的自衛権行使を認めたら、なぜ日本だけが徴兵制が復活して近隣諸国を「侵略」するのか、などなど日頃から日本のリベラル=サヨクの発する主張は反知性的かつ疑問だらけで突っ込みどころ満載である。


著者は朝日新聞などのサヨクメディアが、多くの憲法学者が自衛隊を違憲と主張する事は今回報じず、集団的自衛権の行使容認だけが違憲と騒ぎ立てる矛盾もついている。真に立憲主義を貫くなら、自衛隊は違憲だから廃止するか憲法を改正せよと主張すべきところ、それはできないから結局のところ日本のリベラル=サヨクは、「知的に余りにも不誠実な態度に終始」する「反知性主義」に陥るのだと容赦ない。さて今回の希望の党入党騒ぎで判ったのは「日本のリベラル=サヨク」は、本気で主義・主張を掲げている訳ではなく、ただ現実をまったく無視した脳内のお花畑的妄想に基づきガラパゴス的発言を繰り返していたと云う事である。これら奇怪な「日本型反知性主義者」に対して、本書の最後には著者の提言も記されており、これがなかなか読み応えがあるもので興味深かった。

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